日光市

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日光市の噂[編集 | ソースを編集]

レトロなデザインの旧市役所
  1. 冬の天気予報が当たらない。栃木県北部晴れの予報で湯西川温泉に行く途中、鬼怒川温泉を過ぎ川治温泉付近から猛吹雪。旅館の方に聞いたら福島の会津地方か新潟の天気を見るとのこと。栃木県北部の観測所は平野部の大田原市で宇都宮と変わらないらしい。要注意。
    • 何で奥日光が観測所にならなかったのかねえ……。そこの方が栃木北部の天気予報としては当たりやすそうなのにねえ……。
      • たぶん施設維持の問題かと、万が一の故障に備えて直行し易い平野部の大田原になったのかも。
        • 土呂部や中禅寺湖に観測所があるが、最大積雪5cmなんてありえない積雪。理由は観測点が風が強いところにあって乾燥雪ゆえに風で飛んでいってしまうらしい。吹き溜まりは数メートルあるので要注意!
          • 尾瀬・赤城山北面の山地と雪雲がつながっていることが多く、冬場は平野部の天気を見るより、奥日光や旧栗山・旧足尾などの山地は新潟や福島、群馬の天気を見るのが正解。
    • TBS『Nスタ』の関東地方の天気予報では、この街の予報が毎晩見られるが、市内のどこが観測ポイントなのだろうか?
    • ちなみに県内でも有数の寒さであり、今市の冬の平均最低気温は北東北に勝るとも劣らない(と言っても、同じくらいの最低気温の地域は秩父や沼田など関東他県にもある)。最高気温で見ても、仙台や福島と大差ない。
      • 土呂部の1月の平均最低気温はなんと-9℃台。
  2. 南関東の修学旅行でよく使われる、徳川ゆかりの地。
  3. 東京・千葉など都心周辺の小5、小6の修学旅行では必ず行く。
    • 足尾の銅山跡見学は必ずと言っていいほどセットになる。
      • 最近は大畑沢に植樹して行くのが修学旅行のトレンドらしい。
      • 修学旅行シーズンが雨の多い時期なので、もともとは雨の日用の屋内日程だったものが「定番」に昇格した様子。
    • 複数の小学校を束ねた長大貸切列車がJR日光線を走る。
      • 東武じゃなくて?
        • 少なくとも神奈川県の小学生はJRを使っている。その貸し切り列車の名前も「かながわ号」。
          • 入れ替わりに栃木県の小学生の修学旅行は多くが鎌倉・箱根方面。
        • 「かながわ号」は2003年の元急行型車両の引退により消滅した。現在は特急あずさなどで使われていた車両が担当している。
        • 東武は最長6両編成までしか入線できない。JRは確か8両ぐらい入れると思った。
          • 過去にスーパービュー踊り子の車両を使って日光行きの臨時特急が運行されていたから少なくとも10両編成は乗り入れ可能。
    • 日光での修学旅行土産で年代がばれる。実際「日光甚五郎煎餅」がお土産だったと7歳上の人に言ったら「俺のときは塩ようかんだったぞ!」といわれた。(by'60後半生まれ)
    • 神奈川県民も当市へ修学旅行に来ることが多い。
  4. サル軍団はどうなったのでしょう…?
    • サル軍団なんて言っているが、要は「サル回し」じゃないか?
    • 古河電工アイスホッケー部が日光アイスバックスに変わり、資金調達の仕方がわからない選手たちに、校長先生が「俺はアイスホッケーなんて知らないけどよ」といいつつ出資してくれていた。当然当初は猿軍団のロゴワッペンもちゃんとついていたけれども、いまはどうなっているのか?
    • 「日光猿軍団は2013年12月31日を持ちまして閉園いたしました」だそうです。
      • 表向きは「中国人の調教師が震災で帰っちゃって続けられない」って話ですが、校長(社長)の私邸も競売かかってるって噂も。
      • 校長先生が中国に猿調教師学校を作る計画を立てているという噂もある。
    • しかし2015年、新しい校長先生が着任し、軍団も復活するらしい。
  5. 合併して10万人近くの都市になる。
    • でも面積が大きすぎ。
      • 栃木県「その他市」という名前のほうがいいのでは?
