太平洋戦争/各年別

ナビゲーションに移動 検索に移動
  • 年表に追加する時は、見やすいように時系列にてお願いします。
  • ヨーロッパ戦線の話は第二次世界大戦/ヨーロッパ戦線で。

1941年[編集 | ソースを編集]

マレー半島攻略作戦[編集 | ソースを編集]

  1. 実は真珠湾より先に戦闘が始まった。
  2. 快進撃だの大勝利だのと言われるが、相手はショボイ二線級部隊だった。
    • 進撃スピードは評価できる。
      • 自動車どころか自転車に乗ってズンズン進撃する日本軍。ある意味凄い光景。
        • 後の話だけど、その自転車が戦後余って、その使い道の一つとしてできたのが競輪。
          • ちなみにこの自転車は現地人からパクった
  3. タイを中心に戦前から自転車を輸出していたのが功を奏した。そういえばこの辺は今でも日本の単車が大活躍。
    • 以外かもしれないが、自転車は長距離移動の手段としては非常に優秀。燃料不要で整備修理が楽で、馬のようにエサもいらない。川も自転車をしょって移動できる…と、当時のマレー半島の進軍手段としては実は最適といえた
  4. 勝ったと喜んでたら、自分たちより遥かに多い捕虜にびっくり。とても食わせられる人数じゃないため、収容所まで歩かせることに…。
    • フル装備の兵士でも普通にやってるし、装備のない捕虜も余裕だろ、と思ったら軟弱な連中が数多く脱落。予想外の事態で戦争犯罪に
  5. 日本軍がゴムタイヤがパンクした軍用車で進撃していたらイギリス植民地から招集された兵が戦車と勘違いして逃げ出した。
    • 金属のホイールむき出しで走っていたため走行音が戦車と錯覚するものになったからだという。

真珠湾攻撃[編集 | ソースを編集]

  1. 「地上の燃料タンクとかダミーに決まってんじゃんwww」と思っていたら本物でした。残念。
  2. レーダーから司令部への連絡手段として電話の代わりに「自転車」を常備。だって盗聴されたら大変じゃないか!
    • これだ事実だって言うんだから…
  3. 「国立公園に"れーだー"などという得体の知れないものは設置できない」と役所と軍が対立。
  4. 真珠湾へ移動中の空母艦上では攻撃機に800kg爆弾が装着できない事が発覚し爆弾架を改修。なんておバカな……。
  5. 潜水艦に搭載する魚雷の貯蔵施設を「偶然」破壊。戦艦を大破着底させるより遥かに大戦果だが当時の日本軍は気付いていなかったかも。
    • 「正面戦力にしか興味なし」の連中ばかりだから仕方ない。
    • 一方、攻撃してくださいと言っているように堂々と置いていた大量の原油は傷ひとつ無かった。
    • そして港湾設備も司令部もたいした損傷を受けなかったらしい。
      • そもそも石油タンクや港湾施設は一回二回の航空攻撃では破壊しきれるものではなかったから。攻撃するだけ無駄だったから攻撃しなかっただけ。終戦間近になっても日本の石油タンクと港湾施設は多くが無事だったのも簡単に壊せないというのが理由(まあ、タンクは空になってたし港に居る艦艇は大打撃を受けているが)
  6. アメリカが「空母ハンパねぇ」と上記の週刊「護衛空母」、月刊「正規空母」モードになったのに日本は相変わらず「戦艦最高!」の思考のまま。
    • 一概にそうとは言えないが、開戦後も防空能力が皆無に等しい艦隊型駆逐艦を作ったりしてるのもまた事実…。
    • 既存の軽巡洋艦を防空巡洋艦に改装した事もあるらしいけど、2隻程度じゃ…
    • 日本も真珠湾以後は空母それなりに造ってる。戦艦は完成間近の武蔵はともかく信濃は建造中断して空母に改装した(竣工から10日で沈没したが)。
      • 信濃の空母改装が決定したのはミッドウェーで大量に空母が沈んでからだから。
        • ただ、信濃以降の戦艦建造は開戦後にキャンセルされている。空母中心にシフトしようと計画していたのは事実である。
          • そもそも歴史上有力な空母機動部隊を有した国が日本とアメリカしかないって時点で空母を評価していないなんて事は無いのであった
    • アメリカも、開戦後に就役した戦艦(サウスダコタ級)や武蔵より後に就役した戦艦(アイオワ級)があるから完全に空母重視になったわけではない。
      • アメリカの場合、戦艦と空母の両方を造るだけのカネと資材があったというだけ。
  7. そもそも所属不明の小型潜水艇を破壊した時点で警戒しろよw
    • 日本の攻撃はフィリピンやグアムからだと思い込んでた様子。
      • 現在でも「予想外だった」説と「わざと攻撃させた」説が入り乱れている。
        • 「開戦が近いとは思ってたけど、真珠湾とは思わなかった」が無難な解答例。
        • そもそも黄色い猿如きが太平洋を渡ってハワイなんて攻撃できるわけがない。なんて思想が根強かったせいもあるらしい。
  8. 真珠湾攻撃直前に太平洋艦隊司令長官キンメル大将へ警報電報が送られたものの、民間電報と一緒に扱われたため間にも拍子にも合わず……。
  9. この攻撃以降真珠湾での艦船の停泊位置が岸からやや離したところに変更された。
  10. ハワイ攻撃に向かう機動部隊はソ連の船に出会ったら沈める予定だった。
    • 出てきたアメリカ太平洋艦隊に遭遇した場合は宣戦布告前なので礼砲でも撃ってそのまま引き返すつもりだったらしい。
  11. 大正時代の海軍大学校の卒業図上演習や昭和初期?のアメリカの架空戦記でも似たような作戦が題材にされていた。
  12. 「実はアメリカがわざと日本に攻撃させたのでは」という陰謀説もある。

