もしJR東日本の車両が○○だったら
JR北海道
○○を導入していなかったら
- uシート
- おそらくエアポートは全席自由席化、もしくは廃止されていた。
- 廃止されなかったとしても721系8次車の導入はなかった。
- 721系の他に731系・733系(3両)・735系も使えるようになるので車両繰りが容易だったかもしれない。
- エアポートへのオールロングシート車の投入はなく、721系の後継車種として723系(733系の転換クロスシートバージョン、但し車端部はロングシート)が投入されていた。
- 特急「カムイ」「ライラック」はほぼ全列車が新千歳空港まで乗り入れ、全区間特急として運行されていた。
- Kitaca
- 他社のICカードのほか、札幌圏でSAPICAも使えるようになっていたかもしれない。
- むしろSuicaを導入していたのではないかな?
積極的に○○していたら
- 車両の更新
現実のJR北海道は赤字体質のため車両の更新に時間が掛かっているようです。もし積極的に車両の更新をしていたら?
- キハ150・キハ201系が現実よりも早く投入されていた。
- キハ141も生まれなかった。
- 「はまなす」が気動車化されていた。
- ディーゼル機関車も新しくなっていた。
- 電化
- 現実よりもJR北海道の特急列車が電車化されていた。
- キハ281やキハ283といった振り子式気動車が生まれなかった。
札幌駅南口の再開発をしていなかったら
- JRタワーやステラプレイスなんて存在しなかった。大丸も出店しなかった。
- それでも史実通り4代目駅舎の取り壊しは行われた。
- 商業施設が少ない北口の方で再開発をしていた。
- 新幹線ホーム位置でゴタゴタになることはなかった。
JR東日本
車両形式名の頭にEを付けていなかったら
- 在来線車両
- E217系・E231系・E233系はそのまま217系・231系・233系になっていた(他のEの付いている車両も同様)。
- E721系はおそらく723系を名乗っていた(721系は既にJR北海道にあるため)。
- それはないかと。207系が国鉄時代に常磐緩行線用に作られていたが、民営化後西日本は別形式で207系を作ったため。
- 207系は車番被ってない(900番台/0・500・1000・1500・2000番台)からいいけど、721系とE721系は車番被ってるよ。
- 実際723系は北海道でデビューしたので、725系になる予定だったらしい。
- 731系?
- 実際723系は北海道でデビューしたので、725系になる予定だったらしい。
- 207系は車番被ってない(900番台/0・500・1000・1500・2000番台)からいいけど、721系とE721系は車番被ってるよ。
- それはないかと。207系が国鉄時代に常磐緩行線用に作られていたが、民営化後西日本は別形式で207系を作ったため。
- 一般形気動車は、キハE120→キハ170、キハE130系→キハ210系、キハE200→キハ230となる。
- HV−230系かな。
- 口の悪い一部の鉄道愛好家から「ヨ」と呼ばれない。
- もしかしたら、現実のJR東海のように今も車両の車番書体は国鉄書体を使用しているかもしれない。
- 新幹線車両
- E1系は予定通り600系を名乗っていた。
- E2系は800系になっていた。
- 九州新幹線の800系は別の形式名になっていた。
- E3系・E4系は1000系・1200系になっていたかも。
- 1000系は1962年に既に存在したからなあ・・・。まあ207系みたいになるか。
- N700系が正式名称として製造された場合、E5系・E6系はN700系10000番台になっていた。
- 更に2012年以降E5系として製造される予定だった車両はN700系12000番台になっていた。歴代新幹線の中でも類を見ない車番インフレだったかもしれない。
- N200系・N400系かもしれない。
- 1000系?(JR九州800系)からデフレ現象が起きて素直に10系になっていたかもしれない。その場合、E3は11、E4は12、N700は13、E5は14、E6は15系等々‥。それからJR東海は700系ジレンマ(700、N700、N700A)に陥らなかったかもしれない。まるでキャノン「1」シリーズだ(F-1、EOS-1、-1D等)。
- 更に2012年以降E5系として製造される予定だった車両はN700系12000番台になっていた。歴代新幹線の中でも類を見ない車番インフレだったかもしれない。
- E2系は800系になっていた。
- JR西日本に頭文字がWの車両はいなかった。
- JR北海道も頭文字がHの車両はいない。
○○に意欲的だったら
他のJR各社では意欲的なものであってもJR東日本では消極的なものがいくつかあります。
転換クロスシート車両
JR東日本は他のJR各社とは異なり、転換クロスシートの採用に消極的です。もし、転換クロスシートの採用に意欲的だったら?
