宇和島市
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宇和島市の噂[編集 | ソースを編集]
- 2005年8月1日に、旧宇和島市、旧北宇和郡津島町、旧北宇和郡三間町、旧北宇和郡吉田町が対等合併し、新生宇和島市が誕生した。
- それは「新設合併」というのですよ。
- 1975年4月1日に北宇和郡宇和海村を編入合併したが当の市民ですら具体的な場所を把握しておらず忘れ去られている。
- それは「新設合併」というのですよ。
- 人口の流出が激しい。
- 南予地方やからしゃーない。
- 市街地周辺はみかん畑が多い。
- 海面養殖業が盛ん。
- 宇和海での真珠養殖は生産高で日本一に輝いたことがある。
- 宇和海で水揚げされた鯵を、「伊達あじ(ダテアジ)」としてブランド化している。
- この辺、ハマチや鯛も旨い。ちょっと高い寿司ネタに供される。
- 伊予柑ばっかりを食わせて育てたハマチもあるそうで……
- 某回転寿司チェーンの「宇和島みかんぶり」が全国的なブームになったが、市民の認知度が低過ぎて面食らった。
- 伊予柑ばっかりを食わせて育てたハマチもあるそうで……
- 南部最大の都市で、高速道路が開通予定。
- 市内の一部は宇和島道路(無料)として開通している。
- 市街地を通過したい人が利用する。
- 市外の人間だけどまるで都市高みたいだったよ。
- 現在旧津島町までの延長は決定されている。
- 津島高田ICまで伸びてたはず。北は数年前に松山道と接続しているはず。
- 市街地を通過したい人が利用する。
- 巨大な闘牛場がある。
- 牛たちは、この試合のためにモウ練習する。
- 特急列車や、鉄道の終着駅だ。
- かの司馬遼太郎は「日本国の街道の行き着く果て」と著している。
- JR予讃線・予土線の終点駅。南宇和郡愛南町民がちと可哀想…。
- 駅弁といえば、闘牛弁当。
- 既に販売はされていない。
- 初詣といえば、和霊さん。
- 否!やっぱり東洋の秘所地、凸凹寺だろっ!
- 性文化財凸凹神堂(凸凹寺:多賀神社)由来↓
- 性は宗教なり、哲学なり、性は道徳なり、科学なり、性は生命なり、人生なり、先代久保盛丸(クボモリマル)神主はここに悟道し、大生殖宗を開基せり、凸 凹寺とは寺に非ず陰陽研究の道場にして、浩瀚なる著書を開版す、それに加えて、現代凸凹丸(アイマル)宮司が世界の性宗教、民俗、風俗資料文献など数万点 を蒐集し、世界最高の性文化財資料館凸凹神堂に発展させたものであります。
- 多賀神社は18歳未満立入禁止。性器の形をした飴なども販売。
- 凸凹神堂は未成年だったような…。にもかかわらず何気に「まもるくんの家」(子供が緊急時に駆け込める所)だったりする。
- 「緊急時」なので全然OK。もっとも子孫繁栄だから緊急時でなくてもOK。
- 凸凹神堂は未成年だったような…。にもかかわらず何気に「まもるくんの家」(子供が緊急時に駆け込める所)だったりする。
- 多賀神社は18歳未満立入禁止。性器の形をした飴なども販売。
- 性は宗教なり、哲学なり、性は道徳なり、科学なり、性は生命なり、人生なり、先代久保盛丸(クボモリマル)神主はここに悟道し、大生殖宗を開基せり、凸 凹寺とは寺に非ず陰陽研究の道場にして、浩瀚なる著書を開版す、それに加えて、現代凸凹丸(アイマル)宮司が世界の性宗教、民俗、風俗資料文献など数万点 を蒐集し、世界最高の性文化財資料館凸凹神堂に発展させたものであります。
- 性文化財凸凹神堂(凸凹寺:多賀神社)由来↓
- 和霊大祭(7月23~25日)の曲は宇崎竜童が担当。
- 否!やっぱり東洋の秘所地、凸凹寺だろっ!
