もしあの放送局が○○だったら/九州
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RKB毎日放送[編集 | ソースを編集]
九州放送を名乗っていたら[編集 | ソースを編集]
- TVQ九州放送は「テレビ福岡」という名前で開局していた。
- 正式社名は「九州放送」で、略称は「RKB」のまま。
旧西部毎日テレビジョンとの合併がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 日本テレビ系列になり、「RKB読売放送」もしくは「RKB福岡放送」になっていた。
- 当然福岡放送の開局もなかった。
- RKBが福岡放送を名乗らなければ、史実のTVQが福岡放送になっていた。
- 当然福岡放送の開局もなかった。
- 場合によっては九州朝日放送と合併していた。
- 福岡地区と北九州地区が別の放送区域になりかけるが、郵政省の意地で放送区域が統合される。
- 福岡県は4系列が全部VHF波になっていた。(KBC 1ch、RKB 4ch、SMT 8ch(北九州)、TNC 9ch)
- 西部毎日テレビジョンが開局したということで、CBCテレビの2013年4月1日以降のコールサインが別のものになっていた。
- 史実では、『JOAR』から(西部毎日テレビジョンが使用する予定だった)『JOGX』に変更。
RKBラジオがNRNに加盟していたら[編集 | ソースを編集]
ラジオ単営局のままだったら[編集 | ソースを編集]
RKBラジオが神奈川県域でもラジオ放送局免許を取得していたら[編集 | ソースを編集]
- 現存するRFラジオ日本は開局しなかった。
- 社名はRKB神奈川放送局だったかな?
- コールサインはJOFRの下2文字を入れ替えたJORF。
- 史実のTOKYO MXみたいに電波の出力を増大させることで名目上は県域局でありながらも事実上は広域局と化していた。
- 同じく毎日系のTBSと放送エリアが被るため、TBSは朝日新聞の系列になっていたかもしれない。NETも日経グループのままだった。
- FOLネットワークの樹立も難しくなっていたか?
- RKB神奈川放送局の開局を機に「地方局や準キー局が関東地方内の放送局の経営に手を出す」ケースが史上よりも増えていたかもしれない。大阪MBSが東京12チャンネルを子会社化できた場合、後に横槍を入れられてRKB神奈川放送局は東京12チャンネルに売却されていたかも。
- RFラジオ毎日に社名変更されていた。
- それでもRKBは株主として残り続けると思われる。東京12チャンネルの子会社であり神奈川県に本社機能を置きながらも何故か福岡県民向けの番組が時折放送されるという事態が今でも起こっていたかもしれない。
- それからテレビとラジオ共々に大阪MBS、東京12チャンネル&RFラジオ毎日、福岡RKBの3社ネットワークが樹立されていた。系列新聞はもちろん毎日新聞で、毎日新聞と資本関係にあるSTVやメ〜テレもクロスネットでこのネットワークに加盟していた。
- 毎日新聞の存在感が史実よりも増していた。特に福岡県と神奈川県では読売新聞や地方紙に負けないくらいの発行数を誇っていたかも。
- RFラジオ毎日に社名変更されていた。
- こっちのほうが現実味がある。
- RKBが日テレとネットを組むことができた場合、やはりRKB神奈川放送局は史上のラジオ関東と同じように日テレに買収されていた。
- どちらにせよRKBの経営規模が史上よりも大きくなり、ライバル局であるKBCやTNCを寄せ付けない。
- (6ではなく5の通りになったらの話だが)文化放送はフジサンケイグループに属しつつも、NET→テレ朝と日テレの2局との関係も深めていた。
- いや日経グループにはラジオ日経があるから、自前のラジオ局を持っていない読売グループが文化放送を買収していたかも。
- 読売新聞の策略により文化放送が社会の木鐸宣言を余儀なくされていたかも…下手したらNRNを除名されていたり…
テレビ西日本[編集 | ソースを編集]
九州朝日放送と合併していたら[編集 | ソースを編集]
ネットチェンジがなかったら[編集 | ソースを編集]
- KBCはFBS開局までNETとフジのクロスネットだった。
- 最終的にKBCはNET系列、FBSはフジ系列となっていた。
- KTN、TKU、TOS、UMK、KTSはNNNメインのクロスネットとなっていた。
- KTN、TKU、KTSは後発局開局によりNNNフルネットとなっていた。
- sts、OTVはNNNフルネットだった。
- なので、沖縄県が日テレ空白地域にならなかった。代わりにフジ空白地域になっていた。
- NIB、KKT、KYTはFNN系列局として開局していた。
- TOSとTNCの関係が史実より良かった。
