戦国時代 (日本)

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  1. 春も秋もなく、戦国時代がやってきた。したがって季節は夏と冬だけ。
    • 春も秋も農繁期だからあながち間違ってはいない。
  2. とにかくそこら辺いくさだらけ。
    • ただしせいぜい山賊同士の小競り合いっぽいのが基本。下剋上や謀略による国盗りやら、鉄砲とか大量虐殺みたいな派手な戦争は、16世紀半ば以降(だいたい信長の登場を待つ)。
    • 農民もいくさばかり。隣村とは水や山を争って戦い、大名に足軽として雇われたときは攻め入った先で略奪三昧。
    • 海べりの地方は海賊によるいくさばかり。廻船・弱そうな軍船狙っては略奪し放題。16世紀以降は水軍に名を変えて存続。水軍から戦国大名になった例も多い。
      • 大名ではなかったが、瀬戸内の村上氏や来島氏は水軍武将で有名。
  3. 実力さえあればトップをとれる。下剋上バブル到来。
    • もちろん一番の出世頭は豊臣秀吉。実家はただの農家で、ホントに頭と実力だけで天下を取っちゃった。
    • 実は農家ですらなかった可能性もあり。ただの流民系であったのではないかとすら…。
      • あれだけの成り上がり者なのに、自分の前半世やその頃の苦労話を一切語ろうとしなかったことから、いろいろと謎の多い人物。
    • ジョードシンシューなる宗教の寺のあるとこではイッキ勃発。シュゴダイミョーが「ウハハハハ!」とやってるとこへ乱入ぶっこき→乗っ取ってとりあえず形だけ奉納→住職をトップに戴いて自治。「イッキ!イッキ!」「オラの村にサムライは許さねぇだよ!」が合言葉。
    • 実は本気で天下統一を考えていた武将は居なかった。せいぜい自国領土を拡張して幕府等中央の権威に認めてもらうことまで。そんな中で唯一「天下」を意識して行動を開始したのが織田信長。なので信長の戦や政策はその他の戦国武将と異質でかつ理解されなかった。
  4. 日本全国で築城ラッシュが起き、土建屋が大いに隆盛した。
    • この時代、土建屋がそもそも存在してないって。実際に築城に従事したのは地元住民。
      • 土建屋は隆盛しなかったが口入屋(くちいれや・今でいう派遣元)大隆盛。
  5. ゲイが基本。ゲイの恋人がいないと、おかしな人と思われた。
    • 戦場に女性はおらず、鍛え上げられた男だらけ→オトコの魅力に目覚める という武士・武将がかなり居たらしい。信長さえも…。
    • 信長さえもどころではなく、小姓大好きであった。若年時の秘蔵は前田利家。
    • 戦国大名は「小姓」を抱えていた。小姓は領地の美少年から選ばれ、大名の夜の相手を務めた。
      • 恋した男子に「~~丸」と便所の名前をつけて鬼から遠ざけようとした。
      • 例:森蘭丸
      • この事が現代の「肉便器」の語源となっている。
    • ということはハードゲイだらけな戦国時代なわけで、「フォー!」が公用語に。
    • ヴァイの方が基本。でも大名のセックスは正常位しか出来ないので、色んな技があるゲイの方に人気が集まっていた。
    • 戦場での連帯感を高めるためにも、必須の事項であった由。っちゅうことは、裏切りのいくつかはモーホーの痴話げんかであった可能性が大なのであった。
    • 「男と女、平等に相手が出来て一人前」というのが当時のスタンダード。
      • 男だけしか女だけしか相手にしないのは変態扱いだったらしい。
    • 当時の秀吉がまったく男色に興味しめせず家臣が不思議がったとか。選抜された美しい小姓を連れてったところ「そちに姉や妹はおるか」と聞いたとのこと。
