|
|
1行目: |
1行目: |
| [[バカ人物志]] > [[バカ人物志/日本|日本]] > '''武将伝'''
| | *新しく追加される際にはあいうえお順になるようにお願いします。 |
| | ==偽NHKから国民を守る党の特徴== |
| | #愛称は「N民党」 |
| | #「N国党」と略すのを禁止した。 |
| | #この党の影響で既にNHK放送はスクランブル化している。 |
| | #党首はNHKとは一切無関係。 |
|
| |
|
| | ==偽幸福実現党の特徴== |
| | #宗教団体と一切関係がない。 |
| | #政党要件を満たしている。 |
| | #古くからある政党だ。 |
| | #北朝鮮が大好きだ。 |
| | #本部は大阪府[[門真市#古川橋|門真市の古川橋]]にある。 |
|
| |
|
| ==[[征夷大将軍]]== | | ==偽公明党の特徴== |
| *[[鎌倉時代#鎌倉幕府の将軍|鎌倉幕府の将軍]] | | #宗教団体と一切関係がない。 |
| *[[室町時代#室町幕府の将軍|室町幕府の将軍]] | | #*特に創価学会との仲は極めて険悪。 |
| *[[征夷大将軍/江戸時代|江戸幕府の将軍]] | | #衆議院からこの党名が消えたことはない。 |
| | #実は「コメ党」 |
| | #*米農家とごはん食推進委員会が作った政党だ。 |
| | #*もちろん林家こん平の日本ごはん党と統一会派になっている。 |
| | #支持母体は天理教だ。 |
| | #*金光教だ。 |
| | #*立正佼成会だ。 |
| | #*PL教団だ。 |
| | #実は「[[三国志ファン|孔明]]党」だ。 |
| | #戦略が迷走しているので「公迷党」だ。 |
| | #マツコ・デラックスが党首を務めている。 |
|
| |
|
| ==平安時代の武将== | | ==偽国民新党の特徴== |
| ===阿弖流為===
| | #民主党を離党した議員が中心となって結党した。 |
| #[[征夷大将軍#坂上田村麻呂|坂上田村麻呂]]を手こずらせた、蝦夷の族長。
| | #現党首はれっきとした女性。 |
| #田村麻呂も一目置く存在だったらしい。
| | #実は「'''国'''家機関を'''民'''営化して'''新'''しい国をつくる党」だ。 |
| #*平定後は親しくなったというが、どうやってコミュニケーションをとっていたのだろうか?当時は言葉の違いも大きかったと思うけど。
| |
| #田村麻呂の勧めもあり京に上ったものも、貴族達にけだもの扱いされた揚句処刑されてしまった。
| |
| #*彼らは蝦夷が入ってくることで京が穢れると思ったとか。
| |
| #蝦夷人抹殺という非道から立ち上がった東北の勇者。それがアテルイ。
| |
| #悪路王=アテルイ説多し。 | |
| #殺されたのちに「鬼」扱いにされた実在の人物。 | |
| #現代日本にようやく復権。JR東日本の車両には「快速アテルイ」が走っている. | |
|
| |
|
| ===平将門=== | | ==偽国民民主党の特徴== |
| #西国の植民地みたいなものだった関東地方に、はじめて独立運動を展開した人。
| | #「民」が2文字続くと語呂が悪いので、「国民主党」に党名を短縮した。 |
| #*まあ、本人にそこまでの自覚とビジョンがあったわけではなく、なりゆきでそうなってしまったという感が強いが。
| | #ドラッグストアのコクミンが設立母体。 |
| #*ともあれ「新皇」を名乗り、京都の朝廷とは別個の勢力圏を築こうとしたのは革新的。
| | #*従って党員には同社の社員が多い。 |
| #**ただし、新皇とは「新しい天皇」の意味であり、将門は自分の正当性の根拠を[[天皇伝#桓武天皇|桓武天皇]]の五代孫というあくまで天皇との関係に求めている点に、どうしようもない限界を感じる。
| |
| #***五代遡れば天皇に行き着く貴族など掃いて捨てるほどいるわけで、本来大義たりえない。
| |
| #***[[バカ人物志/中国#孟子|孟子]]を知ってたら易姓革命を根拠にしただろうに、将門本人やそのブレーンの知識の限界を示している。
| |
| #若い頃比叡山に登って天下制覇の野望を抱いたと言われているが、疑わしい。 | |
| #*頼ってくる者、救いを求めてきた者を、義侠心と正義感で助けているうちに、いつの間にか巨大勢力になってしまった感じ。野望を抱いたとしたら最終段階だろう。 | |
| #*言ってみれば、とびきり気っぷのいい任侠の親分というところではなかったか。 | |
| #東京の守護神になっているという噂。
| |
| #*大手町あたりに首塚があり、開発のため撤去や移築をしようとすると必ず事故が起こるそうな。
| |
| #*首塚近くにオフィスのある某有名企業では首塚の方の壁にお札を張っているらしい。
| |
| #身体は全身鉄でできているけど、こめかみの部分だけ生身だとか。そこを藤原秀郷に射られて討ち取られた。
| |
| #*だが、サイボーグ化した際に用意しておいた非常プログラムで、首だけになった状態で関東まで逃げ去った。
| |
| #**ブ×ッ×ン伯爵か!
