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芸術家伝/日本

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バカ人物志日本芸術家伝

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  • 作家(歌人、俳人含む)は作家伝/日本へ。


平安時代の芸術家たち[編集]

鳥羽僧正(覚猷)[編集]

  1. 日本最古のマンガ家。
    • 現代のマンガ家やアニメ関係者は、みなこの人に感謝すべき。
      • マンガが世間から俗悪視されるたびに、「いや日本には『鳥獣戯画』というマンガが古来からあってね……」と反論する根拠になっていた。
        • 今の若い人には「マンガが俗悪視される」こと自体、想像できないかもなあ……(オッサンの繰り言)。
        • ぶっちゃけ直接今の漫画に繋がっているわけではないのだが、歴史上こういう物があったというのはやはり特筆すべき事だろう。
    • 将来「マンガの日」とかできたら、この人の命日(10月27日)がふさわしいと思う。
  2. 「鳥獣戯画」が有名だが、「放屁合戦」「陽物くらべ」などの爆笑作品も。
    • 相当後の写本しか残ってないのが残念。
      • 放屁ネタは人気があったらしく、「福富草子」(これも中々エグイ話)のような派生作を生んだり、江戸時代には放屁芸が人気を博し、放屁術の流派が作られ、兵法書ならぬ「屁法書」なる秘伝書が作られた(実話)。日本って凄い国ですね・・・。
      • 放屁合戦は「明治の鳥羽僧正」とも言うべき河鍋暁斎までは描き続けられたが、西洋化の波で低俗とされたのか、この後描く絵師はいなくなってしまう・・・。
        • もう少し後の牛久河童画家・小川芋銭も放屁合戦絵巻を描いてるけど、品が良くなってしまい、滑稽味や卑俗さが無くなってしまう。
    • 弟子の絵にリアリティが無いとイチャモンつけるも、エロ絵は強調しないと絵にならないと反論されて言い負かされる。
      • だから今のエロマンガが、やたら性的部位が大きかったり、人体で有り得ないほど汁が出てたり、台詞が色々頭おかしいのも、日本の伝統と理念に則った正統的文化的に極めて妥当な行為。何もオカシクはない。
  3. 臨終の席で、弟子から遺産の分与について訊ねられると、「腕力で決めろ」とひとこと言って大往生。どこまでもお茶目さん。
  4. 鳥羽天皇とは関係ない。皇族の子孫ではあるが。
  5. 間違えやすいが、覚ではないので要注意。

鎌倉時代の芸術家たち[編集]

運慶・快慶[編集]

  1. 一緒に仕事していたわけではないのに、なぜかいつもペアで名前が挙げられる仏像彫刻家。
    • 同時代人ではあるし、ライバル的な存在ではあったかもしれない。
      • 運慶は大切な跡取り息子の教育を快慶に託しているから、快慶を信頼し才能も認めていたのだろう。
    • 教科書でおなじみ東大寺の仁王像で、二人セットで覚えるのが大きいかも。
    • 作風が対照的で比較しやすい、という理由はあると思う。
      • 運慶は像が立体的で量塊的・彫刻的、快慶は平面的・絵画的で宗教性が強い。
      • 運慶は内なる仏を造型し、快慶は外から人を救いに来る仏を表現した。
  2. 運慶の彫刻はとにかくわかりやすくのが特徴。
    • 鎌倉時代の彫刻は仏教の知識がカケラもなくても、頭スッカラカンにして楽しめる作品が多いが、運慶の作品はその最もたる物。
      • 鎌倉時代後期になるとやや形骸化・技巧化が目立つようになるが、それでも後の仏像と比べれば十分楽しめる。
      • わかりやすい作品は得てして説明的だったり深みがない作になりがちであるが、運慶は類稀な構成力と玉眼を上手く使う事でこれを回避している。
    • 晩年の代表作「無著・世親像」は、日本人なら一生に一度は観とけと言いたい、日本美術史のみならず世界的に見ても屈指の傑作。
      • 苦労に苦労を重ねたのに未だに悟りに到達することができない哀感と、それでもなお苦悩の先にある何かを信じて辛苦を乗り越え進もうとする、人間の悲しくも美しい崇高が宿っている。
  3. 金剛峯寺の八大童子立像のうち矜羯羅童子が、檜山修之に似てると言われる。
    • 若い頃の若乃花関の方が似てる気がする。同シリーズの制多迦童子は全盛期の貴乃花関そっくりだし。
    • 誰に似てるかはともかく、800年前の仏像を誰もが似てる似てないを議論できて、これからも誰それに似てると言われ続けるであろう事に、運慶の写実の普遍性と凄みが感じれれる。
  4. ウンケイカイケイ天気予報。

