もしドイツが東西分断されなかったら
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ドイツは米・英・仏・ソの4カ国で分割統治され、その後のソ連と米・英・仏の対立から東西分断となりますが
仮にドイツが分断されず単一の国家として戦後世界でも存在していた場合どうなっていたでしょうか
全般[編集 | ソースを編集]
- 東西どちらかの主導でも確実に言える事は現行のドイツ(西ドイツ)は史実ほど各都市分散型にならなかった
- 戦後のドイツ(西ドイツ)が首都一極集中型の国にならず分散型の国家になったのは本来の首都であるベルリン(西ベルリン)が飛び地になり臨時首都であるボンを含めてフランクフルトやカールスルーエ等に首都機能を分散させたため
- フォーサイスが小説で書いていたように独裁者発生に対する抑止力という一面もあったのでは。
- ベルリン一極集中が起きる。
- 戦後のドイツ(西ドイツ)が首都一極集中型の国にならず分散型の国家になったのは本来の首都であるベルリン(西ベルリン)が飛び地になり臨時首都であるボンを含めてフランクフルトやカールスルーエ等に首都機能を分散させたため
- ベルリンがドイツの最大の政治・経済都市のまま推移するため1972年にミュンヘンでオリンピックは開催されずベルリンで2回目のオリンピックが開催される
- 共産化していたら対抗馬だったマドリードかモントリオールに持っていかれた可能性も小さくない。
- その代わりに日本が分断されていた。
- 東西両陣営のバランスの関係で朝鮮半島も分断されずに日本から独立し、分断されなかったドイツとは反対の陣営主導で日本から独立していた。
西側主導の場合[編集 | ソースを編集]
- 領土は降伏した時期にもよるが最大でモーゲンソープランで提示されたドイツの領域となっていた
- ポンメルン州がメクレンブルク州と合併する事も無く、シレジア州も残存部分がザクセン州へ統合されず州庁がゲルリッツに移転して存続している
- 当然ゲルリッツの人口も州庁所在地と言うことを踏まえると30万人ほどはあった
- 戦後以後、ナチス政権までのブレスラウに州庁を置くシレジア州を大シレジア州と呼ぶ事が一般的に成る
- (日本で言う富山県、福井県分裂までの石川県を大石川県と呼んだり、鳥取県分離前の島根県を大島根県と言うような感じ)
- この場合史実ではシレジア地方はドイツ降伏までナチスドイツの勢力圏だったので既に制圧済みのポンメルン州と占領地区を交換する形となっていた
- 場合によってはリヴォフがポーランド領のままだった
- 史実ではリヴォフはポーランド領のままにする事も検討されていたが戦後にソ連領になっている、ちなみにポーランド領じゃなくなったヴィリニュスとリヴォフの代価としてシュテッティンとブレスラウがポーランド領として編入される事がソ連が認めてる
- この場合2012年に開催されたEUROの開催都市はオデッサとなっていた
- ソ連領とならなかったのでリヴォフの名称は有名にならずポーランド読みのルヴフの方が有名になっていた
- ポーランドのことを考えず自分の取り分だけ持っていくというほうがソ連らしい気がする。
- 史実ではリヴォフはポーランド領のままにする事も検討されていたが戦後にソ連領になっている、ちなみにポーランド領じゃなくなったヴィリニュスとリヴォフの代価としてシュテッティンとブレスラウがポーランド領として編入される事がソ連が認めてる
- ポンメルン州がメクレンブルク州と合併する事も無く、シレジア州も残存部分がザクセン州へ統合されず州庁がゲルリッツに移転して存続している
- 史実の西ドイツと同じ時期に経済発展していた
- その場合、2015年までには人口・GDP共日本を抜いていたと思われる
- ベルリン中央駅はナチス政権の時とほぼ同じプランで建設されていた
- ナチス政権のプランが通らなかった場合、戦後直ぐに再建されていたレールテ駅(現在のベルリン中央駅)を大幅拡張する形で対応し、史実のベルリン中央駅のようなポジションを担っていた
- ベルリン東駅の名称はシュレージエン駅のままでアンハルト駅は戦後再建されも現在も現存、シュテティーン駅もゲルリッツ駅も地下鉄だけでなく通常路線も運行されている
- 戦後のベルリンの分断が無いので動物園駅周辺は発展せず、戦後から現在までポツダム広場がそのまま繁華街として発展していた
- もちろんベルリン地下鉄に幽霊駅などできるはずはない。
- 一方で市電が史実以上に縮小された危険性も否定できない。
- 戦後の東西分断が無いのでベルリンの人口は最低でも2014年現在600万人程と成っていたはず
- ソニーヨーロッパも最初からベルリンに本社を置いていた
- ドイツ最大の空港もやはりベルリン近辺に建設されていた。
- ベルリン一極集中が起きていた。
- アウトウニオンの本社はバイエルン州のインゴルシュタットへ移転せず、現在もケムニッツに置かれてる
- よってアウディがバイエルンミュンヘンのスポンサーになることは無く、その代わりBMWがバイエルンのスポンサーになっていた
- ひょっとして社名が「アウトウニオン」のままだった?