マレー沖海戦[編集 | ソースを編集]

  1. 初めて作戦行動中の戦艦が空激で沈められる。
  2. 英国首相が涙目だったとか。
    • 枕を濡らして泣いたらしい。あのブルドックがねぇ…。
    • いっぽうのアイルランド人は大喜びした。
    • もう一方のヒトラーは激怒。「黄色い猿がアングロサクソンの戦艦を!?」だって。
  3. 攻撃に参加したある日本機の操縦士は戦闘翌日に沈没海域を通過した際に花束を投げ入れた。

シンガポール攻略戦[編集 | ソースを編集]

  1. チャーチル「全滅してでも守れ」どこの末期日本軍だよorz…。
    • 全滅どころか水源絶たれて13万の兵が降伏。
  2. シンガポール要塞の沿岸砲は陸側に向けられなかったとさ。
  3. 「急に○○が来たので」の例の一つ。まさか陸伝いでくるとは思っても居なかった。
  4. 交渉が長引きそう→「イエスかノーか」→降伏。

1942年[編集 | ソースを編集]

パレンバン降下作戦[編集 | ソースを編集]

  1. 一応陸軍初の空挺作戦。
  2. 製油所襲撃部隊は武器の回収に失敗したが、拳銃と軍刀を駆使して戦った。
    • オランダ軍の装甲車は死角から群がり、人力で撃破。強すぎるw
  3. オランダ軍の放火による精油所の火災を濡れじゅうたんで消した人がいたらしい。

ウェーク島攻略戦[編集 | ソースを編集]

  1. 嫌がらせでF4Fが爆弾落としたら、駆逐艦如月が轟沈。パイロットびっくり。
    • 救援は残念ながら間に合わなかったが、そのお陰で空母戦力を温存できた。
    • かなり急げば間に合ったらしいが一番近くにいたのは怠け者のスプルーアンスだった。その時点で海兵隊の命運は決まってしまった…
    • 「俺達は兄弟を見捨てないと誓っているのに!」と救援に行けなかった海兵隊員は涙目だったとか。
    • 機銃という説もある。こっちだったらいくらなんでも運が悪すぎる。
  2. 一応日本軍が占領したもののハワイから近過ぎる為に補給には随分苦労したそうな。
    • 日本兵が、記念物級の鳥を食用にして絶滅させている。
  3. 水雷戦隊と陸戦隊だけで攻略を試みるも見事失敗。陸戦隊は揚陸要員じゃないってのに……。
    • 結局、機動部隊などから応援を呼んで再攻撃。敵の指揮官を生け捕りにするなどの幸運でやっとこさ占領。
      • 私が読んだ雑誌では結構な数の増援部隊を見て負けを悟った米軍の指揮官が無駄な抵抗をやめて投降したと書いてあった。

珊瑚海海戦[編集 | ソースを編集]

  1. 歴史史上初めて空母と空母が戦った海戦
    • 陸上基地の航空機や艦隊同士の砲撃戦のない「純粋な空母機動部隊同士の対決」としては最初で最後でもある
  2. 日本軍損害空母1隻損傷軽空母1隻撃沈。米軍損害空母1隻沈没1隻損傷とギリギリ日本の勝利だったが、日本側は軍としての目的を果たせなかったため、戦略的には米軍勝利。

ドゥーリットル空襲[編集 | ソースを編集]

