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==実現していたら==
==分割済み==
*乱立防止の為、記載は実際に元ネタがあるものに限ります。
*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/新幹線]]
**項目内にそれに関する文章を書いていただければ幸いです。
*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東]]
*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/近畿]]


===いわき-仙台間の特急列車===
==二地域以上==
常磐線特急はいわきで系統分割する予定で車両愛称も公募されていたが、2020年以降も品川-仙台間の特急は運転されることになった。
===東北本線===
#車両はどうなっていたのか。
;1870年代
#*E653系を使う予定だったといわれるが、それともE657系の4両編成タイプでも導入するか。
#東海道本線と同時に開業。でも、東海道本線と接触はしないかも。
#福島県では直通特急復活を要望する。
#*直接接続しようとすると東京市街地を地上で貫通する必要があるため起点は史実通り上野だったと思われる。
#愛称は「いわき」か「はまどおり」だった。
#やはり大宮はハブられる。
#*JR東日本のことだからここでは意表をついて「浜街道」かもしれない。
#*高崎線開業時にやっぱり分岐駅として開業か?
#運行本数も震災前と同水準(5~6往復)だった。
#*高崎線がない状態での建設なら中山道沿いのルートなど端から通らないはず。つまり[[もし東北本線が○○を通っていたら#日光街道沿い|日光街道沿い]]に敷かれる。
#建設スピードは史実より遅い。
#*当時金のなかった政府が自前で建設することになったと推定されるため。
#*利根川の渡がなくなる時期は変わらない。
#最初の部分開業は上野~大宮辺りか。
#*大宮ではなく岩槻を通っていたかもしれない。
#**と…なると県庁所在地は予定通り岩槻になっていたかもしれない。


===くろんぼ===
===上越線===
1973年夏頃に長岡 - 鼠ヶ関間を運行する予定だった海水浴臨時急行列車。直前になって運行が中止されたが、もし、運行していたら?
;1900年代
#人権団体から槍玉が挙がっていた。
#ルートは後閑駅付近から赤谷川沿いに進み三国峠で上越国境を越えるもの。
#*愛称名変更も余儀なくされていた。
#*この場合水上温泉はあまり栄えなかった。
#予定では気動車だったのでキハ58系で運行していた。
#**代わりに猿ヶ京温泉が有名になっていた。
#*電化後も車両需給の関係でキハ58系で運行していた。
#*苗場にプリンスホテルは建設されていない。
#時代の変化につれて快速に格下げされていた。
#沼田から先は壮絶な難工事になっていた。
#一部区間はラック式鉄道が採用され後に輸送のネックになる。
#*碓氷峠と同時期に改良されていたかもしれない。
#*後に清水トンネル経由の新線が開業するかも。
#**新清水トンネルが複線構造になっていた。湯檜曽駅・土合駅は上り線ホームもトンネルの中にある。
#上越新幹線のルートは史実とあまり変わらない。
#川端康成『雪国』の書き出しが変わっている。
#*明治時代の技術で清水トンネルのような「国境の長いトンネル」はまず無理。
#「上越線」という名称ではなかった。
#*高崎線と合わせて「[[もしあの路線が本線だったら#高崎線・上越線|武越本線]]」かな。


===ごうかわ===
===東海道本線===
宮脇俊三氏が、三江線全線開業時に福山と浜田を福塩線・三江線で結ぶ急行列車を想定していました。(出典・最長片道切符の旅)
;1840年代
#どこかで列車名が「ごうのかわ」に改められていた。
*この時代には各地で鉄道建設ラッシュでした。
#臨時急行「江の川」は別の列車名で三江線内も急行運転だったかも。
#日本の鉄道歴史が大きく変わっていたかもしれない。
#JR化後の三江線内は快速に格下げ→福塩線内も快速化された。
#*というより定時法や新しい製鉄技術などの導入により日本史の流れ自体が激変している。
#それでも三江線内の廃止時期は変わらない。
#京駅(現・京都駅)~草津駅から建設されていた。
#*上方では公家や寺社辺りが猛反対しそうなので江戸から建設されていた気がする。
#**徳川幕府主導なら駿府-江戸-日光間が最優先だろう。その後尾張・水戸・紀伊へと支線を敷く構想を考えていたと思われる。
#***江戸-駿府間が後の東海道本線に、江戸-日光間は後の東北本線と日光線になっていた。
#**当時の物流や人の流れを考慮するとまず東海道(江戸-京都・大坂)に建設していたのでは。
#ついでに、中山道本線も開業。
#*当時の技術ではついでに開業できるほど楽に建設できたとは思えない。
#横浜駅ではなく神奈川駅と名乗っていたかもしれない。
#東海道新幹線のルートもかなり違う。
#日本の開国相手がオランダではなくイギリスになっているのが前提条件。
#幕府?で鉄道導入を推進した人物が「超人的な先見の明の持ち主」として後世まで称えられる。
#*当時アジアのどこにも鉄道はなく鉄道に乗ったことのある日本人も誰もいなかった。
#*「日本の鉄道の父」と呼ばれている。
#史実の中国(清)の鉄道草創期と同じように各方面から相当な反発を受ける。
#*線路や停車場への破壊工作が発生していたかもしれない。
#*[[ベタな鉄道忌避伝説の法則|ここ]]で言われている話が本当に存在したかもしれない。
#東京駅はなく江戸駅が存在した。
#*新橋や丸ノ内ではなく日本橋辺りにできていたかもしれない。
#**町人地や大名屋敷が建て込んでいて建設不可かと。
#***ターミナル駅は史実の月島付近の新しい埋め立て地に建設していたと思われる。
#荷物列車が運行されていたとすれば飛脚が大打撃を受けていた。
#*江戸など市中の飛脚はむしろ栄えていたのでは。
#「徳川慶喜は日本初の鉄道ファン」という誤解が史実以上に広がっていたかもしれない(実際には被写体の対象にしていただけ)。
#*そもそも別の人物が日本初の鉄道ファンと言われていた可能性の方が高そう。


===サンライズ瀬戸高知・徳島乗り入れ===
;1900年代
電源車を連結して高知・徳島発着の設定も検討されたとか(松山発着は実際に存在した)
#=[[もし東西幹線が中山道ルートだったら|東西幹線が中山道ルートだった場合]]。
#高知ならともかく徳島は遠回りなので短命に終わっていただろう。
#静岡県などの有力者が出資した私鉄による建設。
#*逆に松山・高知で一つの列車となる予定だったらしいので所要時間が短くなり松山発着の設定がまだあったかも。
#*駅間距離が現実より短い。
#サンライズ出雲も西出雲以西の運行が検討されたかも。
#*静岡〜清水間は現在の静岡鉄道静岡清水線を通る。
#*山陰本線経由の出雲も廃止されずに285系電車化されて、豊岡-米子で50系客車改造の電源車を連結してDD51に牽引という形で存続していた。
#**当時の私鉄は国の代わりに鉄道の全国ネットワークを形成する役割を担っていたので史実通りのルートだったのでは。
#電源車はどうしていたのやら。
#私鉄時代は関西鉄道と仲が良かったかもしれない。
#*リゾートエクスプレスゆうみたいにマニ50の電源車を改造するとか。この場合ファンからは「サンライズマニ」と呼ばれていた。
#*というか、史実の関西鉄道が「東海道鉄道」と名乗って、東海道に忠実な路線を敷いていたのかもしれない。
#区間は横浜市-名古屋付近。
#全通からあまり経たないうちに国営化される。


===たまひこ===
===智頭急行智頭線===
2005年3月ダイヤ改正で函館-秋田間に特急「たまひこ」が新設される情報が某掲示板であったが、実現には至らなかった。
;1960年代
#789系で運行していた。
{{駅名標/西日本|name=因幡山形|ruby=いなばやまがた|back=やまさと|next=ちず|back2=Yamasato|roma=Inaba-Yamagata|next2=Chizu}}
#仮に設定しても1日1~2往復の運行だった。
#佐用駅では姫新線と線路がつながっていた。
#臨時特急「さくらエクスプレス」の定期化に際して設定されたものとみなされていた。
#開業時から急行や特急が多く運転された。
#北海道新幹線開業と同時に廃止され、青森-秋田間は「つがる」に統合されていた。
#何らかの形でキハ82が走ったかもしれない。
#特急の所要時間は現実より長い。
#*そのため現在は高速バスに苦戦している。
#*それでも伊丹-鳥取の航空便は廃止されている。
#*JR化後は振り子式のキハ187系投入や一線スルー化などのテコ入れが実施されて、史実とほぼ同じレベルになる。但し、それにかかる費用は地元負担。
#21世紀に入って因美線智頭以南の廃止が噂される。
#「宮本武蔵」駅などできるわけがない。
#*恋山形駅は「因幡山形」、大原駅は「美作大原」と名乗っていた。


===東海道・山陽新幹線の夜行列車===
;1970年代
東海道・山陽新幹線には全通後に夜行列車を運転する計画もあったことは結構有名である。これが実現していたら?
#鉄道公団の手によって、建設されていたので、高速化に対応できる設計になっていた。
#961形ベースの寝台車が製造される。
#キハ181系気動車による特急「はくと」とキハ58系気動車・キハ65形気動車による急行「とっとり」が運行されていた。
#*当初は機関車牽引の客車列車のみで運行され、その後は新幹線電車寝台特急の新設に合わせて史実の200系及び100系ベースの寝台車が製造された。さらに最近ではE4系ベースの寝台車に移行している。
#*特急「はくと」は米子までに運行されていた。
#西明石と相生の渡り線は健在。
#*のちに、特急「はくと」はキハ189系気動車で運行されていた。
#博多あさかぜは新幹線に移行。
#*JR化後に130km/h化対応工事などのテコ入れが実施されて、史実と同じレベルになるが、工事費用は地元負担。
#九州新幹線が博多側から開業していた可能性もある。
#1972年or1975年に開業した際には、キハ181系気動車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
#小倉で日豊本線から乗り換えることができるので、現実のサンライズ瀬戸・みずほ、ソニックの乗り換えよりも乗り換え回数が少ない。
#*1975年開業の場合で製造されたキハ181系は、エンジン出力を440PSに落として屋根上ラジエーターを廃止し、保守性や信頼性を高めた1000番台車として製造されていた。
#騒音問題のため、昼行列車より速度は遅い。
#1981年の神戸ポートアイランド博覧会と1990年の国際花と緑の博覧会が開催された際に、臨時列車が運行されていた。
#*だいたい110Km/hくらいで、そこら辺の在来線と変わらない。
#九州発の東京往復割引切符は在来線寝台、新幹線夜行列車、新幹線昼行列車が利用できた。
#*2009年の富士、はやぶさ廃止後は新幹線夜行列車と新幹線昼行列車のみに。
#SLやまぐち号の指定席券とセットになった企画乗車券やツアーが発売されていた。
#列車名は昼の新幹線とは異なったものが用いられていた。
#*東京-新大阪間:「ぎんが」
#*東京-博多間:「あさかぜ」
#*新大阪-博多間:「あかつき」
#九州新幹線にも夜行列車が設定されていればこうなっていた。
#*東京-鹿児島中央間:「はやぶさ」
#**東北新幹線で走っているはやぶさは「はつかり」辺りになっていた。
#*新大阪-鹿児島中央間:「なは」
#東海道・山陽新幹線と東北・北海道新幹線との直通列車も設定されていた。
#北海道新幹線札幌開通後は東北・北海道新幹線にも検討されるが、ベースになる車両がCRH2E型そっくりになる。
#*もし導入されていた場合、列車名はこうなっていた。
#**東京-札幌:「ほくとせい」
#**東京-新青森:「あけぼの」
#**東京-新函館北斗:「にほんかい」


===長野-飯田間の特急列車===
===赤穂線===
2004年頃に長野-飯田間に特急列車を試験運行するという情報があったが、未だに実現には至っていない。
;1930年代
#=JR東日本が地方交通線を主体とする優等列車の設定の意欲的だったら、である。
#実質的に山陽本線の別線扱い。
#*むしろJR東日本とJR東海の仲が良好だったら、かもしれない。
#*かつては特急「富士」「櫻」「燕」なども通っていた。
#列車愛称は「天竜」だった。
#*むしろこっちが山陽本線になっていた。
#*「みすず」は快速、「かもしか」は当時、奥羽本線の特急で使用されていたため。
#**よって現実の上郡回りのルートは上郡線になっていた。
#189系が使用されていた。
#***戦時中に金属供出によって単線化されていた。
#定期化が実現した場合は「みすず」は廃止されていた。
#山陽新幹線建設時にも赤穂経由が検討される。
#*そして「特急誘導だ」と叩かれていた。
#赤穂鉄道・西大寺鉄道は太平洋戦争開戦前に廃止される。
#史実の播州赤穂駅は「播磨赤穂」駅として開業していた。
#場合によっては複線化していた。
#*上記通り山陽本線の一部になっていたら当然。


===奈良線の特急列車===
===野岩鉄道===
*かつて京都-奈良間に特急列車を運転する構想がありましたが、結局実現しませんでした。
;1890年代
#愛称は「古都」あたりになっていた。
#日本鉄道が日光線の延長で建設。
#新幹線からの乗継客が主なターゲットだった。
#*史実の日中線も含め宇都宮〜米沢が「野岩羽線」となる。
#*しかし近鉄京都駅も新幹線からの乗り換えが便利な上、利便性も高いのであえなく完敗…。
#現実よりトンネルが少ない。
#*新幹線との乗継割引が適用されて特急料金が半額になるため。
#上越線開通前は東京〜新潟の最短ルートとしても重宝された。
#*むしろ通勤特急として運行していたかもしれない。
#[[郡山市]]や[[福島市]]が史実ほど発展していない。
#車両は山陰本線京都発の特急と共通の183系が運用されていた。
#下野電気鉄道は存在しなかった。
#*もし長続きしていたらこちらもやはり287・289系に置き換えられていた。
#奈良県がJR特急の走らない県と言われることはなかった。
#天理教の大祭がある時は天理まで延長運転されていた。


===ビーチイン大洗ひたち===
===海峡線===
*海水浴客輸送の臨時列車を水戸からDL牽引で大洗まで乗り入れさせる計画があり、実際に試運転まで行われたが、信楽高原鐵道の事故による不測の事態の際の不安から取りやめとなった。
;1970年代
#試運転の際とは異なり控車が連結されていた。
#札幌オリンピック開催中は臨時列車が運行されていた。
#*その後は控車の連結を解消するために先頭車の双頭連結器化・発電機設置がされていた。
#大阪や東京と北海道各地を結ぶ列車が多数運行されていた。
#使用車両は1998年以降は651系になっていたんだろうか?
#津軽線、江差線は複線化されていた。
#2010年代まで残っている可能性は低い気がする。
#おそらく[[もし青函トンネルが○○だったら#在来線規格だったら|在来線規格だった]]。
#*直通運転が恒例化した場合は00年代前半ごろに水戸~大洗間の電化が真剣に検討されていた。
#*松前線が現在まで存続し、代わりに江差線木古内以西は史実より早く廃止。
#*乗り入れ設備+DLへの連結対応車両が残っていた場合、大洗あんこう祭に合わせて設定される「ときわ98号」は大洗始発の運転となっていた。
#北海道新幹線は凍結されたままか、札幌-(新)函館(北斗)間が先に開業。
#**乗車率次第では下り(上野→大洗)も設定されているはず。
#青函連絡船では洞爺丸型が延命され津軽丸型は登場しなかった。
#*上手くいけば大宮発水戸線経由大洗行の「大洗エメラルド」が復活していた。
#のちになって新幹線専用トンネルを建設する計画が出る。
#[[動労千葉|あいつら]]の影響があるので鹿島方からの直通は困難そう。
#54年の洞爺丸の事故で建設が急がれたことになっている。このトンネル開通を想定して20系500代(極寒地仕様)が製造される。実際の500代は1000代,1000・2000代は2000・3000代となる。
#*12系500代・14系500代も新造車として登場。極寒地仕様に改造した車両は左形式の区分代となる。781系も約10年早く登場。485系1500代は存在せず。781系が東北より北を走る特急に使用される。