- レストラン・焼肉店・回転寿司といえば「東洋軒」だ!
- チャンポンといえば菊屋だ。
- ショッピングといえば、北宇和島のフジである。
- 九島の人は新橋だ。
- フジ宇和島店はフジの第1号店ということがいまでは忘れられている。
- フジ丸の内店があった(旧丸百)。
- 「フジは高い」というのは地元に長い人の間では定説。おかげで「きさいや広場」や近年進出してきているディスカウントスーパーに客は流れている。
- お土産といえば、善助餅だ。
- 善助餅は厳密には津島。宇和島の純銘菓は大番とか唐饅とか。
- ファーストフードといえば、かつては「グリコア」だった。
- 観光バスは、「真珠会館」(物産会館)に立ち寄る。
- 海産が盛んで、多数の海鮮加工品(じゃこ天、かまぼこ等)がある。
- 宇和島蒲鉾協同組合による「宇和島じゃこ天味めぐり帖」というパンフレットがあり、宇和島のじゃこ天マップとじゃこ天豆知識が掲載されている。(南予各地の観光地、書店等で配布中。)
- じゃこ天の歌まである。
- 宇和島蒲鉾協同組合による「宇和島じゃこ天味めぐり帖」というパンフレットがあり、宇和島のじゃこ天マップとじゃこ天豆知識が掲載されている。(南予各地の観光地、書店等で配布中。)
- 県外では、佐渡島のような島と間違われることがある。
- 「世界の中心で愛を叫ぶ」の本当の舞台。
- 宿毛(高知)に出た方が、乗り換えもないし岡山まで早く着く。
- 宇和島運送株式会社のトラックの右側を見ると『まじわう』になっているので、宇和島市外の人は度肝を抜かれる。
- 郊外に山を切り開いたモトクロスのコースがあるが、すべて一人で作ったコースでもある。
- 実は伊達藩。
- しかも明治維新で官軍についたため、仙台の本家より格上の爵位をもらった。
- 岩村明憲の出身地。
- 「土居中」という地名がある。
- 読みは「どいなか」。
- 牛鬼祭や正月三が日の和霊公園の道沿い露店が年々神社側へ縮小している。
- 「宇和島CC」が合併で正式に宇和島市内になった。
- 「こくぼ」は「石応」と書く。
- 1927年7月22日に当時の最高気温40.2℃を観測し、1933年7月25日に山形市に抜かれるまで日本一だった。
- 滑床渓谷という渓谷がある。「滑床」という名前の通り、滑らかな岩肌なので、ラフティングの名所になっている。
- ただ、滑床渓谷は松野町にあると思われている。松野町を経由しないと行けないため。
- この辺の開発(森の国ホテルなど)も松野町が行ってきたし。
- ラフティングじゃない、「キャニオニング」。あんな渓谷でラフティングは出来ない。
- 今「キャニオニングの聖地」と言われるが言い過ぎではないと思う。全国区の番組で頻繁に取り上げられている。
- ただ、滑床渓谷は松野町にあると思われている。松野町を経由しないと行けないため。
- 遊子の棚田に、先人たちが苦労して山を耕したその苦労が見て取れる。
- 大昔は南予の沿岸至る所にあったが今ではここ以外ではなかなかお目にかかれない。ことごとくミカン畑に転用されたからである。
- 遊子の読み方は「ユウコ」ではなくて「ユス」。
- 大昔は南予の沿岸至る所にあったが今ではここ以外ではなかなかお目にかかれない。ことごとくミカン畑に転用されたからである。
- 80年代末期から2000年の初め頃まで、「巨大迷路」なる建造物が長堀付近にあった。
- 松山市から100km程度あるので中予地方と当市との間の交流は少ない。
- 高知県南西部との結びつきが強い地域でもある。
- 国道56号や320号の標識には「四万十市(旧中村)」や「宿毛」などとあるので意外と近いのかも知れない。
