滋賀の寺院
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大津市[編集 | ソースを編集]
園城寺[編集 | ソースを編集]
- 正式には長等山園城寺というらしいが、三井寺の通称で知られている。
- 寺の裏手の展望台から見下ろす、寺越しの琵琶湖が美しい。
- 天台宗寺門派の総本山。ちょくちょく日本史の教科書に出てくるみたい。但し「園城寺」としか書かれていないので混乱する。
- 総本山名乗っているだけあって、文化財の数がえげつない。
- しかも、中世しょっちゅう山門派の比叡山の焼き討ちに遭ってこの数。ひえ~。
- 総本山名乗っているだけあって、文化財の数がえげつない。
- 何と言っても三井の晩鐘が有名。
石山寺[編集 | ソースを編集]
- 源氏物語の舞台。
- 紫式部が篭ったらしい。中宮定子の御付女中の仕事はサボったんですね
- 単に源氏物語中の「須磨」「明石」の着想を得ただけ、しかもこれすら裏付ける史料もなく信憑性が薄いのだが、いつの間にかここで執筆したという話になっている。
- 既に江戸時代には「紫式部の間」が作られ、等身大の人形まで置かれていた。話がどんどん膨らんで言ってるのは明らか。寺の言い伝えなるものは、実はかなり信用出来ないといういい例。
- 平安の女性たちに人気があり、藤原道綱母や菅原孝標娘など紫式部以外の文学作品とも縁がある。実際行くと確かに、瀬田川を望んだ風光明媚な景観は素晴らしく、人気があったのも頷ける。
- 紫式部が篭ったらしい。中宮定子の御付女中の仕事はサボったんですね
- 国宝指定の本堂は滋賀県最古の木造建築らしい。
- でっかい岩の上に建てられているのが素晴らしい。よくまあ落ちんもんやね。
- 清水寺と同じく懸造の構造になっている。
- 源頼朝寄進の多宝塔は日本最古の多宝塔。
- 多宝塔内部には入れないが、その本尊の大日如来像を拝観することはできるらしい。因みに、この仏像は昭和の終わりまで誰の作品か分かってなかったが、文化庁の調査で快慶作と判明したらしい。
- 戦後に文化財指定をやり直した際でも、初年で国宝に指定されている。これだけ優美で美しい塔なら納得である。
- 鎌倉初期でもこれだけ美しいのなら、美に煩い平安貴族たちが作った平安の寺院建築は更に素晴らしかったであろう。つくづく応仁の乱などで焼けてしまったのが惜しまれる。
- 本尊は秘仏で33年に1回公開される。
- 天皇の即位翌年にも公開される。
- 公開の時は宮内庁から派遣された使者の手により開扉される。
- でっかい岩の上に建てられているのが素晴らしい。よくまあ落ちんもんやね。
- 「石山」の地名の由来となった岩がある。
- 秘仏本尊も岩の上に座している。
- 最寄駅は京阪石山寺駅だが、そこからでも1kmほど歩く必要がある。
- JR利用の場合は石山駅からバスに乗る方が便利。
岩間寺[編集 | ソースを編集]
- 石山寺の奥の方にある山寺。毎月17日以外のお参りは結構しんどい。
- 正式には「岩間山正法寺」というらしいが、通称は岩間寺。
- 俳人を装った隠密が「カエルが池に飛び込んだ」というだけの事を17文字で実況した場所という話がある。
- 本堂真横の池がそれらしい。
- 御本尊(非公開)は深夜の肉体労働が大好きらしい。
- 毎晩衆生救済のため西へ東へ、汗びっしょりになるまで走り回っているらしい。
甲賀[編集 | ソースを編集]
善水寺[編集 | ソースを編集]
- 湖南市
- 桓武天皇の病気を平癒したという水が未だに湧き続けている。
- 秋には檜皮葺の本堂と赤黄に染まる木々が美しくなる。
- 江州にある三山の中でもマイナーな湖南三山の一つ。
- 湖南三山の中で唯一入山料がタダ。他は500円ずつだったはず。
常楽寺[編集 | ソースを編集]
- 同じ湖南三山の善水寺に比べると紅葉の染まり具合は控えめな感じ。
- にも関わらず500円だよ、拝観料。
- 三重塔と本堂に風格がある。
- 本堂というと堂内にある寄木造りに風神雷神が入れられているが、これはアリなのだろうか?
