阪急京都線の車両
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現役車両[編集 | ソースを編集]
3300系[編集 | ソースを編集]
- 40年選手だが、今なお京都線ではかなりの勢力を維持している。
- しかも本来の使命ともいえる地下鉄堺筋線乗り入れに現在も運用されている。
- 2012年現在、廃車は1両も無い。
- 2014年から廃車が始まったが、登場から47年間も1両も廃車がなかった方が奇跡。編成単位では2016年3月の3320Fから廃車が始まった。
- この編成には、トプナンの3301Fが組み込まれていた。ちなみに3300系は、トプナンが1となった阪急で最後の系列。
- 2014年から廃車が始まったが、登場から47年間も1両も廃車がなかった方が奇跡。編成単位では2016年3月の3320Fから廃車が始まった。
- 地下鉄に乗り入れる抵抗制御車はコレと下記の5300系だけ。
- 名鉄100系はVVVFに改造したのに。
- 回生ブレーキがないので、消費電力も相当なもの。大阪メトロはそろそろ、この車両が堺筋線を走った分だけ、電気代の差額を請求してもよいのでは。
- 関東大手ならともかく、阪急にそんなことしたら阪急の経営が傾いちゃうよ…
- ぞろ目車番「3333」が存在する。
- 3309編成にありますね。
- この編成には下記の3956号車も組み込まれている。
- 3309編成にありますね。
- 発車及び停車時にモータが爆音を発する。
- 地下駅では特によく響く。市交66系と同時発車するとやかましいことこの上ない。
- 66系がトレブリーな“耳痛系”の爆音なのに対し3300系はロー~ミッドが豊かで“耳で聞く”というより“身体で感じる”爆音。どちらにしてもやかましいのは変わらないが。
- せめて添加励磁制御化改造でも出来なかったものだろうか。
- 66系がトレブリーな“耳痛系”の爆音なのに対し3300系はロー~ミッドが豊かで“耳で聞く”というより“身体で感じる”爆音。どちらにしてもやかましいのは変わらないが。
- これに対しかつての乗り入れ相手だった大阪市60系は乗り心地は悪かったもののモーター音は静かだった。
- 地下駅では特によく響く。市交66系と同時発車するとやかましいことこの上ない。
- 冷房化前は前面の車掌側に手動の方向幕がついていたが、地下鉄乗り入れ時にしか使用されず、阪急線内で運用される時は標識板を掲げていた。
- 5300系も同様。こちらは中間に挟まった先頭車に現存している。
- 冷房改造は大阪市交との絡みで最後に施工されたが、その代わり全車両が冷房改造と同時に方向幕が装備され、補助送風機としてスイープファンも付くなど当時新造されていた7000系と同レベルになった。
- 本系列の冷房改造完了(1986年3月)で阪急は大手私鉄では2番目に冷房化率100%を達成した。
- あくまでも自社車両でのこと。乗り入れ車も含めると大阪市60系の非冷房車引退を待つ必要があった。
- 本系列の冷房改造完了(1986年3月)で阪急は大手私鉄では2番目に冷房化率100%を達成した。
- 能勢電鉄の1500・1700系がこれと同じ顔をしている。
- 3950形は阪急では最後の非冷房車でなおかつ阪急唯一の冷房準備車として製造された。
- 登場時既に5300系が登場していたため、それに準じた仕様になっていた。そのため車体断面が他の3300系と異なる。
- 非冷房時代は屋根のモニターが他の3300系と比べて少し高かった。
- 3950形は昭和54年製造のはずだが、3956号車には何故か「ナニワ工機 昭和42年」の銘板が車内についている。
- 番号的に3000/3100系の京都線verと誤解されがちだが、実際は5000系の京都線verといっていい。
- 5000系と異なり、新車並みの徹底したリニューアルは行われていない。
- でも内装は5000系並のリニューアルが行われている。つーか、1960年代生まれの電車にドアランプつけてるの、阪急くらいでしょ。笑
- 阪急では初めて空気バネ台車が本格的に採用された(2000・2300系で試験採用はあったが)。
- 5000系と異なり、新車並みの徹底したリニューアルは行われていない。
- 実質中間車として使用されている車両のほとんどがいわゆる“運転台撤去車”である。
- そのため連結部に立席スペースがやたらと多い。ちょっとした車掌気分を味わえるせいかお子様には結構人気がある模様。
- 3350・3850形の90番台Mc車は(3300・3400形)の電装解除車。
- 電装解除された当初は元の車番のままだったが、冷房改造と同時に改番された。
- 2023年3月の時点では3305FのC♯3391号車のみが現役だが、今月をもって引退らしい。
- コロナ禍で阪急も新車を入れる金が逼迫してきたのか、2022年になって延命されることに。
- 2度目の大阪万博を迎えることが確約されている。
- 2023年時点で残り4編成。年間2編成ずつ潰せば、万博始まるか始まらないかくらいの時期に全滅するだろう。