- 90年代には日テレとの関係が改善していたかもしれない。
- 九州・沖縄地方はフジより日テレがメジャーになっていた。
- 九州地方のsts以外の2番目に開局した民放は開局当初より「ズームイン!!朝!」をネットしていた。
- もちろん、佐賀・宮崎・沖縄でズームインが見られないことはなかった(CATV経由での視聴を除く)。
- 8時台の朝の情報番組は「小川宏ショー」→「おはよう!ナイスデイ」ではなく「ミセス&ミセス」→「ルックルックこんにちは」を放送していた。
- TOS・UMKは現在も「とくダネ!」ではなく「スッキリ!!」を放送していた。
- 九州地方のsts以外の2番目に開局した民放のクロスネット局はNNNの非マストバイ局に近い編成となっていた。
- 九州地方のsts以外の2番目に開局した民放は開局当初より「ズームイン!!朝!」をネットしていた。
- 勿論、福岡県民が暫くの間日テレの番組に苦しむことは無かった。
- 西日本新聞は読売新聞と合併していた。史実の読売新聞西部本社は存在せず、西日本新聞社がその役割を担うかこちらが『読売新聞西部本社』を名乗っていた。
- なお、史実では新聞統制前の西日本新聞社の前身の一つ『九州日報』は当時東日本のブロック紙だった読売新聞傘下だった。
九州朝日放送[編集 | ソースを編集]
局名が「西日本放送」のままだったら[編集 | ソースを編集]
- 現存する九州朝日放送(KBC)は、創立当時「西日本放送」を名乗っていましたが、本放送開始時には現在の社名に変更しています。もし「西日本放送」のまま開局していたらどうなっていただろうか?
- 現存する香川・西日本放送は、多分「香川放送」で開局していた。
- 事実、香川・西日本放送の開局時の局名は、「ラジオ香川」であった。
- どうかな。瀬戸内放送などのスケールのでかい名前になっていただろう。
- 「四国放送」になっていたかもしれない。(その場合史実の四国放送は「徳島放送」)
- 史実だと四国放送のほうが早いんだな、これが。
- 香川・西日本放送の設立時の社名はラジオ四国だったので、新四国放送になっていた?
- 史実だと四国放送のほうが早いんだな、これが。
- 「高松放送」かもしれない。
- 本州の岡山県にも放送エリアが広がることから「本四放送」という社名になっていたかもしれない。
- むしろ、こちらが瀬戸内海放送を名乗り、実在のKSB瀬戸内海放送は、設立時の局名である「新日本放送」を名乗っていたか?(設立時、同じ「新日本放送」を名乗ったMBS毎日放送は、この時点で既に改称済み。)
- 当然コールサイン「JOGR」は、福岡・西日本放送に割り当てられ、現実の青森放送のコールサインは、別のコールサインが割り当てられていた。
- 語呂の悪さから「本四放送」を名乗る可能性は極めて低いと考えるべし。
- それこそ「JOIF」だろう。
- 史実のテレビ西日本との合併が現実に…。
- 合併しなくてもそういうの結構ない?(●●テレビ/テレビ●●と●●放送が共存)
- 久留米市に本社が置かれていたので佐賀県民のリスナーも多くなっていた。
KBCラジオがJRNに加盟していたら[編集 | ソースを編集]
テレビ西日本と合併していたら[編集 | ソースを編集]
福岡放送[編集 | ソースを編集]
不祥事により放送免許がはく奪されたら[編集 | ソースを編集]
TVQ九州放送[編集 | ソースを編集]
史実(1991年4月1日)より早く開局していたら[編集 | ソースを編集]
- 1980年代に行われていた各球団による平和台球場での主催ゲームも中継されていた。
- ダイエー主催の試合も、初年度(1989年)から中継されていた。
- 宮城県や広島県でも、系列局が開局していた。
- 1990年に開局した場合、同年に開催されたとびうめ国体と同時期であった。
- 「あそぼう!ラッキー」の放送が史実よりも早まっていた。
- 1980年代までに開業した場合、TXNネットワークの誕生が史実よりも早まっていた。
社名が「TXN九州」のままだったら[編集 | ソースを編集]
エフエム九州[編集 | ソースを編集]
朝日新聞系の放送局のままだったら[編集 | ソースを編集]
- 開局当初は朝日新聞社や九州朝日放送(KBC)が支援していたことがあるそうです。
- もちろん、経営破綻することはなかった。
- KBCとの二元中継も健在。
朝日新聞以外の企業と組んでいたら[編集 | ソースを編集]
- 毎日新聞社
- 毎日新聞とともにRKB毎日放送も支援に回っていた。
- RKBとの二元中継があったかもしれない。
エフエム福岡[編集 | ソースを編集]
同業他社を助けていたら[編集 | ソースを編集]
- エフエム福岡が同業者ながら経営危機にあった、エフエム九州や九州国際エフエムを助けていたら?
