素晴らしき将棋棋士の世界/さ~な行

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さ行[編集 | ソースを編集]

斎藤慎太郎[編集 | ソースを編集]

  1. ニックネームは「新・西の王子」
    • ちなみに「元祖西の王子」は山崎隆之。
    • 当人公認?のニックネームは「さいたろう」
      • 元々は中村桃子の言い間違えから。
  2. 甘いマスクとはんなりとした関西弁で女性人気をつかんでいる。
    • 関西若手棋士イベントでサイン会を行ったところ、約8割が女性ファンだった。
    • 「年下系男子」としてananで紹介されたこともある。
  3. 奨励会入会を決めた際(当時10歳)に、イベントで指導対局を受けた畠山鎮に自ら手紙を出し、弟子入りを志願。
    • 師匠からは将棋だけではなく、体幹トレーニングの指導も受けている。
  4. 詰将棋に対する思い入れが強く、「好きを通り越して愛している」と公言するほど。
    • 奨励会時代「明日友達と遊ぶ」と言った他の奨励会員に対し、「俺は明日詰将棋と遊ぶんだ」と返したという。
  5. 2018年の王座戦挑戦者決定トーナメント準決勝では藤井聡太の最年少タイトル挑戦記録を阻止する勝利を挙げた。
    • そして挑戦者決定戦では渡辺明を、「王子対決」といわれた王座戦五番勝負では中村太地を下し、初タイトルを獲得した。
  6. 実家はCoCo壱のFCオーナー。
    • 将棋を始める前は習い事として水泳、ゴルフ、ドラムをやっていた。
    • 王座の就位式にて来賓として祝辞を述べたのはCoCo壱の創業者である宗次徳二氏。
      • この時点で既に氏は経営から引退して久しかったが、ココイチへの思い自体は変わらず強いことが伺える。

佐々木大地[編集 | ソースを編集]

  1. 村山聖ほどではないが、生死の境をさまよった経験がある。
    • 9歳の頃、拡張型心筋症で当時住んでいた対馬から福岡に緊急搬送。
      • 当時は心臓移植しか助かる方法はないと思われていた。
    • そのような状況にもかかわらず、小学生名人戦の福岡県予選に強行出場し優勝。
      • その後、奇跡的な回復を遂げた。
  2. 三段リーグ次点2回による昇段後1年以内でC級2組昇格を決めた。
    • 2018年時点で唯一の記録。
  3. とにかく義理堅い。
    • 師匠の深浦康市がA級降級の危機にあった最終局、記録係のオファーを断って現地に向かった。
      • そして深浦が勝利し、六者プレーオフが実現した。
      • ただし、AbemaTVの現地中継でAbemaのスタッフジャンパーを着て登場した。
    • 叡王戦第1局では会場の名古屋城まで高見泰地の応援にやってきた。
      • 高見が勝利し、叡王獲得への第一歩を記した。
      • ただし、ニコ生の中継で高見の作戦をバラした。
  4. 鉄道の運転見合わせで対局に遅れそうになり(将棋連盟には連絡済)、ヒッチハイクで将棋連盟まで向かったことがある。

佐々木勇気[編集 | ソースを編集]

  1. 通称「青いの」。
    • 将棋連盟のフットサル大会に日本代表のユニフォームを着て参加。
    • 攻めるだけで守りに参加しなかったので渡辺明から「そこの青いの、守れ!」と言われた。
  2. 藤井聡太に初黒星をつけた。
    • 対局が決まってから藤井聡太の対局を見学して対局場の雰囲気を体験するなど、周到な準備をはかっての勝利だった。
  3. 生まれたのはジュネーブ
    • 当時フランスにいた両親が、設備の整ったジュネーブの病院で出産した。
  4. 対局時の食事では必ず餅を追加する。
    • 「力うどん、餅追加」をオーダーするほど。
      • この人かどうかは定かでないが、勘定をピッタリにするためにオプションを頼むことはあるらしい。
        • 力うどん950円+追加の餅50円、でピッタリ1,000円とか。
  5. 将棋連盟職員情報として将棋会館の近所をスキップしていたことを森下卓から暴露された。
    • なお、当人は「やってない」と否定。
      • しかし、否定したのは「千駄ヶ谷駅から将棋会館までずっとスキップしていた」ことで「帰りに将棋会館から千駄ヶ谷駅までの坂道でスキップ」したことは認めた。

佐藤天彦[編集 | ソースを編集]