- 極端な加速重視電車。その代わり特急には入れない。
- 但し2000年代には特急運用に入っていたこともある。
- 7連のやつなんか6M1Tで、京都寄りクハ以外全部モハだから。
- 電磁直通ブレーキかと思いきや、非常ブレーキだけ電気指令式になっているらしい。そのため、終着駅や待避駅で非常ブレーキを作動させても、「バン!」って音がならない。
- 今津北線にいる5000系にも同じ改造が施されている。
- 5300系の8連のタネが枯渇することは確実のため、1300系の7連以下が来ない限り本系列の全廃は無理。
- 6両に縮めてもいいなら、7300系や8300系の基本編成を充てるという手がある。
- 阪急最後の菱パン車。
- 3330Fが廃車になったことで、「ナニワ工機」の製造銘板を持つ阪急車が全滅した。
- 地上時代の天神橋駅に乗り入れた最後の形式。
- 十三駅7号線に旅客運用で入線した最後の形式でもある。
- 新2300系が特急車となってしまったため、3300系は当分は安泰そうだ。(1300系を並行して増備するなら話は別だが)
- 新2300系の登場によって9300系が格下げ運用されると本系列の全廃可能性も低くはないかも。
- とは言え、同時期に製造された京阪2200・2400系、近鉄8000系、南海6000系、西鉄600形には余命が宣告されている中、ここの3300系はまだ引退する気配を見せない。まさに不死身の存在。
5300系[編集 | ソースを編集]
- 5100系の京都線バージョン。地下鉄堺筋線乗り入れのため寸法は3300系と同じ。
- 前期タイプと後期タイプで冷房装置が異なる。
- 編成内で混在していることも多い。
- 後期製造車は神宝線の6000系や京都線特急車の6300系と同世代だが、堺筋線乗り入れの関係かワンハンドル運転台や電動式方向幕は採用されなかった。
- 6000系の京都線版が6300系と勘違いされがちだが、6000系(と5100系)の京都線版はこの5300系である。
- 登場から暫くは堺筋線乗り入れを行わず、1979年の堺筋急行運転開始の時から乗り入れるようになった。
- 8連だったため、普通での堺筋線乗り入れは平成になってから。
- 天下茶屋延長前後には6連での普通乗り入れも見られた。
- 当初は3300系と同じく前面に手動の方向幕がついていた。
- 現在も中間に組み込まれている先頭車には残っている。
- 現在は全編成電動式方向幕の設置は完了しているが施工時期により大型幕のものと小型幕のものとがある。8連は全て大型幕だが7連は5301Fと5311Fが大型幕で他は小型幕。
- 手動方向幕は原則、堺筋線直通の運用のみで使用されていた。本線運用では方向幕は空白表示にし、行先票を用いていた。
- 例えば梅田発河原町行き急行の場合、“急/河原町”の方向幕は使用せず空白表示にして急行用の行先票を用いていた。側面の行灯は“急行”のみ点灯。
- 堺筋線直通の急行の場合は「堺筋 急行」と行灯が点灯していた。
- 側面の行灯は、近鉄の丸屋根車や界磁チョッパ車でも見られた。
- 梅千直通の場合、梅田、北千里の方向幕はせず空白表示にして行先票(緑のアレ)を用いていた。
- ただしごくまれに行先票の都合がつかなかった場合等、例外的に本線運用で方向幕を使用したケースもあった。
- だから「梅田」も入っていたらしい(何かの本で見た)。
- 例えば梅田発河原町行き急行の場合、“急/河原町”の方向幕は使用せず空白表示にして急行用の行先票を用いていた。側面の行灯は“急行”のみ点灯。
- 手動の方向幕は最初は白地に黒文字だったが、天下茶屋延長を機にローマ字入りの黒字に白文字に変更された。とはいえこれと前後して電動式方向幕の取り付けが始まったのでこれが見られたのはごく短期間だった。
- 阪急の車両としては初めて電気指令式ブレーキを採用した。但しワンハンドルマスコンは採用されなかったため、電気指令式ブレーキの車両としては唯一2ハンドル運転台となっている。
- そのせいで、7300系・8300系・9300系と併結できない。
- 厳密には、ブレーキ段数が異なるから。
- そのせいで、7300系・8300系・9300系と併結できない。
- 最後に製造された5890号車はスイープファンを装備するため、他車と車内天井が異なる。
- 同様の形態は6300系6330Fや7000系7010Fにも見られたが、前者は廃車、後者はリニューアルされたため現存するのはこの車両のみ。
- 外観もクーラーが少し中央に寄っている。
- 実は一時期電機子チョッパ制御の試験車が存在したことがある。
- 5863号車。この車両での試験終了後編成としての実用試験車2200系が登場した。
- 阪急京都線初のTD平行カルダン駆動方式車両。
- 京都線車両はこれまで車番の末尾が1から始まっていたが、本系列より神宝線と同じく0から始まるようになった。
- 2019年に入ってとうとう廃車が発生(写真の5306F)。先輩3300系がまだまだ生き残っているのに。