        • 市内に世界遺産を抱えている以上、ちょっとねえ……。
    • 栃木県の4分の1弱が日光市になる。東京都本土の面積に匹敵。西日本人には、大阪府や香川県くらい広いと言えばよい。
      • 旧今市市と旧足尾町が同じ市内であるとは今でも信じ難い。
        • 大きすぎて南北で市街地が別々らしい
          • おそらく旧今市市の市街地と旧日光市の市街地のことだと思うけれど、合併したとはいえ今でも別々の市といった感じ。交通の要衝・商工業の中心地の今市と世界的観光地の日光で性格も大きく異なる。
  6. 今では他県での知名度は宇都宮以上の物となった。
    • 県外の人に栃木の説明をする時、宇都宮よりも日光の名前を出す方が通りがいい。
    • 「今では」じゃない気がするのだが・・・
    • うん、宇都宮が全国区?になったのって餃子が有名になったここ10年位のもんだもんねぇ。日光は必ず歴史の教科書に載ってるんだし。下手すりゃ田中正造がらみで必ず教科書に載ってる足尾の方が有名だったのでは?あ、足尾も今は日光か…。
  7. 日光にコジマがありまして〜日光にコナカがあるんです〜(両方実在しない)
    • 今市市と合併したので実在するようになった。だが、いまだに両方とも「今市店」。
    • コジマは移転して「日光店」になった。
      • コジマ日光店いつ行ってもガラガラ。多少高くても買うようにしているけど命運はもはや…orz 店員さんが必要以上に親切なだけにお気の毒としか言いようがない。
    • 日光に骨粉…はあるのだろうか。さすがに牛由来ではないと思うが。
  8. 一部で有名なあのテレフォンショッピングとは名前が同じだけで関係ない・・・と信じたい。
    • 「日光テレフォンショッピング」ね。かつてのフジテレビの深夜番組。
  9. 日光にいる人の半分以上は観光客である。
    • その観光客の半分以上が修学旅行生。
      • いや最近は中国人観光客の方が多いよ
  10. 『日光江戸村』がありますよ!
    • 2000年に見物客と従業員が乱闘騒ぎを起こしたのはあまりに有名。
      • 確か「忍者からす屋敷」じゃ?30人近くが乱闘して20人が負傷、警察沙汰に…。公演開始前に足を投げ出して座っていた客に従業員が注意したが聞き入れられず口論に。一度は収まったが公演終了後、従業員と再度口論になり、ほかの客なども加わり乱闘に…。
        • 下手なアトラクション見るよりこっちの方がずっと面白いかもw
    • NHK大河ドラマにも出演した本村さつきがここの看板女優だった。
  11. ガハラさんはいません。念のため。
  12. 例大祭の間は市全体の機能がマヒするので東方Projectファンと大差はない
  13. 観光地で有名な日光だが、栃木県でも日本信号の割合が高い地域。昔は今市エリアでは日本信号の初代丸形灯器が多く存在した。
    • 古い灯器は栃木県の早い更新によって消滅した。
  14. 県下最後の村「栗山村」(塩谷郡)を飲み込んでしまった。
  15. 日光宇都宮道路の終点。
    • それが何故か2005年6月28日に旧日本道路公団から栃木県道路公社に管轄が変わったのが未だに解せないが(ry
  16. 東京から車(東北自動車道・日光宇都宮道路経由)で2時間半ぐらい。案外近いものである。
  17. JR日光線・東武日光線ともに終点。(前者は日光、後者は東武日光。)
    • 2006年3月18日から東武スペーシア(特急列車)がJR新宿からも出るようになり、かなりアクセスが改善されたことはセンセーショナルに報じられた。(JR・東武の接点は栗橋だが乗降できません!!乗務員交代のために停車はしますが。)
  18. 2006年3月20日、日光市・今市市・上都賀郡足尾町・塩谷郡栗山村・藤原町の2市2郡2町1村で新設合併。旧日光市役所本庁舎は手狭だったので旧今市市役所を現・日光市役所本庁舎にした。

地域別の噂[編集 | ソースを編集]

日光[編集 | ソースを編集]

東照宮
事なかれ主義者たち
見ざる聞かざる言わざる
  1. 日光東照宮を建てた大工の棟梁は、滋賀県甲良出身の大工だった。
  2. JR日光駅より東武日光駅のほうが客が多い。2006年、ついにJR新宿発東武日光行き・鬼怒川温泉行き特急が登場。
    • しかし一番多いのは車やバスで来る客。
      • バスツアーは特定のお土産屋(金箔とか)しか寄らない。車はほぼ素通り。お土産売れない。食事処も栄えない。
      • 因みに関西からの団体ツアー客は1996年の上信越道開通以降、新幹線で岐阜羽島まで行きそこからバスで日光・鬼怒川まで来るのが主流になったとか。関西・中京から北関東への団体ツアー客が東京経由から中央道~上信越道経由のルートにに変わったことは東武特急スペーシアの利用減の一因にもなった。
    • 両駅の駅長が高校時代の同級生同士だった事もある。
    • 東武日光駅の乗客で一番多いのは、おそらく市内にある古河グループの工場にご出張のビジネスマンでは?
