山鹿市

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山鹿市の噂[編集 | ソースを編集]

  1. こわいという言葉は【エスカ】
    • 熊本北部~大牟田なら結構使う。ちなみにうちは”ぎゃん(とても)えすか”荒尾市住民
    • 名古屋で「エスカ」と聞くと、名古屋駅の地下街を連想する。
  2. 合併してから過疎地域になった。
    • 合併のあと、旧山鹿市民は市の中心が旧鹿本町に移りつつあることに危機感を覚えている。
    • 新山鹿市になってから、新しく山鹿市民になった人々は旧山鹿市民に侵略されたような憎悪を抱いている。そのため、新山鹿市の話題をすると新山鹿市民になった人は激怒して、射るような視線を一生懸命おくる。
    • 旧鹿北町と旧菊鹿町が過疎地域に指定されているため、みなし過疎地域になっている。
  3. 八千代座は山鹿のホームランバッター・・・だという噂だそうです!?
  4. 旧山鹿市の中心(プラザ周辺)の通行人の平均年齢は60才以上。
    • その温泉プラザ、今から40年以上前は今では考えられないくらい賑わっていたらしい。今は見る影もない。
  5. 大石蔵之助ら赤穂義士17名のの遺髪塔がある(日輪寺)。山鹿流の陣太鼓とは無関係。
    • 堀内伝右衛門の地元だから。堀内家は細川綱利の死後に処罰され帰農した。遺髪搭も荒廃したので農家の有志が2020年に改修。
    • この日輪寺のお坊様の像がとてつもなくでかい。山鹿市中心部からならどこからでも見える。
      • 小学生の頃お坊様の像が左手に持ってるものは何かで議論が巻き起こった。。玉ねぎか桃かで(笑)
  6. 女性が紙で作った灯籠を頭に乗せて踊る山鹿灯籠祭りで有名。この時期だけは混雑する。
    • 石で作った山鹿灯籠の巨大なモニュメントがある
    • この灯篭は和紙と糊のみで作られているため、雨に濡れてしまえば使い物にならなくなる。灯篭祭り2日目の千人灯篭踊りは雨だと中止される。
  7. 平山温泉は既に全国区。九州じゃらん(リクルート)が2007年に集計した「九州・山口の人気観光地ランキング」で、6位に食い込んだ。しかし本家本元の山鹿温泉では無いため、地元民は喜ぶべきか悲しむべきか複雑な心境。
    • 全国区?九州じゃらんとあるが?どちらの温泉も知らない。熊本県の温泉は内牧と黒川しか知らないよ。埼玉在住
    • この前久方ぶりに平山温泉通ったら、小洒落たカフェやら家族湯やらいっぱいできてて少しびっくり。by京都在住山鹿出身者
  8. 山鹿ほど邪馬台国時代の前後にあたる古墳や古墳跡に恵まれた市町村は少ない。
    • 古墳跡・・・・といっても、古墳があったことを知っている人達は既に年配者。(例えば、山鹿カルチャーセンターがある場所は「七塚」といって古墳がいくつも点在していた場所だったらしい。昔の人は畏れ多くて近寄りたがらなかった場所だそうだ。)
      • 邪馬台国と時代を同じくする方保田東原遺跡に至っては、今は住宅街。吉野ヶ里遺跡に匹敵する規模であったことで有名。
      • カルチャーセンターに入って少し進んだ敷地内左側に「ビシャモン塚古墳」なる古墳がくっきりと残っているが、子供の遊び場、草スキー場と化している。
    • 鹿央~鹿本~旧山鹿と・・どこでもそうだが、昔は至る所で畑を掘れば鏃(ヤジリ)などがたくさん出てきたらしい。(おばあちゃん達曰く「あ~・・、あんまっ出よったけん、かつがつ捨てっしまよったたい」)
    • 鍋田の横穴群が有名だが、鍋田から平小城(ヒラオギ)に広がる広大な城台地(ジョウダイチ)の菊地側沿い・岩野川沿いは、西牧から鶴城中のそばまで延々と数キロにわたって横穴が繋がっていたらしい。今では壊れて所々しかない。(鶴城中のそばではまだハッキリと残っている)
    • 古代、山鹿は「世望加」と呼ばれていたらしい。その当時から残っている古い地名としてハッキリしているのは「蒲生郷(山鹿市蒲生)」と「クタミ郷(旧鹿本町来民)」。
  9. 山鹿では、「平山温泉」と「鹿北の道の駅」だけが一番賑わっている。
  10. 「中九州カートウェイ」というカートのレース場が、とんでもない山奥にあることを知っている人は少なくない。しかし、山奥過ぎて車の運転が怖くてなかなか行けない。山奥というより山の頂上・・・。車で行く場合、熟練者に運転してもらおう。
  11. 豊前街道を登り切った、八千代座の手前の三叉路にあるラーメン店。空腹時、店の前を歩いてツバをゴクリと飲み込む人は少なく無いらしい。
  12. 夏になると鹿北、菊鹿の渓谷に涼を求めて県内外から多くの観光客が来るため山でもビキニギャルを見ることが出来る。
  13. 「山鹿高校」は存在しない。
    • 旧山鹿市にあっても「鹿本高校」。
      • 山鹿高校と鹿本高校が合併した際に「鹿本高校」にされた。
        • 鹿本高校以外の県立高校も鹿本商工、鹿本農業である。県立の特別支援学校も『かもと稲田』であり、なぜか山鹿という名称が使用されていない。
  14. オムロンの関連会社がおかれ、女子ハンド部もここ。
  15. 植木を取り込めなかった。
    • しかも熊本市に寝返った。
      • 消防と警察、ゴミは依然として山鹿に依存。
        • 植木小学校の正門を出たら目の前は旧熊本市だったから無理。
    • まあ、合併当時の人口も旧山鹿市が約32,000人だったのに対し、植木が約30,000人とほとんど差がなかった。当時から人口減少していた旧山鹿に対して、熊本市のベッドタウンとして発展していた植木。今頃は人口が逆転しているかもしれない。。
  16. 〔山鹿羊羹〕は羊羹じゃなくて、求肥餅で漉し餡包んだ和菓子。
  17. 福岡行きの高速バスが以前あったが廃止になり、復活したがまたコケた。
    • 鉄道が無いので競争相手が無く有利な筈なのだが...山鹿の人は福岡にあまり行かないのだろうか?
  18. 旧町名には全て「鹿」の字が入る(鹿本、鹿北、鹿央、菊鹿)。山鹿も例外ではない。
    • その為か、合併の際に「鹿五市(しかごし、かごし)」「五鹿市(ごしかし、ごかし)」なんて?な新市名候補がかなりの数出た。共通する文字があるとはいえ、浅はかすぎる‥‥
      • 「出身はどこ?」「鹿五(しかご)です」「アメリカの!?」「いえ、熊本の」「ハア?」みたいなことにならんで良かった。
  19. 老朽化した市役所はすぐ近くの高台へ移転・建設中。県道200号線を市街地方面へ走ると、その姿はお城のよう。
  20. 市の南端を九州自動車道が掠めている。福岡・北九州・長崎・熊本行きのバスが止まるバスストップはあるが、ICは市内にはない。その為、行先と急ぎ度合いによって乗車ICを決める。(自分は、福岡方面に行くなら小栗峠を越えて広川IC、鹿児島方面に行くなら植木IC派)
  21. 鉄道駅も市内には存在しない。かつては、植木駅から山鹿温泉鉄道が分岐してきていたが、度重なる水害によって廃線となった。廃線跡は現在サイクリングロード(ゆうかファミリーロード)となっている。
    • なお、終着駅だった山鹿温泉駅は、廃線後自動車学校となったがそれも閉校。近年、住宅地として開発され、分譲された。
  22. カルチャースポーツセンター付近の道路は起伏が激しい。下り坂(特にカルチャーセンターからBOOKSあんとく方面に抜ける道)ではしょっちゅうサイン会が開催されている。制限速度に注意!
  23. 城北高校は高校野球が地味に強い。ただ、ここにあることは地元民以外あまり知られていない。
    • しかも旧山鹿市の郊外の丘の上にある。


