もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら/あ・か行

< もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら
2012年2月12日 (日) 13:36時点における>射撃部隊による版 (清原の節に書かれていた山崎・平井のトレードの項を移動)
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あ行

秋山幸二(西武)

秋山幸二は1993年オフに西武からダイエーにトレードされたが、もしこのトレードが無かったら?

  1. ソフトバンクホークスの監督に就任することはもちろん無かった。
    • ライオンズの監督に就任していた可能性も。
  2. ダイエーは1994年以降もBクラス常連。
    • 1994年は勝率5割以下になっていた。
    • 1999年の日本一は無かった。
      • 四年契約の王はこの年限りで退陣。
    • ダイエー本体の経営悪化から、現実より早く球団が売却されていた。
  3. 工藤・石毛がダイエーに来ることはなかった。
  4. 2009年のホークス監督は誰に?
    • 実績で言えば森脇辺りが妥当なのだろうが、古田などの外部招聘も十分にありえただろう。
  5. 10年連続、いや12~3年連続で30本以上を達成していたであろう。
  6. ジャクソン・松井稼・秋山・清原・テストラーデ・鈴木健・垣内・伊東・高木浩と抜け目の無い打線が完成していたであろう。
    • 「穴のない打線」では?
  7. FAで巨人に移籍していた。

新井貴浩(広島)

  1. 赤松は今も阪神に在籍。
  2. 金本が4番を退いてからは鳥谷あるいはマートンが4番を打つようになっていた。
  3. 弟の新井良太も阪神に移籍しなかった。

イチロー(オリックス)

  1. オリックスと近鉄との合併時に分配ドラフトで楽天に移籍する。
    • 球団創設1年目からAクラスだった。
      • どう考えても真っ先にプロテクトするから楽天は絶対無い。本人が「楽天に行きたい」と言わなければの話だが。
    • それ以前にFAで中日ドラゴンズに移籍しているはず。
    • イチローの発言が影響して合併は白紙、近鉄は身売りの流れとなる。
  2. 当然のように毎年首位打者・最多安打のタイトルを獲得する。
    • 打率4割を達成している。
  3. 下手をすればここにカネによって移籍。
  4. 2000本安打を達成するのが実史より遅く、へたすりゃ日本式練習と選手起用の末怪我で引退の可能性すらあった。
  5. 2006年正月の古畑任三郎の犯人役に出ることはなかった。
    • ひょっとしたら松井秀喜がその役をしていたかも。
  6. 地球が消滅することもなかった。
  7. 規定打席に到達していたので、生涯打率のトップになっていた。

岩隈久志(オリックス)

史実では分配ドラフト後に楽天へトレード移籍した岩隈だが、もしオリックスにそのまま入団していたら?

  1. オリックスはプレーオフ→クライマックスシリーズの常連になってたかも。
    • ヘタしたら、日本シリーズに進出してたかも。
  2. 故障で二軍落ち、ということにはならかったかも。
  3. 2007年シーズン途中に、歌藤(現・巨人)・萩原(現・東京ヤクルト)両投手とともに北海道日本ハムにトレード移籍。
  4. 楽天は4年連続最下位だったかも?
  5. 2008年はオリックスが優勝、楽天が最下位。

江藤智(広島)

  1. 2000年以降も広島の主砲として活躍。
  2. しかし(新井貴浩や栗原健太などの)若手の台頭により2006年以降は代打の切り札になっていた。
  3. 通算350本塁打達成まであと1本という状況が何年も続くという事はなかった。
  4. 巨人のサードのレギュラーは小久保が移籍するまでずっと元木のまま。

小笠原道大(日本ハム)

  1. 2007年の中日との日本シリーズ第5戦における完全試合(山井→岩瀬のリレー)は彼のヒットで阻止されていた。
    • よって落合博満の采配云々が賛否両論になる事もなかった。

落合博満(ロッテ・中日)