| |
| #先祖は皇族。
| |
| #有名なカード。'''たいらのまさカード'''。
| |
| #従兄の平貞盛に敗れて死ぬ。
| |
|
| |
|
| ===藤原純友=== | | ==偽社会民主党の特徴== |
| #海賊退治を命じられて瀬戸内海に行ったが、海賊稼業のうまみを知って自分が海賊の首領になってしまった。 | | #土井○か子が親日派。 |
| #*というより、瀬戸内海を制する者が天下を制するとか聞いて、その気になってしまったからでは? | | #*関西出身だけあって2008年大阪五輪招致を成功させた立役者だ。 |
| #平将門と示し合わせて乱を起こしたと言われているが、疑わしい。 | | #*もちろん首相にも就任した。 |
| #*将門が敗死するまでは大した動きを見せていないので。 | | #もっともあの車両を賛成している。 |
| #のちの住友財閥の祖先。 | | #*児ポ法強化も。 |
| | #フェミニスト?何それ? |
| | #*党是が「男尊女卑社会の復活」だ。 |
| | #**未だに「男は外、女は中」のスローガンを維持している。 |
| | #北朝鮮が大嫌い。 |
| | #*あまりにも嫌っているので「北朝鮮はミサイルの一発でも打ち込まないと無理」とか「朝鮮総連は即解体せよ」などと言う。 |
| | #オタクが大嫌い。 |
| | #村山談話を捨てている。 |
| | #週刊少年マ○ジンを嫌っている。 |
| | #*好きな本は「諸君!」 |
| | #「非武装中立」とは、「こんなの武装のうちに入らないよ」という日本人的謙遜をして、思いっきり重武装する事である。 |
| | #民主党から出来た政党だ。 |
| | #*あるいは社会党と民主党が合併してできた政党だ。よって常に自民党に次ぐ第2勢力を保っていて、たまに与党になることもある。 |
| | #現存していない。 |
| | #昭和30年代からずっとこの名前。 |
| | #与党になったことは一度もない。 |
| | #原水協の支持母体。 |
| | #共産党よりは存在価値がある。 |
| | #今も国政で一定の勢力を誇っている。 |
| | #党本部は高層ビルだ。 |
| | #*もちろん党の保有で、商業施設やホテル・マンションも入っている。 |
|
| |
|
| ===小野好古=== | | ==偽自由民主党の特徴== |
| #藤原純友の乱を平定した老将。 | | #国民の意見に耳を傾けている。 |
| #妹子ちゃんの子孫。 | | #国民に最も支持されている政党である。 |
| #*小野小町のいとこだかはとこだか。 | | #*特に札幌市と名古屋市で支持率が高い。 |
| #元祖・好古なのに知名度は秋山好古にボロ負け。 | | #**逆に北関東・北陸・四国での支持率が低い。 |
| #「よしこ」ではない。 | | #***東京都多摩地区でも支持率が高い。 |
| | #**大阪でも非常に支持率が高い。 |
| | #***大阪都構想にも賛成の立場をとった。 |
| | #*反面、国民に最も支持されていない政党でもある。 |
| | #**2chやニコニコ動画ではアンチ目線の意見しかない。 |
| | #*支持率が高いのは圧倒的に大都市圏で、地方では低い。 |
| | #しかし、国政選挙では毎回議席が取れず、万年野党。 |
| | #民間にカネを回すことを重要な政策としている。 |
| | #憲政史上初の500議席超えを果たした。 |
| | #[[産経新聞|ここ]]以外の報道機関に好かれている。 |
| | #谷垣総裁のスローガンは「[[東京地下鉄|家でやろう。]]」 |
| | #自由党と旧民主党が合体した際にこの名前に変更しイザコザがあった。 |
| | #反米がスローガン。 |
| | #宗教法人には死ぬほど厳しい。 |
| | #公明党とは犬猿の仲。 |
| | #平成になって自由党と民主党が合併してできた党である。 |
| | #実は「自眠党」だ。 |
| | #*正式には「自由眠酒党」で、国会ではいつも眠っている。 |
| | #党本部は木造アパート(関西で言う文化住宅)の一室にある。 |
| | #よく見たら「白田民主党」だった。 |
| | #*党首は某フードファイターが務めている。 |
|
| |
|
| ===源護=== | | ==偽新党改革の特徴== |
| #「みなもとのまもる」と読むらしい。無理だw
| | #与党だ。 |
| #*どう考えても「げんご」だろw
| |
| #*源順<!--みなもとのしたごう-->が、読めたら読めそうだがなぁ。
| |
| #平将門に喧嘩売ってフルボッコにされる。 | |
|
| |
|
| ===源満仲=== | | ==偽新党日本の特徴== |
| #[[アサヒグループホールディングス#アサヒ飲料の噂|三ツ矢サイダー]]の語源になった人。 | | #日本創新党の別名だ。 |
| #*居城を決める際、ダーツの旅のように地図に矢を放った。そうして決めた場所にあった湧水が三ツ矢サイダーの原型。 | | #よく見たら日本新党だった。 |
|
| |
|
| ===源頼義=== | | ==偽真理党の特徴== |
| #前九年の役を平定する。
| | #あのシュールな歌を流さない。 |
| #*実は、関東地方のフロンティアがだいぶ少なくなってきたので、東北地方に目をつけた頼義が、難癖をつけて有力者の安倍氏を圧迫したのが前九年の役の発端。
| | #2013年時点でも存続している。 |
| #**頼義が執拗に朝廷に働きかけ、陸奥守とか鎮守府将軍とかの官位を貰っているので、彼の野望は大体見当がつく。
| | #「まりとう」と読む。 |
| #*当初、安倍貞任と藤原経清の連合軍の前に手も足も出ず敗退を重ねる。
| |
| #**特に黄海(きのみ)の合戦では惨敗。
| |
| #*出羽の清原氏に三拝九拝し、側面攻撃をかけて貰ってようやく安倍氏を亡ぼす。 | |
| #*正直言って、勝つには勝ったが、かなりみっともない勝ち方。 | |
| #**そのため子孫たちは、頼義ではなく子の義家を称揚した。 | |
|
| |
|
| ===安倍貞任=== | | ==偽スポーツ平和党の特徴== |
| #身長190cmを越す巨漢。おまけに胸囲は230cmもあったらしい。どう見てもハート様です。本当にありがとうございました。 | | #党首:ジャイアント馬場。 |
| #源頼義、源義家と死闘を繰り広げ、最期は義家に秘孔を突かれて「ひでぶ!」という断末魔の叫びと共に爆散して果てた。 | | #議席を取れたことは一度もない。 |
| #*どっちかというと清原武則に秘孔を突かれた(不意打ち食らった)んではないかと。源氏の父子には連戦連勝してました。 | | #日本維新の会の前身。 |