室町時代の芸術家たち[編集]

世阿弥[編集]

  1. 能の完成者。
    • 実技だけでなく、「花伝書」というレッスン・ノートを遺してくれたのが良かった。
      • 「花伝書」は今の楽器やバレエのレッスンなんかにも応用が利く。
  2. 足利義満に寵愛される。
    • でも足利義満を暗殺したなんて噂もある。
  3. 水星には世阿弥という名前のクレーターがある。
  4. 義教からはこっ酷い扱いをされてしまった。

雪舟[編集]

  1. 足でも絵が描けた天才画家。
    • 寺の小坊主だった頃に、絵ばかり描いていたので和尚さんに叱られ、お仕置きに柱に縛られた。その時、流れ出る自分の涙と足の指を使って床にネズミを描いた。雪舟がネズミにかじられるかと驚いた和尚さんが紐を解いてくれた……という有名な伝説がある。
      • 彼が描いたネズミは後にアメリカで「ミッキー」と呼ばれることになる。
    • 正直、明留学以前の作は凡庸な作が多く、そんなに才能があったようには見えない。本人は中国には大した先生はいなかったと言っているが、やはり中国に行ったことは本人にとって非常に大きかったのだろう。
  2. 残っている作品のほとんどは国宝か重要文化財。
    • 近年になっても重文だった作品が、いつのまにか国宝に格上げになってたりする。妥当な評価だけど、他とのバランスが取れなくなるんじゃと心配してしまう。
  3. 外国の切手に初めて印刷された日本人。
  4. 中国美術の専門家からは、亜流呼ばわりされたりもする。
    • 確かに中国滞在期に描いた作品は現地の作風に非常に近いが、帰国後は一気に作品が個性的になる。
    • 室町水墨画を俯瞰してみると、最初は中国の模倣の域を出なかったのが、雪舟が登場してから一気に日本化が進んで親しみやすくなる。雪舟が画聖と讃えられるのは、やはり絵を中国から自立させる糸口をつけたその功績故だろう。

宗祇[編集]

作家伝/日本#宗祇

戦国時代の芸術家たち[編集]

狩野永徳[編集]

  1. 安土桃山時代を代表する画家。
    • まさに安土桃山時代を視覚化した絵師。
  2. ふすま絵や屏風絵を描きまくった。
    • あちこちから依頼があってあまりにも忙しいので、ホウキみたいな巨大な絵筆を作ってざっくりと描いたという。それがまたスケールの大きさを感じさせて珍重された。
      • 唐獅子図屏風の細部を観察すると線の一本一本はかなりラフでいい加減な感じさえするのだが、絵全体で見ると得も言われぬ迫力が出てる。
        • これの補作を曾孫の狩野常信がしているのだが、細部はともかく全体で見ると明らかにこちらが劣る。常信も17世紀後半では最高の絵師と言ってよい人だけど。
    • ただし現存する作品は非常に少ない。権力者の庇護のもとで制作したため戦争や政争にもろに巻き込まれて、多くは灰燼に帰してしまった・・・。
      • 反対にライバルの長谷川等伯は権力者の仕事に恵まれなかったが、それが却って幸いして年月を考えれば異例なほど多くの、しかも大作が残っている。
        • ただ、等伯の作が多く残るのは、永徳の作品と誤解されたためという面がある。
  3. 弟子たちに分業体制をとらせたりもしたようだ。今の感覚で言うと、画家というよりもアートプロデューサーとでも呼んだほうがふさわしいかも。
    • ただし、この分業体制を作ったのは祖父の狩野元信。また、永徳の様式は意外と後の狩野派に影響を与えてなくむしろライバルの長谷川等伯や海北友松らが永徳を意識している事から、派全体のプロヂューサー業務は父の松栄に多くを任せて、自分は側近の弟子だけ連れてひたすら権力者の注文に応えて絵を書きまくっていたんじゃないかと思う。
  4. 「信長の野望」では武将の顔だ。