- 物持ちの良い阪急だからそう思うのだろうが、よく考えると登場から45年以上が経過している。他社なら廃車になっていて然るべきだろう。
- 気がつけば2022年で生誕50年を迎えた。
- 同じ1972年製造の2800系後期車は製造から16年で廃車となっているのに。
- そこからというもの、8→7連短縮時に余った1両をスクラップしてる以外に廃車は出ていない。2022年時点で3300系すら消せてないので、この形式は間違いなく還暦を迎えると思う。
- 同期の6000系がワンマン改造を受けて長生きしようとしているのを見ると、5300系もワンマン改造を受けて嵐山線に転用になる可能性もワンチャン。下記の通り、足回りは6300系と同じなわけだし。
- 物持ちの良い阪急だからそう思うのだろうが、よく考えると登場から45年以上が経過している。他社なら廃車になっていて然るべきだろう。
- 3300系同様最高115km/hに対応していないため特急運用には入らないが、こちらも2000年代には特急運用に入っていたことがある。
- 京阪神急行電鉄最後の形式。5303までが、京阪神急行電鉄を経験している。
- P-6を置き換えた張本人。性能がめちゃめちゃ良くて速かったからP-6ファンはものの見事にアンチ5300になったのだとか。
- 上記の5303Fが、P-6の最後の1編成を置き換えた張本人。
- 性能は新京阪P-6を超える設計が為されているとかいないとか。P-6なら起動加速で圧倒できるみたい。当時のライバルとして、103系電車がいるけど、京阪神緩行線の103系電車は5300系に勝てなかったそうですからね。そして、P-6を全て置き換え、また京都線から全ての吊り掛け駆動車を置き換えた阪急京都線版103系とも言えなくない車両。103系も多くの通勤路線において、茶色い旧型国電を全て置き換えたので、それを阪急京都線でやった車両という意味では一緒。
- 6000系と同様、リニューアルを受けた車両は少数派で終わった。
6300系[編集 | ソースを編集]
- 2010年2月、ついに6300系が京都線特急から引退したが、今から思えば阪急最後の正統派特急車だった。後継車の9300系は3扉で外観も神宝線通勤車の9000系とあまり変わらないので特急車という感じがしない。
- 京阪間の各線で2扉転換クロスシート車が運行されていた時代が懐かしい。
- 2011年春、6両編成が京風にリニューアルされる予定。
- 京町家をイメージした車内は、京阪特急にも引けを取らないレベルの内装となっている。
- 勿論特別料金は不要。
- JR九州とかだったら間違いなく特急料金や座席指定料金をとられるレベルだな。
- 車内の照明も電球色の蛍光灯を使っている。
- 勿論特別料金は不要。
- このリニューアルで、6300系が特急よりも上の種別「快速特急」として再び京都線を走る事になった(土・休日限定だが)。
- 引退からわずか1年ちょっとで復活するとは…。
- しかも快速特急は淡路~桂間ノンストップ。
- 阪急はまだ6300系の事を見捨ててはいなかったのである。
- 京阪旧3000系と同様、関係者の思い入れが強かったのだと思われる。
- 定期運用のない平日などには団体臨時列車に運用されることもある。そのため車内には座席番号が付されている。
- リニューアルされた。通称「京とれいん」
- 車内の化粧板は阪急の車両としては珍しくマホガニーの木目模様ではない。ドアは黒っぽい木目模様。
- 京とれいんデビュー当時の鉄道誌などを見てみると、どうやら2011年3月11日にもお披露目会をやっていたらしい。(直後に日本が大変なことになるとは…)
- 同日にはJRでも特急「雷鳥」の引退があった(お昼のニュースで取り上げられていた)。
- 京町家をイメージした車内は、京阪特急にも引けを取らないレベルの内装となっている。
- シートがフカフカで凄く座り心地が良かった。
- でも横幅は現在の水準からすると少し狭かった。
- 阪急一の花形車両だったのも今は昔。
- 停車駅が増え始めた辺りから、6300系の存在感も薄くなっていった様な気がする。
- それでも長年、京都線ユーザーに至上の優越感をもたらした車両であることは間違いない。
- デビューから本線特急引退まで、十三~中津間で淀川を渡る際に神宝線の乗客がこの車両を羨ましげに見上げるシーンはおなじみだった。
- 今となっては、神戸線特急、宝塚線急行が8000系クロスシート編成なのに、同時発車した京都線特急が1300系だったりするのは皮肉なものだ。
- デビューから本線特急引退まで、十三~中津間で淀川を渡る際に神宝線の乗客がこの車両を羨ましげに見上げるシーンはおなじみだった。
- 特別料金不要なのにもかかわらず、車内には公衆電話が設置されていた。
- これに刺激されたのか、京阪8000系は当初から公衆電話装備で登場した。もっとも現在は撤去されているが。
- 末期は公衆電話があるのに携帯電話オフ車両というかなり謎な状態になっていた。
- その公衆電話は8連運用終了まで撤去されずに残っていた。
- 果たして使用する人がいたのか…?
