大阪の寺院

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大阪市[編集 | ソースを編集]

北摂[編集 | ソースを編集]

勝尾寺[編集 | ソースを編集]

  1. 東海自然歩道から行くとタダで入山できる。
  2. 秋口の紅葉が一番見ものな気がするが春先の桜もなかなか。
    • 箕面の滝とともにどうぞ。
  3. 噴水とかあってあんまり古刹なイメージがない。入口の所の建物も。
  4. 読み方は「かつおうじ」が正しい。でも「かつおじ」でも通じる。
  5. 「勝運だるま」で有名。

総持寺[編集 | ソースを編集]

総持寺
  1. 阪急とJRの両総持寺駅の駅名の由来になった寺。
  2. 本尊は千手観音菩薩だが、亀の上に載った姿が特徴。
    • 御開帳は年1度、4月の1週間くらいのみ行われる。
    • 平安時代に作られたが、江戸時代に火災に遭ったため、下半身が黒焦げになっている。
    • それ以外の時は前立本尊を拝むことになる。
  3. 境内は案外狭い。
  4. 横浜市鶴見区にある同名の寺とは特に関係はない。
    • 向こうは曹洞宗なのに対しこちらは真言宗。
    • というか、「総持寺」を名乗る寺は全国に100ヶ所以上あるらしい。東京の西新井大師も寺の名前は「総持寺」。

久安寺[編集 | ソースを編集]

池に浮かんだあじさいの花
  1. 池田市北部の山間部にある、真言宗高野山派の寺院。
    • そのため境内には壇上伽藍もある。
    • そのため交通アクセスがやや悪いのが玉にキズ。
      • 阪急池田駅から阪急バスに乗ることになるが、1時間に2本しかない。
  2. 「花の寺」としても有名。
    • 6月のあじさいや秋の紅葉は美しい。
      • 特に池の水に浮かんだあじさいは見もの。しかも検札所の前の無料エリアにある。
  3. 本尊は秘仏だとか。
    • 本堂の隣には西国三十三箇所の仏像が置かれている場所がある。
    • そのため、国宝に指定されないらしい。

河内[編集 | ソースを編集]

成田山明王院[編集 | ソースを編集]

  1. 成田山の別院だが、交通安全祈願でも知られる。クルマに乗ったまま ご祈祷を受けるってのは あまりないかも。(←ドライブスルー?)
    • 京阪神では、成田山のお守りステッカーを貼った車を、よく見かける。
    • 「車に乗ったまま」というより「車ごと」のご祈祷ってことですね。
  2. 節分の豆撒きで毎年、BK制作の朝ドラの出演者が登場する。
    • そろそろ、地元寝屋川出身の力士、豪栄道にも参加してほしい。
  3. 元々ここに、京阪が、野球場だったかテーマパークだか作ろうとして失敗したあとが、これになったんだっけ???
    • たしかそんな話だったと思う。そんでもって春の高校野球をここでやる計画だったらしい。実現してたら阪神は開幕戦を甲子園でやることができたのにね……
      • 京阪が球場を作ろうとしたのはここではなく寝屋川市駅からちょっと香里園方向に向かった所。かつてここに豊野駅があった。今でも寝屋川グランドがあったことを示す石碑があるらしい。
    • ここが大阪都心から見たら鬼門の方角だったため、京阪が成田山の別院を誘致したらしい。
    • そのためか京阪電車の車内にはここの御札が付いている。
  4. 最寄駅は京阪香里園駅だが、バスに乗り継ぐ必要がある。
    • とは言っても歩いて行けない距離ではない。歩いて行った場合駅とここのほぼ真ん中あたりに友呂岐神社もある。
    • 正月や節分にはバスが臨時増発される。
    • 但し駅→寺の方向は登り坂になる。
  5. かの有名な「ナリタブライアン」の名前の由来は、成田山新勝寺ではなくこっちの成田山なのは意外と知られていない。

来迎寺[編集 | ソースを編集]

