大阪近鉄バファローズ

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近鉄バファローズの噂[編集 | ソースを編集]

  1. 消滅騒動の時はお客さんがたくさん入った。
    • 殆ど、廃線直前のローカル線に群がる鉄道ファンみたいなもの。
      • 大阪ドーム最終戦だけを別にすれば、合併発表以降もそんなに言うほど大して入っていない(もしくは普段と代わりない)。ちなみに一番入ったのは大阪ドーム開業初年。
    • なお、最初にスクープしたのはどのスポーツ紙でもなく日経だった。
  2. 最後の優勝時(2001年)、御堂筋パレードを開催しようとしたが府知事に断られた。…が、2003年に阪神が優勝した際は一転府知事開催許可。
    • 怒り心頭かと思いきや今度は不良債権化して近鉄を消滅させる一因となった馬鹿高賃料大阪ドームに本拠地シフトでサヨナラ神戸。本当にファン度外視のチームだな合併球団よ。
      • まあ、合併先の親会社がドームを子会社にしてしまったのでね。
    • あの断られた理由って、知事が「自分は南海ファンだから絶対にそんなものはさせない」って押し通したからじゃなかったっけ?
    • 元々南海の街だから阪神が御堂筋パレードを開催するとき少しもめている。
    • 自分が南海ファンだからって…度量の狭い知事だね…。
    • 2003年の虎パレードは近鉄球団オーナーも出席…。この御仁は讀賣の優勝パーティーでも鏡割りに参加してたし。
    • 2022年、合併後の球団が日本一を達成して御堂筋をパレードした。
  3. 「巨人はロッテより弱い」と発言した選手がいたことで有名。実は西武全盛期に唯一パリーグ制覇したチーム('89年も西武が優勝していたら10連覇だったはず)。
    • 実際はマスコミの誘導尋問と作文であり、加藤哲郎選手自身ではそんな発言はしていない
      • ちなみにその後の試合で、駒田徳広が加藤を罵倒したって話も諸説があってややこしい。
        • 罵倒というか、ホームラン打って塁を回る時異常に喜んだのは本当。映像を見ると多分流れで貶してる雰囲気もある。
        • 巨人をボロクソにけなしたのは事実だけど、ロッテなんか一言も言わなかった。
          • 加藤哲は「巨人はロッテより歯応えが無い」と言うたけど「巨人はロッテより弱い」とは言うてへんかった。
    • でもこの発言のおかげで通算17勝の投手が解説者になれた。
    • いまや事実。(2006年交流戦での対巨人戦成績はロッテの6戦全勝)
      • 交流戦では強い方の巨人だが、ロッテ(特に千葉マリンでの試合)とホークスには毎年ほぼ勝てない。そのせいで毎年のように5割ちょっとの勝率になる。
    • 本人もいまやこの発言をネタにしている。
    • 大阪の鶴見区に彼がオーナーを務める焼肉屋がある。オーナーが直々に皿洗いする事も…。
      • 2008年に閉店していた。
        • 奈良の大和郡山市に2号店もあったが、同年に閉店していた。
        • 現在は麻雀教室の講師をやっていて、麻雀最強戦にも参加している。
    • その選手が宮崎出身だと知った時は「えっ?」と思った。だって関西弁だし。
  4. 「バファローズ」と口にした日には、生粋のバファローズファンに怒られたモノだ。(遠い目)
    • でも歌で聞くと“バッファローズ♪”としか聞こえない。(応援歌やレッドでハッスル~のCM等)語呂が悪いからか・・・
    • 元々は文字数を減らすため「ッ」を省略したそうな(当初は「ズ」もなく「バファロー」だった)。
      • 正確には「バファロー」ではなく「バッファロー」。千葉茂監督の愛称だった「猛牛」に因んで「パールス」から改名された。「ッ」が抜けたのは「バファローズ」に変更された後。