- ポーランドとドイツの国境地帯の都市は発展せず、本格的な発展は東西冷戦終結後を待つことになった
- 基地の街として少しは栄えた場所もある。
- フランクフルトは史実ほど発展せず、ドイツの中堅都市として留まっていた
- 人口はニュルンベルクよりも少し多い程度になっている
- フランクフルト国際空港も滑走路は3000m程で2本位しかなかった
- 戦前からドイツの主要空港と位置付けられていたので史実のミュンヘン位にはなっている。
- ベルリン・テンペルホーフ国際空港は拡張され3000m級の滑走路が2本、ベルリン・シェーネフェルト国際空港はテンペルホーフ空港のサブ空港のような形で開港し当初から4000m級の滑走路が2本あった
- ベルリン・テーゲル国際空港は建設すらされなかった
- テンペルホーフは市街地に近いので拡張は難しい。よってシェーネフェルトが現在ベルリンを代表する国際空港となっている。
- 史実ほど工事は遅れず、2000年頃にはベルリン・ブランデンブルク国際空港の計画が完成していた。
- ボンの人口が半減している
- 多分ベートーベンが生まれた都市くらいの認知度しかない
- 未だにベートーベンはオーストリア出身だと勘違いされている
- ボン大学もあまり有名にならない
- 多分ベートーベンが生まれた都市くらいの認知度しかない
- 社会主義統一党は誕生せず、現在のドイツ共産党がそれなりの規模で存続している
- 史実の社会主義統一党の人材と政治家は社会民主党と共産党に分かれて所属している
- ドイツ共産党は冷戦後に民主社会党→左翼党に改名。
- 共産党は政策次第で潰されてもおかしくなかった。
- シュテッティンもベルリンの外港として発展し人口は70万人ほどとなっていた
- 史実で東ドイツ時代にベルリンの外港であったロストックは地味な存在に・・・
- チャーチルの「鉄のカーテン演説」の内容も変わっていた。
- 場合によっては冷戦に大きな影響を与えていたかもしれない。
- チャーチルがこの演説で評価されて再び首相へ返り咲くことはなかった。
- チェコは史実でもベルリン陥落以後もナチス政権の統治下だったのでドイツの変わりにチェコスロバキアが分断されていた
- チェコがアメリカ統治、スロバキアがソ連統治となっていた
- 後に米ソの対立からソ連がスロバキアの住民投票を強行し分離独立と言う形でスロバキアを独立させる
- アメリカ統治のチェコでは戦後のチェコスロバキア政府が帰還し、スロバキア独立後もスロバキアの独立を認めずチェコスロバキア共和国を名乗り続ける
- この場合、統一したかどうかは不透明。
- チェコ側が冷戦終結後スロバキアの領有主張を放棄し正式に「チェコ共和国」になっていたかもしれない。
- ただ旧共産圏スロバキアは貧しいだろうから、資本主義国チェコが同系民族のよしみで多大な援助をしていただろう。
- 共産圏向けの放送局「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」は当初からプラハに本部を置いていた。
- フランスやイギリスとの和解は進んだがポーランドなど東側との関係改善に難航していた。
- 特にポーランドとはホロコーストや旧東部領土の問題だけでなく冷戦期の対立関係も加わりとんでもなくもつれていた。
- 当然ながら東独関連の各種傑作アネクドートは誕生しなかった。
- ICEは登場当初からベルリンを発着できていた。
- 戦後の東西分断がないので確実にベルリン一極集中が起き、ベルリン市域だけでも全人口8300万人の約10分の1の800万人程度、都市圏にまで拡大すると全人口の約4分の1の2000万人程度が住む巨大都市となる。
- ロンドン、パリを上回りヨーロッパ最大の都市となり、世界都市ランキングや金融センターランキングで確実に10位以内に入り、史実の東京程度の順位になっていた。
東側主導の場合[編集 | ソースを編集]
- 領域は現実世界のドイツと変わらない
- ザールラント州の返還は絶対に無かった
- ライン川の先端が西側諸国のオランダになるので首都のベルリンから遠い事を考えるとライン川周辺の都市は発展せず衰退する