  1. あだ名は「貴族」。ファッションにこだわりがある。
    • 金をつぎ込みずぎて、光熱費の支払いができなくなったことがあるくらい。
    • 名人戦の賞金でヨーロッパから高級家具を大量に仕入れた。
      • 「婦人画報」の将棋特集でお宅訪問を受け、各界に衝撃を与えた。
    • タイトル戦の和服もグラデーションが入っていたり、アザラシ柄の羽織を着用したりする。
      • ついには対局中に着替えるという新手を編み出した。
        • 当人曰く「室温が暑かったので、夏用の着物に着替えた」とのことであるが、普通の棋士はそこまで準備しない。
          • 事実、直後の王位戦で菅井達也に袴の不調があったが、替えの着物がなくスーツに着替えて対局している。
    • 投了前にはリップクリームを塗ってから投了する。
  2. 三段リーグ次点2回による昇段を唯一断った男。
    • 結果的に名人にまで上り詰めたのだから、本当に強ければ遠回りは問題ないという典型であろう。
      • 三段リーグ次点2回を断った場合は「次点1回」の扱いとなるため、権利は保留できず、もう一回次点(3位)を取るか、まっとうに2位以内に入らなければ四段には上がれない。
    • そして四段昇段後の棋士総会で自己紹介した際に師匠の中田功のことを「コーヤン」呼びし、他棋士に衝撃を与えた。
  3. 渡辺明に次ぐ将棋界のぬい愛好家。将棋の渡辺くんにもよく出てくる。

佐藤紳哉[編集 | ソースを編集]

  1. キャッチフレーズは本人曰く、”砂糖のように甘い言葉で深夜に君を寝かさない”。
    • 一体何の仕事のキャッチフレーズだろう?
  2. ニコ生に解説者として出演した際、幼稚園児のコスプレをしたり、セーラー服を着たりとやりたい放題。
  3. 「ある将棋棋士がキャラクターを作ろうとして頑張りすぎている事件」として「爆笑 大日本アカン警察」でネタにされた。
    • NHK杯戦前のインタビューで、対局相手(豊島将之)について尋ねられたが、格上の豊島を呼び捨てにした挙句、格闘技のマイクパフォーマンスよろしく挑発するコメントを出した事がある。
      • 「豊島? 強いよね。序盤中盤終盤隙がないと思うよ。だけど、オレは負けないよ」
      • 「えー、こまた…駒たちが躍動する俺の将棋をみなさんに見せたいね」
    • 期待を裏切らず、対局ではキッチリ負けている。
      • 投了の時に被り物を外して「脱帽」のジェスチャーをしたが、そこはNHK。投了場面は撮り直しとなった。
    • しかもマイクパフォーマンスでやや噛んだため、いまだにネタにされる。
  4. 叡王戦予選で環境構築にこだわりを持つ窪田義行に対抗し、被り物を持参。
    • しかし、ただ置いているだけだった。
  5. ブログを更新しているつもりで、間違って一週間知人女性に電子メールを送り続け「あなたのことは、まるで興味ないので毎日長文のメールを送るのはやめてください。気持ち悪い」と返信された。
    • その後誤解が解け、なんやかんや(※細かい事情は不明)でその女性と付き合う事になった。
      • さらに意味不明な事に、それを自らブログで書いた事を最後にブログの更新を中止し、今でもそのままになっている[1]
    • その後、佐藤は結婚したが、相手はこの女性ではない。

佐藤康光[編集 | ソースを編集]

  1. メガネが似ているという理由で「桃屋の人」(=故・三木のり平)と呼ばれる。
    • 若いころは女性にモテたということで「モテ光」と呼ばれた。
  2. 愛妻家として有名で、「好きな食べ物は?」という問いに「妻の手料理」と答えるほど。
  3. 対局に集中しすぎ、間違えて女子トイレに入りかかる。
    • 同じく対局室の入り口と押入れを何度も間違える。
      • 当然周囲から「ドラえもんか!」と突っ込まれる。
  4. メガネをかけたまま泳ぎ、案の定メガネをさらわれる。
  5. 特技は将棋と同じくらいの経歴を持つヴァイオリン演奏。
  6. 好物は納豆。
    • 朝食がパンでもパンに乗せるほど。
    • 本人曰く「納豆はデザート」
  7. 対局の出前で餅追加が流行っていたころ、「冷やし中華に餅追加」をオーダーしたことがある。
    • 結果は「餅が冷え、悪手」だった。
  8. 対局時の昼食で、自分で出前を注文したのをすっかり忘れ、外食に行ってしまった事がある。
  9. 「対局時はおやつ位しか楽しみがない」渡辺明のおやつを食べてしまった事がある。
    • もっともこれは運んできて間違えた仲居さんのせいでもあるが。
  10. 免許取りたての頃、谷川王将に挑戦する羽生善治(当時6冠)を応援するため、森内を連れて日光までドライブに行った。
    • 当人はいろは坂を越えて奥日光の会場まで行くつもりだったが、冬タイヤの装備なしということで身の危険を感じた森内に止められ、日光からタクシーで移動。
    • 対局終了後、用事があって早く帰る羽生を乗せ、首都高で恐怖のドライブ(車線を頻繁にかえる、周囲をトラックに囲まれるなど)を繰り広げた。
      • それが免許取って初めての夜間ドライブかつ高速道路走行だったことを知らされた羽生と森内は、家に帰るまで生きた心地がしなかった。
      • それ以降、羽生が佐藤の車に乗ったことはない。
    • なお後に泥酔した村山聖が乗り、後部座席で嘔吐した。
    • 最近でも中村太地を乗せて、道に迷っている。
  11. 奨励会入会時は関西所属だったが、親の仕事の関係で関東に移籍している。
    • 当時関西では「名人候補が関東に行った」と言われ、奇しくもそのとおりになった。
  12. かつては「綿密流」と呼ばれる正統派の棋風であったが、羽生善治に対抗するために独創的な力戦系の将棋を指すようになった。
    • 独創的すぎて、中継では解説・検討の棋士を困惑させることたびたび。
    • 当人いわく「論理的思考の結果指している」。