- シルバーの帯がトレードマーク。
- トレードマークはやはり白ハチマキだろう。かつては6300系しか纏っていなかった塗装だ。
- 後に他系列にも白ハチマキは波及したけど、8000系/9000系以外はステンレスの飾り板が付けられていないのでどうもサマになってない気がする。
- 白ハチマキは実はスイスの登山電車を参考にしたらしい。
- 前面貫通路の周りもシルバーになっているが、こちらは8000・9000系列でも採用された。
- トレードマークはやはり白ハチマキだろう。かつては6300系しか纏っていなかった塗装だ。
- 1編成だけ界磁チョッパ制御車(7300系と同じ制御装置)がいた。
- 6330F。6300系他の編成よりも遅い1983年製造だったが、皮肉にも他の編成より早く廃車されてしまった。
- 車齢が若い上に錆びないアルミ車体だったのにも関わらず早死してしまったのだが、やっぱり制御装置&WN駆動という独自の構造が引き金だったのか…
- この編成だけ両端がMc車(他はTc車)。さらに車内の作りも他の編成と少し異なっていた。特に連結面の引き戸は阪急では初めて大型ガラスを採用した。
- これを京とれいん編成に改造していたら、115km/h運転も出来たかと思うと勿体無かったなぁ。
- 「京とれいん」の構想がもっと早くに出ていたら間違いなくこれが改造されていただろう。
- これを京とれいん編成に改造していたら、115km/h運転も出来たかと思うと勿体無かったなぁ。
- 6330F。6300系他の編成よりも遅い1983年製造だったが、皮肉にも他の編成より早く廃車されてしまった。
- 京阪旧3000系と同様、最後まで3扉化やオールロングシート化は行われなかった。
- あらゆる意味で京阪旧3000系と比較される本系列であるが、大半の車両が1990年代前半に引退した旧3000系とは対照的にこちらは2000年代後半になっても特急運用を続けた。そうこうしているうちに特急の停車駅が増加し2扉では運用が苦しくなって3扉の9300系で置き換えられた。
- 8連時代は原則として特急専用だったが朝ラッシュ時には長岡天神・桂→河原町の普通運用に入ったりしていたほか、たまに急行(現在の快速急行)に運用されることもあった。
- 3編成が4両編成に短縮されて嵐山線に転用された。
- とはいっても単なる転用ではなく、車内は徹底的にリニューアルされた。座席はクロスシートが9300系と同じものに交換されたが1-2の3列配置。
- リニューアル前は小石模様の床敷物を使っていたが、実は白とオレンジの2種類の色が存在した。
- トップナンバーの6350×6両はほぼ原型のまま正雀車庫の奥で眠っているが、果たして再起することはあるのだろうか?