    • 電車利用者は地元民、関係者、登山客と外国人がほとんど。
      • 修学旅行生もお忘れなく。
  3. 華厳の滝はエレベーター付き。
    • 実は日本OTIS製。1930年に完成したそうな。運転士(?)が中のハンドルをぐるぐる・・・・
    • エレベーターは電車の運転士のような制服を着た人が操作する。なぜ、わざわざあんな服を・・・
    • 以前、周囲の岩盤が崩落しそうになったので、岩盤の裏側を掘って多数のワイヤーで固定するという力技の大工事をしたことがある。
    • 華厳の滝の風景は、もう完全に人工的なモノです。
      • とうとう「中禅寺ダム」がこの滝の水量調整をしていたことがTV番組でバラされた。
  4. 旧日光市内にはファミレスが「ガスト」1件しかない。
    • 湯葉以外に旨い物がないし、旨い物を出す店もない。ブラリと立ち寄って探そうとすると、とんでもないことになる。グルグル市内を探し回って結局泊まっているホテル内のレストランが一番良いと言うことになり兼ねない。
      • 全くその通り。他の都市と同じだろうなんていい加減なことで行ってひどい目に逢ったことがある。
      • 実は美味いステーキの店があるのだが、予約しないとまず入れない。
        • ステーキ屋、霧降のはうまいけど高い。金谷の下はふつう。元消防署の下は肉固いし付け合わせが大根と人参のかつお出汁で煮たやつだった。
      • 奈良公園や出雲大社や秋芳洞で痛い目を見たことがあると、そのガスト1件のありがたみが分かる。神社仏閣関係観光地の店は、参拝時間終了とともに一斉に閉まる。
      • うなぎの澤本、中華の成喜など、美味しい店はあります。
      • 今市のバイパス沿いに行けば無問題。(と言ってもありふれたロードサイド店しかないが)
      • 中華はさらに翠園が美味しい。探せば普通にある。
      • そこそこ店はあっても8時には閉店する。
    • 元祖メイドレストラン「明治の館」は無視ですか。そうですか。
  5. 和楽踊りは、この市内にある大工場が始めた。
    • 今でも和楽踊りの曲の著作権を某工場が握っているので勝手には出来ない。
  6. 日光アイスバックスは自転車操業で有名。
    • 栃木SCのJFL屈指の観客動員を見る限り、宇都宮都市圏を取り込むのが不可欠な気がする。
      • でも前知事(現国会議員)が県の予算突っ込んでたから宇都宮市民のアイスバックスを見る目は冷たい。
    • 神戸を準ホームタウンにしていたが解消。もうだめぽ。
    • セルジオ越後をシニアディレクターに迎えてもgdgd。
    • 熱狂的バックスファンで知られるレディオベリーのアイドル・梅ちゃんが産休に入ったためますます地元メディアでの露出が減った。
    • もとはといえば市内に工場を構えるとある企業に、病院ともども投げられたのがきっかけ。
  7. 買い物関係は今市に依存している。
    • 日光で合宿を組む学生サークルが夜のために買出しをする場合、大抵今市ですることになる。旧日光には適当な買出しスポットが無い。
      • 「今市が市街地で、旧日光エリアは完全な観光地」って感じ。
        • 同意。幼少時から買い物10年前ならいせや・長崎屋、今はベイシアにジャスコと常に今市市街だった。日光市内と言えば旧いまいずみとさがみや位で、福島系のリオンドールが撤退すればマジ壊滅状態。日光は「観光地」です。市制施行は足尾銅山全盛時代の遺物認識して来て下さい。本当に何も無いから。
          • 七里にヤオハンができた。まあ、旧日光市街地からはそこそこ遠いが…
        • 30年ぐらい前なら東武駅から東照宮方面に向かった一方通行の道沿いに駄菓子屋2件、八百屋、スーパー2件(さがみや、CGC)があった。他には清滝に特売する八百屋というかスーパーというかそういう店があった。
      • 夜はコンビニに行ってください。
  8. 日光東照宮の階段を上り切れず、途中の段に腰掛けて休んでいると、宮司さんから「座らないでください」と注意される。たとえ相手がお年寄りであろうと
  9. 奥日光は平地と10度は気温差がある、優れた避暑地なのだが、東武のリゾートプロデュースの下手さのせいでかなり損をしている。
    • 避暑のことだけ考えたら、軽井沢とか那須なんかよりはよっぽど涼しい所なんだけどねぇ。やっぱりリゾート地ではイメージは重要なのだ。
    • 夏の朝、ハーレーオヤジどもが半袖・チョッキでブルブルしながら走行してるのを見かける。
  10. 「鳴き竜」は昔、参拝客が各自、天井の絵に向かって手をぱらぱら叩いて「鳴き声」を必死に聞いていたが、21世紀に入った辺りから、人数制限で順番に天井画の下まで誘導され、係員の「これが『鳴き竜』です」というセリフのあと、天井中に響く拍子木の音を聞くやり方に変わった。