- エフエム九州の場合
- 本社は北九州のままになる。
- 九州国際エフエムの場合
- エフエム福岡に吸収される形での合併に。
- 本社はエフエム福岡に入居する形での一局二波制となる。
サガテレビ[編集 | ソースを編集]
オープンネット局だったら[編集 | ソースを編集]
- 系列外の番組はテレビ東京系列ぐらいしかありませんが、仮に四国放送みたいな編成方針をとっていたら
- 水戸黄門やモーニングショーも放送されていた。
- 当然、スーパー戦隊シリーズも放送されていただろう。
- 高校野球やサッカーの佐賀大会も中継していた。
- もしかしたら日テレ・テレ朝とのトリプルクロスネットになっていた。
- それでも佐賀県民は在福局を見ている。
- VHFで開局していたらあり得たかもしれない。
- 佐賀県に第2局目が開局していたかもしれない。
独立局になったら[編集 | ソースを編集]
- 在阪準キー局や他の独立UHF局の番組を放送するようになる。
- それを目当てに福岡や熊本から見ようとする人が増える。
- 在名局制作番組も同じ傾向。
- 逆に佐賀県内では多くの人がフジテレビの番組を見ようとサガテレビからテレビ西日本にチャンネルを替える。
- 福岡と佐賀が正式に一つの放送エリアとみなされる。
- 在福局が佐賀県内、サガテレビが福岡県内の送信所や中継局から電波を出せるようになる。
- その場合は福岡県に独立UHF局が出来ていた。
- 2県のみの場合、「準広域圏」扱いとなる為、民放5局そろっている岡山・香川に独立局が存在しない為(もう一つの準広域圏は西山陰だが、こちらは民放3局のみ)、独立局の開局は微妙。なお、史実における現行の放送法上は関東・中京(東海西部)・近畿のみで新規独立局が開局可能である。
- サガテレビのID番号も福岡局との重複を避ける為に、『3』でなく『6』か『9』を使用していた。
- 福岡で『3』はNHKが使用されている他、『1』は九州朝日放送が使用している為。
- 開局当初の意図を踏まえるとこうなっていても不思議ではない。
- TVQで放映されている独立U局系アニメの過半がこちらで放映されることになる。
- よって、TVQは大きな打撃を受けることになりそう。
- サガテレビ独自の江頭2:50のバラエティー番組が放送される。
- しかもTVKやMXなどの独立U局でも放送される。
- もちろん、ネット配信も頻繁にされる。
- ただ、元系列局ということでTNCと関係を持っていた。
- 例えるなら、サンテレビとABCの関係に近い。
- TVQは開局せず、逆にここがTVQを名乗っていたかも。
- TNCとTVQのどっちか片方がTXNに加盟していた
- 下手したらTNCはFNNとTXNのクロスネットだったかも。
- ただ、福岡ソフトバンクホークスをはじめとする地元のスポーツチームの応援を盛んに行っていたかどうかは、微妙。
- もし、ホークス戦を行う場合は、MXテレビと共同制作を行っていたかもしれない。
- MXテレビがSBホークスの中継を行っても意味がない。本来は中日新聞系列なので中日ドラゴンズを中継すべきかと。
- サガン鳥栖の応援には、史実以上に力を入れていただろう。
- もし、ホークス戦を行う場合は、MXテレビと共同制作を行っていたかもしれない。
- 佐賀県の魅力がもう少し上がっていたかも。
- ニュース番組では長崎新幹線に対しての批判が多かったかも。
- 佐賀県では長崎新幹線に反対の世論が強かった為。
- 下手すれば長崎新幹線自体の計画が頓挫していたかも。
- 代わりに長崎本線や佐世保線、筑肥線などは複線化や高速化されていたかも。
- 下手すれば長崎新幹線自体の計画が頓挫していたかも。
- 佐賀県では長崎新幹線に反対の世論が強かった為。
- 朝や夕方に独自のワイド番組を放送していたかも。
フジテレビ以外の系列局だったら[編集 | ソースを編集]
長崎文化放送[編集 | ソースを編集]
テレビ朝日系以外の系列局になっていたら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/九州#長崎文化放送が別系列を参照のこと。
長崎新聞とのつながりがなかったら[編集 | ソースを編集]
- 長崎朝日放送を名乗っていたであろう。
- 静岡より先に朝日テレビ(長崎朝日テレビ)と名乗っていたかも。
- 長崎新聞のTV欄の並びも変わっていた。
- もちろん、朝日新聞とべったりの関係となっていた。
- 長崎新聞は、どこと仲良くなっていたのだろう?