- 2016年に大阪方先頭車の6350を除いて解体されたそうです…。噂によれば部品確保用だったとか。
- 寸法は全阪急車両の中でも最大。
- 車体幅は京都線仕様(2850mm)で全長は神宝線と同じ(19000mm)ため。
- そのため堺筋線には乗り入れられない。
- 十三のホームドア導入決定でついに京とれいん編成にも死刑求刑の予感が…
- ただし、列車を存続させるのであれば十三通過にすれば問題ない。
- 7000系仕様も運用追加でこの仕様は通過で対応予定。
- 2019年1月のダイヤ変更で京とれいん用編成は「快速特急A 十三通過」なる種別に抜擢へ。
- 7000系仕様も運用追加でこの仕様は通過で対応予定。
- 2022年12月のダイヤ改正で運行終了。それと同時に「快速急行A」という種別も廃止され、4年弱の短命に終わることになった。
- 老朽化というより、ホームドア設置の支障になるからという理由だと思われる。
- 残念ながら、これと言って引退イベントは行われず、ひっそりと運行終了。混乱防止のためだろう。
- ただし、列車を存続させるのであれば十三通過にすれば問題ない。
- 8連時代にはドア脇に補助椅子が付いていたが、ラッシュ時に使うロック機能は最終の6330Fにしかなかった。
- 最初に登場した6350Fのみ試験的にドア付近にファンデリアが付いていたが、すぐに撤去された。
- 上述の6330F以外は、基本的に5300系ベース。
- 扉配置上、ワンマン運転に対応することは困難だと思われるため、嵐山線をワンマン化する時がXデーだろう。
- 2023年1月時点では、ワンマン運転の拡大こそ明言したものの具体的な路線は触れられていないが、繁忙期以外の乗客数考えたら怪しい。
- 2027年のワンマン化が決定。
- 2023年1月時点では、ワンマン運転の拡大こそ明言したものの具体的な路線は触れられていないが、繁忙期以外の乗客数考えたら怪しい。
- 1976年の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した。
- 現時点で阪急における最後のブルーリボン・ローレル賞受賞車両で、意外にもこれ以後に受賞した車両はない。
- 6000系との共通点はワンハンドルマスコン搭載で抵抗制御であることくらい。
7300系[編集 | ソースを編集]
8300系[編集 | ソースを編集]
2300系(2代)[編集 | ソースを編集]
- 9300系の後継。
- 転換クロスは踏襲。
- 何気に、大手私鉄の転換クロスシート車は令和になってから初となる。
- あの新快速と競合する以上、最近流行りのデュアルシートでは勝負にならないということなのだろう。
- 9300系どうなる。一般車転用か、このまま廃車か。
- 正直「もう格下げ?」というのが正直な感想。先代の6300系や対岸の京阪8000系は30年以上特急として走り続けたので。
- 9300系も改造されそうな。廃車はさすがにないと思う。
- ただ、7連だとか4連だとかになって、中間車が抜かれるというのなら話は別。(付随車だと使い道がなさそう)
- 転換クロスは踏襲。
- 有料座席はこの系列に連結される。
- 3扉車に有料座席を組み込むという点では京阪3000系と同じ条件やな
- 1300系をダサくしたような顔…
- 7000系以来となる、運転台後ろの窓なし。
- 座席もなくなるのかな?
- かぶりつき席があったのが阪急の伝統だったのに…。
- クロスシートにする以上、扉付近に人が固まるのは宿命なので、運転席後ろの座席を立ちスペースにして混雑緩和ってなっても仕方あるまい。
- かぶりつき席があったのが阪急の伝統だったのに…。
- 車椅子スペースもかなり拡大され、その意味でも座席が減っている。
- 最近流行りのフリースペースという考え方か?
- あの部分が妙に間延びしてるので、Hマークを復活したほうがいいかも。
- 座席もなくなるのかな?
- 先代がクロスシートなのに狭すぎた反省で、車体幅は広めにとってある。
- デビューは2024年夏を予定。もしかしたら、近鉄の新形式通勤車と同日デビュー?
- 大方2両目のモハは2800形を名乗っており、2800の番号が再び特急車として使われることに。
- 有料座席車はドアが真ん中に一つだけという、ビスタカーみたいな仕様に。
- 窓寸法を見た感じ、今度はちゃんと格下げ時にロングシート化されることを前提にしていそうだ。
- トップナンバーは2300号車だが、先代2300系は2301から始まっていたのでこの番号は存在しなかった。
- 同様に2800号車も存在しなかった。京都線で車番が0から始まるようになったのは5300系から。
- この車両の登場で、大手私鉄全社に前面窓の曲面ガラスが採用されたことになる。
- 今度は、9300系の中間車に組み込まれるアが登場した。形式は2350形のまま。
- 2361号車が出てくるあたり、2300系の本数は9300系より1本多い、12本体制となる模様。
過去の車両[編集 | ソースを編集]