| #*断末魔は「あべし!」ではなかったかな。安倍氏だけに。 | | #橋本聖子や旭道山も所属していたことがある。 |
|
| |
|
| ===藤原経清=== | | ==偽生活の党の特徴== |
| #奥州藤原氏の祖。
| | #スローガンは「国民の生活は二の次」。 |
| #*ただの地方豪族と思われていたが、そこそこの官位を持つれっきとした官人であったと近年判明。
| | #保守・右派政党 |
| #*父である頼遠の実父の有行は坂上田村麻呂の子の広野の系譜で、母は藤原秀郷の孫の藤原千清の孫であり、頼遠は千清の子となり藤原姓を称したという。
| | #新自由主義、TPP賛成、原発推進 |
| #安倍貞任の妹を嫁にしていた。
| | #2013年参院選で「大躍進」大勝を果たした。 |
| #*経清が貞任と共に敗死すると、その嫁は子供ごと清原軍に捕まり、清原武貞の嫁にされる。のち、武貞の先妻の子(真衡)、嫁の連れ子(清衡)、武貞と嫁の子(家衡)の間がややこしいことになり、後三年の役へともつれこむ。
| |
| #**後三年の役が終わってみると清衡のひとり勝ちになっていた。つまり経清の息子が奥州を制した。
| |
| #源頼義の不条理な安倍氏圧迫に義憤を覚えて安倍側に加担。 | |
| #*頼時・貞任の軍師としてしばしば源氏軍を打ち破った。 | |
| #*頼義にとっては怒り心頭だったようで、処刑する時、わざとナマクラ刀で首を切らせるという嫌がらせをした。 | |
| #**この辺のネクラさが、頼義の人気の無さの原因と思われる。対照的にその子・義家のさわやかぶりが目立って、源氏の象徴といえば義家になった。 | |
|
| |
|
| ===源義家=== | | ==偽たちあがれ日本の特徴== |
| #頼義の息子。八幡太郎。武家源氏の象徴みたいな人。 | | #よく見たら精力剤だった。 |
| #後三年の役を平定すべく出陣したが、清原(藤原)清衡には翻弄され、朝廷からは私戦として恩賞を貰えず、あんまりいいところ無し。
| | #*公式サイトは[http://www.tachiagare.com/ これ]だ。(ちなみに本物は[http://tachiagare.jp/ こっち]) |
| #*仕方なく自分の所領の中から配下に恩賞を分け与えたところ、「これは頼もしい大将だ」と思いがけず人気沸騰。源氏興隆の礎を築く。 | | #当初は「日本たちあがれ」だった。 |
| #雁の飛び方の乱れから伏兵を見抜いたとして、その眼力を賞賛される。 | | #超党派の若手を中心に結成された新進気鋭の政党。 |
| #*大江匡房から教わった兵法。でもこれって、野戦の将として、人に教わらなければわからないようなことか? | | #「萌えあがれ日本」。 |
| #子孫から頼朝や足利、新田が出たことで持ち上げられてる感はある。 | | #正式な表記は「'''立'''ち'''上'''がれ日本」だ。 |
| #頼義と同じことを企んだが、結果的に失敗する。(清衡にいいとこどりをされてしまう) | |
|
| |
|
| ===源義光=== | | ==偽都民ファーストの会の特徴== |
| #義家の弟。甲斐源氏(武田氏)の祖。 | | #都議会自民党の都議を半分くらいさらって成立した。 |
| #*信濃源氏(小笠原氏)や常陸の佐竹氏などの祖でもある。 | | #いわゆる「神奈川都民」「埼玉都民」「千葉都民」などのことも考え周辺の県にも進出している。 |
| #通称、新羅三郎。 | | #公明党と異常に仲が悪い。 |
| #*この名前のため、「源氏は新羅出身の韓国人ニダ。その証拠に新羅三郎というのが居るニダ。ホルホルホル」と勘違いする連中が湧いて、うざいことこの上ない。 | | #シンボルカラーが緑色だけあって環境方面を得意としている。 |
| #*[[大津市|大津]]の新羅明神で元服式を挙げただけのことなんだが…… | | #「都民」を増やすため大阪都構想も応援している。 |
| #**「新羅明神で元服式を挙げたのは新羅出身だったからに違いないニダ。ホルホルホル」と勘違いする懲りない連中も居そうだ。 | | #*大阪都構想が実現したら大阪でも支持者を増やす予定だ。 |
| #ちなみに、この男の最大の事績は長兄(義家)の嫡男(義忠)を暗殺してその罪を次兄(義綱)になすりつけ長兄の孫(為義)に誅殺させる、というド汚い内ゲバ。 | | #名称には「都民の願いを早く叶える」という意味合いが込められている。 |
| #*'''新羅'''三郎だなんて通称のせいでこんな性格になった……わけではあるまいが、清和源氏の暗黒面を体現してしまっている人物。 | | #*「ファースト」の部分を英語で書くと"fast"だ。 |
| | #代表は石原慎太郎。 |
|
| |
|
| ===平清盛=== | | ==偽日本維新の会の特徴== |
| [[画像:平清盛.JPG|thumb|180px|平清盛公像]]
| | #石原慎太郎から嫌われている。 |
| #保元の乱、平治の乱と順調に勝ち組に乗り、ついには藤原氏を押しのけて天皇の外戚の座を仕留めた幸運児。 | | #党首は高知県出身。 |
| #*武家では初めて太政大臣に任ぜられた。 | | #*幹部は鹿児島、山口、佐賀出身者で占められている。 |
| #*ちなみに「平氏にあらざれば人にして人にあらず」とゴーマンかましたのは清盛ではなく、嫁・時子の弟だった平時忠。武家ではなく、公家平氏の人。 | | #護憲派。 |
| #本当は白河法皇の子だという噂。 | | #関西地区での存在感は皆無。 |
| <!--#*白河法皇の寵愛を受けた祇園女御の猶子となった。女御の妹が生母だろうと言われているが、この妹も白河法皇の側室のひとりで、妊娠したまま平忠盛に下げ渡されたのではないかと。-->
| | #[https://ishin-ramen.co.jp/about/ このラーメン店]を経営している。 |
| #*少年時代からおそろしく官位の昇進が早かったのがその傍証とされる。
| | #*もちろん党員勧誘の場となっている。 |
| #*防衛規制における合理化の一種。貴族たちの嫉妬や武力への畏怖が、こんな噂を生んだ気もする。 | |
| #福原(現在の[[神戸市|神戸]]あたり)に遷都しようとした。
| |
| <!--#*音戸ノ瀬戸の開鑿や厳島神社の保護などと合わせて、瀬戸内海を通じて海外交易を盛んにしようとした清盛の考え方が見て取れる。日本最初の重商主義者と言っても良い。-->
| |
| #清盛の死後の平氏の瓦解は早かった。
| |
| #*わずか数年で滅亡。平氏の繁栄が清盛の個人的な才覚と立ち位置によるものだったことが窺える。
| |
