「もし全国高校サッカー選手権が○○だったら」の版間の差分
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#冬の大会はその時点で廃止。 | #冬の大会はその時点で廃止。 | ||
#逆にラグビーが首都圏に移った可能性もある。 | #逆にラグビーが首都圏に移った可能性もある。 | ||
#各県に一定レベルの競技場が少なくとも1箇所は造られた。 | |||
#*メインスタンドしかない会場で決勝戦を行うなどありえない。 | |||
#テレビ中継が現実より減っていた。少なくとも日本テレビの一社独占にはなっていない。 | |||
#*Jリーグが始まるまでは生中継すらなかったかもしれない。 | |||
===引き続き冬に開催=== | ===引き続き冬に開催=== | ||
ラグビーは冬の開催であるが、高校総体の一環です。サッカーもこのように行われていたら… | ラグビーは冬の開催であるが、高校総体の一環です。サッカーもこのように行われていたら… | ||
#逆にラグビーが夏のインターハイに入っていた。 | #逆にラグビーが夏のインターハイに入っていた。 | ||
#毎日新聞主催のまま引き続き関西で開催していた。 | #毎日新聞主催のまま引き続き関西で開催していた。 | ||
#現実の総体と同じ出場校数の場合、連戦が当たり前になり準決勝以降も40分ハーフのままだった。 | |||
#*雪などの影響で試合が延期された場合の日程が大変なことになる。 | |||
==延長戦が全試合で行われていたら== | ==延長戦が全試合で行われていたら== |
2020年7月23日 (木) 11:35時点における版
関西で開催され続けていたら
冬の全国高等学校サッカー選手権は現在、国立競技場を中心とする関東で開催されていますが、当初は関西で行われていました。(甲子園で試合をした事もある)
もし、いまなお関西で続けられたいたらどうなっていたか?
- 現在は長居スタジアムを中心としている。
- 長居・万博・ホームズ・ユニバー・西京極・・・あとどこだ?
- 紀三井寺・宝ヶ池・橿原公苑もありえた。
- 平成初期までは大阪球場も使われた。
- 吹田市立サッカースタジアム完成後はここが決勝の舞台になっていた。
- 関西でのサッカー人気も現実より高かった。
- 逆に高校野球が首都圏開催になっていた可能性も。
- もし高校野球全国大会が首都圏で開催されていたら
- 高校ラグビーも秩父宮に移っていたかも。
- 夏は甲子園、春のセンバツは東京ドームとなっていた可能性もある。
- 主催は毎日新聞社のままだったかも。
- 同じ関西で同時期に開催される高校ラグビーとの兼ね合いでどちらかが違う時期に移行、となっていた可能性も。
高校総体に組み込まれていたら
全国高校総合体育大会を始めるに当たり、全国高校サッカー選手権を競技に組み込むかどうか議論されていましたが、最終的にはそれまでどおりの選手権を開催し、高校総体は別の大会となり現在に至ってます。もし、総体のサッカーが選手権になっていたら…
全般
- 国立では行われなかった。
- 「ふり向くな君は美しい」も作られなかった。
- 高校野球も総体統合の「危機」にさらされた可能性もある。
- 高校ゴルフやボウリングなども同様だったか?
- 平成に入り春の選抜高校サッカーが新設された。
夏のインターハイで開催
- 冬の大会はその時点で廃止。
- 逆にラグビーが首都圏に移った可能性もある。
- 各県に一定レベルの競技場が少なくとも1箇所は造られた。
- メインスタンドしかない会場で決勝戦を行うなどありえない。
- テレビ中継が現実より減っていた。少なくとも日本テレビの一社独占にはなっていない。
- Jリーグが始まるまでは生中継すらなかったかもしれない。
引き続き冬に開催
ラグビーは冬の開催であるが、高校総体の一環です。サッカーもこのように行われていたら…
- 逆にラグビーが夏のインターハイに入っていた。
- 毎日新聞主催のまま引き続き関西で開催していた。
- 現実の総体と同じ出場校数の場合、連戦が当たり前になり準決勝以降も40分ハーフのままだった。
- 雪などの影響で試合が延期された場合の日程が大変なことになる。
延長戦が全試合で行われていたら
- PK戦による決着が減るため、PKを外して泣く選手は減っていた。
- 1993年~2004年まで全国大会でPK戦以外での負けがなかった市立船橋は、優勝回数が増えていたかもしれない。
- あるいは延長戦での負けが増えていた。
- (PK戦に弱い)星稜や東福岡の戦績にも影響が出ていた。
- 福岡大会ではPKで20人ずつ使う事もなかった。
両校優勝が…
- 存在しなかったら
- 1999年度以前も決勝戦では同点の場合PK戦が行われ必ず決着していた。
- 鹿児島実は9年早く初の単独優勝を達成していた(あるいは優勝自体2004年度が初)。
- 今でも続いていたら
- 2004年度、2012年度は両校優勝だった。
- 鹿児島実は未だに単独優勝なしだった。
- 両校優勝の制度は廃止すべきという意見が毎年のように出ていた。
校歌斉唱が行われていたら
- 試合後に勝利校
- かつては高校野球のように試合後に勝利校の校歌斉唱がありました(詳細は不明)。
- 高校サッカー全国大会の常連だが高校野球全国大会には出場したことがない学校or出場回数が少ない学校の校歌も全国に知られるようになっていた。
- 試合前に両校
- 決勝戦のみ国際試合での国歌斉唱のように試合前に両校の校歌斉唱があります。これが全試合に導入されたら?
