大さいたま帝国

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大さいたま帝国の国旗
世界を呑み込む様子を表している。

さいたま帝国発展初期に時空の歪みで発生したパラレルワールドに誕生した国。しかしその本体は2079年12月26日、日本に復帰した。

  • 国名:正式名称はだいさいたまていこく。日本語表記は大さいたま帝国。通称はさいたま、埼と略される。決してださいたまではない。ださいたまと言った奴は死刑。英語表記はThe Empire of Great Saitama。
  • 首都:
    • うらわ市(2007~2079)
    • さいきん市(2079~2X45)
  • 民族:さいたま人(さいたまじん)、日本人ほか
  • 公用語:さいたま語(さいたまご)
    • 語彙・文法など日本語に極めて近いが、漢字を全て廃止している。
      • カタカナ文化も廃れていった。事実上、ひらがなが国字になっている。
  • 宗教:主にさいたま教(さいたまきょう)
    • 太陽を唯一の神とする宗教。
  • 国歌:希望(ゆめ)のまち(旧さいたま市歌)
  • 国是:せかいせいふく

政治[編集]

  • 皇帝:初代 つちやよしひこ
  • 総理大臣:あいかわそういち
  • 国防大臣:のはらしんのすけ
  • 文部科学大臣:いずみこなた

政党[編集]

  • 与党:うらわレッドダイヤモンズ党(うらわ・れっどだいあもんずとう)
  • 野党:おおみやアルディージャ党(おおみや・あるでぃーじゃとう)
  • 野党:せいぶライオンズ党(せいぶ・らいおんずとう)
  • 野党:チチビアン民主党(ちちびあんみんしゅとう)
    • 後にチチビアン民主独立党と名乗る。
  • 諸派としてじゅうまんごくまんじゅう党(じゅうまんごくまんじゅうとう)、アニキャラ自由党(あにきゃらじゆうとう)などがある。

軍事[編集]

  • 作戦の立案と実行までの間にほとんどタイムラグがないのが特徴。
  • 突撃の時は「さいたまー!」と叫びながら。
  • 間違って「ださいたまー!」と叫んだらその場で銃殺刑。
    • 「くさいたまー!」と叫んだら強制収容所送り。
    • 「やさいたまー!」と叫んだらねぎ6年分贈られる。
  • のはらしんのすけ時代は、下品な作戦が多かった。

経済[編集]

主要企業グループ[編集]

  • あいかわ=なんぶべいこくこんつぇるん
  • さいたまみつびしこんつぇるん
  • えす・てぃ・てぃ(STT;NTT関東がさいたま帝国民族資本に買収されて成立)
  • こくど・せいぶ・ぷりんすこんつぇるん
  • せぶんあんどあいほーるでぃんぐすひゃっかてんぶもん
  • かっぱずし
  • やまだうどん
  • まるひろひゃっかてん
  • やおこぅ
  • しまむら

産業[編集]

  • じゅうまんごくまんじゅう
  • そうかせんべい
  • そふとめん
  • ほうとう
  • ごかぼう
  • いもけんぴ
  • がりがりくん

農業[編集]

  • ぶろっこりー
  • さやまちゃ
  • むらさきさつまいも
  • ほうれんそう
  • ふかやねぎ
  • わし

歴史[編集]

1997年[編集]

  • 2月1日 - ★土屋義彦県知事が「埼玉独立論」を発表。日本を震撼させる。

1998年[編集]

  • 5月 - ★「さいたま新都心タワー(SST)建設構想研究会」設立。 
  • 10月14日 - ★企画会社「さいたまタワー株式会社」設立。

1999年[編集]

  • ★土屋県知事が、経済企画庁の国民生活指標(豊かさ指標)に対し猛烈な抗議を行い、ランキングを消滅させた。

2000年[編集]

