もしあの路面電車が廃止されていたら
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北海道[編集 | ソースを編集]
札幌市電[編集 | ソースを編集]
- 四路線目の地下鉄が開通していた。
- 史実でも計画があった「三号線」(新川通-南34条西11丁目)が開業していたと思われる。
- 札幌市営バスが民営化されることはなかった。
- それはない。市営バスの破綻は、地方公務員である乗務員の高給と、民営はもちろんのこと、他の公営交通事業者でも見られないほどの回送距離の長さによる支出超過が主な原因。
- 札幌市営バスの悪しき慣習となっていたものに、バスまるごとの乗務員交代があった。士業終わりの運転手が遠くの終点からバスに乗ったまま帰庫し、交代運転手が別のバスで遠くの起点まで出庫する、市のバスを足代わりに使うシステムのこと。殆どのバス事業者は、営業所の至近を乗務員の士業の起終点としたり、営業中に(実車のまま)乗務員のみが交代するなどして、極力ムダを防いでいる。
- 『動物のお医者さん』のタカの回想シーンに市電がよく出ていた。
- 函館市電が「日本最北の路面電車」を前面に押し出していた。
函館市電[編集 | ソースを編集]
- 函館市交通局はバス事業移管の時点で消滅していた。
- 市電廃止の時期によってはバス事業移管自体なかったかもしれない。
- 現実以上にJRの五稜郭駅を五稜郭の最寄り駅と勘違いする人が増えていた。
- 湯の川温泉へのアクセスが若干不便になる。
- 湯の川経由函館空港行きのバスが増便されていた。
- 一方で谷地頭温泉は大衆浴場なのでそこまで影響はない…はず。
関東[編集 | ソースを編集]
都電荒川線[編集 | ソースを編集]
- 世田谷線への注目度が現実より高まっていた。
- 東京におけるLRT整備計画は進展していない。
- 代わりに地下鉄が敷設されているかもしれない。
- その場合都営地下鉄荒川線となっている。
- あるいは線路跡にモノレールが敷設される(実際に出た案)。
- その場合、日暮里舎人ライナーもモノレールになって、直通運転していたかも。
- そうなれば、日暮里舎人ライナーも史実より評価が高くなっていただろう。
- バス需要が多い池袋、王子、赤羽ー西新井間を移動する路線として重宝されていた。
- そうなれば、日暮里舎人ライナーも史実より評価が高くなっていただろう。
- あるいは、地下鉄になっていた可能性もある。その場合、いろいろな直通運転が考えられる。
- 需要の多い王子~池袋間は混雑区間になるかも。
- 湘南新宿ライン王子駅ホームができて、そこからメトロ荒川線に直通して池袋方面に短絡していたかも。そうなっていれば、遠回りが解消され埼京線にたいして所要時間で大きなアドバンテージを得ていた。
- 需要の多い王子~池袋間は混雑区間になるかも。
- その場合、日暮里舎人ライナーもモノレールになって、直通運転していたかも。
- あらかわ遊園に行く人は現実よりも減少した。
- 昭和末期くらいに閉鎖されていたと思われる。
- 小台や町屋などの商店街は、現実よりも衰退している。
- 7000形や7500形の車体更新はなかった。
- その為旧車を車体更新で近代化するという手法が他の路面電車でも広まらなかった。
- 軽快電車が誕生することはなかった。
- その為旧車を車体更新で近代化するという手法が他の路面電車でも広まらなかった。
- 最後の日まで27系統と32系統に分割されたままだった。
- 本州から公営の路面電車が消滅していた。
東急世田谷線[編集 | ソースを編集]
「これ路面電車じゃないだろ」と言うツッコミは無しで
- 田園都市線からの枝線として別の形で復活し営業していた。
- 環七に踏切は無かった。
- 上の鉄道線への大改造が実現しているならば、三軒茶屋-上町間は世田谷通りの地下を走るルートに付け替えられていた。
- 廃止原因は大橋(玉川線)にあった車庫を移転させる用地がなかったから。
- 後年の阪神甲子園線と同じような運命をたどっていた。
- 廃止の理由は「新玉川線」建設のため。クルマの洪水で満足に走れなくなったチンチン電車に代えて、神奈川のニュータウンと渋谷を長編成の列車で結べば(不動産でも運賃でも)儲かるからね。
- むしろ地下化という名目で消えることになる。
中部[編集 | ソースを編集]
豊橋鉄道東田本線[編集 | ソースを編集]
一部廃止はあったものの、国内14年ぶりの路線延長(昭和57年 井原-運動公園前)、狭軌初の国産連接低床車(T-1000形)導入等、東海唯一の路面電車路線として頑張っているが、もし全線廃止していたら・・・。