島朗[編集 | ソースを編集]

  1. 現在まで続く、棋界における研究会の創始者。
    • それまで「棋士は独学で学ぶ」という常識を覆し、羽生善治・佐藤康光・森内俊之を誘って共同で将棋を研究した。
      • 当時その3人は、羽生がプロなり立て、佐藤と森内は奨励会員だった。
      • 自分より格下と組むのも異例なら、師匠もバラバラでこれまた異例。
        • 若手を見る島朗の眼が確かだった、という事である。
      • そもそも師匠と将棋を指すのは、入門の時と奨励会退会の時。それ以外は敵同士となって対決するのが常識。
    • なお「島研」の名前は米長邦雄が使って流行らせた名前。島自身はこの会には名前を付けていなかった。
      • この辺りはさすが「元将棋連盟会長」である。
  2. パソコンを使った棋譜データ管理・分析のはしりでもある。
  3. 島自身、将棋界の古いしきたりに嫌気が差していた。
    • 某名人は、自らの地位をかさに着て対局にとにかく注文(わがまま)を付けることで悪名高かったとか。
      • そんなのO山くらいしか思いつかないのだが。
  4. 実は初代竜王でもある。
    • つまり、島研のメンバーは全員竜王獲得経験がある。
  5. 早投げで知られ、ニコ生の中継で不利な局面で粘っている場合「島なら投了」とコメントされることが多い。
    • ソフトで検討したところ早投げした時点で実は優勢だったことを知り、早投げをしないことを誓ったらしい。
      • そして、誓った直後の叡王戦予選で先崎学相手に粘りまくり、先崎の二歩を誘った。
  6. 成銀を打つというにわかには信じがたい反則で負けたことがある。
    • 一字駒を使う銀河戦で取った成銀(全)をそのまま駒台に置き、金将(金)と間違えて打ったもの。
    • そして十数年後、福崎文吾に感想戦で「ここで成銀打つ?」といじられることになった。

所司和晴[編集 | ソースを編集]

  1. 将棋の定跡研究、普及活動に熱心な棋士として有名。
    • ついたあだ名が「定跡伝道師」
    • 「東大将棋ブックス」シリーズとして棋書を多数刊行しているが東大とは無関係。
    • その一方、詰将棋については懐疑的。
  2. 「西の森(信雄)、東の所司」と呼ばれる一門の師匠としても有名。
    • 渡辺明を筆頭に多くの強豪棋士を弟子としている。
  3. 象棋(中国将棋)棋士としても有名。
    • 国内大会で優勝し、中国の大会でも入賞した実績がある。
    • ニコ生等で出演する際には折に触れ象棋講座も行う。

菅井竜也[編集 | ソースを編集]

  1. 生粋の振り飛車党で、現在は久保総裁に次ぐ党ナンバー2。
  2. 平成生まれ初のタイトルホルダー
    • 獲得したのは王位。それまで6期連続でタイトルを獲得していた羽生善治を破っての獲得だった。
  3. 同い年かつ奨励会同期の永瀬拓矢に匹敵する将棋の虫。
    • 王位挑戦が決定した時「二日制持ち時間八時間で」の条件で練習将棋を指そうとして片っ端からオファーしたもののすべて断られた。
    • なお、永瀬とは第四期叡王戦挑戦者決定三番勝負で死闘を繰り広げた。
  4. 2019年現在も故郷岡山に居を構え、現地での普及活動にも力を入れている。
    • 奨励会に弟子を持つ平成生まれ初の棋士(だったはず)
  5. 橋本崇載との対局で相手の駒を飛び越えて角を移動させるという、福崎文吾の大盤解説みたいな反則をしたことがある。[2]
    • 数手先に指す手を先に指してしまったため。
    • 橋本も読み筋だったため気づかずに指し…
      • 記録係「すいません」
      • 菅井「(時間が分からなくなったと思い)ゆっくりでいいよ」
      • 記録係「すいません、角が…」
      • 菅井「ゆっくりで…」
      • 記録係「その角はどこから来ましたか?」
      • 橋本「(反則に気付き)うぉーっ!」
    • その後1週間、二歩の反則が3件相次ぐことになった。