- 鉄道ファンの評価が上がっていた。
- 川島令三も大喜び。
- E217系は当初の採用案であった転換クロスシート案が実現していた。
- その後登場する一般車両も転換クロスシートを採用している。
- あっても、E231系とE233系の湘南色じゃないかな?
- その後登場する一般車両も転換クロスシートを採用している。
- JR東日本は着席通勤に対する理解を深めていた。
- その代わり常磐線や中央快速線にグリーン車が連結されることはなかった。
- E127系、E129系、E721系は転換クロスシートで製作されていた。
- キハE130系も転換クロスシートで製作されていた。
- 仙石線の205系は転換クロスシートに改造されていた。
- 2wayシート車はなかった。
- 房総地区用の209系も転換クロスシートに改造されている。
- 東海道線及び高崎線や宇都宮線で使われてるE233系の普通車も転換クロスシートだった。
- 混雑の悪化に伴い、E233系以降転換クロスシート車は通勤ライナー兼用の一部車両のみとなり、他はロングシートになっていた。
- 中電路線のラッシュ時の混雑がさらに悪化していた。
- 京浜東北線はE233系への更新ついでに11両化されていたかもしれない。
- 但し首都圏では混雑の激化に伴い、2001年12月以降は転換クロスシート車を朝夕ラッシュ時の一般列車には使用しなくなり、朝夕ラッシュ時は専ら通勤ライナーとして使用されるようになった。
地方交通線を主体とする優等列車
JR東日本は地方交通線を主体とする優等列車は廃止されたり快速に格下げされるほど設定に消極的ですが、もし、地方交通線を主体とする優等列車の設定に意欲的だったら?
- 急行「陸中」は快速「はまゆり」への格下げではなく、特急に格上げされていた。
- 「リゾートしらかみ」をはじめとする観光快速列車は間違いなく特急になっていた。
- JR東日本も本格的な特急型気動車を保有していた。
- JR東日本は史実のJR九州のような体質になっていた。
- 必要以上な特急誘導だと叩かれていた。
- JR東日本は首都圏で採算が取れるからローカル線に特急は不要という考えを持っていなかった。
- 大糸線も特急の本数が削減されることはなかった。
地方駅へのICカード導入
JR東日本はSuicaの地方駅への導入には消極的ですが、もし、JR西日本やJR九州並みに導入に積極的だったら?
- 長野、盛岡、秋田地区にも本格的に導入されていた。
- 地方交通線でもサービスエリアが拡大されていた。
- 八戸線、大湊線は孤立しているのでどうなるのやら。
- 東北本線では全区間でICカードが利用できるようになっている。
- ワンマン列車にもSuicaが利用できるようになっていた。
- JRバス東北にもICカードが利用できるようになっていた。
- 特に福島では福島交通とのサービス面での格差も起きなかった。
- 導入されてないJR東日本県都はすべて利用出来てた。
- =JRで株式上場している会社のエリアの全ての県で使えるようになっていた。
古い車両の改造・更新
もし、JR西日本並みに古い車両の改造・更新に積極的だったら
- JR発足後は古い車両の更新に積極的でしたが。
- 流石に山手線は新型車両は導入していたはずだろう。
- E233系が京葉線、埼京線、横浜線、南武線に導入されることは無かった。
- 2020年ごろに205系転属車に置き換えられるまで103系が使用されていた。
- もしかすると東北地方が「国鉄東北」と揶揄されていたかもしれない。
- 國鐵東北では。
- 常磐線上野口を追われた415系鋼製車は耐寒化改造を施したうえで仙台に転属、玉突きで455系・417系が盛岡や秋田、青森に転出して客車列車を置き換えていた。そのため701系は登場しなかった。
- 209系は計画されなかった。
- 武蔵野線以外の205系も5000番台化改造が行われていた。
- 211系のVVVF化改造ももちろん実現していた。
- 各地の車両工場に○○改造センターが作られる。というか車両が多すぎるというのが古い車両の更新に消極的になった理由だから。
特急形車両のグリーン車が3列シートを堅持していたら
JR東日本の特急形車両のグリーン車はJR発足後は3列シートを採用し、他のJR各社にも波及しましたが、255系以降、定員確保の観点から基本的に4列シートに移行しています。もし、3列シートを堅持していたら?
