日産自動車/セダン・ステーションワゴン系

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アベニール[編集 | ソースを編集]

  1. ウイングロードに最も食われてしまったクルマだろう。
  2. ベースになったセダンタイプが始めから存在せず、ワゴン/バン専用の車種として華々しくデビューしたのはいいんだけど…。
  3. ブルーバードとスカイラインのワゴン/バンが統合されて登場。

W10[編集 | ソースを編集]

  1. salut!という「びっくりマークまで名前」という奇妙なグレードがあった。
    • MCでサリューに変更。黒歴史か・・・。
    • 「サリュー」のサブネームが付いたモデルのCMキャラクターは、松嶋菜々子が務めていた。
  2. プレーンなデザインゆえにドレスアップのベースとして使いやすく、様々なパーツが発売されていた。
    • パルサーGTi-Rのエンジンをスワップして快速ワゴンに仕立て上げている人もいた。もしカタログモデルにあったらカルディナGT-4やレガシィツーリングワゴンといい勝負をしたかもしれない。
      • それをやらないのが日産の商品企画力のなさ。P12やC11もMTを出したと思ったらすぐやめる。ええ加減にせいよ(怒)
    • 普通のSR20DET搭載モデルはあったが普通だったなあ…。
  3. 大人5人が乗れて荷物もたっぷり詰める、そこそこ走れる、使い勝手のいい車だった。(by元2.0si MTオーナー)
  4. ワゴンのグレード名が安い順から、アルファベットの「A」、「B」、「C」を発音記号で表したのもユニークだった。

W11[編集 | ソースを編集]

  1. マイナーチェンジの時、「AVENIr」から「AVENIR」とロゴを地味に変更。
  2. 日産車体がデザイン担当。だから格好悪かったわけだorz
  3. 商用車のエキスパートは姉妹車だった。
    • アベニール亡き後はウイングロードベースとなった。
    • 法改正により不要になった、荷室側面窓保護棒を廃止した最初の車だった。
  4. 2000ccクラスでは最後まで生産した5ナンバー車だった。
    • 商用車のエキスパートと車体を共有していたから。3ナンバー化すると商用車の1ナンバー化が避けられないため。

インフィニティQ45[編集 | ソースを編集]

G50[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ではブランド名が車種名。インフィニティブランドの黎明期を語る。
  2. グリルのない土偶のような顔や漆塗りインパネ、七宝焼エンブレムなど日本的な高級なものを取り入れた画期的な車。
    • …になるはずだったが誰もが思い描く高級車から大きく外してしまいセルシオに大敗北。
  3. 結局マイチェンでグリルが付いた普通の顔に。初期のコンセプトは何処へ…?
  4. 新車当時のミニチュア化は、ダイヤペットが唯一のモデル化だった。

ウイングロード・ADバン[編集 | ソースを編集]

VB11[編集 | ソースを編集]

  1. 従来のサニーバン、パルサーバン、バイオレットバンが「AD」のサブネームを付けてモデルチェンジした。
    • なお、バイオレットバンは「ダットサンADバン」に生まれ変わり、バイオレットの兄弟車であるオースターバンは、パルサーADバンに吸収される形で消滅した。
    • これにより、サニーとパルサーは乗用車系(セダン、ハッチバック)に先駆けて、ADバンが「完全な双生児(車)」となった。
  2. サブネームの「AD」は、かつてブルーバード(910型)のワゴンのサブネームだった事を知っている。

 

Y10[編集 | ソースを編集]

  1. 一言で言うとサニーカリフォルニアの超ビッグマイナーチェンジ。
    • なので実は10年モデル。
      • ADワゴンというのも…。
  2. この代でようやく、サニーカリフォルニアとADワゴンが同一ボディになり、サニーカリフォルニアはどちらかといえば「ADワゴンの上級仕様」というイメージだった。
  3. 改名効果で大人気。
  4. 一時期(と言っても6年ほど)、メキシコから逆輸入してた。
  5. この代より、ダットサン、サニー、パルサーの名前が外れ、ADバンが正式な名称になった。
  6. THE 真心ブラザースが歌ったこの代のCMソングである『どか~ん』は、後年に高校野球の応援歌に使われたりしたので、印象に残っている。

Y11[編集 | ソースを編集]

  1. 先代に続き超ビッグマイナーチェンジを実施。
    • 今回は改名無し。
    • でもMC後にバカ売れ。
    • メタルのおもちゃ。
  2. 最初のころに5ナンバーのビジネス向け廉価グレードもあったが、途中で廃止された。
  3. 後期型のタコが墨を吐くCMが面白かった。
    • 江角マキコが岡村隆史に「電気アンマ」を仕掛けるCMも印象的だった。
  4. このクラスのライトバン/ワゴンにしては珍しく、この代では唯一、トミカ化されている(サニーでは3代目、チェリー/パルサーでは4代目のいずれもクーペモデル以来である)。

Y12[編集 | ソースを編集]

Y12
  1. 今回はビッグマイナーは無し。
  2. サイズは先代とほとんど一緒なのにずんぐりむっくり・・・だと思う。
  3. 屋根のウネウネが嫌われている。
    • 側面窓も同様。
  4. オーセンティック+ホワイト…どう見てもADエキスパートにしか見えない。
    • というかアベニールが生産終了したのでADシリーズはウイングロードベースに転換した。
      • んなこた分かってる。オーセンティックを選ぶと他グレードとは違う商用車のようなバンパーになるんだよ。だからカラードバンパーがついてるADエキスパートとそっくりだってだけ。
  5. ステージア・アベニールの生産終了で日産唯一のステーションワゴンになってしまった。
  6. 車名がいつの間にかADに戻ってた。どさくさ紛れに新ロゴ化されてるし...いつまで売る気だ?

オースター・スタンザ系列[編集 | ソースを編集]

  1. A10バイオレット及びT11バイオレットリベルタはバイオレット・バイオレットリベルタ・リベルタビラの節を参照。

A10[編集 | ソースを編集]

  1. バイオレットがブルーバード系列から独立したのに伴い誕生。
    • でも4ドアセダンのボディスタイルは510ブルの4ドアセダンにそっくり。
      • 510ブルの後継の710が北米で大コケし、巻き返しを図る為、あえて似せた。車名もNew「510」で売った。
  2. A10バイオレットと同時にオースターが、3ヵ月後にスタンザが誕生。
    • しかし、チェリー店の設定がなく、日産店と併売されていた地域では、バイオレットとオースターは併売されていたわけだから、販売する側にとっては、どちらを重点的に売ったらいいか、頭を悩ませていた事だろう(後のパルサーセダンとリベルタビラの関係も同様)。
    • 多分、現在のトヨタディーラーにおける、「ノア/ヴォクシー」、「アルファード/ヴェルファイア」のように、ファミリー/スポーティー(或いは豪華or高級)に分けて販売していたのだろう。
  3. オースターのマルチクーペはテンロククラスのFRクーペとして若者に人気があった。
    • 今は亡きJ's Tipoの別冊で当時オースターのクーペがレビン/トレノのライヴァルとして位置づけられていたことが掲載されていた。
    • ちなみにオースターのイメージリーダーは真っ赤なマルチクーペ。赤いオースターのクーペは当時の日産車の中でも最も好きなクルマの1つ。
      • 当時、日本のミニチュアカーの代表的なブランドだったダイヤペットでも、オースターのマルチクーペはモデル化されていた(このクラスでも、当時の標準スケールでも唯一)。
  4. オースターは若者向けのスポーティカー、スタンザは小さな高級車。
    • そのためオースターに設定されたクーペがスタンザには設定されなかった。
    • スタンザの別名は「ミニ・セドリック」。スタンザの角型ヘッドライトは当時のセドリック・ハードトップに共通するデザイン。
      • スタンザは、かつて二代に渡って販売されたサニーエクセレントの後継も兼ねていたからね。
        • しかしなぜか、最上級グレードは「GT」を冠していた(こちらはデビュー当初から設定だったが、後にブルーバードのサブネームや正式な車名となる「マキシマ」もグレード名として付いていた)。
  5. マイナーチェンジ時にスタンザに、その翌年にオースターに5ドアハッチバックが追加。
    • でもスタンザの5ドアハッチバックがには「リゾート」というサブネームが付いていたのに対し、オースターの5ドアハッチバックにはサブネームが付かなかった。
    • バイオレットにも5ドアは追加されたけど、オースター同様、サブネームは付いていなかった。
  6. かつて日本テレビ系列で、『大都会シリーズ』のPART2とPART3の間に放送された刑事ドラマの『大追跡』では、架空の部署である遊撃捜査班の覆面パトカーとして、この車の4ドアセダンが登場した(主に藤竜也扮する水原刑事が乗っていたが、ボス役の加山雄三が乗るブルーバードセダン同様、インパクトに欠けていたような気がする。グレードもなんか普通っぽい感じだったし…)。
  7. マイナーチェンジでは、新たに1800が追加され、オースターにもスポーティーグレードのGTが設定されたものの、シングルカムエンジンだった為に、ライバルとして想定されていた2代目セリカ後期型のCMでは、「ツインカムなくして、真のGTは語れない」と酷評されてしまった。
    • オースター/スタンザとも2000ccの設定がなく、セリカよりも車格が下だった事もあるのだろう。
      • 3兄弟の「長兄」にあたるバイオレットには、スポーティーグレードの「GX」が設定されたものの、1800の設定はなく、次期型のバイオレットリベルタの登場まで待たねばならなかった。
        • しかし、その設定が後の悲劇につながり、僅か1年とちょっとでパルサークラスの大衆車に交代してしまった。

T11[編集 | ソースを編集]

  1. FF化され、オースターには「JX」と、スタンザには「FX」というサブネームが付いた。
  2. ボディタイプはスタンザがA10と同じく4ドアセダンと5ドアハッチバック、オースターは4ドアセダンと3ドアハッチバック。
    • マイナーチェンジ時に、オースターの「JX」、スタンザの「FX」というサブネームが外れると同時にスタンザは従来の5ドアハッチバックから3ドアハッチバックに変わった。
    • 先代モデルに設定されていたライトバンは、バイオレットはダットサンADバンに生まれ変わり、オースターはパルサーADバンに吸収される形で廃止になった。
  3. 日産の世界戦略車として登場したが、人気もなく全くといって良いほど売れなかった。
    • そのためもう1つの姉妹車だったバイオレットリベルタはわずか1年後にパルサー系列のリベルタビラに取って替わられた。
    • オースターJXとスタンザFXも2年後のマイチェンで角張ったノーズに変更され、スタンザの5ドアハッチバックは3ドアハッチバックに取って替わられた。
    • A10は販売台数はともかく、オースターのマルチクーペが若者に人気があったというのにT11ではこの有様…。自動車評論家からは非常に高く評価されたのだが…。
  4. スタンザFXの5ドアハッチバックは、登場回数こそ少なかったものの、石原プロ制作の刑事ドラマである『西部警察』では、鑑識のロクさんの専用車として登場した。
  5. スタンザFXのCMキャラクターは、3代目サニー以来となる関口宏が務めていた(但し「FX」のサブネームが付いた前期モデルのみ)。

T12[編集 | ソースを編集]