- フジ一号店のあった街。(本社は松山市)
- フジグランは北宇和島店がある。
地域別の噂[編集 | ソースを編集]
旧・吉田町[編集 | ソースを編集]
- 旧吉田町の伊予吉田駅には一部の特急宇和海が停車する。
- いつの間にか全部停まるようになってた。無人駅なのに。普通列車が2~3時間に1本しか来ないから不便、ということもあるのだろうが。
- 宇和島バスが全区間高速道路経由になったら宇和島からの客が減りそう、しかしバスが来なくなった吉田の客を取るチャンスだ、低速で通過するくらいなら、いっそのこと全部停めてしまえという判断かと
- 通過は低速だったので、停車したところで1分ほどしか所要時間は増えていない。
- いつの間にか全部停まるようになってた。無人駅なのに。普通列車が2~3時間に1本しか来ないから不便、ということもあるのだろうが。
- 56号線の法華津バイパスは、大阪万博のときに開通したが、記録映画があったことは知られていない。
- そのインパクトがどれほどのものか、旧道を通ってみればすぐにわかるはず。特に吉田以南にとっては大革命だった。
- 国道56号線沿いに神社にしか見えない図書館がある。
- 宇和島藩と江戸時代の間ずっと骨肉の争いをやっていた、伊予吉田藩があった。
- 伊達家のゴタゴタで出来た宇和島藩内であったゴタゴタで生まれた藩だが、裏で糸を引いてた人物、仙台伊達騒動に絡んだり、吉田藩で異常があった時に、仙台伊達家の命令で宇和島藩が介入したりと色々物騒。
- 宇和島から藩主を何度か送り込まれたりするも、その藩主が、自分の親兄弟(宇和島)に楯突くこともしばしば……
- 挙句明治維新の時には、朝廷側で活躍する宇和島伊達家を尻目に、佐幕派として大活躍をする。
- 最後は、宇和島藩のとりなしで、家を守られるあたりがなんとも……
- こんな街が、宇和島の支配下に…… 人の世とは因果なものよのう……
旧・津島町[編集 | ソースを編集]
- 合併前は、他の北宇和郡と旧・宇和島市で分断された状態だった。
- 北灘といえば釣りのメッカ。
- 今伊方町にある原発は当初このあたりに造られる予定だったという。
- 鉄道が通っていない。
- 「稲中」という地名がある。読みは「いなか」。
- 「嵐」という地名がある。宇和島自動車のバス停ストラップが売れたり全国から嵐郵便局を訪れるファンがいるらしい。
- 津島町内に小学校は7つもあるが、「津島小学校」なるものは存在しない。
- 少なくとも平成初期には「少年自然の家」という、廃校を利用したらしい小学生用の集団宿泊施設が海岸近くにあった。
旧・三間町[編集 | ソースを編集]
- 「三間」の名は鬼北地域全域を指す名前でもあった。
- 合併では宇和島につくか広見につくかで散々揉めた結果、結局宇和島についた。
- 生活の面では今でも鬼北町とのつながりが深い。しかし、警察の方は鬼北警察署があったころからここは宇和島警察署の管轄だった。
旧・宇和海村の噂[編集 | ソースを編集]
- 平成の大合併前にはもう宇和島市に合併されていた。
- リアス海岸なので漁場に恵まれている。
- というのも、豊後水道の急潮と北からの底入り潮がぶつかり、ちょうど良い感じに仕上がったという。
- 戦後初期、ねずみの大量発生で農作物が軒並みやられたのはここ。
- 戸島は一条兼定が長宗我部氏との戦いに敗れ逃げ落ちた島。
- 日振島は南予レクリエーション都市開発構想でキャンプ場などが作られそうになった。
- 1960年代までは名実共に「陸の孤島」だった。