新京阪鉄道P-6形[編集 | ソースを編集]
- 元はと言えば対岸の会社が今の京都線を立ち上げた時に造られた車両。
- 国鉄燕号をブチ抜いた伝説を作った電車。
- 果ては名古屋まで計画もあった為、長距離運行も意識した設計になっていた。
- 昭和初期としては破格の今でも通用する寸法(というか、今の京都線の規格と似たりよったり)と重量のため、さほど改造することもなく昭和も末期に差しかかるころまでのかなりの期間にわたって運行できた。
- 末期って言っても、昭和48年だけど…残念ながら、「阪急電鉄」の時代を見ることはなかった。
- 本系列が引退した直後に社名が阪急電鉄に変更された。
- 本系列とよく比較される近鉄モ2200形(旧)も翌年まで運用されていた。
- 末期って言っても、昭和48年だけど…残念ながら、「阪急電鉄」の時代を見ることはなかった。
- 昭和初期としては破格の今でも通用する寸法(というか、今の京都線の規格と似たりよったり)と重量のため、さほど改造することもなく昭和も末期に差しかかるころまでのかなりの期間にわたって運行できた。
- 現在は116号車が正雀車庫に動態保存されている。イベント時には車庫内で運転が行われるが営業運転でも実現しなかった900系900号車との連結も見られる。
- 他に101号車の運転台部分も同じ正雀車庫に保存されている。
- 200馬力級の電動機で50トンの重厚長大な車体を引っ張っていた。日本最初の本格的インターアーバン電車である。
- そのおかげで、新幹線軌道地盤の足固め役も兼ねていたらしい。
- P-6のこともあり、それを置き換える堺筋線直通用の5300系はP-6を遥かに超える性能で開発されたとかされてないとか。設計最高時速が130㎞/h近いのも、全てはP-6を超える為の性能という訳ですか。
- 阪急になってから作られた1550型という中間車も存在したが、車体スタイルは920系に似ていたため、他の100系とは異なっていた。
- 火蛍の墓の世界線では、なぜか三宮を走行している。節子、それ神戸線の車両やない。
200系[編集 | ソースを編集]
- 京都線が京阪電鉄だった時代に製造された車両。
- 外観は京阪線の旧1000形の流れを汲んだ流線型が特徴だった。阪急では珍しい流線型の車両。
- 座席がふかふかだったらしい。
210系[編集 | ソースを編集]
- 電動貨車の機器を流用して新造された小型車用で、610系の京都線版と言った感じだった。
- 前面は610系トップナンバーと同じく非貫通3枚窓だったが、窓がHゴム支持となっている点が異なっていた。
- それ故3両1編成しか存在しなかった。
- 廃車後先頭車は広島電鉄に譲渡され、宮島線で運用されていた。
700系[編集 | ソースを編集]
- 戦後の復興期に作られた規格形電車。
- そのため、側窓は阪急としては珍しい2段窓だった。
- 宝塚線の550形も。
- 同時期に同じ京阪神急行によって製造された京阪1300系と酷似していた。
- 但し車体幅はこちらの方が広かった。
- そのため、側窓は阪急としては珍しい2段窓だった。
- 末期は京阪時代に製造された初代1300型を改造した中間車を組み込んでいたが、デザインが全く異なっていた。
710系[編集 | ソースを編集]
- 810系の京都線版。
- 登場時は窓枠がマルーンに塗装されていたなど微妙な違いがあった。
1300系(初代)[編集 | ソースを編集]
- 1010・1100系の京都線版。
- こちらも片開き扉を持つ最終形式であった。
- 格下げ後は阪急最大の歯車比を誇っていた。
- そのためか、冷房化された1970年代以後は京都線ではなく千里線や嵐山線で運用されていた。
- 冷房改造されたのは2300系よりも早かったが、当時千里線には冷房車がほとんど入らなかったため、千里線用の冷房車として優先的に改造された。
- 神宝線用の1010・1100系と異なり、車内の木目化粧板の交換は行われなかった。
- 冷房改造されたのは2300系よりも早かったが、当時千里線には冷房車がほとんど入らなかったため、千里線用の冷房車として優先的に改造された。
- そのためか、冷房化された1970年代以後は京都線ではなく千里線や嵐山線で運用されていた。
- 編成替えの過程で余剰となった一部の中間車は宝塚線に転出し、1200系に組み込まれていた。
- こちらも2300系登場後の1961年まで製造されたが、1010・1100系と異なり前面窓と連結面の窓には全てHゴムが付いている。
- 1010系・1100系と異なり、最初から電磁直通ブレーキだった。
- 似たような感じで、5100系の京都線版にあたる5300系は、電気指令式ブレーキを採用した。
1600系[編集 | ソースを編集]
- 1200系の京都線版。
- こちらも冷房化されず、710系に先立って廃車された。
- 但し1200系と異なり台車は新造された。
- 機器はP-6から流用された。
- 1両のみVVVFインバータ制御の試験に供されていたことがある。
