もしあの路面電車が廃止されていなかったら

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全般[編集 | ソースを編集]

  1. 日本全国で黄色い矢印信号や安全地帯の標識を目にすることが今でもできている。
  2. 交通渋滞が激しくなる。
    • ところがどっこい、路面電車がある方が交通渋滞が少なかったりする。
  3. ほとんどの路面電車がLRT化される。

北海道・東北[編集 | ソースを編集]

旭川電気軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 日本最北端の路面電車として知られていた。
  2. 旭川市街軌道と合併していた。
  3. 旭山動物園へのアクセスとして重宝される。
  4. 当然Asacaで乗車可能に。
    • Asacaの用途が広がり、利用者が増えたことで電子マネーサービスが付加されていた。Sapicaとの相互利用も可能になっていたかも。
  5. バンドの安全地帯とコラボするようになる。車内チャイムで「ワインレッドの心」か「悲しみにさよなら」あたりが使われる。

旭川市街軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 旭川電気軌道と同様、日本最北端の路面電車として知られていた。
  2. 旭川電気軌道と合併。

函館市企業局交通部(廃止区間)[編集 | ソースを編集]

  1. 財政悪化が無ければ少なくとも函館駅前-ガス会社前-五稜郭公園前は廃止を免れていたと思う。
    • ガス会社前-五稜郭駅前以外は90年代まで何とか存続できていたので、やろうと思えば残すこと自体はできたはず。
    • 駅ナンバリングはガス会社前から取って「G」になっていた。
  2. 西武百貨店の函館撤退が少しだけ遅れていた。
    • 撤退と共に西武テーオー前電停が「テーオーデパート前」に改称される。
  3. 箱館ハイカラ號の運用が史実とかなり異なっていた。
    • 湯の川→松風町→どつく前→ガス会社前→湯の川という変則ルートになっていた可能性がある一方で、松風町-宝来町間も残っていれば谷地頭折り返しの運用も増えていたかもしれない。

花巻電鉄軌道線[編集 | ソースを編集]

  1. 路面電車としてのみならず、いまや日本で数少なくなった「762mmゲージ路線」として鉄道ファンの注目を集める。
  2. 日本初の本格的LRTに変貌していた。
  3. 新花巻駅や花巻空港への延長が検討されている。
  4. 宮沢賢治の作品にちなんだ「ジョバンニ号」や「カンパネルラ号」といった電車が走っているかもしれない。

仙台市電[編集 | ソースを編集]

  1. それでも一部路線の廃止は避けられなかった。
    • 存続決定が北仙台線廃止(1969年)以前の段階ならば一部路線廃止はないと思う。それ以降の段階での存続決定(つまり全面廃止直前段階での存続決定)ならば原ノ町線(花京院ー原の町)は可能性が高い。
  2. 楽天イーグルス塗装の電車が走っていた。
    • 宮城野原公園への路線が建設されていた。
    • 2013年に史実通り楽天が優勝したら花電車が運行してた可能性が…
  3. 他都市からの移籍車が移籍前の塗装に戻されていた。
  4. 東北から路面電車が消えることはなかった。
  5. 「ガメラ2」の仙台壊滅時に仙台市電の車両が爆発するシーンがあった。
  6. 一部電停の名称が短縮された。
  7. 仙台空港鉄道は富山ライトレールのようなLRT路線として建設され、JR線ではなく仙台市電線に直通していた。
    • 少なくとも仙台市電線直通はないと思う。名取市が仙台市に編入でもされない限り。
  8. 地下鉄南北線はなく、本町-七北田公園前間に新交通システム(仙台高速交通仙台新交通1号線)ができていた。本町-県庁前間のみ「地下鉄」区間とみなされた。
    • 一部仙台鉄道の軌道跡を流用していた。
    • その流れで東西線も鉄輪式リニアではなく新交通システムになっていたかも(青葉山の急勾配を登るため)。
    • いや南北線は史実通り作られたのでは?史実より距離が短い形で
      • 北仙台線廃止がない場合は北仙台ー七北田公園(泉中央)、廃止されている場合は県庁前(勾当台公園)ー七北田公園(泉中央)という形で。
  9. 軌道敷を潰して車線増ができないため、自動車交通のバイパスとして愛宕上杉通りの北伸や愛宕大橋、仙台西道路は1960年代中に完成。広瀬通りの東伸(X橋の拡幅含む)も20世紀中に完成していた。
    • 規制緩和によるタクシーの氾濫も、車道確保の邪魔として早期に規制が復活していた。
  10. 秋保電鉄の市有化か廃線後に市電路線としての復活が実現していた。
  11. 仙台市中心部の路線バスの輻輳は起こらなかった。
    • 路面電車網が充実しているため市営バスも宮城交通も路線の整理縮小が行われている。
    • 仙台駅前バス停を発着する便も最小限になっており、市電乗り換えが前提となっていた。
      • 仙台駅の前にない仙台駅前バス停などあり得ない。
  12. スパイクタイヤの廃止が遅れた。あるいは今でも存続していた。
    • スパイクタイヤの粉塵公害が特に仙台で悪化した原因として市電廃止による急激な車社会化があるのは間違いないから。
    • 逆を言えば市電が残っていたら全国に先駆けて宮城県でスパイクタイヤ条例が作られた可能性は低いかと…。
      • もっとも北海道がスパイクタイヤ条例を作成してそれが全国に広まって史実通り廃止された可能性も否めないが。

