熊本/天草
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天草地方の噂[編集 | ソースを編集]
- 天草四郎時貞
- その実体は担がれた単なる美少年だったらしい。
- よくあるパターンとして推察するなら、担いだのは女ではなく暑苦しい風体のオッサン。自称「黒幕orボスorキングメーカー」とか言う類。
- 九州式ヒエラルキーの典型。オッサンたちが期待すると、それを叶えなければ村八分にされてしまう。
- 肥後加藤家取りつぶしのため浪人となった旧臣たちが担ぎあげた、てな話がありました。
- 記録されているのは器量良し、当時の器量良しは美形という意味を持たず、有能を指す…つまりそういうことだ
- よくあるパターンとして推察するなら、担いだのは女ではなく暑苦しい風体のオッサン。自称「黒幕orボスorキングメーカー」とか言う類。
- ちなみにこの人宇土市民らしいよ。
- 他にも長崎出身だとか、じつは天正遣欧少年使節の千々石ミゲルの孫だとか、極めつけは豊臣秀吉の孫だったんじゃないのかという説まであるらしい。
- その実体は担がれた単なる美少年だったらしい。
- 「てんぐさ」じゃない。
- よく長崎と間違えられる。実際雲仙が見える。
- キリスト教のイメージが強いのが理由かもしれない。
- 『平成の大合併』でほとんどが「天草市」、「上天草市」となったが、火力発電所がある苓北町だけは合併しなかった。
- 天草の方言と熊本の方言は別物(天草のは長崎の方言に近い)
- 確かに天草の人と話してても違和感ない(長崎人)。
- 五橋が架かるまで、島民に運転免許所持者がいなかったという噂、そのくらい船文化だったから天草南部は鹿児島弁の影響を受けている。
- 熊本の中心部に出かけることを「熊本に行く」と言う
- アンチ熊本の市民が多い
- 正月のしめ縄は一年中飾ったまま。
- 切支丹と疑われないための自衛策が慣習となったらしい。夏でも秋でも真っ黒になったダイダイをつけたしめ縄が飾ってあります。
- 第1回世界サンタクロース会議が2013年に開催された。
- 第2回も天草で行われることが決まった。
- 天草市より上天草市の方が誕生が2年早いので、その間は天草に市が3つ存在したことになる。
上天草市の噂[編集 | ソースを編集]
- 市名案には「天草シオマネキ市」なんてのもあったらしい。
- 笑い者にならずにすんでよかった。
- ハクセンシオマネキ市なんてのもあった。
- 公募では、その「天草シオマネキ市」がトップだったってマジ??
- シオマネキが「死を招き」につながり縁起が悪いので町民から猛反対された。
- 経済難から市長が市を捨てて県議に立候補するが落選し、市民の笑いものになったらしい。
- ジャスコが市民の憩いの場(人気のデートスポットもジャスコ)
- ジャスコは本渡にもある。さすがに牛深には無いが。
- 市を名乗っているが、核となる(基本となりお手本となる)自治体が無く4町(町役場)が適当に合併しただけなので、職員のレベルは所詮旧役場並。
- 上天草市=天草上島のことかと思ってしまうが、じつは上島の半分以上は上天草市じゃなくて天草市。市名案にもあったらしいが「東天草市」のほうが妥当だったかもしれない。(by他県民)
- 市章の一部分がヒトの鼻に似ている。
- 鶏肉・天草大王の産地。
- 2004年3月31日、天草郡大矢野町・松島町・姫戸町・龍ヶ岳町の4町で新設合併し発足。「天草シオマネキ市」でなくて本当によかった(苦笑)
大矢野[編集 | ソースを編集]
- ここだけ天草諸島の中で牛深簡裁管内でも天草簡裁管内でもない。
- 宇城簡裁の管内だ。
- 市外局番も郵便番号も宇城地区。
- 大矢野と残りの三町には、深くて狭い溝がある。
- 正直、合併した理由がいまだに理解できない。
- そんな浮いた場所に市役所が置かれようとは…
- それでも、上天草市の中では人口が一番多い。いや、旧牛深市とほぼ同じぐらいかそれ以上かと。
- 病院はないので一番近い病院が宇城市三角町の済生会みすみ病院(救急対応)。
- 西の沖合、島原半島との中間付近に湯島という島がある。
- 別名、談合島。むかし島原・天草の乱の首謀者たちがこの島に集まって作戦会議をしたからそう呼ばれるらしい。
- 決して、土建屋がゴニョゴニョ・・・という意味ではない。
- この島のためだけにミニサテ局(テレビ中継局)がある。集落が南側にあり、山で電波が遮られるせいらしい。
- 別名、談合島。むかし島原・天草の乱の首謀者たちがこの島に集まって作戦会議をしたからそう呼ばれるらしい。
- 天草四郎メモリアルホールはここ。
松島[編集 | ソースを編集]
- 「天草松島」という名所がある。
- 日本最短・五十音順先頭の村だった阿村があった。
- 松島商業高校があったところである。しかも
姫戸[編集 | ソースを編集]
- とある鍾乳洞は島原まで続いていると言うが真相は…
龍ヶ岳[編集 | ソースを編集]
- この山があるからこの町名。
- となりの倉岳も同じ。あっちは天草市になった。
- 三角、八代、本渡に船が出ている。港の周りへ行くだけなら八代から船のほうが便利かもしれない。
- 関東人からしたらコレと紛らわしいのでは?