  1. 理想郷からやってきた爆撃機。
  2. 日本軍は9機撃墜と報じたが、誰も見ていないので「空気撃墜w」と噂された。
    • 証拠品として靖国神社の木にぶら下げられたパラシュートはわざわざ中国大陸から運んできたもの。
  3. なお爆撃機の発艦の模様を撮影していたのは『駅馬車』などで知られる映画監督のジョン・フォード。
    • 日本軍機だと思って手を振った小学生が機銃掃射されて死亡した他、海軍の96陸攻を陸軍の隼が敵の第二次攻撃と誤認して誤射してる。
  4. 底引き網漁船に見つかったせいで爆撃機の発進位置がかなり東にずれた。
    • それは、徴用され、旭日旗を掲げた海軍所属の哨戒艇

ミッドウェー海戦[編集 | ソースを編集]

  1. AFでは真水が不足中(笑)
    • 嘘情報にまんまと引っ掛かるw
  2. 嘘情報を流す間に海兵隊はミッドウェイ基地をせっせと要塞化。
    • 海軍は中破したヨークタウンをハワイ基地にドック入りしてから3日後には出航可能な状態に。
      • 一方、日本は同じく珊瑚海で損傷した瑞鶴・翔鶴は修理中。この辺りに差が出た。
    • アメリカは映画監督を派遣してカラーで記念撮影。
    • さらに基地航空隊の増援もやってきた。
    • 1942年5月28日、ついに死守命令が出た。
  3. 結局ヨークタウンは撃沈されたが日本軍の潜水艦に見つからなければハワイに回航されて修理されるはずだった。
  4. そもそも、ミッドウェー攻撃は軍機モノの秘密情報のはずなのに、料亭の女中から誰でも知っていたとは豊田副武の弁。こんな情報管理じゃ負けるのは当たり前。
    • 一応「米軍をミッドウェーにおびき寄せるのが目的」だから、わざと情報管理を緩くした。なんて説もあるとか。
  5. 太平洋戦争の転換期といわれるが、仮に日本が完勝(米空母をすべて撃沈+ミッドウェー島を占領)していたとしても結局は物量チートで米軍に負けていたと思う。
    • とはいえ太平洋艦隊ほぼ全滅ともなれば政府と軍は「待てばいいや」となっても国民はパニクるから、万に一つぐらいの可能性で…というのは考えすぎか。
  6. それまで常勝だった空母機動部隊が4隻も撃沈され間違いなく戦争の転換点となったが、最後まで抵抗した空母飛龍以外のパイロットはそれなりに生き残った。ただしラバウルなど南の島で消えていった…。
  7. ミッドウェーの大敗は日本の歴史では「白村江の戦い」や「朝鮮出兵」以来の敗北とも言われる。

ガダルカナルの戦い[編集 | ソースを編集]

  1. 補給の途絶で文字通り「餓島」となった。
  2. 設営隊と400人ぽっちの護衛だけで進出するとか米軍を舐めすぎじゃなかろうか?
    • 完成しかかった飛行場は米軍がありがたく再利用させてもらいましたとさ。
    • 「いや、補給線の長さから考えてこの兵力は妥当」と主張する方もおられるだろうが、同時期に海軍は「豪州占領で米英の反攻拠点撃滅」などと壮大な机上空論を展開している事から推察するにどうも補給に関しては深く考えていなかったようだ。
      • 然り。
  3. 海兵隊の初上陸作戦には丁度良い実験台になってしまった。
  4. オーストラリアの軍人がガイドとして同行して上陸地点(しかも上陸寸前の状況)を詳しく調べたデータを海兵隊に提供していたという事はあまり知られていないらしい。
    • あの辺は豪州政庁があったから。
  5. ガダルカナルのタカかい?
  6. 陸でも海でも、「兵力の分が悪いときは夜襲」という日本軍お得意の戦闘教義が思い切り否定された。
    • おまけに重装備が完全不足。海軍が陸軍に渡したガ島の地図は海図を拡大しただけの代物で、内陸部は白紙だった。
      • 上陸した海兵隊は夜間の奇襲には充分備えていた為に日本軍の攻撃部隊は殆ど壊滅しちゃいましたとさ。
  7. 海兵隊では日本海軍から捕獲した製氷機が大活躍。アイスを作って食いまくっていた。
    • 「トージョーアイスカンパニー」という屋号も付けられた。
      • 占領したガダルカナル島の飛行場は完成状態で、あとは第一陣の到着を待つばかりだったらしい。
  8. せめて第一次ソロモン海戦のときに輸送船を沈めていれば…。
    • 輸送船撃沈に時間かけたら空襲されるじゃん!と足早に切り上げてしまったのが敗因の一つ。
      • がこのときすでに米空母部隊は航空支援を中止し撤退してたらしい。
  9. ガダルカナルと対岸のツラギ島・フロリダ島の間でたくさんの海戦が発生。
    • 結果冗談抜きで鉄底海峡とよばれるほど船が沈んだ。
  10. 第一次ソロモン海戦の一方的な勝利の裏で探照灯の戦訓が無視される、無能参謀 神重徳が幅を利かせる根拠ができるなど後の大失態の布石が敷かれることになる。
  11. 立って歩けるものは30日…(´;ω;`)。