- なお、255系以降に登場したE653系のいなほには3列シートで登場しました。
- E3系のグリーン車は3列シートだった。
- E257系のグリーン車は普通車との合造車になることはなかった。
- その分、普通車の定員確保の観点から全て11両編成で製作された。
- E657系のグリーン車に無駄なスペースが生じることはなかった。
- JR東海も在来線特急形グリーン車での3列シート導入を積極的に行っていた(因みにJR東海の在来線特急で3列シートなのはキロ85形のみ)。383系のグリーン車は3列シートで登場していた。
- 他のJRよりグリーン車の値段が安くなることは無かった
特急・新幹線の全席指定を推進していなかったら
JR東日本は特急や新幹線の全席指定を推進していますが、もし、推進していなかったら?
- 特定特急券という制度は存在しなかった。
- 東北新幹線盛岡以北の列車にも自由席が設定されていた。
- 「こまち」も現在でも自由席が設定されている。
- 「スワローあかぎ」はなかった。
- 常磐線特急は現在でも自由席が設定されている。
- 「成田エクスプレス」だけはほぼ現実と変わらなかった。
混色編成に寛容だったら
JR東日本では初代社長の一声により、車体塗装の異なる路線への転属時は必ず塗り替えを行うようになりましたが、この方針が導入されなかったら?
- 103系910番台は山手線から転出後に色違いのユニットを組んだ。
- 東中野事故の廃車補充で三鷹電車区に転入した103系は4色編成になる。
- 113系2000番台は房総地区に転属後もしばらくは湘南色のままだった。
- 逆に2009年からの湘南色復刻はなかったかもしれない。
路線の愛称設定に消極的だったら
- 上野東京ラインや湘南新宿ラインという名称はなく、東北線・高崎線・常磐線・東海道線・横須賀線直通と案内していた。
- 新宿経由は誤乗を防ぐため、新宿で行き先を変更していた。
- 宇都宮線という愛称はなかった。
- それでも埼京線や京浜東北線は現実通り。
車両計画が完璧だったら
JR東日本の車両計画は新車導入終了後も置き換え対象となる在来車が結果的に残留したり量産先行車を登場させては本格的な増備には至らないこともあるなど、いい加減なところもありますが、もし、車両計画が完璧だったら?
- 「JR東日本の車両計画はいい加減」「JR東日本の車両計画はやる気がない」と言われることはなかった。
- 「JR東日本は車両計画が完璧で定評がある」と言われていた。
- ここに書かれている車両のいくつかは確実に増備されていた。
- E233系7000番代は製造時からATACSを搭載しており、改造工事のために205系が1編成だけ残留することはなかった。
- E657系は空席表示を製造時から設置しており、651系が一時的に復活することはなかった。
- E233系8500番台は登場しなかった。
- 車両計画を突発的に変更することもなく、製造数の差し引きもなかった。
- 製造数の差し引きで在来車が1~2編成だけ残留することもなく、残留した車両の処遇が注目されてしまうこともなかった。
- 京葉線の209系500番代は運用見直しで削減だの京浜東北線のE233系転用による置き換えだのと噂されることはなかった。
- E331系廃車時にE233系5000番台を追加増備して同車を武蔵野線に飛ばしていたかもしれない。
- 103系は当初の予定通りに2005年に全廃することができていた。
- 仙石線や常磐線快速の103系の一部が残留することもなかった。
- 京葉線の209系500番代は運用見直しで削減だの京浜東北線のE233系転用による置き換えだのと噂されることはなかった。
- 製造数の差し引きで在来車が1~2編成だけ残留することもなく、残留した車両の処遇が注目されてしまうこともなかった。
JR東海
JR中部だったら
JR東海は英語で「JR Central」と表記しますが、もし英語訳の通り「JR中部」だったら、いったいどうなるのでしょうか?
- 北陸の人は違和感を感じる。
- のちにJR西日本から分離して編入。
- 編入後、下のリンク先のような状況になること必至。
- こっち同様、「JR中日本」という表記もありかと。
- 西日本の新快速は一部を除いて米原止まり、もちろん琵琶湖線の区間も米原以南。
- むしろ豊橋~敦賀までの直通運転する新快速が出来そう。
- この場合米原駅構内は全てJR中部になるので彦根止まりでは?
