国鉄キハ58系気動車

2022年5月18日 (水) 18:52時点における太田拓也 (トーク | 投稿記録)による版
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キハ58系の噂

東北地域本社色のキハ58系
横川SA上りに保存されている標準色のキハ58
  1. 全国津々浦々で見かけることが出来た。
    • 今や東北・四国・九州に数えるぐらいしか走っていない。
      • まて!山陽は?山陽がないぞ!あと新潟も(新潟と四国は撤退が決定しました。東北は撤退済み)
        • 純粋なキハ58形は九州で撤退済
  2. 「電車でGO!」でプレイできる。
    • この場合は「気動車でGO!」かもしれない。
  3. 末期の生産車はパノラミックウィンドウが奢られていた。
    • 冷房準備車として登場しながら、冷房を搭載しなかった車両もある。
  4. 四国にはキユ25という郵便車もあった。
    • キロ28・キロ58の一部は荷物車や郵便・荷物合造車に改造された。
    • しかも車体更新した上に数年後には郵便・荷物輸送で廃車に。
      • 正しくは郵便・荷物輸送廃止による。前面はキハ40系と共通。
        • 色もオレンジ一色の首都圏色だったような…
    • これのNゲージの完成品はTOMIXの旧製品(絶版)くらいしかない。
      • しかし2010年頃のリニューアルに併せてキユ25が再びラインナップされた。
  5. ジョイフルトレインになった車両もある
    • 485系に連結(けん引)できるよう改造されたものもある。
  6. 九州でTORO-Qを国鉄急行色に塗り替えたリバイバル急行を絶賛運行中。但し2010年8月まで。
  7. キハ65は実質同系列の扱いになっている。
    • 鉄道雑誌では100%、キハ58・65系として扱われる。
  8. キハ56はキハ80の代走として特急「北斗」になったことがあるらしい。
  9. 2011年に高山線を最後として定期運用終了。一つの時代が終わった。
  10. いすみ鉄道でイベント用としてではあるが元高山本線用のキハ28が復活。
    • キハ52と併結して運転らしい。
  11. 旧国鉄以外では富士急行が保有していたことがある。
    • 自社は電化されていたが、当時気動車で運転されていた国鉄の急行に併結するためにわざわざ気動車を作った。
    • オリジナルのキハ58にはなかった両運転台車も存在した。
      • 但しオリジナルのキハ58も国鉄民営化前後に両運転台に改造された車両がある。
        • この車両はキハ53を名乗っていたもののオリジナルのキハ53(キハ45系の両運転台2エンジンタイプ)とは全く異なっていた。
    • 国鉄急行の電車化で不要になった後は有田鉄道に引き取られたが、そこでも国鉄線への直通を行なっていた。
      • 有田鉄道の廃止後も現地で1両が保存されている。
        • エンジンがもうダメらしく、自走できないらしい。
  12. 修学旅行用仕様の車両も存在していた。
    • 800番台。外部塗装も155系電車などと同じく黄色と赤のツートンカラーだった。
  13. 民営化以降、少数派ながらワンマン運転対応化された列車も出てきた。
    • 西日本、九州(ローカル用)で確認。
    • 高山本線で最後まで走っていたのもこのワンマン対応車。
    • 九州最後の生き残りのあそ1962もワンマン運転をしていた。
  14. 東日本では排気管の火災があったため全車両エンジンを新品に取り替えられていた。

キハ65形

  1. キハ58系の冷房化に際して1エンジン車に冷房用電源を取り付けたが、勾配線区では1エンジン車では非力なので冷房用電源付きの2エンジン車相当の高出力車が必要となり、製作された。
    • そのためか、キハ58系と同系列の扱いをされることが多い。
  2. 側面はよく見れば12系客車と何となく似ている。
    • Nゲージで製品化されるまではキハ58の前面、12系の車体、キハ181の床下を組み合わせて改造したものが定番だった。
  3. ジョイフルトレインに改造された車両の中には485系電車と併結できるようにした車両がある。
  4. 急行形だが、JR化後に足回りはそのままで定期特急「エーデル鳥取」「エーデル北近畿」に使用された車両もある。
    • 最高速度95km/hなので詐欺っぽいが、「北近畿」も100km/h以上出せる区間は限られていたので、結果城崎までは「北近畿」と大して変わらない所要時間で走っていた。
    • 七尾線が非電化だった頃は「ゆぅトピア和倉」として特急「雷鳥」に併結されていた。キハ65は設計上は最高95km/hなのに最高120km/hで走っていた。但し自力走行ではなく無動力で電車に牽引されていた。
  5. どういう訳かトイレがなかった。
    • ↑のエーデルへの改造時にはトイレの設置も同時に行われた。
    • キハ58との併結が前提だったから
    • JR初期に大阪ー嵯峨嵐山方面(梅小路短絡線経由)で運転されたレジャー列車はキハ65×2で全くトイレがなかった。
  6. 空気バネ台車を使っているにも関わらず、乗り心地はコイルバネ台車のキハ58系と比べて悪かったらしい。
    • 線路の規格が低かったから。
  7. 高出力な割りにひ弱な駆動系を使っていたようで、特に逆転器が逝くことが多かったらしい。肥薩線などスイッチバックがある路線での運用はヒヤヒヤものだったようだ。