野球場/旧本拠地

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プロ野球チームの旧本拠地球場の噂を集める。

以下の球場についてはそれぞれの独立記事・節を参照。

東京スタジアムの噂[編集]

  1. 当時のワンマンで知られた大映オーナー、永田雅一の願望で誕生。通称は東京球場。
  2. しかし夢は短く、10年で消えた幻の球場。照明灯が眩しかったことから「光の球場」とも呼ぶ。
  3. このころの球団は、他に東京を名乗る所がなかった事から何でもかんでも「東京」をつけた。球団名も後には「東京オリオンズ」。
  4. こち亀で取り上げられた成果か、認知度は意外とあったり。
  5. 下駄履きで試合観戦ができる球場として、下町の人からは親しまれていた。
  6. 後楽園に対抗して作ったような球場だったので、巨人には断固として使わせなかった。
  7. 「本塁打量産球場」の異名もあった。
    • 右中間・左中間の膨らみが全くなし。
    • シェイスタジアムみたいに外野席とっぱらえば多少マシになったと思うんだけど。
  8. この球場亡き後、5年間がロッテの歴史に残る「ジプシー(放浪)」時代。そんな中で日本一になったのは立派なものである。
  9. 最後は監督が「いらん」と言ったために潰れた。
    • ひどい話ですね。
      • 投手に不利な球場だったため、投手出身の金田正一監督が嫌がった。
    • ここで強引に続けていれば金田さんもおとなしくなっただろうに・・・。
  10. 後に出来たスポーツセンターのプールは北島康介のルーツ。
  11. 内外野総天然芝。
  12. 辺鄙な場所にあったにもかかわらず、現在の皇太子殿下が2度ここで野球観戦している。
  13. スコアボード表示で、難しい漢字を使う苗字の選手はカタカナ表記。生え抜きのこの方は「ダイゴ」表記だった。ご本人は「難しい漢字だからでしょう。外国人でもないのにカタカナ表記だったんですよ」と。
    • 後楽園球場でも同様の事例があった模様。

駒澤野球場の噂[編集]

  1. 畑の中にあったと言う伝説の球場。
    • よって砂塵だけでなく、糞尿の臭いもする球場だったとか。
  2. 振り逃げで4点の記録を生んだ球場。
  3. 東急時代は東急沿線になく、東映になってからこの地になった。
    • 建設したのは東急時代。これが原因で後楽園を一時締め出された。
    • 供用開始は一応、東急の時代。
  4. 渋谷から球場までの直通バスがあったが、はじめは各台数人しか乗客がいなかった。当然、観客も数百人程度。
    • 後楽園を捨てて駒澤に移った東映を揶揄し、「駒澤が満員になったら逆立ちで東京を廻っていい」と言った評論家がいたそうな。
    • その後の球団成績向上、客誘致努力が功を奏し、5年後にはスタンドもバスも満員御礼となった。上の評論家が東京を本当に巡ったかは不明。
  5. 最終的に球場が東京オリンピックの競技場予定地に含まれることになったため立ち退きを余儀なくされた。
  6. よく勘違いされるが、夏の甲子園予選・東東京大会が開催される球場とは別物である。

上井草球場の噂[編集]

  1. 西武鉄道が造った最初の球場。
  2. 本拠地だったが、まともに使われたのは1年間くらいらしい。
  3. 六大学野球の開催地になったこともある。
  4. こういった経緯があったことが巡り巡って、なんと2013年に埼玉西武ライオンズがここを本拠地としていた東京セネタースの復刻ユニフォームを着用することとなった。

武蔵野グリーンパーク野球場の噂[編集]

  1. 後楽園を補うべく、国鉄の本拠地を想定して開設。
    • 神宮が接収されていたので大学野球も行われた。
  2. 国鉄は支線を設け、観客列車を走らせた。
    • 一時は交通公社の時刻表にも載ったらしい。
    • この支線も幻の鉄道路線として知られる。
    • 廃線跡は残っている。
  3. しかし1年もまともに使われず消えた。正に幻の球場。
    • 跡地は団地になっている。
    • 実働1シーズン、完成から解体までわずか5年と、日本で最も短命に終わった球場だそうだ。
  4. 名前が長すぎて当時の新聞などでは表記が統一できなかったらしい。
  5. 短命に終わったのは当時はまだ都心から遠かった、土質の問題で天然芝の育ちが悪く土埃が舞う、球場名が長すぎてメディア間で統一できなかった、完成後に神宮の接収解除などで首都圏の野球場不足が緩和された、と諸々の要因が重なったため。