もし1986年の大型トレードが無かったら(ロッテ→中日)
  1. 1988年の10.19自体がなく、ロッテは西武と優勝争いをしていた。
    • それはどうだろう?そもそも落合が三冠王とっても下位に低迷していたチームだから
  2. 金田監督が就任した時に他球団へ移籍した?
  3. 牛島和彦は引退まで中日でプレー。
    • 牛島が中日の監督に就任していた可能性もある。
  4. もう1~2度三冠王を獲れたかも。
  5. 1988年の中日優勝はなかったかも。後年中日監督に就任する可能性も低く、史実のように中日が優勝を重ねていることもないかもしれない。
  6. ロッテから直接巨人に移籍していた可能性もある。
  7. いずれにせよ1986年以後の中日の球団史は大幅に変わっていた。
    • 星野が二度目の中日監督になることもなかったかも。
      • その場合、阪神、北京オリンピック日本代表、楽天の監督にもなっていなかった。
もし1993年にFA移籍しなかったら(中日→巨人)
  1. 1994年は中日がリーグ優勝していた。でも、日本シリーズで西武が倒せたかどうかは微妙
  2. 名古屋で一部のファンから裏切り者扱いされることはなかった。
    • 2004年以降の「燃えよドラゴンズ」でも「オレ竜監督」ではなく「落合監督」と歌われている。
    • むしろ中日の監督になるのが史実よりも早かった。
  3. 巨人は4番打者ばかりを集めるような補強はしていなかった。
    • 1990年代以降の巨人の成績は史実より悪かったものの、巨人人気は現実ほど低下しなかった。
      • 逆に阪神の暗黒時代は早く終結していた。
  4. 現役引退まで中日でプレーしていた。
  5. 駒田がFAで横浜に行くことはなかったので、その後横浜が優勝できていたか疑わしい。

か行

片岡篤史(日本ハム)

  1. 小笠原の三塁コンバートはなかった。
  2. 小谷野が台頭してくるあたりまで三塁のレギュラーを務めた。
  3. 2ちゃんねるで「モミー」などと呼ばれることはなかったかも。

金田正一(国鉄)

  1. 産経はもう少し長く球団を持っていた。
  2. 背番号「34」を永久欠番にしていたのはスワローズ。
  3. それでも巨人はV9できただろう。
  4. 金田が名球会を発足させることはなかった。

金本知憲(広島)

  1. 阪神の暗黒時代は現在に至るまで続いている。
    • 当然2003年と2005年のリーグ優勝はなかった。
  2. 新井貴浩の阪神移籍もなかった。
  3. 赤松真人は2009年現在も阪神の選手。
    • 彼が大活躍し阪神を優勝に導くかも。

川崎憲次郎(ヤクルト)

  1. 2ちゃんねるの川崎祭は起きなかった。
    • 「川詐欺」と書かれることもなかった。
  2. 2004年の中日の開幕投手は普通に川上憲伸になっていた。
  3. 2001年以降は引退試合を除いて登板数は0。引退試合は9月末あたりにひっそりと登板。
  4. 宣銅烈の後の中日の背番号「20」は欠番状態に。
    • そして2005年より史実通り中田賢一が背負う。
    • 落合監督就任に伴い若手の誰かが付けていた。
    • 山田監督時代に川上が背負う。
      • そして2009年からまた欠番に。

清原和博(西武)

  1. 「番長」キャラにはならなかった。
    • その場合、『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』は『かっとばせ!キヨハラくん21』になってたかも。
  2. 史実ほどは成績の低迷はなかった。
  3. 落合は1997年は巨人に残留して、現役を巨人で終えていた。
    • 巨人の監督になっていた可能性もある。
  4. 1997年、1998年に西武がリーグ優勝できなかった可能性がある(東尾の著書より)。その場合東尾は一度もリーグ優勝を体験することなく西武監督を終えていた。
    • 西武の黄金時代も史実より早く終わっていた。
  5. いずれ世代交代のために西武を自由契約にされ、仰木監督の誘いで西武から直接オリックスに移籍か。
  6. 肉体改造することもなかった。

小久保裕紀(ダイエー・巨人)

もし2003年の無償トレードが無かったら

2003年オフ、ダイエーの中内正オーナーが福岡ドームで会見を開き、中心選手であった小久保裕紀を巨人へ無償トレードすると発表しました。もし、このトレードが発生していなかったら?

  1. 2004年のホークス打線が凄い事に・・・
もし2007年以降も巨人に残留していたら

2006年のオフにFA権を行使して古巣であるホークスに移籍しました。もし、この時ホークスに戻らず巨人に残留していたら?

