織田信長

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織田信長の噂[編集]

  1. 戦国武将で人気No.1。
    • 嫌われ度でもトップクラス。
      • 歴史マニアやそうでない人のみならず、学者でも好き嫌いがはっきり分かれる。
        • 昔なんかの本で読んだがある高名な学者が「もし信長が生きていて世界に進出していたら?」という質問に「極めて短期間に世界征服してたに決まってるでしょ」と答え、さらに「この発言は公にしないで」と言ったらしい。なんかいろいろタブーがあるようだ。
          • どのみち生活習慣病で早死したとも言われる
        • 一乗谷遺跡や中世寺院史の研究者からは非常に嫌われている。まあ、当然か。
    • 明治政府がイメージアップに貢献したらしい。
    • 人気No.1??真田幸村の存在を忘れないでほしい。
      • 幸村より伊達政宗の方が人気ありそうだけど。
    • 戦国時代にタイムスリップしたキャラクターはだいたい信長と出会っている。
  2. 魔王。
    • というか、「第六天魔王」と自ら署名した手紙を武田信玄に送っていた。
    • ちなみにこの第六天魔王、庶民を虐めては仏に成敗されるという悪の怪人ポジな存在だったりする。
  3. 大虐殺をたくさん行った。
    • 家康もやっている。
    • なのに英雄扱い。ヒトラーと扱いがまるで逆。
      • 信長の場合は政・戦略上必要だからやっている(やり過ぎだけど)。ヒトラーは、政略以上に差別意識に基づいてやってる。
        • 同族との戦いで尾張統一後も「ワシの野望はこんなものではない!」と豪語したとか。
          • 信長の場合は対象が悪事を働いた者だけ。比叡山焼き討ちにしたのは僧侶が女や欲に溺れていたから。子供まで殺したのは後々復讐されるから。
      • 確かにヒトラーとしては、政略的にはユダヤ人を味方につけたほうがどう考えても得だったはずだよなあ。
        • ナチ党とユダヤ人は戦争していたわけではない。一方、比叡山や本願寺は信長とまちがいなく戦争をしていた。さらに、比叡山には焼き討ちする前に「中立を保ってくれ」と言っているし、本願寺とは2回和睦したのに2回とも向こうが破ってきて、それも最終的には許している。
        • スレチだが政略的に得かどうかは微妙。基本的に当時のユダヤ人はヨーロッパ中大体どこでも嫌われてて、それが第一次世界大戦の敗北で傷ついたドイツの国民感情と結びつくことで、あんな寄生虫共を追い出して強いドイツを取り戻そうという共犯が生じた。ユダヤ人を味方になんていったらその分の支持は当然失うわけで、(是非はともかく)反ユダヤ主義の支持基盤は無視できない。
    • 比叡山焼き討ちの件は悪く言われすぎ。
      • 平安時代の僧兵や足利義教、細川政元も行っている。信長ばかりが悪く言われるのは、やはり有名なせいだろう。
        • 特に院政期の僧兵同士の争いは宗教戦争の面があったため、貴重な宝物でも容赦なくぶっ壊した。
        • 抗議行動の一環として、比叡山の僧兵自身が自分の寺に火を付けるのもよくあった。
        • よく「信長のせいで比叡山の史料が焼けてしまった」という研究者がいるけど、信長以前に多くは焼けてしまって、あまり残ってなかったんじゃないかと思う。
      • 近年の発掘調査では、従来言われていたほど被害はなかったとされる。
        • 「信長のシェフ」ではその説がうまく取り入れられていた。
      • 延暦寺はこの40年前の法華一揆で、京の町を焼き討ちし、応仁の乱以上とも言われるほどの被害を出している。自業自得の因果応報のような。