  1. 江戸時代に「幽霊の足跡」があるお寺として、大阪から物見遊山に訪れる人が多かったという寺。
    • 幽霊なのに足跡と思うなかれ。そもそも幽霊に足がないのは、円山応挙の描いた絵が植え付けたイメージ。
  2. 佐太天神などと一緒に、ちょっとした歴史的エリアを形成している。
  3. 宗派は今でこそ浄土宗だがもともとは、融通念仏宗佐太派の本山だったとか。
  4. 市内には来迎町があるが、この寺は佐太中町にある。

難宗寺[編集 | ソースを編集]

  • 守口市竜田通
  1. 境内の大いちょうが有名。
    • 晩秋になると地面が真っ黄色になる。

慈眼寺[編集 | ソースを編集]

本堂
  1. 通称野崎観音
  2. 飯盛山のすぐ下にある。本殿の裏からハイキングができる。
  3. 毎年5月上旬の「野崎参り」は有名。
  4. 天平勝宝年間にインドからはるばる来日した婆羅門僧正が、野崎は鹿野苑に似ていると言ったらしい。
    • それを真に受けた行基菩薩がお寺を開いたのが野崎観音の始まり。
  5. 中興の祖は今風に言えば十三のソープ嬢。
    • 平安期、荒廃していたこの寺を、江口で遊女をやっていた江口長者が中興の祖となり再建したとか。
      • 一瞬「エロ長者」に空目してしまった…
  6. 大阪市旭区の千林商店街はここに向かう街道沿いに栄えた。

長栄寺[編集 | ソースを編集]

長栄寺.JPEG
  • 東大阪市高井田元町
  1. 鴨高田神社のすぐ北側にある古刹。
  2. なんと、飛鳥時代の創建らしいよ。
    • 聖徳太子が自ら本尊の十一面観世音菩薩を刻み安置したのがはじまりだとか。
      • 因みに、秘仏なので拝むことは出来ません。
  3. 地名としては高井田だけど、現代に置いては高井田ではなく永和の長栄寺と言ったほうが、わかりやすい。
  4. 江戸時代に再建されるまでは長い間、荒れ寺だったらしい。
  5. 町工場と住宅の間にあるので、まさか、歴史ある古刹だとは思えない。
  6. 境内そのものが大阪府指定史跡。
  7. 新真言宗総本山らしい。そんな宗派あったっけ??

顕証寺[編集 | ソースを編集]

  1. 聖徳太子が創建したらしい。けれどもそんな雰囲気は一つもない。
  2. 昔は堀が2重にあるそこそこ大きい寺内町を持っていたらしい。
  3. 道頓堀の名前の由来ともなった安井道頓の一族が支配していたらしい。

大信寺[編集 | ソースを編集]

  • 八尾市
  1. 通称八尾御坊。八尾の街の生みの親。
    • 本当は八尾の街は寺内町だったのだが、今の雰囲気を見る限りでは、そんな感じは全くしない。
  2. 実は久宝寺からの分離独立運動の賜物だったりする。
    • 本願寺門徒お得意の東西対立の結果だが……
  3. 久宝寺に比べて建物が真新しい。木造の古めかしい感じを期待していく側からすると、ぶっちゃけあの鉄筋コンクリートはチープ。

葛井寺[編集 | ソースを編集]