| #**それよりも平氏の政治が当時の武士だちの要求に応えたものではなかった事が大きい。
| |
| #**そして、平氏を倒した源氏も頼朝の死後わずか3代で滅亡。武家の当主のカリスマに頼りきっていたという点では、平氏も源氏も実は似たような物だったのかもしれない。
| |
| #*「自分が死んでも塔を建てたり法事をしたりしなくていいから、頼朝の首を墓に供えろ。」と遺言した。やはり自分の死後の平家のことを案じていたのだろう。
| |
| #最期は熱病に倒れ、人間瞬間湯沸器と化す。
| |
| #傲慢チキなイメージがあるが、むしろ慈悲深い人間だったという話がある。
| |
| #*面白いと思わなくても冗談を言われたら笑い、よっぽどのヘマをした人間であってもボロクソ言って声を荒げることは一度もなかったらしい。(十訓抄) | |
|
| |
|
| ===平家盛=== | | ==偽日本のこころの特徴== |
| #忠盛の二子で清盛の弟。 | | #「日本の心を大切にする党」が正しい。 |
| #祇園乱闘事件以後清盛の代わりに彼が重んじられるようになるが、早死してしまった。 | | #正式略称は「日こに('''日'''本の'''こ'''ころを大切'''に'''する党)」だ。 |
| #頼朝は彼に似ていたため、池禅尼が助命を申し出たと平治物語に記されている。 | | #*党のマスコットキャラが[[偽ラブライブ!の特徴|矢沢にこ]]。 |
| #大河ドラマ「平清盛」では藤原頼長に掘られてしまった。 | | #古くからある政党だ。 |
|
| |
|
| ===平忠度=== | | ==偽日本共産党の特徴== |
| #読みは「ただのり」、官位は薩摩守。そんなわけで、無賃乗車のことを「薩摩守」と言うことがある。 | | #右寄り。 |
| #歌人としても有名だったらしいが、平家滅亡後存在自体が黒歴史に。 | | #*一部左派からは既にそう思われてる。 |
| #*千載和歌集に入れられた忠度の歌は「詠み人知らず」とされた。 | | #万年与党である。 |
| #*ここから転じて、水商売の俗語でツケで飲もうとする奴を「薩摩守」と言うそうな(詠み人知らず→飲み人知らず)。 | | #朝日新聞を好んでいる。 |
| | #部落解放運動は栄光の歴史である。 |
| | #労働者に本当に優しい。 |
| | #実は、「日本'''狂惨党'''」だ。 |
| | #*あるいは「日本'''京産'''党」だ。 |
| | #**本部は京都産業大学の中にある。 |
| | #*もしくは「日本'''餃'''産党」で、党員は餃子ばかり作っている。 |
| | #*あるいは「日本'''橿'''産党」で、奈良県[[橿原市]]に党本部がある。 |
| | #存在価値がある。 |
| | #*いや、むしろ「社民党よりも存在価値がない」。 |
| | #党員が増え続けている。断じて離党者が増えているなどということはない。 |
| | #言っていることが正しく、現実的。 |
| | #地方自治体の首長になったところは全て発展している。一つとして生活水準が悪化したところなどない。 |
| | #*その結果共産党の首長をもつ自治体は上下水道完備や高速道路または片道2車線のバイパス完備。今まで農地だったところには新興住宅地が立ち並ぶ。また治安も大幅に良くなり本当にすみやすくなる。 |
| | #*教育レベルも向上。共産党員が首長になった所では東大・京大への進学率が目立って上がっている。地元集中、なにそれ? |
| | #党員の平均知能指数が60を超えている。 |
| | #ポスターはちゃんと許可を得てから貼る。無断に貼るなど絶対にしない。 |
| | #街頭演説を聞き入る人が大勢いる。迷惑に感じない人が一人もいないなどということはない。 |
| | #日教組とは仲が悪い。 |
| | #*仲が悪いかどうかは知らないが、実際に日教組は共産党・全労連系ではなく、民主党/社民党・連合系の組織。 |
| | #親米がスローガン。 |
| | #公式愛称は「日共」。 |
| | #戦前の帝国議会に議席を持っていたことがある。 |
| | #*大政翼賛会にも参加していた。 |
| | #終戦直後からずっと現在の路線。 |
|
| |
|
| ===平時忠=== | | ==偽みどりの風の特徴== |
| #「平家にあらずんば人にあらず」と言った人。 | | #群馬県みどり市の地域政党だ。 |
| #*清盛までが「言葉を慎め!」ってキレた。 | | #保守・右派政党 |
| #*人と言っても現代的な意味の人間一般とは違うという見方もある。貴族基準で言う人とは出世コースに乗れるキャリアのことで、平家以外はそれに乗れないノンキャリアという説。どっちにしろ酷いが。 | | #新自由主義、TPP賛成、原発推進 |
| #壇ノ浦の戦いで捕虜になった後、都落ちした後手放さずに持っていた神鏡を返すから刑を軽くしてくれと義軽に命乞いをし、映画に出てくる小悪党みたいなことをやらかした。 | | #2013年参院選で「大躍進」大勝を果たした。 |
| #この人、武将じゃないぞ。清盛の奥さん時子さんの弟なので、平氏とは言ってもお公家さんだ。 | | #党の事務所には必ず[http://koodoo.jp/vivo/about/itaglass/n_16.htm この型板ガラス]が扉や窓に使われている。 |
|
| |
|
| ===源義朝=== | | ==偽民主党の特徴== |
| #為義の息子。頼朝の父親。 | | [[画像:2ring_star_wave.jpg|thumb|250px| 党旗をこのように変更することが真剣に検討された。上半分は輝く星(党)のもとに、労働者、プロ市民、在日外国人、その他が集結する様子を表す。下半分の太極(陰陽)は、政権獲得時の輝かしい思い出と野党であるときの悔しさを表す。]] |
| #保元の乱では勝ち組。平治の乱では負け組。 | | #本部は[http://tabelog.com/tokyo/A1312/A131202/13020817/ 亀戸]だ。 |
| #*同じ立場だった藤原信西に密着しすぎていたか? | | #*[http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13043026/ 六本木]の本部は閉店してしまった。 |
| #**むしろ父親の為義の処刑を強行した信西にムカついていた。 | | #幹部は青嵐会のメンバーで占められている。 |
| #かなりの艶福家。 | | #ロゴマークが日の丸そのもの。 |
| #*都でいちばんの美女と評判の「常磐」を手に入れた。義経などの母になる。 | | #*一部の支部では青黄赤の[[偽創価学会の特徴|ルーマニアの国旗風の旗]]も使用している。 |