杉本昌隆[編集 | ソースを編集]

  1. 言わずと知れた室田伊緒、藤井聡太の師匠。
    • 最初は研究のこともあり大阪と名古屋の両方に住まいを構えていたが、現在は名古屋に一本化している。
  2. 棋士としても順位戦B級1組、竜王戦1組在籍の実績を持つ強豪棋士の一人。
    • 村山聖が唯一認めた振り飛車の棋士でもあった。
    • 藤井猛は杉本が振り飛車一辺倒で四段昇段したのを見て、自らも振り飛車に徹することを決意した。
  3. 藤井フィーバーで注目が集まる中、2018年度は師弟で順位戦の昇級争いを繰り広げ、見事弟子を頭ハネさせてC級1組からB級2組に復帰した。
    • C級1組に降級した棋士がB級2組に復帰するのは約30年ぶりの記録。
  4. 「将棋以外に得意なゲーム」の質問に「縁日の輪投げ」と回答。

瀬川晶司[編集 | ソースを編集]

  1. 年齢制限によって奨励会を三段で脱落し、サラリーマン生活を経験しながら特例でプロ棋士になった異色の棋士。
  2. そもそもプロ棋士を志望したのが小学6年と遅かった。
  3. 奨励会脱落後は、将棋自体を辞めるつもりだったが、将棋の楽しさを再認識し、アマチュアの強豪として頭角を現す。
  4. アマチュア棋士でありながら、プロ棋士相手に17勝6敗の成績を挙げ、友人の勧めもあってプロ編入の嘆願書を連盟に提出。
    • 編入試験は、前例はすでにあった(後述)ものの、当時連盟のルールにはなかったので、全棋士に賛否を問い、賛成129、反対52でフリークラス編入試験の実施が認められた。
  5. 連盟推薦で試験官となった6人の棋士(内、女流1、三段1)と対戦し、3勝すれば合格という条件の中、2005年11月6日までに3勝(2敗)を挙げてプロ編入。当時の年齢は35歳。
    • 第一局の試験は(フリークラス編入を放棄してプロ棋士になった)佐藤天彦だったが、これは偶然でなく、連盟の配慮によるもの。
    • ただし「10年以内に順位戦C級2組に参加できなければ引退」という条件が付けられた。
  6. その後2009年5月に直近35局の勝率が6割5分7厘(23勝12敗)となり「良い所取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上」の昇級規定を満たしてC級2組に昇格した。年齢は39歳。
  7. その後フリークラス編入試験は制度化され、後に今泉健司がこの制度でプロ棋士になっている。
    • 正確に書くと、今泉健司は三段リーグを年齢制限で退会後、三段リーグ編入試験で再度三段になっていた事がある。
      • しかし三段リーグ編入試験では、三段リーグ在籍を最大4期までしか認めていないため、4期以内で昇段条件を満たさなければならず、再度脱落した。
      • 3度目のプロ挑戦でこの制度を利用し、めでたく四段になってプロ入り(フリークラス)。年齢41歳。
      • 2016年にC級2組に昇格、年齢43歳。
  8. なお編入試験自体は、1944年に元真剣師(賭け将棋師)の花村元司が受けてプロ棋士になっている。
    • 奨励会制度ができてからは瀬川が初。
  9. その軌跡をまとめた「泣き虫しょったんの奇跡」は映画化もされている。
  10. なお、この時の将棋連盟会長が米長邦雄でなかったら実現しなかったかもしれない。
  11. サラリーマン時代はNECの関連会社に勤務していた。この流れで2006年から2019年まではNECと所属契約をしていたが、これはプロ棋士初の企業所属棋士であった。
    • 所属契約が終了したのは関係が悪化したからではなく、瀬川がプロ棋士として軌道に乗ったからと思われる。NEC関連では、現在もかつて自身も所属したNEC将棋部の師範を務めている。

た行[編集 | ソースを編集]

高橋道雄[編集 | ソースを編集]

  1. 「『けいおん!』に出会って人生が変わった」棋士。
    • ニコ生の解説では、将棋そっちのけで「けいおん!」に対する熱き思いを語る。
    • NHKの解説ですらその手のコメントをする。
  2. 1960年生まれながら棋界屈指のサブカル好き。
    • アニメ・漫画・特撮・映画・アイドル・海外ドラマに興味がある。
    • 興味の対象はその都度変わる。
  3. アニメにはまる前はアイドル好きで、AKB48のファンだった。
    • 総選挙でも投票し、2014年の総選挙ではゲストで呼ばれた。
    • 惜しまれながら2015年にAKB48ファンを引退。
  4. 1990年代に出版された「別冊宝島」の将棋棋士インタビュー集に掲載された「棋士アンケート」で独特すぎる回答をしていた。
    • 具体的には「芽」「影」「霧」といった漢字一文字での回答など。
  5. 穴熊囲いが大嫌いで、絶対にやらない。

高見泰地[編集 | ソースを編集]