- モ800形は名鉄岐阜600V線区廃止時に、福井鉄道へ全車譲渡。
- 豊橋を訪れる観光客が減っていた。
- 現在旧名古屋市電の車両で現役のものは1両もない。
- 東海地方から路面電車が全滅となっていた。
- 国道1号を走る路面電車も消滅していた。
富山地方鉄道富山市内線[編集 | ソースを編集]
- 富山ライトレールは誕生しなかった。
- 富山港線は現在もJRの路線で、単行の気動車が往復するだけとなっている。ちなみに電化設備は撤去。
- 電化設備撤去は富山駅高架化と同時期に行われていた。
- 富山港線は現在もJRの路線で、単行の気動車が往復するだけとなっている。ちなみに電化設備は撤去。
- 加越能鉄道の路線も第三セクター化されることなく廃止された。
- 現在では直通運転していた笹津線や射水線の廃止が市内線廃止の遠因として語られている。
- 富山市は史実以上に衰退していた。
- 宇都宮市のLRT計画は間違いなく頓挫する。
福井鉄道[編集 | ソースを編集]
- 鉄道線だけ残すわけにもいかないだろうから、全線が一度に廃止されていた。
- 福井における私鉄・第三セクターはえちぜん鉄道のみになっていた。
- 新潟交通を思うと福井新→赤十字前発着で暫く残った可能性もないとは言えない。結局はJRに完敗して廃止になりそうだが。
- そもそもえちぜん鉄道自体設立されず、京福の事故で福井から私鉄がなくなっていたのでは。
- 福井における私鉄・第三セクターはえちぜん鉄道のみになっていた。
- 旧名鉄の車両は譲渡されず、最後まで全車両が高床車だった。
- えちぜん鉄道への乗り入れ議論もないので、日華化学前、八ツ島の両駅は最初から高床ホームとして建設されていた。
- 旧名鉄車は全車両が豊橋鉄道へ譲渡されていた。
- 駅名改称もなされなかった。
- 鯖浦線や南越線の廃止時期にも影響していた可能性あり。
関西[編集 | ソースを編集]
京福電気鉄道[編集 | ソースを編集]
- 嵐山の人気が現在より少し下がる。
- 太秦の人気も下がっていた。
- 京都市営地下鉄東西線が嵐山まで延伸されていた。
- 60年代から東西線の洛西ニュータウン延伸は既定路線だったためむしろ全く別の路線が計画されていた。
- 四条大宮のターミナルとしての地位が少し下がっていた。
- 阪急京都線の特急は現実よりも早く大宮通過になっていた。
- JR山陰本線の京都~園部間の輸送力が逼迫し、同区間の全線複線化が現実より早くに行われた。
- 太秦駅の開業時期ももっと早かった。
- 道路渋滞が酷いので(今もそうだが)、御池通り(地下鉄東西線と同時整備)や久世太秦北野線(桂川街道を嵐電北野線に沿って今出川通とつなぐ計画路線)の整備が急がれ、沿線の道路事情は今よりも良くなっていたかもしれない。
- 福井鉄道部の撤退と同時に京福はバス事業専門の会社になっていた。
- あるいは現実の叡電の路線が京福唯一の鉄道路線になっていた。
- 「西院」を「さい」と読む人は現在ほぼ皆無。
阪堺電気軌道[編集 | ソースを編集]
- 住吉大社駅の正月の混雑は現実以上。
- 堺市のLRT計画はなかった。
- 四つ橋線が堺市まで延伸されていた。
- おそらく南海時代に平野線共々全廃という流れになっていただろう。
- 南海電車が天王寺に乗り入れる構想が再び出てくる。
中国[編集 | ソースを編集]
広島電鉄[編集 | ソースを編集]
昭和40年代に他都市同様、廃止計画があった広島の路面電車である広島電鉄は、最終的に軌道内から再度自動車を締め出したために存続できました。ではもし、廃止に至っていたら。
- 広島も市営地下鉄ができていた。
- アストラムラインも市営地下鉄の一路線になっていたかもしれない。
- 無論、三角州という地盤のせいもあってか工事には時間と費用を要した。
- 軌間を狭軌にするか標準軌にするかで大揉めになったのは間違いない。
- 広島市の財政が現実より悪かった。
- 財政再建団体に転落した恐れも十分ある。
- 広島電鉄は最終的に広島バスと合併していた。
- 広島電鉄のバス部門が「広島バス」という社名に。
- その合併計画は実行しようとして公正取引委員会に阻止されたことがあるため実現しなかったのでは。
- 宮島線だけ郊外鉄道として残り、市営地下鉄と相互直通運転を行っていた。
- JRとの競争に負け廃止されてしまった可能性も…
- あの悪名高い広島支社の事だから広電が関西や名古屋の私鉄の様にボロ負けするとは思えないなぁ...