| #最後は平氏方に寝返った配下に風呂で殺される。 | | #菅直人は四国全駅スタンプラリーに参加したことがある。 |
| #*場所は知多半島の先っぽ。 | | #渡部恒三は巨人軍のオーナーとして強権発動している。 |
| #**後世、同じ場所で切腹に追い込まれた織田信孝が、秀吉への恨みを込めて<BR>「昔より主を内海(討つ身)の野間なれば報ひを待てや羽柴筑前」<BR>という辞世を詠んだのはこの故事による。義朝を討った長田忠致はのちに頼朝に斬られた。 | | #議員同士の一体感が強い |
| #***ちなみに、「内海」も「野間」も知多半島尖端の地名。 | | #党'''民'''が'''主'''役の民主党。 |
| #***長田忠致は頼朝に、「そなたは父を殺した憎きヤツなれど、よく勤めれば美濃・尾張を与えよう」と言われ、懸命に働いて手柄を立て、得意満面で頼朝のもとに帰った。すると頼朝は「約束通り『身の終わり』を与えよう」と言って長田を斬ってしまった。ダジャレで斬られた長田の立場って。 | | #*党民の意見は、どんな内容でも国会で発言してくれる。 |
| #****長田忠致の最後の言葉は「誰がうまいことを言えとwww」であったとかなかったとか。 | | #正式名称は「日本民族主義党」である。 |
| #最後の言葉が「せめて木刀の一本もあれば…」という感じのセリフだったせいで墓が半分木刀の山に埋まっている。 | | #与党である。よって自民党が野党 |
| #「平治物語絵巻」に描かれている義朝はアナゴさんにそっくり。 | | #*2009年の選挙で大敗、結党以来初めて政権の座を明け渡した。 |
| | #公明党の協力もあり衆議院議員は民主公明あわせて300人以上 |
| | #*いや社民党だ。公明党は野党 |
| | #党所属政治家は全員清潔で、汚職や便宜供与、年金不払いなどする議員は一人もいない。 |
| | #よく見たら「民'''生'''党」だ。 |
| | #*一般的には「みんせいとう」と読まれるが、奥田民生ファンの間では「たみおとう」と読まれている。 |
| | #保守派 |
| | #実は「眠酒党」で、党首は[[偽中川昭一の特徴|中川昭一]]だ。 |
| | #*議員は全て国会で眠っている。 |
| | #「鉄道の無料化」と「フェリー・旅客船の無料化」を公約に掲げている。 |
| | #ほとんどのマスコミから嫌われている。 |
| | #*2013年現在はもう手遅れだな。 |
| | #ヤフーコメントで大絶賛される。 |
| | #自民党・公明党とは悉く対立している。 |
| | #*減税がスローガンだ。 |
| | #*著作権法も緩和、あるいは廃止しようとしている。むしろインターネットサイトから音楽をダウンロードすることを奨励している。 |
|
| |
|
| ===源為朝=== | | ==偽みんなの党の特徴== |
| #為義の息子、義朝の弟。
| | #大きな政府がスローガン。 |
| #鎮西八郎とも呼ばれる。
| | #創設者は群馬県(または茨城県)出身。 |
| #*剛力な上に、おそるべき弓の名手で、子供の頃から大変な暴れん坊。
| | #英語名は"Everyone's Party"。 |
| #**おまけに弓の引き過ぎのせいか、左右の腕の長さが12cmも違っていた。
| |
| #*あんまり暴れん坊なので九州に追い出されたが、九州でも暴れ回ってそこらの豪族や武将をみんな配下にしてしまったらしい。それで「鎮西」のあだ名を奉られた。
| |
| #保元の乱では父に従って崇徳上皇側に就く。
| |
| #*夜襲を進言するが、あっけなく却下される。
| |
| #**「正義の軍がそのような卑怯なことができるか」という理由。
| |
| #**一方後白河天皇側は容赦なく夜襲をかけてきて、上皇軍ボロ負け。
| |
| #*しかし為朝の強弓は後白河側の多くの将兵を斃し、怖れられた。
| |
| #保元の乱ののち捕縛され、もう弓が引けないように右腕の腱を断ち切られて、伊豆大島に流される。
| |
| #*しかし一向にしょげもせず、大島を乗っ取ってしまう。
| |
| #*大島ばかりでなく、艦隊を組織して伊豆七島を完全征服。
| |
| #*大軍による討伐を受け、ついに自害して果てる。が……
| |
| #**大島に押し寄せた敵に向かって矢を放つと、船の底板をぶち抜いて沈めたという。ほとんど対艦ミサイル。
| |
| #実は伊豆で敗れてからが為朝伝説の真骨頂。
| |
| #*自害はせず、弧舟で南西諸島へ逃れ、沖縄を征服し、尚氏王朝の祖となったとも言われる。
| |
| #**なんと尚氏王朝の正史にちゃんと記されているので、伝説ではあるが必ずしもトンデモ説ではない。
| |
| #**滝沢馬琴の『椿説弓張月』はその辺を小説化してある。 | |
| #*しかし沖縄程度の島におさまる器量ではなく、さらに大艦隊を仕立ててフィリピンやインドネシア方面への征旅に発ったという壮大な伝説もある。 | |
| #アワビの殻にこの人の名前を書けば疫病を防げるという民間信仰があったらしい。 | |
|
| |
|
| ===山本義経=== | | ==偽立憲民主党の特徴== |
| #源義経とであったことがある。ちなみに彼も源氏なので、彼が源義経と名乗っていたりすることもある。 | | #実は大正時代の政党だ。 |
| #*そのため「源義経と山本義経は同一人物だった」という説も… | | #略称の「民主党」は今はこちらが使っている。 |
| | #日本維新の会と合流し、野党第1の勢力となった。 |
| | #よく見たら立憲君主党だ。 |
|
| |
|
| ===源義経=== | | ==偽れいわ新選組の特徴== |
| #義朝の九男。頼朝の弟。
| | #れいわ新'''撰'''組だ。 |
| #*幼名「牛若丸」が有名。
| | #代表は山田太郎。 |
| #*「九郎義経」の名前は自分でつけたらしい。
| | #*いや「山木太郎」だ。 |
| #*検非違使少尉に任ぜられたので、唐名の「判官」をつけて「九郎判官」とも呼ばれる。
| | #**あるいは「山本'''犬'''郎」。 |
| #敗将義朝の息子として鞍馬寺にやられるが、脱走して奥州藤原氏を頼る。
| |
| #*のちの騎馬隊の発想は、奥州滞在中に得た可能性が強い。
| |
| #頼朝の部将となって大活躍。
| |
| #*宇治川の合戦で木曽義仲を撃破。
| |
| #*一ノ谷、屋島、壇ノ浦で平氏軍と戦い、いずれも快勝。平氏を滅亡させる。
| |
| #**速度を活かした奇襲戦法が得意。一ノ谷では機動騎馬隊、屋島では荒天を衝いた渡海作戦による回り込み攻撃で勝利した。
| |
| <!--#***回り込み作戦が使えなかった壇ノ浦ではやや苦戦したが、敵船の漕ぎ手を射殺するという禁じ手で勝つ。-->