福島交通[編集 | ソースを編集]

  1. 阿武隈急行の開通が揉めに揉めていた。
    • 史実でも福島交通が出資したので、緩急分離で上手いこと共存させたかも。瀬上付近の交点に駅を作って乗り換え割引などを設定していた。
      • 福島学院前駅は開通当初から鎌田駅として存在しており、軌道線との乗換駅となっていた。
  2. 岩谷下のあたりで横切る国道4号のおかげで電車自動車ともに大混乱。
    • 福島西道路の北伸や、阿武隈川東岸を縦断する国道4号のバイパスが計画された。
      • 阿武隈川東岸の道路は115号バイパスになっていたかもしれない
  3. 路面電車が改めて見直されると、競馬場へのメインルートに。
  4. 駅前通りの歩道拡幅のため、平和通り沿いの舟場町~県庁大原総合病院前~新・福島駅前(あづま陸橋直下)に線路を付け替えて複線化、定時性改善を図っていた。
    • 吾妻通り・万世町通りの拡幅が昭和時代に行われ、駅前通りは歩行者・軌道専用道路になっていたかもしれない。
  5. 小針氏が参画しなければ残った可能性がある。

秋田市電[編集 | ソースを編集]

  1. 土崎終点から土崎駅前までの延伸が行われていた。
    • 他にも延伸の構想が出ているが実現の見込みはない。
  2. バス同様近年になって秋田中央交通に譲渡された。

札幌温泉電気軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 札幌市電の路線になっていた。
  2. 札幌温泉は船橋ヘルスセンターのような健康ランドになっていた。

関東[編集 | ソースを編集]

もしあの路面電車が廃止されていなかったら/関東

中部[編集 | ソースを編集]

北陸鉄道金沢市内線[編集 | ソースを編集]

  1. 鉄道ファンにとっては「金沢=路面電車」になっていた。
  2. 浅野川線・石川線と直通していた。
    • これらの路線とともにLRT化も行われている。
    • 金石線も廃止にならなければ、一部に組み込まれていたかも。
  3. テレビ金沢のOP・CLに登場していた。
  4. 花咲くいろはに登場した電車はのと鉄道ではなく北鉄市内線だったかも。
    • ラッピング電車は存在していそう。
  5. 北陸新幹線金沢開業によりこの路面電車も注目され、利用客も増加していた。
    • 開業を祝う新幹線カラーの電車も走っていた。
  6. 廃止による余剰車の譲渡がないため、名鉄岐阜市内線の全車ボギー車化が遅れた。
  7. 現在はもてなしドームの中に電車乗り場が移転しており、鼓門の真下を路面電車が通る光景が見られた。
  8. 市街地がより栄え、新潟市より金沢市の方が先に政令指定都市に移行していた。

伊豆箱根鉄道軌道線[編集 | ソースを編集]

  1. 並行する東海道線がJR化後に増発したため、東海道沿いの細かな需要を拾うことに専念する。
  2. 確実にラブライブ!サンシャイン‼︎とコラボしていた。

静岡鉄道静岡市内線[編集 | ソースを編集]

  1. 静岡清水・清水市内線との直通が続いていたらありえた。
  2. 新静岡センター→セノバの構造が現実と異なる。

静岡鉄道清水市内線[編集 | ソースを編集]

  1. 「ちびまる子ちゃん」に登場していた。
    • 時代設定は廃止前だから登場しても不思議ではないのに…
  2. 興津延長はまだ実現していない。
    • 沼津までの免許を取得するが実現はやはり遠い。
    • 循環路線参照は完成していた。
  3. 静岡市のLRT計画がより現実味を帯びていた。
    • 静岡市内線も残っていた場合、静岡清水線も加えてのLRT化もあり得た。
    • 現実味どころか富山の成功を見て、史実のA3000系導入時に全車LRVに置き換え+鉄道線のホーム低床化が自然な流れだと思う。
      • 静清線との直通が中止されなかった場合広電やかつての西鉄のような連接車を積極導入している。
    • 路線名は上記の静岡市内線も残っていた場合も静清合併後に変わらなかったと思われる。
  4. 新静岡センター→セノバの構造が現実と異なる。