  1. オースターがデビューして8ヵ月後にスタンザがデビュー。サブネームが取れて元の「オースター」と「スタンザ」に戻った。
  2. ボディタイプは4ドアセダンとユーロハッチというサブネームが付いた5ドアハッチバック。
    • ユーロハッチが設定されたのはオースター。スタンザは4ドアセダンのみ。
  3. プリメーラの源流ということで今でこそプリメーラファンに人気があるが、当時はT11並みの不人気車。
  4. 結局両車が統合されプリメーラが誕生。オースターとスタンザの名は消滅した。
    • でも北米ではスタンザだけ残り日本でのスタンザの消滅から3年後にアルティマに替わった。
      • プリメーラは、「オースターの後継車種」であり、スタンザは統合していないはずでは…(スタンザはローレルスピリットと統合して、プレセアになりました)。

クルー[編集 | ソースを編集]

K30[編集 | ソースを編集]

  1. ローレルとセドリックのニコイチである。
    • 先代のコンポーネントの流用。つまり基本設計は25年以上前・・・
  2. RB20Eを積んでいたり、ベースがCA18を積んでいたりするので、RB26DETTやSR20DETが積まれたりした。
    • いまや珍しい5ナンバーサイズのFR、MT付き。
      • 実は一般向けにクルー・サルーンが発売されたことがある。C34以降のローレルがボディサイズのインフレ化で3ナンバー化されたことと5ナンバー志向が依然として強いC32までのローレルユーザーを狙ったものだったとか。
      • それゆえに走り屋のネタにされたこともあったが、マイナーすぎて大きな支持は得られなかった。
      • パトカー仕様車も存在した。
      • 教習車仕様も。
        • でも教習車仕様は、ほとんど見かけなかったなあ。
  3. コンフォートより先に登場したのにコンフォートに敗北。製造中止。
  4. 「クルーに乗るー」なんて、深夜4時に思いついたとしか思えない企画をやった自動車雑誌がある。
  5. タクシーを考慮したので左後ドアが右に比べて大きい。
  6. フロントスタイルは、なかなか上級小型車のような雰囲気だったけど、リアはちょっとね(まるでN14型パルサーセダンのようだったし)…。
    • せめて、三代目ローレルセダンか、初代ラングレーのようなリアスタイルだったら、もう少し長く生産されていただろうなあ。

サニー[編集 | ソースを編集]

B10[編集 | ソースを編集]

  1. 当時人気を博していたトヨタのパブリカに対抗して生まれた小型大衆車である。
    • しかし、デビューの数ヶ月後、トヨタがカローラをデビューさせた為に、そっちをライバルに変更した。
  2. 車名は一般公募で決まったという。
    • 魔法使いは改名させられたがこっちはサニーのまま残った。
  3. CS戦争のS。
  4. デビュー当初は、1000ccの2ドアセダンだけだったが、後に4ドアセダン、クーペ、ライトバン、ピックアップ、1200も加わり、ワイドバリエーションとなった。
  5. さいとうたかを原作の漫画作品であり、1972年に東映制作で特撮実写ドラマ化して日本テレビ系で放送された『超人バロム1』では、バロム1の愛車であるマッハロッド(Bタイプ)として登場した(ベースはピックアップだったそうな。ちなみに、Aタイプのベース車はZのサブネームが付く前のダットサンフェアレディSP311だった)。

B110[編集 | ソースを編集]

  1. 当時放送されたCMのキャッチコピーは、「最大のライバル」だったカローラを意識したのか、「となりのクルマが小さく見えます」だった。
    • その頃からトヨタとのライバル関係が激しかったのだろう。
  2. ここから派生したサニー・トラックは、海外向けを含むと2008年まで37年も作られていた隠れた名車である。
    • 国内向けも1994年まで売られていた。
  3. クーペのGX-5はモータースポーツで大活躍した。
    • モータースポーツの世界では、初代のスターレットクーペをライバルにしていたような気がする。
  4. この代から、高級スポーティー路線の「エクセレント」が登場した。
  5. ミニチュアカーでは、ダイヤペット、モデルペット、トミカでもモデル化され、特にダイヤペットでは4ドアセダン、クーペとも、モデルペットでは上級仕様のエクセレントのクーペが唯一モデル化された(ちなみにトミカはクーペのみのモデル化だったが、後年レーシング仕様やリミテッド化もされた)。

B210[編集 | ソースを編集]

  1. この代のエクセレントのクーペは、丸型6連のテールランプが特徴的だった。
    • それ故、「ロケットサニー」というあだ名が付いた。
    • その後、エクセレントは2度の排ガス規制を無事にクリアした後、マイナーチェンジ時に従来の1400から1600へ昇格した。
  2. 同じく、マイナーチェンジ時に先代モデルで好評だったものの、排ガス規制実施とともに姿を消していたスポーツグレードのGX-5が、1400に昇格し、「GX-T」として復活した(従来モデルは1200)。
  3. CMキャラクターは、俳優であり、名司会者でもある関口宏が夫人と一緒に出演していた。
    • エクセレントが1600に昇格したマイナーチェンジ版のCMには、関口氏の父親である佐野周二氏も出演し、親子共演を果たした。

B310[編集 | ソースを編集]

  1. 名車B110の再来と呼ばれた。
    • 但しオイルショック後の排ガス規制の最中なのでエンジンパワーは見劣りする。
  2. 当時サニーを取り扱っていた「サニー店」が新たに上級小型車のスタンザを販売したのに伴い、エクセレントは廃止になった。
  3. エクセレントは廃止になったものの、前期モデルはセダン、クーペともフロントビューが排気量ごとに違っていた。
  4. クーペはかっこいい。
    • 勿論当時の日産ファンの若者にもB310のクーペは人気があった。
    • 個人的に歴代サニーで最も好きなのがB310のクーペ。
  5. CMのキャッチコピーは前期型が、「ひろびろサニー」で、新聞や雑誌の広告では、セダンのフロントビューをアップにした姿がデカデカと映し出されていた。
    • ちなみに後期型のキャッチコピーは、「静かなサニー」だった。
      • 新車当時、ミニチュアカーの代表的なブランドだったダイヤペットでは、この代のクーペが唯一モデル化された。
        • しかし、この代を最後にダイヤペット、トミカともミニチュア化されなくなってしまった(後年、6代目=通称・トラッドサニーのセダンがトミカリミテッドヴィンテージネオでモデル化されたものの)。
  6. この代からステーションワゴンのカリフォルニアが追加される。
    • ライトバンと異なるボディだったのも印象的だった。
      • しかもB12までバンとは別のボディであり続けた。
  7. 最後のFRサニー。

B11[編集 | ソースを編集]

  1. 遂にFF化。
  2. FR時代同様設定されたクーペがマイチェン時に消滅し代わりに2BOXの3ドアハッチバックが設定された。
    • 当時サニーのライヴァルで3ドアの2BOXが大人気だったマツダ・ファミリアに対抗したため。
    • 最もサニーのクーペもB210以降はハッチバックになっていた。ちなみにB10とB110のクーペはファストバックだが独立したトランクを持っていた。
  3. CMキャラクターは、女優の松坂慶子が務めており、マイナーチェンジ、3ドアハッチバック追加時には、俳優の時任三郎も加わった。
    • それにしても、二人が共演したCMは、「特撮ドラマ仕立て」で、とてもカッコ良かった。

B12[編集 | ソースを編集]

  1. 別名、トラッドサニー
  2. 4ドアセダン、3ドアハッチバック、ワゴンのカリフォルニアとも、直線基調のシンプルなスタイリングがウリだった。
    • 当時の日産車は、直線基調の車種が多かったような気がする(例・Y30型セド/グロ、U11型ブルーバード、C32型ローレル、R31型スカイライン等)。
  3. CMのBGMに流れていたのは、ビートルズナンバーが多かったような気がする(サニーが誕生した年に、ビートルズが来日した事が由来らしい)。
  4. マイナーチェンジ時に、3代目のエクセレントの後期型に設定されていた1600がツインカムエンジンを得て復活し、それと同時にフルオート・フルタイム4WDも追加された。
  5. この代がデビューした翌年、先代のマイナーチェンジ時に途絶えていたクーペが、「RZ-1」のサブネームで復活した。

B13[編集 | ソースを編集]

  1. 現行型(2014年現在)
  2. 伊丹十三がCMで「これは高級車」だと言っていたが、無理があっただろう…。
    • 陣内孝則が運転しながら、ハイテンションで歌を歌うCMも印象的だった。
  3. 後期型のCM曲「トクだね音頭」が何故か流行った。
  4. ここから4ドアセダンのみとなった。
    • クーペは、「NXクーペ」として独立した為。

B14[編集 | ソースを編集]

  1. 前期と中期/後期でデザインが違う。(特にリア)
  2. 後期型にはCMにランディー・バースが出ていて、買った虎党が多かった…のか?
    • 多かったかどうかはしらんけど、買い替えの時にそのことを以ってこれにしようと最終的に決断した人間はここに居る。結構運転しやすいし、自分はAT車には乗られへんから、重宝してます。
  3. この代より、先代では途絶えていたクーペボディが、「ルキノ」として独立。
    • ルキノクーペは、2代目(B110系)以来となる、「独立したトランク」を持ったクーペになった。
    • そのルキノは後に3ドアハッチバックも加わり、「パルサーの兄弟車」になった。

B15[編集 | ソースを編集]

  1. 地味の一言に尽きる。
  2. B12型をイメージしたような、直線を基調にしたデザインが○。
  3. そんな中地味にスポーツモデルがあったりした。
  4. R34を生産していた時期だけあってボディ剛性が強かった。
  5. 上級クラスとして、1.8リッターも設定されていた。

シルフィ[編集 | ソースを編集]

B17[編集 | ソースを編集]

  1. 車名的にはブルーバード系、形式的にはサニー系、オーストラリアにしてみればパルサー系。
  2. 最近流行りのLEDアイライン型ポジションを日産で初めて搭載した車。
  3. ラティオの絶版で日産最小のセダンの座に。
    • ティアナが消えたのでこの上のクラスはスカイラインという事実。値段が倍近い。
  4. 発売以来完全に放置されている。自動ブレーキすらない。
  5. 生産終了から1年は経つのにまだ在庫があるらしい。まだホームページに載っている。

セドリック・グロリア系列[編集 | ソースを編集]

A30 グロリア[編集 | ソースを編集]

  1. この代より、日産ブランドとなり、セドリックと部品の共用化も図られた。
  2. 丸型縦4灯のヘッドライトが特徴的で、「縦目のグロリア」と呼ばれて親しまれていた。
  3. 東映制作の『仮面ライダーシリーズ』(主に「ストロンガー」までの昭和第一次シリーズ)では、敵組織の車として登場していた事も忘れ難い。
  • プリンス自動車時代からスカイラインとともに、昭和期の日産ディーラーの象徴的な存在である「トリコロール看板」時代には長きにわたって、一番上にあたる赤地の部分に表示されていたものの、末期の白看板時代には一時期スカイラインの下に表示されたのも束の間、やがて多くのチェリー店がプリンス店に吸収されると、従来グロリアが表示されていた位置にパルサーが入ってしまったのは、少し気の毒だった。

230[編集 | ソースを編集]

