岐阜の寺院

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中濃地方の寺院[編集 | ソースを編集]

岐阜市[編集 | ソースを編集]

正法寺[編集 | ソースを編集]

自称日本三大大仏
  1. 岐阜大仏で有名?
    • とりあえず、自称日本三大大仏の一つらしい。
      • 高岡もそんなこと言ってたような……
        • 牛久と福井と神戸もな。
      • そもそも、鎌倉や奈良のとは格の違いがでかすぎる……
    • これを見に行くためだけに、ここまで行くのはナンセンス。長良川沿いの街並みや稲葉山観光のついでにどうぞ。
    • 大仏の「高さ」では3番目らしい。自称は外してもいいかもよ。
    • 写真を見ればわかるが、他の大仏との違いは色と素材。普通は銅製で緑色だが、これは木製で金メッキされている。
    • 影の薄さは日本一かも。岐阜市民でも知らない人がいる。
  2. 意外や意外、黄檗宗の御寺だそうで。
    • 案外、黄檗宗って、あるもんなんだな。

崇福寺[編集 | ソースを編集]

  1. 織田信長公の廟所。

西濃地方の寺院[編集 | ソースを編集]

大垣市[編集 | ソースを編集]

明星輪寺[編集 | ソースを編集]

  1. 石材採掘のせいでエグい形になってしまった赤坂の金生山の山腹にある。
    • 山号も金生山でそのまんま。
  2. 洞窟の中にある虚空蔵菩薩像は役行者が彫ったと言われている。
    • そんな歴史もあってか、日本三大虚空蔵の1つとされる。
  3. 歴史もあるし由緒正しい寺院であるが、参拝客はそれほど多くない。場所が不便だからかな。
    • おかげで、落ち着いてお詣りができるのは、非常にありがたい。
  4. 美濃高須藩や大垣藩の庇護を受けていたらしい。

美濃国分寺[編集 | ソースを編集]

  • 大垣市青野町
  1. 聖武天皇が出した勅令「国分寺建立の詔」に基づいて建立された寺の1つ。
  2. 一木造の巨像の薬師如来像は平安時代に彫られたもの。像高3m超えはなかなかのもの。
    • 国分寺でずっと大切に祀られてきたのかと言うとそんなことはない。
      • 1615年(元和元年)に真教というお坊さんが、元のお寺の跡地から掘り出して、本尊として祀りなおした。
        • 結局、この再祭祀が美濃国分寺再興の発端となる。
      • だいたい、国分寺自体が一度廃寺になってしまっていたのだから当然といえば当然である。
    • なお、寺伝では、奈良時代に行基自ら彫って本尊としたとしている。
  3. 元の国分寺は現在の場所から南へ少し下った平地にあったらしい。今は史跡として整備され、公園として開放されている。

円興寺[編集 | ソースを編集]

  • 大垣市青墓町
  1. 開基は最澄で、2019年(令和元年)現在も天台宗の寺院としてやっている。
  2. 源頼長の墓がある。
  3. 御本尊は木造聖観音立像で最澄が彫ったもの。
    • 1572年(元亀3年)に織田信長に焼討ちを食らっているが、そのとき、伽藍も寺宝もすべて焼ける中、この木造聖観音立像だけは空中を浮遊し難を逃れたらしい。ホンマかいな……

揖斐川町[編集 | ソースを編集]

華厳寺[編集 | ソースを編集]

  1. 関西以外にある西国三十三霊場。ちなみにここが唯一。
    • 但馬や若狭、丹波や伊賀には1つもないのに……
    • そういう意味ではここは関西の延長なのかも。滋賀県から山を越えた先にあるし。「谷」を「たに」と読むあたりも(東日本ではほとんどが「や」と読む)。
    • 正直但馬や南紀よりは京都や大阪には近そう。
  2. 西国三十三霊場の33番目の札所。つまりここが最後。
    • 精進落しに鯉を食うのが西国三十三霊場参りの習わし。
  3. 現在、過去、未来の3種の御朱印がもらえる。
    • 間違うて1つだけもろうて帰る人も居るから気をつけや。
  4. かつては名鉄がふもと(参道の入口付近)まで乗り入れていた。駅はまだ残っている。

海津市[編集 | ソースを編集]

行基寺[編集 | ソースを編集]

  1. 正直知名度はそれほど高くないが、寺の庭園は見事。
    • 知る人ぞ知る名園と言っても過言ではない。
    • 苔と岩を活用した枯山水の庭園と濃尾平野や日本アルプスを借景にした庭園の2つからなる庭園。お近くの人は是非訪れてみてほしい。
  2. 美濃高須藩松平家の菩提寺。
    • 歴史が違っていれば、あの松平容保もここに墓が立っていたかもしれない。(容保は高須藩→養子で会津藩)

飛騨地方の寺院[編集 | ソースを編集]

高山市[編集 | ソースを編集]