- ボルシアドルトムントやシャルケもヨーロッパはおろか国内リーグで台頭する事も無い
- その代わり北ドイツの沿岸部周辺の工業地帯が発展していた
- ただ西側の工場に比べて低品質である事は予想がつくが・・・
- ベルリン東駅は中央駅に改称されず戦後に再建されたレールテ駅がベルリン中央駅に改称させられた
- オーストリアが共産化されなかった場合、ドイツ側からの亡命者が多く発生した。
- その他オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、ザールラント、フランス(特にアルザス=ロレーヌ)、スイス等に亡命者が多く発生。
- 亡命者を装ったシュタージのスパイも西欧などに多数出現。
- 共産ドイツでは「カール・マルクスの出身国」というのが強調されていた。
- マルクスに対する個人崇拝が盛んに行われていた。
- 社会主義体制崩壊後には「第2次大戦に負けたが『我が闘争』が『資本論』に変わっただけだった」と揶揄される。
- ケムニッツではなくマルクスの出身地であるトリーアが「カール・マルクス・シュタット」と呼ばれていた。ついでにヴッパータールも「フリードリヒ・エンゲルス・シュタット」と呼ばれていた。
- マルクスに対する個人崇拝が盛んに行われていた。
- 国旗は史実の東ドイツのものではなく、実際のドイツ国旗がそのまま使われていた。
- というのも建国当初東西ドイツの国旗は全く同じだった。東側が区別するために国章を置いたが、全ドイツが社会主義ならその必要はない。
- 史実の東ドイツより国力があっただろうから、もしかするとユーゴスラビアや中国のようにソ連からの自立を志向したかもしれない。
- スイス領内にあるドイツ領ビュージンゲンの取り扱いが大変なことに。
- 「資本主義国の中にある社会主義国の飛び地」という厄介すぎる事態が発生していた。
- 独仏の関係は今もずっとぎくしゃくしたまま。
- 冷戦中のフランスには「新しいマジノ線を建設せよ」という考えが根強くあった。
- デンマークは陸上国境を接する国が共産ドイツだけとなるため史実のように対米接近できたかどうか怪しい。
- 今でも民主化できていない可能性がある。
- 前述のようにドイツが1つの国なので、ソ連からの独立を志向できるほど国力があるだろうから、それぐらいの国力があれば、冷戦末期に民主化運動があったとしても、同じくソ連からの独立を志向した史実の中国の天安門事件のように、強力な軍で民主化運動を弾圧することができるだろうから、冷戦末期に「ドイツ版天安門事件」が起き、西側諸国から経済制裁を受ける。
- 1980年代に改革開放し、その後急速に経済成長して世界中に「MADE IN GERMANY」製品が出回ることになり、世界の工場と呼ばれるようになる。
- 冷戦後にポーランドやルーマニア、バルト3国などの東欧の旧東側諸国が民主化し、EUやNATOに加盟する際に、未だに共産主義独裁国家のドイツが邪魔になる。
- 共産ドイツは東欧諸国のEUやNATOへの加盟に反対し、東欧諸国のEUやNATOへの加盟時にドイツ政府が遺憾の意を表明する。
- ドイツはヨーロッパの中国と言われる。
- ドイツ社会主義統一党により経済成長したドイツ民主共和国の国威発揚のために、2000年にベルリンオリンピックとハンブルク万博、2018年にミュンヘン冬季オリンピックが開催される。
- ナチス政権下の1936年のベルリンオリンピックに続き、ベルリンオリンピックが64年ぶりにまたしても独裁政権下のドイツで開催されたことになり、36年大会同様にドイツ政府のプロパガンダだと非難される。
- アンゲラ・メルケルはドイツ初の女性最高指導者となり、アメリカなど西側諸国と対立を深め、言論弾圧を強めるなど女性独裁者として有名になっていた。
- ドイツ国内では言論統制が厳しく、インターネットが普及するが、中国のように厳しい検閲システムが存在し、GoogleやTwitter、Facebook、YouTubeなどの外国のサイトが利用できない他、前述のドイツ版天安門事件などドイツ社会主義統一党政府にとって都合が悪いことは検索しても結果が表示されない。
- ザールラントは1990年代後半にドイツ民主共和国に併合され、一国二制度が導入される。