    • 東照宮、鳴き竜にしても本殿にしても、施設の説明のあとにお守り販売の宣伝が入る。なんか俗っぽくてやだな、あれ。
  11. 夏は金谷ホテルのプールで遊ぶ、冬はそのプールが凍ってそこでスケートをするのが、昔の市民の贅沢だった。
    • さらに和楽踊りを市内にある大工場が主催していた時代、招待された取引先のお偉方のご宿泊は日光金谷ホテル、翌日は近くのコースで接待ゴルフ、お土産は日光彫というのが定番だった。
  12. 旧市議会が合併拒否したが住民投票で合併決定。
  13. 東照宮関連のイベントのチラシ・ポスターはいまだに2色刷り。
  14. 消防署が駅寄りの元ガソリンスタンドと個人病院の敷地に移転した。元の消防署の位置に市役所の総合支所が移転するらしい。
    • 消防署の建物が耐震に問題があったらしい。
  15. 表通りは旧市時代に景観を良くするために道路拡幅名目で補助金出そうとして県を巻き込んだら「本当に拡幅しなきゃダメ」って事になって建て直したくない店は曳家で下げたりしてた。
    • 新しい消防署の近所の薬局は曳家で下げたがうまく行かず建て直した。
    • 拡幅を機に商売を辞めた店もある。
  16. 1954年2月11日、上都賀郡日光町と小来川村(おころがわむら)が合併し市制施行して「日光市」が発足。その後2006年3月20日に日光市・今市市・上都賀郡足尾町・塩谷郡藤原町・栗山村の2市2郡2町1村で新設合併し巨大化した…と思いきやこの時に市役所本庁舎は今市に移転しこちら側は支所に格下げされてしまった。(元旅館だった施設を転用し今市庁舎より手狭だったため。)

今市[編集 | ソースを編集]

今市の杉並木
  1. いまいち市は名前のとおりいろんな部分でイマイチだが、過去にあったいまいち地震だけはイマイチではかたづけられないほどの破壊力を持ったものだったらしい。
    • 1949年末に起きた震度6の地震。「今市地震」の名前が付けられている。
  2. 2005年12月、広島市と栃木県今市市で小学1年女児が殺害される事件が相次ぐ中、和歌山市の大橋建一市長は5日の市議会一般質問で子どもの安全対策を問われ、「広島もかなり郊外だし、栃木の今市もいまいち。そういうところで事件が相次いでいる。我々の街も、全く人ごとでない」と答弁した。かなりの反感を買う。
    • てかこの中にだじゃれが入ってる。
      • ダジャレだったからこそ反感を買ったんです。
        • 大体この地名を聞くと、誰もが連想するギャグである。
  3. 2006年3月に合併で日光市になった。対等合併とはいえ、人口が3分の1の市に飲み込まれるのは正直、どうなんだか。
    • その代わり、新日光市役所は旧今市市役所。
    • その内、喉に詰まって吐き出すんじゃないか?!
    • 地元では、名前が日光市になることに納得がいかないらしい。
    • いやいや、有名な日光の名前になって喜んでるいまいち市民も多い。合併して市名を日光市にするというのは、合併数年前からの既定の事実である。
      • 遠方の人に住所を言ったときの反応が今市と日光では正反対。笑いをこらえられる屈辱よ、さらば。
      • 市名まで譲ったのに合併を一度拒否した旧日光市議会に激しい憎悪を抱いている。
      • じゃ、「日光いまいち」市とか?
      • 行政的には対等に見えて市とは名ばかりだった旧日光市を旧今市が併合した形。日光は上記の通り市名を譲っても一度拒否するほど妙なプライドが高い。
      • 日光市民が一度反対したのは、旧今市市の財政が悪かったから。旧今市は宇都宮に水道の水源を売ったほど。
        • それは昭和初期の話、合併直前の旧日光市は財政破たん寸前だった。
      • 市名を譲ったと言われる旧日光市民は今市などに日光を名乗られるのに納得いかない。でも新市名が今市になるより、ましだとも思っている。
  4. 合併前はぼちぼちの財政運営だったが、合併後に大幅に悪化。その結果、旧今市市民から見れば公共サービスの質の低下、料金の値上げが発生とろくなことがない。(そもそも賛否を問う投票も一切無かった)
    • 今市自体は郊外の市街地と大して変らない雰囲気だが、山奥の方まで取り込んでしまったのが痛かったか・・・
      • 2018年、何もしないとあと10年で財政収支赤字転落の可能性があると判明してしまったくらいには財政が悪化している。
  5. スクールタクシーがある。かの小学1年生誘拐殺人事件のあと、最初はスクールバスだったが、保護者から「バス停までの出向かえが面倒くさい」といわれ、そうなったとか。
    • 結局は保護者の自己中。タクシー化で安全性が高くなったとはいえ、歩く距離を極端に短くすることで子供の運動不足、肥満化などを促してるに過ぎない。また地球環境にも良くない。
  6. 「いまいちの水」は名水なのだが、名前で損をしている。
  7. 二宮尊徳つながりで、小田原市と姉妹都市だった。現日光市が引き継いでいるのだろうか?