  1. プロの観る将。
    • ニコ生、AbemaTVなどの将棋番組をくまなくチェックしている。
    • 解説も観る将を重視したトークに定評がある。
  2. 同い年の三枚堂達也、八代弥とは友でありライバル。
    • 六段昇段は三枚堂、棋戦優勝は八代に先を越されたが、タイトル獲得は彼らより先となった。
  3. 増田康宏と似ていることで有名。
    • 二人並んでいるところを素で間違える女流棋士が存在するくらい似ている。
    • 顔認識AIを用いて検証したところ、非常に高い同一性を示した。[3]
    • 増田は「矢倉は終わった」と言っているが、高見の得意戦法は矢倉である。

田中寅彦[編集 | ソースを編集]

  1. 昭和後期から平成初期に数々の序盤戦術を考案した「序盤のエジソン」
    • 居飛車穴熊など、定跡となったものも少なくない。
    • 現在につながる序盤研究の先駆けとも言われている。
  2. その一方で、終盤力に非常に難があり、タイトル獲得は棋聖1期にとどまった。
    • このあたりは藤井猛と似ている。
  3. 大会に出場するたびに上位入賞を果たす現役のスイマーでもある。
    • ニコ生に解説で登場するときは、最近獲得したメダルを並べて登場するのが恒例。
    • こちらの方は引退がないと高らかに宣言。
  4. 公文式のCMで羽生善治と共演していたことでも知られる。
    • 羽生の「やっててよかった公文式」、田中の「やってりゃよかった公文式」というあの有名なフレーズも、コピーライターではなく田中自ら考案した。もっというと田中の本音そのものである。
    • そもそも電通の知り合いに羽生の起用を推したのも田中である。

谷合廣紀[編集 | ソースを編集]

  1. 史上二人目の東大卒棋士。
    • 女流棋士含めると三人目。
  2. 棋士の傍ら、現役東大大学院生として電子情報学の研究を行っている。
    • 四段昇段後も研究者としての活動も継続するとのこと。
    • なお、大学院の指導教官は歌人としても活動する坂井修一。
  3. 棋書より先に統計解析の書籍を出版(共著)している。

谷川浩司[編集 | ソースを編集]

  1. 将棋を始めたきっかけは、谷川浩司が5歳の頃、兄との兄弟喧嘩が絶えなかったため、父親が「将棋を指していればおとなしいだろう」と安易に考えたため。
    • その結果、将棋の勝ち負けをめぐって余計にケンカが多くなった。
  2. そのお兄さんは東大に進み、アマチュア棋士の強豪として鳴らした。
    • あの羽生善治がプロデビュー間もない頃、お兄さんは平手で羽生に勝っている。
  3. 王座戦で福崎文吾と対戦した際、タイトル戦に慣れてなかったために、飲み物もおやつも用意していなかった福崎があえいでいるのを見て「これをどうぞ」とお茶を差し出した事がある。
    • これで元気が回復した福崎は、谷川浩司に勝って王座を獲得。この一件で「敵に塩を贈った」と言われる。
    • 当の福崎は「弱った相手に勝っても仕方がない。『しっかりせえよ』『ちゃんと元気にかかってこいよ』というチャンピオン(谷川)の本当の強さを感じました。」と述べている。
  4. エビやカニが苦手。
    • ある対局において、棋士を含む関係者のメニューが「芝海老のカレーライス」だった。
    • 谷川はピラフに注文を変更したが、このピラフにもエビがどっさり入っていた。
  5. 将棋界にはもう一人谷川(指導棋士:谷川勝敏)がおり、紛らわしいので谷川勝敏のあだ名は「男前の方の谷川さん」。
    • では谷川浩司は何と?谷川勝敏が関西だから良いようなものの……。
      • 二人とも関西所属ですが…
    • ちなみに女流棋士の谷川治恵のことを「弱い方の谷川さん」と呼ぶことがある。
  6. 現在のルールであれば渡辺明より速い九段昇格だった。

田村康介[編集 | ソースを編集]