- こちらも甲子園に出場したことがない高校サッカー全国大会の常連校の校歌が知られるようになる。
- 海外でも注目され、youtubeなどに校歌斉唱がアップされる。
- 海外の人は済美の校歌を高校サッカー選手権のほうで知るようになる。
- サッカーでも「やればできるは~ 魔法の合言葉~」が聴けたに違いないね。
- 海外の人は済美の校歌を高校サッカー選手権のほうで知るようになる。
- 大分県代表が明豊高校だった場合には、この学校の校歌を作った南こうせつの歌声が流れ、「高校サッカーにも南こうせつかぁ」と思うようになる。
もしあの年の応援マネージャーが違う人物だったら
2005年度
- 実際:堀北真希
- 長澤まさみ
- 「父娘で高校サッカー」と話題になった(但し父・和明氏の出場当時、本大会は関西で開催)。
- 高校3年生の起用例が現実より増えていた。
2006年度
- 実際:新垣結衣
- 南明奈
- 「高校3年生」「セーラー服」という例外が存在しなかった。
- その後もオスカーからの起用が何度かあったかも(史実では2017年度の高橋ひかるが初めての起用)
- おそらく現役高校生時にそれなりの知名度と人気があった福田沙紀、武井咲あたりは選ばれていた可能性が高そう。
2009年度
- 実際:川島海荷
- 真野恵里菜
- (後の結婚相手となる)柴崎岳がこの年の大会に出場していたことで話題に出されていたかも。
- その後もハロプロ関係から何人か選ばれることに。
2010年度
- 実際:広瀬アリス
- 足立梨花
- 「Jリーグ応援マネージャー」との掛け持ちが話題に。
- 岩渕真奈
- 現役女子サッカー選手の起用が話題に。
- ボールリフティングは「芸能人との比較はマズい」と非実施に。
2011~2014年度(いずれか)
- 実際:川口春奈~大野いと~松井愛莉~広瀬すず
- ももいろクローバーZメンバー
- 応援歌歌唱を兼任。2013年度までなら国立ライブ以前に国立競技場のピッチに立っていた。
- ただしそうなった場合試合目当てとは違うモノノフが大挙押しかけ異様な雰囲気に…なんてことになっていたかも。
2016年度
- 実際:大友花恋
- 岡田結実
- スポンサー縛りが緩いとは言え、アットホームがスポンサーになった初年度にいきなりの競合他社(ホームズ)イメキャラ起用で問題になった。
2017年度
- 実際:高橋ひかる
- 浜辺美波
- オスカーに先んじて東宝芸能から初起用となっていた。
- 高橋ひかるは第90回センバツのイメキャラに起用されていた。
- 岡田結実
- 第89回センバツイメキャラとの二冠は話題になるも、「ゴリ押し」だと叩かれた。
2019年度
- 実際:森七菜
- 池間夏海
- 同年度応援リーダー・長友佑都のコネだと言われた(池間は長友夫人・平愛梨の事務所後輩)。
大会別
1997年度の決勝戦が延期されていたら
雪の決勝戦として有名な1997年度の東福岡-帝京の決勝戦。もし延期になっていたら?
- 試合結果・展開が史実と全く同じだったとしても、この試合がここまで有名になることはなかった。
- 高校サッカー最大の名勝負は2004年度の決勝戦鹿児島実-市立船橋になっていただろう。
- 後述の2012年度の決勝戦鵬翔-京都橘か、2013年度の決勝戦富山第一-星稜もあり。
2002年岡山大会決勝で誤審が無かったら
2002年高校サッカー選手権岡山大会決勝の作陽vs水島工で青山敏弘のVゴールが明らかな誤審によって取り消される事件が発生しました。もしまっとうな審判だったら・・・
- 作陽が全国大会に進出。
- 青山があそこまで有名になることもなかっただろう。
- OBによる2012年の再戦はもちろんない。
2012年度の決勝戦が○○だったら
- 1月14日に予定通り行われていたら
- 1997年度以来史上2回目の雪の決勝戦になっていた。
- 史実通りPK戦になっていれば間違いなく高校サッカー史上最大の名勝負になっていた。
- 「ホワイト成人式」とともに「ホワイト決勝戦」という言葉が流行った。
- 日本テレビ系列局で決勝戦の放送がバラバラになることはなかった。
- 中止になっていたら
- 延期日がセンター試験と重なったため中止の可能性もありました。
- 1995年度以来17年ぶりの両校優勝になっていた。
- 間違いなく両校の選手や関係者は素直に喜べない。
- 高校サッカーファンや、場合によっては両校以外の出場校の選手もがっかり。
- 戦後唯一決勝戦が中止になった大会として語り継がれていた。
- 決勝戦の成人の日開催が見直され、翌年から成人の日が遅い場合は延期になった場合を考慮して早めの日に行われる。
- 両校優勝だが京都橘は1958年度の山城以来京都勢54年ぶりの優勝。
- 京都、宮崎両府県とも初の単独優勝はお預けになっていた。
- 数年後(おそらく10年後か?)に両校のOBによる再戦が行われる。
- 「1992年生まれの悲劇」は史実ほど有名にならなかった可能性も。
- 「1994年生まれのサッカー選手のほうが不運だ」などと言い出す人がいたかもしれない。
- この時の応援マネージャーだった大野いとが史上初めて両校優勝に居合わせたマネージャーになっていたかもしれない。
テレビ中継が全試合とも全国ネットだったら
- 開催期間は1ヶ月~1ヶ月半程度になる。
- 準々決勝以前の試合も自分の都道府県の高校がいない試合をテレビで見ることが出来るようになる。