===北斗星旭川乗り入れ===
;1990年代後半
旭川市が要望していた
#英仏海峡トンネルの注目度が高まっていた。
#発着が昼ごろになるので北斗星にもランチタイムが設けられていた。
#旅客列車は最初から特急のみだった。
#「夢空間北斗星」では函館本線札幌以東の設定もそれなりにあった。
#*785系に青函トンネル対応の新区分番台が誕生する。
#*滝川から根室線経由で富良野に向かう列車もあったかもしれない。
#*E751系も乗り入れに対応していた。
#*石北線や宗谷線まで来たかは微妙なところ。
#スシ24は登場せず、九州ブルトレや「出雲」用のオシ24が転用されていた。
#編成の半分ほどは札幌で分割併合し、旭川に直通するのは電源車を含めて6両程度となっていた。
#札幌-旭川ではED76形500番台が牽引していた。


<!--新型コロナウイルスルールに抵触する可能性の高い項目
===瀬戸大橋線===
===御厨・富士===
;1960年代
御厨駅開業を記念して運転する予定だったが、実現しなかった。
#特急「富士」、準急「砂丘」が四国に乗り入れていた。
#御厨駅開業のニュースが史実より大きく扱われていた。-->
#*準急「鷲羽」も高松発着となっていた。
#四国新幹線の用地が確保されていたかは微妙。
#*「現行の瀬戸大橋が老朽化した段階で新幹線対応の新瀬戸大橋を造ろう」という運動があったかもしれない。
#東京と高知、松山を結ぶ寝台特急が運行されていた。
#*ムーンライト松山、高知の先祖に当たる夜行普通列車も存在した。
#*「土佐」「いよ」が上記寝台特急の列車名に。急行「土佐・いよ」は別の列車名に。
#**おそらく気動車急行の方は「うらと」「いしづち」を名乗っていたと思われる。
#*当初は20系で登場し、1972年3月に「さくら」・「みずほ」とともに14系に置き換えられた。
#121系は瀬戸大橋乗り入れ可能な規格で作られていた。
#玉野市は岡山市に吸収されたか。
#瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
#建設資金の調達方法が郵便貯金ではなく世界銀行の融資という形で行われていたかもしれない。
#下津井電鉄が国鉄に買収された。
#*されない。江若鉄道同様廃線→一部の用地が流用される程度だと思う。
#*少なくとも児島駅の位置は変わる。
#四国の電化が早まった。
#*最初に投入されたローカル車両は新車ではなくモハ70形・モハ80形が転用されて来た。
#そろそろ橋の老朽化が問題に挙がってくる頃だと思われる。
#宇高連絡船の廃止時期が早まっていたのは言うまでもない。
#*伊予丸型は建造されなかった。
#茶屋町〜宇野はクモハ42あたりの単行運転になった。
#環境問題が深刻化する前のことなので工事による瀬戸内海の生態系への打撃が史実以上に。
#「紫雲丸事故」で建設が急がれた、とされる。宇野線岡山-茶屋町間は1970年代までに完全複線化。
#岡山-高松間を結ぶ快速に、サロ110連結の岡山区113系が使用される。'90年頃に221系(岡山駅基準・下関方先頭車がクロ221、大型の前面窓・ハイデッキ仕様のグリーン車)が岡山区に配置され、113系サロ110連結編成を置き換えた。


==廃止されていたら==
;1970年代前半
*乱立防止の為、記載は実際に元ネタがあるものに限ります。
#宇高連絡船の廃止が早まったのは言うまでも無く。
**項目内にそれに関する文章を書いていただければ幸いです。
#*宇野線茶屋町~宇野間の列車の多くは単行運転に。
#*伊予丸型は建造されず、紫雲丸型を修繕しながら廃止まで使い続けていた。
#「紫雲丸事故」を契機に建設開始された、と語られる。
#*宇野線岡山~茶屋町間は瀬戸大橋線開通から間もない頃に完全複線化。
#四国の電化が早まった。
#*電化当初の四国ローカル運用に80系が使用され、国鉄末期に下記の121系に置き換え。
#*121系は瀬戸大橋線乗り入れ可能な規格で製作された。
#*予讃本線高松~松山間は瀬戸大橋開通と同時期に電化、'90年代に8000系に置き換わるまで181系が電化区間(瀬戸大橋線直通も含む)の特急に使用されていた。
#**場合によってはキハ181系の製作数が史実より少なかった。
#**電化区間の急行には山陽新幹線岡山開業で転用された153系が使用された。
#四国新幹線の用地は確保されたかどうか。
#「土佐」「いよ」が東京発高知・松山行きの寝台特急の列車名に。急行「土佐」「いよ」は別の名称になる。
#*おそらく「浦戸」「いしづち」になっていたと思われる。
#瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
#岡山区にサロ111が転入し、岡山~高松間の快速(8・12両編成)に連結された。
#*1990年頃に221系が岡山区に新製配置、上記113系グリーン車連結編成を置き換えた(岡山駅基準・下関方面の先頭車が大型の前面窓・ハイデッキ構造のグリーン車クロ221)。
#下津井電鉄の鉄道事業撤退が早まった。
#高徳本線、土讃本線(多度津~高知間)は電化されただろうか。


===エアポート成田===
===関門鉄道トンネル===
;2018年に廃止
;1930年代
エアポート成田は2018年に列車愛称が廃止され、それ以来、成田空港行の列車として存続していますが、もし、列車そのものが廃止されていたら。
#昭和恐慌における失業対策として、着工されていた。
#成田発着の快速になっていた。
#史実通りに、単線で開業していた可能性が高い。
#成田-成田空港間にシャトル列車が設定されていた。
#*のちに、追加という形で、上り線トンネルが開業していた。
#「成田エクスプレス」への誘導だと叩かれていた。
#遅くても、1935年に下り線トンネルが開業し、1937年に上り線トンネルが開業していた。
#北総アクセス特急がもっと強かった。


===仙山===
;1950年代
;2004年に廃止
#特急「かもめ」と特急「あさかぜ」の運行がずれ込んでいたかもしれない。
仙山は2004年に列車愛称が廃止され、それ以来、列車愛称なしの快速として存続していますが、もし、列車そのものが廃止されたら?
#*開業と同時に運行が開始されていた。
#各駅停車に格下げされていた。
#最初から、複線で開業されていた。
#高速バスに大打撃を被られて廃止に追い込まれたとみなされていた。
#1950年代後半の開通ならトンネルの西側は最初から交流電化になっていた。EF30形の登場も史実より早かった。
#*JR東日本は高速バスへの対抗にやる気がないとみなされていた。
#ややこしい存在が減っていた。
#*駅によって種類が相違する存在がなくなっていた。


===仙台シティラビット===
==北海道==
;2016年に廃止
===石北本線(上川-遠軽)===
仙台シティラビットは2016年3月のダイヤ改正で停車駅が追加されましたが、もし、停車駅追加ではなく廃止されたら?
;1980年代
#各駅停車に格下げされていた。
#石勝線のように高規格路線として建設された。
#*各駅停車への格下げは利便性向上のためとみなされていた。
#*一部区間は特急しか走っていないところも類似していた。
#**2021年3月に現実に…。
#**上川-遠軽間かな
#同時期のダイヤ改正で設定された広島地区の快速といい意味で比べられていた。
#遠軽でのスイッチバックは何とかして回避していた。
#池田-北見-網走は今も「網走本線」を名乗っている。
#*名寄本線は「名寄-紋別-中湧別-佐呂間-網走」の区間。
#*網走本線は北見-網走のおかげで現在も全線がJRに属している。
#**しかし、北見以南に廃止論議が勃発するのは史実通り。
#*北見-遠軽-湧別は上川-遠軽間の開業まで「湧別線」というローカル線だった。
#開業まで特急オホーツクは名寄本線経由だった。
#「石北'''本'''線」ではなく「石北線」だった可能性が高い。


===あさぎり===
===石勝線===
;2012年に廃止
;昭和10年代
*20000形の引退と共に廃止されていたら?
#建設理由に対ソ戦対策も含まれていた。
#当然、60000形がJRに乗り入れることはなかった。
#建設にあたり朝鮮人などの労働者が酷使された。
#急行に格下げされていたかもしれない。
#*後に複数の慰霊碑が建てられた。
#*トンネルに「幽霊が出る」などと噂されたり、韓国が謝罪と賠償を要求するなど何かと曰く付きの路線になっていた。
#煤煙対策のため史実ほど長いトンネルはない。
#*その代わり一部区間に急カーブや急勾配などが生じていた。
#*JR化後に高速化改良されたと思われるが現実ほど高速運転できなかった。
#開業時点で根室本線は「千歳-新得-釧路-根室」に変更された。
#*滝川-富良野-新得には「芦別線」という別の線名が付けられた。
#**夕張線(紅葉山~夕張)は特定地方交通線に指定され廃止されていた。
#***紅葉山駅は廃止後、新夕張ではなく「夕張市」を名乗っていたかも。
#***1980年代ならまだ大丈夫だと思うが、2010年代には史実同様廃止が議論されるようになっていた。
#*国道38号も札幌~十勝清水~釧路のルートだった。
#**北海道最長国道は国道38号だった。
#**国道274号は滝川~帯広間の国道となっていた。
#*登川駅からそのまま東へ延伸する形になっていた。
#*南千歳駅は開業せず史実の南千歳駅の場所に南千歳信号場が千歳線空港支線開業と同時に設置された。
#*準急→急行「夕張」の走行ルートは「札幌-千歳-紅葉山-夕張」だった。
#**史実より(夕張~追分から)札幌まで短時間で行けるので1972年以降も存続する。
#***夕鉄バス札幌急行線との競争や千歳市民・広島町民からの要望によりくるくる電車ポプラ号登場のタイミングで札幌~千歳間快速・以遠普通に格下げ。
#***同時に大幅に本数増加するが千歳以遠の実質的な本数は変わらず。
#***1997年3月改正までキハ56系を使用、以降運転区間短縮があったがキハ201系を使用。
#***場合によっては千歳~追分間が札幌の通勤圏に入ったかも。
#***キハ40系・キハ54・キハ150も代走・送り込みで快速「夕張」を含む仕業に入った。
#***キハ201系は製作コストを減らすため途中から車体傾斜機能なしで増備・別区分番代となった。
#開業当初は現実の信号場も全て駅だった。
#*しかし沿線の過疎化により廃駅が続出。
#*仮乗降場扱いの駅も多い。
#占冠駅は富内線との合流を想定した構造になっていた。
#追分〜紅葉山(新夕張)間が単線化されず複線のままだった。


==廃止されたら==
===札幌市営地下鉄東西線(琴似-宮の沢)===
*廃止が考えられたケースについては[[#廃止されていたら]]へ。
;1980年代
#早くても、1985年頃に開業していた。もしくは、遅くても、1988年に開業していた。
#*1990年頃に開業していた可能性もある。
#6000形電車が史実よりも多く増備されていた。
#1999年2月に東豊線の福住~清田間が開業していた。
#*その場合、7000形電車が史実よりも多く増備されていた。
#*6両編成で運行されていた。
#*栄町駅付近か清田駅付近か福住駅付近に車両基地ができていたかもしれない。
#*札幌ドームが開業した2001年に開業していた可能性もあり得る。
#8000形電車の登場は史実通り。
#*その代わりに、史実よりも遅れて投入されていたかもしれない。(2001年辺りに)


===サンライズ出雲・瀬戸===
====東札幌-新さっぽろ====
#日本から寝台特急が全滅する。
;1990年代
#名古屋駅を通過する旅客列車もなくなる。
#当初の予定通り千歳線旧線沿いに高架線を建設していた。
#鉄道の神ことスーツは大泣きする。
#*南北線南平岸駅 - 真駒内駅間のようにシェルターで覆うかは微妙なところ。
#建設費節約のためにホームは8両ぶんしかない。


===ひだ===
==東北==
#富山県からJRの特急列車が消滅。
===南部縦貫鉄道===
#快速に格下げされる可能性が高い。
;大正時代
#開業当初は「七戸鉄道」と名乗った。
#*後に戦時統合で史実の南部鉄道や十和田観光電鉄とともに「南部交通」に統合され「南部交通七戸線」となる。
#建設目的は普通に「東北線と七戸町の連絡」。
#*農産物の輸送も行われた。
#*後に沿線で産出される砂鉄の輸送も行われた(史実でも計画されていたが頓挫)。
#多分電化はされていない。
#七戸駅は町の中心近くに設置。


===べにばな===
===三陸鉄道===
#羽越本線は快速列車、米坂線は普通列車として独立。
;1960年代
#送り込み運用はどうするのだろう。
#建設開始は1933年の昭和三陸津波の後。
#*太平洋戦争により一時工事がストップしていた。
#当然ながら国鉄線として開業している。
#一部区間は現実よりカーブなどが多い。
#開通した頃は急行が走っていた。
#*列車名は「さんりく」、運転区間は仙台-気仙沼-宮古-八戸。
#連続テレビ小説『あまちゃん』のストーリーが史実とやや異なっている。


===みすず===
===仙石線===
#各駅停車に格下げ。
;1910年代
#飯田線と篠ノ井線との直通運転がなくなる。
#軌道法に準拠して建設された。
#JR東日本とJR東海との直通運転がさらに減る。
#*仙台駅付近が併用軌道だった。
#313系がJR東日本管内で見られなくなる。
#**後に高架化もしくは地下化される。
#*戦時買収を免れていたかもしれない。
#**この場合宮城電鉄が戦時統合の核になっていた。
#石巻-女川も自力で建設していた。
#仙台市電との直通も検討される。
#*というより「宮城電鉄市内線」として建設された可能性もある。
#国に買収されなかった場合塩釜線は現存している。
#松島にそこそこ大きな遊園地ができていた。


==所有会社が○○だったら==
===気仙沼線===
===海峡===
;1980年代
====JR東日本だったら====
#隣県の三陸鉄道に刺激され第三セクターで開業。
#運行開始当初は史実と同様に50系だった。
#旧国名の付いた駅は現実より少ない。
#2002年頃に485系に置き換え。
#震災までは独自のサービスで人気を博していた。
#*そちらに485系を回すため、E751系が更に増備されていた。
#*「フカヒレ列車」などというものが走っていた。
#JR東日本は地方交通線への優等列車設定に消極的な体質なので北海道新幹線開業まで運行していた。
#*大谷海岸駅は海の家と一体化されていた。
#*(スーパー)白鳥はなかった。
#震災の被害により一時は廃止も検討された。
#*むしろ南リアス線と同じ時期に復旧していたのでは?
#**大船渡~気仙沼間も鉄路で復旧していた(この場合宮城方の三セクになるのかやっぱ三陸鉄道になるのか…)
#**史実通り事実上の廃止に追い込まれていたら、「岩手県は三陸鉄道を復旧させたのに宮城県は…」と言われていた。


===しらさぎ===
===仙台市営地下鉄東西線===
====JR東海だったら====
;2000年代
#383系がしなのと共通で使われていた。
史実では2015年12月に開業。
#*よって史実よりも早く485系が置き換えられ、スーパー雷鳥の編成が転用されることもなかった。
#遅くても、2008年12月に開業していた。
#*ホームライナー大垣も383系による運行で「他社所有の車両を自社管内だけで運行するホームライナー」は2010年3月12日に489系がホームライナー鴻巣3号・ホームライナー古河3号から撤退したのを最後に消滅していた。
#*場合によって、2009年頃にずれ込んでいたかもしれない。
#*[[北陸本線]]には交流電化区間があるので、むしろ交直両用の特急型電車をJR東海が作っていた。形式は671系だったかも。
#東日本大震災が起きた時は被害を受けていた。
#**北陸本線の線形を考えると振り子も搭載されなかっただろう。
#**JR東海も交直流電車を保有していた。
#「ワイドビューしらさぎ」という愛称が与えられていた。
#米原発着(旧加越)はJR西日本が運行していた。


