空手

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  1. 元々は「唐手」。唐=中国で、手=沖縄の武術。両者が融合した武術を意味する。
    • 手は「技術」という意味もあり、中国武術という意味で使われる事もあった。
    • 中国武術を習った佐久川寛賀は「唐手佐久川」と呼ばれており、その場合の唐手は中国武術という意味であった。その後、沖縄の武術と融合していった。(諸説ある)
  2. 首里手、那覇手、泊手など様々な系統がある。
  3. 首里手系は琉球王国時代に首里城付近に住む士族が使ったもの。
  4. 首里手系で最も有名なのは佐久川寛賀の弟子の松村宗棍で、国王の武術指南役だった。
  5. 松村宗棍は薩摩で示現流を学び、免許皆伝。そのため首里手系には剣の技術がミックスされている。
    • 北京で中国武術も学んだ。
  6. 唐手は元々少人数で学ぶ秘術であったが、松村宗棍の弟子の糸洲安恒が学校教育などで広く教えた。
    • 大人数で学べるように練習法も改変した。ざっくり言えば習得しやすいようにシンプルな型(ピンアン初~五段など)を創作し、かつ号令をかけて動作をあわせながら習得できるようにした。この改変には賛否あるが弟子を多く育てた。
  7. 小学校の先生であった船越義珍は、糸洲安恒のピンアンを学校で教えた。
    • 船越は1916年、京都武徳殿において唐手を演武して注目を浴びる。1922年に再び上京し、唐手の型や組手を紹介した。
    • 講道館での演武では、嘉納治五郎と多くの柔道家が集まった。
    • その後も東京で唐手の指導を続け、「琉球拳法 唐手」という書籍も出版し、普及に努めた。
    • 以降、慶應義塾大学や東京帝国大学に「唐手研究会」ができるなど、徐々に空手が広まっていった。
    • その後、唐手が日本全国に普及するに伴い「空手」という名称が広まった。
    • 1936年、船越は著書「空手道教範」で、空手に「道」をつけて空手道とした。
    • 1940年、船越は「松濤館」道場をつくり、松濤館流の開祖となった。
    • 船越義珍は型を絶対とし、自由組手には終生反対していた。
  8. 船越とは逆に、糸洲安恒の弟子である本部朝基は型と共に組手を重視し、52歳のときに外国人のボクシング選手を一撃で倒す。
    • その様子が大正当時、国民的雑誌『キング』に掲載されて唐手が全国に知れ渡った。
    • 後年、ボクサーのピストン堀口が本部に挑戦するも、全く葉が立たなかったという。
    • 著書「私の唐手術」では空手の型「ナイファンチ」が詳細に説明されており、相手に入り込んで打つ実戦的な内容となっている。
  9. 空手は本来武器術を含み、棒術を基本としてサイ、トンファー、ヌンチャクを学ぶ。
  10. ヌンチャクはブルースリーが映画で使って有名になったが、ブルースリーは「カリ」の技術をベースにヌンチャクを使用しており、空手の使い方とは異なる。例えばブルースリーはヌンチャクの先端を握っているが、空手の多くの流派では根元を握って操る
  11. サイは引き手を引くサイに誤って脇バラを貫通してしまうという事があるため、練習に入る前に注意される。
    • 居合でも親指を切る場合がよくあり、武器固有の怪我がある。ヌンチャクではよく誤って頭や肘を打つ。とても痛い。
  12. サイとトンファーは中国で似た武器があるが、ヌンチャクは沖縄独特の武器。
  13. 普通、武器術を披露すると感心されるものだが、ヌンチャクだけは映画の影響ですごく感心されるときと、爆笑されるときがある。
  14. ヌンチャクは実戦的かという議論はあるが、サイ、トンファーより習得しやすく動きも速く変則的なので、とりあえずヌンチャクを持った人とは戦いたくない。
  15. 棒術は特に発展しており多数の棒術の型がある。「空手と棒術は両輪」という人もいる。
    • 空手の型にも棒術の所作が含まれていることがある。
    • 空手はボクシングと違い、突きのときの逆の手を引くが(引き手)、これはそのまま棒術の打ちに転換できるようになっている。

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