  1. 早見え、早指しの棋風から「マッハ田村」の異名をとり、数々の伝説を残している。
    • 順位戦の対局を25分で終わらせたことがある。
      • 普段の対局でも夕食を過ぎて指すことはまれ。
    • 同じく早指しで有名だった櫛田陽一と対局した際、お互いの早指し合戦に記録係が根を上げ、対局が中断した。
      • 対局自体は負けたものの「時間は負けなかった」とコメント。
        • ちなみに櫛田の消費時間5分に対し、田村の消費時間は2分。
    • NHK杯で調子を狂わせて破れた木村一基に感想戦で半切れされた。
    • 糸谷哲郎とNHK杯で対局した際には、早指し合戦の末30分で投了。
      • 司会の中村桃子から「(感想戦は)初手から詳しく」と言われ、放送終了まで約1時間感想戦が行われた。
  2. 一部では「最後の無頼派」と呼ばれ、そのワルぶりを示すエピソードは多数。
    • 奨励会に入る前、将棋会館で泊まることになった田村。持っていた10円がなくなっていることに気付き、犯人だと思った鈴木大介に殴り掛かった。
      • しかし、それは冤罪だった。
      • 後に鈴木は兄弟子となったが、どちらが兄弟子かわからない状態になった。
    • 中学時代、学校をさぼって毎日のごとく将棋会館の道場に来ていた田村。
      • 理由を訊かれると「今日は開校記念日です」といつも返し、師匠から胸ぐらをつかまれた。
    • 趣味は競馬を中心としたギャンブル全般。
      • 年間200日近く競馬場に行っているらしい。
      • もう一つの趣味である旅行もいわゆる旅打ちのため。
    • 棋界きってのヘビースモーカー。
      • 対局室で、相手が戻ってくるまで一服している様子が生中継の映像に映ったことがある。
      • 当人曰く「奨励会時代から喫煙しながら対局し、奨励会幹事の棋士から怒られた」らしい。
        • ちなみに19歳で四段に昇段している。
  3. その巨体からニコ生では「親方」と呼ばれる。
    • ニコ生に解説で出演した時、視聴者プレゼントとして揮毫の代わりに手形を押したこともある。

千田翔太[編集 | ソースを編集]

  1. 将棋AIを駆使した研究の第一人者。
    • 人間の対局よりコンピュータ将棋の棋譜を研究してたりする。
    • 元々歴代永世名人の棋譜並べで四段昇段を決めたことから「大事なのは大局観」ということを悟り、「だったら強いコンピューター将棋の大局観を持てばいい」ということらしい。
  2. 藤井聡太にAI研究を勧めた、とされている。
    • 当人いわく「誰にでも同じこと言ってる」
  3. 解説やイベントについてはニコ生のみ出演し、ABEMAには拒否の姿勢を続けている。
    • 名人戦の副立会人の際も顔出しせず「アベマくんの中の人」として登場。

中座真[編集 | ソースを編集]

  1. 四段昇段時の状況が、三段リーグの厳しさを象徴するエピソードとして語られる。
    • 年齢宣言が迫った中、三段リーグ最終日に四段昇段の可能性を残して臨んだ。
    • しかし、最後の対局で今泉健司に敗戦。四段への道は潰えたかに見えた。
      • 同時に昇段を争っていたのは、木村一基、野月浩貴、藤内忍(現指導棋士)
    • 暗澹たる気持ちの中待機していた中座の元に「ライバルが全員負け、四段昇段が決まった」との知らせが。
      • その知らせを伝えたのは今泉だった。
    • 知らせを聞いた中座は放心状態でうずくまった。
      • その姿が当時の将棋雑誌に掲載された。
    • なお、この三段リーグには他にもいろいろなエピソードがある。
      • 年齢制限により退会した奨励会員の一人が瀬川晶司。
      • 先に四段昇段を決めていた堀口一史座は「退会する方に申し訳ない」と慰労会を兼ねた昇段者祝賀会を欠席。
  2. ニコ生の解説では次の一手などのアンケートを連発する。
    • 運営が追い付けないこともしばしば。

塚田泰明[編集 | ソースを編集]

  1. 「昇天流」「攻め100%」と言われる攻め将棋。
    • 独自の戦法「塚田スペシャル」でタイトル獲得、22連勝(当時の最多連勝記録)、順位戦A級昇級をはたしている。
    • あまりの攻めっぷりに「塚田が通れば道理が引っ込む」とまで言われる。
      • 電王戦では無理攻めを繰り返し、コンピューター相手に持将棋を成立させた。
  2. 妻は女流棋士の高群佐知子、娘も女流棋士の塚田恵梨花。
    • 結婚前に高群と沖縄へ旅行に行ったところ台風で足止めを食らって二人とも仕事をキャンセルしないといけなくなり、将棋連盟に連絡した時に…
      • 高群「今、沖縄にいまして、台風で帰れない」
      • 塚田「今、南の島にいまして、台風で帰れない」
      • これで二人の交際がバレた。
    • ニコ生に解説で出演した際、娘の恵梨花を聞き手に指名したことがある。
      • 通常解説者が聞き手を指名することはないが、「初めての聞き手は自分とさせれば…」という親心?からの指名。
      • 最近では竜王戦第1局1日目を親子で担当することが恒例となっている。
        • 休憩明けに聞き手が高群と入れ替わり、しばらくの間何食わぬ顔で解説を続けたこともある。
    • 恵梨花を嫁とする相手の条件をファンから聞かれ「棋士ならば、自分以上の実績(順位戦A級とタイトル獲得経験があること)」と発言。

都成竜馬[編集 | ソースを編集]