        • この「バファローズ」の由来が、元監督・故千葉茂氏のニックネーム「猛牛」によるものとはどれくらいのファンが知っているだろうか…。
    • 2004年の球団CMでも、あのマー坊が言ってたな。
    • オリックスに引き継がれた後もファンに怒られたりする。
      • オリックスとコラボの時の吉本新喜劇で、石田靖が「バッファローズちゃう、バファローズや!ちっちゃい「つ」は要らん!」と言っていた。
        • その靖は元々巨人ファンだったらしい。
    • 今でもたまに誤植がある。
  5. とにかく選手のケアに金をかけないチームだったらしい。それで愛想をつかした元選手多し。
    • 野茂に全面的に信頼されていた立花コンディショニングコーチを切ったのが典型例かな。
      • 立花コーチと入れ替わりに、走りこみと投げ込みしか指示しない鈴木が監督就任……。
        • 正しくは入れ替わりではなく、鈴木の監督就任1年後に辞めた。やめた理由はもちろん、鈴木と対立したため。
        • 野茂のメジャー行き、吉井のヤクルト移籍も、きっかけは立花コーチを切った鈴木との対立。精神論しか言わんアホの下には居られん、と。
        • 草魂根性野球VS近代トレーニング野球
        • 鈴木「選手、特に投手の走り込みが足らん。」  立花「足りないと言うなら、今現在どれくらい走っているか知っていますか?」 鈴木「・・・・。」返答に困る。ってなやり取りだったとか…。・
        • 試合前にスタメン選手を「余計な力を抜かせるため。」との持論で10キロ走らせたりした。
        • 選手から「ワシら野球選手でっせ~陸上選手とちゃいまっせ〜。」との声が出るのは当然。
        • 結果は奇跡の2位でシーズンを終えて選手にとっては鈴木監督残留という最も恐ろしい結果に…。阿波野だけは運良く巨人にトレード。
    • 選手のケアの悪さもさることながら、フロントから「本社の人間来るからクルマどけろ」と言われて「なんじゃそら」とあきれた選手もいた。
      • 鉄道会社なんだから電車で来ればいいのに…
  6. 中村ノリの所為で潰れたと言われている。
    • 通称「汚いノリさん」。今の彼を見てると「人間、変われるモノなんだな」と思う。実は意識的にちょっと危なかったらしいけど(落合が一回説教して泣かせたらしい)
    • ノリがバファローズを潰したというのは誤解。このあたりの事情は『日本の論点2005年版・データファイル83』に詳しい。
      • もちろん近鉄本体の経営があまりにもガタガタだった方が影響している。
    • もらう方(ノリ)ももらう方だが、よこす方(近鉄フロント)もよこす方では?広島みたいに堅実な経営すれば良かったのに…。
  7. 近鉄時代の日本一は、楽天は除き12球団で唯一未経験のまま消滅した。
    • 事実上楽天に受け継がれたが・・
    • 日本シリーズには4回しか出たことが無く、中日阪神横浜との対戦が無いまま消滅した。
    • その楽天も遂に日本一
      • 近鉄→楽天の中で最後の生き残りでもある牧田が良いタイミングで貴重なダメ押しホームランを放ったのも感慨深い。
  8. 最強の三振王がいたこともある。
    • 彼が出てくると「名古屋に帰れー」という中日ファンヤジが飛んだのも語り草。
    • 西武戦での四連発で「神」になった男。ライトな野球ヲタには「東京ドームのスピーカーにブチ当てた男」として有名。
      • 本塁打4連発は4打数連発。'89/10/12・対西武戦ダブルヘッダー(西武球場)で。
    • 神様・仏様・ブライアント様!