- それは1982年以降休車になっていた1601号車である。
- おそらく、電気機関車以外で吊りかけ駆動のVVVF制御は、史上この車両のみであろう。
- この形式以降約70年、阪急は台車以外の機器流用車を建造していない。
2300系(初代)[編集 | ソースを編集]
- 神戸線2000系の姉妹車両。
- 神戸線2000系は能勢電鉄に譲渡されているがこちらは現在も阪急で現役。
- 2000系とは異なりこちらは行先表示器の取り付けなどの更新工事が行われた。
- 後期車は3000・3100系の京都線バージョンだった。
- 当初は定速制御などを備え「人工頭脳電車」などと言われたが冷房改造の際7300系と同じ制御装置に更新された。
- 2000系と異なり回生ブレーキは残された。
- 1両だけAFEチョッパ車が存在していた。
- 東武9000系や20000系と同じ方式だが東武以外ではこの1両だけだった。既に廃車されている。
- 2012年現在最も古い車両で製造後50年が経過している。
- 実は一時期神戸線で運用されたことがあり、山陽電鉄の須磨浦公園駅にも入線している。
- 車体幅は神宝線車両と同じなのでそれが活かせた。3300系以降の京都線車両よりは狭かったため後にドアステップが取り付けられ神宝線への乗り入れはできなくなった。
- 阪急としては東海道新幹線の仮線を走った最後に残った車両になる。
- 2301-2352は2000・2300系のトップナンバーだからということか、正雀で保存されている。だが雨ざらしになっているためかかなりボロボロになっている。
- 2000系の2050号車は六甲駅の事故で廃車になったので…。
- 最近化粧直しされ綺麗になったが、車籍は抹消されてしまったので本線走行はできない。
- 1960年製造の2301-2351と2302-2352のみ側扉が2000系初期車と同じ合わせ目の縦の銀帯がなく窓枠が太いタイプ。
- 他に2311号車の先頭部が三田市内の民家に保存されている。
- VVVF車の試運転で、誘導障害実験をする際に駆り出される。
- かつては、最後まで顔面整形されてない方向板の車が嵐山線で活躍していた。
- コンプレッサーはD-3-NHAを搭載していた。今はのせでんに乗らないと聞けない。
- 遂に全面引退が公式に宣告…。
- 1960年登場なので55年間活躍したことに。まさに大往生。
- 何気に製造時期をはじめ最後まで残ったのが支線区ではなく本線の7両編成だったこと、最後まで回生ブレーキが活用されたことなど対岸の会社のこの系列と境遇が似ているように思う。
- 1960年登場なので55年間活躍したことに。まさに大往生。
- 阪急で最後まで広幅貫通路が残った系列。
- 但し冷房化の時に2両に1ヶ所狭幅の引き戸付きに改造されている。
- かつてはドア開閉の時に発するドアエンジンの音がうるさかった。
- 後にやや静かな音のものに交換された。
- 2340・2390番台の中間車は同時期に製造された神宝線の3000系と同じくドア間の座席が短くドアエンジンも異なる。
- 冷房改造後は2800系の中間車を組み込んでいた編成もあった。
- T車だけでなくM車もあった。制御装置を撤去した2800系の中間M車のモーターを2300系の制御器で動かしていた。
- 冷房改造後の2300系は2800系との連結ができなくなったはずだが、モーターが同じなのでこのようなことができた。
- T車だけでなくM車もあった。制御装置を撤去した2800系の中間M車のモーターを2300系の制御器で動かしていた。
- 1967年まで製造されていた。
- 最後に製造された2編成4両は、3300系の同期。なお、同い年の3300系の方は2022年になっても現役。
- 神宝線は昇圧もあって3000・3100系にモデルチェンジされたがこちらは元から架線電圧1500Vだったので2300系のまま増備が続いた。↓の2800系も基本的に2300系と同性能。
- 冷房改造は1978年に開始されたが、阪急関連の書籍を見るとなぜか1981~85年改造と書かれている。
- 最後に冷房改造された2323Fは阪急では最初に補助送風機のローリーファンを取り付けた車両である。
- 方向幕改造で設置されたかのように見えるが、それよりも前からあったらしい(5300系などは方向幕改造と同時に設置された)。
- それ以外の2300系は方向幕改造された車両も含めローリーファンの設置は行われなかった。
- 最後に冷房改造された2323Fは阪急では最初に補助送風機のローリーファンを取り付けた車両である。
- 境遇が対岸のこの車両と似ているような気がする。ともに1980年前後に冷房の取り付けとともに走行機器の更新が行われ、その後は普通中心の運用に入っていたこと、21世紀に入って13○○系(阪急1300系及び京阪13000系)という車両に置き換えられたことなど。さらに引退直前はどちらも7両編成で運用されていた。
2800系[編集 | ソースを編集]
- 2300系をベースに特急用として1964年6月から1972年10月まで製造された特急車。