===東海===
===仙台空港鉄道===
====JR東日本だったら====
;1990年代
#急行時代は史実と同様、165系で運用されていた。
#仙台空港新旅客ターミナルが全面完成した1997年(あるいは前年)に開業。
#特急格上げは史実より早く行われていた。
#開業当初の自社保有車両は701系1000番代の同型車である。ワンマン運転は2両編成の列車のみ。3両編成以上の列車は原則車掌乗務。
#*185系で運行していた。
#*417・455・457・719系の乗り入れも考慮された。
#*よって373系は「ふじかわ」だけの投入に留まっていた。
#大株主に[[名古屋鉄道|名鉄]],そのグループの[[宮城の交通#宮城交通|宮交]]が。
#*「ワイドビュー」がつくこともなかった。
#*[[Wikipedia:ja:仙台空港民営化|仙台空港民営化]]を機に、[[東急電鉄|東急]]へ名鉄グループ保有分の株がすべて譲渡(=名鉄グループ離脱、東急グループ加入)される。
#*直通相手はJRではなく仙台市営地下鉄になっていたかもしれない。


==車両が○○だったら==
;2001年
===旭山動物園号===
#同年の「新世紀・みやぎ国体」,翌年の「FIFAワールドカップ」開催を機に開業。
====電車で使用されたら====
#2000年に開業した可能性が。
#おそらく使用車両は789系だろう。
#開業当初の自社保有車両は701系1500番代基本の都市型ワンマン運転対応車両である。JR側も同型車を導入する。
#*設定時期的に781系だったかもしれない。
#「宮城国体」「FIFA W杯」の際,宮城スタジアムへの利便性向上の為,臨時列車で仙台空港-利府間に直通臨時列車を多数運行した。
#フラノラベンダーエクスプレスは普通のキハ183系で使用されることはない。


===きのくに===
==東海==
====電車化されていたら====
===伊豆急行===
「きのくに」は紀勢本線電化後も一部区間で非電化線区を運行していたため、廃止まで気動車で運行されましたが、もし、電車化されていたら?
;昭和10年代
#165系に置き換えられていた。
#建設の動機は伊豆半島の要塞化。
#*廃止後は普通列車に転用されていた。
#伊東線の延長として建設された。
#難波乗り入れは列車は廃止まで気動車のままだった。
#*線名は「伊豆線」。
#1950年代から優等列車が乗り入れるようになった。
#史実の伊豆急下田駅は「伊豆下田駅」と名乗っている。
#現実ほどトンネルは多くない。
#当然国鉄線としての建設で、現在はJR東日本。


===銀河===
===伊勢鉄道===
====電車化されたら====
;1910年代
実際に、583系電車に銀河用のヘッドマークと側面方向幕が準備されており、583系電車による電車化計画がありましたが、実現しませんでした。もし、実現したら、
#参宮鉄道時代から計画はあった。
#1982年11月頃か1985年3月頃から運用され始めていた。
#*だが着工は国有化後。
#*筑波科学万博開催中は大阪〜万博中央間に「エキスポ銀河」が運行される。
#東京などと伊勢神宮の短絡が主目的。
#*1990年に開催されていた国際花と緑の博覧会の際には、臨時列車が運行されていた。
#開通したとたん参宮線の一部に。
#大阪~新潟間を結ぶ「きたぐに」と同様に、JR西日本の京都総合運転所に所属する583系電車が使用されていた。
#*亀山~津は「亀山支線」として扱われる。
#*1994年12月のダイヤ改正で「つるぎ」で使用されていた24系25形客車が「銀河」に転用されていたかもしれない。
#*なお現在は紀勢本線の一部。
#「きたぐに」の583系電車による運用が1982年11月or1984年2月に早まっていた可能性がある。(史実では、1985年3月に運用され始めた。)
#現在の近鉄鈴鹿線はこの路線の鈴鹿駅に乗り入れていた。
#*銀河も14系客車での運用が1982年11月or1984年2月に早まっていた。
#寝台特急「紀伊」もこのルートを通っていた。
#夏季・冬季・GWなどの多客期には、臨時列車が運用されていた。
#*所要時間が短かすぎて始発・終着が不便な時間帯になってしまうのでそれはない。
#583系電車において、廃車となる車両が史実よりも少なくなっていた。
#**普通に紀伊勝浦か新宮で長時間停車していたんじゃないの?別にすぐに下りなきゃいけないとは書いてない訳だし。
#「銀河」が史実よりも長く存続していたかもしれない。
#新大阪~都城間を結ぶ「彗星」は24系25形客車で運用されていた。(史実では、1986年11月に14系15形客車に置き換え。)
#東京駅では、583系電車が停車する光景を撮影しようとする鉄道ファンで賑わっていた。


====座席車が残っていたら====
===近鉄鳥羽線===
1976年に20系が投入されるまで普通座席指定車が連結されていました。もし20系化以降も座席車の連結を継続していたら?
;1930年代
#宮原客車区にナハ21が配置されていた。
#「志摩電気鉄道山田線」として開業。
#14系への置き換え後はオハ14とスハフ14が組み込まれる。
#*この場合志摩電気鉄道は参宮急行電鉄に買収されていた。
#*24系25形は投入されなかった。
#**標準軌への改軌が史実よりかなり早まっている。
#大垣夜行の利用者が減っていた。
#計画時期によっては宇治山田駅は最初から通過可能の構造になっていた。
#*「ムーンライトながら」の臨時化が早まった。
#朝熊駅では朝熊山ケーブルカーと接続している。
#*ケーブルカーは戦後復活を果たしていた。
#賢島方面の観光開発は更に進んでいる。
#国鉄参宮線の伊勢市~鳥羽は1960~70年代に廃止されていたかも(史実でも赤字83線に選定されていた)。
#線形は現実よりも悪かったかもしれない。
#*確実に踏切が存在した。
#遅くても難波線開業までに大阪線・名古屋線は全線複線化(宇治山田-鳥羽間の建設・鳥羽-賢島間の改軌費用が回るため)。青山峠区間は(工期短縮が優先)単線並列方式で複線化。そのため上下線の所要時間が異なる。難波線開業の翌年に発生した衝突事故はない。
#*旧東青山駅を経由する線形の悪いルートになるため、アーバンライナーや伊勢志摩ライナーは振り子式車両で製造され、ひのとりは車体傾斜装置を取り付けて製造されていた。


===くろしお===
===愛知環状鉄道===
====485系を投入していなかったら====
;1920年代
くろしおは一時期、一部の列車に485系を投入していましたが、もし、投入されなかったら?
#岡崎市街地や挙母町、瀬戸と東海道本線を結ぶための路線。
#きのくにがもう少し長く続いていた。
#*貨物列車を名古屋市街地に入れないことも意識されている。
#*理由はやくもの短編成化で捻出される381系が回されるまでのつなぎであるため。
#中岡崎駅が「岡崎駅」を名乗っていた。
#*その分、きのくには電車化されていたかも。
#*東海道本線の岡崎駅は「南岡崎」か「岡崎口」に改名された。
#クハ480は登場しなかった。
#戦時中に空襲時の迂回路として城北線に相当する区間も建設される。
#ひたちが485系ボンネット車オンリーになることはなかった。
#現在もJRの路線だったかもしれない。
#*485系ボンネット車はこの時点で廃車が始まっていた。
#*最初から多治見ではなく高蔵寺を目指していたのであれば路線名は「挙母線」になっていた。
#*当初の予定通り貨物輸送も頻繁に行われていた。
#名鉄挙母線は存在しなかった。


===京葉線通勤快速===
;1940年代
====近郊型車両で運行されていたら====
#名古屋の空襲に備えて勝川-稲沢も城北線として同時に建設。三河鉄道上挙母-大樹寺-岡崎駅前間は不要不急路線に指定され休止される。
東京開業の際に新設された通勤快速は、京葉線内の停車駅が少ないことから当時房総各線で使用されていた113系を使用する噂がありました。
#「挙母線」が路線名になる。
#房総用113系に10両固定編成がないため暫くは6+4両編成で運用されていた。
#多治見・高蔵寺ではなく神領が終点になる。
#*少なくとも京葉線から103系が撤退する前には205系での運用となっている。
#*その為、中央(西)線の快速は高蔵寺ではなく神領に止まる。
#**乗車率次第では京葉線にE217系がある程度投入されていたかもしれない。
#*瀬戸~多治見間の建設計画も出るが着工されない。
#***現実でも外房・東金線直通の2階建て列車運用があるので、こちらについては113系で運行していた。
#**多分非電化。
#所属が当時の京葉電車区でない以上、送り込み列車として通勤快速以外の運用についていた。
#1970年代に、全線にわたり複線化と電化が行われた。
#仮にこの運用体制が現在まで続いていた場合、東京駅で500番台以外の209系を見られる貴重な機会となっていた。
#*上の城北線も同時期に。
#京葉線に201系が転入することはなかった。
#*その為、名古屋を迂回するバイパスルートとして、挙母線と城北線の建設効果を十分発揮した。
#E233系5000番代の導入は史実と変わらないが、209系500番代が1本だけ残留し続けることもなかった。
#*[[愛知万博|愛・地球博]]の観客輸送で活躍している。
#現在は城北線も含めJRの路線に。


===さくら(寝台特急)===
===名鉄羽島線===
====14系15形客車で運行されていたら====
;1964年
史実では、1986年11月に一部が「さくら」に投入されましたが、ここでは、1970年代後半に、「あかつき」とともに投入された場合として考えます。
#「夢の超特急」との連絡線ということで開業時は大々的にPRされた。
#当然ながら、「みずほ」にも投入されていた。
#*新岐阜からの直通特急が設定されていた。
#余剰となった14系客車は急行「銀河」に史実よりも早く投入されていた。
#この路線の建設に関しても大野伴睦が絡んだ噂がささやかれる。
#*急行「ちくま」・「だいせん」もしくは、急行「かいもん」、「日南」辺りに投入されていた可能性が高い。
#現在は結局現実と大きな差はない。
#20系客車の廃車が史実よりも早まっていた。
#*ただし新羽島駅の駅舎はもっと古い。
#*国鉄時代に全廃となっていたかもしれない。
#**地平ホームの1面2線になっていた。
#どのみち竹鼻線の江吉良以南は廃止される。
#一部で国鉄による買収が噂されるも実現せず現在に至ると思われる。


===しらゆき(急行時代)===
===名鉄豊田線===
====電車化されていたら====
;1930年代
しらゆきは日本海縦貫線全線電化後も白馬と併結する関係から廃止まで気動車で運行されましたが、もし、電車化されていたら?
#三河鉄道の経営状態が良ければ着工できた。
#457系で運行していた。
#八事以西が名古屋市電八事線になることはなかった。
#*457系は3電源方式を生かせる運用ができていた。
#*軌道廃止後に地下線で伏見か栄に乗り入れる。
#長距離運行のため、ビュフェが連結されていた。
#**あるいは神宮前に延伸され[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]と接続していた。
#白馬は単独運行となっていた。
#踏切がある代わりに加算運賃が存在しない。
#*トンネルも現実より少なく、一部のルートが現実と異なっている。
#[[名古屋市営地下鉄鶴舞線|地下鉄鶴舞線]]は存在しないか八事止まり。
#特急が運転され名古屋〜豊田を30分以内で結んでいた。


===彗星===
===名鉄豊川線===
====24系25形客車のままだったら====
;1920年代
史実では、1986年11月には、14系15形客車に変更し、1994年12月には、24系25形客車に変更しました。1986年11月以降、24系25形客車で運用されていたら
#飯田線国有化前なので豊川駅に乗り入れていたかもしれない。
#24系25形客車は史実より多く製造されていた。
#名鉄小坂井支線はなかった。
#急行「銀河」は14系15形客車で運用されていたかもしれない。
#*それとも、急行「銀河」は史実通りに24系25形客車に置き換えられて、特急「出雲2・3号」か特急「北陸」か特急「さくら・みずほ」が14系15形客車に置き換えられていたかもしれない。
#*それとも、特急「明星」と特急「あかつき」の併結運転はなかったかもしれない。ただし、1986年11月のダイヤ改正で廃止されたのは史実通り。
#**いや、特急「明星」と特急「あかつき」の併結運転は史実通りで1994年12月までに運行されていたかもしれない。
#特急「彗星」は2007年3月or2008年3月までに運行されていたかもしれない。
#*そのあたりで大分~都城が廃止されて大分どまりだったかも。さすがに宮崎止めになって宮崎~都城廃止はないだろうしね。


====583系電車のままだったら====
===名古屋市営地下鉄上飯田線===
1975年から1978年まで大分発着は583系電車での運行だった。
;1980年代
#最後まで都城発着だった。
#新栄町駅まで開業していた。
#「なは」も583系のままだったかも。
#*名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
#廃止時期は現実通り。
#*市役所経由で金山まで開業していた可能性もあり得る。
#名古屋市交通局7000形電車は、3000形電車をベースに製造されていた。
#名鉄小牧線は小牧~犬山間も複線化されていた。


===川内エクスプレス===
;1990年代
====出水駅発着だったら====
#早くても、1991年頃に開業していた。
前身のこの区間の「さわやかライナー」・「ホームライナー」は九州新幹線開業まで出水発着でしたが
#*新栄町駅まで開業していたかもしれない。
#列車名は出水エクスプレスになっていた。
#*名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
#おれんじ鉄道に電車が走る稀有な例になっていた。
#*もしかしたら、丸田町の先である矢場町or金山or鶴舞orささしまライブまで延伸していた可能性もある。
#*ちょうど糸魚川快速みたいな感じになるか。おれんじ鉄道線内は快速扱い・グリーン車自由席扱いだったかも。
#7000形電車が史実よりも早く登場し、製造数も史実よりも多くなっていた。
#廃止は史実通り。
#間内駅付近に車庫ができていた。
#桃花台新交通桃花台線が廃止されることはなかった。
#運行本数が史実よりも多くなっていた。
#2004年には東部線(ささしまライブ~高針橋)が開業していたかもしれない。
#*グローバルゲートを含むささしまライブ24地区の再開発事業が史実よりも進んでいた。
#**中京テレビの移転も史実よりも早まっていた。
#*その際に、上飯田線は2003年頃に丸田町まで延伸していた。
#名鉄300系電車は100系電車、200系電車と同じのタイプの車両に製造されていた。
#*3300系電車(2代目)が投入されることはなかった。


===宗谷(急行時代)===
;2001年
====客車化されなかったら====
#間内駅付近に車庫ができていた。
#大幅なスピードダウンはなかった。
#それ以外で、史実とあまり変わらなかった。
#寝台車を座席車として開放することもなかった。
#キハ400への置き換えは史実通りだった。


===ななつ星in九州===
===名古屋市営地下鉄桜通線===
====動力分散方式だったら====
====野並~徳重====
#気動車になっていた。
;1990年代
#*車両形式は現実通り77系だった。
#6両編成で運行されていたかもしれない。
#*現実以上にE655系と比較されている。
#緑区における宅地開発が史実よりも進んでいた。
#*車両はステンレス製になっている。
#2011年に徳重~豊明北間が開業していた可能性もあり得る。
#DF200-7000は製作されず、北海道以外にDF200が進出する事もなかった。
#*もしくは、野並~徳重~豊明北間として開業し、車庫は当初の計画通りに豊明北駅付近に車庫ができていた。
#*黒塗りのDE10も増えなかった。