- 長崎放送じゃないか?
関連項目[編集 | ソースを編集]
テレビ長崎[編集 | ソースを編集]
開局当初からフジテレビ系だけに加盟していたら[編集 | ソースを編集]
- 笑っていいともは開始当初から同時ネットだった。
- 夕やけニャンニャンも放送されていたかもしれない。
- 長崎の日テレ系列局はもっと早く誕生したかも知れない。
トリプルクロスネット局だったら[編集 | ソースを編集]
- 九州各地で第2のテレビ局が開局した際、テレビ熊本・テレビ大分・テレビ宮崎・鹿児島テレビはFNN・NNN・ANNのトリプルクロスネット体制になりましたが(現在はテレビ熊本と鹿児島テレビはFNNマストバイ・テレビ大分はFNNとNNNのクロスネット・テレビ宮崎のみトリプルネット継続)、テレビ長崎はANNには加盟せずFNNとNNNのクロスネット(1990年9月まで)となりました。
- もし、KTNがANNにも加盟していて、トリプルクロスネット体制を引いていたら?
- KTNでもそれなりにNET→テレ朝の番組をやっていた。
- NCC開局以前はテレ朝の番組は大半がNBCでやっていて、KTNではあまり放送が無かった。
- 県内3局目が日本テレビ系列になっていた可能性あり。
- もっとも、県内3局目がテレ朝系で開局したことと、KTNがANNに入っていなかったことの関連性は不詳であるが。
- 昼ニュースはたぶんANNになっていた。
- ニュースのローテーションは朝、深夜→NNN、昼→ANNニュース、夕方→FNN。
- 下手すればNCCもNIBも開局しなかったかも。
NNSにも加盟していたら[編集 | ソースを編集]
- クロスネット時代のKTNは日本テレビ系の番組を多くネットしていましたが、NNSには加盟していませんでした。もしクロスネット時代のKTNがNNSにも加盟していたら、どうなっていたのでしょうか?
- 未放送のフジテレビ番組がもっと出ていた。
- 笑っていいともはNNN/NNS脱退まで未放送で、17時台は日本テレビの番組を放送していた。
- NBCは1975年以降(腸捻転解消時)、日本テレビの番組を放送することは無かったかもしれない。
- KTNでも、腸捻転解消後はテレビ朝日の番組を全く放送しなかった可能性もある。
VHFで開局していたら[編集 | ソースを編集]
- 開局構想は1962年からあり、VHFで郵政省に開設申請書を提出したこともあったそうです。
- 福島テレビや沖縄テレビとともに、地方のFNN局では珍しいVHF局になっていた。
- NCC開局時は親局・東長崎局・佐世保局などの受信世帯を中心に、電器店や折り込みチラシなどでUHFアンテナの設置促進キャンペーンが展開されていた。
- それでも番組編成は史実とあまり変わらない。
- NHK教育(現・Eテレ)から、1チャンネルを強奪。Eテレは9チャンネルに。
- その場合の地デジIDは、KTN・1、Eテレ・2、NHK総合・3、NIBは史実通りの4、NBCがアナログ同様5、NCCが6(その逆NCC・5、NBC・6)になる。
- 佐世保中継局(旧:JORY?)は12chになっていたであろうから、もしそうならば本局と支局でVHFチャンネルの番号が真逆になっていたことになる。
- コールサインは長崎:JORX-TV・佐世保:JORY-TV(福島テレビのPXの次はQXだがQXは当時NHKが使用していたため。名古屋テレビのLXの次の広島テレビにNXが割り当てられたのと同様の理由)。そのため、史実通りTBSが分社化した場合TBSテレビは別のコールサインを使っていた
- JOMXが割り当てられなかったのは当時NHK延岡・教育にJOMX-TVを割り当てるために民放テレビ単営局への割り当てが保留されたため。それを言えば読売テレビのJOIXはラジオではNHKが使用していたぞ。
- テレビ長崎以外にもVHF7chでの開局計画があった岐阜放送やテレビ静岡など比較的人口の多い県をエリアとする先発UHF局もVHFで開局していたかもしれない。
- その場合、最後のVHF親局はテレビ東京ではなかったかもしれない。
- 当時の人口規模と最初に予備免許が交付されたU局加えVHF1局地帯で電波的な余裕がある立地と考えるとKTNとGBSの他には恐らくSUT・NST・ITC・KTSあたりだろう。
- その場合、KTNを含めて以下のようなものになる。UHF局の割合が相対的に減るので、コールサインもかなり変化が見られたかも。