  1. 年末になると大根が振る舞われる。結構旨く炊いてある。
  2. 上に書いてある通り、市名とは漢字表記が異なる。
    • そもそも「井寺」で「ふじいでら」とは読めないからなあ…
    • 渡来系の葛井氏が建てたから「葛井寺」。
      • 時代が下り、藤井安基という偉いお坊さんが現れたので、周りが勝手に「藤井寺」と表記するようになった。
  3. ここの千手観音像は、本当に千本の腕がある(正確に言えば1043本)。
    • 2018年に東京国立博物館へ出張した時には、今上天皇(当時・皇太子)がわざわざ拝観している。それほどまでに凄い観音像なのだ。
    • 毎月18日にご開帳なのだが、この日は近隣の道明寺や野中寺のご本尊もご開帳となるので、合わせて巡礼する人が多い。
  4. 本堂へお線香は、灰が山盛りになった香炉の上で寝かせてお供えするのが流儀。
  5. 西国三十三所の各観音様をデフォルメした石像が、境内の南西に建ち並んでいる。
    • 「全部の霊場へお参りできない人はここで拝んでね」ってことなのだろうか?
  6. 「あかん河内の葛井寺」という愛称(?)が付けられている。
    • 前述の僧侶・藤井安基は、かつてどうしょうもない悪人だったが、葛井寺へ来たら改心したという逸話から、「どうしょうもない(あかん)人間でも助けてくれるお寺」ということになったらしい。
  7. 昔、長野神社という境内社があったが、明治の神仏分離で取り壊され、祭神のスサノオは辛国神社へ合祀させられた。
    • なお、その辛国神社は、葛井寺からかなり近い場所に鎮座している。

道明寺[編集 | ソースを編集]

  • 藤井寺市
  1. ご飯の粒々が残っている方の桜餅。
    • 関西では桜餅としか呼ばないが、関東などでは桜色の餅を丸めて餡を巻いたやつが桜餅(関西などでは)で、こっちは道明寺餅とか呼ぶんだってさ。関東の方のは関西では長命寺餅と呼ぶ、らしい。
    • その材料である道明寺粉でも馴染み深い。
  2. 菅原道真ゆかりのお寺。
    • 名前にある「道明」とは道真公の別名。
    • この地域に住んでいた土師氏の氏寺で、古くは「土師寺」と言った。
      • 近くにある道明寺天満宮は土師氏の氏神神社であり、元々はこの神社の境内にあった。
    • 道真公が作ったと言われる十一面観音立像がご本尊。
      • ホンマにこれ一人で作ったんか?って思うくらい、よく出来ている。
    • 道真公のニワトリ嫌いの逸話が生まれた場所。
  3. 第一次世界大戦の戦没者慰霊碑があり、激戦地であったフランスのベルダンの土が納められている。

西琳寺[編集 | ソースを編集]

西琳寺.JPEG
  • 羽曳野市
  1. 古市の古寺その1。
  2. 飛鳥時代に創建された古い寺院。
    • 古代には河内でもかなりの大きさを誇る大寺院だったらしい。
    • 令和の今は、そんな雰囲気を感じさせない、街のちょっと歴史あるお寺という感じの寺院になっている。
  3. 西琳寺文永注記という1200年代後半に編纂された古文書がある。
    • これによると応神天皇の御代に百済から渡来した王仁氏の子孫、西文氏の人がこの寺を建立したとか。
      • 建立に合わせて阿弥陀仏の像を造立したとか。もちろん今は残っとらん。
  4. 過去何度か発掘調査がなされており、それによると東に塔を持ち、西に金堂を配置する法起寺式の伽藍配置がなされていた大寺院やったんちゃうかと考えられとるらしい。
    • 境内に残る塔の心礎は、かなりの大きさらしく、でっかい塔だったんだろうと推察されている。

真蓮寺[編集 | ソースを編集]

黄昏時の真蓮寺
  • 羽曳野市
  1. 古市の古寺その2。
  2. 浄土真宗本願寺派の寺。
    • 割と古い歴史が有り、平安時代には真言宗の寺であったことが記録として残っているとか。
      • 真言宗寺院だった頃は蓮華台寺という寺だったらしい。
  3. 1238年(暦仁元年)に見真大師が来訪し、浄土真宗に改修させる。
    • 以後、当時は戦国の終わりまで河内一帯の一向宗門徒の基地として栄えたらしい。
  4. 明治初期には、古い手で一番立派な寺院だったこともあって古市郡役所としても使われたんだとか。

西念寺[編集 | ソースを編集]