南太平洋海戦[編集 | ソースを編集]

  1. 放棄されたとはいえ、交戦国の敵空母へ臨検隊が移乗したのは最初で最後であろう。
    • このとき、日本軍は、その空母が応戦する様子を記録したフィルムを鹵獲している。

1943年[編集 | ソースを編集]

  1. 米軍のいわゆる「物量チート」が発動するのがこの年。
  2. ニミッツ「↑↑↓↓←→←→BA」
    • マッカーサー「ゆうてい みやおう (ry」
  3. 海上護衛総司令部設置もこの年。遅ぇよ。
  4. カイロ会談。ルーズベルトは中国を煽てる為に蒋介石を参加させた。
    • 中国はルーズベルトに過剰に期待をかけられて、大陸打通作戦で打撃を受け、最後の最後まで日中戦争に連敗する惨めな結果を残した。

ビスマルク海海戦[編集 | ソースを編集]

  1. 簡潔にいえば空襲してくるけどとろい輸送船を護衛しながら敵のど真ん中を突っ切ってくれ。
    • 結果輸送船全滅、護衛の駆逐艦の半分が撃沈。
      • しかも発生したのが3月3日。
  2. 別名ダンピール海峡の悲劇
  3. この作戦を考えた神重徳は別名海軍の辻政信、神さん神がかりとか言われる無能参謀
    • しかも懲りずに大和の海上特攻を考えたのもこいつ。
    • 他にも捷一号作戦を立案したり、制空権のないサイパンに扶桑型で特攻すると言い張ったりしている。過去の成功体験から抜け出せない、典型的な日本人参謀である。
  4. 実は名将木村昌福提督唯一の敗戦
  5. この海戦で使用されたスキップボミングは実はイタリア軍が考えた爆撃法
    • その恐ろしさは飛行機と同じ速度で爆弾が突っ込んでくると考えればわかる。
  6. 実は沈んだ駆逐艦朝潮は輸送船との約束を守るため戦場に残り沈んだ。

海軍甲事件[編集 | ソースを編集]

  1. ブーゲンビル島上空で山本五十六大将が戦死。
  2. 暗号は計画的に。ってか単なる怠慢だろこれ。
    • 暗号がバレて、しかも伝統の時間厳守で定刻通りに飛行してたからなぁ。
    • 内容モロバレの旧D暗号をそのまま使ったのが原因。おまけに新D暗号も芋蔓式に解読される始末。
  3. 山本五十六が第三種軍装を着用したのはこの時が最初で最後らしい。

かわいそうなゾウ事件[編集 | ソースを編集]

  1. 空襲に備えて上野動物園の大型動物が殺処分に。
  2. ハンニバルにアルプス越えさせられたゾウの方が可哀想などと言ってはいけない。
  3. ドラの世界ではインドに運ばれて無事に生き延びたということになっている。
    • あれってB-29が本土に来てたからサイパン陥落後の話じゃない?
      • 確か「戦争はもうすぐ終わる」的なセリフがあった気がする。
  4. ゾウにばかり注目がいくが、トラやユキヒョウなどが優先的に処分された。ネコ科動物ファン涙目。
  5. あくまで軍は「空襲されたときのために動物園の猛獣の避難計画・最悪の場合の殺処分の手順を作っておいて」だったが、本土空襲の前に動物園が殺処分してしまった。

JFK遭難事件[編集 | ソースを編集]

  1. ケネディー家の御曹司が艇長を務めるPTボート(魚雷艇)が駆逐艦の体当たりで行方不明に。
    • とりあえず無事に帰ってみると味方によって勝手に死亡認定されていたことが発覚。
  2. 後にケネディはこの時魚雷艇を沈めた駆逐艦「天霧」の元乗員一同から選挙のたびに激励の色紙を贈られている。
  3. 当時の日本海軍では、魚雷が誘爆するとこちらもただではすまないため、魚雷艇に対して体当たりするのを嫌っていたらしい。

べラ湾夜戦[編集 | ソースを編集]

  1. アメリカの名駆逐艦乗りアーレイ・31ノット・バーグ大佐が考え、ムースブルッガー中佐が実行した奇策よって日本艦隊は壊滅。
    • この戦術はその後セントジョージ岬沖海戦で実行し日本海軍をソロモンから一掃することに。
  2. 地味に雪風に並ぶ幸運艦時雨も幸運を発揮して唯一生き残っている。