      • 同じ質問をして、いると答えたら両方食っちまったのが伊達政宗
        • 「フッフッフ。バ~カめ~。わしの隻眼は伊達ではないわ!」と言ったとか言わなかったとか。「いる」と言っちゃったあとで、並み居る重臣に「バカだなぁ。いないって言っといたって良かったんだよ」とウラで知らされても後の祭り。政宗殿は「ウヒヒヒヒ。ワシのイチモツもまだまだイケるのぉ」と高笑い。
    • 同性愛がおかしなものとされたのはどっちかというとキリスト教の影響で、明治以降の常識でしかなかったりする。当の西洋は今頃になって同性愛の権利云々でうるさいのだから勝手なものである。
    • ザビエルは最初周防で「ホモイケマセーン。アンナノ悪魔ノ所業ネー」とやったが、大内義隆は男好きだったためキレて追い出された。異教だからとかそんな理由じゃないのがすごい。
  6. やぁやぁ我こそはと戦う前に自己紹介を始めないとルール違反。
    • それは南北朝までだ。
    • 戦隊モノのヒーローはこの時代からやってきた。
  7. 室町時代が終わったわけではない。
    • 足利義昭を信長が京都から追い出した時点で、室町幕府による室町時代はおしまいね。その後は江戸幕府ができるまで安土桃山時代。
      • 安土城ができるまで、だろ?時代区分ってな政権の中心地がどこにあったかな訳だし。
        • まぁそれを言ったら「安土大坂伏見時代」とでも言わなきゃならなくなるし。「戦国時代(室町時代終盤)」みたいなのもヘンだし。そこまで厳密に考えなくてもいいでしょ。
  8. 合戦で勝利を得ようと、未来の世界から軍隊を呼び寄せた大名がいた。
  9. ザビエル来日によりポルトガル大ブームが起こる。髪形を真似て月代を剃るのが普及したのはこの頃より。
    • ルイス・フロイスがやってきたときはソープランドが大流行した。風呂椅子もこの頃に生まれた。
  10. 室町幕府は義昭が京都から追放された後も中国地方にあり続けた。
    • 足利家自体は幕末まで生き延びた。
      • 証拠を所望いたす。
        • 14代足利将軍義栄の弟・義助の子孫。平島(阿波)公方と呼ばれたが、蜂須賀家に冷遇された。明治になって爵位を得られるよう猛運動したが、北朝を支援した足利氏への悪感情もあり叶えられなかった。
          • 足利のライバル新田は男爵になったのにな。
            • 公爵家が三つ、侯爵家が三つ(?)という自称「新田の末裔」をカレイにスルーしていて笑ったw。
        • 別系統で喜連川藩5000石として残った。5000石なのに大名扱い(大名は通常10000石~)。大名格の出費がいるので大赤字。そこで他藩(伊達とか)が参勤交代で通りかかる頃を見計らってお出かけ。足利氏の後裔なので大藩の大名も無視できずにおみやげを渡してもらったりするのでそれでやりくり(高校の日本史の教師が言ってましたが信憑性はないです)。
          • 新田(岩松)家は250石でも大名扱い。藩邸は無論なく、懇意の旗本宅を間借りしていたらしい。
          • 喜連川は鎌倉公方→古河公方の末裔。
    • 中国地方に逃げた義昭自身もそうだが時の権力者の意向でホイホイ将軍が誕生しては消えた(もしくは並立した)。例えば上記の足利義栄の父である足利義維は足利義晴が12代目の将軍になっていたにもかかわらず朝廷に「時期将軍」並みとして扱われて堺公方と呼ばれた。ちなみに足利義栄の血筋は現在でも存在しているらしい。
  11. 投石は結構有効な攻撃手段。インディファーダにも通ずる戦術。