松本電鉄浅間線[編集 | ソースを編集]

  1. 松本市内循環バスとともにLRT化されている。
    • 車両はもちろんアルピコカラーで「Town Tram」の表記。
      • いや、そこは上高地線と同じ「Highland Rail」だろう。
  2. 美ヶ原方面に延伸されていた可能性もある。
    • 上田松本電鉄構想が実現して京津線みたいになっていた可能性もある。

名鉄岐阜市内線・美濃町線[編集 | ソースを編集]

  1. 当時計画されていたように、第3セクターの運営路線となっていた。
    • 両備グループが引き継いでいたかも。
    • 岐阜乗合自動車と経営が一体化され、バス路線が再編された。
    • 社名は岐阜鉄道。愛称はぎふてつ/Gifutetsu。
  2. 長良北町への路線が残っていたら、金華山観光で今も活躍していた。
  3. 福井鉄道や豊橋鉄道への新車投入が遅れた。
    • 豊橋鉄道のT1000形は史実より早く登場し、福井鉄道は自社で新車を購入していた。
    • 豊鉄モ3100形(元名古屋市電1400形)の置き換えは都電7000形(→豊鉄モ3500形)でまかなった。
    • 福井鉄道福武線鉄道線区間の駅ホームのかさ下げは行われなかった。
    • 福井鉄道の吊りかけ車の置き換えは鉄道線用車両の中古車になったかも。
      • 豊橋鉄道もね。
      • あるいは新車を新造していた可能性もある。
        • 豊鉄にあれほど新車を導入できる体力はないからなあ。
  4. JR岐阜駅の高架下へ乗り入れた。
    • 「新岐阜駅前」は「名鉄岐阜駅前」、「岐阜駅前」は「JR岐阜駅前」と改称された。
    • 電車が遅れた時などにJR岐阜駅前まで行く電車を名鉄岐阜駅前で運行を打ち切るなんてことはしなくなっていた。
  5. 揖斐線も廃止されず、JR岐阜駅前―本揖斐間に直通急行が運行されていた。
  6. 大正15年製造の510形は2009年現在、動態保存用車両としてイベント時に運転されている。
  7. 岐阜市の中心部は衰退せず、現在でも繁華街として機能している。
  8. LRT化も推し進められていた。
  9. 岐阜羽島駅〜岐阜駅に区間内乗り換え無しで連絡が取れる軌道線も出来ていた。
  10. 長良川鉄道の関-美濃市が電化されて美濃町線末端廃止の代替とされていた。
  11. ネプリーグの「黒、白、赤、青、茶」のつく駅を1つずつ答える問題において、問題終了後に回答者がしろかね駅はありますかと質問したら出題者が岐阜県関市にありますと回答した。
  12. 停留場の改修も行われる。
  13. 岐阜市側が路面電車存続に意欲的だったのが大前提。
    • 史実の岐阜市の対応で存続が決まった場合、行政に頼らない交通政策として逆に注目が集まっている。
      • そうなれば行政側が鉄道・他公共交通に消極的でも存続は可能という選択肢が生まれていた。
        • 両備クループ代表の小嶋光信氏がこの選択肢を参考にして「行政側が公共交通に消極的でも独自の存続策で行政に頼らずに存続できる手法」というのを作っていた。
          • 特に行政側が財政難のエリアの地域公共交通でこの手法が行われていた。
  14. 転換にもたついた場合、名鉄が車両を譲渡してしまうことは間違いないので新車と廃車予定だった車両たち、各地からの譲渡車両(もしかしたら置き換え先)が入り乱れ、とさでんみたいになっていた
    • そうなれば北海道からは函館市電・札幌市電、大阪からは阪堺、中国地方からは岡電・広電、九州からは熊本市電・長崎電気軌道・鹿児島市電・筑豊電鉄、東京からは都電荒川線の引退車両も購入していた。
      • 岐阜の動く電車の博物館と呼ばれた。
  15. ≒「もし名鉄がドラゴンズ撤退後にパ・リーグの球団を買収していたら」である。
  16. 本揖斐駅は「ぎふてつ揖斐」に改称していた。

山梨交通電車線[編集 | ソースを編集]

  1. 甲府市の中心部は衰退せず、現在でも繁華街として機能している。
  2. 今なお変わらず「ボロ電」と呼ばれていた。
    • ヴァンフォーレ甲府のラッピング電車を走らせる計画があるが、加工費の不足や種車自体の老朽化等の問題で未だ実現していない。
      • 親会社の国際興業と個人的な繋がりがある東急からお古である(初代) 7000系電車をもらうがやっぱりボ(ry
  3. 「高速化すべき」という意見が各方面から出ていた。