- のちにJR西日本から分離して編入。
- 広報に前田亘輝氏を起用。
- 夏が一番もうかる。
- 北陸の国鉄車がなくなっていた。
- 「しR倒壊」と揶揄されることはなかった。
- その代わり「しR厨悔」と揶揄されていた。
- 一文字略称では「申」が使われる。
- 名古屋周辺部が中部鉄道事業本部の直轄になる。
- 車両の所属標記が「海○○」ではなく「中○○」になっていた。
- 静岡支社の他に長野支社・金沢支社もこちらに。
- 飯田・中津川・高山・米原に支社境が置かれる。
- 管轄は現実のJR東海&北陸本線・七尾線・城端線・高山本線(猪谷~富山)・中央本線(塩尻~大月)・篠ノ井線・飯山線
- エリア的に小海線・大糸線・信越本線の篠ノ井~直江津間も管轄かと。
- 北陸新幹線(長野以北)もJR中部管轄となる。
- もしかしたら、北陸本線は三セクにならなかったかも。
- 北陸開業後もサンダーバードは一部は富山まで乗り入れていたかも。
- 北陸3県&新潟(直江津以西)は、現実の静岡と同様に冷遇されていたかも。
- 名古屋市営地下鉄を買収し「名古屋チューブ」と改名する。
新幹線至上主義に走らなかったら
「のぞみ」設定以降、新幹線至上主義に走ったJR東海ですが、もし、新幹線至上主義に走らなかったら?
- 空港連絡に積極的になっていた。
- 武豊線の中部国際空港乗り入れが実現していた。
- 静岡空港駅の開業が実現していた。
- イベント列車の運行は現在でも積極的に行われていた。
- 「トロッコファミリー号」は廃止されなかった。
- 参宮線にもイベント列車くらいは運行されていただろう。
- 「のぞみ」に自由席が設定されることはなかった。
- 編成・座席数の統一も徹底されなかった。
- 東海道新幹線は現在でも車両のバラエティに富んでいた。
- ゲーム、ビデオなど鉄道ファン向けの商品にも協力的になっていた。
- 浜松工場以外の車両基地・工場の一般公開にも積極的になっていた。
- 機関車牽引の客車列車を全廃するということもなかった。
- 高山本線などで蒸気機関車を使用した観光列車の運転も行っていた。
- 電気機関車やディーゼル機関車の運転士の養成も行っていたかもしれない。
- =「もし東海が須田寛初代社長の退任後も須田路線を継承していたら」。
- 佐久間レールパークや美濃太田の多くの保存車両が解体されてしまうこともなかった。
- 史実ほど静岡冷遇はされなかった。
- 在来線の特急用グリーン車は3列シートを採用し続けていた。
静岡冷遇がなかったら
- それでも史実通りロングシート車が導入されていた。
- 211系にトイレが取り付けられていた。
- 静岡に快速が出来ていた。
- のぞみが静岡に停車していた。
- のぞみは小田原と静岡と浜松と豊橋の千鳥停車。多い時間帯は現実通り東京、品川、新横浜、名古屋、京都、新大阪にすることで、リピーターを確保。
- 東海が廃止されることもなかった。
観光列車に積極的だったら
JR東海はほかのJR各社とは異なり、観光列車の運行に消極的ですが(過去にはトロッコファミリー号やトレイン117などがあった)、もし、観光列車の運行に積極的だったら?
- 参宮線が残念な路線扱いされることはなかった(泣)。
- 参宮線には近鉄に対抗する形で「しまかぜ」や「つどい」を意識した観光列車を運行していた。
- 松坂牛に因んだグルメ列車を運行していた。
- 急行「しま」(史実では2013年に運行された)は運行されなかった。
- 快速「みえ」の指定席車にもキハ85形に準じたデッキ・化粧室付きでリクライニングシートの車両が導入されていた。
- 飯田線にはトロッコファミリー号やトレイン117の後継車両が登場していた。
- 身延線や御殿場線には富士山に関連した観光列車を運行していた。
- 同様に、アニメとのコラボにも積極的になっていたかもしれない。
- 経営体力はそれなりにあるので種別は快速クラスであり、料金設定もリーズナブルなものとなっていた。
コーポレートカラーが青だったら
- 車両の帯が211系0番台シティーライナーみたいな塗装になっていた。
- 特急型車両も新幹線100系…もとより371系みたいなカラーリングに。
- JR西日本のコーポレートカラーは茶色になっていたかも。
JR西日本
JR発足後より地方への新車投入が積極的だったら
JR西日本の新車はJR発足間もない頃は地方への新車投入は消極的であり、導入するにしても自治体が負担していましたが、もし、JR発足後より地方への新車投入に積極的だったら?