大阪スタヂアムの噂[編集]

なんばパークスにあるホームベースのモニュメント
  1. 正式名称は「大阪スタヂアム」。「大名古屋ビルヂング」もそうだが昔は「ディ」は「ヂ」表記が普通だった。
    • 「スタディアム」なんてほとんど呼ばないだろ。
      • 普通は「スタジアム」だしな。
        • 後楽園も正式か親会社かは分からないが「ヂ」だな。
        • 「ぢ」と表記してはいけない。
  2. しかし大阪球場とか難波球場と呼ばれることが多く、正式名など知られていなかった。
  3. 野球ではなく野次を見るために来る人が多かった。パリーグが電鉄リーグであった時代の野次の一部は今も残っている。
    • ex.エラー時に『やったーやったーまたやったー 金村やったーまたやったー 近鉄電車で早よ帰れー』
      ↑親会社の電鉄名が野次られる。ロッテと日ハムは不勉強で存じ上げません。
      • ロッテはガム喰って屁をこいてはよかえれ。日ハムはハム喰って屁をこいてはよかえれ。
      • 南海高野線の初芝駅もロッテの初芝選手にちなんで野次られていた。
      • 野次を見るためにというか、野次で憂さ晴らしするために来ていたというか。
    • 「すり鉢状」というか「アリジゴク的」というか、観客席の階段が急すぎて小学生では山登りみたいだった。トイレに行くのも気をつけて行った。酔っ払いが滑り落ちたのもさもあらん。
      • トイレは比較的きれいだったのでは。
  4. 「あぶさん」でも一躍有名に。
    • 「火車」にも登場。
      • 住宅展示場にされた末期の姿を描いていた。
        • 「アド街」でもグラウンド部分が住宅展示場になったシーンを取り上げた。
  5. 難波のターミナル駅に隣接して球場があり、初めて写真を見たときはたまげた。至便といえばこれに上回るものはないだろうが。
    • しかしそんな立地でありながら、昭和50年代には満席になることはほとんどなく、空いていることが多かった。
    • 他の電鉄系球団と異なり沿線ではなくターミナル駅に隣接して球場があるため、野球観戦客の輸送で親会社が大儲けする、ということはなかった。
    • 今の南海難波駅を作る際、スタンドの一部が削られた。
  6. 日生に移転する前、近鉄球団の本拠地ともなっていた。
    • わずか2年だけ、横浜ベイスターズの前身である洋松ロビンスも…どれだけ?
    • 5球団がひしめく後楽園よりははるかにましだったとは思うが…
  7. JRAの場外馬券売場、ウインズ難波もここにあった。
    • 現在は地下に移った。
  8. 球場跡の商業施設「なんばパークス」の9階に資料館があるが、ノムさんは未だに黒歴史。
    • 球団の意向というより沙知代の圧力のためだが。
    • 8階円形劇場は、野球場の席を模している。
    • ピッチャーマウンドのプレートとホームベースが当時と同じ場所に再現されている。
  9. サッカーの試合に使用され、1982年にはJSL東西対抗(現在のJリーグオールスター)が開催された。
    • そのときのMVPは「ミスター日産」こと木村和司
  10. スタンドの下に古本屋が集まった一角があった。
    • そこにあった店舗の一部は今も難波周辺にある。
    • 卓球場もあった。
    • 「なんば古書センター」と称する。「文化会館」というのも入っていて習い事の教室もやっていたと記憶する。
      スケート場が隣にあったのも懐かしい。あれも付属施設のひとつだった。今はパリーグの球場とフィギュアスケートのリンクが隣接していれば華やかだけれども1980年代はうらぶれていた。
  11. 「探偵!ナイトスクープ」でスタンドの長椅子をかけて依頼者が南海最後の監督だった故杉浦忠と野球盤対決をした。
    • これが「大阪球場最後の(野球の)試合」とされる向きがあったりなかったり。
    • 厳密には依頼者の対戦相手は大阪スタヂアムの社員の方で杉浦監督は依頼者の助っ人だった。
    • この野球盤対決は南海球団の本拠地最終戦からちょうど10年後だった。
  12. コンサート、サーカスなどあらゆるイベントに使われた。上の席に座ると綱渡りを横から見られる。
    • 南海ホークスがあった頃からシーズンオフには中古車の販売会場として使われていたりもした。
  13. 当時の球場内には五右衛門風呂もあったと言う。(どんでん談)