キスカの戦い[編集 | ソースを編集]

  1. よーし。上官、米海兵隊を連れてキスカ島を奪回するぞー!
    • しかし彼らが上陸した時、島にいたのは犬だけだったとか。
      • 島にいたのは数匹の犬だけなのに上陸作戦の死者は約100名、結構な数の同士討ちが発生したらしい。
        • 後世「最も実戦的な上陸訓練」と呼ばれることに……。
          • 上陸したアメリカ軍は、陸軍第7歩兵師団である。
  2. 兵舎前の『ペスト患者収容所』と書かれた立て看板(悪戯で残して行ったらしい)を見た米軍がパニック!
    • 島を去り行く日本軍の軍医は一発の銃弾も使わず米軍に一泡吹かせたのであった。
      • なお、この看板を解読したのはドナルド・キーン(鬼怒鳴門)さんらしい。

1944年[編集 | ソースを編集]

トラック島空襲[編集 | ソースを編集]

  1. あれれ? 連合艦隊は何処へ行ったの?
  2. 那珂、舞風など連合艦隊所属艦が数隻撃沈されたが、そんな事が瑣末事になるほどトラック島にあった輸送船、航空機が破壊された。

竹槍事件[編集 | ソースを編集]

  1. 「竹槍とかwwんなもんより飛行機作れよバーカwww」と毎日新聞が書いて東條首相ご立腹。
  2. 以下、首相の行動とその反応
    • すぐに発禁処分にしろ!→もう配達し終えてまーす!
    • 毎日なんか廃刊にしてしまえ!→このくらいで廃刊とかw世界中から笑われっぞw
    • 書いた記者を召集しろ!→同世代1人も徴兵されてねえぞ、懲罰召集じゃねえかゴルァ
  3. 書いた記者のバックにいたのは海軍。

サイパン島の戦い[編集 | ソースを編集]

  1. 絶対勝てると豪語していた大本営だったが守備隊主力は数日で全滅。
  2. 水際で撃退できると見栄を張って総攻撃に出たら艦砲射撃と爆撃であっという間に壊滅したとか。

マリアナ沖海戦[編集 | ソースを編集]

  1. かつて連合艦隊が日本海海戦をワンサイドゲームで飾ってから40年目、ワンサイドゲームで敗れた。
  2. 列挙すればキリがない劣勢な点を、たった一つの優位(航続距離)を活かして挽回しようとした。
    • それで勝てるなら苦労はしなかった。結局虎の子の空母3隻が沈んで勝負有り。
      • あまりの圧勝に米軍から「マリアナのターキーショット」と呼ばれてしまった。
      • しかしそれ以外に挽回の方法が無かったのも事実。
  3. 当時の日本軍機の搭乗員が苦笑いしながら曰く「敵の弾が当たっていないのに気体がガタガタ揺れるんですよ。何とか空母に戻って機体を見てみるとあちこちに破片が刺さっていてね」
    • VT信管恐るべし、である。
      • 日本軍の技術者がVT信管の原理を聞いて唖然としたとか。
      • 実際はまだこのときにはVT信管があまり間に合ってなかったらしく、使用されたのは全体からみるとごく一部だったとか。

インパール作戦[編集 | ソースを編集]

  1. 作戦を決行する前から、補給が困難だという理由で反対意見が多かったが強硬。案の定補給に悩まされて日本軍敗退。
    • 政治的な理由で初めたあまり意味のない作戦だった。
  2. 無茶口のせいです。
    • 無茶口は悪くない。彼は正真正銘のイギリスのスパイであり、彼の本性に気がつかなかった陸軍と大本営が悪い。
      • ああ、だからウィンゲート旅団があんなに易々と…。
  3. 正直、インパールどころかエルサレムあたりまで遠征しないと作戦は失敗だと思うw
  4. インパール作戦を計画したのは日本人ではなく、インド人の「スバス・チャンドラ・ボース」である。
    • でも実行したのは無茶口
    • ボースが「インド国内に反攻拠点が欲しい」とゴネたんだっけ。でも現地指揮官は無茶口だしなぁ。
    • チャンドラはインド国民軍の一員として最後まで戦った。その頃無茶口は×××××
      • そのチャンドラボース曰く、ある程度道筋つけてくれるだけでいいのに、日本軍は全てやろうとしたから失敗したんだと言ってたらしい。
  5. 作戦名はウ〇コ作戦。
  6. 一応「勝手に撤退した師団長が居なければ当初の目的を一時的にも達成し、英軍に大打撃を与えれたであろう画期的な作戦」と評価する外国の軍事評論かも居るとか・・・うまく行ってもよくは無いだろうが。
  7. ジンギスカン作戦とか言ってる時点で、補給を軽視しているように見えるが、当初の部隊の要求では、資材や工作隊その他大量に要求していた。それが上層部に行くにつれ削られて、東京から返事が来るまでにまた削られてああなってしまったらしい。
  8. この作戦に参加して生きて日本に帰れた人は8人に1人。帰り道の愛称は「靖国街道」。通常10人中3人死ぬ状況であれば全滅判定だが、そんなものお構いなしの状況である。