  • 羽曳野市
  1. 古市の古寺その3。
  2. 寺自体の創建は宝治年間(鎌倉時代)。
    • 創建から令和の今に至るまで浄土真宗の寺院。
      • でも南北朝の争乱で焼失して一度なくなったんですけどね……
  3. 古市高屋城の城主でもあった畠山持国が家老に命じて再建した。
    • 以降、この寺の住職はその家老(斎藤山城守という人らしい)の末裔が、代々つとめていたとか。
  4. 現在の本堂である八間四面の大堂は結構立派。
    • 1758年(宝暦8年)に再建されたものだとか。
  5. 寺自体の創建は鎌倉時代だが、昔、この寺にあった池は神亀年間(飛鳥時代)まで遡る歴史がある。
    • 池の中に居た亀の甲羅に「天平貴平・知百年」という文字が書かれていたから、天平に改元されたとか。

大黒寺[編集 | ソースを編集]

大黒寺(羽曳野市).JPEG
  • 羽曳野市
  1. 七福神の石像がある。
  2. 大黒にあるから大黒寺なのか、大黒寺があるから大黒なのか、どっちなんや?
  3. どことなく真新しい感じがするが、実はすごく古い歴史がある。
  4. 役行者が開基。
    • 御本尊は大黒天のお告げを聞いた役行者が自分で彫った大黒様だとか。
  5. 福の神大黒天発祥の寺として知られる。
  6. 日本ではじめて大黒天が出現した霊場だとか。

叡福寺[編集 | ソースを編集]

叡福寺.JPEG
  1. 聖徳太子永眠中。
  2. 3つに分かれた竹がうんたらかんたら……
    • の伝説の竹が今もあるんだっけ……
  3. 多宝塔もあるが、これもまた美しい。
    • 慶安5年(1652年)に再建されたものらしい。国指定重要文化財。
  4. 聖霊殿は豊臣秀頼公が後陽成天皇の勅願を受けて再建したもの。
    • 多宝塔よりも古く、現在、叡福寺にある堂宇の中で最も古い歴史がある。これも国指定重要文化財。
  5. 織田信長が焼き討ちをし一度荒廃した歴史を持つ。
    • それまでは、飛鳥時代より残る伽藍や寺宝が数多くあったとか。
  6. 中世までは日本仏教発祥の地として、色々な方々から厚い信仰を受けた。
    • 特に平安時代には、多くの天皇が参拝なさったらしい。
    • 空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍ら、平安新仏教、鎌倉新仏教の開祖らも参拝したと記録に残っているらしい。
  7. 大阪府指定文化財の石塔五輪塔がある。
    • 実は河内源氏のふるさと通法寺から一山越えた所ということもあって、源頼朝の墓が太子町にあると言われているが、どうやらそれが、この石塔だったらしい。

弘川寺[編集 | ソースを編集]

  1. 西行終焉の地。
  2. 枯山水と桜がナイス。

観心寺[編集 | ソースを編集]

  1. 仏堂みたいな塔がある。三重塔の一段目だけ造って、後は放置プレイらしい。
    • そりゃ、湊川で勝ったら、残り作りますだっけか。それで負けたんだから、そりゃそうだろう。
  2. 南朝所縁の寺院。楠木正成が馬に乗っている像がある。
    • 楠木正成ってあの辺の山々を根城にして山岳ゲリラをやってたわけだから、馬に乗ってってのは無理なような気がする……
  3. 河内長野の山奥のサントー線沿いにあるんだが、こんな所に国宝が3点もある。ありえへん。
  4. 大阪府内にある木造建築で最古の建物があるらしい。

金剛寺[編集 | ソースを編集]