- いや、お互いに気にしないでしょう、その位なら…。
天草市の噂[編集 | ソースを編集]
- 天草地域全域を含んでるわけじゃないのに、上天草市に対して「下」もつけずに「天草市」。
- 天草諸島には市が2つ(本渡・牛深)あったが、両方含んだ。
- 本土と橋で繋がった島の市町村の中では一番人口が多いらしい。
- 合併前は天草・河浦の旧両町には海に遮られて孤立した地区があった。
- むかしは船が主な交通手段だったので、孤立というよりそのほうが便利良かったらしい。
- 中心は天草じゃなくて本渡。
- 案内標識も未だに本渡になっている。
- というか天草町と混同されるからだと思う。
- 案内標識も未だに本渡になっている。
- 市立病院が4つもある。(牛深市民、栖本、河浦、新和)ただし、牛深市民病院以外は小規模である。
- 2006年3月27日、本渡市・牛深市・天草郡有明町・御所浦町・倉岳町・栖本町・新和町・五和町・天草町・河浦町の2市8町とで新設合併。市役所本庁舎は旧本渡市役所に置かれた。
- 苓北町は仲間外れにされた。
- 仲間はずれにされたのではなく、火発の税収を持っていかれるのが嫌で苓北町が逃げたのが正解だろうがよ。
- 苓北町は仲間外れにされた。
本渡[編集 | ソースを編集]
- 裁判所があるが、本渡市時代から「天草」を冠している。
- 天草の中心地だからいいんじゃないの?
- 本渡港や市役所があるのは天草下島側だが、旧本渡市の範囲は上島にもまたがっていた。まさに天草の中心、ということで・・・
- 天草の中心地だからいいんじゃないの?
- 原城が有名だが島原の乱の激戦地の一つ。
- 富岡城から来た代官軍と一揆軍が激突。代官軍は動員した百姓達に寝返られて代官の三宅重利以下が戦死して壊滅した。
- 勝手に補足。原城は南島原市にある。この本渡での代官軍との戦いのあと、一揆勢は島原に渡り島原一揆勢と合流して原城に立て籠もった。
- この辺の経緯は天草キリシタン館に行くとわかりやすく解説展示がある。島原側の資料館より良く流れがわかる(向こうは天草側含めた経緯まで解説しなくても解説する話題が豊富と言うこともあるが)。展示として秀逸だと思う。
- 水族館があった(天草いるかワールド)
- スナメリに触れる唯一の水族館だった。
- ここのジョイフルは一時期売上が熊本県一だったらしい、今も?