===はくたか===
;2000年代
====489系が通常に使われていたら====
*史実では、2011年3月に開業しました。
#681系の不具合の場合、代走は683系0番台を使っていた。
#2005年に開業した場合、開催されていた愛知万博に合わせての開業であった。
#おそらく1往復のみの運転になっていた。
#開業記念イベントが実際に行われていた。(史実では、東日本大震災の影響により、中止となった。)
#489系の引退は北陸新幹線開業後になり遅れていた。
#その後も、延伸計画が実施されていたかどうかは怪しい。
#*どこかの段階でキトの485系をこっちに持ってきて、それが代替になっていたのでは。
#無論、6050形電車の登場が史実よりも早まっていた。
#160km/h運転を行う列車には「はくたかホワイトウィング」の愛称がついていた。


===はるか===
====中村区役所~今池====
====全列車9両編成化されるのが史実よりも早まっていたら====
;1970年頃
#ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業が史実よりも早まっているか、2008年に大阪オリンピックが開催されていたら、確実にあり得た。
#国鉄(当時)名古屋駅付近は,地下街「エスカ」「ユニモール」と一体で建設された。車両の大きさは,東山線・名城線(・名港線)と同じ。
#草津・米原発着の列車が設定されるのが史実よりも早まっていた。
#*市電中村線は2年程早く廃止される。
#*1998年3月頃に行われていた。
#**その為桜通線は稲葉地~今池間が最初の開通区間に。
#*草津発着の列車が野洲までに延長していた。
#*中村公園駅に,東山線との連絡線も同時に建設。
#2019年に271系電車が登場することはなかった。
#*稲葉地付近に車庫が建設される(大規模な検査は中村公園駅の連絡線経由で回送の上,東山線藤が丘工場で実施)。
#*その代わりマイナーチェンジ車である281系1000番台が登場していたかも。
#現実より建設費が安く,市の財政状況が少し良くなる。現実より浅い場所を通る。
#**制御装置は223系1000番台などと同じくIGBT-VVVFになっていた。


====183・283・287・289・381・485・681・683系も運用されていたら====
===名鉄知多新線===
#おそらく臨時列車のみ運用された。
;1930年代
#*281系代走で見られたかも。
#常滑か河和から延伸していた形で開業していた。
#*「雷鳥・サンダーバード・北近畿の関空乗り入れ」の前哨と言われる。


===大和路快速===
;1970年代
====史実よりも早く全ての列車が8両編成で運行されていたら====
#沿線の宅地造成が史実よりも進んでいた。
史実では、2020年3月にダイヤ改正で、全列車が8両編成で運行される予定。
#*小野浦駅が開業していた可能性が高い。
#221系電車が史実よりも多く製造されていた。
#名鉄による観光開発が史実よりも進んでいたかもしれない。
#みやこ路快速の全列車が6両編成で運行されるのが史実よりも早まっていた。
#*南知多ビーチランドと内海フォレストパークの開園が史実よりも早まっていたかもしれない。
#大阪環状線の混雑が緩和されていた。
#*8800系電車の登場が若干早まっていたかもしれない。
#2020年3月のダイヤ改正で日中の和歌山線直通の快速列車が廃止されることはなかった。


===よねしろ===
===名古屋市営地下鉄名城線===
====電車だったら====
====新瑞橋-大曽根====
#花輪線と直通運転することはなかった。
;1980年頃
#当時、急行形電車はその多くが普通列車で運用されていたため、485系で運用され、たざわと共通運用だった。
#[[ナゴヤドーム]]ではなく瑞穂公園に大規模な車庫が建設される。'70年代後半に,2000形(3000形同様の,電機子チョッパ制御・スキンステンレス車両)が名城線に導入される。史実の2000形相当の車両は,2050形を名乗る。
#*その後はE751系に置き換えられていた。
#*2000形は当初から冷房付き。2010年代後半にN2000形(N1000形ベースの名城・名港線用車両)に置き換わる。名城線の6連化は早まる。
#グリーン車が連結されていた。
#総合リハビリセンター駅は当初の計画通りに清水ヶ岡駅と名乗っていた。
#快速格下げは史実通りだが、指定席設定のため、愛称は堅持されていた。
#*かもしか→つがるに統合されていた可能性もある。
#**大館発着の列車につがるはおかしいのでかもしかのままだったかも。
#***JR東日本の感覚では行先別愛称が徹底されるだろうから。


==ホームライナー化したら==
===名古屋市営地下鉄鶴舞線===
===あいづ・あいづライナー===
====上小田井-庄内緑地公園====
#485系時代は史実と変わらない。
;1985年頃
#現在はE721系で運行しているが、史実の指定席改造車のような設備に改装した編成が使われていた。
#市交通局3000形・名鉄100系は、1990年頃までにすべて6両化される(従来編成に中間車両を挿入)。その代わり、名鉄100系4+4両編成は存在しない。
#*市交通局3000形・名鉄100系の製造数が史実以上に。
#史実より、1980年代後半の鶴舞線・名鉄犬山線・名鉄豊田線の混雑を緩和している。名鉄犬山線・豊田線の宅地化が、(バブル景気の頃)史実以上に進む。


===アテルイ===
====伏見-八事====
#愛称はアテルイではなく、もりおかライナーだった。
;1970年代前半
#ライナー列車として運行する性質上、キハ110系0番代で運用されていた。
#開業当初の車両は300形を20m車・片側4扉・直流1500V架線集電方式に変更した車両。ただ、抵抗制御車両で、当初は非冷房で登場した。
#*あるいは485系がこちらにも回されていた。
#八事~赤池間の延伸も早かった、名鉄豊田新線(当時)も同時期に開通している。


===かいおう===
===桃花台新交通===
#愛称は筑豊ライナーだった。
;1980年
#車両はほぼ現実と変わらない。
#8月の入居開始までに開業。
#1990年頃に高蔵寺まで延伸される。
#桃花台ニュータウンと小牧市の人口が史実以上に多かった。
#名鉄、日本車輌、三井物産(日車と物産はVONAを共同開発)が主要株主に。


===通勤ライナー(JR西日本)===
===名古屋市営地下鉄東山線===
中国地方で運行している快速「通勤ライナー」は料金不要ですが、もし、ホームライナーとして運行していたら?
====名古屋-栄町====
#山陰本線や山口線はキハ187系で運行していた。
;1930年代
#*381系も(現実でも運行されていた)。ただしグリーン車は料金を徴収。
#=「名古屋地下鉄道」が実現していたらである。
#山陽本線や呉線は通勤ライナー仕様の227系を投入していた。
#当初の車両は木目調の内装だった。
#*新快速のAシートに近い設備を持つ車両を投入していた。
#*車体は流石に全鋼製車体。
#芸備線はキハ47形を改装した車両を投入していた。
#建築限界の規格は史実より大きい。
#*ホームの長さも8両編成ぐらいまで対応していた。


===はまゆり===
===遠州鉄道奥山線===
#車両はほぼ現実と変わらなかった。
;1940年代前半
#愛称ははまゆりではなく、陸中ライナーだった。
#遠州電気鉄道(遠電)の三方原線として建設された。
#*当初は非電化・1067mm軌間で省線との直通が考慮された。
#**陸軍飛行学校への引き込み線が存在した。


===ふじかわ===
==甲信越・北陸==
#観光列車のイメージが無くなる以外そんなに変わらないかもしれない。
===北越急行ほくほく線===
#安く静岡と甲府を行き来できると18きっぱーに重宝される。
;1970年代
#列車の性質上、日中の運行はなかった。
#「南北戦争」と呼ばれる地元でのルート争いがなかったのが前提。
#*日中は料金不要の快速を運行していた。
#現実ほど高規格ではない。
#*美佐島駅があそこまで堅牢な構造になる事は無かった。
#*ただ、貨物列車の走行に対応した構造になっていた。
#駅名はそこまで奇抜ではない。
#*増田駅(史実のくびき駅)の駅舎も。
#*時期次第では武蔵野線に「武蔵新座」駅ができていた。
#**酷い場合はそちらが「にいざ駅」になっていたかも…
#この路線の開業時から上越新幹線開業まで上野-金沢の「はくたか」が通っていた。
#*新幹線開業後は越後湯沢-金沢だけ存続。
#**北陸新幹線開業後はさすがに廃止か。
#「電車でGO!」には登場しなかった。
#特急「かがやき」は誕生せず。
#*いや、むしろ特急「きらめき」が「かがやき」と名乗っていた可能性がある。
#**「きらめき」は現在、九州の特急列車だから被らなくて済んだだろう。
#急行「よねやま」が柏崎発着に短縮されたかも。
#*むしろ、別途に上野~十日町~直江津間を結ぶ急行「魚沼」が1982年11月頃までに運行されていた。
#2001年3月までに特急「雷鳥」が当路線に乗り入れて、越後湯沢までに運行されていたかもしれない。
#急行「能登」と特急「北陸」が当路線を経由していたかもしれない。
#もし国鉄→JR東日本の運営だったら、北陸新幹線延伸開業までは、故宮脇俊三氏の著書「線路のない時刻表」で書かれていた空想ダイヤそのまんまのダイヤで運行されていた。史実とは違って最高速度はせいぜい110km/hで、高速化特別工事も実施されず。


===よねしろ===
===万葉線===
よねしろは1986年に秋田-大館間を急行運転し、大館-陸中花輪間は普通列車として直通運転を行う列車として設定され、通勤輸送の役割も果たす観点から急行として設定されましたが、もし、ライナー列車だったら?
;1910年代
#国鉄が地方にもライナー列車の設定に意欲的だったらこうなっていた。
#開業当初の社名は「高岡電気軌道」。
#列車名はホームライナー秋田だった。
#*いずれにしろ戦時統合で地鉄→加越能→万葉線。
#車両は485系が使用され、たざわと共通運用だった。
#国鉄新湊線は一度も旅客営業を行うことがなかった。
#*その代わり、花輪線と直通運転を行っていなかった。
#*「貨物線なのに独立線名」とはならず、名実共に氷見線の貨物支線になっていた。
#*グリーン車も連結していた。
#場合によっては戦時統合まで射水線と直通していなかった。
#快速しらかみとの逆転現象も起きなかった。
#開業当初の車両が60年代くらいまで走っていた。
#第三セクター化により開業当初に近い社名へ戻される。
#伏木線以外にも廃止になった支線があった。


==その他==
===富山地方鉄道不二越・上滝線===
===いしかりライナー===
;1950年代
====快速のままだったら====
#この年代だと路線が比較的高規格のはずなので、こちらが立山駅行き特急のルートになっていた。
:2001年に「いしかりライナー」は快速から区間快速に変更されました。もし、現在も快速のままだったら?
#*むしろ立山へ行くときに遠回りな五百石線(現立山線)の短絡線として建設されていた。
#快速のままでも乗客は誰も気にしない。ただし、「快速運転区間である札幌~江別間しか走行しないのに区間快速を名乗っている」という矛盾がある列車は設定されなかった。


===オリエント・エクスプレス'88===
==中国・四国==
====実現しなかったら====
===予土線===
#北斗星の北海道編成・夢空間・トワイライト・カシオペアは存在しなかった。
;1980年代
#*それどころか日本の寝台列車は全滅していたかも。
#第三セクター線での開業。
#**或いは寝台列車がカートレイン化されていた可能性がある。
#*江川崎-若井は国鉄線として運行されたことがない。
#*「日本海」の西日本編成が予定通り食堂車(青塗装のスシ24形0番台)を連結し、札幌に延長されていた。
#*会社名や路線名に「四万十」という語句が入る。
#*JR九州のななつ星やJR各社のクルーズトレイン計画も無かった。
#史実通り中村線も経営分離された場合、若井駅が貴重な「異なる会社の三セク線同士の分岐駅」として鉄道ファンに注目される。
#箱根のラリック美術館も無かったかもしれない。
#*予土線を受け持っていた3セクが史実の土佐くろしお鉄道に発展すると考えたほうが自然だと思うが。
#[[フジテレビ]]の沼田氏は大バッシングを受けていた。
#**その場合、愛媛県も出資している関係で「予土くろしお鉄道」という社名になっていたかもしれない。
#昭和の鉄道史が地味に終わっていた。
#一部の駅に凝った装飾が施される。
#フジテレビ開局30周年記念の際も地味な企画が行われていた。
#*候補:土佐大正、土佐昭和、半家
#オリエント急行って何ですか?
#ディーゼルカーの新幹線は走らなかった。
#*本家に行けば分かるさ。
#*牟岐線や鳴門線辺りに走らせている気がしなくもない。
#[[KATO]]がオリエント急行のNゲージ模型を売る事もなかった。
#*あるいはこの三セク会社が走らせる(JRグループだからこそあった発想のような気もするが)。


===こだま===
===木次線===
====急行として運転されていたら====
;1970年代
*当初は急行列車として運転する案があり、実際に1000形B編成にはボックスシートが用意されていたそうです。
#全線が最初から国鉄線として建設された。
#試験車同様ボックスシートが設置されていた場合、「ひかり」との編成共用が出来なくなっていた。
#そこまでカーブだらけではない。
#*史実よりも早く100系のような車両が開発され、「ひかり」用編成として使われる事になっていたかもしれない。
#*大東町には寄れていない。
#**「こだま」用車両もその頃にはボックスシートから転換クロスシートにグレードアップされていた。
#島根・広島の県境は長大トンネルで突破。
#*ボックスシートは史実の583系と同様のものになっていた。
#*出雲坂根駅は存在しなかった。
#流石に民営化までには特急になっていた…はず。
#三江線と同様に全線開業前に「赤字83線」に指定されていた。
#*今でも急行のままだったら特急誘導が露骨になっていた。
#急行ちどりはもう少し存続していた。
#「スピードアップしたのに種別は特急から急行に格下げ」という珍しい事態になっていた。
#備後落合駅でのスイッチバックが必要でない線形だったかもしれない。
#東北・上越新幹線でも「あおば」「とき」が急行になっていた可能性もある。
#特定地方交通線指定→解除の経過はほぼ史実通り。
#*但し民営化後の行先別種別への変更で全列車特急に変更される。
#*Maxの座席はまともな評判だった。
#東海道本線の昼行急行削減が早まった。
#山陽新幹線内各停停車の「ひかり」はなかった。
#東海道・山陽新幹線の駅はさらに増えていた。新横浜-小田原間、米原-京都間には確実に駅が造られていた。
#繁忙期に周遊券族が多数押し寄せる。
#「こだま=急行 ひかり=特急」ということに。
#*ちなみに史実ではひかり=「超特急」。
#電車は使用されず、機関車牽引の客車列車で運転されていた。


===のぞみ===
===水島臨海鉄道===
====誕生しなかったら====
;1910年代
#東海道・山陽の最高位種別は今でも「ひかり」。
#主に連島・福田地区と倉敷市街地や駅を結ぶのが目的。
#*もしくは史実の「のぞみ」が「スーパーひかり」になっていた。
#*倉敷駅を出てから市街地外周を経由するルートだった。
#*山陽に「ひかりレールスター」は登場しなかった。
#戦時体制に入るまではのどかなローカル線だった。
#桃太郎電鉄で「のぞみカード」、「のぞみ周遊カード」は誕生しなかった。
#*戦争中に軍需工場への路線として大幅に輸送力が強化される。
#*「ひかりカード」になっていた?
#*その後は史実と大差ない雰囲気に落ち着く。
#*もしくは「はやてカード」になっていた。
#**あまりの変貌ぶりのため社会科の教材などで取り上げられる。
#「崖の上のポニョ」の主題歌は違う子が歌っていた。
#当初の社名は「倉敷軽便鉄道」。
#*それとこれとは関係ないんじゃない?
#*軌間762mmで開業していたかもしれない。
#**いずれにせよ、「のぞみ」という名前の子供は現実よりも少なくなっていた。
#日本に「望み」がなくなる。
#*絶望の国・ニッポン・・・。
#のぞみ料金もないのでJR東海・JR西日本の収益が現実より少し低かった。
#シャトルひかり・グランドひかりが今も走っている。
#2011年3月の[[九州新幹線]]全通の際にも「みずほ」は誕生しなかった。
#*[[東北新幹線]]に「はやぶさ」が誕生しなかったかもしれない。
#**この場合「はやぶさ」の愛称は九州新幹線で使われていた可能性がある。
#**寝台特急「はやぶさ」が電車化のうえ存続している可能性だってあるはず。
#東京~大阪間では現実よりも航空機を利用する人が増えていた。
#*[[神戸空港]]の開港が早まっていた。
#*東京~岡山・広島間では圧倒的に航空機が有利になっている。東京~福岡は言わずもがな。
#山陽新幹線限定で史実ののぞみに当たる種別が導入されていた。
#*もちろん500系使用。
#近鉄名阪甲特急は現在も全列車が鶴橋~名古屋間がノンストップ運転を行なっている。
#*名阪間はのぞみも速達ひかりも速さは変わらないから、あまり関係ないと思うが。
#寝台急行「銀河」は285系電車化・特急格上げのうえ存続していた。
#京阪神~福岡間の夜行バス「ムーンライト」が廃止されることはなかった。