三重交通神都線[編集 | ソースを編集]

  1. 伊勢神宮を回る際は誰もが利用するので、知名度の高い路面電車。
    • ついでに鉄道ファンからは右側通行ということでも注目される。
  2. イベント用車両はトロリーポール集電。
  3. 三重交通→三重電鉄の他社線同様、近鉄に統合されて近鉄の軌道線となっている。
    • 当然ながら、近鉄フリー乗車券の範疇となっている。
    • 五十鈴川駅に「内宮前」の副称がつくことはなかった。
    • 運営社名の変遷日本一の鉄道ないし軌道路線として鉄道ファンの間では著名に。
      • 宮川電気→伊勢電気鉄道→三重合同電気→合同電気→東邦電力→神都交通→三重交通→三重電気鉄道→近畿日本鉄道(8回)
        • 養老鉄道みたく分社化されたらさらに一回増えていた。
    • 二見浦から鳥羽まで延伸したかもしれない。
      • もしくは、朝熊線が不要不急路線から復活して、近鉄鳥羽線より先に朝熊経由で鳥羽延伸を果たしたかも。
    • 路線名は内宮線、二見線、中山線、朝熊線で「鳥羽市内線」、鋼索線が「朝熊鋼索線」になる。

桑名電軌・三重交通北勢線(西桑名-桑名京町間)[編集 | ソースを編集]

  1. 戦時中の桑名電軌の廃止を後悔した桑名の有志が三重交通北勢線の桑名市街の廃止計画を機に、北勢線西桑名以東を路面電車として再生を企図する。
  2. 珍しいナローの路面電車として全国の脚光を浴びただろう。
    • 同じナローゲージの近鉄内部・八王子線も四日市あすなろう鉄道への移管を機にLRTとして再生されていた。
  3. 現在は三岐鉄道の路線となっている。
  4. 西桑名駅の駅名の由来を説明できる人が現実よりも多かった。

豊橋鉄道柳生橋支線[編集 | ソースを編集]

  1. 「柳生橋-運動公園前」という系統はおそらく設定されていない。
  2. 路線が存続できた理由はおそらく柳生橋経由の渥美線との直通運転のため。
    • 場合によっては渥美線の昇圧に影響が出ていた。
      • 現実通りに昇圧できた場合はモ800型の複電圧装備が役立っていた。
        • モ780形も機器更新で複電圧対応化されたかも。
    • ほっトラムも渥美線直通を前提にした車両として製造されていた。
  3. 鉄軌道直通運転が行われていれば駅ナンバリングのシステムは現実と違っている。
    • 現実のように数字だけではなくアルファベットも使われている。
  4. 渥美線は複線化もしくは交換設備の増設をしなければならなくなる。

名鉄起線[編集 | ソースを編集]

  1. グリーンムーバー・FUKURAMに匹敵する、大型車両が導入されていた。
    • 名鉄の感覚だとモ770形の3連接版だと思う。
  2. 乗客が多すぎて廃線になった事例はいまだに存在しない。

近畿[編集 | ソースを編集]

京阪京津線(京津三条-御陵間)[編集 | ソースを編集]

  1. 80形は未だ現役。
    • 2010年代になって新車置き換えの話が出ていた。その新型車両はLRTタイプとなっている。
    • 260形→600形あるいは700形への改造両数が現実よりも増えていた。種車の関係で片開き扉の車両も存在していた。
  2. 石坂線と共にLRT化していたかもしれない。
  3. 地下鉄東西線は別ルートを通っていた。
  4. 京都市電も廃止されていなかった場合、京都市電にも乗り入れていたかもしれない。
    • その場合は地下鉄東西線は建設すらされなかった。
    • ちなみに史実でも連絡用のポイントが実在したらしい。
      • 野菜とか人の出たものを運ぶために使われていたあれか。
  5. 京阪線へは現在でも通しの切符が買えるようになっていた。
    • 運賃も史実ほど高くならず、京阪線にも跨るフリーきっぷも充実していた。
      • 京津線の利用客は現実ほど減らなかっただろう。山科駅でJRから乗り換えて三条方面に向かう利用客は今も存在していた。
  6. 電車の塗装や駅名標のデザインは史実よりも早く京阪線と統一されていた。
  7. 架線電圧は600Vのまま。

大阪市電[編集 | ソースを編集]

