日吉 (横浜市)
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主な施設[編集 | ソースを編集]
日吉の噂[編集 | ソースを編集]
- 日吉の慶應義塾大学の地下に築かれた地下壕には、太平洋戦争末期に、日本海軍連合艦隊司令部が置かれていた。
- 乗るべき艦艇がほとんど沈められてしまい無くなってしまったから。つまりカッパの陸上がり状態。それでも、ここに移転する直前までは、旗艦は軽巡洋艦大淀に置かれていた。司令長官は豊田副武海軍大将。終戦直前には、小沢治三郎海軍中将が、最後の連合艦隊司令長官兼海軍総隊司令長官となり、豊田大将は軍令部総長に
- 戦後も、地下司令部は、出入口が塞がれただけで埋め戻されていない為、次の大地震の時には日吉の丘全体が陥没するだろうと慶應の中では言い伝えられている。
- 地下司令部の地図は普通部(中学校)の生徒が夏休みの宿題で作った。
- 慶應大学の土地は、学園誘致の為に、東急初代社長の五島慶太がタダであげたもの
- ちなみに、慶応と書くと慶應の関係者でないとすぐわかる。
- ちゃんとした書類以外は面倒だし相手が読めないから普通は応の字を書く。そんなことにこだわるのは慶早戦とか言っちゃうおペンな人くらい。
- ×慶応大学 ×慶應大学 ○慶應義塾
- 慶應の父母会などがあると、日吉東急の駐車場がベンツでビッチリ埋まる。
- ちなみに、慶応と書くと慶應の関係者でないとすぐわかる。
- 田園調布を真似て作った放射状の道路だが、中途半端なため、地元住民でもよく迷う。
- 道の狭さの割りに自分勝手な路駐をしまくる人が多いので、商店街は車が擦れ違えない。
- タクシーが列を成している普通部通りが一番ひどい。
- バスの運転手たちのスキルが高い。
- 道の狭さの割りに自分勝手な路駐をしまくる人が多いので、商店街は車が擦れ違えない。
- 待ち合わせ場所は駅前の「銀の玉」。
- 通称、銀玉(ぎんたま)。正式名は玉の下に書かれてるけど、ほとんどの人が知らない。
- 正式名は「虚球自像」である。
- ぎんたま・・・あのマンガとは関係・・・ないよね。
- 日吉住民のジャンプ読みの中には、むしろあの漫画の作者が日吉出身かと思った人間もいたとか
- 通称、銀玉(ぎんたま)。正式名は玉の下に書かれてるけど、ほとんどの人が知らない。
- 「三国志」「信長の野望」「提督の決断」などの歴史ゲームシリーズで有名なコーエーの本社が駅のすぐ近く。でも近隣を武将などがウロウロしているという訳でもなく、普通すぎる。
- 駅前にワラワラとたむろする学生を見て「無双」シリーズを考えたかもしれない。
- もともと綱島街道沿いに本社があったが、その周辺、そして駅のそばとどんどん会社が大きくなってきた。正直驚いた。
- 現社屋は壁面に巨大太陽が描かれており、いかにも犯罪を起こしそうなカルト教団の様相。夜には目が光って不快度が倍増。
- 実は商店街の中にひっそりシブサワ・コウの事務所があるのは意外と知られていない。
- 日吉の吉日、という地酒があるが、あまり知られてはいないようだ。
- 昭和63年頃まで電話局が「日吉局」で、市外局番が044だった。そのため、綱島(045)に電話をかけるときも市外通話になってしまった。
- 自分は044日吉局エリアだったが、中学の時のクラスの連絡網は前も後ろも045の市外局番住民
- 1990年(平成2年)10月変更。
- 本町6丁目の谷戸池跡地は地盤沈下が激しい
- 佐賀県から上京してきたはなわが最初に住んだ街はじつは日吉。
- 駒林小学校はJリーグの岡野の母校
- 駒林小は昔田んぼだった
- 慶応慶應KOって言いますが、日大中・高もあります。しかも駅周辺での「お行儀」の良さは同程度。
- KOの方がガラは悪かったりする。
- 昔、森戸が原ではヌード撮影も行われていたほど森の中だった
- 2008年12月18日頃より、mixiの「日吉」コミュニティでは、「日吉の治安と環境を守る!」と一人で息巻いている人が、過去の逆恨みを延々と書き連ねている。
- ラーメン激戦区で、狭い商店街の中に10店ほどが存在する。店の入れ替わりも激しく、ラーメン屋の跡にラーメン屋ということもしょっちゅう。
- 家系と魚介系つけ麺の店が多いが、たまに塩ラーメンの店がぽっこり開店する。が、速攻つぶれる。
- らすた麺は09年春頃からごはんがタダになった。あと、スープの味が日によってけっこう変わる気がする。
- この街の大勝軒は永福系。
- つい最近までアムロの人が浜銀通りの奥に住んでいた。
- いうまでもなく高橋克典の実家は本町六丁目の千代田坂付近。
青学へ行ってなければ駒林小から野人岡野と高橋克典の2名有名人が出ていたはず!