  • 1月10日 - ★新市名の公募が実施される。
  • 3月 - ★「さいたま新都心タワー事業準備会」設立。
  • 3月26日 - ★新市名検討委員会での検討の結果、「埼玉市」(公募1位)・「さいたま市」(2位)・「彩都市」(5位)・「さきたま市」(7位)・「関東市」(37位)の5案が市名候補として選考される。
    • ★「『埼玉』『さきたま』という名称は使うな」と行田市が反発。
  • 4月4日 - ★浦和市・与野市から「さいたま市」(公募2位)、大宮市から「大宮市」(3位)の2つの市名案が提案される。
  • 4月24日 - ★新市名が「さいたま市」に決定。

2001年[編集]

  • 5月1日 - ★浦和市・大宮市・与野市が合併し、「さいたま市」発足。
    • ここで上尾市と伊奈町奪取を企む。しかし上尾がいち早く逃げたため失敗。

2002年[編集]

  • 11月 - ★政令指定都市後の新区名発表。区名を巡り一部で暴動が起きる。

2003年[編集]

  • 4月1日 - ★政令指定都市に指定される。
  • 7月10日 - ★「政治資金規正法違反」で土屋桃子容疑者が逮捕される。
  • 7月18日 - ★土屋県知事が引責辞任。
  • ※後にこの事件は日本政府による「でっちあげ」であったことが判明。独立派である土屋親子の影響力を弱めることが目的と思われる。

2004年[編集]

  • 4月1日 - ★「さいたまタワー実現大連合」設立。[1]

2005年[編集]

  • 3月28日 - ★新タワーの建設地の「さいたま新都心」が第二候補として選定を受ける。
  • 4月1日 - ★岩槻市を併合。
  • 7月11日 - ★さいたま新都心で「さいたまタワー講演会」開かれる。[2]
    • ★相川宗一市長が「大逆転の可能性もありうる」と自信を示す。

2006年[編集]

  • 3月31日 - ★新タワーの建設地が 「墨田・台東エリア(押上・業平橋地区)」に決定 。
    • ★落選の理由は電波の混信世帯が墨田区の場合よりも7倍多く(約14万世帯に)なるという理由からである。
      ※後にこれは東京都の捏造であったことが判明。
  • 4月 - 大宮レイプ軍団、さいたま市の大宮駅に襲来。JR東日本の廃車回送列車を撮影中、「ミネル。」らと衝突。駅構内には激しい野次が飛び交った。
  • 7月20日 - ★千葉県柏市・松戸市等の関係者が周辺都市(埼玉に隣接するとんがった部分全域)を含めた合併によりさいたま市を超える大都市(政令都市)を目指していることが発覚。
    • さいたま市に危機感広がる。

2007年[編集]

