諫早市
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諫早市の噂[編集 | ソースを編集]
- 諫早駅・東諫早駅の噂はこちら。
- 県外で諫早出身だというと、まず間違いなく「ああ、諫早湾の!」と返されるのが気に喰わない。だからといって他になにがあるかと訊かれれば、何もない。
- 諫早湾ギロチンは全国区。
- しかし潮受け堤防というとピンとこないが、諫早湾ギロチンというとすぐに通じるってどないよ。
- 大村でも大村湾なんだけど。
- 他所から大勢来る関係者は熱心だけど、地元民としては?と思うよね。やっぱり
- 諫早湾ギロチンは全国区。
- 海苔の栽培が盛んだが埋め立て問題で揺れる。
- 埋め立てじゃなくて干拓ですね。
- 諫早高校の教師は長崎五校にライバル心を燃やす。
- 駅伝で頑張ろうぜ。
- 昔は西陵もそうだったなぁ。
- 御手水のそうめん流はどうなった。
- 全国でも有名な超セレブ歯科医院がある
- 江戸時代は佐賀藩だった。
- 諫早藩が佐賀藩の支藩だった。
- なので、諫早弁は佐賀弁の影響を強く受けている。
- 眼鏡橋が有名だ。
- 長崎市の眼鏡橋とは別のもの。諫早にもあります。
- 長崎市のより大きくてかっこいいと思っている。
- 長崎市の眼鏡橋は長崎大水害で壊れてしまったが、こちらは頑丈すぎて諫早水害のときも壊れなかったため、本明川の上流から来る岩や流木を堰き止めてしまい、川が氾濫して洪水被害を拡大させてしまったらしい。
- そんなわけで、現在では公園に移設されている。
- 元々は頑丈な橋を架けるため、長崎市のを参考にして造ったそうです。
- 長崎市の眼鏡橋とは別のもの。諫早にもあります。
- 轟渓谷は名水百選にも選ばれた。
- 諫早の人はいきなり水をかけられると「あぴっ」と言う。「探偵ナイトスクープ」でも取り上げられた。
- 大村高校を諫早高校の分校といっている。
- 成り立ちを見ればわかるが実際は逆である。
- 色んな意味で大村とはバトルが熱い。
- もとは「伊佐早」と表記した。
- 伊佐市と関係が?
- 北高来郡の残りを全部呑んだ。
- イオン(ジャスコ)やイズミ(ゆめタウン)など出店計画があった。
- しかし、市と商店街の反対で計画がつぶされた。諫早市民のほとんどが出店を望んでいる。
- 商店街は出店反対運動を張り切ってやり、営業の方は努力していない。
- ここにショッピングモールが進出すると、長崎市中心部の商店街への影響は計り知れない。
- 名優役所広司氏の故郷
- ケロロ軍曹の作者は長崎日大出身だからケロロたちの銅像がつくるとかよくない?
- 2005年3月1日に諫早市・西彼杵郡多良見町・北高来郡森山町・飯盛町・高来町・小長井町の1市2郡5町で新設合併したが、かなり無理矢理感がある。
- 多良見を除く全て(旧市内を含む)が北高来郡であり、かつ諫早の勢力圏なので無理矢理ということはない。ただ飯盛と多良見は長崎市寄りというのはあるが…
- 長崎市から25km程度、車で1時間(長崎自動車道経由は30分)と結構近い。(福岡からはかなり遠いが。)
- 県央だけあって長崎市内への電車通勤もしやすく、かつ県内全域にアクセスしやすいため、県職員など県内での異動が多い人が諫早に居を構えることも多い。
- 島原地域へのアクセスの拠点的存在。(長崎自動車道の諫早ICから車で1~2時間程度かかるが。)
- 諫早の「諫」は「言(ごんべん)に東」と言われるが誤り。
- こちらをご覧あれ。
中心市街地(諫早・本諫早)[編集 | ソースを編集]
- 市の中心市街地としての役割が濃いのは諫早駅周辺よりも本諫早駅周辺だ。
- アーケードには男子禁制なプリクラ屋がある。
- 嘘のようだが、アーケードは現在から10年ほど前までは栄えていた。。。
- アーケードの外れに『♪お魚くわえた…♪』で有名な秘密の園アリ
- サ○エさんのことか!?
- いやいや、○階のお姉さんだろ?