日本生命球場の噂[編集]

  1. 日本生命の厚生施設のはずが、なぜか近鉄フランチャイズに。
    • それまでは大阪球場を間借りしていた。
    • 公式にはずっと藤井寺が本拠とされていたが、ナイター設備がなかったため、83年までこっちで試合をする回数の方が多かった。とはいえ73年には藤井寺への一本化を打ち出し、ナイター工事に入ったのだが、訴訟により…
    • 当時の近鉄社長によると、近鉄のナイトゲームでの使用料金は100万円・広告収入は球場側の総取り。これではやってられんと藤井寺完全移転決定したとのこと。
    • 設備はもともと府立公園程度だったが、周りの公園が花博のときにグレードアップしたので有料なのに公園以下になってしまった。
    • なんやかんや言うて96年までは年間何試合かはやっとったさかいなあ。
  2. 場所は森ノ宮と近鉄沿線でないが至便な位置。しかし狭いため日本シリーズも開けなかった。
    • そんなわけで、江夏の21球の舞台は、あちら
    • 1986年に近鉄東大阪線(現けいはんな線)開業後は、森ノ宮駅に近鉄電車が乗り入れるようになった。
  3. トイレの汚さには定評があったらしい……
    • 狭い上に全般的に汚いと評判であったといわれ、「西の川崎球場」と揶揄されたことも。
      • 臭さかてそんじょそこらの公衆便所にも負けてへんで。
    • ゴキブリやネズミが出たので、それを嫌った外国人選手が早々に退団してしまった。
      • ドン・マネーのことやろ。アレはいろいろしゃあないわ。
    • 朝顔がなく、タイル張りの壁の下にある溝に向かって放水する。電気が暗く、アンモニアのにおいがすごかった。個室には入っていないので光が入るとかトイレットペーパーがあるとかいうのは分からん。一応水洗なので公園のトイレよりは良かった。
  4. 鈴木啓示によると、ラジオ・テレビの実況の音声がピッチャーマウンドまで聞き取れたらしい。
  5. 一般には「日生球場」と呼んだ方が分かりやすい。
  6. アメフトファンには、「涙の日生球場」として、枕詞(まくらことば)とセットで知られている。
  7. 最後の最後で、あの王貞治監督への卵投げつけ事件のために有名になってしまった。
    • アレから10年後、ホークスファンと旧近鉄ファンにより、跡地で「生卵事件を偲ぶ会」が開かれた…らしい(一応新聞で見たような?)
  8. 跡地周辺の歩道には、かつて球場があったことを示す模様が入っている。
  9. チャーリー・マニエル選手の打球が場外に飛び出さないように「マニエル・ネット」が張ってあった。後に中学生だった清原が打球を「マニエル・ネット」に当てたらしい。
  10. 今やでっかいコインパーキングが広がってるだけ。一応、マンション再開発やるらしいけど。
    • 2015年に商業施設の「もりのみやキューズモール」が球場跡地にオープンした。
  11. 高校野球大阪大会の聖地だった。閉場後は藤井寺球場に移ったが、そこも程なくして閉場。
  12. オリックスの投手のシュルジーが、DH制導入後パ・リーグの投手として初めてホームランを打った球場。

藤井寺球場の噂[編集]

