浜松まつり

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  1. 進軍ラッパの音がなると“まつりだ~!”って気分になる。
    • 市中心部を集団で行進している姿はどことなく安保闘争時の学生デモを彷彿とさせる。
      • ヘルメットとゲバ棒がないとそうも言えなかったりして。
    • あれって浜松出身じゃない人にはウザいんだけどなぁ・・・
      • 浜松出身者でもウザいと思っている人も居ます
        • 浜松まつりをウザがる浜松人って祖先を辿って行くと大体別の地域出身のエセ浜松人の模様。勿論逆(祭り好きな他地域出身者が浜松まつりにハマる)も有るが。純粋(生粋)は大体浜松まつりLOVEが多い。そうでなくともウザいとは思わず、またやってるなとしか思わない。
      • ウザい以前に、帰省前はやたらと話が出ているけど帰省から戻ってきたらいつの間にか終わっている、という印象。
      • 結構騒音などの苦情が出ており、最近は練習も含めて時間が短くなりつつある。
  2. 起源については飯尾豊前守の長男・義廣公の誕生を祝って、入野村の住人であった佐橋甚五郎が義廣公の名前を記した大凧を揚げた、という史書『浜松城記』の記述を定説としていたが、近年になってこの縁起そのものが大正時代の創作であることがわかっている。
    • 現在確認出来るのは明治時代初期であり、しかも戦後になるまでかなり小規模だった。
      • 小規模といっても戦前時点で40町近くは参加しており、その辺の祭りよりは遥かに大規模だった。
  3. 10年くらい前まで、高校生は参加してたら即補導モノだったとか。因みにその頃(今も?)は浜松が県内補導率ワースト1だった。
    • 話反れるけど、地域につながりの薄い附属小中出身者は他校出身者と比べ参加率が低い。
  4. 掛け声は「やいしょ!!」
    • 掛け声を間違ってでも「わっしょい」と言うとい嫌な目つきでにらまれる・・・
      • ワショーイ
      • 本来の掛け声は「わっしょい」だった。いつの間にか変なバリエーションが出来上がってしまった、というのが本当。
    • やいしょは新参町と若造が使う傾向にある。「おいしょ」が本筋。
  5. 今時進軍ラッパなんか吹いているのは正露丸のCMと浜松人くらいなものである。
    • 正露丸w
      • 正露丸のCMの曲を演奏している町もある。(主に中沢町)
  6. 祭り前には「町内印の提灯(だったかな?)を持っていない人は参加できません」という看板があちこちに出来る。
    • 撤去が面倒なのか忘れてるのか、年中出っぱなしですよ。
      • そこらじゅうにあるね~
    • ワッペンもつけてなければだめです。
    • ゴミ集積所で何回か見かけました(by県外者)
    • 法被・ワッペン・提灯ね。
  7. 中心部に住んでいる親戚は浜松まつりの騒音を嫌い、祭り開催中は郊外の他の親戚の家に避難している。
    • しかし最近は郊外の枚町も参加しているので、もはや逃げ場がない。
  8. 何年か前のTanHamaに、「浜松まつりの期間中は○E○するカップルが多いので、3月生まれの子供が異様に多い」という話が掲載されていた。都市伝説なのは間違いないと思うけど。
  9. たこ場を12時頃に後にするために「たこ直」に乗車すると、全員着席した時点でバスが発車する。バスは路線車なので、20人ぐらいしか座れない。えらくいいサービスだと思う。もちろん、15時頃だとすし詰めなのだろう。
    • 因みにバスの着席定員は30~35人程度。
  10. 昔から参加している旧町の人たちは、途中参加した郊外の新参町を敵視、もしくは無視している。
    • そのため、浜北や天竜をはじめ、旧11市町村の自治体は参加する気がない。したがって、合併した後は、浜松の「一部で」行われているまつりになった。
    • 住民的には三ヶ日とか浜北の奥地とか天竜の奥地からなんてわざわざ参加する気にもなれない。
  11. 若者を中心に無ワッペン・オリジナル法被・雪駄でしかも練りにしか来ない輩(一部は893)が急増中。そういうのは大抵掛け声も訳の分からない雄叫びになってる。
    • 6.にあるような看板が出るのも頷ける。
  12. ラッパ隊をやっている理由「お菓子が先にもらえるから。」
    • 現在では子供たちを楽しませるためのイベントにシフトさせている(むろん大人も楽しめれば良いが)。

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