  1. この型からセド・グロが同じ車になった。
  2. ライバルのクラウンから遅れる事約3年、この代よりスポーティーな2ドアハードトップが追加となった。
  3. 刑事ドラマとかで何かと爆破されてるイメージ。
    • 「刑事ドラマの230、(東映)特撮の(ブルーバード)510」は、はっきり言って「カークラッシュの名物」だと思ったのは、ひょっとして私だけだろうか?
  4. 実は唯一クラウンより売れた。
    • 新車当時のミニチュアカー化は、トミカではセダン(香港製だった為、少量生産だった)とワゴンが、ダイヤペットの標準スケールではセダンと2ドアハードトップが、30分の1スケールのビッグサイズでは後期型のセダンがリリースされた。
      • 実はこの代のグロリアも、2ドアハードトップがダイヤペットの標準スケールでリリースされている。
      • 他にも、ダイヤペットチェリカでは2ドアハードトップが、モデルペットでは4ドアハードトップ(新車当時の唯一のモデル化)、トミカダンディではワゴンがリリースされた。
        • ダイヤペットチェリカでは前述の通り、2ドアハードトップのみのモデル化だったので、現実ではあり得ないこれをベースにしたタクシー仕様が発売された。
    • 日本初の4ドアハードトップがマイナーチェンジ時に追加されたのも大きかったと思う。
      • この時、セドリックのCMキャラクターに起用されたのが俳優の二谷英明氏であり、彼は以後も4代15年に渡ってCMに出演し続け、「二谷英明=セドリック」というイメージが定着した。
      • ちなみに、前期型のCMキャラクターは、歌手の菅原洋一氏が実の娘と一緒に出演していた。

330[編集 | ソースを編集]

  1. 暴走族御用達。
  2. 見た目も重いが実際に重くて走らない。
    • 排ガス規制後のL20にATなんて..
  3. 実はこの型も、『西部警察』では結構「クラッシュの対象」になっていた印象が強い。.
  4. 新車当時のミニチュア化は、ダイヤペット、トミカ、トミカダンディで前期型のセダン(どのモデルもセドリック)がリリースされたが、ダイヤペットでは、このクラスでは珍しい4ドア開閉を採用していた。
    • トミカでは、このタイプのライトバンが、「グロリアバン」として登場した(後年、JAF仕様としてリミテッド化もされた)。

430[編集 | ソースを編集]

  1. 先代からは想像できない直線基調。
  2. この代より2ドアハードトップが廃止となった。
  3. 日本初のターボ搭載車。
    • 同じくこれも日本初の6気筒ディーゼルも忘れないで。
  4. 実はこの代のセダンも、『西部警察』(主にPARTⅡ以降)では、タクシー、営業車崩れの廉価版に限り、よく「クラッシュの対象」になっていた。
  5. かつてフジテレビ系列で放送されていた東映制作のアクションドラマ『スケバン刑事Ⅱ~少女鉄仮面伝説~』では、吉沢秋絵演ずる矢島雪乃のお抱え運転手の車として、この代の後期型セダンが登場した(グレードはバンパーの大きさから、おそらくブロアム系だと思う)。
  6. 実はこの代以降、グロリアはトミカではモデル化されず、新車当時のグロリアのミニカーは、小スケールではY34型のリリースまで待たなければならなかった(ちなみにダイヤペットでもグロリアのミニカーは、330・430系ともモデル化されなかった)。

Y30[編集 | ソースを編集]

  1. Y31以降にモデルチェンジ後も、ワゴン/バンは1999年までこの型で生産されていた。
  2. 直6のL20から、RBではなくV6のVGにモデルチェンジ。
    • 日本初、OHC・V型6気筒エンジン。
    • ちなみにRBエンジンは翌年の昭和59年に出たC32ローレルで初搭載。
    • マイナーチェンジより1年前、Z31型フェアレディZや、F30型レパード(TR-Xも含む)に搭載されていたV6・3リッターターボ搭載車が追加された。
    • ディーゼルのRDは載った。
  3. この代を以て、230後期型よりセドリックのCMキャラクターを務めていた二谷英明氏が卒業した(4代15年にわたるCM出演は、当時の自動車のCMでは最長らしい)。
    • テレビ朝日系で10年放送され、スポンサーが日産自動車で二谷氏が主演を務めた刑事ドラマの『特捜最前線』も、セドリックがY31型にフルチェンジした3カ月後に放送を終了している。
    • 『西部警察』(主にPARTⅢ)では、中級グレードである4ドアハードトップのV20ターボSGLが「破壊されない黒パト」として結構登場していた。
      • そして番組終了後、それらの多くは、後番組の『私鉄沿線97分署』や『特捜最前線』、『あぶない刑事』に登場していた。
  4. 新車当時、ミニチュアカーのトミカダンディ(標準スケール版)では、珍しい事に2リッターの4ドアハードトップV20ターボブロアムがリリースされた(普通、人気車種の場合、ミニチュアカーとしてリリースされるのは最上級グレードの車種が選ばれる筈だが…)。
    • なお、少量生産だったが、トミカダンディでは、グロリア版も発売されていた。
    • 「グロリアのミニチュアカー」は、この代がダイヤペットでは230型2ドアハードトップ以来となるモデル化となり、久々にセド/グロの「両車揃い踏み」が実現した。
    • トミカでは、230型2ドアハードトップ(グロリア)以来、ようやく4ドアハードトップ(セドリック)がリリースされた。

Y31[編集 | ソースを編集]

  1. 「グランツーリスモ」グレードはこの代で登場。
    • セダンもあったのよ
  2. マイナーチェンジで5速ATが追加されたが、なぜかY32以降は4速に戻されている。
  3. 2010年現在も生産されている営業車向けのモデルはこの代がベース。
    • しばらくは営業車向けもセドリック・グロリア両方が生産されていたが、ルノー傘下に入った頃にセドリックに統一された。
    • タクシー用は「セドリック営業車」が正式な車種名だった。車名に漢字が使われる車種って日本車でもこれくらいでは?
      • その「セドリック営業車」は、東映制作でTVシリーズとしては11年振りに復活した『(平成以降の)仮面ライダーシリーズ』第1作目の『仮面ライダークウガ』では、白黒パトカーとして登場し、グロンギ族の怪人に攻撃・破壊されていた(他社制作でジャンルは違うが、『西部警察』ほど派手ではないとはいえ)。
  4. 当時のミニチュアカーの代表的なブランドだったダイヤペットでは、前代に続いてセドリック、グロリアの両車種がモデル化された。
    • 「セドリック=ブロアム」、「グロリア=グランツーリスモ」という作り分けは面白かったが、金型がセドリックと同一だった為、何故かグロリアの方もブロアム系と同様、3ナンバーボディだった(笑)。
  5. この代の4ドアハードトップをベースに作られたモデルが、後述の「シーマ」である。

Y32[編集 | ソースを編集]

  1. グラツー系の丸目4灯が個性的。
    • 4灯にしてないのもある。その場合一目でずばり言うと・・・ダサい。
  2. この代から、4ドアセダンはY31系が継続生産になり、4ドアハードトップは3ナンバー専用の1ボディになった。
    • おそらくセダンが前モデルのままになったのは、タクシーやパトカーの需要の為ではないかと思う(5ナンバー車を残すという事で)。
  3. テールランプは、ベンツを意識したのだろうか?
  4. この代も、Y30系から3代連続で、ダイヤペットでセド/グロともモデル化されたが、今度は「セドリック=グラツー」、「グロリア=ブロアム」だった為に、グロリアのフロント周りがマイナーチェンジ後の後期モデルのように見えた(笑)。
    • この代も「Y31」同様、同じ金型で作っていたのだから、仕方ない事だと思う。

Y33[編集 | ソースを編集]

  1. Y32と何が違うのかって言うと、間違い探しのレベル。
    • グリルが違う! ウインカーの位置が違う! 一目瞭然だ! と喚く人がいたら、生暖かく見守ってください。
    • でもマイナーチェンジと言うに相応しい無難(保守的)な代替わりで、あまり悪評は聞かなかった。
    • 丸みを帯びた分、だいぶ優しめになった印象はあるけどなあ。
      • 並べてよく見比べればね。個人的な話で恐縮だが、うちの実家のほうにY32、33、34が並んでる駐車場があったので、一目でわかるようにはなった。
        • 非グランツーリスモは輪をかけて一層ダサくなった気がする。
  2. 新車当時、ミニチュア化されたのはトミカでもダイヤペットでもなく、ミニチュアカーに進出したばかりのエポック社製のM-TECH(エムテック)だった。
    • なお、2023年現在、リミテッドヴィンテージネオも含めたトミカシリーズでは、唯一モデル化されていない(ちなみに同じ日産車では、スカイラインが初代から最新型まで全代モデル化されている)。

Y34[編集 | ソースを編集]

  1. 32と33の違いが間違い探しレベルだったからか、スタイルをガラリと変えた。
    • が、これがもうとんでもない大不評。
    • そしてついにプリンス自動車から始まったセドグロは、お家断絶となってしまった。後継車種はフーガ。
      • プリンスが作ったのはグロリアだけだ。
        • プリンスがグロリアを作らなかったらセドリックだってないのだから、セドリックの親もプリンスっていう意味ね。
          • それは間違い。セドリックは日産がノックダウン生産をしていたオースチンの後継車。グロリアとは無関係に誕生した。
  2. 発表~発売時期がゴーンの社長就任の頃なので、ゴーン体制下での開発とは言えない。
    • 要するに日産が完全に落ち目な時に開発してたということで、出来はお察しください。
    • 大排気量の車種としては、初のCVTとか載せてみたりしたんだけどね。
      • ATと約50万円差・・・、日産の商売下手さんめ。
      • そのCVTにトラブルが多いのも不人気の理由。
    • ただ乗ってみるとそんなに悪い車ではない。
  3. 新車当時は、セド/グロ両方とも同一ボディがトミカからリリースされた。
    • 標準スケールではかつて、230型2ドアハードトップがダイヤペットから、Y30型4ドアハードトップが、ダイヤペット、トミカダンディからリリースされた事があったが、トミカ(小スケール)では初めてだった。
      • 後年、トミカリミテッドヴィンテージネオでは、230系以降も、セド/グロ両方ともモデル化されるようになったものの…。
  4. (2013年現在)価格がこなれたのとレクサスを始め直線基調なセダンが人気なためか、カスタム界隈では爆発的に人気が出てきた。どうやら時代を先取りしすぎていたようである。
  • 歴代のセドリックの通常トミカでは、パトカー、タクシー化されたのが、330型のエアポートタクシーのみで、ライバル車のクラウンと比べて、あまり特殊車両化には恵まれていなかったような気がする(後年、トミカリミテッドヴィンテージネオでは多くパトカー化されたものの…)。
      • これに対しダイヤペットでは、セドリック/グロリアとも、多くのパトカー/タクシー仕様がリリースされた。

Y31 シーマ[編集 | ソースを編集]

  1. 今の若い人はセドリックシーマ、グロリアシーマだったなんて知らないんだろうな。
  2. 凝ろうとしたらY31セドリックの発売に間に合わなくなった。
  3. そのおかげか別格感が醸しだされて大ヒット。
  4. トヨタを慌てさせためずらしい一台。
  5. フロントのエンブレムがホタテにしか見えない。
  6. VG30DETパワーでケツを下げながら爆走する姿に憧れるシーマ現象なるブームがあった。
  7. 女優の伊藤かずえが1990年に新車で購入してずっと乗り続けている。2019年2月現在の走行距離は26万3千km。エンジン1回、足回り3回交換済み。本人は40万kmまで乗るつもりだとか。
    • 彼女が「免許返納」か、それ以降は娘に譲るつもりでいるらしい。
  8. 新車当時は、ダイヤペット、トミカでモデル化されていたが、ダイヤペットは標準スケール(40分の1スケール)では販売されず、一回り大きな30分の1スケールで販売された。
    • おそらく、Y31型のセド/グロよりも高級、割高感をアピールする為に、大スケールだけでリリースされたのだろう。
    • そのダイヤペットのミニチュアカーは、ディーラー用のカラーサンプルか、或いは購入したユーザーへのプレゼントか、カラーバリエーションが全てディーラーに展示されていた(ちなみに、通常市販用はメタブルーとパールホワイトの2色だった)。