球場跡に立つモニュメント
  1. 近鉄パールズよりはるか前、西宮球場よりも早く1927年に建設。
  2. 南大阪線を敷設した大阪鉄道が造ったが、この会社は球場や鉄道など一連の過大投資が原因で大阪電気軌道(大軌、近鉄の直系前身)の傘下に…
  3. 竣工当時の面積は、阪神甲子園球場を凌いでいた。
  4. 照明灯は後付け。だから塔が球場の外。文字通り「取って付けたような」モノだった。
    • その照明灯をつけようとしたら近隣住民から大反対が起きて裁判沙汰になった。どんだけ地元に好かれていなかったのかと。
      • 住宅開発をした後につけることになったため、騒音を懸念した模様。
      • 1973年に着工してから10年間、照明のつかない鉄塔だけが空しく建っていた。
      • 改装後に一基だけあった関係者用エレベーターは凄まじくゆっくり動いてたそうな。
  5. 実は近鉄バファローズ最後の公式戦を行った球場でもある。
    • ウェスタンリーグ(2軍)優勝決定戦である。当時前後期制に分かれていて、前期近鉄が優勝したため。本来開催は一軍最終戦より前だったのだが、この年行われたストの影響で順延となった。
    • なお中日ドラゴンズ相手であったが、敗戦したためファーム選手権には進めなかった、結果この試合が最後の公式試合となった。
  6. 南大阪線で阿倍野橋から藤井寺まで準急で15分ほど。さらに歩きで5分ほどと交通アクセスに恵まれていた。
  7. 1989.10.14、超満員にふくれ上がった!!
  8. 近鉄が消滅した後、2006年に解体された。
    • そして2009年4月にこの球場の跡地に四天王寺学園小学校が開校した。
      • 系列の四天王寺大学のキャンパスもあります。
  9. ラッパ禁止だった。そういう意味で宮城球場は受け継いでるかも。(事情はどちらも一緒)
  10. 生駒おろしのせいで外野に強風吹いてる球場だった。
  11. ここで日本シリーズが開催されたのは後にも先にも1989年の1回のみ(「巨人はロッテより〇〇」で有名になった時)。
  12. 某番組で、「雨が降った後はものすごい臭いがするため、女子アナのいい匂いを嗅いでいた」と話していた解説者がいた。
  13. 落合博満氏(当時の中日ドラゴンズ監督)がロッテオリオンズ選手時代にこの球場のフェアグラウンドは120°あるように錯覚したと言う旨を中日新聞コラムに記してあった。(なお、通常のフェアグラウンドは直角の90°である)
  14. ここの球場での開幕戦で野茂が自家用車で来た時、警備員に「駐車場、一杯やねん。帰って」と言われて帰らされたらしい。
  15. 近鉄にいたマネーがあまりの汚さに失望してしまった球場。そして、「ゴキブリが出るから。」という理由で帰ってしまった。
  16. とあるアニメでキャラが「どこか夢の国に行けたらいいのに」と言ったら、この球場に連れていかれた。
  17. 近鉄の投手の奪三振や近鉄の打者のホームランでバックスリーン下から花火の噴射があった。
    • 「珍プレー好プレー大賞」で投手のボールカウントや打者のホームランとファウルの勘違いで無駄に花火を噴射させてしまうハプニングが放送された。

阪急西宮球場の噂[編集]