千利休[編集]

  1. 千家流茶道の創始者。
  2. もとはしがない魚屋の「田中与四郎」だったが、茶の湯の流行によって一躍時代の寵児に。
    • 信長・秀吉に寵愛された他、数多くの武将を弟子にした。
    • おかげで隠然たる権勢をふるうことに。
      • 大友宗麟が秀吉の弟・秀長と会った時、「うちうちのことは利休に、おおやけのことはこの秀長にご相談下され」と言われたほど。
  3. 外国の粗悪な陶器でも、利休が認めれば何十両もの価値を持つ芸術品に早変わり。
    • おかげで大儲け。一代で巨万の富を築く。
    • 秀吉の弟・秀長の暗黙の協力があったらしい。
    • ちょっとやりすぎて、秀吉の不信を買ってしまう。
  4. 武将ではなかったがやはり典型的な戦国人。壮絶な辞世を残して切腹し果てる。
    • 秀吉との確執を、「芸術家の権力に対する抵抗」もしくは「価値観の相違による対立」とする、えらく高尚な見方が一時期流行ったが、どうだかねえ。
      • 単に、秀吉の威を借りてえげつなく儲け過ぎたから睨まれた、程度ではないかという気もする。
        • そうならば、そのおこぼれに与った親類縁者、特に販売に共に関わった商人も連座し、それが当時の常識のはずだが、実際に処罰されたのは利休ただ一人。やはり原因は利休個人にあると考えた方が妥当。
      • 利休の茶の根本は、今の茶道の姿からすれば信じられないが、「茶の湯に決まりはない」という一種の革命思想。秀吉からすれば、天下を統一するまでは旧習を改革するのに都合のいい考えだけれども、天下を統一し自分が支配体制を確立する段階になると、その革命思想は自らの権力を否定することになりかねなかった。
        • 利休が殺されたのが統一直後で、その排斥に強く動いたのが石田三成をはじめとした秀吉体制の組織者たちというのがそれを裏付けていると思う。
        • また、そう考えると後の古田織部の場合もすんなり説明できる。
          • 当時他に幾らでも織部より年期のある茶人がいたのに、彼らを押し退けて織部が天下一の茶人になれたのは、利休の革新性を最もよく受け継いでいたから。しかしそれ故に、師と同様非業の死を遂げることになる。
    • 「ごめんなさいって言えば許してやってもいいよ」と秀吉から言われるが、「誰がごめんなさいなんて言うもんか。あっかんべー」と意地を張って、結局切腹するはめに。
    • 辞世の句「堤(ひっさぐ)る我が得具足(えぐそく)の一太刀(ひとつたち) 今此時ぞ天に抛(なげうつ)」
    • 「ド真ん中に傷がある花入れ」だの「真ん中に節があり、しかもそこがくの字に曲がった茶杓」だのを美しいと言い切るためには、それくらいの確固な信念がいるのだろう。
  5. 本人は横死したが、有力な弟子が多かったので、千家流は茶道の本流として今に伝わる。
    • でもけっこう浅ましい本家争いがあって、表と裏に分かれる。
      • 本人も後継者も、芸術上は「わびさび」を重んじたが、実際の処世は「わびさび」には程遠かったようだ。
    • 当時は小堀遠州や片桐石州の武人茶道の方が流行っており、それらに対抗するためには利休の功績を過度に強調し、自分はその後継者だから正当なのだという宣伝をして門弟を得ようとした。家門を守るためには仕方がない面もあるのだが、結果として利休のやったことを絶対視し、茶の湯の持っていた創造性は抜け落ちてしまった。
  6. リキュール×1000
  7. 鮮の利求ではない。

出雲阿国[編集]