長寿寺[編集 | ソースを編集]
- 湖南市石部町
- ここも湖南三山の一つ。因みに常楽寺から歩いてすぐ。
- 参道に置かれたお地蔵様が年季がこもっている感じ。
- 神仏習合の名残で白山神社が残されている。
湖東[編集 | ソースを編集]
長命寺[編集 | ソースを編集]
- すぐそこ琵琶湖なのに山寺らしい。
- 武内宿禰が死に損なった原因となる故事がある。
- それに感服を受けた聖徳太子が寺として整備してこれを以て開基とするらしい。
- ○○如来とか△△菩薩を祀らない結構珍しい寺。
- 代わりに十一面、千手、聖の三観音を祀っているのだが、このラインナップをまとめて一体の御本尊様にしてしまうという珍事を働いている。
観音正寺[編集 | ソースを編集]
- 山の上にある。行きづらい。
- 尾根伝いに行ったら、安土城へ行けそうな気がするんだが、多分どっかで阻まれるんだろうなあ……
- 聖徳太子が自分で千手観音を彫って堂塔を建てて祀ったのが始まりらしい。
- どうでもいいんだけど、聖徳太子はそこらじゅうで仏像彫ってるけど、いつ政治をやってたんだか…… いっそ仏師にでも転職したら良かったのに。
- 異説には人魚が建てたという話も残っているらしい。最近まで人魚のミイラもあったらしい。
- 信長が焼いちまう。
- 六角氏の観音寺城をぶっ壊した後、同じ山にあって六角と仲が良かったという理由で焼き払った。
- 1993年、焼かれる。
- おかげで、彦根城から移築した欅御殿が消失しちまった上に御本尊も、人魚のミイラも燃えちまった。
- 因みに、本尊は新しく白檀23tを使ったものをインドから取り寄せて祀られていて、(2013年末時点)ちょっとだけ木の香りがまだ残っている。
- おかげで、彦根城から移築した欅御殿が消失しちまった上に御本尊も、人魚のミイラも燃えちまった。
桑實寺[編集 | ソースを編集]
- 近江八幡市安土町
- 天智天皇の姫君が近江で流行中の疫病にかかった際、祈祷をすると湖から薬師如来が猛烈な勢いで飛んでいきたというのが始まりらしい。
- 藤原鎌足の長男が初代住職。
- 唐からのおみやげに持ってきた桑の実を植えたのが寺名の由来らしい。
- 室町幕府本店が移転してきたことがある。
- 山号が観音正寺と同じ繖山。
教林坊[編集 | ソースを編集]
- 近江八幡市安土町
- 石の素晴らしさを実感できる、そんな庭を持つ御寺。
- 小堀遠州が造園をやったらしいが、ホント感動の嵐。特に紅葉の時期などもう……
石塔寺[編集 | ソースを編集]
- 山名がおかしい。阿育王山というのだが、普通には読めん。
- 石塔寺の名に相応しい塔があるが、これはインドで造られたという説がある。
百済寺[編集 | ソースを編集]
- 東近江市
- ルイス・フロイスに「地上の天国」と言わしめたらしい。
- 流石にそれは言いすぎな気がするが、紅葉の時期の庭はたいそう美しいと評判。無論それ以外の時期も味があって非常に良いのは言うまでもない。
- 本尊の十一面観音は、聖徳太子がまだ根を張って葉を茂らせている杉の木を彫った物らしい。仏像のためとはいえ自然破壊なんじゃ……?
