もしあの県が分裂したままだったら

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独立項目[編集 | ソースを編集]

青森県[編集 | ソースを編集]

  1. 弘前県も含めて小さい県ばかり。

弘前県[編集 | ソースを編集]

八戸県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の青森県東部。県庁所在地は八戸
  1. 下北半島は核銀座にならなかった。
  2. 八戸が、仙台と同じく太平洋沿岸ルートと内陸ルートの合流点として発展していた。
    • 国道4号が八戸経由になっており、国道45号の終点も八戸になっている。
    • 東北自動車道盛岡青森は、八戸経由のルートになっていた。
      • 秋田弘前~青森は、日本海東北自動車道の沿線になっていた。
        • 花輪線ルートを取る高速道路は新直轄か建設されない。
          • 津軽地方に相当する県の県庁所在地が弘前市である場合はその限りでない。
  3. 東北新幹線の八戸延伸が、史実(2010年)より早くなっていたかも。
    • 青森と八戸が別の県になるため、東北新幹線の八戸延伸と東北本線盛岡以北の分離別会社化が史実通りだった場合、盛岡~青森は「南部縦断鉄道」という鉄道会社名になっていた。
      • 県ごとに分社して「IGRいわて銀河鉄道」「HRはちのへ鉄道」「青い森鉄道」みたいになっていた可能性が高い気がする。
    • 当然、野辺地駅も在来線と新幹線の乗換え駅になっている。
      • 県中央の結節点として野辺地市になれたかもしれない。
  4. 八戸大学は私立大学ではなく、第二次大戦後の国立駅弁大学。
    • 漁港であるため水産学部などを設置。
    • 史実の八戸大学(私立)は最初から「八戸学院大学」を名乗っていた。
  5. 史実の「デイリー東北」は、「八戸日報」や「八戸新報」という名称になっていた。

黒石県[編集 | ソースを編集]

  1. 当然県庁所在地は黒石市。
  2. 青森市弘前市八戸市につぐ、人口10万位の都市になっていただろうか。

斗南県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の青森県東部
  1. 徹底的に明治政府から冷遇された。
  2. 鉄道はおろか国道も通らなかった。

七戸県[編集 | ソースを編集]

  1. 七戸が町のままということはあるまい。
  2. どこかで市制施行していた。

山形県[編集 | ソースを編集]

  1. 旧山形県は仙台志向、鶴岡県は新潟志向、置賜県は福島東京のほうを向いて、バラバラ。
  2. 最上川の水利権を巡って県同士で争っている。

鶴岡県[編集 | ソースを編集]

旧山形県[編集 | ソースを編集]

  1. 山形市の求心力が実際より低い。
  2. 山形新幹線も開業せず。

置賜県[編集 | ソースを編集]

  1. 実史より米沢は発展していた。
  2. 山形自動車道とは別に、福島から米沢自動車道が開通していた。
  3. 教育にも力を入れた米沢藩の精神を受け継ぎ、山形・鶴岡よりもはやく高等教育機関ができた。

栃木県[編集 | ソースを編集]

  1. 戦時中に栃木県内のバス事業者は関東自動車、宇都宮県内のバス事業者は東野交通に整理されていた。
  2. 宇都宮県には宇都宮FMが開局するも、両県の規模・財政力が現実の栃木県から半減しているため、NACK5や群馬テレビが視聴可能な旧栃木県に放送局は開局せず、宇都宮県にもAMラジオ局やテレビ局は開局しない。

宇都宮県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の栃木県北部・東部
  1. 著名な観光地である那須と日光が別の県に…
  2. 現実以上に東北扱いがひどかった。
  3. U字工事は宇都宮県の宣伝にひた走る。
  4. 「宇都宮SC」のサポーターが現実より減っている。
  5. 足利銀行に加え栃木銀行も栃木側になるため、宇都宮信金破綻後はJA一強。