Y32 シーマ[編集 | ソースを編集]

  1. 結構キープコンセプト。
    • 形状が4ドアハードトップからセダンに変わったのだから、充分にフルモデルチェンジだと思う。
    • 4.1㍑V8なのは、初代のターボパワーをNAで出そうと思ったらこれぐらい必要だということでこうなった。
  2. ジャガーっぽいのは禁句!!
  3. ここから普通のセダンになった。
  4. ボディが大きかった割には、やけにテールランプが小さかったような(当時のY32型セド/グロを意識したのか)…。

Y33 シーマ[編集 | ソースを編集]

  1. 一番有名なのはこの人の愛車ではなかろうか。
    • めちゃイケの企画で本人に内緒でオープンカーに改造された。
      • 番組の最後に「フィクションです」と出ていたし、そのオープンカーには本人の愛車に搭載されているエアロが無かったので、あくまでも番組内での出来事である。

F50 シーマ[編集 | ソースを編集]

  1. いろんな車種に大人気!ガトリングヘッドライト。
  2. MCでリアがフーガっぽくなった。そのころ全くと言っていいほど売れていないなのでそれはそれはレアな車。
  3. 意欲作だったけど、セルシオの壁が分厚すぎた・・・。

Y51 シーマ[編集 | ソースを編集]

  1. ハイブリッド専用車として復活。V8エンジンを捨てV6+ハイブリッド化で吉と出るか凶と出るか。
  2. そして三菱でもディグニティの名で売られている。こちらはプラウディア(フーガ)と違い、ハイブリッド専用車である。

セフィーロ[編集 | ソースを編集]

A31[編集 | ソースを編集]

  1. プロジェクターヘッドライトは時代を先取りしすぎた。
  2. いうなればスカイラインセダンのようなものである。
    • 「シルビアの脚周りにスカイラインのエンジン」って言ってた。それならスカイライン買えよ、とも言ってた。
    • スカイラインは元々4ドアモデルがあるから、どっちかというとシルビアセダンだと思う。デザイン的にも。
    • いや、どちらかといえばA31登場後にデビューした新型ローレル(C33型)が4ドアハードトップのみの設定だったから、「こちらはセダンで…」という事だったのだろう(シルビアとは車格が違うし…)。
  3. R32のパーツが色々流用出来ることが分かるといきなりフィーバーした。
  4. CMキャラクターは、フォーク歌手の井上陽水が務め、下記の言葉をキャッチコピーとして使っていた。
    • くうねるあそぶ
    • 皆さぁん、お元気ですかぁ?
      • このフレーズが後々大問題になるとは誰が予想しただろう。
  5. この車の登場と同時に、日産ディーラーの看板が従来のトリコロールカラーから白一色になり、それと同時に3車種表示から2車種に変わった(ちなみに一番上は企業のCIロゴとメーカー名のローマ字表示)。
    • 当然、日産店単独のディーラーでは、ブルーバードの下にセフィーロが表示されていた。

A32[編集 | ソースを編集]

  1. マキシマをとり込みFFになった。
    • 当然走り屋からそっぽを向かれた。
  2. 「スウィート・セフィーロ」と銘打ったCMをやたらと流していた。
    • メインターゲットが夫婦だったからね。
  3. ワゴンもあった。
    • セダンがA33にモデルチェンジした後もワゴンは生産終了までA32が生産され続けた。
  4. セフィーロの中では一番売れた。

A33[編集 | ソースを編集]

  1. 街で見るとでっかいG10シルフィにしか見えない時がある。
  2. 2L車に5MTの設定があった。
  3. 今までちょっと上質な大衆車路線で売ってたがこの代から高級車路線に…。
  4. ここでまた4ドアセダンのみに戻った。

ティアナ[編集 | ソースを編集]

パンツめくれっ!(違
  1. 可愛らしい名前だが、立派なオヤジ向けアッパーミドル。
  2. 形式的にはマキシマの後継。あながち間違ってない気はする。
  3. この車には黒よりアイボリーや白系の内装の方が似合うと思う。

J31[編集 | ソースを編集]

  1. インテリア重視らしい。エクステリアも割と洗練されてる。
    • ただそのインテリアもプラスチッキーな木目調インパネとか、何か「ん?」と思う。
    • デザイン重視なので、座り心地や居住性など、実用性に劣るように思える。
  2. 妙に豪華な助手席装備。財布の紐を握っている奥様対策だとか。
    • オットマンはその後もベースグレードを除いて標準装備され、コンセプトがしっかりと継承されている。
      • なお後席はシルフィの方が広い模様。パワーシート機構の大きさのせいもあるが。
  3. 4WDもあるが、動力・伝達系をエクストレイルから流用している。

J32[編集 | ソースを編集]

  1. 先代がいまいち垢抜けず迫力不足だったためか、結構イメージが変わった。
    • 見た目はだいぶ精悍になった。先代はちょっとでかいシルフィってイメージだったし。
    • ヘッドライトの形も全然違うし、LED式テールライトもオシャレかなと。
  2. こんな奴と比べて申し訳ないが、デザインが中国車みたい。
  3. テールランプの形のせいでトランク開口部がやたら小さく見える。実際そんなことはないだろうけど。

L33[編集 | ソースを編集]

  1. とうとう北米アルティマの完全な姉妹になった。
  2. A33セフィーロ時代と同様、シルフィとそっくり。
  3. アメリカではセントラ(日本でいうシルフィ)より売れていたりする。
  4. マイナーチェンジでセントラと共にマキシマみたいなイカツい顔(Vモーション)になってた。
    • これでマキシマがいうようなスポーティな走行性能になってれば尚いいんだが・・・
  5. 正直オットマンより8Wayパワーシートの方が付いてると嬉しくなる。
  6. パトカーとしての採用が始まった(捜査用もパンダも)
  7. 日本仕様はL34形にモデルチェンジせずに車種廃止。中国仕様はL34形アルティマにモデルチェンジし、ティアナの車名は消滅した。

バイオレット・バイオレットリベルタ・リベルタビラ[編集 | ソースを編集]

  1. 初代はブルーバード系列、2代目・3代目はオースター・スタンザ系列、4代目・5代目はパルサー系列。

710[編集 | ソースを編集]

  1. 510ブルーバードの後継車として登場。
    • サニーと610(ブルーバードU)とのギャップを埋めるために登場。
    • 型式名から判るが、ブルーバード系列の1モデルと考えるべき。
      • ブルーバードのスポーツグレードである「SSS」も設定されていたからね。
  2. バイオレット・バイオレットリベルタ・リベルタビラを1つの車種と考えれば初代。
  3. この車のCMキャラクターを務めていたのが、「仮面ライダー1号・本郷猛」こと、藤岡弘、だった。
  4. 地方では、この型をベースにしたタクシーがブルーバードのタクシーと並行してよく走っていたなあ。
  5. 登場当初は、セダン、ハードトップともファストバックスタイルだったが、「後方視界があまり良くない」という事で、2度目のマイナーチェンジでセダンはノッチバックスタイルに改められた(事実上のビッグマイナーか?)。
    • この時点で、2ドアセダンが廃止になった。
  6. 実はこの代のみ、チェリー店でも取り扱っていた。
  7. 新車当時のミニチュア化は、ヨネザワのダイヤペットが大スケール版(1/30スケール)と小スケール版のチェリカシリーズでいずれもハードトップがリリースされたものの、主力である標準スケールではリリースされなかったのは残念である。
    • 後年、トミカリミテッドヴィンテージネオでは、最初期の4ドアセダンが、コナミの食玩シリーズである「絶版名車コレクションVol.6」ではハードトップがそれぞれリリースされた。
      • プラモデルでは、新車当時はレーシング仕様も含めて人気があったんだけど…。

A10[編集 | ソースを編集]

  1. ブルーバードから独立、独自の形式名を与えられた。
    • 登場と同時に兄弟のオースター、3ヵ月後にもう1つの兄弟・スタンザが登場。
      • オースターがスポーティーカー、スタンザがラグジュアリーカーだったため、バイオレットはファミリーカーになってしまった。
      • この代の4ドアセダンとライトバン(スタンザには未設定)は、何となく510型のブルーバードに似ている。
        • 「SSSグレード」の廃止やタクシー仕様の未設定など、「ブルーバード離れ」をアピールしたものの、結果は…(笑)。
  2. この代より、従来のハードトップに代わり、「オープンバック」と呼ばれる3ドアハッチバックが設定された。
    • マイナーチェンジの翌年、5ドアハッチバックが追加され、次期型のバイオレットリベルタにも引き続き設定された。
  3. 石原プロ制作の刑事ドラマ『西部警察』の「全国縦断地方ロケシリーズ」では、中古のセド/グロほどではないが、クラッシュの対象になっていた(静岡ロケではライトバンが、鹿児島ロケではセダンが犯人車両として登場し、いずれもクラッシュ後、爆発炎上している)。
  4. バイオレット・バイオレットリベルタ・リベルタビラを1つの車種と考えれば2代目。

T11[編集 | ソースを編集]

  1. この代で名前に「リベルタ」が付いた。
    • 但しわずか1年でパルサー系列に移行した。
      • この代より新たに設定された1800ccの登場で、ブルーバードと車格が被ってしまったのが、バイオレットリベルタの廃止、及びパルサークラスへの(現在でいうところの)ダウンサイジングにつながったのだろう。
  2. バイオレット・バイオレットリベルタ・リベルタビラを1つの車種と考えれば3代目。
  3. 登場回数は少なかったものの、松竹制作、ABCテレビ系で放送されていたアクションドラマ『ザ・ハングマン2』では、悪人の車として、赤い5ドアハッチバックが登場した。
  4. かつての日産ディーラーのシンボル的存在だったトリコロール看板では、取扱店の日産店(ブルーバード販売会社)は、「車名が長い」事もあり、サブネームの「リベルタ」と略して表示されていた頃もあった(「リベルタビラ」が登場する前のほんの短い間だったが)。
    • この件に関しては、後述のローレルスピリットと同じ理由である。

E-HN12[編集 | ソースを編集]

  1. この代で名前から「バイオレット」が取れ、「ビラ」が付いた。
  2. オースター・スタンザ系列からパルサー系列に変更。
    • この車が設定された理由は、日産店の看板車種的な存在だったブルーバードとバイオレットリベルタが、FRとFFの違いがあるとはいえ、セダンは車格が丸かぶりだったから、バイオレットリベルタを廃止して、その代わりにパルサークラスの大衆車でカバーしようという事で誕生したという話を聞いた事がある。
  3. バイオレット・バイオレットリベルタ・リベルタビラを1つの車種と考えれば4代目。
  4. この車のCMキャラクターは、かつて初代レパード(F30型)の加山雄三と6代目ブルーバード(910型)の沢田研二が務めていて、「日産店(ブルーバード販売店)初の大衆車」ということで、CMでは「僕達の新しい仲間をよろしく」と言っていた。
    • そういえば、この車のイメージカラーは沢田氏がCMキャラクターを務めていた910型ブルーバードと同様、「赤/黒ツートン」だったなあ。

E-BEN13[編集 | ソースを編集]

  1. この代を最後に消滅。
    • この代より新たに3ドアハッチバックが設定されたものの、1990年8月、パルサーのフルモデルチェンジに伴い、ラングレーとともにパルサーに吸収される形で消滅。
  2. ラングレーが「スカイライン・ミニ」だったのに対し、リベルタビラが「ブルーバード・ミニ」で売り出していたような気がする(ブルーバードのスポーティーグレード名だった「SSS」も設定されていたし…)。
  3. バイオレット・バイオレットリベルタ・リベルタビラを1つの車種と考えれば5代目。