  • 西宮市(1937~90阪急・オリックス)
  1. 小林一三が阪神球団に対する阪急球団同様、阪神甲子園球場に対抗すべく、その至近に意地で造った球場。
    • 甲子園球場のほぼ真北にあったとのこと。
    • 完成当初は後楽園球場を凌ぐほどの豪華さだったらしい。
      • 後楽園も小林が出資している。だから西宮の劣化コピーと評されるのは否めない。
  2. 場所は西宮北口駅すぐ南。おかげでアクセスはよかったが、結局は甲子園に勝てずいつも空いていた。
    • 「外野は入場禁止なのか」…と誤解した観客もいたとのこと。
      • いしいひさいちの漫画でも取り上げられたり。
      • 外野の売り子の兄ちゃん、ピーナッツ売れないから椅子に座りながら自分らで勝手に?開けてポリポリ食ってた…。
      • チョコボールは50円で売ってた。ガキの頃、「ブレーブス子供の会」入ってたから、タダで入ってこれ買って観戦してた。
    • 1974年の「決戦・日本シリーズ」でもこの至近さは取り上げられたが、市内完結日本シリーズは結局実現せず。阪神がなかなか優勝できなかったためだが……
    • 西宮北口駅の駅名表に余白があるのは、「阪急西宮スタジアム前」の副名称を消した名残
      • 「阪急西宮ガーデンズ」開業で駅名標を取り替えたとか。
    • 実は西宮北口駅の上に球場造る計画もあったそうな。
  3. 戦後に一回だけ、甲子園が進駐軍に占領されていたことから高校野球をここでしたことがある。
    • 昭和33年と38年にもやった。記念大会で出場校が多く、捌ききれなかったため。
    • 府大会では平成になってからも。大阪球場が潰れたため。
  4. 野球よりもアメフト競輪で知られていた。ねんに
    • アメフトは、ブレーブスが出て行ってから、使用頻度が多くなった。
      • アメフトの関西協会も、事務所を球場内に移転させた。
      • 呼称を「…球場」から「…スタジアム」に変更したのは、この頃かな。
    • 1977年まで、競輪のバンクの影響で、外野グラウンドには芝が敷いてある部分と敷いてない部分が混在していた。外野手としてはさぞ守りにくかったことだろう。1978年より外野が人工芝になったため、この事態は解消された。
  5. 跡地に最大級の商業施設ができるらしい。北口駅南部の復興を担えるか。
    • 阪急西宮ガーデンズの5階に阪急とブレーブスの資料館が出来た。球場を西宮北口駅の平面クロスともども模型で再現している。なんかなんばパークスのパクリにも見えてしまうが。
  6. チャンネル番号「8」を記した、関西テレビ放送の大きな広告が外野照明灯にあった。
    • これは、オリックスの後の本拠地、グリーンスタジアム神戸(現・スカイマークスタジアム)に受け継がれている。詳しく言うと、「グリーンスタジアム」名義の頃はレフト側フェンスに、「Yahoo!BBスタジアム」名義の頃から最近はスコアボードのビジョンに看板がある。
    • 関西テレビが阪急グループであることと関係あるのかもしれない。
      • ちなみにテレビ中継がネット裏からだった時代は、外野ラバーのバックスクリーン下レフト側に「関西テレビ放送」の広告があったが、関テレ以外の局(特にNHK)が中継する場合は「西宮球場」表記に変わっていた。
      • 手書きスコアボード時代の日本シリーズでは、時計塔の左右に関西テレビによる生中継の提供スポンサー群の社名が掲示されていた(「酒王千福」「ニッカウヰスキー」「東芝」「資生堂MG5」など)。
  7. バックネット裏に、放送局の札が下げられた座席群があったが、あそこは放送席?
  8. 関西の吹奏楽経験者にとって「2000人(3000人)の吹奏楽」といえばここ。
  9. 閉鎖直前にはフリーマーケットなども開催されていた。
  10. ブーマーの打球が直撃して破損するのを防ぐため電光掲示板にシャッターを取り付ける計画があった。
  11. 解体時にはふくもっさんがここの球場の備品を頂いて、自身が経営するお店に置いているらしい。
  12. 1981年の阪急-ロッテ後期11回戦で今なお語り継がれるビッグプレーが生まれたのもここ。

西宮競輪場の噂[編集]

  1. 競輪開催時の車券売り場(窓口)は、観覧席下の通路にあった。
    • 窓口ごとにシャッターがあり、野球開催時はこのシャッターを下ろしていた。
  2. 球場入り口のそばに小屋があり、そこで場外開催の車券を売っていた。
    • 厳密に言うと、右手(敷地南側)の外野席に向かうほうの改札の更に右手。甲子園競輪の早朝前売りもやってた。早朝前売りではUCCのインスタントコーヒーとか紅茶とか出してたけど、1990年代の後半にやめちゃった。
      • カップにインスタントコーヒーの粉かティーバッグが入ってるだけで、飲むときには自分でお湯を注ぐ。でも中にはカップに入ったティーバッグだけ持って帰るセコいオッサンもおった…。
  3. 競輪を始めた頃は常に大入り。だから後に客足が減っても、お盆は競輪開催が優先となってた。西宮北口駅の今はなき1階臨時改札口とかも使ってた。
  4. 廃止直前の2年間は売り場と観戦エリアを限定した(特観席真下あたりと内野三塁側にロープ張って、主にHS~BSのそばとなるレフト側が立ち入り禁止になった)から、それまでできた球場一周ができなくなった。
  5. 甲子園競輪もそうだったけど、ヤジが凄い。惨敗して客から「帰れ!」といわれてホンマに帰った(翌日から欠場)選手もいたし。
  6. ココの甘酒は結構美味かったけど。

下関球場の噂[編集]