  1. 現在までに塗装が変更されていた。
    • 1970年中~後期ごろに全面広告電車が登場、爆発的に増え一時はオリジナル塗装車が絶滅寸前に。
      • 21世紀に入るとLEDを使用した広告電車が誕生。「派手好きの大阪」の代名詞となる。
    • 阪堺電軌にあった「雲塗装」に塗られているものも多くあった。
  2. 阪堺電軌と直通していた。
    • 平野線も阪堺電軌の路線として存続し、大阪市電線に直通している。その代わり地下鉄谷町線は今でも天王寺止まり。
      • あるいは谷町線は堺東方面に延伸していた。
  3. 大阪プロレスに市電をモチーフにしたレスラーが参戦していた。
    • 得意技は電気アンマ(「チンチン電車」だから)。
  4. 「芋たこなんきん」に登場する大阪市電が実写になっていた。
  5. 京阪中之島線は存在しなかった。
  6. 大正区の交通事情が現実より良くなっていた。
  7. 地下鉄の路線網はおそらく半分くらいの規模になっていた。
    • 少なくとも千日前線・長堀鶴見緑地線・今里筋線は開通していなかった。
      • 四つ橋線もどうだろう。大国町から住之江公園までは三宝線の代替を兼ねていたわけだし。
        • 三宝線は四つ橋線玉出以遠延長がなくても、地下鉄なにわ筋線の開通と引き換えに廃止されていた可能性もある(同時に南海汐見橋線も廃止)。この場合、なにわ筋新線は三宝線の下を通って堺で南海線に合流という形になる。
          • なにわ筋線ができていたら四つ橋線大国町以北は開通していなかった。
      • 谷町線も守口方面に延伸されず、関目高殿駅から東に進んで鶴見緑地の北側で終点になっていた。
        • 1990年の大阪花博では会場へのメインアクセスとなっていた。
        • 花博のメインゲートは現実とは逆に北西側となっていた。
    • むしろ地下鉄は史実どおり建設されている。路面電車と棲み分けをはかるため他社との直通運転が可能な規格で建設されていただろう。
  8. 勿論VVVFインバータ車両も走るが、'90年代初頭まで、和製PCCカーも現役で走っていた。
    • 引退した和製PCCカーもこの線のように内部機器の一部を新車に再利用。
    • もちろん新車製造はアルナ工機。
  9. ニュートラムは新交通システムではなくLRVになっていた可能性もある。勿論住之江公園からは大阪市電に乗り入れ。
  10. じゃりんこチエにも登場していた。
  11. 実はサザエさんにも登場していた。
  12. 大阪を題材にした歌謡曲にもよく登場していただろう。
  13. トロリーバスの路線長もそんなに伸びない。(初期の廃止路線はトロリーバスに移管していた関係から。)
  14. 交通局の民営化に伴い「大阪シティトラム」に事業が受け継がれる。
    • 「大阪ライトレール」の方がありそう。

阪神国道線[編集 | ソースを編集]