  • 8月4日 - さいたま市議会が埼玉県庁を占拠。さいたま市の独立を求める。(さいたま革命
    • 日本政府がさいたま市の政令都市の指定を解除する。
  • 8月7日 - ときがわ町がさいたま独立支持を表明。
  • 8月10日 - さいたま軍が周辺市町村への侵攻を始める。
  • 8月12日 - 上尾市・桶川市・北本市・蓮田市・伊奈町を占領。
    • しかし、その直後蓮田を始めとする上尾•北本•桶川•伊奈が合併し、新蓮田市が発足し、市役所を蓮田市黒浜に置く
  • 8月14日 - 鴻巣市・行田市・東松山市・吉見町を占領。
    • この頃別働隊は東部(草加・越谷・春日部・三郷・吉川など)を制圧。千葉県側に工作員を送り込む。
      • 当初は政令市実現妨害が目的だったが、後に合併させて丸ごと乗っ取る方針に転換。
  • 8月16日 - 本庄市・神川町・美里町・上里町が合併。「こだま市」を名乗り、さいたま独立支持・さいたま市との共闘を表明する。この日、熊谷で40.9℃の気温が観測され、さいたま軍の数名が熱中症で死亡。
  • 8月20日 - 熊谷市に侵攻。しかし暑過ぎるので撤退。
  • 8月23日 - 和光市・朝霞市・新座市・志木市・富士見市・ふじみ野市・川越市・鶴ヶ島市・坂戸市・東松山市・滑川町・嵐山町・小川町・寄居町が合併。「東上市」を名乗りさいたまと全面対決へ。埼玉県庁を川越に移転。
  • 8月29日 - 所沢市・入間市・狭山市・飯能市・日高市・三芳町・毛呂山町・越生町・鳩山町が合併。「西武市」を名乗りさいたまと全面対決の姿勢を示す。
  • 西武市と東上市、「西埼玉連合」を設立。
  • 9月2日 - 入間基地から発進した航空自衛隊機、さいたまを初空襲。朝霞からは陸上自衛隊がさいたま市内に侵攻。どさくさにまぎれて練馬区を併合。
  • 9月8日 - 西埼玉連合対さいたま市最大の激戦となる荒川の戦いが行われる。西埼玉連合、さいたま軍に押し戻される。
  • 9月9日 - ふじみ野市が突如、東上市からの脱退を宣言。「ふじみの市」に改称し、さいたま独立支持を表明する。西埼玉連合は困惑する。
  • 9月11日 - さいたま、荒川を渡り川越に侵攻。西埼玉連合・東上市崩壊。埼玉県庁は所沢に移動。
    • 川越の七曲りに苦戦するも時の鐘制圧。
  • 9月13日 - 川越から新宿線沿いに西武市内に侵攻。(西武新宿戦線
  • 9月14日 - 所沢市域に侵攻。入間市に県庁を移転。
  • 9月15日 - 入間市域に侵攻。埼玉県・西武市は最後の望みを賭け、元大滝村役場に県庁を移転。俗に言う「秩父大本営」。
  • 9月17日 - 秩父市域を完全に占領。西武市は消滅。
  • 9月20日 - 将来の東京都への侵攻を見越し、表玄関を確保するため、川口市に対し降伏を勧告する。
  • 9月23日 - 川口市、勧告を拒否。本来浦和や大宮よりも人口(兵力)に勝り、両者への対抗心が盛んだった上に、東京都への親和性が高かったため。さいたまは県西部の宣撫工作に手間取っていたので、川口への即時侵攻を断念し、とりあえず様子見とする。
  • 9月30日 - 川口市は、草加市・鳩ヶ谷市・蕨市・戸田市と共に「武南連合」を結成して抵抗の姿勢を示す。
  • 10月8日 - ようやく県西部の宣撫が軌道に乗ったさいたま軍と武南連合軍、うらわインターチェンジ附近で激突。武南連合軍は鶴翼の陣をもってさいたま軍を撃破しようとするが、昼過ぎ、左翼にあたる蕨支隊・戸田支隊が突然寝返り、川口本隊を攻撃。実は蕨市はかねてよりさいたまへの帰属を希望しており、一方戸田市には川口市に対し根強い蔑視感情があったため。両支隊の寝返りによって側面を衝かれた武南連合軍は四分五裂。
  • 10月10日 - 川口市の岡村市長は降伏を決意。かくして県南部もさいたまの支配領域となる。
  • 10月14日 - さいたま市、大宮区から北区にかけての地域に鉄道師団を設置。機動力が向上する、 
  • 10月18日 - 県西部、県南部を失った埼玉県はついに降伏。これにより、埼玉県がさいたま市の支配下となる。
  • 同日 - 唯一生き残ってた熊谷に、敗走した議員団による埼玉県臨時議会が成立。
  • 10月19日 - 日本国からの独立を宣言。土屋義彦を皇帝とする帝国が成立。
    • 同時にさいたま市の合併を解消。
  • 10月26日 - 熊谷が東京都に編入される。
  • 10月30日 - 涼しくなってきたので熊谷の臨時議会を攻撃。しかし富岡清率いる熊谷軍の戦術に苦戦し赤城おろしの風で多くの戦死者を出し併合失敗。未だ熊谷市生き残る。
  • 11月2日 - 地名を全てひらがなに改称。
  • 11月14日 - 首都をうらわ市に制定。
    • おおみや市がこれに反発。
  • 11月27日 - 漢字を全て廃止する「漢字禁止法」が制定される。
  • 12月19日 - 地方行政区画を設定。
  • 12月28日 - 東京都が熊谷編入を断念。日本政府が統治権を委譲し、「熊谷特別自治区」が発足する。