- ドイツ民主共和国は近年、アメリカと対立を深めていき、同じく独裁国家でアメリカと対立している中国やロシアと関係を深める。
- 中独露で新枢軸国と揶揄される。
- まだ現実では起きていないので、不確かなことが多いが、アメリカ、日本、イギリス、フランス、イタリア、韓国、中華民国を中心とする民主主義・自由主義国家の西側諸国による連合国と中国、ドイツ、ロシア、北朝鮮、イラン、ベラルーシ、シリア、ベネズエラを中心とする反米独裁国家の東側諸国による枢軸国による第三次世界大戦が勃発した場合、共産ドイツはまたしてもポーランドに侵攻し、世界大戦を三度も起こしてしまったことになる。
- これで枢軸国が負けた場合、ドイツは世界大戦に3回全て負けてしまった国となり、特に戦勝国(連合国)の人からドイツは蔑まれる。
- 日本やイタリアですら第一次世界大戦と第三次世界大戦、中国とロシア(ソ連)ですら第一次世界大戦と第二次世界大戦で勝っているのに、ドイツは世界大戦に1回も勝っていない。
- これで枢軸国が負けた場合、ドイツは世界大戦に3回全て負けてしまった国となり、特に戦勝国(連合国)の人からドイツは蔑まれる。
- ドイツが共産化しているので、1972年の夏季オリンピックはドイツで開催されず、開催地投票でミュンヘンに次いで票数が多かったマドリードで開催されていた。
- 1992年のオリンピックは、1900年、1924年大会に続きパリで3回目の開催となっていた。
- そして、2024年大会に史実通り立候補して開催地に選ばれ、オリンピック史上最多の同一都市での4回目の開催が実現する。
- 1992年のオリンピックは、1900年、1924年大会に続きパリで3回目の開催となっていた。
- 冷戦終結前後に民主化していた場合、統一社会党は社会民主党に党名を戻していた
- 史実では東ドイツの支配政党である統一社会党は共産党と社会民主党が合併して成立した政党のため
- 後に90年代中期に社会民主党の制作に反発するグループが離脱して統一社会党再建派を結成していた
- 統一社会党再建派は00年代中に左翼党に党名を改名していた
自動車業界編[編集 | ソースを編集]
ここではドイツ全体が社会主義陣営に入った場合、世界の自動車業界はどうなるか推測します。
- 世界市場におけるドイツ車の台頭は絶対に無かった
- 日本人がイメージする外車と言えば今でもアメ車
- 日本で一番売れる海外自動車メーカーと言えばフォードモーターかシボレーになっていた
- キャディラックやリンカーンの日本での独自ブランドでの展開もあり得た
- GMの保持するビュイックも日本で撤退せずシボレーと併用ながら現在も販売が行われてる
- 日本車が史実以上に幅を利かせていた。
- ドイツ車の台頭が無いのでGMの倒産やデトロイト衰退及びの破綻も数年遅れていた
- 世界中の王公族や首脳陣が使う車はロールスロイス、キャディラック、リンカーンの何れかだった
- 日本車が入っていた可能性もある。
- ロールスロイスもベントレーと分割、売却なんて無く、ロールス・ロイス・ホールディングスが現在も商標権を保持している
- 世界中の王公族や首脳陣が使う車はロールスロイス、キャディラック、リンカーンの何れかだった
- アウディやベンツが低品質になるのでレクサスブランドの台頭が史実より早まっていた
- 当然レクサスブランドが日本展開されるのも数年早まっていた
- 日産が保持するインフィニティブランドも史実より早い時期に台頭、場合によっては日本でもインフィニティブランドが展開されていた
- 下手すると東西冷戦終結後に史実とは逆にダイムラーベンツがクライスラーに吸収合併され本社もオーバーンヒルズになっていた
- 日本でのドイツ車=高品質なイメージをもたれる事は無く、現実世界のトラバントのような低品質な製品ばかりのイメージになっていた
- 「戦前は高品質だったのに落ちぶれた」というイメージになっていた。
- 史実のビートルの愛称で知られるフォルクスワーゲンタイプ1の設計者であるフェルナンド・ポルシェの名前を知ってる人は誰も居ない
- その代わりMiniの開発者であるアレックス・イシゴニスの知名度は更に高くなっていた