- 広島地区
- 「國鐵廣島」と揶揄されることはなかった。
- 広島地区には221系ベースの新車が投入されていた。
- 115系非冷房車を置き換えるために103系が転入することはなかった。
- 北陸地区
- 471系はとっくの昔に形式消滅していた。
- N40がされることはなかった。
- 221系ベースの交直流版が投入されていた。
車両単色化にあの色があったら
実際は黄・青・深緑・水色・赤・朱色だけど、他の色もあったら。
茶色
- 「阪急のパクリ」とか「ウ○コ電車」とか言われる。
- 117系ならオールドファンが「茶坊主復活」と喜ぶかも?
- もっと言えば、旧国時代の「葡萄色」と変わりない。
- 錆びて塗装が剥がれ落ちても目立たないので、現場からは喜ばれる。
- 事業用車の単色化という感じで使えそうな気がする。結構現実的かも。
スカーレット
- 「名鉄のパクリ」と言われる。
- 新快速なら「風と共に去りぬ」と評判になる。
- ネット上では経営だけでなく車体も赤字化されたのかと叩かれる。
白
- 最初はまだいいが、だんだん汚れが目立つようになっていた。
- 頻繁にラッピング車両になる。
黒
- 「ゴ◯ブリ」と言われる。
- ヒカリアンファンからは「ブラッチャー軍団の仕業」だと言われる。
- 夜間の保線作業員は戦々恐々としながら作業。
- はやとの風は?
- 黒色は熱を吸収するために夏場は冷房が大変なことになりそう。
金色
- 塗料代がかかり、経費削減ができない。
- 導入されるとしたら金沢地区か?
- 見るたび目がチカチカするため大不評。
- ステンレスな車体にオレンジ色のフィルムを貼るので済ませそう・・・
- 103・105系の場合、どこぞのモビルスーツから取って「百式」という愛称で呼ばれたり・・・
ピンク
- おそらく誰も乗らなくなる
- 全車女性専用車両だ。
- 導入するとすれば岡山地区か?(桃太郎にちなんで)
- 交直流車に間違えられてしまう。
オリーブドラブ
- 自衛隊所有車と勘違いされた。
- そのため、左翼団体が「軍国主義の車両反対」と抗議の申し入れを行う。
銀色
- JR西日本は「ステンレス車風塗装」として大威張り。
- 極細ながらラインカラーのテープも貼られる。
- でも、塗装が剥がれた所から錆びてきてお里が知れる。
漆色マジョーラ塗装
- JR東日本の御料車E655系並の豪華な塗装、として自慢する。
- 塗装の保守コストが掛かってしまい、従来の二色のほうが安いと後から気がつく。
濃い目のグレー
年月が経ったアスファルト舗装のような色
- 汚れが目立ちにくく、褪色も目立ちにくいとなるとやはりこの色か。
- 雨が降りそうな曇り空のもとでは殆ど迷彩色と言えるだろう。
- あまりにも陰気な色の電車に、子どもたちからは大不評だろう。
淡緑
- 青大将、復活。
- 381系とか485系(直流化改造車含む)だったらありえたかもしれない。
- しかし、昔と比べ編成が短いので青虫呼ばわりされてしまう。
セイジクリーム
薄茶色
- 段ボール箱のような色なら、ガムテ補修しても目立たないので、現場から喜ばれる
透明素材
- 外から車内が丸見え。
- 鉄道車両を製造しているメーカーでアクリルをベースにした透明素材が開発されたのを記念してPR用に製作。
- 鉄道ファンからは「透明電車」の異名を奉られる。
鏡面仕上げ
- 晴天時は駅のホーム進入時にあちこちに反射光を振りまいて乗客が困る。
- 鉄道ファンからは「万華鏡電車」の異名を奉られる。
ライトグレー
- 301系や京成3400形よろしく、アルミ車、ステンレス車テイストの塗装となる。
- 銀色よりコスト面では有利かも。
関連項目
JR四国
ICカードが自社オリジナルだったら
JR四国のICカードは当初、自社オリジナルのものを検討していましたが、導入が先送りされた状態が続き、結局はSHIKOKU ICOCAの導入に至りました。
- 子供用と定期券も設定されていた。
- 四国の私鉄各社と相互利用できるようになっていた。
- 高知、松山地区にも導入されていた。
- 会社規模が小さいので全線で導入されそう。
- ネーミングはSHIKOCAになるのだろうか。
- JR四国バスにも導入されていた。
- これにより、JRバスの路線バスの中でICカードがないのはJRバス東北だけになっていた。
- 現実で、JR四国バスの大栃線でですかが使えるため、独自仕様も含めればそうですが。
- これにより、JRバスの路線バスの中でICカードがないのはJRバス東北だけになっていた。
- それでも一応全国利用可能にはなっている。
- はやかけん同様、全国利用カードでありながら他地域での知名度が非常に低かった。
2両編成以上のワンマン運転を認めていたら
現在ワンマン運転を行う場合は1両単行のみで2両編成で行う場合は2両目の車両は回送扱いで乗車できません。
- ワンマン運転を行う列車が増えていた。
- ワンマン運転を行う特急が存在していた。
- 特に県庁所在地を結んでいなかったり、途中で分割・併合を行わない列車。
車両形式が他のJR各社と同じだったら
JR四国の車両形式はJR発足後に登場した形式は他のJR各社とは異なり、4桁の数字を採用していますが、もし、他のJR各社と同じだったら?