        • 平安、鎌倉、室町と重武装し、朝廷幕府の政策が意に沿わなければ京に乱入して乱暴狼藉を働き、南北朝では重要な武装勢力として介入。無力で平和主義なお坊さんではないことは確か。
        • 本能寺公式HPでは「仏教本来の姿に立ち戻りなさいという、腐敗した仏教界への警鐘」だったと解釈されている。
    • 「影武者徳川家康」の中で怖いから惨たらしく殺した、みたいな表現があった。確かにそうかもしれない。
    • 伊勢長島一向一揆での虐殺は現代人の感覚からすると擁護できないレベルだが、当時としてはどうしようもない面もある。
      • 信長の本拠地の一つ清洲城と伊勢長島は、目と鼻の先。もし、清洲を奪われでもしたら信長は政治的にも経済的にも大打撃なため、断固たる処置を取らざるをえなかった。
      • 「一揆勢の武装解除をしたらいいんじゃね?」と思うかもしれないが、この時代にそんな慣習など無い。それどころか自衛が当然の中世で、争いの最中に「武器を捨てろ」などと言ったら、死ぬ以上の恥辱と受け取られかねない。
        • まさに日本版武装解除=刀狩りが始まるのはこの後、越前の一向一揆を平定した柴田勝家から。一向一揆への虐殺は天下統一の為仕方がなかったなどと口が裂けても言うべきではないが、少なくともこの犠牲により、人々が刀狩りという手法を学習し次の平和へと繋がったとすれば、決して無駄な犠牲ではなかったと信じたい。
    • 鳴かないホトトギスは殺してしまう。
  4. 桶狭間の戦い、長篠の戦い、本能寺の変など、歴史の教科書に載ってる出来事に多く関わっている。
    • 美濃攻略(稲葉山城攻防戦)後にもともとの「井ノ口」を現在の「岐阜」に変えた。
  5. 人間50年の舞いでも有名。
    • 謡曲の重厚なイメージがあるが、本当はこれではない。興味のある人は「幸若舞 敦盛」で動画を検索するべし。
    • 本当に50までに亡くなった。(享年48、数えで49)
  6. 神や仏を信じなかった。
    • 実父の葬儀で焼香する際、「死んだ者を拝んで何になるか!」と抹香を投げつけた位だもの。
    • 実際は普通よりちょっと信仰心の薄い大名ってレベルだろ。
      • 公式には法華宗を名乗っていた。おそらく当時、京や堺の商人・文化人は日蓮宗が多く、彼らとの関係を重視していたからだろう。
      • 桶狭間の合戦の前には熱田神宮に参拝したらしい。
    • 家臣たちに自らを神だとして崇めさせたってぇのは家臣の忠誠心を試す為だったのかそれともマジだったのか。
      • 正確には安土城の前に巨石を置き、「ぼんさん(盆山?)」と称して拝ませた。自分を神扱いしたのではなく、「お前らが有り難がっている神仏なぞ、この石みたいなものに過ぎん」と言いたかったように思える。
        • でも年賀の挨拶に来た家臣に、自分に対してお賽銭を払わせていたらしいぞ。
      • フロイスらこの当時の西洋の宣教師たちには「無神論」自体が想像できなかったので、信長が自らを神とした、というような表現になってしまったのではあるまいか。
      • おそらく「天下布武」の考え方の帰結。「武」とは武力と解釈されることが多いが近年は「武家」と解釈するのが有力。中世までの他の権門「公家」「寺家」に頼らず、武家、ひいてはその代表たる信長が天下を収める。よって、信長は、それまでの寺社への信仰の代替物を用意しようとしたのだろう。
        • 頼朝のスローガンは「天下草創」。草深い関東から武士の天下を創ろうという意味だろうが、信長の天下布武は、頼朝の事業を受け継ぎ、それを完成しようという意欲が読み取れると思う。
        • 秀吉が「豊国大明神」、家康が「東照大権現」としてそれぞれ自分を祀らせている事や、当時はまだ天皇が神の子孫だと信じられていた事に思い当たる人は少ない。また、上杉謙信が毘沙門天なのはOKでも、信長が神なのは受け入れがたい人が多いようだ。