- 地盤が悪いので高架鉄道になっていたかも。
- 今だに阪急の中古車を譲り受けていた。今頃、7000系・7300系・8000系・8200系あたりが来ていた。
- JRとの競争に負け廃止されてしまった可能性も…
- 実際に廃止されたとしたら、戦火で破壊されてそのまま消滅した沖縄の鉄道のように「原爆で破壊されてそのまま消滅」という流れになっていた。
- 当時の広島での旅客輸送に占める位置や設備の被害状況を考慮するとそれは考えにくい。
- 爆心から離れた宇品や宮島に退避させた電車はあまり被害を受けなかった他宮島線の廿日市変電所も無事だった。
- この妄想世界ではマンハッタン計画が史実よりはるかに順調に進んでおり、その結果広島に投下されたのは原爆ではなくて水爆で、広島市中心部のみならず、広島県全土がことごとく焦土となっていた。
- 当時の広島での旅客輸送に占める位置や設備の被害状況を考慮するとそれは考えにくい。
- 広島県警調査団の派遣先が路面電車の廃止が進んでいたアメリカだったら本当にこうなっていたかもしれない。
- カープの本拠地が中心部から広島駅近くに移転した理由に「中心部での交通渋滞」が加わっていた。
岡山電気軌道[編集 | ソースを編集]
- 南海貴志川線は和歌山電鐵に引き継がれず廃止されていた可能性もある。
- 両備グループはバス専業となっていた。
- 吉備線のLRT化構想は出てこなかった。
- 水戸岡鋭治はここではなく井原鉄道か水島臨海鉄道あたりの車両のデザインに関与していた。
四国[編集 | ソースを編集]
伊予鉄道市内線[編集 | ソースを編集]
地元ではJRよりも強く、延伸計画が決定したりと善戦しているが、もしも廃止されていたら、、、
- 「坊ちゃん列車」は存在しなかった。
- 道後温泉の観光地としての地位が下がっていた。
- JR予讃線の松山近郊区間は電化と同時に複線化も行われていた。
- 四国最大の都市は高松市となっていた。
- 松山赤十字病院(「赤十字病院前」電停がある。現地建て替えが決定)は郊外に移転だろう。
- 日本における旅客路線同士の平面交差は全滅していた。
- 「ファラドラファラド~♪」は存在しなかった。
- 戦前に道後温泉への鉄道線が開業していたら本当に危なかったと思う。
土佐電気鉄道[編集 | ソースを編集]
九州[編集 | ソースを編集]
長崎電気軌道[編集 | ソースを編集]
今でこそ、広島電鉄と並んで路面電車の雄と言われていますが、昭和40年代には会社存続の危機に瀕していました。あの時電鉄バスに一本化されていたら・・・
- 後に長崎バスと合併していた。
- 長崎市内の道路は慢性的な交通マヒを起こしていた。
- 長崎市も現実よりも衰退していた可能性もある。
- 長崎駅前は特に麻痺していた。
- 長崎西洋館は平凡な建物になっていた。
- 近年になって長崎市もLRT建設計画を明らかにしていた。
- 長崎が舞台のアニメ『色づく世界の明日から』は制作されなかったか、長崎以外を舞台にしていた可能性もある。
熊本市電[編集 | ソースを編集]
5路線2系統が存在する熊本市電ですが、昭和50年代には全廃計画もありました。もし計画通りに廃止されていたら…
- この時は代替交通としてモノレールが建設される予定だったらしい。
- 渋滞がさらにひどくなり、バス会社の経営状況は現状以上に厳しいものとなっていた。
- 当然、TO熊カードもバスのみとなっていた。
- その後継となる「でんでんnimoca」も誕生しなかった。
- ガンパレード・マーチに市電が登場しなかった。
- 熊本市は現実よりも衰退し、政令指定都市に移行することはできなかった。
- 都市規模の点では鹿児島市や長崎市に大きく水をあけられていた。
- おそらく「明らかに鹿児島より小さく長崎と同じくらい」といったところに落ち着いていた。
- その分鹿児島の地位が発展し新幹線開業と共に政令指定都市に移行。
- 意外にも熊本電鉄の市内乗り入れが早く実現していたかもしれない。