地域別の噂[編集 | ソースを編集]

菊鹿[編集 | ソースを編集]

  1. 合併後も「山鹿市菊鹿町」という住所名で現存するが、「菊」の字は旧町域に旧菊池郡だった村を含んでいることにちなむものだった(池+鹿本=菊鹿)。つまり、もともとすっぽり旧鹿本郡だった山鹿市(確かに菊鹿町も鹿本郡だったが)の住所名に他郡から採った字が…。
    • その旧菊池郡だった村に鞠智城がある。しかし、昭和の合併により鹿本郡になった。
  2. 実はなかなかお金持ち。小学生は全員、入学時に町からランドセルを寄贈される。
  3. 首石トンネル開通によって山鹿市中心部との行き来が多少楽になった。
  4. 町内を走る県道9号バイパスの名称は「日田バイパス」。確かにまっすぐ行けば日田に行けはするが。。。

鹿本[編集 | ソースを編集]

  1. 第23代内閣総理大臣「清浦奎吾」は、旧鹿本町来民で生まれ育った。
  2. 旧鹿本町時代、郡名を名乗っていたわりには随分狭かった。
  3. 「鹿本」の名は明治の郡制で山鹿・山本の両郡が統合された時の新郡名だったが、旧鹿本町域は郡制以前は全域が旧山鹿郡だった。
  4. 新しい熊本県知事(元東大教授)の出身地。
  5. 最近水辺プラザが道の駅に認定された。でも、2、3キロのところにも道の駅七城メロンドームもある。
  6. 閉校した稲田小学校の跡地に熊本県立かもと稲田特別支援学校(小学部、中学部)が開校した。

鹿北[編集 | ソースを編集]

  1. 「かほく」と読むが、つい「河北」とかを想像しそうになる。
  2. 道の駅かほくの高菜まんじゅう、里芋まんじゅうはうまい。
  3. 閉校した広見小学校の跡地に国内最大規模の養蚕場が建設された。

鹿央[編集 | ソースを編集]

  1. かつての鹿本郡で唯一、山鹿郡と山本郡に跨っていた。
  2. 県立装飾古墳館は見学の価値あり!
  3. 2017年に鹿央地区の米野岳・山内・千田の3つの小学校が、旧山鹿市域の米田小学校を母体に統合される。これによって、旧鹿央町は熊本県で初めて平成大合併前の市町村域から小学校が消滅することに・・・(中学校はある)
    • 「現・米田小学校は川沿いの低地だから洪水時の浸水が心配だ」「(この4校が通学範囲の)米野岳中学校に小学校を新設すればよい」などの意見も出たが、結局、米田小学校に校舎を増築する方向で話が進んだ。
      • 米野岳中学校自体が米田村(後に山鹿市と合併)と米野岳村・山内村・千田村(後に合併して鹿央村、その後鹿央町)の組合による運営だった。
      • 名前は「めのだけ小学校」である。
  4. 国道3号線沿いにJAの本庁が移転してきた。
  5. 中心となる市街地がない。
  6. 「かおう」と読む。