十津川村
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十津川村の噂[編集 | ソースを編集]
- 五條市や宇陀市といった面積が大きい市がいくつか出来たが、面積No.1の五條市より2倍以上広い。
- 明治23年(下記の洪水のせい)に現在の村域になって以来、どことも合併はしていない。
- 十津川村は昔は関東アクセントだったが、テレビの普及で関西アクセントに変わった。
- 明治22年の大洪水が語り継がれている。この洪水で村民の1/5くらいが北海道に移住した(新十津川町)。
- その新十津川開拓団の末裔が水曜どうでしょうのミスター・鈴井貴之らしい。
- 今や新十津川町の方が人口は多い。
- 面積はこっちの方が広い。
- 人口密度は1桁…北海道の内陸部の農村並み…
- あまりに山奥で米が作れないので、律令(奈良時代)~江戸時代まで無税の地だった。
- そのために、むこだましが作られた。婿さんに餅を出したくても出せなかったから粘りのある栗で餅のようなもの(=むこだまし)を作った。
- 隣の大塔村(現 五條市)も山里だが、こちらはしっかり年貢をとられていた。
- 茶がゆがソウルフード。お茶も鉄窯で炒って、藁筵で揉んで保存し、ご飯と炊くことで、米の消費量を抑える役割がある。(奈良県でも特に茶がゆが重宝されてきた地域)
- そのため、胃潰瘍になる方が多いんだとか。
- 茶がゆがソウルフード。お茶も鉄窯で炒って、藁筵で揉んで保存し、ご飯と炊くことで、米の消費量を抑える役割がある。(奈良県でも特に茶がゆが重宝されてきた地域)
- 坂本龍馬暗殺者が「十津川郷士である」と偽ったことで、幕末史ファンには名が知れている。
- 秘境であることが誇りであるが、十津川村内でも村の中心部から離れた集落は田舎扱いされる。
- 谷瀬の吊り橋は村や県が金を出したのではなく、川向いの谷瀬の集落の人が負担して架けた。現在に換算すると1軒あたり数百万円出したらしい。
- 現在はその橋を若者が原付で渡ってたりする。
- 425号線は酷道マニアには有名な道。死にGO!線。
- 県道735号の方が少しマシ。
- 避暑地のつもりで来ると裏切られる。十津川沿いは標高が低い(200m以下の場所もある)ので、奈良盆地より気温が高い日がある。夏は高地の大台ケ原(1500m)、天川(800m)や野迫川(700m)が涼しい。
- 明治23年に合併で十津川村になる直前の村々の名前というと、北十津川村・西十津川村・東十津川村・南十津川村・中十津川村・十津川花園村。なんとまぁ…。
- 東南西北發(花園=緑に例えて)中がくっついて白になりました。浦和じゃないんだから・・・
- 花園村は隣の和歌山県にもあった(今のかつらぎ町)。
- 東南西北發(花園=緑に例えて)中がくっついて白になりました。浦和じゃないんだから・・・
- 瀞郵便局は郵便番号上、紀伊勝浦の管轄となっており確認しただけでも毎日、朝昼夜の三便がR169を使い郵便を瀞郵便局(瀞配達センター)に届けている。
- 竹筒が十津川村であることを忘れてはいけない。国道169号、311号が通過していることも。
- ずばり、十津川と言えば温泉。洞川(天川)とは互角か。
- 十津川高校が開校されたのは明治よりも早かった。
- 寄宿寮と剣道が有名らしい。たまに二津野ダム貯水池でカヌーの練習(部活か?)を見る・・。
- 多分それは十津川高校のボート部(ボートを漕げるほどの面積の水がある場所が少ないため県下唯一のボート部)。
- 寄宿寮と剣道が有名らしい。たまに二津野ダム貯水池でカヌーの練習(部活か?)を見る・・。
- 日本の「村」の中で最も面積が広いとか・・。
- 野猿(川の対岸に薪などを運ぶもの・ロープウェーの役割と同じ)で有名。現在は昴の里付近に人が乗れる野猿がある。「ザ・鉄腕DASH!」でも紹介された。
- 天誅組に参加したり、新撰組と切りあったりするなど、なぜか幕末に勤皇の志士として大暴れした。
- 壬申の乱や南北朝・大阪の陣に加兵するなど、いにしえから十津川は隠れ兵力なのです(明治の四民平等でも十津川は全員士族)。しかも常に勝ち組に附く。天誅組だけは時期尚早だったが。
- この独立独歩の精神が合併しない理由。関東式アクセント云々もそのため。
- 壬申の乱や南北朝・大阪の陣に加兵するなど、いにしえから十津川は隠れ兵力なのです(明治の四民平等でも十津川は全員士族)。しかも常に勝ち組に附く。天誅組だけは時期尚早だったが。
- 「めはりずし」が美味い。さっぱりしてる。
- 奈良県の最南端であるが、実は最西端でもある。村の最西端は大阪市のほぼ真南にあたる。
- 日本史における「最果ての亡命の地」(流刑地ではない)の代名詞。
- 果無という名前の集落(世界遺産)もある。2013年1月に「初めてのお使い」で少女がお使いしてたな・・・
- 西村京太郎ファンには有名。
- 遠都川と書いて「とつかわ」と読ませていたのが地名の由来。確かに奈良の都も飛鳥の都も遠い遠い。
- これでも旧国分では同じ大和国なんだから境界なんてわかったもんじゃない。
- “都”ってのは単に当て字で、「遠くの川」って意味の「遠つ川」だったんじゃないかいな?「近つ淡海」「遠つ淡海」「上つ毛野の国」「中つ川」みたいな。まぁ無論 どこから遠いかって言われると都から、なんだけど。
- イオンモール橿原(昔のダイヤモンドシティ・アルル)の土地は、この村の物。現地に説明版があった記憶がある。
- 車があっても行きやすい場所ではないが、車がないと本当に近畿か?と思うくらい行きづらい。
- バスだと、あの新宮まで行く3往復のバスに乗らなければならない地。最も、五條の方から十津川(もっというと十津川温泉)までならさらに倍ぐらいあるが。
- こんな場所だが旧大和国、つまり五畿七道では畿内に属していた。
- 実は日置川水系や日高川水系の流域もある。
- 最北端の篠原は五條市域を通らなければ行き来できない。
- 1890年(明治23年)6月18日に吉野郡北十津川村・十津川花園村・中十津川村・西十津川村・南十津川村・東十津川村という6つの「十津川村」が合併し発足。村域面積が672.38km2とかなりビッグスケールになってしまった。
- 以来、何処とも合併せず自立。
- 奈良市からも遠いが、大阪市からもかなり遠い。(車で2~3時間ぐらいはかかる。)