垃孟、騰越の戦い[編集 | ソースを編集]

  1. 島嶼戦以外で日本軍が玉砕した数少ない戦い。
  2. 連隊規模で守備する日本軍陣地を中国が1個軍規模で包囲した戦い。
    • 日本軍は激しく反撃して3ヵ月持ちこたえるも援軍が到着する前に全滅。
  3. 日本軍戦死傷者3100名、中国軍戦死傷者2万8000名。

ペリリューの戦い[編集 | ソースを編集]

  1. あまり知られていないけど太平洋戦域の激戦地の一つ。
  2. 米軍指揮官「こんな島4日で占領できる。敵の指揮官のサムライソードを土産に持って帰って来い。」
    • 上陸した海兵師団の全連隊が壊滅する羽目に。
    • 結局陥落するのは2ヵ月後。
  3. 日本軍守備隊がバンザイ突撃を禁じて徹底的に籠城した初めての戦い。
    • この戦いの戦訓が硫黄島や沖縄に引き継がれていくことに。
  4. 指揮した日本守備隊の中川大佐はたいそうな人格者だったそうだ。

台湾沖航空戦[編集 | ソースを編集]

  1. 空母10隻以上撃沈などの大戦果!!(とみんな思い込んでいる。)
    • 激戦になればなるほど至近弾の誤認や他人の攻撃を自分のと思い込んだりで戦果誤認が増えるが・・・偵察機で確認できなかったこともあり、これはその最たる例と言えるだろう。
    • 東京では祝勝会まで行われたとか。
  2. 最大の成果はアメリカの株式市場を急落させたことである。
  3. 戦果を鵜呑みにしてレイテに行ったら・・・あれ?なんかいっぱいいるよ?

比島沖海戦(レイテ湾海戦)[編集 | ソースを編集]

  1. 世界最大の海戦だが、戦力差は歴然。
  2. 日本の空母部隊を囮に使ってレイテに突入する作戦は、囮作戦がはまったにもかかわらず主力が意味不明な反転をしたため大失敗。別働隊は突入して壊滅していった。
    • これがゲームで有名な「戦場の霧」効果である。実感したければ適当な戦略ゲームを起動しよう。きっと栗田提督の気持ちが分かるはずだ。
  3. まんまと引っ掛かったハルゼーは自身の仇名(ブル・ハルゼー)に恥じない勢いで小沢艦隊に噛み付いたそうな。
  4. サマール沖では日本の水上部隊が護衛空母相手に大苦戦。
    • このときたった一隻の護衛駆逐艦が大立ち回りを演じる。
  5. 実はハルゼー唯一の水上戦がこの海戦だがその戦闘が救助した乗員を乗せて撤退中の駆逐艦野分をフルボッコにしたという地味なもの。
    • が実は駆逐艦野分はトラックで最新鋭戦艦の砲撃や空襲をかわして逃げた逃亡と武運には定評のある船でもあった。
  6. さらに日本に戻る途中に重巡熊野と戦艦金剛など多数の艦艇を失う不運にあう。

1945年[編集 | ソースを編集]

富永恭次敵前逃亡事件[編集 | ソースを編集]

  1. 特攻隊の司令官が敵前逃亡した事件。

北号作戦[編集 | ソースを編集]

  1. 最後の大成功だった日本の作戦。
    • 日本小川ですら、ここまでうまくいくとは思ってもなかったらしい。
  2. 敵爆撃を避けるために自らスコールに突っ込むとか、潜水艦に艦砲射撃とか素敵すぎることをやりまくる。
  3. 南号作戦のことは(ry。
  4. 伊勢・日向が大活躍。なんか予定の使い方と違ったけど
    • 戦後、米軍から、あれはどうなっていたんだ?といわれたらしい。全く攻撃が当たらないから。

ルソン島の戦い[編集 | ソースを編集]

  1. フィリピン戦線最大の激戦。
  2. 日本軍が戦車師団を投入して米軍戦車と正面から殴り合ったおそらく唯一の戦い。
    • チハたんやハゴたんよりも強力な75mm砲を搭載した1式砲戦車が活躍したとか。
  3. 日本軍は20万以上の大兵力を擁していたため、結局終戦まで決着つかずだった。