  1. セリーグで最初の本塁打を生んだ球場。
  2. 大阪(→川崎→横浜)移転から33年間たった後に壊されたが、数年後に別地に復活して公式戦もやっている。
  3. 水産会社の球場にふさわしい立地だったとは思う。
  4. 今なおこの地を聖地と考えている横浜ファンは多い。
  5. 今は市立中央病院。

平和台野球場の噂[編集]

  1. 福岡ダイエーの本拠となったのはわずか4年なので、いまだに埼玉西武ライオンズの前身である西鉄の本拠地と認識している人が多い。
    • まだ大阪ドームが無かった頃、阪神が「死のロード」で使用したこともある。
  2. 当初はナイター設備がなかったため遅延で試合中止にしようと言う動きが生じ、暴動発生。ナイター設備はこれが契機でようやく入った。
    • 中止というか日没ノーゲームね。暴徒鎮圧のために機動隊まで駆り出された、いわゆる平和台事件。
  3. 球場があったのは舞鶴公園だが、これを聞くとどうしても京都府舞鶴市を想像してしまう。
    • 名古屋人は鶴舞公園を想像することだろう。
  4. 西鉄が強かったのでファンも応援に熱が入り、チャンピオンにふさわしくということで、改修に至った球場。
    • 西鉄球団同様、黒い霧事件の打撃をぬぐうことは出来なかった球場。
    • 昭和30年代と40年代の落差は凄まじかった模様。
  5. 遺跡物が出土したおかげで、止めを指された形になった。
    • …と言われてはいるが実際にはドーム建設の口実だったとされている(時はバブル時代)。
    • 後に福岡市による現ドーム用地のダイエーへの安価売却等一連の行為が問題視される。
  6. 隣接する陸上競技場はまだ健在。
  7. 日本で唯一の「巨大ビジョンがあるが電光掲示板でない球場」だった。
  8. ライオンズが所沢に移転し福岡に球団不在時、所沢のライオンズファンより平和台のライオンズファンの方が熱狂的だった。
    • ダイエーが来てからもしばらくはそんな感じだったらしい。
  9. 西鉄時代、選手達は遠方に見える油山の雲行きでその日の試合の中止を判断していた。
    • 勝利時に皆で選手を胴上げ。
    • 弱小時は「俺が代わりに打つ!」とバッターボックスに乱入。
  10. 一時期まで中西選手の特大場外ホームラン着地点跡の碑がレフトスタンド側遙か後方に設けてあった。
  11. 未だに空中写真を見ると球場の形がちゃんと残っている上、結局空き地のままなのでもう一回再築しようと思えばできる。
    • 使用料の高いドームを見限って、新平和台野球場再築に向けた動きが水面下で進んでいるとかいないとか。
      • 平和台球場再建の暁にはカムデンヤーズみたいな本格的ボールパークを是非。
    • 隣の裁判所も近々移転するらしく、新平和台球場再築には十分な敷地が確保されつつある。
  12. 周囲の石垣に植えられた只見用の桜の木は今年も元気に開花している。
  13. 城内にある現テニスコートが投球練習場だった。
  14. 1958年の日本シリーズ第4戦でサヨナラホームランかっ飛ばした稲尾和久投手に向かってファンが西鉄ベンチ上へ駆け下り、「神様、仏様、稲尾様。救いの神の稲尾様」と三拝九拝したエピソードのある球場。
  15. 1979-1988の空白期の間にハモンドオルガンが設置され、イニング間や投手交代時などに演奏していた。
    • 「雷神」(スーザ作曲)、「コバルトの空」(レイモンド服部作曲)、「スパイラル・ドリーム」(土居慶子=現・松居慶子=作曲)は頻繁に演奏されていた。
    • チームに関係なく、打者がヒットで出塁の際は「狼少年ケン」主題歌を簡略化したバージョンを流していた。
      • ホークス移転後はホークス選手限定で継続された。
        • 福岡ドームの完成後、そのオルガンもドームに引き継がれ、2004年シーズンまで使用された。
  16. スタンドや外壁の一部はしばらく保存されていたが福岡県西方沖地震で崩れかけたため撤去された。

プロ野球
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ナゴヤ球場/ほっともっとフィールド神戸/旧広島市民球場/川崎球場
旧本拠地球場/偽野球場/偽甲子園/偽ナゴヤドーム | 嫌だ



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