    • 続いているみたいです。
  8. 旧日光市と未だに対立している。
  9. 栃木県北では珍しいことに、何故かジャスコ(現・イオン)がある。
    • 年々テナントが減っていて寂しい。
  10. 東京から車(東北自動車道・日光宇都宮道路経由)で2時間半ぐらい。
  11. ここ数年、市街地の再開発が進行中。道の駅日光街道ニコニコ本陣に続き、日光ランドマークという商業施設もできた。中核テナントは元々近くにあったかましんで、なんとこの時代に屋上観覧車付き。しかも1回500円と微妙に高い。乗る人はどれだけいるのか…?
    • 妙に派手な外観が、寂れつつある地方都市で浮いている。
    • 道の駅の方は、市街地ど真ん中にあるせいで駐車場のキャパが足りないという致命的な弱点を抱えている。休日は出入りする車で混雑しがち。
      • 某作曲家の記念館を併設しているが、絶賛赤字で大幅縮小が決定。ちなみにその作曲家の出身地は隣町
  12. 工業団地を作ったはいいがなかなか工場を誘致できなかったところに、旧藤原町にあった獨協医大の医療センターが移転決定。

足尾[編集 | ソースを編集]

まだまだ現役のトロッコ
  1. 足尾には人が住んでいない。
    • 「関東の夕張
      • 鉱山閉鎖後の衰退ぶり、第一次産業に転換できない地形、人の気配の感じられない町並み、ジジババ中心の人口構成。両者には共通点が多い。
        • 1889年(明治22年)4月1日に町制施行により足尾町が発足したが、2006年3月20日に日光市に合併するまでずっと自立を保っていた。
  2. 銅山跡が物悲しい。
    • たまに銅山の方から落盤の音が聞こえる。
      • ついでに地面が揺れる。地震かと思う。いや、地震か。
    • 廃墟マニアには聖地扱いなんだが…
      • 心霊マニアにも聖地かもね。
  3. 「わたらせ渓谷鉄道(旧足尾線)を利用しよう」というポスターが街中に貼られている。
  4. 旧足尾線では県内へ行けない。(桐生市へ出てしまう)
  5. 銅山が栄えたころは人口は3万人を超えていた。
    • そのためか「足尾町」が「足尾市」になろうとしていた。
    • 足尾は、明治の町村制施行時からずっと町だった。それくらい栄えていたわけだが…
    • てかここは日光から結構離れているような・・・
    • 銅山事務所の建物も立派だった。事務所としての役目を終えた建物はそのまま足利市がお買い上げ、移築して1960年代まで市役所として使われていた。
  6. 東京方面の人に出身地を聞かれ、「足尾です」と言うと「八潮でしょ?」とツッコまれる。
    • 「足尾鉱毒事件の足尾です」と言わないと、理解してもらえない。
    • 「栃木のどこ?」と聞かれて「足尾」というと「え?」と聞き返されて、しょうがなく「日光」とこたえなければならない。(日光と合併前)
  7. 中学まで群馬県と勘違いしてました。(滋賀人)
  8. 生活圏のベクトルは完全に群馬(桐生市方面)に向いている。
    • 文化圏も。栃木県民のソウルフード「しもつかれ」を食べる習慣もつくる習慣もない(今市では食べてるらしい)が、群馬県民のソウルフード「焼きまんじゅう」は好まれている。
  9. 双愛病院だけは繁盛している。高齢化率高し。
  10. 正直、日光市であることも栃木県であることも納得いかん。県内の他地域どころか市内の他地域に行くのに峠を越えないといけないなんて。群馬との県境は険路ではあるがひとつながりなのに。
    • うん、この地に行くのに一度群馬県を通ったほうが、栃木県内だけを通っていくより早いなんて、変だねえ……(by足利市民)
    • なんか能勢町みたいだな。大阪府内の他の場所に行くには隣の県を通った方が効率がいいし。
    • でも日光との合併前に鹿沼周辺の町村と同じ郡だったのはどうなの?もっと細くて険しい峠道だけだったと思うが。
  11. 鉱山跡では今でもトロッコが走っている。
  12. 鉱山跡の植樹活動がようやく実ってきたのか、やっと鹿、さらにまでもが住むようになった。
