明智光秀

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明智光秀の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 本能寺の変の犯人。
    • 実行犯だが主犯は別にいる、との説を唱える人も後述の如く多い。
  2. 俗説だが、信長から禿げた頭を金柑みたいだと馬鹿にされるなどパワハラを受けていたらしい。
    • 俗説では信長が家康をもてなすために光秀に料理を用意させたが、鯛が腐っていてそれに切れた信長が暴力をふるい光秀が謀反をを決意する原因となったらしい。
      • 家康をもてなす際、豪華にしすぎて家康より位の高い相手(天皇など)をもてなすことを困難にしたから信長が怒ったという話も。
        • 実際、続群書類従に書いてある品書き視てると、豪華すぎる気はする。
      • 別の俗説では、近江名産の鮒寿司を用意したら、鮒寿司を知らなかった信長が臭いに切れて(以下同文)。
    • おっかさんを死に追いやったのがハンコウの動機とも。
      • 叔母さんだったという説もアリ。
    • 実は信長自身は光秀を買っていて、他の家臣を叱責する時に「光秀を見習え」と書いていた。信長のツンデレが招いた悲劇と言える。
      • 実際多少奥さんとつながりがあって、鉄砲撃つのがうまいという人が、丹波丹後の国を任されるまで出世してるから間違いなく信長は光秀の事買っているだろ。
  3. 光秀は操り人形で別に黒幕が(徳川家康、足利義昭、朝廷など)いたという見解があるが、真相は未だ不明。
    • 近年では、信長と信忠を一挙に葬れる千載一遇のチャンスをつかもうとしたという解釈が有力。
      • しかし最初は信長しか狙っていなかった感じなので発作的に謀反を起こしたのではないかという見方もある。
    • 実際には光秀が重用されていたことや光秀らしからぬ計画の甘さが様々な憶測をよんでいる。
      • 計画が甘かったと言うより、秀吉が有り得ない速さで戻ってきたのが予想外すぎる。秀吉があと少し遅かったら、機内一帯を制圧できていただろう。
        • 中国大返しは剥げねずみ黒幕説の傍証。
          • それは後知恵的解釈だと思う。実際秀吉謀略説は近代以降出てきた説だし。もしそんな気配があったら、同時代に秀吉の謀略に言及した資料が残るはず。
            • ぶっちゃけ、「結果として利益を得ている者が怪しい」というだけの視点でしかない。
          • 秀吉が早く戻って来れたのは、毛利との講和が予想以上に早く纏まったから。行軍速度自体は急いではいるが常識の範囲内。
            • 毛利は案外早くに事の真相をつかんでおり、それを利用して秀吉に恩を売った可能性がある。海上交通は村上水軍無双状態だったので海路で情報が早く届いていたとすればあり得る話。
    • 下にあるように光秀が天海なら家康の可能性が高い。というか、家康は伊賀を滅ぼした織田の味方のはずなのに、逃げるときに伊賀を通るのはおかしい。
      • 腹心だった服部半蔵を当てにしての伊賀コースなので、実は一番手堅いルート。また信長による伊賀攻めの後、服部を頼ってきた伊賀の人間を三河で匿っていたらしく、まともな地元民との関係は悪いものではなかった。
    • 諸説飛び交う中で、平成末期になって三重大学の先生が「四国政策説」を提唱。岡山県内で長宗我部家関連の一次史料が見つかったことによるものだが、単独犯行説の中では最も合理性があるとの評価も。
  4. 長らく逆臣として唾棄されてきたが最近では同情される傾向にある。
    • 太閤記のころからパワハラに苦しむ真面目な部下という図式は出来上がってるんだけどね。ただフロイス曰く「光秀ほど腹黒い奴はいない」。
  5. 時は今 天が下しる五月哉と句で有名。
    • 一般に謀反の決意を表した句と言われているが別に深い意味は無かったんじゃないかとも言われている。
      • 考えてみりゃ何処で情報が漏れるかわかんないのにそんな事わざわざ公にしないよな。
      • 詠んだ時には気付かれず、後で周囲をハッと思わせるよう意図したとも言われる。
        • 和歌には掛詞が豊富にあるから、光秀ほど教養豊かで、しかも自由に創作できる発句なら、この程度の作為は十分できるだろう。
    • どうもこれは秀吉の改変のようだ。
  6. 明智のみっちゃん
  7. 天海と同一人物説があるが年齢が・・・。
    • 息子と二人一役だったなら辻褄があうとか。
      • 二人で天海を演じたのは、息子じゃなくて娘婿の明智秀満ですね。
      • 実は年齢はそこまで無理はない。しかも、天海108まで生きたし、光秀の年齢も不透明だし。
    • 日光中禅寺湖付近を「明智平」と名付けたのは何を隠そう天海である。
  8. お神籤で立て続けに「凶」を引いたある意味強運の持ち主、というデマがまかり通っている。
    • このころの吉凶は半々。とすれば凶凶続く確率は2割5分。
  9. この時代の武将では珍しくないが、出生地と思われる場所は多い。
  10. 「明智胴」という鎧を作った。
    • 伝光秀所用の甲冑は幾つかあるが、どれも信憑性に欠けるのが残念。
    • 光秀が最も信頼した明智秀満所用の南蛮胴具足はある。シンプルながらスマートで瀟洒、実用性にも富み、いかにも明智家の家風が伺える逸品。
  11. ホトトギスが鳴かないと代わりに自分が鳴きまねして討たれてしまう。
  12. この漫画では信長・秀吉と組まされていた。
  13. 初陣は何と43歳になってからだ。
    • そのくせして、プライドは高かった。
  14. クリス・ペプラーは彼の末裔らしい。何か意外。
    • 織田信成と、400年ぶりの和解を行った。
  15. 信長から比叡山延暦寺焼き討ちの命令が出た際に「エッ、歴史深い寺を…」と息を飲んだとされるが、光秀の方から信長に提案したという説もある。
  16. 福知山市から猛烈に推されている。

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