    • 印字打ちね。武田や上杉など田舎大名では鉄砲よりもこれが主力兵器。
    • 手拭いか何かの布でくるんで、ぐるぐる振り回して遠心力で放り投げると、達人なら数百メートル先まで飛ばせた。下手な弓や鉄砲よりも射程が長く、投石とは言っても馬鹿に出来ない。
    • 当たり所が悪いと最悪昇天。大怪我は珍しくなかった。確かに握り拳大の石なんかぶつけられた日にゃ卒倒するわ。
  12. キリスト教が伝わった。ザビエルブーム到来。ザビエルヘアーが現在の山口県や大分県、長崎県で大人気。
    • のち、商業都市堺にザビエル公園建設さる。
    • 10~20代の女性の間でガラシャ・スタイルが流行。
    • ブライダルプランでは神前式の他に教会式が誕生。ウエディングドレスとブーケトスが若い女性の憧れとなってブームに。
    • 「愛ミナギル」が口癖だった。
      • 本当に、愛みなぎってたのはこの人(2009年大河ドラマの主人公)。
        • 「I、皆斬る」by 信長
    • 教会の建設中は「こんな高い建物を建てて見下ろすとは何事か」と言われていたが、出来上がってみるとあまりの立派さに観光名所となる。反対の声はどこかに消えた。
  13. 自治都市を標榜する堺の船場には商船と称した戦艦が多数停泊するなど、下手な大名が手出しすると軽く返り討ちにあうほどの軍備が整えられていたらしい。
    • しかし信長に屈服した後は寂れまくり、さらに大坂合戦では豊臣方に焼き討ちされ、見る影もなく落ちぶれた。
    • しかしそんな目に合わされて黙ってるような上方商人ではなく、その後の江戸時代には江戸の町と違って武士がほとんどいない、大商業都市として大いに栄えることとなる。
    • そんなしぶとくたくましい血は、現代の大阪人へと引き継がれていくのであった。
  14. 一夫多妻で児童ポルノ禁止法もない。さらには避妊具もないのでロリで孕ませスキーな人には桃源郷な時代。
    • 実際に12歳で妊娠とかもあった。(例、お江与)
      • 今でもあるけど?
        • 合法にって事だろう。まぁ、戦国に限らずちょっと前まではそう珍しい事じゃないが。
    • 子供が少ないと簡単に家が滅んじゃうので、強力な大名ほど子だくさん。子供が10人や20人いるのは珍しくない。
      • 有名なところで言うのであれば織田信長は息子が11人、娘が10人いた(養子養女含まず)。しかもその幼名が大抵ヒドかった。
        • 「大洞・小洞」「酌」「人」「良好」「緑」・・・六男以降やっつけだろ。
      • 強力な大名で子供が少ないところもあるにはあるが。
    • 息子なら跡継ぎor家臣、娘なら他家の嫁にして姻戚を増やせるので、ガンガン嫁をとって、ぽこぽこ子供を産んでもらいました。どう見てもユートピアです。本当にありがとうございました。
    • しかしモテず、地位もないおいらの前世は独身で一生を終えたのだった。
    • だが、その桃源郷に性病という暗い影が差しかかってきたのもこの時代。
  15. ヴァイが基本なのに切腹だの討ち取ったりだのあったってことは何だ、Y太趣味まで公認されていたのか。よくよく考えてみるとすごい時代だな。
    • 武田信玄の父親・武田信虎は、妊婦の腹を割いて胎児をひきずり出し、それを肴に酒を飲んだとか。まさにY太趣味だな。
      • ?>Y太趣味
        • 猟奇的って意味。生きたまま解剖とか四肢切断とか死体損壊とか人肉食とか。
        • 氏賀Y太
          • 実際にその人の作品を読んだけど……あれで勃つ人がいるの?