      • '88/10/19では「何で引き分けなんて制度があるんだ」と涙し、'89/10/14では大喜び。同僚達にこれでもかとばかりビール掛けまくり。
        • >「何で引き分けなんて制度があるんだ」と涙し ←それオグリビー。
  9. 優勝決定戦や日本シリーズでのエピソードに事欠かない球団。
    • 「江夏の21球」「10.19」「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定お釣りなしホームラン」等。あと決定ではないけど、先述のブライアント4連発も優勝のかかった大一番での話。
      • 有藤道世は悪である。
    • この節のNo.03もシリーズでのネタ。
  10. 本拠地を藤井寺から大阪ドームに移した直後、球場場内アナウンス担当を男性の人に替えた。
    • 男性アナウンスは不評だったのか、すぐに藤井寺のアナウンスの女性が復帰。
      • 結局、この女性が近鉄時代の最後までつとめた。藤井寺時代を含めて30年ぐらい場内アナウンスを担当されたのでは。
        • 2009年、ガンのため59歳の若さで逝去。2011年に合併先で近鉄ユニ復刻の試合があったが、もしご存命だったらその試合で場内アナウンスとして復活していたであろう…。とにかくご冥福をお祈りいたします。
        • 球団消滅後、そのまま勇退の予定だったが当時の仰木監督の誘いで北神戸での2軍の試合でアナウンスとして職場復帰。亡くなる前年まで、近鉄時代から実に40年も場内アナウンスを勤め上げた。
      • 近鉄のウグイス嬢は2人いて、もう1人は今も健在で「大阪クラシック」などの合併先の近鉄復刻時に復活でアナウンスを務めていた。
  11. 今思うと、ガラガラのスタンドで、野茂投手のピッチングが見られたなんて、なんとゼイタクなことか。
    • でも四球四球の連続でイラつかせてくれたこともあった…。
    • 野茂の登板の時だけ満席に近くなって外野席で寝ころんでビールを飲みながら観戦出来なかったんですよ。
  12. プロ野球で唯一「町」を本拠地にしていたことがある球団。
    • しかし藤井寺では騒音を懸念して長らくナイター設備がつけられず、本拠地が藤井寺なのに'83年まで日生で試合をやることが多かった(日本シリーズは大阪球場)。
    • ただし地元の人の心は温かかったと、多くの本には書かれている。
      • その割にはナイター設備つけようとしたら地元住民に猛反対食らって裁判沙汰になったけど。
        • そもそも近鉄が藤井寺市を「藤井寺市=高級住宅街!」をウリにして宅地開発したからなぁ。上述の騒音やゴミポイ捨てなどのナイター公害恐れた住民が反対したのが真相かと思われ。
          • 長年の近鉄ファンにとっては「近鉄フランチャイズ=藤井寺」である。
  13. 地元マスコミには2002年以降球団合併が発覚するまで、徹底的に無視され続けてきたがその最もたるは2004年5月に鈴木貴久が亡くなった時、関西の一面で報じるスポーツ紙がなかったのに、なぜか東京版のサンケイスポーツの一面で報じられたこと。
    • 鈴木貴久コーチはファンの大「タカヒサ」コールに送られて天国へ召されました…(合掌)
    • 因みに、現役時代に当時の大阪ドーム(2014年現在は京セラドーム大阪)での公式戦本塁打第1号を放った事は語り草。
  14. この人達にとっては有名な球団。
  15. 東京の草野球チームにここをパロった名前のチームがある。
  16. 2001年の優勝マジックが1になったとき、ラジオの応援番組でTHE ALFEEの「Victory」を流していたが、この曲、実はここの応援歌だった。
    • まさか3年後そのチームと全く同じ運命を辿るとはこの時は予想しなかったであろう…
  17. この球団の消滅後、近鉄グループは巨人びいきとなった。阪神と乗り入れするようになった今でも余り変わりないと思う。
    • 2008年10月に近鉄百貨店で「阪神応援感謝」ではなく「巨人優勝記念」のセールをやった。
      • 百貨店業界では阪神百貨店とライバルで、かつ巨人ヨイショの三越と提携しているからかも。
    • 阪神なんば線開通記念のイベントの一つで、報知新聞45周年を兼ねて「伝統の巨人・阪神展」が行われた。
    • かつてのライバル球団なので、ガッカリした人は勿論、吃驚した人も多かったはず。
    • 球団存在時から巨人とはOB戦やったりして仲はよかった。
      • 両球団での選手のトレードも結構あった。
  18. 現実よりもう少し球団が長続きしたら、阪神なんば線の開通によって、阪神と日本シリーズや交流戦の時に、近鉄電車で甲子園球場へ行けたかもしれなかった。
    • 2003年の、阪神と近鉄が強い時に両チームのファンは「大阪決戦」が行われるのを期待していた。
      • 実現したら大阪の街の盛り上がりは尋常ではなかったのだが…。鉄道ファンなら「日本最短営業キロ私鉄所有球団(阪神)VS日本最長営業キロ私鉄所有球団(近鉄)の対決」と言うだろうけど。
        • 最短(の大手私鉄)は相鉄では?