有明[編集 | ソースを編集]
- 有明海周辺の佐賀県や長崎県にも「有明町」があったが、ここは少し離れている。
- だが、こっちのほうが自治体としては後まで残った。
- 天草上島の有明海(島原湾?)沿岸の村が合併してできた町だったためか、真ん中らへんというか中途半端な所に役場があった。
- 道の駅有明はリップルランドとも呼ばれる。
- たこ飯が食べられる。
栖本[編集 | ソースを編集]
倉岳[編集 | ソースを編集]
- 倉岳という山があるから倉岳町。
- 隣にもそんな町があったような気がする。
- 天草最高峰
- 県立倉岳高校があったが、天草高校の分校になってしまった。というか元に戻った。
- 御所浦行きのフェリーが発着する棚底港がある。
- 倉岳神社からの眺めは綺麗。
御所浦[編集 | ソースを編集]
- 天草市になるまで、合併経験がなかった。
- 化石の宝庫だ。
- フェリーには「恐竜の島 御所浦」と大きく書かれている。
- 御所浦白亜紀資料館という博物館もある。
- フェリーには「恐竜の島 御所浦」と大きく書かれている。
- 天草上島から少し離れた御所浦島などからなる離島自治体だった。倉岳町の棚底港からのフェリー、三角や本渡からの高速船がある。
- 平成の大合併前の市町村単位では、熊本で唯一の離島自治体だった。
- となり(?)の獅子島(鹿児島県長島町)にも御所ノ浦という港がある。まぎらわしくないのか?
- 水道の原水は対岸部の水俣市から供給を受けている。
- 天草・芦北のラジオの送信拠点でもある(NHK-FM、エフエム熊本、RKKのAMラジオ)
- 隣の横浦島の与一ヶ浦は那須与一が由来。
新和[編集 | ソースを編集]
- 天長フェリー(フェリーロザリオ)が発着する所、と言ったらわかってもらえる(こともある)。
- 中田港の周辺は待合所以外は何もない。
- 楊貴妃が晩年住んでいたという山があるらしい。
- 焼酎が造られている。
- 天草酒造の本社はここ。
五和[編集 | ソースを編集]
- 船で長崎・南島原がすぐ。
- 長崎の人には、船が着く「鬼池港」と言うほうがわかりやすい。実際は町の中心地じゃないらしいが。
- 天草空港(飛行場?)は、ここと旧本渡市の境目にある。
- 旧町域の北の方に通詞島というのがある。実際に、通詞の子孫がいたという説があるらしい。
- 通詞大橋はライトアップされる(12月後半〜1月3日)
- 五和というのは、5つの町村が合併したのでこの名前となった。ありがちなネーミング。
- そのうち二江だけが町で、鬼池を含む残り4つが村。でも上記のように交通拠点として馴染み深いのは鬼池。
- ホエールウォッチの名所。
天草[編集 | ソースを編集]
- 天草の中心じゃなくていちばん西にあるが、大胆にも「天草町」を名乗っていた。合併しても天草市天草町。
- 天草灘に面してるし、下田温泉や妙見ヶ浦、大江天主堂など観光地も多い→観光客もよく来るからいいのかな。実際、西海岸を走る国道からの眺めは綺麗。
- 上の方にも書かれてるが、湾を挟んだ南の対岸に、旧牛深市の左上を削り取るような形の飛び地があった。
- 天草市成立後は本渡警察署から牛深警察署の管轄に変更された。
- 大江天主堂がある。
河浦[編集 | ソースを編集]
- 軟式野球の古豪、河浦高校がある。
- 2017年廃校。
- 戦国時代の末期にコレジオが河浦に移され、いまでいう学園都市だった時期があったらしい。ヨーロッパから帰ってきた天正遣欧少年使節らも学んでいたとか。
- 崎津地区は昔勝海舟が泊まったらしい。そのあと崎津天主堂教会ができた。
- 2018年、晴れて世界遺産に登録された。
- 東シナ海(の中の羊角湾)と不知火海の両方に面するので、本渡から牛深へ陸路で行くと必ず通る町。
牛深[編集 | ソースを編集]
- 遠い。
- 熊本市からだと、本渡でバスを乗り継いで3時間以上、ヘタすると4時間かかる。
- 天草空港から車でもたぶん1時間以上かかる。
- 少し前まで水俣からの高速船があって、1時間ちょっとで行けた。九州新幹線が全通した今だったら、新水俣駅経由で熊本から2時間あまりで行けると思うのに・・・新水俣駅の位置がアレだから微妙だが・・。
- 地図で見るとかなり遠回りだが、新幹線で出水(鹿児島県)まで行って、駅からシャトルバスで長島の蔵之元港(約1時間)→フェリーで牛深(30分)というルートがいちばん速いかもしれない。
- コロプラという位置ゲーでは、天草市でも牛深だけ独立していて、熊本県制覇の最難関。九州本土では一番行きにくい場所だと思う。
- 熊本市からだと、本渡でバスを乗り継いで3時間以上、ヘタすると4時間かかる。
- 合併前から牛深市だったのに、いままで記事も見出しもなかったとは、どういうことだw
- むかしから漁業がさかんで、牛深ハイヤ節などで知名度もかなりあると思うんだが、遠すぎるのと人口が少ないから?