| |
| #***いずれも当時としては斬新な戦術だが、その頃の武士の美意識からすると「卑怯」な印象が強く、庶民や下級武士には人気があったが、上級武士たちからは嫌われた。
| |
| #***作戦立案能力には優れたものがあったのかもしれないが、ここでも周囲との調整が全くできていない。「あいつ作戦考えた自分が偉いと思ってるけど戦力出したのは誰だと思ってるんだ」「功を焦りすぎ」と鎌倉への報告では散々な書かれようである。
| |
| #壇ノ浦の戦勝のあと、頼朝と再会することなく、討伐されるはめに。
| |
| #*義経が「平氏征伐」だけを目標としていたのに対し、頼朝は「東国政権の確立」を狙っていたという、目的意識の差が反目の原因となった。頼朝の狙いからすれば、義経の行動がいちいち目障りだった。
| |
| #**勝手に後白河法皇から官位を貰ったり、勝手に平氏の重要人物の助命を確約したり。
| |
| <!--#**そもそも壇ノ浦の戦争目的のひとつであった「三種の神器と安徳天皇の確保」には失敗している。戦闘には勝ったが戦争目的を果たせなかったわけ。-->
| |
| #*義経もうかつだったが、頼朝もちゃんと言っとけよという気はする。
| |
| #若き日を過ごした奥州に逃げ込むが、頼朝の恫喝に屈した藤原泰衡に討たれる。
| |
| #*討たれたのは身代わりで、実は逃がされたという説も根強い。
| |
| #**首桶に収められた首は、焼け焦げた上に不必要な日数がかかったせいで、鎌倉に着いた時には腐敗しきってほとんど判別不能だったらしい。
| |
| #**泰衡は、将来訪れるであろう頼朝との決戦に備えて、義経を逃がして温存していたが、頼朝の行動が早すぎ、義経を呼び戻す間もなく亡ぼされてしまった……というシナリオ。
| |
| #*義経の生存伝説を辿ってゆくと、津軽半島の[[青森/津軽#三厩|三厩]]まではほぼ一本の線になる。[[北海道]]に入ると支離滅裂になるので、三厩までは逃れてきたと見ても良いのではないか、という人も居る。
| |
| #海を渡ってチンギス汗になった……という壮大な説もある。
| |
| #*機動騎馬隊の活用以外、あんまり共通点は無さそうだが。
| |
| #超重要人物なのに前半生がぜんぜん分からない。誰かに武術と軍事を学んでいたことだけは間違いないと思うだが… | |
| #実はイケメンではなかったらしい。 | |
| #*「出っ歯のネズミ顔」とも言われている。 | |
| #**ただしこれは平家物語の中で戦闘中相手を煽るシーンに出てくる話なので「お前のかーちゃんでべそ」と大差ない。 | |
|
| |
|
| ===那須与一===
| | [[Category:偽モノの特徴|せいしたんたい]] |
| #源平合戦のうち、屋島の戦いで海上から扇を射抜いた伝承で有名な人。
| | [[Category:政治団体|にせ]] |
| #通称「与一」。本名・宗高(むねたか)。
| |
| #*本当は十一男だったので「余一」、つまり「余り者」だったらしい。義経に従ったのは、実家に居ても余り者扱いで、うだつが上がりそうになかったからだとか。
| |
| #**だが他の兄弟はみんな平家についたり、やらかしたりしたため、那須家の家督は与一が継いだ。
| |
| | |
| ===巴御前===<!--実は武士ですらないみたいですがツッこんだら負けです-->
| |
| →[[女子伝/日本#巴|巴]]
| |
| | |
| ===武蔵坊弁慶===
| |
| #日本史上最も有名な僧兵。
| |
| #とりあえず実在した人物ではあるらしい。
| |
| #母親の胎内にいた期間は軽く年単位。
| |
| #*そこまで留め置けた母親もすごいと思う。
| |
| #アドリブ力がかなりあったと思われる。
| |
| #*安宅の関突破時の行動はまさに「ナイスアドリブ」。
| |
| #牛若丸と決闘した場所は実は五条大橋ではなかったらしい。
| |
| #有名な「立ち往生」については医学的に説明できるという見解もある。
| |
| #全国各地にこの人が投げたり運んだりしたとされる岩がある。
| |
| #弁慶がな、ぎなたをもってさ、・・・
| |
| #没後700年くらいして蝦夷地に落ちのびて機関車になった。
| |
| | |
| ==鎌倉時代の武将==
| |
| *[[鎌倉時代#鎌倉幕府の執権|鎌倉幕府の執権]]
| |
| | |
| ===源範頼===
| |
| #義朝の六男。頼朝の弟で義経の兄。
| |
| #義経と一緒に木曽義仲や平氏と戦うが、義経と較べられて損をしている人。
| |
| #*義経は遊撃隊を率いて奇襲することが多く、主力部隊は常に範頼が率いていたのだから、総大将としての力量は認めてあげるべき。
| |
| #**一ノ谷の奇襲も、範頼が東側から平氏の軍勢とがっぷり四つに組み、戦線を膠着させていたからこそ効果があったのだし。
| |
| #義経没落の理由をよく知っていたらしい。決して出過ぎることなく、すべて頼朝の指示をあおいで警戒されることを避けた。
| |
| #些細な難癖をつけられて殺される。
| |
| <!--#*富士の巻狩りで曾我兄弟の仇討ち騒ぎがあった時、鎌倉には「頼朝も殺された」という風聞が伝わった。範頼はすぐ頼朝夫人・政子のもとへ駆けつけ、<BR>「この範頼が居ります限り、噂のようなことがあったとしてもご心配には及びませんぞ」と頼もしく発言。これを、頼朝に取って代わるつもりかと曲解された。-->
| |
| <!--#*弁明書を出したが、「源範頼」と署名してあったのでこれまた咎められる。「臣下のくせに源姓を用いるとはなんたる僭越、やはり頼朝に代わって源氏の棟梁になるつもりに違いない」という理由。-->
| |
| <!--#*要するに頼朝や北條氏としては、他の連中に担がれるおそれのある範頼を、何がなんでも抹殺しておく必要があったとしか。-->
| |
| | |
| ===平景清===
| |
| #歴史としてよりもむしろ歌舞伎や能の主人公として有名。
| |
| #*近松門左衛門も「出世景清」とかで書いてる。
| |
| #*ナムコ「源平討魔伝」のプレーヤー「景清」のモチーフでもある。
| |
| #体がでかく、力持ちだったので、通称は悪七兵衛。
| |
| #*ただ、この異名は景清が叔父を疑心暗鬼でぶっ殺したためついたとかいう嫌な説もある。
| |
| #名前は平だが、元は平氏ではなかったっぽい。
| |
| #*藤原忠清の子で伊勢藤原氏。先祖は藤原秀郷(俵藤太)で、実は名門の出。
| |
| | |
| ===梶原景時===
| |
| #義経ファンからは蛇蝎のごとく嫌われている。
| |