  1. 谷川浩司唯一の弟子。
  2. 名前の文字全てが将棋に関係しているという奇跡の棋士。
    • 「都=将棋盤の中心(5五)」「成=成駒」「龍=飛車の成」「馬=角行の成」
  3. 奨励会入会時より期待されていたが、三段リーグで停滞。26歳の年齢制限ギリギリで四段に昇段した。
    • その間に新人王戦で優勝し、「新人王戦優勝で三段リーグ次点扱い」というルールを作らせた。
  4. 棋界きってのイケメン。
    • 三段時代、西遊棋のイベント補助に呼び出されたところ、棋士よりファンの注目を集めた。
  5. 独創的な指し回しに定評がある。
    • 奨励会時代から「都成流」といわれる定跡が注目され、ニコ生で糸谷哲郎が解説を行ったことがある。
    • 西田拓哉との対局では、「都成要塞」と呼ばれる穴熊囲いを見せ、検討の棋士を唖然とさせた。

豊川孝弘[編集 | ソースを編集]

  1. 棋界きってのダジャレ使い。
    • 怒り新党で数々のダジャレを見た有吉弘行とマツコ・デラックスから絶賛された。
    • ダジャレはその場のノリで出てくるものなのだが、周りからネタを提供されることも多いらしい。
    • さすがに弟子の前ではダジャレを連発することはないらしい。
  2. NHK杯中継で初めて二歩の反則をした棋士。
    • その後の感想戦でもダジャレを駆使した。
    • しかし、それをバネにC級1組からB級1組へ連続昇級を果たした。
  3. 畠山鎮と同じく奨励会の鬼幹事として有名だが、奨励会時代運送業者のアルバイトをしていた。
    • 四段昇段が決まった翌日も、朝からバイトが入っていた。
    • 現在は奥さんの実家である福岡で中田功とともに研修会幹事として活動している。

豊島将之[編集 | ソースを編集]

  1. 平成生まれ初のプロ棋士。
    • 9歳で奨励会に入会し、「初の小学生プロ棋士か?」とも言われたが、初段と三段リーグで苦労しプロになったのは高校2年。
  2. 「序盤、中盤、終盤、隙がない」棋風。
    • と、NHK杯で佐藤紳哉から評された。
  3. とにかくタイトルに縁がない。
    • 2018年6月現在4回挑戦するもいまだにタイトルなし。
      • 「将棋界の七不思議」にリストアップされている。
      • 2018年度、既に2タイトルでの挑戦が確定しており、獲得できなかった場合森下卓、木村一基の持つ6回に並ぶ。
      • ニコ生解説として参加した叡王戦第1戦前夜祭では「どっちを応援しますか?」の質問に対し「どっちも応援しません!」と回答。
        • そして福崎文吾に「とよぴー、正解!」と評価?された。
        • なお、豊島は本戦1回戦で後に叡王となる高見泰地に敗れている。
    • 2018年3月には順位戦(持ち時間6時間)、順位戦プレーオフ(持ち時間6時間)、王将戦番勝負(二日制:持ち時間8時間)の計7局を半月の間に行う一人耐久レースを繰り広げ、王将奪還、名人戦挑戦権獲得の双方を成し遂げることができなかった。
    • 5回目となる2018年の棋聖戦で悲願の初タイトル。これにより「8タイトルを8人で分け合う」という状況になった。
      • さらに続いて開催された王位戦でもタイトル奪取し、あっという間に二冠となった。
      • さらにさらに、翌年プレーオフで力尽きた名人戦にも登場し、名人も獲得。谷川浩司以来の関西所属の名人が誕生した。
  4. 2018年に初タイトル獲得の際、地元・東海地方のメディアは羽生のタイトル通算100期達成でなく、むしろ阻止した豊島を応援。いわく「しょう様、羽生に勝つ」。
    • 藤井聡太の活躍もあって、地元・愛知県は将棋熱に沸いている。
      • 「東海将棋会館を作ろう」とか知事まではしゃいでいるが、需要は多分ない。
        • と思いきや、将棋会館とまではいかないまでも、ミッドランドスクエアに常設の対局場が設置されることは決まった。
    • ちなみにそれぞれ豊島将之は愛知県一宮市、藤井聡太は同・瀬戸市の出身。
  5. 注目される一局でのハプニングが多い。
    • 叡王戦では、開始時刻を間違えた久保利明をずっと待ち続けた。
      • 久保が到着してすぐに対局できるよう双方の駒を並べ、将棋盤の前でずっと正座していた。
      • しかし久保が間違いに気付いたのは対局開始1時間前で、大阪在住の久保がどんなに急いでも千駄ヶ谷の将棋会館には間に合わない時間だった。
      • 第5期叡王戦では永瀬拓矢と千日手1局、持将棋2局を含む10番勝負を展開。
        • 最終局では永瀬投了直前に残り時間を示すタブレットがバッテリー切れ。解説の三浦弘行いわく「豊島さんは色々と持ってる」
    • 棋聖戦では、(防災訓練で)火災報知器が鳴って一時避難。
    • 王位戦では、従業員がおやつの紅茶を将棋盤にこぼし、対局が一時中断。
      • なお、棋聖戦と王位戦の出来事は2018年のそれぞれ最終局、さらに同じホテルでの出来事だった。
    • 名人戦では第1局の午後3時過ぎに千日手が成立し、対局規定により封じ手なしで指し直しになった。
      • 直前の順位戦A組最終局でも、天井カメラ用の電源ケーブルがズレたために対局が中断された。
    • 竜王戦第一局も台風通過のため現地大盤解説が中止。さらに対局中に地震も起こった。
      • さらに第五局では対局場の空調不調により対局が中断された。
  6. 普段の行動は謎に包まれている、とされている。
    • かつては関西若手棋士の研究会に参加していたが、最近は個人での研究が主となっている。
      • 菅井達也が練習対局を申し込むも「タイトル戦で」と返し、実際に王位戦で対決した。
    • 山﨑隆之には「結婚していても驚かない」とNHKの番組で言われ、一時期結婚説が流れたことがあった。
      • 当時は笑って否定していた。