- テレビ静岡 (STC、SizuokaTelevisionBroadcastingCo.,Ltd.より、史実ではSUT) 静岡 JOQX-TV(7ch -10kHzオフセット(GBS・CXとの混信対策のため))/浜松 JOQY-TV(12ch +10kHzオフセット) - KSSはJOUY
- その場合だとしてもフジの映像周波数193.25MHz対してテレ静の音声周波数が193.74MHzになる訳だからどの道被る。(山梨のNHKが東京と同じチャンネル使ってるあたりゼロとは言えないが)もし7chだったらフジテレビの静岡沿岸部での遠距離受信が困難になっていた。
- 岐阜放送 (GBS) JOZF-TV(7ch +10kHzオフセット) - 広域局かつテレ朝系。独立局ではない。
- その場合メーテレはテレ朝系ではなく当初の予定通り日テレ系になり、中京テレビは開局しなかったか開局していても独立U局として開局していた。また、仮に開局していた場合、日経の資本が入っている関係からのちにテレビ東京系列の局となっていた。
- 岐阜県にはGBSとは別にテレビ単営の独立U局が存在していた。
- テレビ長崎 (KTN) 長崎 JORX-TV(1ch +10kHzオフセット)/佐世保 JORY-TV(12ch -10kHzオフセット、1991年呼出符号廃止)
- 新潟総合テレビ (NST) JOSX-TV(10ch -10kHzオフセット) - SDTはJODH
- 鹿児島テレビ (KTS) JOUX-TV(7ch) - 新潟テレビ21はJONH
- 石川テレビ (ITC) JOWX-TV(12ch +10kHzオフセット) - テレビ金沢はJOKH
- テレビ静岡 (STC、SizuokaTelevisionBroadcastingCo.,Ltd.より、史実ではSUT) 静岡 JOQX-TV(7ch -10kHzオフセット(GBS・CXとの混信対策のため))/浜松 JOQY-TV(12ch +10kHzオフセット) - KSSはJOUY
- その場合、KTNを含めて以下のようなものになる。UHF局の割合が相対的に減るので、コールサインもかなり変化が見られたかも。
長崎放送[編集 | ソースを編集]
土曜日ゴールデンのNTVネットを長崎国際テレビ開局まで続けていたら[編集 | ソースを編集]
- NBCはかつて土曜日のゴールデンタイムは日本テレビ系同時ネットでした。1984年3月まで続きましたが、1991年3月(NIB開局直前)まで続けていたら?
- 「8時だョ!全員集合」は最終回まで未ネットのままだった。
- その次の「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」も最後の1年のみのネットになっていた。
- 24時間テレビも1990年(第13回)までリレー放送が続いた。
- 他の曜日も1984年3月以前の編成が残っていた。
- 「カックラキン大放送!!」や「太陽にほえろ!」等、史実ではKTNへ移行した番組は終了もしくはNIB開局までNBCでネットされた。
旧ラジオ長崎と旧ラジオ佐世保が別々にテレビ放送を始めていたら[編集 | ソースを編集]
- ラジオ長崎は開始当初県北地区まで電波が届かなかったため、ラジオ佐世保が設立されました。その後当時の1県1局原則に伴い合併しましたが、もし合併が遅れるなどしてテレビもそれぞれ独自で開始されていたら?
- 合併後の系列で一悶着あったかもしれない。
- あるいは旧ラジオ佐世保のテレビ部門だけ「テレビ西海」として残っていた可能性がある。
- 「テレビ西海」はテレビ長崎が構想段階の際、申請があった6社の中に2社が存在していたので、本社が佐世保ならこの名前になっていたと思われる。
- 福岡(九州朝日放送とテレビ西日本)のように合併せず相互乗り入れをした場合、当然VHFでの展開となっていため、UHFアンテナを付けないと見られない平成新局2社は史実よりも苦戦していたかもしれない。
- あるいは旧ラジオ佐世保のテレビ部門だけ「テレビ西海」として残っていた可能性がある。
開局当初から県北にラジオ中継局を設置していたら[編集 | ソースを編集]
- 上述の通り、ラジオ長崎は開始当初県北地区まで電波が届かなかったため、ラジオ佐世保が設立されました。では県北地域にも最初から中継局があったら?