  • 河内長野市
  1. 滝畑ダムから下って行って、旧外環にぶちあたった所にある寺。女人高野の一つらしい。
  2. 南朝北朝双方の行在所になった過去あり。楠木正成のお膝元にあるにも関わらず、北朝の行在所やっとんのかい!
  3. 金堂にある3つの仏像は運慶さん作。歴史あるのが分かる。
    • 違う。快慶の高弟で、事実上の後継者・行快の作。近年、金剛寺をはじめ作品が次々と「発見」され、評価が上がりそうな仏師の一人。
    • なお、そのうちの降三世明王は、奈良国立博物館の仏像館にしばらく出張中。
  4. 紅葉の名所。夕日に映える紅葉が美しい。
  5. 寺で酒を造っている。
    • 天野酒と呼ばれるこの酒は豊臣秀吉も認めたというほどの味らしい。飲んだことはないので分からんが。
  6. 美術マニア的には、「日月山水図屏風」で有名。
    • 今は重要文化財。いつ国宝になってもおかしくない逸品だが、制作時期など謎が多すぎて二の足を踏んでるのだろう。
    • 5月5日と、11月3日のみ公開。まあ、注意してれば数年に一度は、展覧会に貸し出されているが。

泉州[編集 | ソースを編集]

願泉寺[編集 | ソースを編集]

  1. 寺内町・貝塚の中心となったお寺。
  2. 住職は代々卜半斎を名乗る。地元ではこのお寺を「ぼっかんさん」と呼び親しまれていた。
    • 平島公方にも一応関係があるらしい。
  3. 本願寺が織田信長と講和して石山本願寺を撤退、紀伊に行った後にこの寺に来ている。
    • そんときの住職・卜半斎了珍さんは根来寺の出身である。あれ?本願寺とこの願泉寺が浄土真宗、根来寺は新義真言宗…
  4. 卜半斎了珍さん、徳川家康とも仲が良かったらしい。大阪夏の陣の折、豊臣方が紀州浅野氏を攻めに行ったときには大阪方を接待し、大野某ら後続部隊を酔い潰して戦に遅延させるという働きを見せる。
  5. そんなことで徳川家からも信頼され、貝塚の自治を認められる(市全域じゃなくて当時の寺内町のあたりね、念のため)。
    • 自治が認められたから町内には遊郭もあったそうで。

水間寺[編集 | ソースを編集]

水間寺
  • 貝塚市
  1. 泉南地方でもっとも有名なお寺、といって良いのではないだろうか。
  2. 名前の通り水の間(川の合流地点)にある。
  3. 三重塔が有名、というほどではないが、一応シンボル。
  4. 江戸時代は金貸しもやっていたらしい。ちっとも返しに来なかった若者が数十年後に馬にいっぱいの銭を積んで返しにやってきた、みたいな美談がある。
  5. ここに詣でるための電車が水間鉄道。水間駅はお寺っぽい感じの建物になっている。
    • 今は水間観音駅に駅名改称されました。

七宝瀧寺[編集 | ソースを編集]

  1. 犬鳴山の山深いエリアにある。犬鳴山温泉と一緒にどうぞ。
  2. 役行者の修行の地。吉野大峰よりも6年ほど早い開山。
    • まあ、大峰に比べたらラクやろからなあ。
  3. 渓谷の小滝と紅葉が美しい。そんな小滝で滝行やってる人が結構多い。
    • また行場もある。こっちは相当険しい箇所もあり、生半可な覚悟できたらアカン。
  4. 義犬伝説というそこそこ泣ける話がある。犬鳴山の由来はそれ。

家原寺[編集 | ソースを編集]

受験シーズンには本堂がハンカチで埋め尽くされる
  1. 「えばらじ」と読む。
  2. 合格祈願で有名だが、ハンカチを本堂に貼り付けて祈願することで知られている。受験シーズンには本堂の壁や柱がハンカチで埋め尽くされるとか。
    • かつては柱にそのまま書いていたらしい。
  3. 行基が誕生した場所らしい。
  4. かつては拝観無料だったが、現在は拝観料200円が必要。
    • とは言え検札所があるわけではなく、寺の入口に賽銭箱が置かれているだけ。

施福寺[編集 | ソースを編集]

  • 和泉市
  1. 通称は槇尾寺(まきのおでら)
  2. 西国三十三所第4番札所。泉州では唯一の西国三十三所の札所。