    • 球団があった頃にも「近鉄電車」で大阪ドームに行くこと自体はできた(東大阪線地下鉄乗り入れで九条下車)。
    • 関西の鉄道ファン兼野球ファンは、阪神本線~なんば線~近鉄奈良線で阪神車両と近鉄車両のツーショットが見れるとその「タイガースVSバファローズ」を思い出す。
  19. マスコットの女の子の方のファルルはとてもかわいかった。
    • というか「近畿日本鉄道」っぽくなかった。阪急でも違和感がない上品さだった。
      • 豪快野球がウリの近鉄らしくない(?)萌えキャラ。
      • 合併先のリプシーやベルたそに負けず劣らず可愛らしかった。
    • バフィリードだけ商標権がオリックスが保有。ファルルら(実は他にバルバロック(バル・男性)とカペロット(カペロ・子供)の2人がいた)は更新期限まで近鉄本社が保有。
      • 結局バフィーは使われることなくネッピー継続後、2011年新キャラクター登場。
      • それと関係あってか2013年に大阪近鉄復刻デー開催された時はバフィーだけでファルルは復活しなかった。さらに同年のマスコット集合した試合でも阪急のブレービー、BWのネッピーとリプシー、近鉄からはバフィーしか登場しなかった。
    • 藤井寺・日生時代はバッファくん。バット担いだ近鉄ユニ姿の少年。
    • そのバフィーとファルルは、近鉄つながりでパルケエスパーニャのドン・キホーテやダルシネアとコラボを果たしたこともある。
  20. 「野武士球団」と評されていた。
    • 長年の野球ファンに言わせると、近鉄の戦い方は凄まじくハチャメチャだったらしい。大連勝と大連敗の繰り返しだったとか。
    • 同じ表現は西鉄ライオンズに対しても使われていた。
      • 「シーズン終盤の大逆襲」・「逆転の近鉄」など。
        • でもそのハチャメチャぶりがファンに愛された。
      • 1980年には239本もホームランかっ飛ばして(当時の最多本塁打記録として日本一・現在はパ・リーグ記録)優勝した。 ここらあたりから「近鉄=豪快野球」のイメージがつき始めた。
    • 西本幸雄元監督も「近鉄は田舎の武士みたいなチームだった」と言っていた。
      • 西本近鉄時代マスコミは「お荷物」と書きやがった…(怒)
        • パールスからバファローズにチーム名変わって以降…9回に抑えの切り札出てきて「これは勝ったな」と期待するとダメ(サヨナラ負け)で期待しないと勝つ(相手の抑えのエースを打ち崩して大逆転勝ちなど)チームになった!
    • 近鉄名物『いてまえ打線』でしたね。
      • 中盤まで9-0の試合を一気にひっくり返して見事勝利なんてこともやってくれました。
      • 偶然にも2013年の大阪近鉄復刻デー唯一の勝ち試合も逆転勝ちだった。
  21. 昔は近鉄「パールス」なんていう、かわいらしい名前だった
    • 鳥羽湾の真珠に因んだ名称。しかしプロ野球至上、もっとも弱そうなチーム名という汚名を被ることともなった。
    • 野球より女子サッカーの方が似合う名前だと思う。
    • まあ↓の通り、もっとも弱いチームだったわけだが。
  22. 1958年、史上最悪のチームとなった。
    • 勝率.238(引き分け除けば.23)、130試合中勝利数29(101敗)。まるで平凡打者の打率や最多投手の年間勝利数を見ているかのよう。 
    • この年はパールス最終年で、ユニフォームを一新していたが、いまやこのことは黒歴史。チンドン屋と主力選手がぼやいていた。
      • それでもオールスターには一人だけ出ていた。
        • 小玉明利さんやね
    • ついでに1961年にはシーズン103敗の日本記録も作った(試合数が増えたため勝率は.261)。
      • 日本球界史上、シーズン100敗以上の記録はこの年の近鉄のみ(1958年は29勝97敗4分け)。
  23. 近鉄の球団といえばここは出てくるが、もうひとつの近畿日本軍→近畿グレートリングは余り知られていない。
    • 後に南海ホークスを経て現在の福岡ソフトバンクホークス。戦時中に南海電気鉄道が近畿日本鉄道の一員であったことを示していた。
      • この合併が解消されずに南海が今でも近鉄グループだったら、近鉄バファローズは誕生してなかったかもしれない…近鉄ホークス?