  1. すでにLRT化されている。
    • 金魚鉢全滅…。
      • イベント用列車として残存。
      • 金魚鉢モチーフのLRTが導入される。
      • 恐らく1980年代に入って武庫川車両製の新車が導入されていただろう。
        • デザイン的には同社で製造された嵐電の車両に似たような感じになっていただろう。但し併用軌道での乗降のため可動式のステップが装備されていた。
        • もちろん冷房車になっている。
  2. 阪神淡路大震災後に全車両を低床車に置き換え。
    • 復興中には資材輸送の為に貨物列車のようなものも運転されていた。
    • 震災で路線は被害を受けるものの、阪神本線やJR・阪急と比べて軽微だったため復旧も早く、前記の各路線が復旧するまでは代替ルートとして活躍した。
  3. 神戸市電も残っていたら野田-兵庫駅の直通列車が実現。阪神本線(鉄道線)の事故発生時に代替輸送で大活躍。
    • あるいは三宮から東神戸(脇浜町)までを市電から譲り受け、阪神の路線とする。ないしは市電が廃止となった所に再び敷設する。
  4. 阪神バスの尼崎神戸線は系統分割される前に廃止となっていたかも。
    • 元々国道線代替なので、運行されていなかったかと
      • 阪神バスは元々国道線とは別個の「阪国バス」だった。むしろ国道線があったころは同一社内で競合していた。
  5. もちろん甲子園線も現存し、武庫川線と同様に宅地開発で乗客数が急増していた。
    • 甲子園線だけ連接車が標準となるかもしれない。
    • 場合によっては武庫川線もLRTの規格となり、甲子園線と直通していた。(浜甲子園-武庫川団地前間に新線を建設)
      • 史実として、赤胴車が走るまでの武庫川線には金魚鉢が走っていた時期があった。
    • 阪急阪神の経営統合後、JR甲子園口を経由して阪急西宮北口まで延伸されている。
      • 同時に国道線の北今津電停が「阪神国道駅前」に改称されていた。
    • 史実通り阪神パークが閉園していた場合、その跡地にできたららぽーと甲子園のラッピング車が走っていた。
  6. 国道2号線の通行量上限が史実より低下するので、公害訴訟による国道43号線車線減少及び最高速度制限強化が公共の福祉の観点から行われず、史実では芦屋の地域エゴで遅れた山手幹線の建設が強行され、車線数も芦屋市内が現行の2車線から4車線で開通した。
    • その代替として阪神高速湾岸線の建設が史実よりも早く行われた。
  7. それでも北大阪線(野田~天六)の運転本数は利用客数の減少により昼間は毎時2本くらいに削減されている。
    • ちょうど阪堺電気軌道阪堺線の恵美須町~住吉と同じような境遇になっていたと思われる。
    • 毎年8月に開催されるなにわ淀川花火大会への会場アクセスとしても機能するため、その際には臨時増発も行われていた。
    • 毎日放送の社屋のすぐ近くを通るため、同社のラッピング車両が運行されていたかも。
      • 茶屋町の再開発に合わせて茶屋町電停が新設されていた。
      • 車体に「らいよんチャン」や同社のアナウンサーが描かれていた。
  8. 電停の間隔が長かった場所には最近になって電停の新設が行われていた。
  9. 阪神電鉄から子会社に分社されていたかも。
  10. 大阪においては阪堺電気軌道の存在感がやや薄くなっていた。
    • 「大阪唯一の路面電車」というキャッチフレーズがなくなるため。
  11. タイガースデザインの車両も走るようになっていた。
    • 1985・2003・2005年にリーグ優勝した際には優勝記念の花電車も運行されていた。
      • 2023年も。同年の日本シリーズはオリックスとの関西ダービーになったので、それを記念したラッピング車両も運行されていた。
    • 塗装が縁で宇都宮ライトレールとのコラボ企画があったかもしれない。
  12. 場合によってはJR東西線の着工と同時に廃止されていた可能性もあった。JR東西線は海老江-御幣島で国道2号線の地下を通るため、阪神国道線を廃止しなければJR東西線の建設ができないという事情もあったと思われる。
  13. ウイステ野田はなかった。
    • 史実で阪神国道線の車庫跡地に建設されたため。
    • 阪神電鉄本社は梅田のハービスあたりに置かれていた。

南海和歌山軌道線[編集 | ソースを編集]

  1. 和歌山電鐡の誕生が早まっていた。
    • 野上電鉄も健在だったかもしれない。
  2. 和歌山港線や貴志川線と一体化されていた。
    • 和歌山港線は本線と一体化、貴志川線は和歌山軌道線と一体化される。
  3. 和歌山市は史実より衰退しなかった。
  4. 和歌山マリーナシティへの路線も建設されていた。
  5. 史実の和歌山バスと同時期に南海本体から経営分離されていた。
    • その際は「和歌山電気軌道」という社名が復活していたと思われる(史実の和歌山バスもこの会社が運営)。
    • 代わりに、水間鉄道は南海が子会社化→合併の道を辿ったか?
    • 紀勢本線の和歌山~和歌山市間の経営をここが引き受けてLRT化されていたかもしれない。
      • その場合紀和駅の高架化は行われず、電停の数も増やされていた。
  6. 和歌浦の衰退もなかった。
  7. 1990年代後半以降和歌山ラーメンが知られるようになると、ラーメン店巡りに重宝されるようになっていた。
    • 「和歌山ラーメンきっぷ」とかいう1日乗車券も発売されていた。

神戸市電[編集 | ソースを編集]