    • 織田信長は義理の弟(浅井長政)をブチ殺した(自害させた)後、その頭蓋骨に金箔を塗ってドクロの杯をつくって宴会をした。
      • ドクロの杯は立川流の弔い方との説もあるとか。
  16. 実は上杉謙信タンはおにゃのこでした♪、っつー妄想が一部に人々にある。
    • 一国の当主が嫁を一人ももらわなかった、月に一度は戦の途中でも引き上げて城に籠もった、死因が婦人病らしい、ってのがその根拠なんだそうだが、トンデモ学説として学会には相手にされてない。
    • 似たような説に、明智光秀は山崎合戦で死なず南光坊天海として生き延びたというのもある。こちらはなかなかに面白いので巷間にかなり流布されている。
    • キャラと言う点では細川政元がかなりかぶる(生涯妻を娶らなかった、複数の養子を持った為跡目で混乱、神がかりな言動等)んだがこちらは女性説って聞いたこと無いな。そもそも一般の知名度が低すぎるか。
  17. 第三次旅行ブーム。目的地:京都。上杉謙信・武田信玄・今川義元・織田信長などの戦国大名が行く。
    • まろは途中で死んだでおじゃる。
    • 信玄も途中で死んだ。
    • 謙信は観光はしたものの住むことは叶わなかった。
      • 墓は高野山につくられた。命がけで戦った連中が、死後に都で仲良く枕を並べてるのは、なかなか深いものがある。合掌。
    • 大内義興を忘れないでいただきたい。ちなみにライバル尼子経久は挑戦したが失敗した。
      • 失敗したのは二代目の晴久。経久は1511年に義興の軍に従軍して上洛している。
  18. 上杉謙信・武田信玄が山梨と新潟の中間である長野で争う。
    • 平成の現代において各々の子孫がオセロで決着を付けた。上杉家の勝利。(CX:トリビアの泉:トリビアの種2006.03.29放送)
  19. 松永久秀、名器の茶釜(平蜘蛛)を抱えて自爆。
    • 島井宗室及び神谷宗湛、燃え落ちる寸前の本能寺に侵入し茶器をくすねる。
  20. 現代の自衛隊がタイムスリップして来てかなりの打撃を受ける。
    • 米軍と一緒だったことも。
    • 織田信長や柴田勝家は実は元(昭和の)自衛隊員らしい。
  21. 上杉景虎は、実は新潟出身でもある影浦安武(通称あぶさん)の息子であり、その後謙信と名を変えた。その死後、跡目を争ったのが上杉達也・和也の双子の兄弟である。結果は和也が戦死し、達也は景勝と名を改めた。
    • うまい。
    • その後、上杉達也あらため景勝は、越前の浅倉氏(朝倉とも)と結び、関東方面の旧勢力である新田を打ち破った後、一度は覇を唱えたようであるが、その後詳細は不明である…。
  22. どこかに現代とつながっている井戸がある。
    • 鉄砲が急速に普及したのは、実は妖怪対策。ただし、たいした効果はなかったらしい。
  23. では、堺民衆党が独裁政治を行う。(社会民主党ではない。)
  24. 忍術学園開校。初代校長 大川平次渦正。
    • ドクタケ城もこの時代に存在。
  25. 大名はみんな京を目指したが、京の町は荒れ放題。天子様みずから絵や和歌を書いて、御所の前で売ったりしていた。
  26. この時代から所領が千石以上で「武士」と呼ばれる。
  27. 四国では長宗我部元親が大活躍。大人気である。
    • ゲームでも良く出る。BASARAはもちろん戦国無双にも2猛将伝でついに登場した。
    • しかし、江戸時代に滅亡した長宗我部氏に代わって高知に来た山内なんとかは大河ドラマに出ても人気が無い…。
      • 山内一豊は高知の武士に対して、反対する奴は徹底的に弾圧、統治後は郷士といい差別した。幕末に倒幕派(代表例:坂本竜馬)などを生む結果となった。
      • まぁそもそも武将としての実績がないから知名度もなかったわけだ。
        • そもそも、上手いことやって掛川城主になって、そこから「関ヶ原の合戦で東軍について戦った」功績だけで高知城主に納まった人だからなぁ。
    • 元親は女と見間違えるほどの美男子だったらしい。ここでも言われている。
    • 武器がなくなったらハリセンが武器の代わりになった。心理的ダメージで戦闘不能になった兵士も多かったらしい。
  28. 毛利新助は島田○助の先祖ではない。
  29. 織田信長が明智(あきとも)ちゃんに殺される。
  30. 大阪や徳島に三好家という大名がいたのは以外と知られてない。しかもそこそこ人気がある。
  31. 豊臣秀吉、刀狩りで入手した刀の味見をして死亡。
  32. 甲子園東海予選で、織田商業が優勝候補の今川学園を9回裏逆転サヨナラで破る。地元では「オケハザマの歓喜」と語り継がれる。

関連項目[編集]

日本史
神話 - 旧石器 - 縄文 - 弥生 - 古墳 - 飛鳥 - 奈良 - 平安 - 鎌倉 - 南北朝 - 室町 - 戦国 - 安土桃山 - 江戸 - 明治 - 大正 - 昭和 - 平成 年表



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