- 読み方は「ひゃくさいじ」。「くだらじ」とかではない。
- 大阪府枚方市にあるのは「百済寺(くだらじ)跡」。
西明寺[編集 | ソースを編集]
- 湖東三山の一つ。他の2寺同様、紅葉の時期が一番美しいが、他の時期も宜しい。
- 信長に焼討されたが、本堂と三重塔は焼失を免れた。
金剛輪寺[編集 | ソースを編集]
- 紅葉のみならずあじさい、石楠花と飽きが来ない。
龍潭寺[編集 | ソースを編集]
- 井伊直政の彦根進出に伴って、遠州井伊谷から持ってきたお寺。
- 井伊谷にある龍潭寺とは兄弟分。もちろん向こうが、兄貴分。
- 井伊谷の龍潭寺の5世昊天宗建(後に京都妙心寺の97世住職となった方。)を、井伊直政が呼び寄せて分寺した形。
- 宗派は臨済宗妙心寺派。
- 参道が見事。
- 龍潭寺垣と呼ばれる竹垣の間を行く。
- 佐和山の木々の濃緑を背景に江戸時代に建立された見事な山門や仏殿を望みながら行くのって贅沢だと思う。
- 山門は佐和山城の城門を移築したものらしい。
- 享保18年(1733年)頃に造られたものらしく、大変立派である。両脇に潜戸を設けて、更に築地塀があるという時代劇に出てきそうな構えは、巨刹に相応しい。
- なお、端材を別途、茶室に回している。
- 方丈建築は彦根界隈では珍しいものらしい。
- この方丈の襖絵104面は、蕉門十哲の1人である森川許六の手によるもの。
- 龍潭寺庭園は見事。寺自体は庭の寺として知られているほど。
- 元々、このお寺は学僧が数多く集まる寺だったらしい。禅宗の大学寮があるお寺で、その中に園頭科という今で言うところの造園業の専門学科みたいなのがあったんだとか。そら見事にもなるわな。
- 学僧が実習として作った庭などが現在も残っている。
- 実際、多数の造園学僧を輩出したらしい。
- 書院東庭は蓬莱池泉庭と呼ばれる庭園。
- 佐和山を背景に大きな池が横たわるという豪華な造りの池泉鑑賞式庭園になっている。
- 岩壁のような岩の枯滝があったり、石組みが鶴と亀で向き合うように組まれていたり、細やかに配石されているのが面白い。
- 彦根市指定文化財らしい。
- 書院東庭は小堀遠州によって作庭されている。井伊谷の龍潭寺と同じ。
- 佐和山を背景に大きな池が横たわるという豪華な造りの池泉鑑賞式庭園になっている。
- 方丈南庭は通称「ふだらくの庭」と呼ばれている。
- 48もの岩を白砂の上に配した石庭で、これも結構有名。
- 観音菩薩の住む補陀落山を表しているが、仏様の世界への渡し舟に見立てた舟石があったりと見事である。
- 元々、このお寺は学僧が数多く集まる寺だったらしい。禅宗の大学寮があるお寺で、その中に園頭科という今で言うところの造園業の専門学科みたいなのがあったんだとか。そら見事にもなるわな。
- 飄々庵は佐和山城の城門を使った茶室。
- 毎年4月1日と2日に、だるま祭りというお祭りが行われる。
- 龍潭寺の晩鐘は音色が非常に良いと言われている。
- 元々は、佐和山城内の鐘だったらしい。
済福寺[編集 | ソースを編集]
- 彦根市
- 彦根大仏がある。
- 性格には「大仏延命地蔵菩薩」というらしい。江戸期のもので、高さ5.5m位。
- 大仏様の胎内には彦根藩11代藩主井伊直中が夢の中で聞いたお告げに従い寄進した胎内仏「安産地蔵尊」が祀られているとか。
- 子宝・安産の祈願寺らしい。
大師寺[編集 | ソースを編集]
- 彦根市
- 駅前の弘法さん
- で知られているお寺。
- 寝弘法さん奉安のお寺として有名。
- 寝弘法さんの頭中には、京都の東寺に分けてもらった「仏舎利」が奉納されているんだってさ。
湖北[編集 | ソースを編集]
青岸寺[編集 | ソースを編集]
- 婆娑羅大名佐々木道誉が開基のお寺。
- 青岸寺庭園は国の名勝やで。
- 築山林泉式の枯山水庭園。枯山水にありがちな白砂利で水を表現する形ではなく、苔をふんだんに使って枯山水にしている。
- 時々、長雨や台風等の影響で枯山水が池泉式庭園に変わる。
- 築山林泉式の枯山水庭園。枯山水にありがちな白砂利で水を表現する形ではなく、苔をふんだんに使って枯山水にしている。