| #*義経に軍監としてつけられた。義経が没落したのはコイツが頼朝にあること無いこと讒言したからだと思われている。
| |
| #**癖のある男ではあったようだが、やや気の毒。
| |
| #**なお彼の主張自体は正論。「義経のやつ突っ込むことしか考えてねえ」というのは現場の大体の総意と思われ、景時一人が悪く言っていたわけではない。
| |
| #義経を陥れたというのは濡れ衣だったかもしれないが、頼朝べったりでゴマをすりまくっていたのは事実だったようで、頼朝が死ぬと他の御家人たちから総スカンを食い、謀反の疑いをかけられて族滅された。
| |
| #*一代の権力者にやたらとすり寄るのは考えもの、という教訓を遺した。
| |
| #*北条氏にとってウザい存在だったから陥れられたというのが真相なんじゃないだろうか。
| |
| #**頼朝の政・戦略を最も理解していたのは実は景時だったと思われ。将軍と関東武士の利害が乖離し始めると、北条氏らにとって頼朝路線の後継者たる景時は一番目障りな存在だったのだろう。
| |
| #同時代の人間から'''ゲジゲジ'''呼ばわりされていた。
| |
| #頼朝の飼い犬の中では最も忠実だったが、飼い主が死んで後ろ盾がなくなると他の犬に共食いされてしまった。
| |
| | |
| ===三浦義村===
| |
| #源実朝暗殺事件の黒幕という噂がある。
| |
| #*二代将軍頼家の遺児・公暁の傅人だった。
| |
| #*公暁をうまく焚きつけ、実朝と北條義時が揃って鶴岡八幡宮に参拝する時を狙って殺させる計画を立てたようだ。
| |
| #**もちろんその目的は、公暁を四代将軍とし、北條氏に代わって幕府執権の座におさまるため。
| |
| #*実朝は首尾良く斃したが、義時はドタキャンしてその場に現れず健在。計画が破綻したので、帰ってきた公暁を殺して口をぬぐった……というのだが。
| |
| | |
| ===畠山重忠===
| |
| #馬を背負って急峻な崖を降りるという前代未聞の行為をやってのけた凄い人。
| |
| #基本的に善玉として描かれることが多い。義経以上に「判官贔屓」されてる。
| |
| #好漢で人望も厚かったようだが、一方で血の気が多く喧嘩っ早い。陥れられたとはいえ、最期粛清されたのもむべなるかな。
| |
| #豪傑のイメージが強いが管弦や舞踊にも造詣が深いという優等生。
| |
| | |
| ===竹崎季長===
| |
| #元寇の時に活躍した[[熊本|肥後]]の御家人。
| |
| #*何代か前に所領争いで敗れてジリ貧になっていたので、一発逆転の恩賞をアテにして奮闘したらしい。
| |
| #恩賞に洩れたので、鎌倉まで長旅をして幕府に直訴。
| |
| #*旅費を作るため、家財産の一切を処分したらしい。訴えが認められなかったらそのままホームレスになるところだった。
| |
| #**馬も売り払ったので、当然全部徒歩。
| |
| #**中世の裁判は、原告が動かないと全く進まないからしょうがない。
| |
| #*幸い安達泰盛に訴えが認められ、地頭に取り立てられる。
| |
| #自分の活躍を劇画にする。
| |
| #*「蒙古襲来絵詞」という。この劇画のおかげで、元寇の実態がかなりわかる。
| |
| #**ただし加筆や修正が多すぎる。科学調査をしても、どこまでが元のままか分からないレベル。
| |
| #*状況からすれば、モンゴル兵が悪鬼のように書かれていても不思議でないのに、のどかさを感じるシーンがあるほど自然に書かれている。単に絵師が描けなかっただけかもしれないが。
| |
| | |
| ===佐々木道誉===
| |
| #鎌倉末〜南北朝を代表する怪物。しかし裏方専業で年表に載らないタイプなので、相手が南北朝好きかどうかを見分けるためのリトマス試験紙になる。
| |
| #佐々木高氏とか、京極高氏とも言うが、たぶんそっちの名前では誰も知らない。
| |
| #東海道線の柏原駅の付近に墓がある。
| |
| | |
| ===楠木正成===
| |
| [[File:楠木さんファミリー.JPEG|thumb|240px|家族団欒中のくっすん]]
| |
| #領地を持った武士ではなかったので「悪党」扱いされる。河内地方の運送業のおっちゃん。
| |
| #*「悪党」と言っても当時の意味は「反骨精神溢れる無頼漢」くらいの扱い。
| |
| #*戦後はこの悪党という言葉のイメージと、戦前からの反発の影響か豊臣秀吉同様下げられる傾向にある。ある意味戦時史観・東京一極集中、そして関西の北摂一極集中の犠牲になったかのようにも見える。
| |
| #「七生滅敵」の言葉と南朝方の忠臣だったことから戦時中のヒーロー。
| |
| #*[[皇居]]外苑に銅像がある。外国の方も写真撮ってたりするが、↑のことは、、、忘れておいてください。
| |
| #**銅像自体は高村光雲作の戦前日本を代表する名品。写真に撮りたくもなるだろ。
| |
| #*明治になってから正一位を追贈された。
| |
| #*後世の「太平記読み」で、途中で客がダレて減ってくると、「次回、大楠公登場!」と宣伝して客を取り戻していた。アニメやマンガのテコ入れと一緒。
| |
| #籠城戦では熱湯かけたりウンコかけたり。
| |
| #*''自称''100万の敵に勝利
| |
| #*ガセネタばらまいて空き城を大軍で攻めさせる手も使い、「騙される方が悪いんや!ざまみい!」と高笑い。
| |
| #桂南光の先祖らしい。
| |
| #講談の影響で天才戦術家のイメージが強いが、実際は戦略的読みに優れた張良タイプ。千早城に大軍を呼び寄せて鎌倉を自壊させたり、足利に勝利したタイミングで講和を進言したりと、同時代では傑出した高い視点の持ち主。ただいかんせん後醍醐天皇の方針が・・・
| |
| | |
| ===新田政義===
| |
| #新田の没落を決定的なものにしたネタ武将。
| |
| #無許可任官に無許可の出家、あげく職場放棄で御家人役を剥奪された。↓の義貞が無位無官で苦労したのは大体こいつのせい。
| |
| #新田義貞の高祖父(ひいひいじいさん)。
| |
| | |
| ===新田義貞===
| |
| #後醍醐天皇麾下の総大将だったのに、戦前は楠木正成の人気に隠れ、戦後は足利尊氏復権のあおりを食って二流武将扱いされ続けている不遇な人。
| |
| #*よく調べれば、すごく頑張ってるんだけどねえ……
| |
| #**戦い以外は、積極的に行動しているとは言い難い。特に政治的な工作をほとんどやっていないのが致命的。そりゃ足利に負けるだろ。
| |
| #**良くも悪くも東国の田舎武士なので大局的なビジョンがない。頑張ってはいるけど頑張りどころが間違っているという意味で項羽みたいなもん。
| |