- 社名が「ラジオ長崎」の時代が史実よりも長かったので、略称が「NRT」(Nagasaki Radio & Television)もしくは「URN」(同局のコールサイン+長崎のN)になっていたかもしれない。
- ラジオ佐世保は設立されなかったので、佐世保地区のコールサインは史実ではNBCラジオ佐賀が使っている「JOUO」になっていた。
- 「JOMF」はNBCラジオ佐賀に割り当てられた可能性もある。
- 「ジョウオ」…ギャクジョウオかなにか。
- 「JOMF」はNBCラジオ佐賀に割り当てられた可能性もある。
長崎国際テレビ[編集 | ソースを編集]
史実(1991年4月1日)より早く開局していたら[編集 | ソースを編集]
- テレビ信州と同様に、ANNとのクロスネットとして、開局していた。
- 長崎文化放送の開局は史実通り。
- それと同時に、日テレ系に一本化というのがベターか。
- 宮崎県か沖縄県に日本テレビ系列局が開局していた可能性が高い。
- 大分県にも。
大分放送[編集 | ソースを編集]
日本テレビ系列局として開局していたら[編集 | ソースを編集]
→こちらを参照のこと。
大分朝日放送[編集 | ソースを編集]
史実(1993年10月1日)より早く開局していたら[編集 | ソースを編集]
- その分、大分県のテレビ事情はマシになっていた。
- 宮崎県に宮崎朝日放送が開局していた可能性が高い。
- 4局化を求める声が出ていた。
フジテレビ系列局として開局していたら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/九州#大分朝日放送がFNSを参照のこと。
日本テレビ系列局として開局していたら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/九州#大分朝日放送がNNNを参照のこと。
エフエム大分[編集 | ソースを編集]
独立局のままだったら[編集 | ソースを編集]
テレビ宮崎[編集 | ソースを編集]
独立局のままだったら[編集 | ソースを編集]
NNSにも加盟していたら[編集 | ソースを編集]
- UMKはFNSには加盟していますが、NNSには加盟していません。もしUMKがNNSにも加盟していたら、どうなっていたのでしょうか?
- めざましテレビではなく、ズームインが放送されていた。
- ザ・サンデーも放送されていた。
- ただし、とくダネやにじいろジーンはそのまま。
- 日テレのゴールデンタイムの同時ネットが実施される曜日がフジを上回っていたかもしれない。
- 多分、月曜は完全に日テレ同時となっていた。
- 土曜のゴールデンは日テレと同時になっていただろう。
- 日テレの深夜番組もそれなりにやっていた。
- 24時間テレビも完全放送(ANNのニュース枠除く)。
- 水曜日のゴールデンタイムはフジテレビではなく日本テレビの番組が放送されていた。
- UMKがフジ系だという主張が出来なくなるので、宮崎ケーブルテレビでKTSの区域外再放送が行われている。
- 1998年-2008年はTNCが再送信されていた。
- 延岡地区ではTKUが再送信されている。
- 1990年代には、宮崎第3局がフジテレビ系列局として、開局していた可能性がある。
FNSマストバイ局だったら[編集 | ソースを編集]
- 宮崎でも「ニュースJAPAN」や火曜22時の関西テレビ製作のドラマが視聴できた。
- 月9ドラマや「ネプリーグ」や「SMAP×SMAP」もリアルタイムで視聴できた。
- 90年代には日テレとテレ朝のクロスネットの「宮崎県民テレビ(MKT)」が開局していた。
- それまで24時間テレビは宮崎放送でネット。
- それでも宮崎県内のCATV再送信は変わらない。
宮崎日日新聞の資本関係が薄かったら[編集 | ソースを編集]
- もちろん現在もMRTとの関係が深い。
独立U局だったら[編集 | ソースを編集]
- 3大都市圏以外では唯一の独立局になっていた。
- やはり3系列の番組を流している。
- ただ、UMKがフジ系ではない事から宮崎県内で他県のフジ系が再送信されていた。
- クロスネットが禁止されていたら、複数の系列の番組を流すために独立局となる例が相次いだ。
- TOSも独立局となり、FBCはANNに加盟しなかった。
- 自社制作の能力も九州随一を誇っていたかも知れない。
- 自社制作番組が現実より多くなり、他県でも放送されていたかも。
南日本放送[編集 | ソースを編集]
宮崎県に進出していたら[編集 | ソースを編集]
鹿児島放送[編集 | ソースを編集]
南日本放送との1局2波体制で開局していたら[編集 | ソースを編集]
- MBCの社史ではKKBとの関係を「兄弟会社を思わせるもの」と表現されているくらい開局時に協力的だったらしいですが