飛騨国分寺[編集 | ソースを編集]

飛騨国分寺
  1. 大銀杏。それ以外に何があるか知らない人が多い。
    • この銀杏、葉が一気に落ちるとその年は大雪になると言われている。しかもどのタイミングで一気に落ちたかで危険度は変化し、特に緑色のまま落葉したときはかなり危険と言われる。
      • 昭和56年度、平成18年度の豪雪を当てた実績あり。
      • 秋になると東海地方民は気象庁の予報より当たるとこの銀杏に注目する。
  2. 三重塔もある。
    • 実は三重塔より本堂の方が歴史的価値がある。三重塔は岐阜県の重要文化財であるのに対し、本堂は国の重要文化財。
    • 境内に置かれた鐘楼門からして、高山城から移築されたもので、十分価値がある。
  3. 日枝神社とつながりが深いらしい。位置的には少々離れている気はするけれども……
    • 日枝神社の案内板に書いてあっただけなので本当かどうかは知らんけどね。

大雄寺[編集 | ソースを編集]

大雄寺境内にて
  • 高山市街
  1. 大雄寺の楼門は、高山市の作成した解説資料に「法華寺・宗猷寺の本堂と共に東山伽藍の代表的な建物」と謳われている程の、楼門。風格がある。
    • 水間相模という江戸期の飛騨匠の手によるものらしい。
      • この水間相模は、藤原宗安という、鎌倉時代に、飛騨匠として初めて受領名と飛騨権守の位を授かった人の、直系の技術継承者らしい。
  2. 鐘堂も素晴らしい。美しい反り方をした屋根が見もの。
    • この鐘堂、実は飛騨地方最古らしい。
  3. 本堂は本堂で悪くはないが、その前に楼門に圧倒されてしまう。

法華寺[編集 | ソースを編集]

法華寺本堂
  • 高山市街
  1. 法華寺は、本堂が立派で見ごたえがある。
    • だいたい、このお寺、お取潰しになり飛騨金森家にお預けになり、そのまま客死した肥後加藤家の加藤光広を弔うためのものなので、立派なのも当然である。
  2. 金森長近が藩主時代の高山城から建物の払下げを受けている。
  3. 詳しい人には珍しがられるポイントが1つ。真宗寺院だらけなのに、何故かここだけ法華宗陣門流の寺であること。
    • まあ、もう少し詳しい人だと肥後加藤家が法華宗だからだろうとピンと来るだろうけど。

宗猷寺[編集 | ソースを編集]

宗猷寺本堂
  • 高山市街
  1. 本堂と本堂の前の庭が美しい。
    • 本当は裏庭があるらしく、ここもみられるのなら是非見ておきたいところである。
  2. 全体的に非常に手入れの行き届いた境内だなあと感動の念さえ覚える。
  3. 山岡鉄舟父母の墓がある。高山市の文化財になっている。
    • 残念ながら、御本人の墓ではないのがミソ。というか○○の御両親の墓、というだけで文化財になるのかと思うと……
  4. 東山風致地区もここまで来ると徐々に江名子川の谷あいに入り始め、冬場は三町界隈と比べて日差しが少し弱まったように感じる。

雲龍寺[編集 | ソースを編集]

雲龍寺鐘楼門
  • 高山市街
  1. 曹洞宗のお寺。因みに飛騨地方の曹洞宗の寺院では最も歴史がある。
    • 金森長則の菩提寺だとか。
  2. 高山城内にあった黄雲閣を譲り受けて移築した、鐘楼門が見事なものである。
    • 当たり前だが、鐘楼門に登ることはできない。しかしもし登れたらきっと高山盆地の絶景が眼下に広がることであろう。
  3. どこからがお隣の久昌寺の物になるのかがわかりにくい。特に塀とか。
    • 元々久昌寺は雲龍寺の境内にある塔頭寺院でしかなかったものが、後から独立したものにすぎず、境が分かりにくいのは、それもそのはずである。

下呂市[編集 | ソースを編集]

禅昌寺[編集 | ソースを編集]

雨の禅昌寺
  1. 飛騨南部随一の古刹。
    • 無論、その建造物も風格があることながら、周囲も含めて植わっている花もお寺に調和しており美しい。
  2. お寺の歴史は複数の説があり定かではない。
    • そもそも開基さえも、恵心僧都が10世紀になしたという説と誰が開祖かすらわからないが14世紀になされたという説に分かれていて謎が多い。
  3. 境内には金森宗和が造園した名勝指定の庭園がある。
  4. 寺宝も雪舟筆の大達磨像等色々ある。
  5. 北朝方の後円融天皇の深い帰依を受けかけたことがある。
    • なんでも、このお寺の伝承をお耳になさり、御懐妊召された皇后の安産祈願のため、御勅使をお送りになられたものの、あまりに寺が荒廃していたため、祈願は諦めたとか。
      • そのかわりに京都南禅寺の名僧竹処崇園をお寺の立直しのために遣わされたとか。
        • このお寺は臨済宗妙心寺派。一方で、南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山と宗は同じだが派が違う。どこかで転派したのだろうか。
  6. 八世剛山和尚は下呂の温泉寺の中興の祖にもなった。