        • そして阪急(の末裔)球団と合併した…まさにリアルレイルウェイズの歴史。
          • 日本プロ野球史上、巨人と阪神以外の球団で最初に日本一になった球団(の親会社)は近鉄。1946年、まだ1リーグ時代だが、この年優勝したのが当時、近鉄傘下にあった「近畿グレートリング」。かなり変則ながら「戦後初、平成初、21世紀初」の優勝三冠達成、
  24. 1966年、観客数150人の西武戦を藤井寺でしたことがある。
    • 西鉄戦かいな?
      • そう、西鉄戦。
    • 高橋ユニオンズがあった頃の近鉄高橋戦は、「両軍選手の数のほうが観客より多い」試合もあったという。
      • その状況でダブルヘッダーしたことも。
  25. 当時の球団社長の暴言で親会社が嫌いになった人もいる。
    • そのまんま合併球団の親会社に精神が受け継がれているともいえる。
      • 近鉄主力打者の一人佐々木恭介氏(のち監督)は、入団後初めてグランドに集まった際、フロントの訓示で「お前達野球クラブの選手は」と言われ、頭に血が上ったそうな。こんなフロントだから球団社長の暴言が出るのも無理ない気が。
        • 合併球団の親会社もそうだが、もう一方のオーナーも大概である。
  26. オグリといって最初に思い浮かぶのはオグリキャップではなくオグリビー。
    • 活躍期間がほとんど同じだった。
  27. もう一つ、近鉄のプロ野球チームがあった。ただし、戦中
    • No23で記述済み。ちなみに戦中は「近鉄」という略称は使わず(近畿日本)。当時は「近鉄」といえば近江鉄道
  28. 2001年、何かが起こった!
    • 「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン(お釣り無し)」というもしこんな有り得ない試合展開があったらを地で行くような展開で優勝を決めた。
      • ちなみにこの記録、MLBでは一度も達成されていないのでプロ野球において達成者はおそらく北川だけ。
      • 対戦相手がオリックスと言うのもなんだか感慨深い。
  29. ’97年に本拠地を大阪ドームへ移転したが、ビジターユニフォームの基本色が赤と濃紺で、格好悪くなった(選手から着用拒否されかけた)。移転前のユニフォームは赤・白・紺の3色(ビジターユニはグレー・赤・紺)で、3度の優勝時に着られたゲンのいいユニフォームでもあった。
    • コシノヒロコデザインですな。福岡ダイエー初期の三宅一生デザインといい、有名デザイナーが作ると(ry
      • 2007年に同じ関西球団の交流戦限定ユニもコシノヒロコデザイン。結果はやはり不評だった様で。
  30. もうあまり目にすることがなくなった、あの猛牛マークは、岡本太郎さんのデザイン。
    近鉄筒井駅前に今も残る岡本太郎デザインのシンボルマーク
    • 岡本太郎と近鉄といえば「ラビットカー」のマークもあった。
    • 猛牛マークは球団だけでなくグループ会社「近鉄物流」(現・近物レックス)のロゴでもありトラック等に使われていた。
      • その前身「近鉄運輸」には「バッファくん」がロゴに使われた。
    • 著作権の都合とは言え、合併先の近鉄復刻のロゴが偽物っぽかったので復刻を素直に喜べないくらい複雑だった。
    • 実は近鉄筒井駅前の商店街には今もこのマークが残っている場所がある。
    • 実はシンボルマークには別案があったらしい。それは太った牛をデザインしたもので、お世辞にもスマートとは言えなかった。
  31. この球団が消滅していなかったら、讃丑歌はこの球団の応援で歌われていただろうね。
    • 曲は元ブルーウェーブ側のガガガSPのコザック前田との共作で、歌詞もブルーウェーブ系応援団と作ってるので讃丑歌すら誕生してなかったはず。
  32. 創立当時のメンバーに伊藤利夫という選手がいたが、戦前に六大学の早稲田で活躍、最後の早慶戦のスタメンに名を連ねるなどの名選手だったが、戦争を挟んでという事もあり、わずか2年で阪急に移籍、翌年引退する。引退後すぐに岐阜商で高校野球の監督となり2年目で甲子園に出場
    • ちなみにこの時の選手に後の巨人V9正捕手がいた・・・もし伊藤が後3年近鉄にいたら、近鉄は80年代後半から90年代にかけて2、3回は優勝出来たかも知れない。