- 社屋もMBCと共有していた。
- テレビ西日本の資本は入っていない。
- 沖縄以外でもテレ朝系列は1局2波体制で開局するケースが多かった。
- けものフレンズはどうなっていたか。
熊本県のケーブルテレビで再送信されていたら[編集 | ソースを編集]
- 熊本県のCATV加入率が史実より上がっていた。
- それでも人吉や水俣での再送信は微妙。
鹿児島読売テレビ[編集 | ソースを編集]
史実(1994年4月1日)より早く開局していたら[編集 | ソースを編集]
- 鹿児島県が史実より早く4局地域になっていた。
- 宮崎県での系列局が開局していた可能性がある。
- それとも、沖縄県に南西放送が開局した可能性がある。
- 計画通りに、上記の放送局が両方開局していた可能性が高い。
- 大分県にも開局していた。
- 早くても、1990年4月頃に開局していた。
- 8.6水害にも立ち会えた。
沖縄テレビ放送[編集 | ソースを編集]
NHKに買収されていたら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/沖縄#NHKに移行していたらを参照のこと。
日本テレビ系列だったら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/沖縄#RBCかOTVがNNNを参照のこと。
RBCと系列が逆だったら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/沖縄#RBCがFNS、OTVがJNNを参照のこと。
クロスネット局として開局していたら[編集 | ソースを編集]
- FNNとNNNのクロスネット局として、開局した場合
- かつてのテレビ長崎やテレビ熊本と同様な番組編成になっていた。
- 日本テレビ放送網は那覇市に支局を置くことはなかった。
- 南西放送が開局していた可能性が高い。
- トリプルクロスネット局として、開局した場合
- かつての鹿児島テレビ放送や新潟総合テレビと同様な番組編成になっていた。
- 日本テレビ放送網もテレビ朝日も那覇市に支局を置くことはなかった。
- 南西放送が開局していた可能性が高い。
- 琉球朝日放送は史実通りに開局していた。
- よって、最終的に4局地域になっていた。
琉球放送[編集 | ソースを編集]
ラジオ単営局のままだったら[編集 | ソースを編集]
→もしあの放送局がテレビ放送を開始していなかったら#琉球放送
NHKに買収されていたら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/沖縄#NHKに移行していたらを参照のこと。
テレビ朝日系列だったら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/沖縄#RBCがANNを参照のこと。
日本テレビ系列だったら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/沖縄#RBCかOTVがNNNを参照のこと。
OTVと系列が逆だったら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/沖縄#RBCがFNS、OTVがJNNを参照のこと。
琉球朝日放送[編集 | ソースを編集]
史実(1995年10月1日)より早く開局していたら[編集 | ソースを編集]
- どのケースにも共通すること
- 琉球放送と同居ということにはならなかったかも。
- それでも、琉球放送会館の改築は史実通り行われている。
- 宮古・八重山両地区での中継局設置がRBC・OTVと同時期に行われていた。
- 南西放送もよほどのことがない限り開局してる。
- 遅くても、1993年頃までに開局していた。
- 南西放送は1994年頃に開局していた。
- 1995年に宮崎県に「宮崎朝日放送」が開局していた。
- それとも、福井県に「福井朝日放送」が開局していた。
- 嶺南で朝日放送・嶺北で北陸朝日放送乗り入れの可能性も。
- それとも、福井県に「福井朝日放送」が開局していた。
- 日本復帰前に開局していたら
- 『KS』で始まるコールサインが付与されていた。
- 本土復帰後は史実通り『JORY-TV』(別のコールサインになっていた可能性もあるが)。
- 局名は異なっていた。なお、『沖縄朝日新聞』はウィキペディアによると米国軍政下の琉球諸島において、「中道やや左寄り」を目指す新聞として創られたもので、朝日新聞とは異なる新聞であった。
- 日本復帰後に開局していたら
- 沖縄海洋博関連の番組を放送していた。
- 1990年代前半に開局していたら
- 1994年4月に南西放送が開局していた。
- 宮古・八重山諸島におけるテレビ中継局が開局していた。
- 琉球放送と同居していたのは史実通り。