  1. 歌舞伎の元祖。
  2. 出雲大社の巫女上がりと言われているが、真偽のほどは微妙。
    • 遊女上がりとも言うが、巫女兼遊女というのも別に珍しくはないので、両方とも正しいのかも。
  3. 脚本、演出、主演、音響監督、プロデューサーなどを一手に引き受けたスーパー芸能人。
    • 蒲生氏郷の小姓だった名古屋山三郎をパトロン兼スーパーバイザーにつけ、歌舞伎をさらに洗練する。
      • 山三郎がしょーもないケンカ沙汰で殺されるや、そのネタで一本興行してしまうという抜け目の無さも。
      • 名古屋山三郎はとんでもなく美少年であったということで知られる。
  4. そこそこかわいい女芸人のことではない。

江戸時代の芸術家たち[編集]

歌川広重[編集]

  1. 東海道五十三次で有名な風景画家。
  2. 現代の写真家に言わせると、広重の絵は35mmレンズの達人なんだとか。

左甚五郎[編集]

  1. 大工兼彫刻職人。代表作は日光東照宮の「眠り猫」
  2. 眠り猫をはじめ、甚五郎作といわれる彫刻は日本各地にあるが、本人の実在性は相当あやふや。
  3. この人が造った生物の像(実在非実在問わず)は、高確率で動き出す。それも傍迷惑な方向に。
    • 龍の像が動き出して大雨を降らせるわ、寺の屋根を支える力士像がサボって逃げ出すわ、現代だったら製造物責任法で訴えられるレベル。

尾形光琳[編集]

  1. 日本のデザイナーの元祖。
    • 画家とか工芸家とか称されることが多いが、本領はむしろ意匠作家というところ。「和」のデザインの典型を作り、その後の意匠に大きく影響を及ぼした。
      • その意匠も俵屋宗達その他の町絵師や、能の衣装から大分パクっているのだが、それらをより洗練させて一般に広めたのが功績だろう。
    • 「法橋」(今でいう「人間国宝」みたいなもの)になったのも、そうしたブランドがないと絵が売れなかったからという説がある。
      • 左から右に引く線は上手く引けても、反対に右から左に引く線は上手に描けなかったり、傑作と凡作の落差が非常に激しい。どうも光琳は生涯プロの画家に成り切れなかったんじゃないかと思う。
      • 光琳や宗達の国宝や重文が多いのは、こうした審査をする主幹学者の専門が琳派研究だったかららしい。
  2. 遊び好きで、カネがあればすぐ使ってしまい、いつもピーピーだった。
    • 陶芸家の弟・乾山とカネがらみで大喧嘩したことも。
      • 「このクソ兄貴、出るとこ出たっていいんだぜ」みたいな内容の乾山の手紙が残っている。
      • ただその手紙は数少ない例外で、乾山は基本ブラコン。乾山は芸術センスでは絶對に兄に勝てないことを自覚していたと思う。
        • 乾山は晩年になるまで、器の絵付け以外で絵を書かなかった。体力的な問題もあるのだろうが、光琳と比較されるのが嫌だったからだろう。
    • 握り飯つつむ竹の皮に、何と金銀を使って絵を描き、しかも使い終わったら捨ててしまったそうな。もったいない。

伊藤若冲[編集]

  1. 「奇想の画家」。おそらくここ最近で最も人気のある絵師の一人。
    • 近年の展覧会のポスターに使われまくり。
  2. 絵しか興味のないオタク
    • とされていたが、最近の研究ではそれだけではないということが分かりつつある。
      • 友人の僧侶が若冲は絵以外全く興味が無かった書いているのは、絵の凄さを強調するための一種の文飾で、実際は絵が一番好きだったのは確かだろうけど、世事もある程度こなせる人だったのだろう。
      • スケールは大分違うが、絵を歴史、商売を軍事に置き換えれば、ヤン・ウェンリーみたいな人だったと思う。
    • 生涯独身。
      • では性欲は全くなかったかというと、若冲の絵に性的な物を感じる人は多い。
        • 女子大生に若冲のレポートを書かせると、雪の描き方が○子に見えるという生徒が多いらしい・・・。
        • 妙に逞しく描かれた鶏の尾や奇矯な岩を○根に見立てる論者もいる。
      • 絵を精神分析すれば、なかなか面白い結果が出そうだ。
  3. 自分の好きなものを、好きなように、好きなだけ描いた。羨ましい。
    • コストを度外視して高価な絵の具や画材を使いまくったため、今でも色鮮やかな作品が多い。
      • 正直、絵の具に助けられている部分があると思うが、これも個性だろう。