====のぞみより早い愛称があったら====
===アストラムライン===
#愛称は何になっているだろうが…。
;1980年代前半
#*「きぼう」かもしれない?
#まずは本通-長楽寺が開業。
#東海道新幹線と九州新幹線直通運転が実現していたかもしれない。
#*市内中心部は工事が難航した場合「暫定開業」という形をとっている。
#停車駅は「東京-名古屋-新大阪-広島-博多-熊本-鹿児島中央」か。
#開業当時の報道ではほとんど「地下鉄」や「モノレール」と表現されている。
#リニア開業でもちろん廃止に。
#車両の塗装は白っぽい。
#*リニアの方に使用されるでしょう。
#祇園新道やシャレオの建設も早まっているはず。
#もちろん、現実の「のぞみ」・「みずほ」にはJR全線乗り放題系の乗車券やレール&レンタカーとジパング倶楽部の特急料金の割引が使えるようになっていたか?
#バブル期には現実以上の延伸計画が持ち上がる。
#*しかし実際に開業した区間は少ない。
#*1990年頃に[[Wikipedia:ja:西風新都|西風新都]]が完成、長楽寺から広島修道大学の沼田キャンパス辺りまで延伸される。


====静岡に停車する列車が設定されていたら====
===呉市電===
*静岡県側からよく要望が出ていますが、速達性の問題などから実現は夢のまた夢だそうです。
;1920年代
#「のぞみ」中心のダイヤになるまではまだ何とかなっただろうが、現行のダイヤだと「のぞみ」が「のぞみ」を追い抜く事態が発生する可能性が……。
#史実でもあった広島瓦斯電軌(現在の広島電鉄)の軌道線計画が実現した形。
#*他の停車駅の案内では静岡を通過するのぞみの方が早く着く事をしきりに訴えていた。
#軌間は広島市内と同じ1435ミリ。
#*下手すると代わりに「ひかり」がある程度削減されるという事になりかねない。
#広島市-呉市の鉄道線建設が広電の悲願になった。
#浜松側からの停車要望も張り合うかの如く加熱していた。
#*しかし開業することはなかった。
#*場合によってはどちらかに千鳥停車する事で妥結していたかもしれない。
#少なからぬ車両は広島のお古。
#もっと早くから設定されていたら特急「東海」は急行時代に廃止されていた。
#*原爆投下直後は逆に呉の車両が広島へ渡っていたかもしれない。
#*東京〜九州間の寝台特急も廃止が早まった。
#人口や並行路線(呉線)の存在を考慮すると現存の可能性は薄い。
#静岡空港駅設置の要望は現実より弱い。
#*広電と接続できれば(JRがあの調子なので)それなりに残れた可能性もあったかもだが……


====全て名古屋を通過していたら====
===土佐くろしお鉄道===
#「東京と大阪を早く結ぶため」とされていた。
====ごめん・なはり線====
#JR東海の本社は東京に出てけ。という運動が行われていたかもしれない。
;1970年代
#「ひかり」の本数が増加していた。
#キハ40系気動車とキハ54形気動車とキハ58形気動車が当路線を走行していた。
#名古屋市民と横浜市民の関係が険悪になっていた。
#奈半利~室戸間も着工するが、それでも開業に至らなかった。
#リニア中央新幹線は最初から全区間を着工することになった。
#特定地方交通線に指定され、1988年3月に中村線とともに土佐くろしお鉄道に移管していた。
#名古屋が現実よりも衰退していた。
;1990年代
#*日本の3大都市圏は東京・大阪・福岡圏になっていたかも。
#1996年頃or1997年頃に開業していた可能性が高い。
#2002年7月に室戸まで開業していた。
#*その場合、高知~室戸を結ぶ特急「むろと」か快速「むろと」が運行されていた。
#*奈半利以遠は工事の進捗状況からしてさすがに厳しかった気がする。
#宿毛線の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。


===ひかり===
====宿毛線====
====静岡県内の駅に停車しなかったら====
;1970年代
#静岡県内の駅は「こだま」しか停まらなかった。
#窪川~中村~宿毛間が宿毛線になっていた。
#究極の静岡いじめだと言われていた。
#*土讃線に編入されていたかもしれない。
#*小田原駅・豊橋駅に停まる列車が存在したら尚更。
#特定地方交通線に指定され、1988年3月に土佐くろしお鉄道に移管していたのは史実通り。
#こだまの1時間当たりの本数が増加していた。
#*その代わりに、路線名は、窪川~中村~宿毛間で宿毛線となっていた。
#1997年10月には、ごめん・なはり線が開業していた。
#*ごめん・なはり線の開業が史実よりも遅れたのは宿毛線の建設に力を注いでいたため。
#宿毛駅が史実とは異なった場所に設置されていた。
#*宇和島方面へ延伸できる構造になっていた。


{{DEFAULTSORT:れつしやしゆへつこくてつしえいああるれつしやへつ}}
===三江線===
[[category:もしも借箱/国鉄・JR]]
;1980年代以降
[[category:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史]]
#第三セクター鉄道として開業していた。
[[カテゴリ:列車種別|もしれつしやしゆへつしえいああるれつしやへつ]]
#観光鉄道として売り出していた。
 
==九州==
===筑豊電気鉄道===
;1930年代
#地元資本(主に炭鉱関係者)とどこかの鉄道会社の合弁。
#*当初の社紋は史実と全く異なる。
#*合弁相手の鉄道会社は[[Wikipedia:ja:九州鉄道 (2代)|九州鉄道(2代目)]]が有力。
#黒崎駅へは自力で乗り入れ。
#戦時統合で西鉄の路線になっていた。
#*路線名は「西鉄筑豊線」。
#開業当初の車両は「関東や関西の私鉄電車に匹敵する」無駄に高性能なもの。
#飯塚辺りまでは何とか開業できていた。
#*それでも八木山峠は結局越えられず。
#貨物輸送はさすがにやっていない。
 
===沖縄都市モノレール===
;終戦直後
#沖縄県の電車復活として開業されるが、アメリカ式の電車として開業していた。
#*沖縄復帰後は国鉄(JR九州?)が一部の路線として生まれ変わるかもしれない。
#*むしろ地元資本による開業。
#**当時のアメリカではインターアーバンが衰退期の真っただ中だった。
#走る車両は一時期のソウルや釜山の市電ばりにアメリカのお古だらけだった。
#*場合によっては一部車両が現在も保存されている。
#少なくとも糸満やコザまでは線路が延びている。
#*コザ暴動で何両か列車が焼き討ちにあっていた。
#そもそもこの場合は730まで列車も右側通行になるんだろうか?
#*現在では右側通行時代の車両が保存されている。
#*併用軌道の区間がない限りわざわざ左側通行に変える必然性はなさそう。
#**自動車が左側通行から右側通行に変更されたスウェーデンや韓国でもそれ以前にできた鉄道(路面電車を除く)は左側通行のまま。
#*そもそも730が出来たのは鉄道がなかったからということも言われますし。
#*「日本国内で右側通行の貴重な鉄道路線」として注目される。
 
;1970年代(返還直後)
#沖縄返還として開業する。もちろんモノレールではなく電車式。
#現実のルートではなさそう。那覇から名護を結ぶ路線になりそう。
#こっちの場合も6年間だけ列車が右側通行になる。
#*もしくは予め左側通行への変更準備が行われていた。
 
;1990年代
#首里城公園が開園した1992年か九州沖縄サミットに開催された2000年(前年の1999年)に開業していた。
#2003年には、浦添前田駅までに延伸開業していた。
#*2019年には、てだこ浦西駅までの延伸開業をしていた。
#*むしろ、2003年にてだこ浦西駅までに開業していた可能性もあった。
#会社自体は82年創設なのでこうならなかったのがむしろ不思議。
#現在までに4両編成化されている。
#那覇新都心における再開発が史実よりも進んでいた。
 
;2001年
#21世紀最初の年に開業いていたこともあって、注目された。
#2002年のFIFAワールドカップの開催を機にラッピング列車が運行されていた。
#沖縄タイムスの移転など那覇新都心の開発事業が史実よりも進んでいた。
#2003年頃に石嶺駅まで先行開業していた可能性もある。
#*てだこ浦西駅までの延伸開業は史実通り2019年に開業していた。
#*いや、当初の予定通り、2019年春に開業していた。
#*2003年にてだこ浦西駅までに延伸していた可能性もある。
 
====首里~てだこ浦西====
;2003年
2003年8月に最初から、那覇空港~首里~てだこ浦西間が開業していたら…
#3両編成で運行されていた。
#浦添市でも住宅団地の整備が史実よりも進んでいた。
#*セブンイレブンやドンキホーテなどの企業が史実よりも早く沖縄県に進出していた。
#*てだこ浦西駅周辺の開発も史実よりも早く進んでいた。
#沖縄県において、パーク&ライドが流行していた。
#首里で折り返す列車は通常ダイヤで設定されなかった。
 
;2015年
#てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
#2019年の開業の時とあまり変わらなかった?
#浦添市にとって、市制施行45周年という記念すべき年であったので、二重の喜びであった。
 
;2019年春
#てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
#浦添市の市街化が史実よりも進んでいた。
#当路線でのSuicaの利用開始も延伸開業を機に同時に行われていた。
 
===大分交通別大線===
;1930年代
#別大国道の整備と並行して建設される。
#両端の駅にはターミナルビルのようなものが建設された。
#*大分側にはトキハ本店が入居していたかもしれない。
#大分市内の区間は戦後復興で専用軌道化される。
#もう少し「鉄道線」然とした車両が使われていた。
#場合によっては一部区間が現存していたかもしれない。
#*それでも別府市内の併用軌道部分は廃止される。
#時々身の丈に合わない壮大な延伸計画が持ち上がることもあった。
 
===長崎本線===
;1840年代
#最初はオランダ側が無許可で作ったものなので数年で撤去された。
#*出島のオランダ人は商館長の江戸訪問時を除き島の外に出られなかったのでそれはない。
#開通当初は長崎の住民に恐怖が充満した。
#*むしろ「恐怖半分興味半分」とでも表記したほうが正確な状態では。
#最初はウシが引いていたが、しばらくして蒸気機関車の使用も開始された。
#いったい最初の開業区間はどこなのか…
 
=== 鹿児島本線 (八代~川内~鹿児島) ===
;1900年代
#当然、九州自動車道の八代以南は西回りで建設された。
#人吉~吉松間は建設すらされなかった。
#*代わりに立野-延岡間が1930年頃に全通。
#*現実より急勾配・急曲線が多く、トンネルの数が少ない。
#宮崎方面へは水俣駅で分岐していた。
#人吉は平成の大合併まで市制を敷けなかった。
#現実以上に曲線が多かった。
#*電化時に一部区間の線路が付け替えられる。
 
===福岡市営地下鉄七隈線===
;1980年代
#1000系電車と同じタイプの車両が登場していた。
#天神~橋本間or博多~橋本間として、開業していた。
 
;1990年代
#遅くても、1999年頃までに開業していた。
#3000系電車の登場は史実通り。
#史実通りに天神南~橋本間として、開業していた場合、2005年に天神南~博多間が開業していた。
#*博多駅前道路陥没事故は起きていたのであろうか?
#*九州新幹線が全通した年である2011年に開業していた可能性もある。
#**その代わりに、東日本大震災の影響により、開業記念イベントは中止となっていた。
#キャナルシティ博多の利用客が史実よりも多くなっていた。
#*キャナルシティ博多イーストビルの開業も史実よりも早まっていたかもしれない。
 
==海外==
===英仏海峡トンネル===
;1890年代
ドーバー海峡にトンネルを建設する構想は古くからあり、19世紀に最初の調査・掘削が行われています。
#オリエント急行はロンドン発着だった。
#*後のTEEにも「ブリタニア」「ロンディニウム」などの愛称を持つロンドン発着の列車があった。
#現実より断面が小さい。
#大戦中にドイツ軍の攻撃対象にされた。
#*むしろイギリス上陸作戦の足掛かりとして無傷で確保せよとの指示が出ていた。
#**作戦名も「アシカ作戦」ではなく「ダックスフント作戦」あたりになっていた。
#欧州大陸と同じ規格で建設されたグレート・セントラル本線が真価を発揮できていた。
#*もちろんビーチング・アックスの魔の手にもかからず現役バリバリだった。
;1980年代
1978年に掘削が再開されましたが、その後1986年まで工事中止になってしまいました。
#当初は「世界最長の鉄道トンネル」を名乗った。
#TGVは北線が優先的に建設される。
#日本にカートレインが登場する時期が早まっていた。
#Class 373はTGV Sud-Estをベースとした車両になっていた。
#日本の青函トンネルが開業した年である1988年になっていた可能性もある。
 
===瀋陽地下鉄(中国)===
;1940年代
#要するに、[[もしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄#奉天市地下鉄道(中国)|この計画]]が実現。
#北京ではなくこの地下鉄が「中国初の地下鉄」に。瀋陽市民の自慢ネタが増える。
 
===ソウルメトロ(韓国)===
;1930年代
#[[大阪市高速電気軌道御堂筋線|御堂筋線]]の一部区間のように昭和恐慌の失業者対策の一環で建設された。
#日本時代に建設(開通)した路線は左側通行になる。
 
==関連項目==
*[[もしあの駅が別の年に開業していたら]]
 
{{DEFAULTSORT:へつのとしにかいきよう}}
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道路線史]]
[[カテゴリ:もしも借箱/鉄道路線]]

2021年6月1日 (火) 15:18時点における版

分割済み

二地域以上

東北本線

1870年代
  1. 東海道本線と同時に開業。でも、東海道本線と接触はしないかも。
    • 直接接続しようとすると東京市街地を地上で貫通する必要があるため起点は史実通り上野だったと思われる。
  2. やはり大宮はハブられる。
    • 高崎線開業時にやっぱり分岐駅として開業か?
    • 高崎線がない状態での建設なら中山道沿いのルートなど端から通らないはず。つまり日光街道沿いに敷かれる。
  3. 建設スピードは史実より遅い。
    • 当時金のなかった政府が自前で建設することになったと推定されるため。
    • 利根川の渡がなくなる時期は変わらない。
  4. 最初の部分開業は上野~大宮辺りか。
    • 大宮ではなく岩槻を通っていたかもしれない。
      • と…なると県庁所在地は予定通り岩槻になっていたかもしれない。