  1. 阪神大震災で壊滅し、修復時に大幅に近代化されていた。
    • 阪神大震災の写真として「ひび割れた軌道」や「瓦礫に押しつぶされた市電」がよく取り上げられる。
    • 一番被害が大きいのは兵庫駅前~御蔵菅原(火災)、和田岬の陸橋(倒壊)。須磨・和田車庫もかなりの車両数が走行不能、車両不足に。
      • 阪神国道線・大阪市電から車両提供される。
    • 「頑張ろう KOBE」の全面広告車に勇気づけられる。
      • オリックスの優勝時には花電車が走り、さらに勇気づけられる。
  2. それでも緑の塗装は変わらず。
    • 多少色味は明るくなる。
  3. 阪神国道線も残っていたら野田-兵庫駅の直通列車が実現。
  4. 神戸高速鉄道は存在しない。
    • 阪急神戸線は神戸市営地下鉄西神・山手線と相互直通していた。
    • 阪神本線は自前で元町-電鉄兵庫間を延伸し、山陽電鉄と相互直通運転していた。
      • この際電鉄兵庫-西代間は地下に移設された。
      • もともと阪神と山陽がそれぞれ湊川までの免許を持っていたので(史実では神戸高速直通を機に失効)、神鉄を含め3社が湊川で接する形となっていた。
    • 神戸電鉄は湊川駅からJR神戸駅に乗り入れていた。
    • 多分市電が残ってても建設されてた可能性はある。4社の利便性を図るために
  5. 「華麗なる一族」に登場した神戸市電はもちろん実物だった。
  6. 名谷~垂水・学園都市~舞子間にLRTを開業させていた。
  7. シティループみたいなレトロ調の車両が走っている。
    • もちろん循環運転、均一運賃と戦前にあった緑一色塗装はデフォ。
  8. 北神急行はなかった、もしくは三宮起点。
    • 現実よりさらに閑古鳥が・・・
  9. バブル期にはここのように外国から路面電車を購入。さすが神戸市株式会社。
  10. 裁判所前か神戸駅前からハーバーランド方面に路線が開通。
  11. ルミナリエでは経由地変更や臨時便がでたりと大混乱。
  12. 山陽新幹線開業と同時に新神戸駅にも乗り入れていた。
    • 新神戸駅から三宮へは路面電車がメインとなっていた。
    • 「のぞみ」は現実より早く全列車が新神戸駅に停車していた。
  13. 海岸線が建設されず神戸市の財政が今ほど悪化しなかった。

南海平野線[編集 | ソースを編集]

  1. 阪堺線・上町線とともに阪堺電気軌道の一員となり、同社の平野線となっていた。
  2. 大阪市高速電気軌道谷町線は天王寺から堺東方面に向かっていた。
  3. 阪神高速道路松原線は平野線の直上に建設されていた。
  4. 最終的にはLRT化されている。
    • 当初計画にあった八尾方面への延長も実現していたかもしらない。

阪急北野線[編集 | ソースを編集]

  1. 車体の色はもちろんマルーン色。
  2. 毎日放送の新番組をPRする電車も走っていた。
  3. 関西に阪急北野線+阪神国道線+大阪市電+神戸市電をあわせた超巨大路面電車ネットワークが誕生していた。
    • 最終的にひとつの運営会社にまとめられていたかもしれない。
      • 阪神北大阪線から梅田へ直通する電車も運転されていた。
    • さらに阪堺電車、山陽電車も加わる。

中国・四国[編集 | ソースを編集]

呉市電[編集 | ソースを編集]

  1. 休山トンネル開通で路線が付け替えられた。
  2. 「男たちの大和」のラッピング電車が走っていた。
  3. NHKドラマ「帽子」で緒形拳が市電に乗っていた。
    • 艦これの背景にも登場。艦これラッピング電車が走る。
    • 「この世界の片隅に」のれっきとした聖地になり、当然ラッピング電車も運行されていた。
      • 広電の被爆車両の様に戦前の車両が保存されていたら映画のPRで特別走行が実施されていた。
  4. 1001号車は伊予鉄に行く事は無かったし、2001号も現役だろう。
  5. 日本唯一の右側通行の路線として鉄道ファンも殺到していた。
    • よって、事故が起こる。
    • 確か大正末期に左側通行化されたような…。
  6. 呉市の財政難によりバスとともに民営化される。
    • 広電呉線に……
  7. どちらにしろ広電との接続・直通運転が構想されていた。

山陽電気軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 現在も社名は変わっていない。
    • いや、この会社に配慮して変えたんじゃないのかな?
      • もしかしたらこの会社の持ち物になり社名は変わらない。
  2. 「義経号」や「武蔵号」という観光用電車が走っていた。
  3. 新下関駅まで路線を伸ばそうとしている。
  4. 当然LRT化。

米子電車軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 米子市鳥取市を見下していた。
  2. JR境線と直通運転を行うという構想が持ち上がっていた。
    • 境線は伯備線と同時に1982年に電化されていた。
    • 皆生温泉から大篠津まで延伸され、大篠津から境線に乗り入れていた。同時に米子空港駅も開業していた。
    • 境線直通用の3車体連接式のLRTが新製され「きたろうトラム」という愛称も付けられていた。
  3. 日ノ丸自動車法勝寺電鉄も残っていた・・・のか?
  4. 富山港線よろしく境線がLRT化されていた可能性も。その場合境線の米子~富士見町間は廃止されるが、途中米子の中心部を通る上本数も増えるので、境線の利便性は大幅に向上していた。