旧栃木県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の栃木県西部、群馬県東南部
  1. 小山、栃木、佐野、足利、桐生、太田、館林おまけに日光はこの県。
    • みんなで合併し政令指定都市になってしまう。
    • 実は群馬県東毛地域の邑楽・新田・山田の三郡が結構人口がある。
      • 史実では群馬と栃木が両方人口200万弱で拮抗しているが、群馬、栃木、宇都宮県が人口130万強で拮抗することになりそう。
        • それでも宇都宮市が北関東最大の都市であることは変わらない。
  2. 北関東で一番まとまりに欠ける県となる。
    • 日光を除けばむしろまとまっている印象だが?
    • 史実の茨城県のように中心都市がいくつもあり分散する形となる。
      • 結果的に東京に近くてアクセスのいい館林と小山にだんだん集中しそうだけど、県庁所在地が栃木市のままということになりそう。
    • 逆に宇都宮県は北関東で一番一極集中の県になる。
  3. 栃木県に利根川が通る。
  4. 足尾が群馬県にあるという誤解が生まれない。
  5. 両毛線の複線区間が増えていた。
    • 当然宇都宮県と栃木県の県庁所在地を結ぶ東武宇都宮線は全線複線化、長編成化。
      • JRに対抗して毎時2本くらい都心から東武宇都宮まで直通の列車を走らせていたかも。
  6. 史実のJリーグの栃木SCは宇都宮SCとなり、栃木県を代表する栃木ウーヴァ(現栃木シティ)がJFLから陥落することなく、jリーグ参入していた。
    • おそらくJ3創設時に参加していたかも。
      • ダービーは盛り上がる。
        • 史実の邑楽ユナイテッドも関東1部あたりまでいっていた。
  7. 東北新幹線は小山と宇都宮の停車本数の奪い合いに。
  8. bcリーグ栃木GBは史実では小山中心の試合開催なので、おそらく宇都宮清原球場中心の新球団が別に設置。
  9. Bリーグで圧倒的に強豪のブレックスは史実通り宇都宮の球団に。栃木県のチームはおそらく初期のB3の東京チームが移転してくる。
  10. わたらせ渓谷鐵道は群馬県ではなく栃木県主導の第三セクターに。
    • 史実より強化されていたかどうかは微妙なところ。

千葉県[編集 | ソースを編集]

  1. 土気町千葉市に編入されず、大網白里と合併していた。大網白里は昭和のうちに市に移行していた。
  2. 横芝光町は誕生しない。
  3. 下総町大栄町成田市にならず、香取市になっていた。。
  4. ジェフユナイテッド市原」の後ろに千葉はつかない。
    • 千葉市民は他県ではあるが隣の市のジェフのサポーターと、県内だが遠方のレイソルのサポーターとで半分ずつ。

新治県[編集 | ソースを編集]

印旛県[編集 | ソースを編集]

木更津県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の千葉県上総・安房
  1. 袖ヶ浦ナンバーなんてできない。
  2. 千葉県営鉄道の勢力圏にならないため久留里線の開業が遅れる。
    • 逆に最初から1067mm軌間で早期に開業したかも。
      • そして現実のいすみ鉄道ルートで大原に到達する。
  3. ハマコーが県知事になっていたはず。
  4. 山武郡土気町は千葉市に編入されず大網町・白里町・増穂町と合併していた。

石川県[編集 | ソースを編集]

  • 1872年に七尾県と旧石川県が合併。
  1. 羽咋郡南大海村(現:かほく市)は七尾石川県境をまたいでの合併はできずに、七尾県内の町と合併して宝達志水町の一部になっている。

七尾県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の石川県北部。
  1. 北陸の北と言えば七尾県。
  2. 県域テレビ局は「七尾テレビ」と「七尾放送」が出来ている。
    • 恐らく2局しかできてないかも…。
  3. 大半の県民は日テレ系列は対岸を視聴。
  4. 2015年以降沖縄を除くJRだけでは鉄道で行けない県になっていた。
  5. 能登空港や能越自動車道は史実より早く整備された。

旧石川県[編集 | ソースを編集]

  1. 金沢だと北に寄り過ぎているため県庁は石川郡美川町のまま。
    • 金沢では県の北に偏っているため。
    • 政治の中心は美川、経済・文化の中心は金沢。
  2. 半島を失っていると石川県がどこにあるのか誰も分からない。
    • 形だけ見ても石川県だと分からない。
  3. 県章が替わっている。

福井県[編集 | ソースを編集]

  • 1873年1月に足羽県と敦賀県が合併。
  1. 参議院選挙区は鳥取+島根や徳島+高知同様合区が行われ、足羽+敦賀で一つの選挙区になっている(つまりは現実の選挙と変わらない)。

足羽県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の福井県北東部
  1. 福岡?福島?と間違われることはない。
    • それでも知名度は低い。

敦賀県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の福井県南西部。
  1. 県域テレビ局は2局か3局辺りか。
    • びわ湖放送を見ている県民も多かった。
  2. 北陸地方や中部地方ではなく近畿地方(関西地方)に間違いなく組み入れられている。
    • 「北近畿」という枠組みには京都北部(丹波・丹後)・兵庫北部(丹波・但馬)に加えて敦賀県も含まれている。また、敦賀県と滋賀県で「敦滋」という枠組みも存在する。
  3. 福井新聞ではなく京都新聞のエリアになっていた。戦前からの地元紙は戦後も県域紙として発行されるものの、1970年代に滋賀日日新聞ともども京都新聞に吸収・統合された。

愛知県[編集 | ソースを編集]

  • 1872年11月27日に名古屋県⇒愛知県が額田県を編入して現在の愛知県域が確定。
  1. トヨタ自動車名古屋オフィスは存在しない。
    • 豊田通商本社は名古屋ではなく豊田市にある(東京本社は史実どおり)。
  2. 愛知教育大学は名古屋市に置かれた。
  3. 東海銀行は名古屋県の地銀なので額田県にまで進出できず、都市銀行に成長できない。
    • 都銀再編にも参加せず、浜銀静銀と地銀トップを争っている。