2008年[編集]

  • 4月20日 - 池袋でさいたま編入を求めるデモが発生。一部が暴徒化し、漢字看板などを破壊する事態に発展。
  • 5月4日 - さいたま政府は東京都に対し池袋地方の割譲を要求。東京都は即日拒否。
  • 5月9日 - さいたま軍、豊島区に進軍。(池袋侵攻
  • 5月12日 - 豊島区と北区を占領。在日さいたま人から熱烈な歓迎を受ける。
  • 5月19日 - 東京都が割譲を容認。豊島・北区を併合する。
  • 5月30日 - 「とうきょう州」発足。
  • 7月 - 千葉県で松戸市・柏市・流山市・野田市・我孫子市・鎌ヶ谷市の6市議会において相次いで合併決議可決。10月17日の合併を目指し市名の公募が始まる。
    • 「東葛市」「東葛飾市」「東かつしか市」の3つが候補として残る。最初の案は旧柏市の名称だったとして松戸側が猛反対、後2者が決選投票にかけられた。勿論最後のはさいたまのスパイ(ひらがな工作員)の陰謀であった。
  • 10月16日 - 僅差で「東かつしか市」が採択された。しかし、市名の賛否をめぐり大混乱に・・・。
  • 10月17日 - 「東かつしか市」発足。人口137万人。発足したばかりの市内では至るところでデモが発生。
    • 「平仮名反対」vs「ひらがなだいさんせい。さいたまへんにゅうしじ」
  • 10月18日 - 千葉県知事が「さいたま人は漢字も読めない馬鹿」と発言。
    • 東かつしか市に人口で抜かれて逆上していた千葉市長も県知事の発言を受け「東かつしか市民はは漢字も読めない『ばかつしか』」と発言。
    • つちや皇帝は千葉県知事・千葉市長の発言に激怒。「ちょうばつこうい」と称して千葉県に宣戦布告。(玉千戦争
  • 10月21日 - 千葉県に侵攻。柏をさいたまに取られるのをよしとしない茨城人も加わって大乱戦となる。
  • 10月24日 - さいたまに隣接するとんがってる地域、すなわち東かつしか市を占領。
  • 10月29日 - 東かつしか市がさいたま側に寝返る。さいたま軍と共闘する。
  • 11月3日 - 千葉市陥落。千葉県が降伏する。
  • 11月4日 - さいたま・よの市(しんとしん)においてさいたま帝国と千葉県代表による講和会議が始まる
    • 講和会議の最中、さいたますーぱーありーなに落雷。これにより時空の裂け目が生じ、異なる2つの未来が生じた。
    • こちらの世界では穏健派のどうじく(動軸)将軍が落雷死。強硬派のちょうえつ(超越)将軍は一命を取り留め、病床より会議を指揮。
    • さらに、会議に参加していた千葉県側の要人の多くも落雷死。交渉能力も統治能力もゼロに。
  • 11月11日 - 千葉県はよの講和条約を受諾。これにより、千葉県全土をさいたま帝国に譲渡。千葉県消滅。千葉を併合したさいたま帝国は「大さいたま帝国」と改称した。
    • 念願だった海を手に入れ、さいたま国民は大喜び。11月11日を「海の日」に制定する。
      • 寒くて泳げん
    • 東京ディズニーリゾート(TDR)は「さいたまでぃずにーりぞーと(SDR)」に改称させられる。
    • ひがしかつしか市で捕虜になった茨城人たちは、ちちぶ州に設けられた強制収容所へと連行・抑留されることになる。
      • 勿論これは、訛りのひどい(失礼)茨城を攻略するためのふるさと工作員養成のためであった。
      • 収容対象者に因んでいばらぎっつ(Ibaragitz)強制収容所と名づけられた。
  • 11月15日 - 「ちば州」発足。
  • 11月23日 - 戦艦「さいたま」の進水式。その様子は国営放送のテレビさいたまで全国生中継され、初めての海に国民は皆感動、胸を躍らせた。