- 1964年7月14日運行開始。悲劇の車両となるのは想定外だった。
- この日に営業開始したのは祇園祭を見越してだろうか。
- 編成単位での増備は、ビートルズが来日した1966年まで。
- 3000・3100系と同い年だが、こちらの方がわずかに登場は早かった(3000・3100系は同年暮れの登場)。
- 本系列から連結面の貫通路が引戸付きの狭幅となった。その点が2300系と異なる。
- 1964年7月14日運行開始。悲劇の車両となるのは想定外だった。
- 対岸の会社が新車を投入した事に刺激されて、2300系をベースに造った2扉クロスシート車。
- 但し京阪1900系とは異なり両開き扉を採用。両開き2扉セミクロスシート車という点では小田急2320形に次ぐものである。
- 転換クロスシート車に限定すれば日本初。
- ドア脇には補助椅子が設置されたが、何気に京阪よりも採用が早かった。
- 京阪は1971年までパイプ椅子で対応していたから。
- 但し京阪1900系とは異なり両開き扉を採用。両開き2扉セミクロスシート車という点では小田急2320形に次ぐものである。
- しかしまた対岸の会社が冷房カラーテレビ搭載の新車を投入した事で、6300系に押し出される形で特急運用を追われた。
- その際に3扉ロングシート化改造されたのだが、これが後年老朽化を加速させてしまう命取りになってしまった。
- 特急車ゆえに走行距離が長かったことや、2300系と異なり制御装置が更新されていなかったことも要因。
- それ故2300系との併結はできないはずだが、全廃直前に2300系の中間M車として組み込まれていたことがある。
- その中間M車は制御装置が撤去され、2300系の制御装置で2両分を制御していた。モーターの機種が同じなのでできた芸当。
- それ故2300系との併結はできないはずだが、全廃直前に2300系の中間M車として組み込まれていたことがある。
- 阪急の車両としては最初に冷房改造されたが、他の車両とは異なり風洞の形状が逆さ富士型になっていた。
- 格下げの際梅田寄り先頭車のMcである2800形の冷房能力が不足したため、6000系などと同様のものに交換された。余ったクーラーは5100系中間車に流用。
- 1972年製造の2891~2897は最初から冷房車として登場したが、早い車両ではわずか15年で廃車された。
- 5300系初期車と同期にも関わらず、昭和時代に廃車となっている。
- 色々たらい回しにされた挙句、兄貴分と言うべき2300系よりもあっさり早く全車廃車解体。
- 若干先輩である対岸の会社のが天寿を全うして引退したのとは対照的だった。
- 方向幕取り付けや内装更新も行われなかった。
- 実は一部の中間車が神戸線に配置されていたことがあり、5000系や5200系の中間車として組み込まれていた。
- さらにそのうちの1両は阪神大震災の後、震災で被災廃車となった車両の穴埋めのため暫定的に3000系のM車として利用されていた。
- 1995年のサヨナラ運転ではオール2800系の8連で神戸線への入線を果たしている。
- 5000・5200系に組み込まれて神戸高速線に入ったこともある。
- 1両が福知山市内で民家として使われていた。
- 実は富山地方鉄道へ譲渡される計画があったらしい。
- 実際にはロングシートだったため座席を調達する必要があった。その座席を調査したところ京阪旧3000系のものが見つかったことから計画が変更され、京阪旧3000系の方が譲渡されることになった。
- ほぼ本線特急での運用がメインだったが、実は試運転で高架駅時代の天神橋駅への入線実績がある。
- 2814Fのみは空気バネ台車を履いていた。
- 台車の構造は京阪1900系のそれと似ていた。
- 後で組み込まれた2884・2894号車はコイルばね台車で製造された。
- それが幸いして同編成は特急用として残った最後の編成となった。
- 側面の2連窓が阪急の車両としては異彩を放っていた。
- 格下げ後は中央の2連窓を潰して両開き扉を新設したため、その両側は戸袋窓になっていた。
- 8200系登場までは阪急の両開き扉の車両としては唯一の戸袋窓装備車両だった。
- 改造にあたっては同じように2連窓を持つ近鉄6431系(後の430系)も参考にしたらしい。
- 格下げ後は中央の2連窓を潰して両開き扉を新設したため、その両側は戸袋窓になっていた。
- 実は阪急初の界磁チョッパ制御車が含まれていた。
- 2847号車。
- あまり知られていないが、21世紀まで生き延びた車両がいた。
新京阪鉄道BL-1形[編集 | ソースを編集]
- 阪急史上唯一のデキ。
- 腐女子が反応しそうな名称…
- 阪急になってから2000形を名乗っていたが、2000系の登場を機に3000形に改称。3000系登場後に4300形に改称された。
- 車番のフォントが他の車両と異なっていた。
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