  1. 移籍した小笠原にポジションを奪われ、代打での出場が多くなる。

さ~な行

新庄剛志(阪神)

※史実では阪神退団後メジャー挑戦。

  1. 赤星のデビューは数年遅れていた。
  2. 金本がFA宣言しても阪神は興味を示さなかった。
  3. あんなはじけたキャラにはなってなかった。
  4. 森本稀哲は無名のまま日本ハムでくすぶっていた。
  5. その後も「明日も勝つ」発言が出るとファンから必ず非難囂々。
  6. 星野仙一が来なかった・・・のか?
  7. 阪神暗黒時代が続いていた。
    • そして2008年現在、関西での一番人気スポーツチームはガンバ大阪。
    • 近鉄と合併したのはオリックスでなく阪神だった。
  8. 片岡の人的補償としてハムに移籍したかもしれない。
  9. 松井秀喜が日本人初のワールドシリーズ出場となっていた。
  10. 日本ハムに移籍していたか微妙。そうなると、北海道移転が失敗になっている可能性もある。

ヴィクトル・スタルヒン(巨人)

ヴィクトル・スタルヒンは戦前は巨人の大エースでしたが、戦後は藤本定義氏に招へいされ、「選手はチームが解散していない限り敗戦前のチームに戻らなければならない」という規約を無視してパシフィックに移籍しました。

もし、スタルヒンが誘いを断って、巨人に残留していたら?

  1. 1946年から1948年までの間に1回ぐらい優勝できていた。
  2. 事故死することもなかったかも。
    • 引退試合も行われていた。

田尾安志(中日)

  1. 現役引退までドラゴンズでプレー(史実通り阪神にトレード移籍、という可能性もあるが)。
    • 1988年・ドラゴンズV戦士のひとりになってたかも。
    • 悲願の首位打者のタイトルも獲得していた。
    • 星野政権下で結局トレードに出された可能性も否定できない。
      • 落合獲得時に交換要員でロッテへ、となっていた可能性も。
  2. 杉本正大石友好両選手は当面西武でプレーしていた。
    • 当然1988年のドラゴンズに「郭-大石」のリリーフバッテリーは存在しない。
      • 中村武志の運命もちょっぴり変わっていたかも。
        • 楽天でプレーすることなく現役引退。
  3. 「タオタオ坊や」というニックネームをつけられることもなかった。

田淵幸一(阪神)

  1. 真弓明信は阪神にトレードされず、1979年以降西武でプレーしていた。
    • 従って、2009年以降の阪神の監督になることはなかった。2009年以降の阪神の監督は、平田、木戸辺りが考えられる。
    • 晩年、代打で甲子園をわかせることもなかったので、阪神に「代打の神様」という言葉自体存在していたかどうか。
  2. 1985年の阪神のリーグ優勝・日本一はなかったかもしれない。
  3. アニメ映画「がんばれ!!タブチくん!!」では阪神の選手として登場していた。
    • ただし原作では実際に阪神時代も含まれていた。

野茂英雄(近鉄)

野茂、近鉄で大活躍編

  1. 大阪近鉄バファローズは何度か優勝・日本一を果たしている。
    • 藤井寺球場か大阪ドームの観客動員数は増えてただろう。
    • 近鉄とオリックスの球団合併はなかったかもしれない。
  2. 今でもイチローはオリックス、松井は巨人、松坂は西武。日本人選手のメジャー行きは無かった。
    • もしくはマック鈴木のように国内プロ野球を経由せずマイナー契約が主流になっていた。
      • ハンカチ王子は大学に進学せず渡米していた。
        • ↑の意味がまったくわからないんだけど。
  3. 日本全体の大リーグに対する興味が激減しているはずなので、大リーグの知識が(プロも含めて)貧弱だった可能性もある。そうなると日本はWBCで優勝できていたかどうか……

鈴木監督、長期政権化編

  1. 鈴木監督と対立、徹底的に干された野茂はほとぼりが冷めたころ阪神にトレードされる。
  2. 阪神ではどれだけ力投しても味方の打線に足を引っ張られなかなか勝てず、200勝到達は再度移籍したオリックスでひっそりと成し遂げる。