名古屋県[編集 | ソースを編集]

  1. それでも名古屋県とは名乗っていたか怪しい。(1872年04月02日に改称されてるので)
  2. 額田県は浜松県に編入していたか?
  3. 史実通り中京圏を形成していれば、名古屋県と名古屋市を統合して、名古屋都または名古屋府になることを目指す地域政党が誕生した。

額田県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の愛知県東部(三河国+知多半島)
  1. 徳川家康が名古屋出身と勘違いされることはない。
  2. 三河安城駅は存在せず、新幹線は開業時から岡崎駅に停車している。
  3. 岡崎と豊橋の対立が深まる。
  4. トヨタ自動車サッカー部のプロ化はなかったか、してもチーム名が違っていた。
  5. 名古屋空港と中部国際空港が伊丹と関空みたいな関係になる。
  6. 豊田大谷高校の甲子園出場回数が増えていた。
  7. 戦後、「額田大学」か「豊橋大学」という駅弁大学が設立されていた。
  8. 岡崎銀行は東海銀行に吸収されず、戦後も額田県における地方銀行として存続していた。
    • そのため、東海銀行→三菱東京UFJ銀行の額田県内の支店は少なくなっていた。
  9. 豊田市は挙母市のままだったかも。

三重県[編集 | ソースを編集]

  • 1876年4月に三重県(安濃津県から改称)が渡会県を吸収。
  1. 津市と久居市は合併していない。
  2. 三重銀行は他県の第三銀行ではなく、県内の百五銀行と合併していた。
  3. 高茶屋村と雲出村は津市ではなく久居町に編入されていた。

安濃津県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の三重県北部
  1. 名所(伊勢神宮・世界遺産熊野古道)や特産品(松阪牛・伊勢海老・真珠など)はあらかた渡会県のものになってしまうため、観光アピールに苦労していた。
    • ナガシマスパーランドが唯一の救い。
  2. 実際の三重県より名古屋志向が強いと思われる。
    • 県域に伊賀国を含むので結局は、「どっちつかず感」が拭えないだろう。

渡会県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の三重県南部
  1. 北にある三重県は近畿扱いされる事は無かっただろう。
    • しかし度会県だけ近畿扱いされているかも。
    • そもそも近畿であることは正しいが、度会県の中部扱いは無かったかも。
  2. 伊勢市は今でも山田市。
  3. 第三銀行が渡会県を代表する銀行になっていた。
  4. 和歌山県の東牟婁郡が度会県に含まれていたかもしれない。
  5. 高茶屋村、雲出村は津市ではなく久居町に編入されていた。

滋賀県[編集 | ソースを編集]

  • 1872年9月28日に大津県⇒滋賀県と、長浜県⇒犬上県が合併して発足。
  1. 大津県と長浜県で琵琶湖をめぐって争ってるので、京都や大阪の人に湖の水を止めると脅すこともできない。
  2. 人口が少ないのでびわ湖放送は存在せず、KBS大津・KBS長浜がテレビ放送を開始。
  3. 現実の滋賀大学は大津師範学校・大津青年師範学校からできた大津大学と、彦根高等商業学校からできた彦根大学の2つに分かれて発展していた。

長浜県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の滋賀県北部。
  1. 新幹線駅は米原駅ではなく彦根駅に出来ている…のか?
    • 新幹線駅は長浜駅に作られていた。当然、在来線のジャンクションも長浜駅になっていた。

大津県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の滋賀県南部。
  1. 東海道新幹線が大津県が停車しない事にぶち切れる。
    • なので大津市か草津市に新幹線駅が出来ている。
  2. 長浜県は敦賀県と編入。

愛媛県[編集 | ソースを編集]

  • 1873年2月20日松山県(→石鉄県)と宇和島県(→神山県)が合併し愛媛県が誕生。
  1. 松山空港は建設されず、今治と宇和島に空港が建設された。

松山県[編集 | ソースを編集]

  1. 県庁が西すぎるため、今治に移転したまま。
    • 県名も石鉄県。
  2. 特急しおかぜは今治止まり。今治発の特急宇和海は現実より本数が多い。

宇和島県[編集 | ソースを編集]

  1. 四国の五県目。

熊本県[編集 | ソースを編集]

  • 1873年に白川県と八代県が合併。
  1. 上益城郡・下益城郡・宇土郡は八代県に属するので、熊本市(白川県)は八代県に囲まれていた。
    • 南区・東区の一部は越県合併できず、熊本市は現実より小さい。

白川県[編集 | ソースを編集]

  • 現在の熊本県北部
  1. 県庁が南端に位置しているため、県北部の荒尾や玉名・山鹿などは反発し福岡県筑後地方との結ぶつきを強める。

八代県[編集 | ソースを編集]

関連項目[編集 | ソースを編集]