上越線

1900年代
  1. ルートは後閑駅付近から赤谷川沿いに進み三国峠で上越国境を越えるもの。
    • この場合水上温泉はあまり栄えなかった。
      • 代わりに猿ヶ京温泉が有名になっていた。
    • 苗場にプリンスホテルは建設されていない。
  2. 沼田から先は壮絶な難工事になっていた。
  3. 一部区間はラック式鉄道が採用され後に輸送のネックになる。
    • 碓氷峠と同時期に改良されていたかもしれない。
    • 後に清水トンネル経由の新線が開業するかも。
      • 新清水トンネルが複線構造になっていた。湯檜曽駅・土合駅は上り線ホームもトンネルの中にある。
  4. 上越新幹線のルートは史実とあまり変わらない。
  5. 川端康成『雪国』の書き出しが変わっている。
    • 明治時代の技術で清水トンネルのような「国境の長いトンネル」はまず無理。
  6. 「上越線」という名称ではなかった。

東海道本線

1840年代
  • この時代には各地で鉄道建設ラッシュでした。
  1. 日本の鉄道歴史が大きく変わっていたかもしれない。
    • というより定時法や新しい製鉄技術などの導入により日本史の流れ自体が激変している。
  2. 京駅(現・京都駅)~草津駅から建設されていた。
    • 上方では公家や寺社辺りが猛反対しそうなので江戸から建設されていた気がする。
      • 徳川幕府主導なら駿府-江戸-日光間が最優先だろう。その後尾張・水戸・紀伊へと支線を敷く構想を考えていたと思われる。
        • 江戸-駿府間が後の東海道本線に、江戸-日光間は後の東北本線と日光線になっていた。
      • 当時の物流や人の流れを考慮するとまず東海道(江戸-京都・大坂)に建設していたのでは。
  3. ついでに、中山道本線も開業。
    • 当時の技術ではついでに開業できるほど楽に建設できたとは思えない。
  4. 横浜駅ではなく神奈川駅と名乗っていたかもしれない。
  5. 東海道新幹線のルートもかなり違う。
  6. 日本の開国相手がオランダではなくイギリスになっているのが前提条件。
  7. 幕府?で鉄道導入を推進した人物が「超人的な先見の明の持ち主」として後世まで称えられる。
    • 当時アジアのどこにも鉄道はなく鉄道に乗ったことのある日本人も誰もいなかった。
    • 「日本の鉄道の父」と呼ばれている。
  8. 史実の中国(清)の鉄道草創期と同じように各方面から相当な反発を受ける。
    • 線路や停車場への破壊工作が発生していたかもしれない。
    • ここで言われている話が本当に存在したかもしれない。
  9. 東京駅はなく江戸駅が存在した。
    • 新橋や丸ノ内ではなく日本橋辺りにできていたかもしれない。
      • 町人地や大名屋敷が建て込んでいて建設不可かと。
        • ターミナル駅は史実の月島付近の新しい埋め立て地に建設していたと思われる。
  10. 荷物列車が運行されていたとすれば飛脚が大打撃を受けていた。
    • 江戸など市中の飛脚はむしろ栄えていたのでは。
  11. 「徳川慶喜は日本初の鉄道ファン」という誤解が史実以上に広がっていたかもしれない(実際には被写体の対象にしていただけ)。
    • そもそも別の人物が日本初の鉄道ファンと言われていた可能性の方が高そう。
1900年代
  1. =東西幹線が中山道ルートだった場合
  2. 静岡県などの有力者が出資した私鉄による建設。
    • 駅間距離が現実より短い。
    • 静岡〜清水間は現在の静岡鉄道静岡清水線を通る。
      • 当時の私鉄は国の代わりに鉄道の全国ネットワークを形成する役割を担っていたので史実通りのルートだったのでは。
  3. 私鉄時代は関西鉄道と仲が良かったかもしれない。
    • というか、史実の関西鉄道が「東海道鉄道」と名乗って、東海道に忠実な路線を敷いていたのかもしれない。
  4. 区間は横浜市-名古屋付近。
  5. 全通からあまり経たないうちに国営化される。

智頭急行智頭線

1960年代
因幡山形
いなばやまがた Inaba-Yamagata
やまさと
Yamasato
ちず
Chizu
  1. 佐用駅では姫新線と線路がつながっていた。
  2. 開業時から急行や特急が多く運転された。
  3. 何らかの形でキハ82が走ったかもしれない。
  4. 特急の所要時間は現実より長い。
    • そのため現在は高速バスに苦戦している。
    • それでも伊丹-鳥取の航空便は廃止されている。
    • JR化後は振り子式のキハ187系投入や一線スルー化などのテコ入れが実施されて、史実とほぼ同じレベルになる。但し、それにかかる費用は地元負担。
  5. 21世紀に入って因美線智頭以南の廃止が噂される。
  6. 「宮本武蔵」駅などできるわけがない。
    • 恋山形駅は「因幡山形」、大原駅は「美作大原」と名乗っていた。
1970年代
  1. 鉄道公団の手によって、建設されていたので、高速化に対応できる設計になっていた。
  2. キハ181系気動車による特急「はくと」とキハ58系気動車・キハ65形気動車による急行「とっとり」が運行されていた。
    • 特急「はくと」は米子までに運行されていた。
    • のちに、特急「はくと」はキハ189系気動車で運行されていた。
    • JR化後に130km/h化対応工事などのテコ入れが実施されて、史実と同じレベルになるが、工事費用は地元負担。
  3. 1972年or1975年に開業した際には、キハ181系気動車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
    • 1975年開業の場合で製造されたキハ181系は、エンジン出力を440PSに落として屋根上ラジエーターを廃止し、保守性や信頼性を高めた1000番台車として製造されていた。
  4. 1981年の神戸ポートアイランド博覧会と1990年の国際花と緑の博覧会が開催された際に、臨時列車が運行されていた。

赤穂線

1930年代
  1. 実質的に山陽本線の別線扱い。
    • かつては特急「富士」「櫻」「燕」なども通っていた。
    • むしろこっちが山陽本線になっていた。
      • よって現実の上郡回りのルートは上郡線になっていた。
        • 戦時中に金属供出によって単線化されていた。
  2. 山陽新幹線建設時にも赤穂経由が検討される。
  3. 赤穂鉄道・西大寺鉄道は太平洋戦争開戦前に廃止される。
  4. 史実の播州赤穂駅は「播磨赤穂」駅として開業していた。
  5. 場合によっては複線化していた。
    • 上記通り山陽本線の一部になっていたら当然。

野岩鉄道

1890年代
  1. 日本鉄道が日光線の延長で建設。
    • 史実の日中線も含め宇都宮〜米沢が「野岩羽線」となる。
  2. 現実よりトンネルが少ない。
  3. 上越線開通前は東京〜新潟の最短ルートとしても重宝された。
  4. 郡山市福島市が史実ほど発展していない。
  5. 下野電気鉄道は存在しなかった。

海峡線

1970年代
  1. 札幌オリンピック開催中は臨時列車が運行されていた。
  2. 大阪や東京と北海道各地を結ぶ列車が多数運行されていた。
  3. 津軽線、江差線は複線化されていた。
  4. おそらく在来線規格だった
    • 松前線が現在まで存続し、代わりに江差線木古内以西は史実より早く廃止。
  5. 北海道新幹線は凍結されたままか、札幌-(新)函館(北斗)間が先に開業。
  6. 青函連絡船では洞爺丸型が延命され津軽丸型は登場しなかった。
  7. のちになって新幹線専用トンネルを建設する計画が出る。
  8. 54年の洞爺丸の事故で建設が急がれたことになっている。このトンネル開通を想定して20系500代(極寒地仕様)が製造される。実際の500代は1000代,1000・2000代は2000・3000代となる。
    • 12系500代・14系500代も新造車として登場。極寒地仕様に改造した車両は左形式の区分代となる。781系も約10年早く登場。485系1500代は存在せず。781系が東北より北を走る特急に使用される。
1990年代後半
  1. 英仏海峡トンネルの注目度が高まっていた。
  2. 旅客列車は最初から特急のみだった。
    • 785系に青函トンネル対応の新区分番台が誕生する。
    • E751系も乗り入れに対応していた。
  3. スシ24は登場せず、九州ブルトレや「出雲」用のオシ24が転用されていた。

瀬戸大橋線

1960年代
  1. 特急「富士」、準急「砂丘」が四国に乗り入れていた。
    • 準急「鷲羽」も高松発着となっていた。
  2. 四国新幹線の用地が確保されていたかは微妙。
    • 「現行の瀬戸大橋が老朽化した段階で新幹線対応の新瀬戸大橋を造ろう」という運動があったかもしれない。
  3. 東京と高知、松山を結ぶ寝台特急が運行されていた。
    • ムーンライト松山、高知の先祖に当たる夜行普通列車も存在した。
    • 「土佐」「いよ」が上記寝台特急の列車名に。急行「土佐・いよ」は別の列車名に。
      • おそらく気動車急行の方は「うらと」「いしづち」を名乗っていたと思われる。
    • 当初は20系で登場し、1972年3月に「さくら」・「みずほ」とともに14系に置き換えられた。
  4. 121系は瀬戸大橋乗り入れ可能な規格で作られていた。
  5. 玉野市は岡山市に吸収されたか。
  6. 瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
  7. 建設資金の調達方法が郵便貯金ではなく世界銀行の融資という形で行われていたかもしれない。
  8. 下津井電鉄が国鉄に買収された。
    • されない。江若鉄道同様廃線→一部の用地が流用される程度だと思う。
    • 少なくとも児島駅の位置は変わる。
  9. 四国の電化が早まった。
    • 最初に投入されたローカル車両は新車ではなくモハ70形・モハ80形が転用されて来た。
  10. そろそろ橋の老朽化が問題に挙がってくる頃だと思われる。
  11. 宇高連絡船の廃止時期が早まっていたのは言うまでもない。
    • 伊予丸型は建造されなかった。
  12. 茶屋町〜宇野はクモハ42あたりの単行運転になった。
  13. 環境問題が深刻化する前のことなので工事による瀬戸内海の生態系への打撃が史実以上に。
  14. 「紫雲丸事故」で建設が急がれた、とされる。宇野線岡山-茶屋町間は1970年代までに完全複線化。
  15. 岡山-高松間を結ぶ快速に、サロ110連結の岡山区113系が使用される。'90年頃に221系(岡山駅基準・下関方先頭車がクロ221、大型の前面窓・ハイデッキ仕様のグリーン車)が岡山区に配置され、113系サロ110連結編成を置き換えた。
1970年代前半
  1. 宇高連絡船の廃止が早まったのは言うまでも無く。
    • 宇野線茶屋町~宇野間の列車の多くは単行運転に。
    • 伊予丸型は建造されず、紫雲丸型を修繕しながら廃止まで使い続けていた。
  2. 「紫雲丸事故」を契機に建設開始された、と語られる。
    • 宇野線岡山~茶屋町間は瀬戸大橋線開通から間もない頃に完全複線化。
  3. 四国の電化が早まった。
    • 電化当初の四国ローカル運用に80系が使用され、国鉄末期に下記の121系に置き換え。
    • 121系は瀬戸大橋線乗り入れ可能な規格で製作された。
    • 予讃本線高松~松山間は瀬戸大橋開通と同時期に電化、'90年代に8000系に置き換わるまで181系が電化区間(瀬戸大橋線直通も含む)の特急に使用されていた。
      • 場合によってはキハ181系の製作数が史実より少なかった。
      • 電化区間の急行には山陽新幹線岡山開業で転用された153系が使用された。
  4. 四国新幹線の用地は確保されたかどうか。
  5. 「土佐」「いよ」が東京発高知・松山行きの寝台特急の列車名に。急行「土佐」「いよ」は別の名称になる。
    • おそらく「浦戸」「いしづち」になっていたと思われる。
  6. 瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
  7. 岡山区にサロ111が転入し、岡山~高松間の快速(8・12両編成)に連結された。
    • 1990年頃に221系が岡山区に新製配置、上記113系グリーン車連結編成を置き換えた(岡山駅基準・下関方面の先頭車が大型の前面窓・ハイデッキ構造のグリーン車クロ221)。
  8. 下津井電鉄の鉄道事業撤退が早まった。
  9. 高徳本線、土讃本線(多度津~高知間)は電化されただろうか。

関門鉄道トンネル

1930年代
  1. 昭和恐慌における失業対策として、着工されていた。
  2. 史実通りに、単線で開業していた可能性が高い。
    • のちに、追加という形で、上り線トンネルが開業していた。
  3. 遅くても、1935年に下り線トンネルが開業し、1937年に上り線トンネルが開業していた。
1950年代
  1. 特急「かもめ」と特急「あさかぜ」の運行がずれ込んでいたかもしれない。
    • 開業と同時に運行が開始されていた。
  2. 最初から、複線で開業されていた。
  3. 1950年代後半の開通ならトンネルの西側は最初から交流電化になっていた。EF30形の登場も史実より早かった。

北海道

石北本線(上川-遠軽)

1980年代
  1. 石勝線のように高規格路線として建設された。
    • 一部区間は特急しか走っていないところも類似していた。
      • 上川-遠軽間かな
  2. 遠軽でのスイッチバックは何とかして回避していた。
  3. 池田-北見-網走は今も「網走本線」を名乗っている。
    • 名寄本線は「名寄-紋別-中湧別-佐呂間-網走」の区間。
    • 網走本線は北見-網走のおかげで現在も全線がJRに属している。
      • しかし、北見以南に廃止論議が勃発するのは史実通り。
    • 北見-遠軽-湧別は上川-遠軽間の開業まで「湧別線」というローカル線だった。
  4. 開業まで特急オホーツクは名寄本線経由だった。
  5. 「石北線」ではなく「石北線」だった可能性が高い。

石勝線

昭和10年代
  1. 建設理由に対ソ戦対策も含まれていた。
  2. 建設にあたり朝鮮人などの労働者が酷使された。
    • 後に複数の慰霊碑が建てられた。
    • トンネルに「幽霊が出る」などと噂されたり、韓国が謝罪と賠償を要求するなど何かと曰く付きの路線になっていた。
  3. 煤煙対策のため史実ほど長いトンネルはない。
    • その代わり一部区間に急カーブや急勾配などが生じていた。
    • JR化後に高速化改良されたと思われるが現実ほど高速運転できなかった。
  4. 開業時点で根室本線は「千歳-新得-釧路-根室」に変更された。
    • 滝川-富良野-新得には「芦別線」という別の線名が付けられた。
      • 夕張線(紅葉山~夕張)は特定地方交通線に指定され廃止されていた。
        • 紅葉山駅は廃止後、新夕張ではなく「夕張市」を名乗っていたかも。
        • 1980年代ならまだ大丈夫だと思うが、2010年代には史実同様廃止が議論されるようになっていた。
    • 国道38号も札幌~十勝清水~釧路のルートだった。
      • 北海道最長国道は国道38号だった。
      • 国道274号は滝川~帯広間の国道となっていた。
    • 登川駅からそのまま東へ延伸する形になっていた。
    • 南千歳駅は開業せず史実の南千歳駅の場所に南千歳信号場が千歳線空港支線開業と同時に設置された。
    • 準急→急行「夕張」の走行ルートは「札幌-千歳-紅葉山-夕張」だった。
      • 史実より(夕張~追分から)札幌まで短時間で行けるので1972年以降も存続する。
        • 夕鉄バス札幌急行線との競争や千歳市民・広島町民からの要望によりくるくる電車ポプラ号登場のタイミングで札幌~千歳間快速・以遠普通に格下げ。
        • 同時に大幅に本数増加するが千歳以遠の実質的な本数は変わらず。
        • 1997年3月改正までキハ56系を使用、以降運転区間短縮があったがキハ201系を使用。
        • 場合によっては千歳~追分間が札幌の通勤圏に入ったかも。
        • キハ40系・キハ54・キハ150も代走・送り込みで快速「夕張」を含む仕業に入った。
        • キハ201系は製作コストを減らすため途中から車体傾斜機能なしで増備・別区分番代となった。
  5. 開業当初は現実の信号場も全て駅だった。
    • しかし沿線の過疎化により廃駅が続出。
    • 仮乗降場扱いの駅も多い。
  6. 占冠駅は富内線との合流を想定した構造になっていた。
  7. 追分〜紅葉山(新夕張)間が単線化されず複線のままだった。