- 2018年の台風21号では、庭園に限らず、境内全体で倒木があったり、枯れ葉が溜まるなど、若干の被害があった。庭園の倒木や枝、木ノ葉などの回収で大変だったようである。
- それでも住職はポジティブに枯山水の池にほんまもんの水が溜まって池泉式庭園に変わったという趣旨のことをブログ投稿。
- 「自然と人間の作り出した空間」と仰っている。
- それでも住職はポジティブに枯山水の池にほんまもんの水が溜まって池泉式庭園に変わったという趣旨のことをブログ投稿。
- 紅葉の時期の庭園はマジで美しい。
- 本尊は聖観音立像を胎内仏とする秘仏聖観音坐像。
- 六角氏頼が造立したもの。
- 「お腹籠観音」の名で知られている。
- 喫茶去というサテンを開いている。
- 年によっては、晩夏になると自家製のしそを用いたしそジュースを出したりしてくれる。
- 米原駅から徒歩5分くらい。乗換だけの何もない街だと思っている人は一度訪れて反省してほしい。
- 宗派は曹洞宗。
- 曹洞宗の寺院って、どうしてこうも美しい庭園が多いんだろ……
- 令和元年(2019年)、寺の庭のライトアップを目論む。
- 檀信徒が少ない寺なので、寄付型クラウドファンディングでやってのけようとした。(最低目標は一応達成。)
蓮華寺[編集 | ソースを編集]
- 米原市番場
- 聖徳太子が建てたお寺。当時は奈良と同じ法隆寺と言う名前だった。
- 浄土宗の本山。
- 忠太郎地蔵尊がある。
- 番場の忠太郎伝説ゆかりの寺ですからねえ。
- 日本の切腹文化発祥の地
- 南北朝の戦いの時に境内で北条仲時が集団自害(割腹自殺)し、当時の住職が全員分の墓を寺の横に作った。
- 432名が集団で切腹したとか。これが日本史上初の切腹案件らしい。
- 境内のもみじ,つつじがきれい。
- 天皇家から菊の紋章を受けている。
- 寺の山門は、天皇家が通る時と特別なとき以外閉ざされている。
- 斉藤茂吉と縁が深く、境内に句碑がある。
- 斎藤茂吉の師匠が49代目の住職だったらしいよ。
- 中世日本仏教史研究者として知られる大橋俊雄が貫首をつとめたこともある。
松尾寺[編集 | ソースを編集]
- 米原市上丹生
- 霊仙山の山塊に抱かれた醒井の奥、上丹生にあるお寺。
- 石像九重塔がある。
- 国指定重要文化財らしい。
- 天台宗の寺院。
- 飛行観音と呼ばれる十一面観音菩薩が御本尊。
- なんでも雲の中から、ふらっと現れたらしい。
観音寺[編集 | ソースを編集]
- 米原市朝日
- 横山城のある山の麓にあるお寺。
- 一山越えれば、石田会館のある長浜市石田町。
- 豊臣秀吉が茶を3杯貰ったときに、茶を淹れてくれた小姓を気に入ったとかいう伝説のあるお寺。
- 寺自体は、仁寿年間(851年 - 854年)の創建。当初は法相宗の寺院だったとか。
徳源院[編集 | ソースを編集]
- 米原市清滝
- 婆娑羅大名佐々木道誉の一族、京極家の菩提寺。
- 春は枝垂れ桜が、初秋には萩が、晩秋には紅葉の色づきが見事な寺である。
- 江戸初期に丸亀藩主だった京極高豊によって色々再整備されたらしい。
- 三重塔も京極高豊が造らせたものだし、また、京極家代々の墓も、高豊が方方から集めたり、無かった人のものは補ったりしたものらしい。
成菩提院[編集 | ソースを編集]
- 米原市柏原
- 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三傑に縁がある天台宗の寺院。
- 永禄11年(1568年)、織田信長が浅井長政と会見し同盟を結んだときにも、行き帰りにこの寺に宿泊し、何故か、浅井領内のこの寺に、150石の寺領を寄進していたりする。でも10年後に、この同盟が崩壊した結果、この辺りで、両者の小競り合いが起きて堂宇は燃えたとか。
- 秀吉も家康も、信長の前例を踏襲し、150石を寺領として与えている。因みに家康は関ケ原合戦後、このお寺により余った兵糧米200石を寄進したとか。
- 元は天台宗の開祖、最澄さんが、弘仁6年(815年)頃、この地に逗留したとき、成菩提院のある辺りで荒屋を見つけ寝泊まりしたのが始まりだとか。