パルサー系列[編集 | ソースを編集]

  1. やたら兄弟がいた。
    • ラングレー、リベルタビラ、ルキノ…。
      • エクサ…
      • リベルタビラはオースターやスタンザの兄弟が名前を変えてパルサーの兄弟になったもの。
  2. リベルタビラはバイオレット・バイオレットリベルタ・リベルタビラの節を参照。
  3. 前身車種名はチェリーだったが、英俗語で×××の意味であったためにMCに乗じて改名し、パルサーになった。
  4. 小型のキャブオーバー型のライトバンとトラック(チェリーキャブ)は、後継車であるバネットのサブネームが付いた後も、しばらくは「チェリー」の名前が残っていた。
    • しかし、日産店が「バネット第3の兄弟」であるダットサンバネット(但しこちらには、トラックの設定はなかった)が登場した時、チェリー店がなく、日産店に統合された地域では、チェリーバネット、及びその上級仕様であるチェリーバネットラルゴは、サブネームが正式な車名に昇華するまで、取扱いがなかった。
    • それでも販社の社名「日産チェリー〇〇」としては、レッドステージ移行まで存続した。ただし通称としては「パルサー販売会社」と称していた。
      • 岩手には今でも残っている。

チェリーF-Ⅱ[編集 | ソースを編集]

F10[編集 | ソースを編集]

  • チェリーの2代目であるが、後継車がパルサーなので一応ここで扱う。
  1. 「F-Ⅱ」のサブネームが付き、先代モデルの1000/1200から、1200/1400にスケールアップし、それと同時にボディも大型化した。
  2. マイナーチェンジ時、クーペのイメージカラーをイエローに設定し、CMのキャッチコピーは「黄色いチェリー」と、ボディカラーを前面にアピールした。
    • 当時、日本を代表するミニチュアカーのブランドだったダイヤペットでは、この代のクーペが前後期ともモデル化された。
      • 当時のミニチュアカー(主に標準スケール)で、大衆車クラスが前後期ともモデル化されるのは、とても珍しい事だった(ダイヤペットで大衆車クラスが前後期ともモデル化されるのは、チェリーF-Ⅱ以降では、初代カローラⅡか、同じく初代シティターボくらいなものか?)。

パルサー[編集 | ソースを編集]

N10[編集 | ソースを編集]

  1. 上記のチェリーF-Ⅱの後継車としてデビューした。
    • デビュー当初は、4ドアセダンのみの設定だったが、後に3ドアハッチバック、クーペ、5ドアハッチバック、ライトバンも追加された。
  2. 上述のボディが追加されるまで、旧チェリーFⅡのクーペ、ライトバンも併売されていた。
    • そういえば、クーペが追加された時、イメージカラーは「黄色」だったが、これはもしかして、旧チェリーF-Ⅱ後期型のクーペを意識していたのだろうか(外見上もチェリーF-Ⅱクーペの面影が少し残っていたし…)?
  3. デビュー当時のCMキャッチコピーは、「パルサー・ヨーロッパ」だった。
  4. 初代モデルは「FF2ボックス」を売りにしており、4ドアセダンでありながら見た目はハッチバックのようだった(バックドアではなく、小さなトランクが付いていた)。
    • その4ドアセダンも、5ドアハッチバックの追加で存在感が薄くなり、マイナーチェンジ時に廃止になってしまい、次の代のN12型で兄弟車のリベルタビラが登場すると同時に「サルーン」として復活するのを待たなければならなかった。

N12[編集 | ソースを編集]

  1. 2代目は、「先進のFF国際車」を目指していたそうだ。
    • CMキャラクターは、前期型が世界的デザイナーの森英恵と、ミュージシャンの桑田佳祐およびサザンオールスターズが起用され、キャッチコピーは、「ファンタスティック!NEWパルサー」(声も桑田佳祐)だった。
    • ちなみに後期型のCMキャラクターは、俳優の中村雅俊であり、CMソングも『揺れる瞳』、『パズル・ナイト』、『夢一途に』がCMソングとして使われ、当時の彼のコンサートツアーにも冠スポンサーとして車名が使われたほどである。
      • 更に彼が主演した刑事ドラマである『誇りの報酬』でも、彼が歌う挿入歌の『日付変更線』もパルサーとのダブルタイアップのシングルになった。
        • 後期型のCMは、車のイメージカラーを黄色に設定していたが、これはもしかしたら、パルサーの先祖的な車種だったチェリーF-Ⅱ(後期型)の「黄色いチェリー」を意識したものだろうか?
          • そういえば、この代の最上級グレードはミラノ「X1」だったから、間違いなくチェリーを意識していたと思う。
  2. ボディタイプは3/5ドアハッチバックと、クーペが用意され、クーペにはサブネームの「EXA(エクサ)」が付けられた。
    • 後に「リベルタビラ」の兄弟車であり、初代前期モデルに設定されていたセダンが、「サルーン」の名で復活した。
  3. この代から、前年にFFにフルモデルチェンジされたサニーと車格が同じになり、「事実上の兄弟」になってしまった。

N14[編集 | ソースを編集]

  1. 搭載エンジンだけで6種類、ボディ形状は3種類、グレードが10種類あった。何を選べばいいのだろう?
    • この代の5ドアモデルはセダンとして売り出していた。ご多分に漏れず、日本では売れなかった。
  2. この代から、兄弟車のラングレー、リベルタビラが廃止となりパルサーに一本化され、プリンス店、日産店でも取扱うようになった。
RNN14 パルサーGTi-R[編集 | ソースを編集]
  1. GT-Rが復活しなかったら250馬力とも言われていた。
  2. 網みたいなエアダクトが特徴的。
  3. ランエボ、インプ、セリカのライバルになれなかった。
    • コンパクトだけどスーパーフロントヘビー。それが敗因。
      • 冷却系の弱さも忘れてはいけないorz
    • あと箱自体が弱弱だった…。
    • ホイールベースが短すぎたのも一因。
    • タイヤも小さいよ。
  4. 曲がりとかダートよりゼロヨンがやたら速い直線番長。

(J)N15[編集 | ソースを編集]

  1. VZRは史上最強のテンロク…のはずなのにものすごく影が薄い。
    • ホンダタイプRなんて目じゃない200psをSR16はたたき出すし、ボディもがっちりしている。
    • 活躍したのはN1耐久ぐらいじゃないだろうか。
    • 重いボディが足を引っ張った格好。
  2. この代の前期モデルのCMキャラクターは、当時の人気俳優である野村宏伸と鶴田真由が務め、CMソングはザ・スパイダースの往年のヒット曲である「なんとなく なんとなく」が使われた。
  3. ハッチバックにはセリエっていうサブネームが付いた。
    • セリエSR-VというRVチックなのもいた。この時代の流行だね。
  4. 兄弟車、ルキノハッチもこの代から(というかこの代のみ)。
    • もちろんSR-Vも。
      • 「S-RV」の間違いでは…。
        • ちなみにCMキャラクターは、安室奈美恵が務めていた。
    • クーペはここにあてはまらない。
      • クーペはサニー系列。

N16[編集 | ソースを編集]

  1. 馴染みが薄いが欧州専売のアルメーラのこと。パルサーの直径の子孫。
  2. =G10ブルーバードシルフィ。詳しくはそちらへ。

ラングレー[編集 | ソースを編集]

HN10[編集 | ソースを編集]

  1. 大衆車クラスの車種を持たないプリンス店のために、新たに設定されたニューモデルである。
    • その為、パルサーに設定されている1300の設定がなかった。
  2. パルサー3ドアハッチバックをベースに、5代目スカイライン(後期型)のヘッドライトとフロント周りで「スカイライン・ミニ」という愛称だった。
    • そういえばCMのキャッチフレーズは、「スカイラインの神話がミニになった」だった。
    • でもリアのテールランプは、まるで3代目ローレルセダン(後期型)のようだった。
      • 上述にもあるように、「パルサー3ドアハッチバック」をベースにしているためか、あまり高級感、スポーティー性に欠けているような気がする。
  3. 対向車線ですれ違う時、「ラングレーだかスカイラインだかわからない」という奇妙な事実もあったという。
  4. ベースになったパルサーが1982年6月にモデルチェンジした事により、ラングレーも二代目に移行して販売期間は僅か2年と短かったが、プリンス系列店の定番モデルに成長したのは事実であろう。

HN12[編集 | ソースを編集]

  1. このモデルから、従来の3ドアハッチバックに加え、新たに5ドアハッチバック、GTグレード、ターボ、ディーゼルも加わり、走りとともにユーティリティもブラッシュアップした。
  2. 2代目のモデルは、「ミニ・スカイライン」というよりも、「高級なパルサー」というイメージだった。
    • でも、かつてのスカイラインを意識した「ケンとメリーのスカイライン」に倣ってCMのキャッチフレーズを「ポールとポーラのラングレー」にしたり、GTグレードを設定したり、かなりスカイラインを意識したような気がする(外見上はあまり似ていなかったが…)。

HN13[編集 | ソースを編集]

  1. ベースはパルサーだが、「スカイライン・ミニ」の通称通り、丸型テールライトが特徴。
    • この代から新たに加わった4ドアセダンに設定された。
    • 輸出仕様のパルサーに件のテールライトをつけたようなもの。
    • 所詮スカイラインを買えない人のためのクルマ。
  2. ×××××が原因で生産中止になった」という都市伝説が存在する。
    • まさかその人もスカイラインを買えn(ry
    • 日産のメーカーから来た指導員が、ラングレーって○○のせいで生産中止になったんですよね~って普通に話してたので、半ば日産自動車公認の話になっているようだ。
    • 実際には、パルサーを取り扱うチェリー店(パルサー販売)がラングレーを扱う日産プリンスに事実上統合されたのと、意味の無い兄弟車のリストラ策を推し進めていた為に、日産店(ブルーバード販売会社)扱いの兄弟車リベルタビラと共に、売れてるパルサーに統合され消滅。
    • 全国のチェリー店がプリンス店に統合されたとは限らない。新潟、大阪のように日産店に統合されたり、福井、広島、大分のようにモーター店(ローレル販売会社)に統合されたケースもあった。
      • 「昭和の日産ディーラー」の象徴的存在だったトリコロールの看板時代にチェリー店がプリンス店に統合された場合、絶版になる前に一番下の青地の部分に入っていたラングレーの車名は看板から消え、パルサーが代わりに表示されていた(これは日産店に吸収されたチェリー店も同様で、それまで真ん中の白地に赤文字で表示されていた「リベルタビラ」も、この場合は従来一番下の青地の部分に入っていた「レパード」が白地の部分に繰り上がり、従来青地の部分にプリンス店同様、パルサーが表示されていた)。
        • すなわち、チェリー店がプリンス店に限らず、日産店、モーター店に吸収された場合でも、パルサーが一番下に来るようだ(この事は、昭和末期に白一色の看板になっても変わらなかった)。
    • 東京都23区外某所に住んでいた男が乗っていたことで人気がなくなったと言われている。

フーガ[編集 | ソースを編集]

ハイブリッドですが何か?
  1. 風雅…じゃないのがミソ。
  2. 超変身、仮面ライダーフーガ~♪

Y50[編集 | ソースを編集]

  1. セドグロがお家断絶となり、新たにその座を継いだ車種。
    • セドグロ好きがまず思ったこと。何このお値段・・・。
      • クラウン・マジェスタよりはマシかも知れない、って感じな強気の値段設定。
      • おかげでスカイラインに逃げるセドグロオーナーが続出。
  2. しかし実際に近くで見るとものすごい存在感で、Y34よりは好評。
    • 内装やパワーも遜色なく、これでせめてあと50万安ければもっと売れたんじゃないかなぁ・・・・・・。
    • デザインにダマされがちだが、全高が1.5m以上ある。
  3. 日産で初めて280psを突破したクルマ。
  4. レイザーラモンHGの愛車。「フゥー!」・・・か?