    • カモシカとイヌワシは天然記念物。そのほか天然記念物の食虫植物コウシンソウもある。
  13. 合併前、ここを管轄する労働基準監督署は足利だった。
  14. 西濃運輸はここだけ関東太田支店(他の日光市は宇都宮支店)。
  15. 80年代までは郵便番号も市外局番も群馬扱いだった。
  16. コンビニは一軒もなく個人営業の焦点が辛うじて残っている程度。
    • いつの間にかローソンができていた。中心部からは4〜5kmほど離れているが。
  17. マジでコンビニ一つないので個人旅行者は注意である。18きっぱーやバックパッカーにはきつい。
  18. 金券ショップの株主優待を活用する乗り鉄なら、東武株優を最大限に活用して近所まで来れる。
  19. JRの休日おでかけパスを使う場合、足利ー桐生のきっぷも事前に買っておべきだ。桐生駅はわたらせ渓谷鉄道に改札内乗り換え可能であるため。
  20. 普通に猿が街にいる。
  21. 足尾銅山はトロッコは楽しいが中はちょっとお化け屋敷みたいな感じだ。
  22. 足尾銅山のところの売店やレストランは、観光客よりも地元の高齢者でにぎわっているようだ。
    • 日光市設置の「市民センター」と駐車場を共有しているからね。
    • 銅山観光に実際行ってみたが、売店やレストハウスは良くも悪くも「ベタな昭和期の観光施設」のテイストを残している。
  23. 日光市との関係が深く、上都賀郡だったからか日光市に支援を求める形で合併してもおかしくないような地域だった。
  24. この町の南側は群馬県みどり市である。
  25. 炭鉱で栄えていた頃はこのまま市制施行まで行けそうだったが鉱害で問題になり、さらに人口流出も進んで日光市に合併された。
    • 警察署もあったが日光署に統合された。

栗山[編集 | ソースを編集]

  1. 湯西川と川俣温泉以北は超豪雪地帯。秘湯ブームで奥鬼怒川温泉も数メートルの積雪の中冬でも営業するようになった。女夫渕温泉からカニ湯や八丁の湯まで旅館専用バスが運転されるが、運転手が超テクニシャン。あの大雪でワイパーも凍ってしまう中、いろは坂より急でカーブがきつい雪道を平然と運転する。
  2. 独特の因習が未だに残る、栃木のチベット。
  3. 合併前は栃木の自治体の中で一番広い村だった。
    • 合併直前は栃木唯一の村だった。
      • 合併してほしくなかったという県民も少なからずいるようだ。
  4. ○俣タクシーの一部の運転手の運転の悪さは栃木随一を誇る。裏から煽ってきたり、100km/h越えで運転するのは毎回のこと。
    • 川治ダム周辺のトンネルが工事で交互通行になっていて、結構長時間(4~5分)待たされた。シビレを切らした運転手がタクシーから降りて「まだかかるんかぁ!」、「急いでんだよこっちは!」と工事の誘導員に怒鳴り込んでいた。(2008年1月)
  5. 湯西川ダムを現在工事中。一緒に県道を建設しているが、トンネル・橋だらけで、交通量にそぐわない豪華なものになりそう。
    • 今の道路は舗装はされているがデコボコだらけ。
  6. 平家の落人がいた為か、平家関連の資料館や旅館が多い。
    • 平家の落人を売りに村おこしを図っただけで、本当に平家の落人が多かったのか微妙なところ。
    • ダム建設と一緒に移設・新築された公民館か何かの工事中、落ち武者の亡霊が出たらしい。業者の間でちょっと有名になった。
      • 居場所を知られないよう、鯉のぼりを上げない、鶏を飼わないといった風習が残っている。
  7. 某TV局が密かに栃木県下唯一の村を復活させようと画策しているようだ。
  8. 現・日光市の4分の1程度を占めている。

藤原[編集 | ソースを編集]

  1. 三依、横川、高原、鶏頂山地区は厳冬期は2mを越す積雪の豪雪地帯。鬼怒川地区が晴れでも猛吹雪。
  2. 人名に影響されて「ふじわら」と誤読されることが減ったとか、日光江戸村の名がやっと実態と一致したとか、合併の長所は数々あったと思う。
    • え゛、なんて読むの?不勉強ですまんが教えてくれる?