同日-しかし、何を血迷ったのか現○重工に発注していたため、進水と同時に浸水して沈没。

    • 大さいたま政府は韓国政府と現代○工に謝罪と賠償を要求。
    • 韓国政府・○代重工共にそれを拒否。
  • 12月1日 - 大さいたま帝国は報復として竹島に「みさいる」を発射。竹島消滅。
    • 韓国政府は激しく抗議。謝罪と賠償を求められる。韓国各地で反埼デモが起こる。
      • 大さいたま政府は「じごうじとくだ」と言ってそれを拒否。
        • 更には「むしろにっかんゆうこうにこうけんしてやったではないか」と言い放つ。
    • 日本政府は遺憾の意を表明する。
  • 12月15日 - 韓国が報復の報復として大さいたま帝国に向けてミサイルを発射。
    • しかし日本のミサイル防衛(MD)に阻まれ打ち落とされてしまう。
  • この一連の出来事が恒久的な埼韓関係悪化に繋がる。

2009年[編集]

  • 6月1日 - 羽田空港にて、この日東京都の職員らが捕まり、さいたま政府への「旅客機による、自爆テロ」を自供する。これにより(さいたま市内への)テロは、未然に防がれた。
  • 6月23日 - (この事件を受けて)さいたま軍は、さいたまの語源となった聖地・多摩に侵攻。つちや皇帝が「これはせいせんである」と声明。(多摩侵攻
    • 「埼玉(さきたま)古墳説」を完全否定。
  • 7月1日 - さいたま軍、奥多摩エリアに侵攻し、(援軍要請を受けた)東京&横浜(連合)軍と交戦する。
  • 7月14日 - 奥多摩町・桧原村を占領。
    • この時、さいたまを蔑視する都民主義者達は数馬の里に逃げ込み、落ち武者化。
  • 7月17日 - 第一次都民主義者追討作戦開始。さいたま軍、数馬の里へ侵攻するも苦戦し、撤退。
    • 都民主義者は「都民流忍術」を駆使し、ゲリラ戦を展開した。
  • 7月21日 - 青梅市・あきる野市・日の出町を占領。
  • 7月22日 - 第二次都民主義者追討作戦開始。さいたま軍、ゲリラを都民の森に追い詰める。
  • 7月22日 - 横浜軍、突然東京郡から寝返り、さいたま軍側についてしまう。
  • 7月26日 - 都民主義者、凄絶な抵抗の末に壊滅。(都民の森の戦い
    • 「都民の森」は「ふぉれすとたま」に改称される。
    • 以後、都民主義者によるテロ活動が頻発。
  • 8月1日 - 福生市・羽村市・瑞穂町を占領。西多摩郡全土を併合する。
  • 8月3日 - 都民主義者の残党が日原鍾乳洞に立て篭もるが、壮絶な戦死を遂げる。
    • 以後、「都民流忍術」を駆使する都民主義者たちは全国に散り、反さいたまの工作員として活躍することになる。
  • 8月10日 - 武蔵野市・三鷹市・西東京市などの「三多摩地区」の諸市は、さいたま帝国へ投降する。
  • 8月30日 - 衆議院選挙で大敗北した漢字の読めない日本国首相が「かんじのないくにがいい」とさいたま帝国へ亡命
  • 9月1日 - (武蔵野市・三鷹市など)東京の「三多摩エリア」の降伏文書が受理され、東京都の多摩地区は、事実上さいたま帝国に併合される。
  • 9月2日 - さいたま軍、(多摩エリアの)廃ビルの爆破(や毒ガス)を利用して、数百万人の多摩地区の住民&兵士を処断(処刑)する。
  • 9月15日 - 「たま州」発足。
  • 10月29日 - さいたま政府が栃木県の盆栽美術館から、総額30億円相当の盆栽など500点を5億円で購入。
  • 12月20日 - さいたまでぃずにーらんど(SDL)で「こばとんたうん」がオープン。

2010年[編集]