硫黄島の戦い[編集 | ソースを編集]

  1. 日本の島嶼防衛戦としては一番有名。
  2. 援護の為に一週間続ける筈の空爆と艦砲射撃を3日間で打ち切ると海軍から通告された海兵隊の参謀達と通告した海軍側は殺し合いの一歩手前な雰囲気だったとか。
    • 生存している当時の海兵参謀は海軍を「安全な場所から大砲を撃つだけの臆病者」呼ばわりしているらしい。
  3. 立ち止まるとジャップに殺される、後ろに下がると海兵隊司令官、通称「ハウリングマッドスミス」に殺される、だったら前進だ!!
  4. 海兵隊は兵士の損失もさることながら大隊、中隊指揮官の損失も目を覆うばかりだったとか。
    • 日本軍は海兵隊の幹部指揮官が前線で小隊長や中隊長に指示しているところを目ざとく見つけては狙撃したり砲弾を撃ち込んだ。
      • 海兵隊は大損害を覚悟した上で作戦を強行したが実際の損耗は予想の斜め上だったらしい。
  5. 米軍が陽動のために沖縄近海で盛んに怪電波を出すものの、陸軍の情報担当者はこれを見破ったらしい。
  6. 海兵隊は日本軍の作ったトンネルを見つけては破壊して埋めたそうな。
    • ところがいつの間にか修復しては後方から奇襲したり折角敷設した電話線を切断したり海兵隊の陣地に忍び込んで武器を失敬したり…
  7. 硫黄島占領後、同島飛行場に緊急着陸して助かった航空機の搭乗員と上陸作戦で戦死した兵士の数はかなり近いらしい。
  8. こいつは退避用滑走路じゃなくて爆撃機を護衛する戦闘機部隊の基地じゃねえか!俺達は無差別爆撃の片棒担がされたのかよ!?と激怒した海兵隊員がいたそうな。
    • それは、アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督の弁。
  9. ロサンゼルス五輪の金メダリストである西竹一中佐が戦死した。
    • 「オリンピックの英雄バロン西、貴方を失うのはあまりにも惜しい」という呼びかけがあったかどうかは謎。
  10. 星条旗を立てる写真で有名。
    • 写っている兵士の1人は後に重圧に押しつぶされ酒浸りになってしまったらしい。
  11. 人員の被害があまりにも大きかったため一時は毒ガスの使用まで検討された。
  12. 寝技と馬乗りの戦い。

坊ノ岬沖海戦[編集 | ソースを編集]

  1. いわゆる大和による水上特攻。
    • 巷では矢矧以下の護衛艦艇への注目度は非常に低い……。
      • 「男たちの大和」のスピンオフで「男たちの雪風」とか作られたら見てみたい気もする。
  2. 「戦艦残したまま降伏するとかカッコ悪いじゃん?」というのが海軍の本音だった模様。
    • 長門「・・・・・・」
      • 厳密に言えば戦力になる戦艦かな。長門は1944年末に岸壁の女王扱いになってるし……。
      • ホントは長門も出したかったようだが燃料が無かった。
        • そんな提督の決断シリーズで、長門や榛名とかそういうのを呉に集めて再編成してから作戦開始みたいな・・・。
      • 徹底抗戦派を諦めさせる為大和には戦闘不能になってもらいたかったとか、天皇の「もう船はないのか?」と言う言葉を「艦隊はナニをサボっているのか」と起こられたと勘違いしたとか・・・
        • この天皇の言葉には海軍に「主力艦艇のほとんどを失い、降伏するしかありません」といわせたかったという説もあるが・・・ここら辺ははっきりしない。
        • どっちにしろ、降伏後のことがわからない以上戦うしかなく、一番現実的な作戦だったのかもしれない。
          • 司令官は最初命令拒否したらしい。曰く、犬死にするだけのために行きたくない。
  3. 大和艦長と護衛艦隊の司令官は犬猿の仲だったって話は本当なんだろうかw
    • 同郷で兵学校の同期。仲が悪かったかは知らんけど。
  4. かなり都市伝説に近いがこの海戦で大和などに積まれていた51万805円3銭(今の価値にしておよそ10億)が亡失金として記録されている。
    • 今わかっている限りでは浜風におよそ14万、霞に少なくとも3万積まれていた。
  5. スプルーアンスの考えでは空母部隊に攻撃させずに戦艦部隊で攻撃するつもりだった。

沖縄の戦い[編集 | ソースを編集]

→「沖縄戦」を参照

老河口作戦[編集 | ソースを編集]