Y51[編集 | ソースを編集]

  1. 発売直後、プレジデント&シーマが立て続けに倒れ、奇しくも日産の最高級セダンになってしまった。
    • たぶん規定路線だったとは思う。
    • が、シーマがハイブリッド化で復活し、最高級セダンの座を明け渡した。
  2. 50と比べ、かなりずんぐりむっくりと言うかマッシブ。
    • 個人的には50の方が好きなんだけど、Y34からあまりにも印象が変わったからかね~。
  3. まさかのハイブリットグレード追加。
    • クラウンにもあるんだから不思議じゃないけど。
    • 10・15モードで19km。まあハイブリットじゃない方は10~12kmだから、立派と言えば立派。
  4. なんとシーマ共々三菱にOEMされることに。
    • 三菱では一度消えた「プラウディア」を名乗っている。
    • だが、ハイブリッドグレードは三菱では無し。ディグニティ(シーマ)には逆にハイブリッドしか無いのに…。
  5. スカイライン同様、これもインフィニティ化する事に。

プリメーラ[編集 | ソースを編集]

P10[編集 | ソースを編集]

  1. 90年代前半のFFで最高のハンドリングマシンだろう。
    • ブルーバード、サニーとかつて「日産のスポーティーな小型ファミリーカー」がどんどん大人しくなっていく中で、プリメーラの登場はまさに衝撃的であった。
    • まさに901運動の賜物。コーナーひとつ曲がっただけでその良さが分かったと自動車関係者が語ったらしい。
  2. ヨーロッパも認めたその能力。
  3. レースではカルソニックカラーのJTCCマシンが有名かな?。
  4. トランクがかなり広い。
  5. オースターとスタンザが統合されて誕生した。
  6. 5ドアは英国生産だった。
  7. トミカでは、セダンがようやく通常版、リミテッドともモデル化された(「先祖的車種」であるオースター、スタンザは見向きもされなかったのに…)。

P11[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ではMTモデルが少なかった事もあり、単なるファミリーセダンで終わった気がする。
    • 特に一番パワーのあるSR20VE搭載車がなぜかCVT…。
  2. 海外ではボーダフォンカラーの2台が暴れに暴れまくった。
  3. この代だけサニー店向けの「カミノ」なる姉妹車が存在していた。
  4. ワゴンが追加されたのはここから。
  5. この代の5ドアも英国生産。

P12[編集 | ソースを編集]

  1. デザインが斬新過ぎた。その一言に尽きる。
    • ボディも大型化し、2.5リッターも加わったからね。
  2. 前回の反省から高回転エンジンにMTをつけたが沈没・・・。
    • やっぱりあのデザインのせいだろうか?
  3. 登場時のキャッチコピーは「ITドライビング、はじまる。」だったが、時代を先取りしすぎていた模様である。
  4. この代にも5ドアはあったが、日本には輸入されなかった。
  5. 上記の通り、当時としてもかなり斬新すぎた反面、初代登場前のショーモデルであるプリメーラXとはどことなく似ている気がする。

ブルーバード[編集 | ソースを編集]

  1. ユーザと共に歳をとってしまった。
    • バリバリのスポーツセダン→ファミリーセダン→親父セダン。
  2. 710(初代バイオレット)はバイオレット・バイオレットリベルタ・リベルタビラの節を参照。
  3. BC戦争のB。
  4. ばけものがかりの曲とは無関係。
    • 浜崎の曲とも無関係。
    • 小比類巻かおるの曲とも無関係。
      • 小比類巻版のタイトルを聞いた時、思わず「ボンドカーかよ?」と、突っ込んでしまった。
  5. 長きに渡って、「日産を象徴する車」のように言われていたけど、今は…。
  6. 実はライトバンのみ、日産店の他にモーター店でも扱っていた(後継車のアベニールカーゴ、エキスパートも含めて)。
    • 昭和期の日産ディーラーの象徴的存在だった「トリコロール看板時代」ではモーター店の看板は、稀に一番下の青地の部分にブルーバードバンが入ることもあった。

310[編集 | ソースを編集]

  1. 柿の種。
  2. 実はこの代には、「日本初の女性仕様車」である「ファンシーDX」が登場している。

410[編集 | ソースを編集]

  1. この代のボディデザインをピニンファリーナが担当したが、尻下がりなデザインが不評で、ライバルのコロナに大きく水をあけられてしまう。
  2. 実はこの代の後期モデルより、長年に渡ってブルーバードの看板グレードになる「SSS」がデビューしている(ちなみに前期モデルのスポーツグレードは、「SS」とSが一つ減っていた)。

510[編集 | ソースを編集]

  1. 歴代ブルーバードで一番の名車。
    • あまりにも売れたので、610(ブルーバードU)登場後も1年以上併売されていた位。
      • 最も併売の理由はブルUが510より1クラス上のクルマになったからという理由もあるが。
    • まさに「技術の日産」を象徴するクルマ。
  2. 歴代ブルーバードで唯一「クーペ」が設定された。
    • その「510型クーペ」は、日本を代表するミニチュアカーのトップブランドであるトミカの第1号として今も人気が高い(当然、後年にリミテッド化もされたが、グリーンとサファリブラウンの2色がリリースされるほどの人気だった)。
      • 後年のトミカリミテッドヴィンテージでも、4ドアセダンがリリースされた。
    • 当時トミカと人気を二分していたミニチュアカーの代表的ブランドだったダイヤペットでも、セダンとクーペがモデル化されていた。
      • しかしどういうわけか、タクシー仕様でモデル化されたのは、セダンではなくクーペの方だった(前述の通り、セダンもモデル化されたのに、何故気付かなかったのだろう…笑)。
        • 当時、ミニチュアカー企画、製造していた地域は殆んど東京などの関東圏だったので、小型車のタクシーはあまり馴染みがなかったのだろう。
    • 410の2ドアは「2ドアセダン」、ブルU・810・910の2ドアは「2ドアハードトップ」。ちなみに510はクーペとは別に2ドアセダンも設定された。
  3. この型は後年、東映特撮の『スーパー戦隊シリーズ』(『電子戦隊デンジマン』以降)や、『スカイライダー』『仮面ライダーBLACK』などでは、クラッシュのシーンでよく登場していたような気がする。

610[編集 | ソースを編集]

  1. 「U」というサブネームが付いたため形式名よりも「ブルーバードU」或いは略称の「ブルU」と呼ばれることが多い。
  2. 商用バンを除けば4ドアセダンと2ドアハードトップの2種類のボディを持つ。
    • ハードトップは510クーペの後継車。ちなみに510に存在した2ドアセダンはフルモデルチェンジせず510のまま継続生産。510の4ドアセダンも一部ラインアップを整理した上でブルUの4ドアセダンと併売。
  3. 歴代ブルの中では自動車評論家から酷評されたモデル。
    • 徳大寺有恒は自著『ぼくの日本自動車史』でブルUを「どうしようもないクルマ」と評している。
    • 下野康史も自著『自動車熱狂時代』でブルUを「考えすぎ」と評している。
  4. ブル伝統のスポーツグレード・SSSがあるにもかかわらずスカGに搭載されたL20エンジンを搭載した2000GT(通称サメブル)を設定した。
    • 流石に次に出てきた810ではL20エンジンを搭載したモデルはスポーツグレードではなくラグジュアリーグレードとなる。
  5. 次代の810系もそうだが、この代より6気筒エンジンを設定したのは、ライバルであるコロナには設定されていないという事で、「コロナよりも上級である」という事をアピールしたかったのか?
    • それとも、当時「コロナの上級車種」を売りにしていたマークⅡに対抗していたからなのか?
  6. 当時の国産ミニカーの代表的な存在だったダイヤペットとトミカでは、4気筒のSSSと6気筒の2000GTがモデル化された事も印象深い(前者は前期型のハードトップと後期型のセダン、後者はどちらもハードトップだった)。
    • 新車当時、4気筒、6気筒エンジン搭載車が両方ミニチュア化されるのは、ダイヤペットではスカイライン(ハコスカ、ケンメリ)で過去にもあったが、トミカでは珍しい事だった。
      • 前述のダイヤペットでは、セダンの2000GTをベースにしたタクシーが発売された(小型車とはいえ、6気筒エンジンを搭載していたので、現実では多分ありえなかっただろう)。

810[編集 | ソースを編集]

  1. 5年振りにフルモデルチェンジを果たした5代目モデル。
  2. ハードトップのリアクォーター部分のオペラウィンドウが印象的だった。
  3. CMキャラクターは 「若大将」こと加山雄三が務めていた。
    • かつて日本テレビ系で放送され、加山氏が主演を務めていた刑事ドラマの『大追跡』でも架空の部署である「遊撃捜査班」の覆面パトカーとして活躍した(スポーティーなハードトップではなく、普通のセダンだったが…)。
    • 当然、劇中に登場する810を運転するのは、当然ボス役の加山氏だが、「ボスが乗る車」にしては、インパクトに欠けていたような気がする(笑)。
  4. 新車当時、ミニチュア化されたのは、510系以来のイメージリーダーであるSSSではなく、6気筒エンジンを搭載したモデルだった(ダイヤペットとトミカダンディはハードトップ、トミカはセダン)。

910[編集 | ソースを編集]

  1. 510を彷彿させる直線基調のボディスタイルで「510の再来」と呼ばれた。
    • 売り上げ台数では510を凌駕し歴代ブルーバード中トップ。
  2. キャッチコピーは「ブルーバードお前の時代だ。」「ザ・スーパースター」、CMには沢田研二が出演。
    • 勿論CMソングもジュリーの曲。
    • ラスベガスを疾走するターボSSS-SがCMに登場したことによりファンを増やした。
    • それにしても910のCMに出演していた頃のジュリーは本当にかっこいい。今じゃすっかりオジサンだけれど…。
  3. これまでの6気筒エンジンを搭載したモデルに代わり、シルビア/ガゼールに先行搭載されていた2リッター4気筒エンジンが、ターボ搭載車が追加されるまで、イメージリーダー車となる。
  4. SSSターボも良かったけど、マイナーチェンジ時にR30型スカイラインに搭載されていたFJ20DOHCエンジンを追加していたら、もっと人気が出ていたと思う(グレード名はU12型のラリー仕様に先駆けて、「SSS-R」なんてのもありだと思う)。
  5. 最後のFRブルで、2ドアが設定された最後のブルでもある。
    • 4ドアハードトップが追加された時点で、グレードも縮小された。
    • それゆえタクシー仕様はクルーが登場するまでの長きに渡り生産された。
      • 910型のタクシー仕様の末期モデルは、ヘッドライトこそ丸型4灯だったものの、フロントグリルとテールランプがスポーティーグレードのSSSを彷彿させるルックスで割とカッコ良かった。
  6. メーカー自ら中古車市場に介入した。910NISMO。

U11[編集 | ソースを編集]