- 鎌倉時代には、近江の御家人だった京極氏の庇護のもと、天台宗の談議所として湖北一帯に名を轟かせたとか。その後、室町時代に一度焼かれるも足利義満の寄進を受けて再建されている。
- 寺宝の絹本著色浄土曼荼羅、金剛雲形孔雀文磬は国指定重要文化財の品。ついでに何故かある絹本著色聖徳太子像も重要文化財指定。
- 他にも具足とか色々あるみたいよ。
- 本堂の拝観は要予約。ほかはふらっと立ち寄れるっぽい。
福田寺[編集 | ソースを編集]
- 米原市長沢
- この辺りではそれなりに権威のある浄土真宗本願寺派の寺院。
- 戦国期には織田信長と対抗したらしい。
- 創建は白雉34年(683年)と、とんでもない歴史がある。
- 一時期、井伊大老の従兄弟が住職をやっていたらしい。
向源寺[編集 | ソースを編集]
- 天平年間に、聖武天皇の養成を受けた泰澄が開いたお寺。
- 当時の前身となる光眼寺を建立した泰澄は、十一面観音像を彫って息災延命、万民豊楽の祈祷を行ったとか。その結果、憂いは絶たれたという。
- 十一面観音像が、御本尊様。
- 「昔、ルーブル美術館のミロのヴィーナス像が東京の美術館に来た時、ヴィーナス像と引き替えに派遣される予定だった」と高月の噂のところにあった。
- 宮内省全国宝物取調局の九鬼隆一が、日本屈指の霊像と賞賛したほど、見事なもの。
- 年に一度、秋口にだけ限定公開される。
- 古社寺保存法に基づく「国宝」指定第1号。
- 因みに戦後、文化財保護法に基づく国宝にも指定されている。(古社寺保存法上の国宝は、戦後の重要文化財と同格。)
- 泰澄が彫ったらしい。
- 木造大日如来坐像もなかなか。
- 重要文化財指定。
赤後寺[編集 | ソースを編集]
- 行基が養老4年(720年)に開いたお寺。
- 境内の杉の巨木が有名。
- 赤後寺の杉という名前がついている。
- 木造菩薩立像と木造千手観音立像があって、どっちも重要文化財に指定されている。
鶏足寺[編集 | ソースを編集]
- 事実上、廃寺となっている真言宗のお寺。
- 開基は行基菩薩。
- 己高山という山の中にあるが、元々この山は天台系の修行の地だったとか。
- 県指定文化財をはじめ多数の文化財を持っているとか。廃寺のくせに……
- 山麓の古橋集落にある与志漏神社にある世代閣と己高閣という2つの収蔵庫に、地元の方の手厚い保護のもと保存されているとか。
- 紅葉の名所として有名。シーズンには、すごい人の数になる。
- 付近の道路も渋滞する。
- 無名の寺だったんだが、平成20年代に滋賀銀行が紅葉シーズンの写真を撮ってポスターにした所、有名になってしまい、こんなことに。
石道寺[編集 | ソースを編集]
- 長浜市木之本町石道
- 作家井上靖の小説「星と祭」で有名。
- 作中で当寺の観音像の姿を村の若い娘に例えた。
- 平安時代末期のものと見られる木造十一面観音立像がある。
- 県指定の重要文化財。
- 庭が見事に手入れされている。紅葉やツツジが綺麗。
- 地元の方が、協力してやっているそうな。
宝厳寺[編集 | ソースを編集]
- 宝厳寺唐門が有名。然し乍ら只今(2013年末)工事中につき……
- 秀吉のお気に入りだったらしく豊国廟から色々もらってきた。おかげで江戸幕府には……
- 境内には豊臣時代の大阪城極楽橋があるとか。現存する唯一の豊臣時代の大阪城の建造物らしい。
- 都久夫須麻神社と仲が悪いのかしらんが、ホームページで相互リンクはどっちにも一つも乗っておらず…… ネット上のたったそんだけのことで以って判断するのはイカンとは思うが、邪推してしまう。
- 少なくとも「リンク集の項目に、近江高月の歴史博物館のURL載っけるくらいやったら」と思わんでもない。
- 神社も含めて「拝観無料!」のはずが……
- 船代だけならまだしも(それでも十分高いけど)、仮に鳥人間になって自作飛行機で島まで行っても入島料を払わねばならんという……
湖西[編集 | ソースを編集]
興聖寺[編集 | ソースを編集]
- いい感じの古い庭がある。
- 朽木氏の檀那寺にして曹洞宗の巨刹として栄えたらしいが、今や見る影もない。