    • 岐阜商ではなく岐阜高校。なお、戦後まもなく、GHQの教育政策により、全国各地でおなじ地域の旧制中学校と商業学校などが統合され、いまの県立岐阜商業(戦時中までは岐阜市立)は、近隣の岐阜高校、長良高校、加納高校の一部だった時期がある(夏の甲子園で、松山東高校の優勝が、松山商業のそれとしてカウントされているのもそのため)。
  33. 2012年のマツダオールスター第一戦での、ノリの活躍で涙したファンも多い。
  34. ドラえもんの歌を聞いた時にマムシを連想した人は近鉄ファンだった可能性が高い。
    • 暴れん坊将軍のテーマソングを聞いて、思わず扇子を回しだした人がいたら確実に元近鉄ファン。
      • 横浜へ行ったノリさんの登場曲を聞いて、因果はめぐるもんだなあなどと思ったファンも居ておかしくない。
    • 「鉄腕アトム」や「仮面ライダーV3」の主題歌にも反応する。「エイトマン」は巨人ファンとダブってしまう。
      • 大石は分かるんやが、残りて誰? 元歌の方を知らんさかい、分からんだけやけど気になる。
        • V3はブライアント、エイトマンは梨田。
          • 「飛ばせ場外 男ラルフの一撃」「コンニャク打法でホームラン」が替え歌やったとは…… 栗橋茂のとかの方が替え歌臭いけど。まさかあれも替え歌やったらもうこれわかんねーわ。
      • 「スカイキッド」や「鉄人28号」や「ファイナルファンタジー」のテーマも近鉄の選手の応援歌の原曲であることも覚えているファンは多いだろうか?
  35. オリックスとの合併で公式記録から消されたのは近鉄側のもののはずだが、現在のオリックスは近鉄色のほうがやたらと強い。
    • 応援団の趨勢とか本拠地とか……「消えたのは近鉄以上にブルーウェーブ」だとはよく言われたもの。
    • 近鉄党からすると応援団は一緒でも応援歌とかスタイルは近鉄時代に比べるとオリックスバファローズさんはずいぶんマイルドだなと感じるけどね。
    • ブルーウェーブ系ファンの声でチャンスのタオルが残ったのは嬉しかったし、今や関西ダービーの阪神ファンやオールスターでのセ・リーグファンも真似するくらい人気がある。
    • 優勝セールもオリックス・ブルーウェーブの前身である阪急系の阪急百貨店ではなく近鉄百貨店がやっている。
  36. 大村直之の応援歌は、今思い出してもよく出来ていると思う。
    • 俊足が売りの選手としての特性を活かした歌詞配置と先頭打者に相応しい音楽的なメロディーライン。
    • 2001年の5番打者だった磯部の曲も良く出来ている。応援しがいがある。
    • FAで鷹球団に在籍していた時も近鉄時代の応援歌と鷹応援団のオリジナル応援歌が交互に演奏された。
    • 「核弾頭」の歌詞でおなじみの前奏は、川口憲史と同様CD音源のファンファーレに歌詞がついたもので、それぞれ歌詞が付いたのが意外と遅かったのは忘れられている。
  37. ラルフ・ブライアント(近鉄在籍期間1988~1995)
    • 元プロクサーでデッドボールをぶつけた相手投手には強烈なパンチでお返ししてました。
      • 彼と俳優のエディ・マーフィを見分けることは日本人には無理だったと思う。
      • 3振かホームランしかないので(走塁が嫌いなのか体力温存をしているのか何故か四球を選ばない)相手投手にすれば低めに変化球を投げていればワンバンドのボールでも振ってくれるのでちょっと頭を使えば楽なバッターっだった。
    • 彼と入れ替わりで退場王(?)なタフィー・ローズが入団した。
      • そのタフィーが尊敬している先輩の一人がラルフだった。
  38. 1995年度のドラフト1位指名した福留(現阪神)には福留の父親に白紙の領収書を渡して「いくらでもいいから納得いくだけの金額を書いてください。」と言ったが入団を断られた。
    • 当時のドメはセ・リーグ志向が強かったため。(2014年現在でもそうか?)
  39. 藤井寺球場の設計は甲子園を真似して作った。
    • 毎年恒例の地元の小学校の合同運動会で利用された。
    • 落合博満氏いわく、監督時代の親会社のコラムで藤井寺球場はまるでフェアグラウンドの角度が120°あるのか(本来は直角の90°)と錯覚する様な感覚に陥ったと記していた。
  40. 巨人から半スタメンの選手がトレードで来て4番を打つことが多かった。
    • 吉岡とかの事か!