  1. 今のところ世界最後の大規模な騎兵突撃成功例。なお1945年である。
  2. 大陸打通作戦でも叩ききれなかった飛行場を叩くための作戦の片割れ。機動力が必要だったので第四騎兵旅団(当時残った唯一の大規模な乗馬騎兵部隊)を投入した。

「桃太郎 海の神兵」上映[編集 | ソースを編集]

  1. 空襲で焼け残った映画館で戦意高揚映画。いろいろと遅すぎる気がする。
  2. すでに敗戦を悟っていたスタッフは、極力戦闘シーンを削り子供たちに夢や希望を与えられる作品に仕上げた。
  3. 「ファンタジア」を参考にしたそうな。
  4. 当時学生だった手塚治虫が号泣しながら観たらしい。

マンハッタン計画[編集 | ソースを編集]

  1. 極秘計画なのに大量のソ連スパイが侵入してた。
  2. リチャード・ファインマン博士が金庫を調べると、約半数の暗証番号がデフォルト設定だった。

インディアナポリス撃沈[編集 | ソースを編集]

  1. まさに歴史のif検討委員会としか言いようがない話。
  2. 米軍は沈んだこと+救助が遅れたことの責任の擦り付け合いで揉めたとか。
    • 戦後、沈めた伊58の艦長にまで、撃沈でなく事故であったように証言するように迫ったらしい。
    • それに対して伊58艦長は「ジグザグ航行を行っていても撃沈できた」と証言するも米海軍に都合が悪いのでもみ消される。後に「ジョーズ」を見て自由研究の課題にした少年により公になった。
  3. 日本の海上戦力は壊滅状態だったので、かなり無防備に航行していたようだ。
    • インディアナポリス艦長は対潜艦艇による護衛(インディアナポリスは対潜装備を持ってない)を上層部に頼んだら断られた。

対ソ防衛戦[編集 | ソースを編集]

  1. 満州、樺太、千島に極東ソ連軍が大挙襲来。
  2. 条約無視の行動だが「関東軍特種演習は敵対的軍事行動だからもう関係ねーよ」とソ連側は主張。
  3. 「掛け算の出来ない兵士」「時計のねじを巻けない兵士」などの有名なエピソードはこの頃。
  4. とある人曰く、ソ連兵は「農家のおっさん」「どうみても囚人のコワモテ」で構成されとったらしい。あと、女性兵士には驚いたとのこと……。
    • ソ連では、独ソ戦で人材が払底して、他の連合国ではやらなかった女性も前線で戦う羽目になった。なので、女性の戦闘機パイロットとか戦車搭乗員もいた。
  5. 樺太では国境に展開していた日本軍が頑強に抵抗したためソ連軍は出だしから躓いたとか。
    • 日本軍の中には小銃の数が足りないため、訓練用の木銃を持って突撃する部隊も現れたとか。

占守島の戦い[編集 | ソースを編集]

  1. おそらく大日本帝国軍の組織的な軍隊としての「最後の戦い」
  2. 戦後のゴタゴタにまぎれて北海道侵攻の足がかりにするために千島列島東端の占守島(しゅむしゅとう)に上陸したソ連軍と日本軍の戦い。
    • 終戦したため日本軍は装備の放棄、降伏準備を進めていたが、命令が「連合軍との戦闘を禁ずる、ただし自衛のための戦闘はこれにあらず」だったため、砲撃してきたソ連軍相手に交戦開始。
    • 当時占守島は、米軍上陸に備えて内陸には満州から移動してきた精鋭の戦車連隊や重砲が、海岸近くには33cm臼砲など強力な戦力が展開していた。
      • 戦車隊は上陸したてで満足な対戦車火器を持たないソ連兵に車載機銃乱射しながら突撃した。
        • それでも陸揚げされた対戦車砲などで連隊の約半数の戦車が撃破または行動不能に、陣頭指揮をとった連隊長の池田大佐も戦死する結果に。
        • おそらくチハやハ号が最後に活躍した戦場。
      • 丘の上に設置した野戦高射砲を水平射撃してソ連の赤い津波を吹き飛ばしたとか。どこのロンメルさんだよ。
  3. お互い終戦後のドサクサにまぎれて戦闘している上日本軍の生き残りはほとんどがシベリアに抑留されてしまった為詳細な戦果がはっきりしていない。
    • そのため「日本軍の重砲1門とソ連軍の重砲4門が撃ちあって日本側が圧勝した」「日本側が4機の戦闘機と4機の攻撃機で制空権を確保しつつ敵艦を撃沈した」「チハが無双した」など、何処からがホントでウソか解らない逸話が多い。
  4. 最終的に日本軍が上の命令に従って降伏したが、戦闘は日本の勝利に、戦後ソ連が北海道に侵攻できなかった理由のひとつとも