  1. この代からFF化された。
    • だが先代のキープコンセプトだった。
  2. 先代で途絶えていた6気筒エンジン搭載車が、「マキシマ」のサブネームを得て復活した。
    • 「マキシマ」は、昭和末期に3ナンバーボディに拡大して独立車種となった。
  3. トミカでは、4ドアハードトップ、セダンを差し置いて、ワゴンがモデル化され、サイド部分はUCCの社名ロゴ入りだった。
    • これと同時期に、トミカダンディでも4ドアハードトップがモデル化されたものの、通常サイズより一回り大きい(35分の1スケール)にもかかわらず、アクションはフロントドアのみの開閉だけだったので、あまり売れなかったらしい。
  4. マイナーチェンジ時に、S12後期型シルビアに搭載されていたツインカムエンジン搭載車が設定された。

U12[編集 | ソースを編集]

  1. ラリーイメージが強いのはここまで。
    • シルビアと同じエンジンを乗っけてエアインテークで武装したモデルがあった。
    • SR20をのっけたSSS-R後期型は超希少車。
  2. 新車当時は、4ドアハードトップがトミカ、ダイヤペットでモデル化されたが、この代を最後にミニチュア化されていない。
    • 後年、トミカリミテッドヴィンテージネオでセダンもモデル化された。

U13[編集 | ソースを編集]

  1. Jフェリーみたいになった。
    • セダンはむしろ、かつての2代目(410型)のような尻下がりのデザインになってしまった。
    • 評判はもちろん…
    • ハードトップはセダンほどJフェリーには似ていない。ただスポーティーさに欠ける点においてはセダンと同じ。
  2. かろうじてSR20DET搭載モデルは残った。
  3. 車名のブルーバードよりもむしろ、アテーサと呼ばれることが多かった。ただし、この代のブルーバードがすべてアテーサだったわけではない。
  4. 「SSS」と「ARX」で顔が違った。

U14[編集 | ソースを編集]

U14ブルーバード
  1. 先代より見た目はスポーティーなのに、ターボが去勢され、この後の運命が決まったであろうモデル。
  2. 4ドアハードトップが廃止され、セダンのみのワンボディになった。
  3. いつの間にかプリメーラと兄弟になっていた。
    • このため、実際には見た目だけでなく中身も割とスポーティーではある。

ブルーバードシルフィ[編集 | ソースを編集]

  1. ブルーバードが生まれ変わった姿。
    • ブルーバードと併売されていた時期もある。
      • 本家のブルーバードよりも安くという事で売っていたのかもしれない(ローレルに対するローレルスピリットのようなものか?)。
  2. 結局親父セダン。
    • 2代目モデル(410型)からの伝統グレードだった「SSS」も廃止になったから…。
    • だがCMを見るとむしろターゲットは奥様に向けていたと思われ。
      • なんせ財布を握るのは奥様だからねぇ。この点はセフィーロやティアナと同じ。
  3. ついにシルフィに改名へ・・・

G10[編集 | ソースを編集]

  1. 一番は1800ccのエンジン。都会の空気より綺麗な排ガス。
    • 空気清浄機代わりになるとか考えた人、排気ガスであることには変わらないので酸欠になりますよ。
  2. 概観はお洒落だったけど中が狭いのでイマイチだった。
    • コンセプトが子育てが終わった夫婦向けだから仕方ないといえば仕方ないか。
  3. 登場時はシルフィを強調していたけど末期はブルーバードを強調。宇宙猿人ゴリのような展開w。
    • 本当にロゴが「ブルーバードシルフィ」→「ブルーバードシルフィ」→「ブルーバードシルフィ」みたいに変わっていったので笑えます。
  4. 実はパルサーの後継、N16だったりする。

G11[編集 | ソースを編集]

  1. 平たく言うとティーダラティオの高級仕様。
  2. 前回の反省からリアシートはプレジデントやシーマ以上の広さに。
  3. 若い人が運転していたら、その人は相棒ファンかも。
  4. インパルからSSS仕様という変態仕様が出ていた。(160PSエンジン搭載)
  5. プレジデント消滅でソブリンのサブネームを引き継いだ。
    • ソブリンじゃなくて、セド・グロの「ブロアム」でしょ。
  • とうとうシルフィまで日産のラインナップから消えてしまい、「日産を代表する車」が何なのかわからなくなってしまった(どのメーカーに限った事ではないが、ユーザーの「セダン離れ」は深刻だなあ)。

プレジデント[編集 | ソースを編集]

JG50[編集 | ソースを編集]

  1. インフィニティQ45の顔を日本人になじみやすくしてすこしながくした車。
    • 後に全長を短くした「JS」が追加されたが、ほとんどインフィニティQ45と変わらなかった(本家インフィニティQ45も、マイナーチェンジ時にフロントグリルが付いた為、余計に紛らわしくなってしまった)。
      • とはいえ足回りのセッティングについてはショーファードリブンとしてのプレジデントとオーナードリブンとしてのインフィニティQ45で明確に差別化されてはいる。
  2. 中国語だと日産首領。なんか秘密結社みたい…。

PGF50[編集 | ソースを編集]

  1. シーマの兄弟車。
    • 前からみると少しグリルがでかいくらいで全然違いが分からないから、あんまりありがたみを感じない…。
  2. 結局シーマと共に後継なく終了。
    • 代替はフーガだけどこれはV6…。
  3. ソブリンはなんとシルフィでほそぼそと生き残っている。

プレセア[編集 | ソースを編集]

R10[編集 | ソースを編集]

  1. 埴輪のようなライトが特徴的
  2. 初代インフィニティQ45の前期型を彷彿するフロントデザインである
  3. ライトをつけると青く光るメーターが人気だった
    • ただし一部のグレードには採用されてない
  4. 当時のライバルはカリーナED、セレスマリノである。結果は…。
  5. 絶世のセダン、て言われたってなあ。
  6. スタンザとローレルスピリットが統合されて登場。

R11[編集 | ソースを編集]

  1. 先代と違ってグリルレスではなくなった
  2. 先代に引き続き青く光るメーターが採用されて、先代よりも視認性がよくなった。
  3. 前期型のCMキャラクターは女優の浅野温子が務め、BGMは伊藤咲子の往年のヒット曲である『乙女のワルツ』がインストゥルメンタルで使われた。

ラティオ[編集 | ソースを編集]

N17[編集 | ソースを編集]

  1. ティーダラティオから独立し、ラティオ単体でセダンになった。
  2. ルーツをたどるとサニー系なのだが、車両型式を見るとどう見てもパルサー。
    • だが実際に見ると、どう見てもマーチセダンである。
  3. タイ産日産車第二弾。

レパード[編集 | ソースを編集]

  1. クーペになったりセダンになったり手抜き兄弟にされたりと何気に波乱万丈。
  2. そして何気に柴田恭兵と縁が深かったりする。
    • F31は『あぶない刑事』、JY33は『はみだし刑事情熱系』にそれぞれ劇中車として登場。

F30[編集 | ソースを編集]

  1. ライバルは当然ソアラ(Z10系)。
    • が、ターンフローOHCのL型エンジンでは余りにも凡庸すぎた。
    • デビューはソアラよりも早かったにも関わらず、大敗したのは残念である。
      • 廉価版として、1800ccエンジンの設定があったのも、ソアラに大きく水を開けられた原因だったと思う。
      • 末期にはV6ターボのVG30ET搭載車である、300ターボグランドエディションが追加されたが、完全に後の祭り・・・。
      • せめて、デビュー当初から新開発のV6エンジンを搭載していたら、立場は逆だったろうなあ。
  2. 4ドアと2ドアが同時ラインナップ。
    • どちらのボディタイプも「スペシャリティー感」を強調するために「ハードトップ」になっていた。
      • 新車当時のモデル化は、プラモデル=2ドア、ミニチュアカー(ダイヤペットが唯一)=4ドアという割合だったような気がする(後年のトミカリミテッドヴィンテージネオではレパードとともに、兄弟車のTR-Xもモデル化されたが、こちらも4ドアだった)。
    • 加えて、顔違いのレパードTR-X(トライエックス)なる兄弟車がパルサー販売(チェリー店)向けに設定された。本家レパードはブルーバード販売会社(日産店)扱い。
      • 当時、レパードTR-Xを扱っていたチェリー店が存在せず、そこで扱っていた車種(パルサー、オースター、チェリーキャブ)が日産店で扱われていた地域では、扱っていなかった(という事は、後にダットサンバネット、同じくADバンの取扱いにより、チェリーバネットやパルサーADバンも扱っていなかったという事か?)。
      • そのチェリー店では、昭和期のトリコロール看板時代には、レパードTR-Xは白地の真ん中部分に赤文字で表示されていた(ちなみに本家のレパードを扱っている日産店では、その車名は下の青地部分に表示されていた。という事は、本家よりも目立つ位置に表示されていたというわけか?)。
  3. 実は910型ブルーバードがベース。
    • 910型が6気筒エンジンを廃止した為、その穴埋めとして販売されたという事を聞いた事がある。
  4. CMキャラクターも、従来810型ブルーバードのCMに出演していた加山雄三氏だったので、(かつてCMキャラクターを務めていた810型ブルーバードからの)上級移行をイメージしていたようだ。
  5. 4ドアのデザインを初代フォード・スコーピオにパクられた。
    • スコーピオは5ドアなんだが、レパードの4ドアもデザインはかなり5ドアっぽい。
  6. TVドラマに出ていたという記憶がほとんどない。あるとしたら「ザ・ハングマン2」で植木等が乗っていたくらいか。
    • 稀にセドリック4ドアハードトップ(430系)や5代目サニーセダン(B11)に乗る事もあった。

F31[編集 | ソースを編集]

  1. なんと言っても「あぶない刑事」。
  2. 先代とは異なり、クーペのみのラインナップ。
    • それと同時にTR-Xが廃止され、チェリー店でもレパードを扱うようになった。
      • 当時、レパードを扱っていたチェリー店がプリンス店に吸収された頃、プリンス店の屋外展示場やショールームでは、看板車種のスカイラインとレパードが並んで展示されていたのを見た時、「なかなか豪華であり、なおかつスポーティーな組み合わせだ!」と、当時の車好きの若者は狂喜乱舞した事だろう。
  3. ベースはR31スカイライン。輸出仕様(左ハンドル車)のインパネは、国内仕様とは似ても似つかぬ、R31用の鏡像。
    • 当時は、「(R31型)スカイライン=5ナンバー」、「(F31型)レパード=3ナンバー(但し、一部グレードのみ)」と、うまく棲み分けできていたのも大きかっただろう。
  4. やはり当時のソアラ(Z20系)を強くライバル視していた。
    • MCでシーマ用のVG30DETが追加された。
      • 正確にはレパード用に用意していたエンジンをおっとり刀でシーマに載せた。
  5. ザガートステルビオのベース車になった。
  6. 輸出仕様にはコンバーチブルもあった。
  7. 初代(F30型)の2ドアハードトップに負けず劣らずのカッコ良さだったにも関わらず、新車当時はあまりミニチュア化に恵まれておらず、後年トミカリミテッドヴィンテージネオやアオシマの「あぶない刑事 モデルカーコレクションシリーズ」の登場まで待たなければならなかった。

JY32[編集 | ソースを編集]

  1. 正式な車種名は「レパードJ.フェリー」。
  2. 好評だった2ドアクーペをやめ、4ドアセダンになったものの…。
  3. 尻下がりなデザインがとっても不細工個性的。
    • 生産終了後にそのデザインが再度見直されたのはなんとも皮肉。
    • 13ブルーバードの仲間。
  4. 内田康夫の浅見光彦シリーズで、その不細工個性的なスタイルが物語中の鍵になっている。
    • そのシリーズは、TBS版ですか?それとも日本テレビ版ですか?ちなみにフジテレビ版では、主人公光彦の愛車は3代目ソアラの後期型でしたが…。
  5. この代のみ、日産店単独の取扱いになった。