な行[編集 | ソースを編集]

永瀬拓矢[編集 | ソースを編集]

  1. 将棋に対するストイックな姿勢からついたあだ名が「軍曹」
    • 「将棋は努力すれば努力するだけ強くなる」がモットー。
      • 「1日10時間将棋の研究に費やせば強くなれる」との持論を持っている。
      • 鈴木大介と練習対局を行うことが決まり、鈴木から複数の候補日を上げられたところ「全部お願いします」と返した。
      • 佐々木勇気とは一時期毎週のごとく練習対局を行っていた。
      • 会長就任前の佐藤康光、最近では藤井聡太とも練習対局を行っている。
    • ニコ生の大晦日企画で糸谷哲郎と1日で9番対局し、深夜2時に対局が終了した後「また5局くらいは大丈夫です」と涼しい顔で答えた。
  2. あるインタビューでの回答。
    • Q:あなたにとって将棋とは?
    • A:生きる目的をくれるもの。
  3. 勝利に対する貪欲さも人一倍。
    • 不利とあらば先手番でも千日手を辞さない(むしろ常用する)
    • 電王戦では相手ソフトのバグ(不成で誤動作する)を見抜き、実際にそのバグを突いた形で勝利。
      • ただし、そのバグを使わなくても勝利できる手筋だった。
  4. いわゆる「将棋めし」に対しても一途。
    • 対局時はスポーツドリンクを大量に持ち込む。
    • 昼食は握り盛り合わせ(さび抜き)が定番。
      • 2019年現在はミックス雑炊(納豆入り)が定番になっている。
    • タイトル戦ではおやつや食事にバナナを必ずつける。
      • そのため、叡王戦の副賞としてローソンからバナナ3年分が贈呈された。
        • ただし、佐々木勇気によるとイチゴのほうがもっと好きらしい。
      • 将棋年鑑のアンケートの質問項目で…
        • Q:世の中で一番怖いものは何ですか?
        • A:この世からバナナがなくなること。
  5. 実家は川崎の家系ラーメン店。
    • 父親の仕事に対する姿勢が、将棋に対するストイックさにもつながっている。

中村太地[編集 | ソースを編集]

  1. ニックネームは「(新)東の王子」
    • 阿久津正悦の結婚と王座タイトル獲得を期に継承されたとされている。
  2. 早稲田大学政治経済学部卒。
    • 大学時代は論文で奨学金をもらうほど優秀な成績。
    • 早稲田実業から進学しており、同級生に斎藤佑樹がいる。
  3. NHKのニュース番組でコメンテーターをつとめていたことがある。
    • そしてコメンテーターとして羽生善治と対談している。
  4. キノコが苦手で、タイトル戦の昼食では「特製ハンバーグフライドエッグ・マッシュルーム乗せマッシュルーム抜き」という謎の注文を行ったことがある。
  5. 自他共に求める方向音痴で、とんでもないところに行こうとしたところ一緒にいた金井恒太が正しい方向に引っ張っていったことがある。
  6. いわゆる「画伯」の一人で、ニコ生の企画で似顔絵を描いたところモデルとなった中村桃子が受け取りを拒否した。

中村亮介[編集 | ソースを編集]

  1. 橋本崇載以上に髪型が頻繁に変わることで有名。
    • 茶髪金髪は序の口で、モヒカンやアフロで対局場に登場したこともある。
    • 2018年は丁髷スタイルだったが、2019年に藤井聡太と対局する際にドレッドヘアで登場。
      • 対局後は将棋の内容そっちのけでヘアスタイルに質問が集まった。
  2. 順位戦の対局で1時間57分遅刻したものの、勝利したことがある。
    • 将棋連盟の規定により持ち時間が9分(=6時間-(1時間57分×3))での開始となったが、持ち時間を使い切らずに勝利した。
  3. 妹は女流棋士の中村桃子。
将棋
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