      • 「ふじはら」です。ちなみに、旧町内にある東武鉄道・野岩鉄道の新藤原駅は「しんふじわら」と読みます。
        • 名字でもたまに「ふじはら」と読む人もいるらしい。
          • 名字の「ふじはら」のほうはというと、ヒゲダンのボーカルのおかげで知名度アップ。彼は鳥取県米子市出身。
      • 因みに新藤原駅は東武鉄道及び関東大手私鉄最北端の駅。緯度は福島県いわき市と同じ。
        • それどころか全ての大手私鉄でも最北の駅。
  3. 秘境駅「男鹿高原駅」が秋田県にあると誤解される。
    • そもそも「おが」じゃないし、男鹿市は山奥じゃないし・・・。
      • 東武日光線~鬼怒川線にかつて快速急行「おじか」が走っていた。
  4. 日光江戸村内に生息するニャンまげには飛びつけるのと飛びつけない(飛びついてはいけない)ニャンまげがいる。
    • ちなみに見分け方はSPが居るかどうか。飛びつけないニャンまげにはSPが付いていて、飛びつこうとすると制止される。
  5. 上三依にある野岩鉄道の駅が「上三依塩原温泉口」に改称されたが、あそこから入るのは塩原に行く観光客の1%にも満たない。逆に駅名が長ったらしくなって面倒だ。
    • ついでに言うと会津鉄道芦ノ牧温泉駅の旧駅名も「上三」だった(読み方は同じ)。
  6. 国道121号の有料道路は全く利用価値が無い。
    • 特に鬼怒川道路。せいぜい5分くらいしか短縮にならないのに250円は高すぎる。日光宇都宮道路の宇都宮~今市はあの距離で300円なのに。
      • いつ行ってもガラガラ。
        • 2022年、ようやく無料化!
    • 龍王峡ラインも微妙…。
      • 軽自動車は100円なので、急いでるときは重宝してます。
    • 鬼怒川有料道路の豪華な造りに慣れたせいか、龍王峡ラインが物凄く安っぽく感じる。
  7. 川治温泉駅は温泉街から1km離れた所にある詐欺のような駅。
    • 川治湯元駅も遠い。
    • 川治温泉の寂れ方は熱海なんか目じゃないほどやばい。交通が不便なために鬼怒川のように旅館を新調してもダメ、中途半端に大きな旅館が多いから湯西川のような秘湯風情もなし、道(R121)は狭い…。
      • 最近になって鬼怒川温泉の寂れ具合がクローズアップされるようになってきた。鬼怒川沿いの岸壁に並ぶ廃墟の旅館群が哀愁を漂わせる。
        • 香港の九龍城砦のような景色、と表現されることも。市としてもどうにかしたいが、地権者関係や費用面の問題でなんとか崩壊や不法侵入を防ぐのが限界らしい。
  8. 会津西街道は国道121・352・400号が重複するルート。これは、この地域でここしかまともな道を通す場所がなかったということを意味する。
  9. ウエスタン村は営業再開するのだろうか…
  10. 道路標識では「藤原」ではなく「鬼怒川」と書かれる。
    • 鬼怒川を単に川の名前としか認識していない人は戸惑う。温泉をちゃんと知っていればともかく…
      • 地元民も「鬼怒川の方」と呼び、「藤原」と言うことはあまりない気がする。
  11. 伊香保温泉ともども、年々伊東園グループによる植民地化が進んでいる。
  12. ラインくだりの舟を輸送するトラックによく会う。
鬼怒川温泉の噂[編集 | ソースを編集]
  1. 秘宝館が鬼怒川の温泉街から離れた辺鄙な所にある。
  2. 鬼怒川公園駅近くの廃墟街は必見。
    • 維持するにも、撤去するにも金がかかることまで頭が回らなかったらしい
    • 崩壊の危険性とマニアの侵入で解体したいのは山々だが、巨額の解体費用や複雑に絡み合う所有権で市も手が出せず頭を抱える始末
  3. 食う場所は日光以上に困る。
    • ホテルによる囲い込みが過剰に進んだ結果、街中に飲食店が少ない街になってしまった。
  4. リオンドールが住民生活を支えている。事足りなければ今市のロードサイドへ。
    • ここでも福島資本の進出か…。栃木の地場資本って本当に弱いのね。
  5. 再生支援を受けられる旅館と受けられない旅館の選別が進んでいて、不満が出ているらしい。
  6. この地で過去にハーレーフェスティバルが行われていたのを知る者は少ない。
  7. ホテルニュー岡部は「ゆったりたっぷりのーんびり♪」のCMでお馴染みの「ホテル三日月」に買われた。
    • っていうか三日月って「沿」っというイメージがあるから、栃木の山奥だとかなりの違和感がある。
    • なお、同じ系列だった鬼怒川観光ホテルは大江戸温泉物語がお買い上げ。しかし、東館は買っておらず廃墟街の一角を占めている。

日光の紅葉と渋滞の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 県民は渋滞の激しい夏休みと紅葉の季節は近づかない。