東洲斎写楽[編集]

  1. 浮世絵の画家なんだけど、その生涯は謎のベールに包まれている。
    • 生没年不明、突然彗星の如く現れて、数年の活動の後に突然いなくなった。
      • 活動期間10ヶ月。3,4期は半ば工房(漫画やアニメのスタジオを思い浮かべれば大体合ってる)制作の疑いがあるので、そうすると実際は更に短いかも。
    • 正体は徳島藩の能役者斎藤十郎兵衛でほぼ確定だと思われ。
      • プロの絵師が変名で描いたにしては、絵のパターンに乏しく、画力が衰えるのが早過ぎる。絵心がある素人が一気に書いて燃え尽きたと考えたほうが妥当だろう。
        • 第一期の評価が圧倒的に高いが、最初はバストアップしか描けなかったと考えると、次第に全身、背景まで描けるようになったと言え、むしろ後期の方が筆力は上とも取れる。しかし、それがかえって写楽の絵の魅力を失わせる結果になってしまった。
        • 単純に規制強化で高額商品(大判・雲母摺り)が販売できなくなってしまい、何かにつけ制約の多くなった窮屈な制作環境に職業絵師ではないために順応できなかったせいだという気がしないでもない。
      • 素人が描いたにしては上手すぎるという意見もあるが、浮世絵は彫師と摺師が上手いと下絵はセンスさえ良ければ、後は彼らがカバーしてくれる。
      • 「写楽=斎藤十郎兵衛」説が広まらないのは、この説を散々貶した上で自説を展開した(自称)専門家や文化人が多すぎて、彼らの立つ瀬がないからだろう。
      • 現代に例えると、最初だけ話題になったけれど、結局10週で打ち切られた少年ジャンプの漫画家が、百年後に突如世界的に評価されて、ちょっとでも画風が似ていた同じジャンプの作家や同時期に活躍した漫画家を、片っ端から同じ人物だと言い出すようなもの。そりゃ可能性はゼロではないだろうが、まず同一人物ではあり得ないだろう。
  2. 彼の絵は歌舞伎役者の肖像画ばかりである。
    • 当時、役者は人気はあったが身分は町人より低いため、役職についた武士(隠居ならおk)がそうした絵を描いたら一発で厳罰を食らった。斎藤十郎兵衛が写楽だと公表できなかったのはこうした社会通念が大きい。
    • 役者の役柄と、役者の人間そのもの、この矛盾する二つを一つの画面に描こうとしたのが写楽画の特徴。
      • しかし、浮世絵を買う庶民からすればそんな二重性などどうでも良く、ブロマイドとして格好いい、舞台上の最も粋な瞬間の役者絵が欲しいわけで、写楽の絵がすぐに廃れてしまったのも仕方がない。
  3. 写楽というと普通の人がたいてい思い出すのは三つ目がとおる
  4. 1910年にドイツ人研究者・クルトによって『Sharaku』という本が出版され、レンブラント、ベラスケスに匹敵する「世界三大肖像画家」の一人として絶賛されたといわれている。
    • ところがどっこい、1990年代に『Sharaku』の日本語訳が出版されてみると、そんな記述はどこにもなかった。
    • クルトが『Sharaku』の中で「世界三大肖像画家」として写楽を絶賛したという話は1960年代に日本で広まったデマでした。
      • 五十年前のデマを信用して、二百年以上も昔の文献を間違いだと決めてかかっていた(自称)専門家や文化人とは。

円山応挙[編集]