- 2000系はキハ187系として登場していた。
- 史実のキハ187系はキハ189系、キハ189系はキハ171系あたりになっていた。
- 7000系は125系として登場していた。
- 史実の125系は127系か131系として登場していたのだろうか。
- 8000系は383系として登場していた。
- 史実の383系は385系となっていた。
- 5000系は223系の番台区分で済ませていた。
- 7000番代あたりになっていた。
- むしろこっちが6000番台を名乗り、史実の6000番台が7000番台を名乗っていた。
- 5100形はクロハ223形となっていたが、他の223系にグリーン車はないので0番台を名乗っていた。
- 7000番代あたりになっていた。
- 6000系は219系として登場していた。
- 1000系はキハ131系あたりになっていた。
- 121系の車両リニューアルに際しては7200系への改番はなく、番台区分で済ませていた。
- 8600系は387系として登場していた。
- 2600系はキハ287系として登場していた。
JR九州
特急列車至上主義でなかったら
- 鹿児島本線のきらめき同等の停車駅の特別快速があった。
- 小倉-博多-大牟田を30分間隔(快速と合わせて15分間隔)、最高速度130km/hで運転。小倉-博多は48分、博多-大牟田は49分で結び、西鉄高速バスや西鉄天神大牟田線特急とデッドヒートを繰り返していた。
- 快速の停車駅も史実よりもっと少なく、ましてや準快速などは運行されなかった。
- 西鉄も関西や中京の私鉄と同様に、JRの攻勢には勝てず防戦一方に立たされていた。天神大牟田線特急の停車駅はさらに増加し、日中時間帯の急行は特急に統合される形で廃止されていた。
- JR九州の一般車は2010年代以降も転換クロスシートを維持し、811系のリニューアルもロングシートではなく転換クロスシートのままで実施されていた。
- 821系も車端部以外は転換クロスシートで製造されていた。
- 小倉-博多-大牟田を30分間隔(快速と合わせて15分間隔)、最高速度130km/hで運転。小倉-博多は48分、博多-大牟田は49分で結び、西鉄高速バスや西鉄天神大牟田線特急とデッドヒートを繰り返していた。
- 佐伯 - 延岡完結に限り、特急列車に乗車券のみまたは青春18きっぷ、九州満喫きっぷのみで乗車できた。
- 観光列車はなかった。
- ななつ星もなく、四季島や瑞風も存在しなかった。
- 観光列車はむしろ快速として運行されている。
- 2枚きっぷやネットきっぷなどの格安でパフォーマンスはなかった。
- 株式上場は果たせていない。
- 宮崎空港線と佐世保線の早岐~佐世保間の特急列車の自由席に乗車券のみまたは青春18きっぷ・旅名人の九州満喫きっぷのみで乗れる特例で、特例区間外に乗りこした場合の扱いも大きく変わっていた。
- 他のJRと同様に、特例区間外への乗り越しは全区間の乗車券・特急券も要することになっていた。
- =「もしJR九州で石井幸孝初代社長の路線が2代目以降も継承されていたら」
JR貨物
現在でも車両の動きを鉄道雑誌に公表していたら
JR貨物は2010年以降、所属車両の新製・廃車・転属などのといった車両の動きを公表しなくなりました(ただし例外的に貨物時刻表へは機関車配置表を掲載しています)。もし、現在でも公表していたら?
- 機関車ならともかく、現在でも貨車の両数や形式消滅を特定することができていた。
- 研究者を泣かせることもなかった。
- Wikipediaでは貨物時刻表だけの出典に頼り切ることもなかった。
- 一次資料扱いされることもなかった。
- 他のJR各社と同様、4月現在のデータを公表していた。
- JR全車両ハンドブックは現在でも発売されていた。