札幌市営地下鉄東西線(琴似-宮の沢)

1980年代
  1. 早くても、1985年頃に開業していた。もしくは、遅くても、1988年に開業していた。
    • 1990年頃に開業していた可能性もある。
  2. 6000形電車が史実よりも多く増備されていた。
  3. 1999年2月に東豊線の福住~清田間が開業していた。
    • その場合、7000形電車が史実よりも多く増備されていた。
    • 6両編成で運行されていた。
    • 栄町駅付近か清田駅付近か福住駅付近に車両基地ができていたかもしれない。
    • 札幌ドームが開業した2001年に開業していた可能性もあり得る。
  4. 8000形電車の登場は史実通り。
    • その代わりに、史実よりも遅れて投入されていたかもしれない。(2001年辺りに)

東札幌-新さっぽろ

1990年代
  1. 当初の予定通り千歳線旧線沿いに高架線を建設していた。
    • 南北線南平岸駅 - 真駒内駅間のようにシェルターで覆うかは微妙なところ。
  2. 建設費節約のためにホームは8両ぶんしかない。

東北

南部縦貫鉄道

大正時代
  1. 開業当初は「七戸鉄道」と名乗った。
    • 後に戦時統合で史実の南部鉄道や十和田観光電鉄とともに「南部交通」に統合され「南部交通七戸線」となる。
  2. 建設目的は普通に「東北線と七戸町の連絡」。
    • 農産物の輸送も行われた。
    • 後に沿線で産出される砂鉄の輸送も行われた(史実でも計画されていたが頓挫)。
  3. 多分電化はされていない。
  4. 七戸駅は町の中心近くに設置。

三陸鉄道

1960年代
  1. 建設開始は1933年の昭和三陸津波の後。
    • 太平洋戦争により一時工事がストップしていた。
  2. 当然ながら国鉄線として開業している。
  3. 一部区間は現実よりカーブなどが多い。
  4. 開通した頃は急行が走っていた。
    • 列車名は「さんりく」、運転区間は仙台-気仙沼-宮古-八戸。
  5. 連続テレビ小説『あまちゃん』のストーリーが史実とやや異なっている。

仙石線

1910年代
  1. 軌道法に準拠して建設された。
    • 仙台駅付近が併用軌道だった。
      • 後に高架化もしくは地下化される。
    • 戦時買収を免れていたかもしれない。
      • この場合宮城電鉄が戦時統合の核になっていた。
  2. 石巻-女川も自力で建設していた。
  3. 仙台市電との直通も検討される。
    • というより「宮城電鉄市内線」として建設された可能性もある。
  4. 国に買収されなかった場合塩釜線は現存している。
  5. 松島にそこそこ大きな遊園地ができていた。

気仙沼線

1980年代
  1. 隣県の三陸鉄道に刺激され第三セクターで開業。
  2. 旧国名の付いた駅は現実より少ない。
  3. 震災までは独自のサービスで人気を博していた。
    • 「フカヒレ列車」などというものが走っていた。
    • 大谷海岸駅は海の家と一体化されていた。
  4. 震災の被害により一時は廃止も検討された。
    • むしろ南リアス線と同じ時期に復旧していたのでは?
      • 大船渡~気仙沼間も鉄路で復旧していた(この場合宮城方の三セクになるのかやっぱ三陸鉄道になるのか…)
      • 史実通り事実上の廃止に追い込まれていたら、「岩手県は三陸鉄道を復旧させたのに宮城県は…」と言われていた。

仙台市営地下鉄東西線

2000年代

史実では2015年12月に開業。

  1. 遅くても、2008年12月に開業していた。
    • 場合によって、2009年頃にずれ込んでいたかもしれない。
  2. 東日本大震災が起きた時は被害を受けていた。

仙台空港鉄道

1990年代
  1. 仙台空港新旅客ターミナルが全面完成した1997年(あるいは前年)に開業。
  2. 開業当初の自社保有車両は701系1000番代の同型車である。ワンマン運転は2両編成の列車のみ。3両編成以上の列車は原則車掌乗務。
    • 417・455・457・719系の乗り入れも考慮された。
  3. 大株主に名鉄,そのグループの宮交が。
    • 仙台空港民営化を機に、東急へ名鉄グループ保有分の株がすべて譲渡(=名鉄グループ離脱、東急グループ加入)される。
    • 直通相手はJRではなく仙台市営地下鉄になっていたかもしれない。
2001年
  1. 同年の「新世紀・みやぎ国体」,翌年の「FIFAワールドカップ」開催を機に開業。
  2. 2000年に開業した可能性が。
  3. 開業当初の自社保有車両は701系1500番代基本の都市型ワンマン運転対応車両である。JR側も同型車を導入する。
  4. 「宮城国体」「FIFA W杯」の際,宮城スタジアムへの利便性向上の為,臨時列車で仙台空港-利府間に直通臨時列車を多数運行した。

東海

伊豆急行

昭和10年代
  1. 建設の動機は伊豆半島の要塞化。
  2. 伊東線の延長として建設された。
    • 線名は「伊豆線」。
  3. 1950年代から優等列車が乗り入れるようになった。
  4. 史実の伊豆急下田駅は「伊豆下田駅」と名乗っている。
  5. 現実ほどトンネルは多くない。
  6. 当然国鉄線としての建設で、現在はJR東日本。

伊勢鉄道

1910年代
  1. 参宮鉄道時代から計画はあった。
    • だが着工は国有化後。
  2. 東京などと伊勢神宮の短絡が主目的。
  3. 開通したとたん参宮線の一部に。
    • 亀山~津は「亀山支線」として扱われる。
    • なお現在は紀勢本線の一部。
  4. 現在の近鉄鈴鹿線はこの路線の鈴鹿駅に乗り入れていた。
  5. 寝台特急「紀伊」もこのルートを通っていた。
    • 所要時間が短かすぎて始発・終着が不便な時間帯になってしまうのでそれはない。
      • 普通に紀伊勝浦か新宮で長時間停車していたんじゃないの?別にすぐに下りなきゃいけないとは書いてない訳だし。

近鉄鳥羽線

1930年代
  1. 「志摩電気鉄道山田線」として開業。
    • この場合志摩電気鉄道は参宮急行電鉄に買収されていた。
      • 標準軌への改軌が史実よりかなり早まっている。
  2. 計画時期によっては宇治山田駅は最初から通過可能の構造になっていた。
  3. 朝熊駅では朝熊山ケーブルカーと接続している。
    • ケーブルカーは戦後復活を果たしていた。
  4. 賢島方面の観光開発は更に進んでいる。
  5. 国鉄参宮線の伊勢市~鳥羽は1960~70年代に廃止されていたかも(史実でも赤字83線に選定されていた)。
  6. 線形は現実よりも悪かったかもしれない。
    • 確実に踏切が存在した。
  7. 遅くても難波線開業までに大阪線・名古屋線は全線複線化(宇治山田-鳥羽間の建設・鳥羽-賢島間の改軌費用が回るため)。青山峠区間は(工期短縮が優先)単線並列方式で複線化。そのため上下線の所要時間が異なる。難波線開業の翌年に発生した衝突事故はない。
    • 旧東青山駅を経由する線形の悪いルートになるため、アーバンライナーや伊勢志摩ライナーは振り子式車両で製造され、ひのとりは車体傾斜装置を取り付けて製造されていた。

愛知環状鉄道

1920年代
  1. 岡崎市街地や挙母町、瀬戸と東海道本線を結ぶための路線。
    • 貨物列車を名古屋市街地に入れないことも意識されている。
  2. 中岡崎駅が「岡崎駅」を名乗っていた。
    • 東海道本線の岡崎駅は「南岡崎」か「岡崎口」に改名された。
  3. 戦時中に空襲時の迂回路として城北線に相当する区間も建設される。
  4. 現在もJRの路線だったかもしれない。
    • 最初から多治見ではなく高蔵寺を目指していたのであれば路線名は「挙母線」になっていた。
    • 当初の予定通り貨物輸送も頻繁に行われていた。
  5. 名鉄挙母線は存在しなかった。
1940年代
  1. 名古屋の空襲に備えて勝川-稲沢も城北線として同時に建設。三河鉄道上挙母-大樹寺-岡崎駅前間は不要不急路線に指定され休止される。
  2. 「挙母線」が路線名になる。
  3. 多治見・高蔵寺ではなく神領が終点になる。
    • その為、中央(西)線の快速は高蔵寺ではなく神領に止まる。
    • 瀬戸~多治見間の建設計画も出るが着工されない。
      • 多分非電化。
  4. 1970年代に、全線にわたり複線化と電化が行われた。
    • 上の城北線も同時期に。
    • その為、名古屋を迂回するバイパスルートとして、挙母線と城北線の建設効果を十分発揮した。
    • 愛・地球博の観客輸送で活躍している。
  5. 現在は城北線も含めJRの路線に。

名鉄羽島線

1964年
  1. 「夢の超特急」との連絡線ということで開業時は大々的にPRされた。
    • 新岐阜からの直通特急が設定されていた。
  2. この路線の建設に関しても大野伴睦が絡んだ噂がささやかれる。
  3. 現在は結局現実と大きな差はない。
    • ただし新羽島駅の駅舎はもっと古い。
      • 地平ホームの1面2線になっていた。
  4. どのみち竹鼻線の江吉良以南は廃止される。
  5. 一部で国鉄による買収が噂されるも実現せず現在に至ると思われる。

名鉄豊田線

1930年代
  1. 三河鉄道の経営状態が良ければ着工できた。
  2. 八事以西が名古屋市電八事線になることはなかった。
    • 軌道廃止後に地下線で伏見か栄に乗り入れる。
      • あるいは神宮前に延伸され名古屋本線と接続していた。
  3. 踏切がある代わりに加算運賃が存在しない。
    • トンネルも現実より少なく、一部のルートが現実と異なっている。
  4. 地下鉄鶴舞線は存在しないか八事止まり。
  5. 特急が運転され名古屋〜豊田を30分以内で結んでいた。

名鉄豊川線

1920年代
  1. 飯田線国有化前なので豊川駅に乗り入れていたかもしれない。
  2. 名鉄小坂井支線はなかった。

名古屋市営地下鉄上飯田線

1980年代
  1. 新栄町駅まで開業していた。
    • 名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
    • 市役所経由で金山まで開業していた可能性もあり得る。
  2. 名古屋市交通局7000形電車は、3000形電車をベースに製造されていた。
  3. 名鉄小牧線は小牧~犬山間も複線化されていた。
1990年代
  1. 早くても、1991年頃に開業していた。
    • 新栄町駅まで開業していたかもしれない。
    • 名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
    • もしかしたら、丸田町の先である矢場町or金山or鶴舞orささしまライブまで延伸していた可能性もある。
  2. 7000形電車が史実よりも早く登場し、製造数も史実よりも多くなっていた。
  3. 間内駅付近に車庫ができていた。
  4. 桃花台新交通桃花台線が廃止されることはなかった。
  5. 運行本数が史実よりも多くなっていた。
  6. 2004年には東部線(ささしまライブ~高針橋)が開業していたかもしれない。
    • グローバルゲートを含むささしまライブ24地区の再開発事業が史実よりも進んでいた。
      • 中京テレビの移転も史実よりも早まっていた。
    • その際に、上飯田線は2003年頃に丸田町まで延伸していた。
  7. 名鉄300系電車は100系電車、200系電車と同じのタイプの車両に製造されていた。
    • 3300系電車(2代目)が投入されることはなかった。
2001年
  1. 間内駅付近に車庫ができていた。
  2. それ以外で、史実とあまり変わらなかった。

名古屋市営地下鉄桜通線

野並~徳重

1990年代
  1. 6両編成で運行されていたかもしれない。
  2. 緑区における宅地開発が史実よりも進んでいた。
  3. 2011年に徳重~豊明北間が開業していた可能性もあり得る。
    • もしくは、野並~徳重~豊明北間として開業し、車庫は当初の計画通りに豊明北駅付近に車庫ができていた。
2000年代
  • 史実では、2011年3月に開業しました。
  1. 2005年に開業した場合、開催されていた愛知万博に合わせての開業であった。
  2. 開業記念イベントが実際に行われていた。(史実では、東日本大震災の影響により、中止となった。)
  3. その後も、延伸計画が実施されていたかどうかは怪しい。
  4. 無論、6050形電車の登場が史実よりも早まっていた。

中村区役所~今池

1970年頃
  1. 国鉄(当時)名古屋駅付近は,地下街「エスカ」「ユニモール」と一体で建設された。車両の大きさは,東山線・名城線(・名港線)と同じ。
    • 市電中村線は2年程早く廃止される。
      • その為桜通線は稲葉地~今池間が最初の開通区間に。
    • 中村公園駅に,東山線との連絡線も同時に建設。
    • 稲葉地付近に車庫が建設される(大規模な検査は中村公園駅の連絡線経由で回送の上,東山線藤が丘工場で実施)。
  2. 現実より建設費が安く,市の財政状況が少し良くなる。現実より浅い場所を通る。

名鉄知多新線

1930年代
  1. 常滑か河和から延伸していた形で開業していた。
1970年代
  1. 沿線の宅地造成が史実よりも進んでいた。
    • 小野浦駅が開業していた可能性が高い。
  2. 名鉄による観光開発が史実よりも進んでいたかもしれない。
    • 南知多ビーチランドと内海フォレストパークの開園が史実よりも早まっていたかもしれない。
    • 8800系電車の登場が若干早まっていたかもしれない。

名古屋市営地下鉄名城線

新瑞橋-大曽根

1980年頃
  1. ナゴヤドームではなく瑞穂公園に大規模な車庫が建設される。'70年代後半に,2000形(3000形同様の,電機子チョッパ制御・スキンステンレス車両)が名城線に導入される。史実の2000形相当の車両は,2050形を名乗る。
    • 2000形は当初から冷房付き。2010年代後半にN2000形(N1000形ベースの名城・名港線用車両)に置き換わる。名城線の6連化は早まる。
  2. 総合リハビリセンター駅は当初の計画通りに清水ヶ岡駅と名乗っていた。

名古屋市営地下鉄鶴舞線

上小田井-庄内緑地公園

1985年頃
  1. 市交通局3000形・名鉄100系は、1990年頃までにすべて6両化される(従来編成に中間車両を挿入)。その代わり、名鉄100系4+4両編成は存在しない。
    • 市交通局3000形・名鉄100系の製造数が史実以上に。
  2. 史実より、1980年代後半の鶴舞線・名鉄犬山線・名鉄豊田線の混雑を緩和している。名鉄犬山線・豊田線の宅地化が、(バブル景気の頃)史実以上に進む。

伏見-八事

1970年代前半
  1. 開業当初の車両は300形を20m車・片側4扉・直流1500V架線集電方式に変更した車両。ただ、抵抗制御車両で、当初は非冷房で登場した。
  2. 八事~赤池間の延伸も早かった、名鉄豊田新線(当時)も同時期に開通している。

桃花台新交通

1980年
  1. 8月の入居開始までに開業。
  2. 1990年頃に高蔵寺まで延伸される。
  3. 桃花台ニュータウンと小牧市の人口が史実以上に多かった。
  4. 名鉄、日本車輌、三井物産(日車と物産はVONAを共同開発)が主要株主に。

名古屋市営地下鉄東山線

名古屋-栄町

1930年代
  1. =「名古屋地下鉄道」が実現していたらである。
  2. 当初の車両は木目調の内装だった。
    • 車体は流石に全鋼製車体。
  3. 建築限界の規格は史実より大きい。
    • ホームの長さも8両編成ぐらいまで対応していた。