    • 日の出る前に移動し、午前中に帰るのが通。
      • 本当の通は冬の日光の風景の美しさを知っている。ただし運転技術必須。
      • 紅葉シーズンになると界 日光が宿泊客向けにオープンバスをチャーターしていろは坂を往復するツアーを催行しているが、朝だけしか設定がない理由のひとつ。(もう一つは鬼怒川発の紅葉ツアーをその後に走らせるため)
    • 最盛期の土日は清滝インターを朝6時までに通過しなければアウト。
    • トイレはいろは坂を登る前に済ませないと、明智平の汚い(汚すぎる)トイレに行列する羽目になる。
      • 07年春現在、明智平のトイレは取り壊されている
        • 改築されたようです。綺麗になってました。
      • 第二いろは坂が動かなくなると、トイレが我慢できなくなった方々が延々と「登山」をする光景が見られる。
        • なんせ、馬返(いろは登り口)から明智平までトイレ無し地獄ですから…。
  2. ベタな紅葉見物in日光のパターン(週末)
    • 朝7時に家を出るが、東北道で渋滞にはまる
    • 10時頃に宇都宮ICを通過、だが日光宇都宮道路でまた渋滞にはまり清滝ICを出たのは11時過ぎ
    • 第二いろは坂がノロノロで中禅寺湖畔に着いたのは13時過ぎ
    • しかし駐車場が見つからない…13時半頃やっと止められる場所を見つけて昼食、その後湖畔、華厳の滝を駆け足で巡る
    • 16時頃第一いろは坂を下り始めるがまたも渋滞、18時頃何とか宇都宮ICに到着
    • 東北道でまた渋滞にはまり…結局家に着いたのは21時。14時間中観光をしたのが2時間半という計算。
  3. 慣れてくると「渋滞していた方がゆっくり紅葉見物できるのでよい」と思えてくるらしい。
    • 特に運転してるお父さんにとっては。前が動いても動き出そうとしないのでいつまでたっても渋滞は解消しやしない。
  4. 午前中はともかく、夕暮れ近くに第二いろは坂の渋滞に並んでいる車は何を見に行くつもりなのかと問いたい。
    • いろは坂は東斜面なので、夕暮れ時に登っても暗いだけ。
  5. いろは坂が一方通行のため、一度登り始めればもう引き返せない。
    • 第二いろはの右車線は逆走するためにあるものではありません。あしからず。
  6. 平日だから空いているだろうと油断していると、結構渋滞している。
    • 休日はともかく、平日にここまで渋滞する観光地も珍しい。
      • んな事言ったって所詮平日だろ?と思って行ってみたら結構どころか酷い渋滞だった。菖蒲ヶ浜から華厳の滝の駐車場までの約5Km進むのに1時間半かかった…。それにしても何行か↑にもあるが夕方5時に第2いろはから次から次へと車が出てくるってぇのは一体…。
        • たぶん翌日ゆったり観光しようとして宿に向かう人たちと思われ。
    • これだけの観光地にも人は住んでいる。(小中学校あるし)周りにスーパーとかなさそうなのに日々の買い物とかはどうしているのだろうか。
      • 小学校の近くに全日食チェーンの小さいスーパーがあるよ。というかそこしかない。湯滝のYショップはコンビニとは名ばかりのお土産店。
  7. 群馬側(関越沼田IC)から入ると、意外とスムーズらしい。日帰りバスツアーもこのルートを通ることが結構多い。
    • 尾瀬へ入るときと一緒で、片品村で分かれて金精峠・奥日光経由か・・・かつてこの経路で東武バスが走っていたようだが。
      • いや、確かにスムーズだろうけど沼田から中禅寺湖まではかなりすっ飛ばしても3時間近くかかるよ。ちょっと遅い車に引っ掛かるとそれ以上。休むところもそんなにないし運転大好き君以外にはあんまりお勧めできない。
        • 3時間はかかりすぎかと。せいぜい2時間じゃないかな?ま、そんだけ遠回りするくらいなら早立ちした方がいいわな。
          • 観光オフシーズンの早朝で、遅い車もいなくて渋滞もなく順調に進んだ場合という条件付きだけど、沼田IC~中禅寺湖で2時間まではかからなかった。距離は70キロあるかないかってところ。
    • 山道運転に自信がある人ならば、山王林道から奥日光に向かうルートもあるらしい。
      • ただこの道も、シーズンになると渋滞こそないものいろは坂の渋滞を避けるサンデードライバーのおかげで危険。くれぐれもご注意を。
    • 景色もこっちの方がいい。清滝から来るとほぼ登り坂しかないけど、金精峠側からくると金精トンネルを抜けるとパノラマが広がる。
  8. 実は渋滞の原因は、いろは坂を登り切った後に華厳の滝そばの駐車場(鬼のように混む)を目指す右折車が原因だったらしい。
    • 2008年に県がやっとそれに気付き、10月の土日に社会実験をやった。もっと早くやれよ。