  • 1月7日 - 反さいたま同盟「23区隊」が(区から市になりたがっていた千代田区と、先に占領された、練馬区、豊島区と北区を除く19区によって)結成される。
  • 1月12日 - さいたま帝国は、「23区隊」に唯一参加していない、東京・千代田区(特にアキバ)に侵攻。しかし「何の役にも立たない上に、意外にわがまま」でお馴染みのオタクが、だれにとっても意味不明な猛反発を起こし、撤退を余儀なくされる。
    • みんな頭の上に「?マーク」が出るが「それがオタク」の一言で、とりあえず後回しにされる。識者は「スイスの独自性と同じ原理」と指摘するが、みんなとてもイヤ~な気持ちになる。
  • 1月20日 - いつの間にか「バチカン衛兵と同じ真の聖戦士」とまで思い上がっていたオタクに「ゲド戦記は失敗だったね。やっぱり世襲制は・・・」と、痛い所を突付くと各個に自爆した。
  • 1月23日 - 日本国側は「東京が奪われる!!」と思い、再び京都が首都に。
    • 人口の問題だと名古屋・大阪が反発。
    • これにより、石原慎太郎東京都知事が「首都じゃなくなったなら、もういいや。飽きた。」といって突然辞任。これにより23区隊は大混乱。
    • すぐに次の都知事がドクター中松に決定する。戦線になぞの発明品が投入される。
  • 1月31日 - あいかわ首相の提案により、23区隊対策として、鉄道の輸送力を生かした戦術の採用が決定。
  • 2月1日 - 東京都・板橋区、足立区において、相次いで「区長殺害事件」が発生。同時にさいたま帝国への降伏を申し出る。
  • 2月7日 - JR高崎線を確保する為に上野まで侵攻。
    • 赤羽、東十条、王子、田端、西日暮里、鶯谷では23区隊の守備隊が激しい抵抗を見せたが、指揮系統の不統一と、ドクター中松都知事の発明品がほとんど何の役にも立たなかった事により、わずか一日で上野まで制圧される。
  • 同日 - さいたま本隊の動きに合わせて、さいたま帝国の千葉県部隊が江戸川を渡河しようとするものの、23区隊に全ての橋を爆破されてしまい、千葉県から東京都への直接の侵攻を断念。
  • 2月8日 - さいたまを経由して千葉県部隊が葛飾区・柴又に侵攻。(葛飾柴又の戦い
    • 激戦の末、さいたま軍が勝利。
    • この戦いで葛飾の英雄、両津勘吉が戦死する。
    • さいたま帝国は両津勘吉の驚異的な身体能力を調査する為、遺体を本国へ持ち帰る。
    • 実は影武者であったことが判明。本物はいまだ逃走中。
  • 2月14日 - 板橋区・足立区を占領。
  • 7月19日 - 古河市・結城市・下妻市・五霞町・境町・八千代町が合併。「こが市」発足。
  • 9月1日 - こが市で「さいたま帝国編入条例」が可決される。
    • 元々この地域の人たちはさいたまに編入されたかったようだ。
  • 9月24日 - 玉古協約を締結。こが市がさいたま帝国の所管となる。(こが併合
  • 9月28日 - こが市をちば州に編入。「ちばらぎ州」に改称。
    • これにちば人は猛反発。各地でテロ事件が頻発する。
    • こが市が「せめてちばらにしてくれ」との嘆願書を提出するも受理されず。
    • しかしながらこが市民で対茨城・栃木のふるさと工作員に志願する者多数。いばらぎっつ収容所の反抗的な捕虜たちの立場が微妙になる。
  • 10月1日 - 東京23区部隊、さいたま帝国への降伏を申し出た「ドクター中松」氏を、(情状酌量に基づいて、米国への)「国外追放」にとどめた。
  • 10月29日 - 「ぼんさい・みゅーじあむ」がグランドオープン。
    • 世界一の盆栽テーマパークだと謳っている。
    • この日を「盆栽の日」に制定する。

2011年[編集]