  1. 幽霊の足を無くした人。
    • 「生きていたのか」「もちろんだ、ちゃんと足はある」というような会話が出てくる小説は多いが、これが通用するのは応挙以後の日本だけ。それ以外の時代と場所で出てきたら考証が破綻していると見て良い。
      • もっとも、それをもって作品を叩く材料にするのならば“幽霊警察”などと呼ばれてウザがられるだけだとは思うけど。
  2. 上記の幽霊の逸話が有名だが、日本絵画史上もっとも重要な絵師の一人。特に京都の画壇は、応挙以前と以後で分けて考えることができるほど。
    • 狩野派が「完成した型」を教えたのに対し、応挙は写生という「応用のきく基本」を教えた為、後に様々なアレンジが生まれ流行を極めることになる。
    • 当時日本の画家としては珍しく、三次元の立体を意識して描いてる。
      • そのせいか間近で見るとあまり画格を感じない絵もあるが、離れてみると非常に迫力のある画面に仕上がっててたりする。

葛飾北斎[編集]

  1. 日本最強の引越し魔。
    • 画号も変えまくり。
      • 晩年の号「画狂老人卍」なんてネーミングセンスは江戸時代の人とは思えない。
        • 今週のジャンプの新キャラで使われてもおかしくないレベル。
        • 裏名義の「鉄棒ぬらぬら」も普通にエロゲーのクリエイターにいてもおかしくない。
    • そのほか超貧乏でプライドが高く無愛想とかなり個性的な人物だったらしい
    • 散らかったらすぐ引っ越す行為を繰り返したせいか、合計回数は93回にも及ぶ。酷いときは1日で3回も引っ越したという。
  2. 彼の書いた「赤い富士山」は米軍の目に留まり、太平洋戦争中に実行する計画が立てられた。
  3. 駿河湾で大津波が起こっているところを富士山と一緒に絵に表した色んな意味で凄いヤツ。
    • あの舟は無事だったのだろうか・・・。
  4. 90才の長寿。だのに本人は「あと10年生きれたらほんまもんの絵描きになれたのに」とか言ってた。
    • 少々往生際が悪いように聞こえるが、西洋人に言わせると、これこそが芸術家にあるべき態度だ!という事になるらしい。
    • 芸術のデーモンに取り憑かれて、それをここまで隠さないまま表現する人も珍しい。
      • 晩年の自画像もやたら禍々しいからなぁ
  5. 代表作は富嶽三十六景で間違ってないが、他にも色々凄い絵を描いている。
    • 馬琴「椿説弓張月」の挿絵は、現代の伝奇挿絵画家も裸足で逃げ出す迫力。
      • 人気絵師と作家の夢の共演だが、長続きはしなかった。その分ギャラが余計に掛かるからとも、北斎が馬琴の指示を無視して、描いたからとも言われる。
        • 現代のライトノベルでも本文と挿絵が矛盾するのはよくあることだから、これが正解かもしれない。
    • 諸国滝廻りや百物語も欠かせない。個人的には花鳥画も素晴らしいと思う。
    • 「蛸と海女」は触手凌辱の元祖として18禁関連でよく取り上げられる。
  6. 筋肉の鍛え方がすさまじかったらしい。
  7. 娘の葛飾応為もいっぱしの絵師。
    • 北斎が「オーイ、オーイ」と読んだから、画号を応為にしたと云う。どっちも適当過ぎィ。
    • 北斎を取り上げた歴史小説だと、北斎ではなく応為を主役・語り部にして北斎を描くことが多い。北斎の個性が強すぎて、逆に主役にしづらいのだろうか。
    • 晩年は北斎の代筆をした。
      • 北斎の作品には、コンパスで絵を描く指南書を出版したことからも分かるように、形や構図の面白さを追求しており、幾何学的な造形感覚が必ずと言っていいほどある。どんなに絵が上手くても、構図が平凡な作品は応為の代作や贋作を疑ってかかったほうがいいと思う。
    • 北斎曰く「アイツは春画だけはダメ」らしい。やはり男のエロ目線で描かないととグッとこないのだろうか。
  8. 略画早指南(りゃくがはやおしえ)という絵を簡単に描くための手引き書を遺したが、日本には無い…(大英博物館所蔵)。



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