温泉寺[編集 | ソースを編集]

本堂
  1. 下呂温泉の源泉を知らせた白鷺にまつわる伝説を持つ。
  2. 本堂前の薬師如来の下に下呂温泉の源泉がある。
    • 文永2年(1265年)に一度、湯島の湯(今の下呂温泉)が枯れてしまった際、一羽の白鷺が、温泉寺境内に舞い降りたそうな。そこを掘ったらお湯がコンコンと湧き出てきたらしい。
  3. 参道の石段を途中で振り返ると見下ろせる下呂の街が美しい。
    • 参道を上り境内に入ってからも眺望スポットは存在するので、さっさと上がってしまうというのも手ではある。
  4. 宗派は臨済宗妙心寺派。
    • 萩原の禅昌寺と同じ宗派であるが、それもそのはずで、ここの中興の祖である剛山和尚は元々禅昌寺の住職だった。因みに2019年(令和元年)時点でも禅昌寺の末寺の1つである。
    • 元々湯島薬師堂と呼ばれていたらしい。

飛騨市[編集 | ソースを編集]

円光寺[編集 | ソースを編集]

文化財の山門
歴史ある本堂
  1. 飛騨古川が誇る風習、三寺まいりの参拝先その1。
  2. 山門、本堂ともに風格があるが、山門は近くにあったお城からの移築品らしく飛騨市の文化財にも指定されている。
    • 生粋の浄土真宗本願寺派。因みに同じ古川にある真宗寺と本光寺は大谷派からの転派組。
  3. 円光寺の伽藍は、古川のまちなかにあるにもかかわらず、古川大火でも焼け落ちなかったという強運を持っている。
    • 1667年(寛文7年)、本堂を建てたとき、通りすがりの旅の老人が「本堂に亀の彫り物を2つ入れておけば火除けの護りとなろう」と言ったのを真に受けて、本当に彫ったところ、その亀が大火から守ってくれたとする伝承がある。今では、その亀を水呼びの亀と呼び、地元では崇敬しているのだそうな。
  4. 九代住職の浄超が京都に居た頃、浄超は有栖川宮家の深い帰依を受けた。
    • そんな訳で、このお寺は有栖川宮家の位牌所となるに至っている。
      • 門前に石碑があるのはその付き合いの深さの証左と言えるのではないだろうか。
    • そういうこともあってか、このお寺は有栖川宮家と高松宮家から合計30品近い下賜品を賜っている。
  5. 元々このお寺は、金森長近の飛騨異封以前は、吉城郡宇津江村(現在の高山市国府地区の一部)にあったとされる。
    • 気がつけば飛騨古川に移転し、このお寺の移転前から当地に居た真宗寺及び本光寺よりも建造物の歴史という観点で見たら古いものになってしまった。
  6. 御朱印は通常、朱印帳に直接書いてもらうのが望ましいとされるが、この寺に限っては、既に紙っぺらに書いていただいたものも貰っておくとコレクション的には良いと思う。
    • 季節によって異なるのだが、紙っぺらが白無地ではなく少々凝った柄物になっていたりしており、ちょっとおもしろい御朱印をいただけることがある。

真宗寺[編集 | ソースを編集]

真宗寺
  • 飛騨市古川町
  1. 飛騨古川が誇る風習、三寺まいりの参拝先その2。
  2. 瀬戸川沿いにある大きな本堂を持つお寺。
  3. 元々文亀2年(1502年)に白川郷にあったが、天文11年(1542年)に古川に移ってきたという。
  4. 現在の本堂などはすべて明治期のものだとか。
    • というのも明治の頃に古川で大火が発生し、全て焼けてしまったらしい。
    • 本堂は1912年、すなわち明治最後の年である明治45年の再建だが、境内の松の木などの醸し出す雰囲気も合わさり、良い雰囲気を出している。
  5. 浄土真宗の寺院だから真宗寺という安直もといわかりやすいネーミング。

本光寺[編集 | ソースを編集]

本光寺
  • 飛騨市古川町
  1. 飛騨古川が誇る風習、三寺まいりの参拝先その3。
  2. 本光寺も立派な山門と本堂を持つ。
    • しかし、本堂は大正年間のもの。山門に至っては平成に入ってから再建された真新しいものだったりする。
      • その歴史のなさを考慮しても、やはり山門、本堂ともに思わず手を合わせてしまう。
      • 古川大火さえ無ければ、というところではある。文化財を火事から守るって大事だね。
  3. 境内からは、地元の人々の深い帰依を受けながら地域に根ざしてきたことが容易に想像できる雰囲気が漂っている。