  • 2月22日 - さいたまでぃずにーしー(SDS)で「こばとんびーち」がオープン。
  • 4月2日 - 群馬県でさいたま帝国への編入合併を目指す、群馬・さいたま党(通称:ぐんたま党)が結成される。しかしその実態は、さいたま帝国への懐柔工作する組織であった。(ふるさと工作員)
  • 4月5日 - 熊谷市と群馬県太田市を結ぶ刀水橋が何者かによって爆破される。
    • 熊谷はさいたま軍の関与を指摘しているが、根拠のないでたらめである。
  • 9月半ば - 群馬県南部で「さいたま編入論」が高まる。
  • 12月10日 - みどり市を皮切りに、群馬県南部の市町村で「さいたま帝国編入条例」が次々と可決される。
  • 12月12日 - 前橋市が「さいたま帝国編入条例」を巡って市議会が対立。前橋市は利根川を隔てて東西に分裂する。
  • 12月18日 - 併合を阻止したい群馬県は、北部を中心に反さいたま同盟「北毛隊」を結成する。
    • しかし、みなかみ町までもが「さいたまにへいごうされたい」と言い出し、北毛隊が困惑する。
    • 新潟&栃木&福島県全域は、「さいたま帝国」の(敵国兵士などへの)度重なる処刑&虐殺を受け、「徹底抗戦」の体制を整える。
  • 12月25日 - 群馬県が南部に北毛隊を投入。
  • 12月26日 - 各市町村で北毛隊と親さいたま派が衝突する。(~31日)(南毛事件
  • 12月27日 - 群馬・さいたま党は「しんこくなじんけんしんがいだ」と声明、群馬県を非難する。
  • 12月31日 - 北毛隊、群馬県南部の各市役所・役場を占拠。多くの親さいたま派が逮捕される。
    • 同日、新蓮田市が、「しんはすだし」に改名させられる。(それまで忘れてた)

2012年[編集]

  • 1月3日 - 群馬・さいたま党、密かにさいたま政府に応援を要請。
  • 1月6日 - さいたま政府、親さいたま派の釈放を要求。群馬県は内政干渉としてこれを拒否。
  • 1月12日 - 同志の保護を理由にさいたま軍が群馬県に進軍。北毛隊と衝突。
  • 1月20日 - 北毛隊に占拠されていた市役所・役場を解放。
  • 1月21日 - 北毛隊が東前橋市に撤退。
  • 1月25日 - さいたま軍、高崎市に軍司令部を設置。
  • 1月29日 - さいたま軍が東前橋市に一斉に砲撃を開始。北毛隊は群馬県北部に撤退。
  • 2月2日 - 群馬県、県庁をみなかみ町に移転することを発表。しかし、みなかみ町議会が拒絶。
  • 2月7日 - 草津町・嬬恋村・長野原村・六合村を合併し「九合市(くにし)」と名乗る。群馬県庁を九合市に移転。
  • 2月11日 - 南部が北毛隊に対抗して親さいたま南群馬同盟「南毛隊」を結成。みどり市を拠点とする。
    • さいたま軍と軍事同盟を結ぶ。さいたま政府、南毛隊に50億円の軍事援助を決定。
  • 2月18日 - さいたま軍が北進を始める。
  • 2月25日 - さいたま軍、渋川市・吉岡町・富士見村を占領。
  • 2月27日 - さいたま軍、榛東村に侵攻。相馬原駐屯地を爆撃。
    • 陸上自衛隊第12旅団が激しい抵抗を見せる。しかし、一部がさいたま軍に寝返ってしまう。
  • 3月7日 - 榛東村陥落。
  • 3月12日 - 南毛隊、沼田市に侵攻。北毛隊と交戦。
  • 3月15日 - さいたま軍、東吾妻町に侵攻。
  • 3月23日 - さいたま政府が県都陥落の為に兵力の増員を発表。
  • 4月1日 - さいたま軍、九合市に侵攻。長野原の防衛線は崩壊。旧嬬恋村境付近まで進出。
  • 4月16日 - 北毛隊。現状を判断して新潟県内への後退を開始する。
  • 5月15日 - さいたま軍。群馬県内を制圧。北毛隊の残党は、以後は地下活動の形式に。

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