遠州鉄道奥山線

1940年代前半
  1. 遠州電気鉄道(遠電)の三方原線として建設された。
    • 当初は非電化・1067mm軌間で省線との直通が考慮された。
      • 陸軍飛行学校への引き込み線が存在した。

甲信越・北陸

北越急行ほくほく線

1970年代
  1. 「南北戦争」と呼ばれる地元でのルート争いがなかったのが前提。
  2. 現実ほど高規格ではない。
    • 美佐島駅があそこまで堅牢な構造になる事は無かった。
    • ただ、貨物列車の走行に対応した構造になっていた。
  3. 駅名はそこまで奇抜ではない。
    • 増田駅(史実のくびき駅)の駅舎も。
    • 時期次第では武蔵野線に「武蔵新座」駅ができていた。
      • 酷い場合はそちらが「にいざ駅」になっていたかも…
  4. この路線の開業時から上越新幹線開業まで上野-金沢の「はくたか」が通っていた。
    • 新幹線開業後は越後湯沢-金沢だけ存続。
      • 北陸新幹線開業後はさすがに廃止か。
  5. 「電車でGO!」には登場しなかった。
  6. 特急「かがやき」は誕生せず。
    • いや、むしろ特急「きらめき」が「かがやき」と名乗っていた可能性がある。
      • 「きらめき」は現在、九州の特急列車だから被らなくて済んだだろう。
  7. 急行「よねやま」が柏崎発着に短縮されたかも。
    • むしろ、別途に上野~十日町~直江津間を結ぶ急行「魚沼」が1982年11月頃までに運行されていた。
  8. 2001年3月までに特急「雷鳥」が当路線に乗り入れて、越後湯沢までに運行されていたかもしれない。
  9. 急行「能登」と特急「北陸」が当路線を経由していたかもしれない。
  10. もし国鉄→JR東日本の運営だったら、北陸新幹線延伸開業までは、故宮脇俊三氏の著書「線路のない時刻表」で書かれていた空想ダイヤそのまんまのダイヤで運行されていた。史実とは違って最高速度はせいぜい110km/hで、高速化特別工事も実施されず。

万葉線

1910年代
  1. 開業当初の社名は「高岡電気軌道」。
    • いずれにしろ戦時統合で地鉄→加越能→万葉線。
  2. 国鉄新湊線は一度も旅客営業を行うことがなかった。
    • 「貨物線なのに独立線名」とはならず、名実共に氷見線の貨物支線になっていた。
  3. 場合によっては戦時統合まで射水線と直通していなかった。
  4. 開業当初の車両が60年代くらいまで走っていた。
  5. 第三セクター化により開業当初に近い社名へ戻される。
  6. 伏木線以外にも廃止になった支線があった。

富山地方鉄道不二越・上滝線

1950年代
  1. この年代だと路線が比較的高規格のはずなので、こちらが立山駅行き特急のルートになっていた。
    • むしろ立山へ行くときに遠回りな五百石線(現立山線)の短絡線として建設されていた。

中国・四国

予土線

1980年代
  1. 第三セクター線での開業。
    • 江川崎-若井は国鉄線として運行されたことがない。
    • 会社名や路線名に「四万十」という語句が入る。
  2. 史実通り中村線も経営分離された場合、若井駅が貴重な「異なる会社の三セク線同士の分岐駅」として鉄道ファンに注目される。
    • 予土線を受け持っていた3セクが史実の土佐くろしお鉄道に発展すると考えたほうが自然だと思うが。
      • その場合、愛媛県も出資している関係で「予土くろしお鉄道」という社名になっていたかもしれない。
  3. 一部の駅に凝った装飾が施される。
    • 候補:土佐大正、土佐昭和、半家
  4. ディーゼルカーの新幹線は走らなかった。
    • 牟岐線や鳴門線辺りに走らせている気がしなくもない。
    • あるいはこの三セク会社が走らせる(JRグループだからこそあった発想のような気もするが)。

木次線

1970年代
  1. 全線が最初から国鉄線として建設された。
  2. そこまでカーブだらけではない。
    • 大東町には寄れていない。
  3. 島根・広島の県境は長大トンネルで突破。
    • 出雲坂根駅は存在しなかった。
  4. 三江線と同様に全線開業前に「赤字83線」に指定されていた。
  5. 急行ちどりはもう少し存続していた。
  6. 備後落合駅でのスイッチバックが必要でない線形だったかもしれない。
  7. 特定地方交通線指定→解除の経過はほぼ史実通り。

水島臨海鉄道

1910年代
  1. 主に連島・福田地区と倉敷市街地や駅を結ぶのが目的。
    • 倉敷駅を出てから市街地外周を経由するルートだった。
  2. 戦時体制に入るまではのどかなローカル線だった。
    • 戦争中に軍需工場への路線として大幅に輸送力が強化される。
    • その後は史実と大差ない雰囲気に落ち着く。
      • あまりの変貌ぶりのため社会科の教材などで取り上げられる。
  3. 当初の社名は「倉敷軽便鉄道」。
    • 軌間762mmで開業していたかもしれない。

アストラムライン

1980年代前半
  1. まずは本通-長楽寺が開業。
    • 市内中心部は工事が難航した場合「暫定開業」という形をとっている。
  2. 開業当時の報道ではほとんど「地下鉄」や「モノレール」と表現されている。
  3. 車両の塗装は白っぽい。
  4. 祇園新道やシャレオの建設も早まっているはず。
  5. バブル期には現実以上の延伸計画が持ち上がる。
    • しかし実際に開業した区間は少ない。
    • 1990年頃に西風新都が完成、長楽寺から広島修道大学の沼田キャンパス辺りまで延伸される。

呉市電

1920年代
  1. 史実でもあった広島瓦斯電軌(現在の広島電鉄)の軌道線計画が実現した形。
  2. 軌間は広島市内と同じ1435ミリ。
  3. 広島市-呉市の鉄道線建設が広電の悲願になった。
    • しかし開業することはなかった。
  4. 少なからぬ車両は広島のお古。
    • 原爆投下直後は逆に呉の車両が広島へ渡っていたかもしれない。
  5. 人口や並行路線(呉線)の存在を考慮すると現存の可能性は薄い。
    • 広電と接続できれば(JRがあの調子なので)それなりに残れた可能性もあったかもだが……

土佐くろしお鉄道

ごめん・なはり線

1970年代
  1. キハ40系気動車とキハ54形気動車とキハ58形気動車が当路線を走行していた。
  2. 奈半利~室戸間も着工するが、それでも開業に至らなかった。
  3. 特定地方交通線に指定され、1988年3月に中村線とともに土佐くろしお鉄道に移管していた。
1990年代
  1. 1996年頃or1997年頃に開業していた可能性が高い。
  2. 2002年7月に室戸まで開業していた。
    • その場合、高知~室戸を結ぶ特急「むろと」か快速「むろと」が運行されていた。
    • 奈半利以遠は工事の進捗状況からしてさすがに厳しかった気がする。
  3. 宿毛線の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。

宿毛線

1970年代
  1. 窪川~中村~宿毛間が宿毛線になっていた。
    • 土讃線に編入されていたかもしれない。
  2. 特定地方交通線に指定され、1988年3月に土佐くろしお鉄道に移管していたのは史実通り。
    • その代わりに、路線名は、窪川~中村~宿毛間で宿毛線となっていた。
  3. 1997年10月には、ごめん・なはり線が開業していた。
    • ごめん・なはり線の開業が史実よりも遅れたのは宿毛線の建設に力を注いでいたため。
  4. 宿毛駅が史実とは異なった場所に設置されていた。
    • 宇和島方面へ延伸できる構造になっていた。

三江線

1980年代以降
  1. 第三セクター鉄道として開業していた。
  2. 観光鉄道として売り出していた。

九州

筑豊電気鉄道

1930年代
  1. 地元資本(主に炭鉱関係者)とどこかの鉄道会社の合弁。
  2. 黒崎駅へは自力で乗り入れ。
  3. 戦時統合で西鉄の路線になっていた。
    • 路線名は「西鉄筑豊線」。
  4. 開業当初の車両は「関東や関西の私鉄電車に匹敵する」無駄に高性能なもの。
  5. 飯塚辺りまでは何とか開業できていた。
    • それでも八木山峠は結局越えられず。
  6. 貨物輸送はさすがにやっていない。

沖縄都市モノレール

終戦直後
  1. 沖縄県の電車復活として開業されるが、アメリカ式の電車として開業していた。
    • 沖縄復帰後は国鉄(JR九州?)が一部の路線として生まれ変わるかもしれない。
    • むしろ地元資本による開業。
      • 当時のアメリカではインターアーバンが衰退期の真っただ中だった。
  2. 走る車両は一時期のソウルや釜山の市電ばりにアメリカのお古だらけだった。
    • 場合によっては一部車両が現在も保存されている。
  3. 少なくとも糸満やコザまでは線路が延びている。
    • コザ暴動で何両か列車が焼き討ちにあっていた。
  4. そもそもこの場合は730まで列車も右側通行になるんだろうか?
    • 現在では右側通行時代の車両が保存されている。
    • 併用軌道の区間がない限りわざわざ左側通行に変える必然性はなさそう。
      • 自動車が左側通行から右側通行に変更されたスウェーデンや韓国でもそれ以前にできた鉄道(路面電車を除く)は左側通行のまま。
    • そもそも730が出来たのは鉄道がなかったからということも言われますし。
    • 「日本国内で右側通行の貴重な鉄道路線」として注目される。
1970年代(返還直後)
  1. 沖縄返還として開業する。もちろんモノレールではなく電車式。
  2. 現実のルートではなさそう。那覇から名護を結ぶ路線になりそう。
  3. こっちの場合も6年間だけ列車が右側通行になる。
    • もしくは予め左側通行への変更準備が行われていた。
1990年代
  1. 首里城公園が開園した1992年か九州沖縄サミットに開催された2000年(前年の1999年)に開業していた。
  2. 2003年には、浦添前田駅までに延伸開業していた。
    • 2019年には、てだこ浦西駅までの延伸開業をしていた。
    • むしろ、2003年にてだこ浦西駅までに開業していた可能性もあった。
  3. 会社自体は82年創設なのでこうならなかったのがむしろ不思議。
  4. 現在までに4両編成化されている。
  5. 那覇新都心における再開発が史実よりも進んでいた。
2001年
  1. 21世紀最初の年に開業いていたこともあって、注目された。
  2. 2002年のFIFAワールドカップの開催を機にラッピング列車が運行されていた。
  3. 沖縄タイムスの移転など那覇新都心の開発事業が史実よりも進んでいた。
  4. 2003年頃に石嶺駅まで先行開業していた可能性もある。
    • てだこ浦西駅までの延伸開業は史実通り2019年に開業していた。
    • いや、当初の予定通り、2019年春に開業していた。
    • 2003年にてだこ浦西駅までに延伸していた可能性もある。

首里~てだこ浦西

2003年

2003年8月に最初から、那覇空港~首里~てだこ浦西間が開業していたら…

  1. 3両編成で運行されていた。
  2. 浦添市でも住宅団地の整備が史実よりも進んでいた。
    • セブンイレブンやドンキホーテなどの企業が史実よりも早く沖縄県に進出していた。
    • てだこ浦西駅周辺の開発も史実よりも早く進んでいた。
  3. 沖縄県において、パーク&ライドが流行していた。
  4. 首里で折り返す列車は通常ダイヤで設定されなかった。
2015年
  1. てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
  2. 2019年の開業の時とあまり変わらなかった?
  3. 浦添市にとって、市制施行45周年という記念すべき年であったので、二重の喜びであった。
2019年春
  1. てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
  2. 浦添市の市街化が史実よりも進んでいた。
  3. 当路線でのSuicaの利用開始も延伸開業を機に同時に行われていた。

大分交通別大線

1930年代
  1. 別大国道の整備と並行して建設される。
  2. 両端の駅にはターミナルビルのようなものが建設された。
    • 大分側にはトキハ本店が入居していたかもしれない。
  3. 大分市内の区間は戦後復興で専用軌道化される。
  4. もう少し「鉄道線」然とした車両が使われていた。
  5. 場合によっては一部区間が現存していたかもしれない。
    • それでも別府市内の併用軌道部分は廃止される。
  6. 時々身の丈に合わない壮大な延伸計画が持ち上がることもあった。

長崎本線

1840年代
  1. 最初はオランダ側が無許可で作ったものなので数年で撤去された。
    • 出島のオランダ人は商館長の江戸訪問時を除き島の外に出られなかったのでそれはない。
  2. 開通当初は長崎の住民に恐怖が充満した。
    • むしろ「恐怖半分興味半分」とでも表記したほうが正確な状態では。
  3. 最初はウシが引いていたが、しばらくして蒸気機関車の使用も開始された。
  4. いったい最初の開業区間はどこなのか…

鹿児島本線 (八代~川内~鹿児島)

1900年代
  1. 当然、九州自動車道の八代以南は西回りで建設された。
  2. 人吉~吉松間は建設すらされなかった。
    • 代わりに立野-延岡間が1930年頃に全通。
    • 現実より急勾配・急曲線が多く、トンネルの数が少ない。
  3. 宮崎方面へは水俣駅で分岐していた。
  4. 人吉は平成の大合併まで市制を敷けなかった。
  5. 現実以上に曲線が多かった。
    • 電化時に一部区間の線路が付け替えられる。

福岡市営地下鉄七隈線

1980年代
  1. 1000系電車と同じタイプの車両が登場していた。
  2. 天神~橋本間or博多~橋本間として、開業していた。
1990年代
  1. 遅くても、1999年頃までに開業していた。
  2. 3000系電車の登場は史実通り。
  3. 史実通りに天神南~橋本間として、開業していた場合、2005年に天神南~博多間が開業していた。
    • 博多駅前道路陥没事故は起きていたのであろうか?
    • 九州新幹線が全通した年である2011年に開業していた可能性もある。
      • その代わりに、東日本大震災の影響により、開業記念イベントは中止となっていた。
  4. キャナルシティ博多の利用客が史実よりも多くなっていた。
    • キャナルシティ博多イーストビルの開業も史実よりも早まっていたかもしれない。

海外

英仏海峡トンネル

1890年代

ドーバー海峡にトンネルを建設する構想は古くからあり、19世紀に最初の調査・掘削が行われています。

  1. オリエント急行はロンドン発着だった。
    • 後のTEEにも「ブリタニア」「ロンディニウム」などの愛称を持つロンドン発着の列車があった。
  2. 現実より断面が小さい。
  3. 大戦中にドイツ軍の攻撃対象にされた。
    • むしろイギリス上陸作戦の足掛かりとして無傷で確保せよとの指示が出ていた。
      • 作戦名も「アシカ作戦」ではなく「ダックスフント作戦」あたりになっていた。
  4. 欧州大陸と同じ規格で建設されたグレート・セントラル本線が真価を発揮できていた。
    • もちろんビーチング・アックスの魔の手にもかからず現役バリバリだった。
1980年代

1978年に掘削が再開されましたが、その後1986年まで工事中止になってしまいました。

  1. 当初は「世界最長の鉄道トンネル」を名乗った。
  2. TGVは北線が優先的に建設される。
  3. 日本にカートレインが登場する時期が早まっていた。
  4. Class 373はTGV Sud-Estをベースとした車両になっていた。
  5. 日本の青函トンネルが開業した年である1988年になっていた可能性もある。

瀋陽地下鉄(中国)

1940年代
  1. 要するに、この計画が実現。
  2. 北京ではなくこの地下鉄が「中国初の地下鉄」に。瀋陽市民の自慢ネタが増える。

ソウルメトロ(韓国)

1930年代
  1. 御堂筋線の一部区間のように昭和恐慌の失業者対策の一環で建設された。
  2. 日本時代に建設(開通)した路線は左側通行になる。

関連項目