高来[編集 | ソースを編集]
- この旧町名は昭和の大合併でついた名前だったが、属していた北高来郡だけじゃなく南高来郡もあった(平成大合併で消えたが)のにちと図々しいネーミングだった。
- しかも、南高来郡は彼杵地方じゃなくて島原地方だった。
- 小江(おえ)駅がある。徳島にかつてあった郡と同様聞こえが…。
小長井[編集 | ソースを編集]
- おがたまの木が天然記念物になっている。
- 一時は凶悪な保険金殺人が…。
- それは遺体を捨てた場所がここであって…。
- フルーツバス停が名物だが、小長井人はあまり大切にしていない。
- 2017年になって、「インスタ映え」するというので観光客が急増し、あわててお色直しを始めた。
- フルーツということで、有名なフルーツゼリーのメーカーである「たらみ」を連想し、小長井ではなく多良見にあるものと勘違いする県外人がたまにいる。
- なお、諫早駅前からは県営バスで小長井も多良見も乗り換えなしで行ける。
- たらみの工場は小長井にある。工場見学も可能なので、バス停とセットでどうぞ。
- いまでは何の違和感もないが、もともとは「小川原浦+長里+井崎」の合成地名だったりする。
- 1966年10月31日までは北高来郡小長井村だった。
飯盛[編集 | ソースを編集]
- 高校生時代に、『イイモラー』と呼ばれ、田舎レッテルを貼られる。
- 飯盛団地からは長崎にも諫早にも通勤できる。
- 北高来郡の飛び地状態だった。
- 1965年3月31日までは北高来郡飯盛村だった。
多良見[編集 | ソースを編集]
- ここも諫早です。
- 有名なたらみというゼリーメーカーがある。
- 実は今本社があるのは長崎市内なのだが、殆ど多良見のような場所なので、あながち間違ってはいない。
- 大浦バス停には長崎バスと県営バスが入る。だが接続ダイヤではない。
- 諫早市内唯一の「彼杵」。
- 旧西彼杵郡だった。
- V・ファーレン長崎のホームスタジアムと練習場がある。
- 兄が元・プロ野球選手で弟がJリーガーな中村隼人・北斗兄弟の出身地。
- 1965年11月22日までは西彼杵郡多良見村だった。
- 多良見の中心部は喜々津駅のあるあたりだが、1955年(昭和30年)2月11日に喜々津村、大草村、伊木力村の3村合併で多良見村が成立した際に喜々津という地名が消滅している。
- だが消滅からだいぶ経った今でも、駅があるおかげで多良見の中心部≒喜々津という風に認識されている。
- 伊木力についてはミカンの産地として今なお馴染み深い。
森山[編集 | ソースを編集]
- 平成大合併前の旧町の中で、ここだけ2013年9月まで記述無しとは...
- となりの雲仙市になったと思われてたらしい(?)
- 最寄駅のつもりで島原鉄道の森山駅に降りると、愕然とする。
- 森山駅は駅舎すらない無人駅。
- 何と、森山駅を含む町内全駅が、昭和の頃は普通列車も朝夕以外通過していた(並行するバスの本数が圧倒的だったため)。
- 合併前は一応「町」だったが、中心街が見当たらない...
- 支所(旧役場)や銀行までが、田圃に囲まれるようにぽつんと建っている。
- 橘湾側の唐比は全く別の町のような雰囲気。
- ちなみに読みは「からこ」と、なかなかの難読ぶりである。
- どうして「比」を「こ」と読むのかと思ったら、徒然草に「神無月の比(ころ)」というくだりがあるので、おそらくこの用法が転訛したものであろう。
- 雰囲気は隣接する有喜地区(こちらは1940年から諫早市)と似ている。やはり有喜も諫早湾側とは全然違う雰囲気。
- しかも有喜も読みが「うき」と微妙に難読な点まで似ている。
- ちなみに読みは「からこ」と、なかなかの難読ぶりである。
- 1969年3月31日までは北高来郡森山村だった。
諫早湾干拓地の噂[編集 | ソースを編集]
- 諫早湾潮受け堤防の上は車で走行可能。ちょっとしたショートカット路?
- 渋滞の激しい諫早市街地をスルーして、佐賀・福岡と島原を往来出来るのでかなり重宝する。
- 諫早湾干拓地は昔はもっと農地にする予定だった。そのため今では洪水調整池が広すぎるように思える。
- 干拓地の先、調整池の中も結構な範囲が砂が溜まって草が生えている。
- 干拓地の端っこの土手の上は快適なジョギング・サイクリングロード。
- 干拓地には「農薬・化学肥料を減らした」と、環境にやさしい農法であることを強調する看板が。
- 諫早湾の潮受け堤防を造る以前に、その手前の農地だって江戸時代とか明治、大正の干拓によって拓かれたものだ。
- ゆうゆうランド干拓の里は家族向けのレジャースポット。施設内の干拓資料館はほとんど見向きされてないけど。
- 広々してて気持ちいい。
- 開門「しても」「しなくても」制裁金を支払わなければならないという、国にとっては理不尽な状態が発生している。