JY33[編集 | ソースを編集]

  1. 実質「セド・グロ」の兄弟車種となってしまった。
    • 最期はY34に統合されて消滅。
      • この代より、日産店だけでなく、サニー店でも扱うようになったが、ちょうどその頃は、「日産店、モーター店=ブルーステージ」、「サニー店改めサティオ店、プリンス店=レッドステージ」に切り替わる頃だったので、車格やボディタイプがモロにセド・グロと丸かぶりしてしまったのが消滅の原因だったと思う。
    • フロントグリルとテールのデザインを差し替えただけではあるが、そのデザインが案外まとまり良かったりした。
  2. 末期には直噴エンジン仕様が追加された。
  3. かつてテレビ朝日系で放送されていた『はみ出し刑事情熱系』第1シリーズでは、主人公の刑事を演じた柴田恭兵が乗っていた覆面パトカーとして知られていた(彼がかつて主演を務めていた『あぶない刑事』を意識したのだろうか?)。

ローレル[編集 | ソースを編集]

C30[編集 | ソースを編集]

  1. 「ブルーバードより上級」、「セドリックよりも安く」という事で、クラス初のハイオーナーカーとしてデビューした。
    • そういえば外観もなんとなく、「510系ブルーバード」に似ているような気がする。
  2. デビュー当初は、1800cc、4ドアセダンのみの設定だった。
    • 初代から最終型まで、ライトバンの設定がなかったのも大きかったのだろう(ちなみにライバル車である同じメーカーのスカイライン、トヨタコロナマークⅡ、マツダルーチェには、ライトバンの設定があった)。
  3. マイナーチェンジ時に、「日産車初」のハードトップと、2000ccエンジン搭載車が追加され、さらに上質感がアップした。
    • この「日産車初のハードトップ」は、トミカ、ダイヤペットでモデル化され、特にダイヤペットではセダンも前・後期型ともモデル化された。
      • 後年、トミカリミテッドヴィンテージでは、前期型のセダンがリリースされた。

C130[編集 | ソースを編集]

  1. 「ゆっくり走ろう」と売り出したのだが。
    • 走り屋や金持ちのボンボンに愛された印象がある。
  2. ライバルのマークⅡに先駆けて、3ナンバー車の設定があった。
    • その上、2000にも6気筒エンジンの設定があったのも大きかった。
    • それなりに高級感もあったからね。
    • 走り屋に愛された理由は、当時同時期に発売されていたケンメリのスカイライン(4代目C110型)と比べて、「ワイドタイヤを履かせやすい」というメリットも大きかったのだろう。
    • 前代よりもサイズアップして、セド/グロ(230型)に近付いたような気がする。
  3. CMキャラクターは、歌舞伎俳優の六代目市川染五郎(現・二代目松本白鸚)が務めていた。
    • まさかそれから12年後、芸名を「松本幸四郎」に改名した頃、ライバル車のCMキャラクターになろうとは(笑)…。
  4. あと、2ドアハードトップはプラモデルでも結構人気があったなあ。
    • これに対し、ミニチュアカーの世界では、トミカやチェリカ(ダイヤペットの小スケール版)ではモデル化されたものの、標準スケールではあまりモデル化には恵まれなかったような気がする。
      • 当時のミニチュアカーの代表的ブランドだったダイヤペットでは、2代目のハードトップのリリースがミニカタログで予告されたものの、実現せずに終わった(残念!)。
      • 後年、トミカリミテッドヴィンテージネオでは、、セダンが前・後期とも、ハードトップもモデル化された。
        • トミカリミテッドヴィンテージネオは、普通は「トミカ誕生以降、新車当時に惜しくも商品化されなかった車種」がモデル化されるのが普通だが、新車当時、通常トミカでモデル化されたハードトップが商品化されるのは、珍しい事である(リミテッドorプレミアム化されなかった代わりか?)。
  5. セダンはセド/グロの230・330系と同様、刑事ドラマでは「クラッシュの対象」になっていたのも印象深い。

C230[編集 | ソースを編集]

  1. この代より、4ドアハードトップも新たに加わり、上質さに溢れ、独自の個性を主張したモデルといえよう。
  2. その反面、先代モデルの特徴だったスポーティーさに欠けた事もあり、新車当時は、プラモデル、ミニチュアカーにはあまり恵まれなかった。
    • おそらく、歴代のローレルの中で新車当時はプラモデル、ミニチュアカーともモデル化されなかったと思う(4代目以降は、プラモデル化はそこそこされていたので)。
      • 後年、トミカリミテッドヴィンテージネオで、後期型の4ドアセダンが、アオシマがリリースした改造車をモデル化した「グラチャンコレクション」で前期型の4ドアハードトップがモデル化された。
  3. CMキャラクターは、当時の人気プロテニスプレイヤーの石黒修一氏(俳優石黒賢の父親)が務めていた。
  4. 後期モデル(4ドアセダン)が、石原プロ制作の刑事ドラマである『西部警察』で、主人公大門軍団長が乗る覆面パトカーとして登場した(第1・2話のみの登場だったが、その後は出番無しだった)。
    • また、東映制作の『スーパー戦隊シリーズ』第8弾である『超電子バイオマン』第32話では、新帝国ギアの幹部サイゴーンが操るゴーストカーの正体がこの車である(ベースは前期型の2ドアハードトップだが、サイゴーンの手の上で操られているミニカーは、ダイヤペットでかつて発売されていた910型ブルーバードの2ドアハードトップだった)。
      • 同じ「日産車の2ドアハードトップ」という共通点こそあるものの、2車種は全く似ていないし(笑)…。あまりにも無理があると思うが、「2」の項目にもあるように、この代のローレルは新車当時はあまり「ミニチュアに恵まれなかった」ので、仕方のない事だったと思う。

C31[編集 | ソースを編集]

  1. 4代目モデル。
  2. CMキャッチコピーは、「アウトバーンの旋風(かぜ)」であり、CMキャラクターにはフランスのファッションデザイナーであるユーベル・ド・ジバンシィが起用され、後期モデルには彼の名を冠した特別仕様車もあった。
    • 当時の大丸の社長の愛車がそれで、彼の没後に日産に寄贈された。なお、この頃の大丸はジパンシィを独占的に取り扱っていた。
  3. この代より、需要の少ない2ドアハードトップが廃止され、ターボと6気筒ディーゼルが新たに加わった。
    • マイナーチェンジ時に、2800エンジン搭載車が廃止となり、6代目前期まで3ナンバー車は未設定となる。
    • 2代目以降途絶えていたスポーティーグレードのSGX、GXがターボ、NAで復活したものの、結果は…(笑)。

C32[編集 | ソースを編集]

  1. 日本で初めて電動格納ドアミラーを採用した車両。
  2. イメージキャラクターは、世界のナベサダ。
  3. 歴代で一番直線的なデザイン。

C33[編集 | ソースを編集]

  1. 同様にスカイラインのBピラーが無いようなものである。
  2. 古いくせに一番人気。
    • 実際に歴代ローレルの中で一番売れまくった型だし。
      • 車内は頭が着く位すごく狭いけどねw。
  3. 日産最後のピラーレスハードトップ
    • 同時に、「初代からの伝統」だった4ドアセダンは、セフィーロに統合される形で廃止された。
  4. C31以来、久々に3ナンバーモデル復活。
  5. 普通に使っててもボディがしなるぐらい剛性なんて無い。
  6. キャビンが狭い分トランクはやたら広い。
    • 5ナンバーサイズでゴルフバック4本楽々入るとかありえねぇw
  7. リアスタイルが,当時の「2・3代目のプレリュードに似ている」と思ったのは、ひょっとして私だけ…?
  8. CMキャラクターは、歌舞伎俳優の板東玉三郎が務め、キャッチコピーは、「時代の真ん中にいます」だった。
    • 2代目(C130型)の市川染五郎(現・松本白鸚)といい、この代の板東玉三郎と、ローレルのCMキャラクターは歌舞伎俳優を採用することが多いと思う。

C34[編集 | ソースを編集]

  1. 33Rと同時期に出た車の運命。見た目が変。
  2. 前期型のCMキャラクターは、俳優の松方弘樹と本木雅弘が務め、CMソングは荻野目洋子が歌うカバー曲『ロマンス(原曲・禁じられた遊び)』だった。
    • 開発途中でデザインの主管が替わったから、チグハグ感の強いデザインになってしまった。
  3. マイナーチェンジがとてつもなく大掛かりなものに。
  4. 全車3ナンバー。
    • 4気筒モデルも廃止。
  5. 中期型のCMは森進一が出ていたが大人の事情ですぐお蔵入りになってしまった。
    • そのCMのBGMには、ニッポン放送で現在も放送されている超人気深夜放送のオープニング曲が使われていたのをどれくらいの人が覚えているだろうか?

C35[編集 | ソースを編集]

  1. D1に出てから直6ターボ、FR、流用パーツ多数と見直され遅ればせながら大人気に。
    • 車高調に至ってはシルビアのものが使えた。今はC35用があるけれど。
  2. ライバルのJZX100チェイサーに人気で負けてしまった理由はただ一つ、MTが無い。
    • スカイラインとのイメージの差も・・・
  3. これが最後のローレル。
    • メダリストのグレード名はなんと十数年後にノートに引き継がれた。
      • ノートにおいては上級志向グレードなので、車格的にはかつてのローレルスピリットに近いものがある。
  4. CMキャラクターは、俳優の佐藤浩市が務めていた。
    • まさかこの人も、2代目C130型のCMキャラクターを務めていた市川染五郎(現・松本白鸚)同様、ライバル車のCMキャラクターになろうとは(笑)…。

ローレルスピリット[編集 | ソースを編集]

  1. ローレル???とサニー???は禁句。
  2. 誕生の経緯は、モーター店(ローレルを扱う店)に大衆車(1500ccくらい)のものが無いのをなんとかしてくれという販売店側の要望だった。
    • この点はリベルタビラを扱ってた日産店(ブルーバードを扱う店)と同じ。
  3. 「サニーよりも高級」をアピールしたかったのか、1300の設定がなかった(この点はラングレー、リベルタビラも同様)。
  4. かつての日産ディーラーのシンボル的な存在だった「トリコロール看板」では、取扱ディーラーであるモーター店では、車名が長いせいもあってか、一番下の青地部分には、「スピリット」と略して表示されていた事もあった(従来の取扱車種であり、一番下の青地の部分に表示されていたガゼールが兄弟車のシルビアに一本化され、モーター店でも併売される頃、シルビアは「車名がサニー店に表示される」という事で)。

B11[編集 | ソースを編集]

  1. 見た目や装備は一応豪華。
  2. でもサニー。
  3. ローレルが買えない人のためのクルマ。
  4. 2023年3月28日放送の日本テレビ系の『ザ!世界仰天ニュース』内の「日本の重大事件~その4~」の再現ドラマのパートでは、事件を起こした犯人の愛華として、この型の後期モデルが使われた。
    • 実際のニュース映像のパートでは、犯人が実際に使っていた車が映し出されていた(その車に関しては、「3代目ラングレー」の項目を参考にすべし)。

B12L[編集 | ソースを編集]

  1. 先代に続き豪華さで勝負。
    • 4WDにはABS装備とか結構がんばってみたり。
      • ツインカムエンジンを搭載したりで、かなり「高級感をアピール」したものの…。
  2. でもサn(ry
  3. やっぱりローr(ry