- 合併前の人口は2万以下だった。。。
- 旧大矢野町より少し多かった18000人程度だったとか。
- そう言われたら、熊本市繁華街の居酒屋は「牛深直送」を売りにしている所が多かったような…。
- 合併前の人口は2万以下だった。。。
- むかしから漁業がさかんで、牛深ハイヤ節などで知名度もかなりあると思うんだが、遠すぎるのと人口が少ないから?
- 蛭子能収は長崎出身ということだが、出生地はここ牛深だとか。
- むかしから長崎とは人の行き来が多かったらしい。方言や文化もなんとなく似てるような気がする。
- 天草は程度の差こそあるもののどこもそんな感じらしい。
- むかしから長崎とは人の行き来が多かったらしい。方言や文化もなんとなく似てるような気がする。
- ハイヤ大橋を渡り、下須島の山を越えると、天草炭鉱烏帽子坑がある。
- 宮本武蔵のロケ地に使われた茂串海岸がある。
天草郡の噂[編集 | ソースを編集]
- 平成大合併でいくつもの自治体がいっぺんに合併したのであっという間に苓北町1町だけに…。
苓北町の噂[編集 | ソースを編集]
- 天草を別の呼び方で「苓州」と呼ぶそうだが、その北に位置するって意味でついた単純な町名。こんな単純な地名に限って残っちまったか。
- 合併するもしないも結局は「税収÷住民数」
- そもそも「苓」という漢字はここ以外ではまず使わない。
- 「苓」というのは甘草(リコリスなんかもこれの一種)のことで、「あまくさ」に引っ掛けて天草のことを表すようにもなったそうな。
- 日本人がこの漢字を他に見かける機会があるとすれば「亀苓膏」(いわゆる亀ゼリー)ぐらいか?
- 「苓」というのは甘草(リコリスなんかもこれの一種)のことで、「あまくさ」に引っ掛けて天草のことを表すようにもなったそうな。
- 長崎市へフェリーが通っている
- そのフェリーは国道フェリー
- 長崎市には行かなくなりました。南島原市へならあります。
- そのフェリーは国道フェリー
- 火力発電所でもっている
- 熊本県の2/3の電気を賄っている。
- 火力発電所の開設は1995年と意外と新しい。
- 富岡城の石垣と櫓が復元されている。
- 島原の乱の時に数で圧倒する一揆軍に対し、二の丸をわざと明け渡し殺到した敵に大砲を打ち込むと言う「肉を切らせて骨を絶つ」作戦で撃退した。
- 島原の乱までは、唐津藩の飛び地だった。
- 乱の責任を取らされて唐津藩(寺沢氏)は天草領を没収された。
- 苓北町だけじゃなくて天草ぜんぶが唐津藩領だったそうです。
- ↑に書かれてる撃退作戦でかろうじて富岡城を守ったので、唐津藩お取りつぶしは免れたらしい。でもまあ、その後に藩主は自害して寺沢氏は断絶してしまったんだが。
- その後天領となったが「城なんて維持する余裕があったら領民の税を下げよう」と幕府に抗議の自殺をしたり、城を破却して陣屋のみにする様な領民思いの代官が続いた。
- いいからGoogle Earthで富岡城周辺ぐるぐる廻して見てみよう
- 四季咲岬のあるエリアとは砂州で繋がれていて、その上に街がある感じである。
- 四季咲岬といえば、四季咲きというだけあって、本当に、四季毎にハマユウやツバキなど様々な花が咲き乱れる。
- 夕日が美しいことで知られているが、場所が不便すぎて人はあまり来ない。
- こんな岬でもご当地ソングがある。昔、小柳ルミ子が歌っていたらしい。
- 昔は、大塩田があったらしい。
- 東シナ海に面しているだけあって、海中の自然が豊かだ。
- サンゴ礁の間を熱帯魚が泳ぐさまは竜宮城のようらしい。
- 自称、熊本県庁から最も遠い町。