ま~わ行

ラルフ・ブライアント(中日)

近鉄で活躍したブライアントも、最初は中日にいましたが、三振の多さと当時の外国人枠の関係(当時は2人までで、中日はその枠をゲーリーと当時未帰化の郭で使い切っていた)から試合に出してもらえず、2軍でくすぶっていました。それを当時近鉄の打撃コーチだった中西太氏が見い出したことをきっかけに、ブライアントは近鉄に移籍して大活躍しましたが、もし近鉄移籍が無かったら…

  1. ブライアントはその年限りで帰国していただろう。
    • 案外末永く生き延びて94年の「10・8」決戦で長嶋巨人を地獄行きにしていたりして。
      • バックスクリーン直撃の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランがあるかも?(打たれた投手は槙原)
  2. 1988年後半の近鉄の追い上げや、1989年の優勝はなかった。
    • 「10・19」も「巨人はロッテより弱い」もなかった。
      • 近鉄は主砲であるR・デービスに代わる外国人を採るも、ロクな選手を採れずBクラス落ち、下手すりゃ最下位は免れなかった(デービスは1988年6月頃にドラッグで逮捕→帰国している為)。
        • あれ?デービスが捕まったのでその代役として獲得したのがブライアントでなくて?
    • 西武ライオンズは、前人未踏の10連覇を達成していた。
  3. 1994年シーズンで、6月下旬から8月上旬の近鉄猛追(この期間の成績30勝6敗・勝率8割3分3厘)も無かった。

松永浩美(オリックス)

  1. 1993年シーズン開幕直後に故障することはなかった。
    • 背番号を「02」に変更するという前代未聞の事態も起きなかった。
  2. 現役引退までオリックスでプレー。
    • 引退後も、コーチor球団職員としてオリックスに残る。
    • 1993年シーズンオフにFA宣言していたかもしれない。
    • 当然、通算2000本安打を達成。
  3. 野田浩司は当面阪神でプレーしていた。
  4. 当然「甲子園のグラウンドは幼稚園の砂場」という発言を捏造されることはなかった。
  5. 1993年の阪神の成績が現実より良かった。
    • Aクラス入りを果たしていた可能性もある。

ドミンゴ・マルティネス(西武)

  1. 少なくとも、1999年の西武はもう少しまともな成績を残せていた。
    • ダイエーの初優勝を許したとしても、優勝決定をもう少し延ばすことぐらいはできた。
    • パ・リーグ3連覇できていれば、日本シリーズ制覇も十分あり得た。
  2. 展開次第では、カブレラの西武入団はなかったか、遅れていた。
  3. 1999年の巨人は良くて3位だった。
  4. DHのあるパ・リーグに残れたため、もう少し長く日本球界に留まれた。

ネイサン・ミンチー(広島)

  1. 2001年度のカープは三位になれてたかも

山崎武司(中日)

中日の主砲として活躍した山崎武司も、2002年は年齢的な衰えや山田久志監督との対立から散々な結果に終わり、同年オフに平井正史とのトレードでオリックスに放出されました。もしこのトレードが無かったら?

共通事項
  1. 平井は無償トレードで中日に移籍して史実通り復活。
    • もしくはそのままオリックスでくすぶっていて、分配トレードで楽天に行っていたかも。そして、野村再生工場で復活。
  2. 楽天は2007年も最下位脱出できず、その年限りで野村監督退陣。
復活編
  1. 2003年は山田監督がクビになってから打ちまくり、翌年落合博満監督のもと復活。史実での楽天時代の成績と同程度の成績を残す。
    • 当然同年の日本シリーズにも出場。中日が日本一になっていた可能性も。
    • そうなった場合、タイロン・ウッズの獲得はなかっただろう。その場合は阪神辺りに移籍。
    • 山崎が一番慕う人間はノムさんではなく落合になっていた。
そのまま引退編
  1. 結局山田監督解任後も復活できず、寂しく引退。在名テレビ局の解説者に。
    • もしくはそのまま中日の打撃コーチに。
結局楽天に放出編
  1. 結局上記と同じく結果を残せず、2004年オフに自由契約。その後は楽天に移籍し史実通り。