- 1995年10月に宮崎県に「宮崎朝日放送」が開局していた。
- 1993年の日本シリーズを見ることができた。
- 皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀における特別番組も放送されていた。
- 最終的に沖縄県は4局地域になっていた。
- 局名が「琉球文化放送」か「沖縄県民放送」辺りになっていたかもしれない。
- その際、沖縄タイムズ社との資本関係がより強まっていたかもしれない。
- 早くても、1990年10月頃に開局し、遅くても、1993年4月頃に開局していた。
- 1990年の7月までに開業出来ていたら、この年と翌年の甲子園決勝を中継していた。
琉球放送との関係が薄かったら[編集 | ソースを編集]
- 本社が琉球放送会館以外の場所になっていた。
- 当然会館の正面はでこぼこのまま。あるいは地上デジタル化で改築
- 候補地:
- 沖縄市など→那覇市に放送センターを置かなければならず可能性少ない
- 那覇市では久米、壷川(南西とは別の場所)、寄宮近郊など。いずれにせよ沖縄県庁からあまり離れていない。なお、開局当時那覇新都心は未開発なので、現在の沖縄タイムス隣接地への移転はあっても2020年前後。
- 送信所はFM沖縄送信所を利用していたかもしれない。
ラジオ沖縄[編集 | ソースを編集]
ラテ兼営局だったら[編集 | ソースを編集]
NHKに買収されていたら[編集 | ソースを編集]
→もしあのテレビ局が違う系列局だったら/沖縄#NHKに移行していたらを参照のこと。
開局していなかったら[編集 | ソースを編集]
- 琉球新報は復帰前のストライキでつぶれていた。
- とっくに那覇バスターミナルまで道路拡張されている。
- 親子ラジオ組合はRBCに吸収された。あるいは復帰後大阪有線放送社に吸収され、その事業を継承。
- RBCがNRNにも加盟することになる。
1988年10月31日で免許が失効していたら[編集 | ソースを編集]
旧郵政省は、極東放送のFM移行の完了後、ラジオ沖縄も廃止し、琉球放送に一本化する予定でしたが、県内全マスコミの労働組合の反対によりお流れになり、周波数変更という代替措置がとられました。
- 当然JOXRのコールサインは現在空白。
- 廃止の瞬間まで泉崎からの放送だっただろう。
- 元シグマホテルは現在までに取り壊された
- 代わりにテレビ免許が与えられ、南西放送として再出発。
- もちろん、日本テレビ系列である。
- 首里崎山送信所は首里城の復元開始以前に取り壊し、もっと早く公園化された。
- 史実の昭和終焉のころに。
- 1988年11月1日付で、RBCはNRNにも加盟。
- 民教協にももっと早く加盟していた。
- 紅色組合。
エフエム沖縄[編集 | ソースを編集]
ラテ兼営局だったら[編集 | ソースを編集]
FM放送の免許を申請してなかったら[編集 | ソースを編集]
エフエム沖縄の前身は1958年から1984年まで存在した「極東放送」というAMラジオ局でした。
- もちろん閉局しておらず、現在も放送中。
- 別の会社がFM放送の免許を申請していた。
- 沖縄は民放AM3局県になっていた
- NRNに加盟していたかもしれない。
- 平日の夜はオールナイトニッポンgold→(独自番組)→リッスン? ~Live 4 Life~→走れ歌謡曲が放送されていた。
- ラジオ沖縄は完全24時間放送が実現していた。
- 独立局継続ならアニラジを多くネットしていたかもしれない。
米軍放送(American Forces Network)[編集 | ソースを編集]
沖縄県以外でも日本人向けテレビ放送を行っていたら[編集 | ソースを編集]
ラジオ部門とテレビ部門が分社化したら[編集 | ソースを編集]
もしあの放送局が… | |
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○○だったら | 北海道・東北/関東/キー局/甲信越・北陸 東海/近畿/中国・四国/九州 親会社(関東)/ラジオ局 |
違う系列局だったら | 北海道/東北/甲信越/北陸/東海/中国・四国/九州/沖縄 |
開局していたら | テレビ/ラジオ |
開局していなかったら | テレビ(FNS/ANN/TXN)/ラジオ |
ネットワーク関連 | キー局が在阪局だったら/独立局のままだったら クロスネットを禁じていたら ラジオネットが新設されたら/ラジオネットが新設されたら |
その他 | 社名・愛称・略称が変わっていなかったら/合併していたら 免許取り消しになっていたら/放送対象地域が広域圏だったら テレビ放送を開始していなかったら/同一企業だったら ラテ兼営局だったら/ラテ兼営局が分社化したら 免許が一本化されていたら/免許が一本されていなかったら |