    • 4番打っていないが、娘さんがAKB48に在籍している大森も巨人からトレードで来ていたなぁ。
  41. 選手は藤井寺近辺では飲まないで堺東辺りで飲んでいた。
    • ただ堺東には近鉄の路線は通っていない…。通っているのは南海高野線。かつてはここから藤井寺を経て河内国分に向かう近鉄バスの路線があった。
  42. ロッテの園川がトレーバーにデッドボールを当てたことが原因で起きた乱闘が有名。
    • 物凄く足が速いトレーバー、トレーバーの顔面を蹴りまくるロッテの金田監督。
  43. 乱闘では大麻で追放された男と故意死球男のもの(昭和61年)も有名。
    • 殴られた西武側の投手に同情するファンは居なかったらしい。
  44. リベラは元アマチュアボクシングのチャンピオンでボクサー時代の通算成績は24戦24勝15KOだった。
    • 1989年8月16日の近鉄対オリックス戦でリベラのパンチがオリックスの関口にクリーンヒットしてたら大変なことになっていた。
  45. 佐野慈紀は中日の和田一浩よりも有名なハゲである。
    • 20代の時から自分のハゲをネタにしまくっていた。
      • 名づけて「ピッカリ投法」。マスターズリーグに出ていたときは、投げる前にわざと帽子を落として打者の目をくらませる、とかやってた。
      • 20代後半のころに何かの映画に出ていたが、当時は41歳と言う設定で出演していた。
      • ピッカリ投法以前はテカテカ投法だった。ハゲを自虐ネタにしてるだけの投手かと思いきや、中継ぎ投手で初めて年俸1億円つかんだ実力者でもあった。
  46. 2016年は牧田(楽天)、香月(巨人)、坂口(東京ヤクルト)、坂(阪神)、こんどう(オリ)そして岩隈(MLB)しか現役プロ野球選手がいなくなってしまったが最後の旧近鉄戦士はだれになるのか?
    • 死にかけの坂口が地味に復活したのは嬉しい人間も多そう。
      • 7月にはこんどうがトレードでヤクルト移籍した事で3度も坂口とチームメイトになった。それに伴い、オリには分配ドラフト経験者が皆無となった。
    • 楽天の牧田明久が16年限りで戦力外通告を受け引退したため、楽天でも大阪近鉄バファローズ在籍経験者と分配ドラフト経験者がいなくなった。
    • 16年シーズン終了時点で香月良太と坂克彦も戦力外となり所属先がまだ決まっていない。このため最後の近鉄戦士は岩隈久志と近藤一樹と坂口智隆の3人にまで減った。
      • 2022年シーズン現在、NPBで最後の現役選手は坂口となった。ただし近藤も独立で一応現役ではある。
        • そしてこの年で坂口、近藤が共に引退を発表したため、近鉄戦士の系譜は終了。同じ年には金子千尋も引退したことで、オリックス・バファローズ創設時の選手も全員引退したことになった。
  47. メガネをかけた捕手といえば、古田敦也でも八重樫幸雄でも小田幸平でもなく的山哲也。
    • マトさんの応援歌は光山英和から引き継ぎ、合併後のゴンゾウこと横山徹也に引き継がれた曲で、渡辺満里奈の「深呼吸して」が原曲だった。
  48. オリックスは近鉄バファローズどころか阪急ブレーブスの歴史の系譜を幕引きした戦犯。なので、「大阪オリックスバファローズ」は阪急や近鉄の後継球団では全くなく、楽天と同じ新球団と考えた方がいい。むしろ、ロッテマリーンズにつながる大映ユニオンズと毎日オリオンズの対等合併がまともである(その大映も東急フライヤーズへの参入と離脱、金星スターズの買収、高橋ユニオンズの合併と紆余曲折はある)。
    • そのためか、かつての近鉄ファンの中にはオリックス・バファローズを嫌う者もある程度いる。
    • 阪急はむしろ阪神タイガースと繋がりができた。
  49. 実は1シーズンだけ札幌ドームで日本ハムと対戦したことがある。
    • 近鉄球団消滅よりも日本ハムの札幌移転の方が1年早かったため。

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