岩国電気軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 錦帯橋の付近まで路線が伸ばされていた。
    • 山陽新幹線開業後はさらに新岩国駅前まで延伸されていた。
  2. 運営権が岩国市に移り「岩国市電」になっていた。
    • あるいは広電の傘下になっていた。
    • 岩国市電となった場合はバスとともに民営化され、数々の不祥事をおこし現代の朝倉軌道と呼ばれるようになった。
  3. PASPYが導入されている。
  4. 広電宮島線と直結・直通していれば残っていた可能性が高い。

高松琴平電気鉄道市内線[編集 | ソースを編集]

  1. 戦後の復興時に路面電車を考慮した都市計画がなされている。
  2. イメージとしては福井鉄道の福井市内区間のような感じか?
  3. 最近になって市内線専用の車両が導入される。
    • 琴電なので(?)どこかの都市で使われていた中古車両を購入していた。
      • 同じ標準軌の京都・大阪・神戸各市の元市電の車両や、元阪神国道線の車両が多かったと思われる。
  4. 志度線と再び直通していた。
    • 1994年の高松築港直通が廃止された時に実施されていた。
  5. 出晴駅は瓦町寄りに移設されていた。
  6. 高松築港駅まで延伸していた。

琴平参宮電鉄[編集 | ソースを編集]

  1. 琴電と合併していた場合、多度津線、丸亀線になっていた。
  2. 独立を保った場合、近畿車輛製の車両が走っていた。
  3. 琴急線が存続できた場合、善通寺赤門〜丸亀〜坂出間の方が不要不急の対象になっていた。

松山電気軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 伊予鉄高浜線が1921年以前に官鉄に先行路線として買収された場合、伊予鉄が史実より早く松山電軌を買収して、伊予鉄三津線として官鉄に対抗し、のちに生じた江ノ口〜萱町間の廃止も無かった。
  2. 伊予鉄三津線が存続した場合、伊予鉄の路面電車は、道後鉄道由来の1067mm軌間と松山電軌由来の1435mm軌間が混在した期間が生じた。

九州[編集 | ソースを編集]

佐賀電気軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 佐賀駅までの連絡線も開通していた。
  2. 佐賀空港まで延伸されていた。
  3. 九州鉄道(2代目、現在の西鉄)の傘下を経て戦時統合で西鉄に吸収された。

筑後軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 御井から先は廃止されるがそれより西の区間のみ存続する。
  2. 西鉄と合併して、西鉄久留米市内線になっていた。
    • 西鉄福島線が存続した場合は福島線も久留米市内線に編入され直通運転を行った。
  3. 1435mに改軌されていた。
  4. 「久留米市役所前」「久留米大学前」「医学部前」「文化センター前」「西鉄久留米駅前」と言った電停が設置されている。
  5. 筑後川を越えて鳥栖まで延伸、筑豊電鉄みたいな路線になる。

大分交通別大線[編集 | ソースを編集]

  1. 大分県の鉄道がJRだけになることはなかった。
  2. 現在も高崎山のサル生息数を表示した電車が走っている。
  3. 阪神電車や京急のように軌道線から鉄道線に変更になっていたかもしれない
    • 軌道線・鉄道線のどちらにしても西鉄の中古車の墓場になっていた。
      • 狭軌なんで西鉄の中古だったら線路幅が合わないので台車だけ名鉄や札幌市交通局のものに変えるとか、台車だけ狭軌用を製造するとかしないといけないという。
      • 鉄道線になっていた場合はほかの狭軌の私鉄やJRから台車を購入して西鉄の中古車の車体を入れるみたいな感じか
  4. 路面電車の分だけ国道10号が狭くなる。
  5. 別大拡幅がもっと大規模になっており、6車線化の際に専用軌道化されていた。

沖縄電気軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 戦争で破壊される歴史だけは免れないか・・・。
  2. 戦後アメリカが復旧することはなかっただろうし、時期がずれるだけで結局廃止。
  3. 戦後に復旧された場合、アメリカの旧型車が大量に走っていた。
    • 特にインターアーバンの旧型電車を譲り受けていた。
    • 復旧されるとしたら県営鉄道復旧計画と同時にインターアーバンとして再建される。具体的には沖縄電気線は首里~与那原~佐敷となり、嘉手納線や糸満馬車軌道もインターアーバン化されていた。
    • 復帰後は西鉄路面電車の譲渡先となっていた。
  4. 現在まで生き残っていたら、ゆいレールの計画に大きく影響していただろう。
    • そもそもゆいレール自体計画されたかどうか・・・。
  5. 結果、路面電車の影響で自動車メーカーや路線バス会社などが倒産する破目になった。
    • 自動車メーカーというより自動車ディーラーとかだろ。
  6. 日本はドイツに続いて、環境国に指定された。
    • たった1都市の路面電車が残ったくらいで指定されるとは言い難い。
      • ここが残っていたら他も残っていたかも。

関連項目[編集 | ソースを編集]