  7. 安土城を一般公開し、ひとり百文の入場料を取った。
    • 展覧会のたぐいで定額入場料を取った世界最初のイベントらしい。
    • 玄関の受付には信長が自分で立って、来場者から入場料を集めていた。
    • 日本初のライトアップも行われた。
  8. 月代を剃刀で剃ることを最初にはじめたと言われている。
  9. 自分の仕事を積極的に行う者には優しく、その逆を嫌った。以下一例。
    • 朝廷の運営費集めのため、駿河まで歩いて行こうとした公家の老人に代わって金を集め、自らも寄付した。
    • 部屋に果物の種を落としたままにしていた侍女を一刀両断。
  10. かつて義父が居城にしていた城の名前を稲葉山城から岐阜城に変えたらしい。
    • 岐阜の地名をつくった人物である。
  11. 三国志の曹操とキャラかぶってる。
  12. 木下藤吉郎秀吉(のち豊臣秀吉)の妻、ねねとは個人的に親しかった。安土に移った頃、ねねから「ウチのダンナが浮気して困ってます」という趣旨の手紙に対して返書を書いた。「あの野郎にあなたほどの女性を娶れるわけがないんだから、堂々としているべき。この手紙は秀吉に見せてやんなさい」と丁寧に激励する趣旨。
  13. 独創的なアイデアマン、みたいなイメージで語られることが多いが、相当誇張されている。
    • 比叡山焼き討ち:上記のように他の人もしてる。
    • 石仏(地蔵さんとか)を城の石垣等に利用:信長が信仰心がないから、とか言われるが別に珍しいことではない。
    • 楽市楽座:六角氏の方が先。
    • 長篠合戦の鉄砲三段撃ち:雑賀衆が先。しかも雑賀衆の方は撃ち手固定で能率が良かった。
      • そもそも三段撃ちそのものが無かった臭い。長篠では敵以上に兵力揃えて、堅固な陣地も築き、そこに敵を誘き出すのに成功しているわけで、ここまですれば別に鉄砲がなくても勝てるだろう。
  14. 父の代から受け継いだものもそこそこある。商業利権とか、朝廷との関係とか。アレクサンドロス大王やチンギス・ハーンもそうだが、信長についても大きく語られすぎる傾向があり、そしてその影に隠れている本当に優れた部分が見逃されがち。
  15. おら信長・・・。
  16. 1世紀ほど行われなかった譲位の儀を提案したほか、伊勢神宮の式年遷宮の再開にも取り組んでいる。
  17. 武将の中でもアニメ・小説(天海祐希主演でドラマ化)などで、なぜか頻繁に女性にされている。
  18. 秀吉がサルで家康がタヌキなら、信長は何だ?
    • 魔王。
  19. モザンビーク人?の弥助という家臣を召し抱えていた。
    • 本能寺の変がなかったら城主になれていたとか。
  20. 平成世代やゆとり世代の前身とも言える。昭和によくある非合理的な自立主義や根性論精神論や自己顕示欲ではなく、矛盾がなく合理的に理屈の通ったやり方を好む所が似ている。
    • 昭和生まれでも下記の末裔がもし8日遅く生まれていたらゆとり世代だった。
  21. 体の不自由な農民に家を建ててやったというエピソードがある。色々言われている信長でもあるが、本願寺の件は時代が時代で仕方のなかったことで、信長にも短所があるわけで完璧な人などいないということ。
  22. 「信長の野望」では、コンピューター大名にしておくと、武田信玄とかよりよっぽど恐ろしい。
    • すぐ隣国を攻めては、みるみる領地を獲得していく。
  23. 織田姓の由来は福井県丹南地域にある。
  24. 豊臣秀吉が有馬温泉ファンになったのはその前に織田信長が有馬温泉へ行かれたから。
  25. 1987(昭和62)年に大阪府高槻市で生まれた末裔信成がフィギュアスケート選手→タレントとなったのは言うまでもない。



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