| #足利氏とはもともと同族だが仲が悪かった。
| |
| <!--#*源義家の次男・義国が両家の先祖。-->
| |
| <!--#*義国の長男・義重が新田氏を興し、次男・義康が足利氏を興した。-->
| |
| <!--#*が、義重は先に家を出たため、なんとなく義国家の家督を辞退したような形になってしまい、以後足利氏が嫡流のような印象ができた。-->
| |
| <!--#*しかも足利氏は、頼朝や北條氏に機敏に接近して高位を得ていたが、新田氏は代々剛直かつ融通の利かない当主が続き、義貞誕生時にはすっかり落ちぶれていた。-->
| |
| #鎌倉を落とし、幕府を覆した殊勲者。
| |
| <!--#*幕府のかなりの兵力が上方に行っていたため、鎌倉がやや手薄になっていたという事情はあったものの、難攻不落の要塞都市を落とすのは容易でなかったはず。-->
| |
| #*六波羅探題を落とした足利尊氏より功績はどう考えても上。
| |
| #**まあ問題は義貞の軍に人が集まったのもだいたい千寿王(義詮)が合流したおかげだってことだが・・・。なので「いやいや義貞ってただの足利の下請けでしょ」というのがもっぱらの扱い。
| |
| #*刀を海に投げ入れると潮が引き海側から攻めたという逸話がある。これは伝説にすぎないといわれていたが、最近事実だということが判明。
| |
| #*ただし、勝利後は戦後処理や戦勝宣伝、寺社対策を全くしておらず時間を空費している。功績を横取りされてもしょうがない。
| |
| #京都に呼び出されてからは、あまり勝ち戦が無い。
| |
| #*常に公家が同格もしくは上位者として同行し、作戦に口を出すばかりか勝手な動きばかりしていたので、そのフォローのために戦機を失い続けた観がある。
| |
| <!--#**箱根の合戦や比叡山の合戦では特にその印象が強い。-->
| |
| #*足利軍が京都に攻め寄せた時は、朝廷を丸ごと避難させたのち、鮮やかに勝利し、尊氏を九州まで追い落とす。やっぱり口出しするヤツさえ居なければ、充分にできる子。
| |
| #**だがこの時組んでいたのはあの楠木(ry
| |
| <!--#**尊氏が九州から復活して攻めてきた際も、同じ手で戦おうとしたが、「一年の内に二度も動坐するなどとんでもない」という理由で却下される。仕方なく水際で叩こうと湊川に出陣したが、楠木正成を失う敗戦となる。-->
| |
| <!--#*関東に帰って精兵を募ってくることを申し出たが、却下される。-->
| |
| <!--#**公家側の言い分は「帝のお墨付きがあるのだから、兵など日本中どこからでも集められるはずではないか」というもの。-->
| |
| <!--#**義貞が一旦関東に帰ったら、そこで自立して戻ってこないのではないかという警戒心もあったようだ。-->
| |
| #後醍醐天皇から勾当内侍という美女を賜ったそうな。
| |
| #*この美女にうつつを抜かして戦機を失った愚将だと思われがちだが、詳細に日付を見てゆくと、女のために軍事行動をおろそかにしたと考えられる時期は全然存在しない。「太平記」の記述で悪いイメージが作られてしまった例。
| |
| #**でも出陣が遅れた上に城攻めに手こずってまんまと時間を無駄にしたのは本当。恐らくその辺の無能じゃね?感を表現するために「女にうつつを抜かしてた」ということにされたのだろう。結局良いイメージにならないあたりが・・・orz
| |
| #最後の死に方はちょっと間抜けっぽい。これもまた愚将のイメージのもとになっている。
| |
| <!--#*越前の灯明寺畷で、自ら偵察行動に出ていたところ斯波高経の軍勢と遭遇してしまい、戦死。-->
| |
| <!--#**大将みずから偵察行動をしなければならない理由は全然無かったので、無駄死にと言われても仕方がないかも。-->
| |
| #*自称、新田流の黄門様により、討死にしたと伝わる地域から立派な兜が発見され、その地を新田義貞討死の地とし地名は新田塚と名付けられた。
| |
| #明治になって正一位を授与されたため、 <b>実は今は足利尊氏より偉い</b>。
| |
| | |
| ===高師直===
| |
| #足利尊氏の肖像画である(と推測されていた)太刀を担いだ騎馬武者の絵は実はこの人だったという説が出た。でも、実はこの人でもないみたい。
| |
| #*たけし軍団に所属するグレート義太夫であることが近年判明。
| |
| #「太平記」には神仏恐れず、天皇家の権威をも恐れず。「院や王(天皇)は皆どこぞへ流刑にしてしまえ!その代わりに金か木で作ったのを置いとけば良かろう!」と豪語したと書かれている。
| |
| #*しかし非常に逆説的ながら、金か木で作ってでも天皇は必要だったとも取れる。
| |
| #**南朝に対抗するためと取るのが手堅い解釈だろうが、ここらへんに天皇制の本質が隠れている気もする。
| |
| #***天皇機関説の元祖……なわきゃない。
| |
| #後世で全く関係ない悪役を仮託され、見ず知らずの四十七人の侍に殺される。
| |
| #*「俺の時代には火事頭巾なんてないぞ」
| |
| #徒然草で有名な兼好法師にラブレターの代筆を頼んでいたらしい。
| |
| | |
| ===土岐頼遠===
| |
| #今よりずっと皇族が神聖視されていた時代に皇族の人を'''「犬」'''呼ばわりした気概のある人。
| |
| #*悪く言えば、ただのDQN。
| |
| #*笠懸の帰りに光厳上皇の牛車に会う→ベロベロに酔っていた勢いに任せて「院と言ったか、犬と言ったか。犬ならば射てくれよう。」と言って、あろう事か上皇の牛車に対して矢を放つ(蹴飛ばしたという説もアリ)→これを聞いた足利直義、激怒→途中色々あったけど結局捕えられ、斬首。
| |
| #**こりゃヤバイとなって美濃に逃げ帰ったりしてるので結構ヘタレな感じもする。ただの戦バカではなく文化面の能力も持つ文武両道型なので、酔っていなければさすがに下手は打たなかっただろう。
| |
| #*どうも自分の武功を鼻にかけていたフシがあったらしい。
| |
| | |
| ==室町時代の武将==
| |
| ===足利直冬===
| |
| #足利義詮の庶兄で、足利直義の養子になった。
| |
| #*尊氏の長男だが、母親の身分が低かったので家督が継げず、息子の居なかった叔父・直義に引きとられた。
| |
| #**正室の手前か、家督どころが認知すらされなかった。
| |
| #実父と養父が仲違いしたり仲直りしたりするたびに、討伐令を受けたり官職を与えられたりと扱いがコロコロ変わり、振り回され続けた気の毒な人。
| |
| #ついにぶち切れて九州で自立。弟の義詮の天下支配を決して認めようとしなかった。
| |
| #れっきとした将軍家の一族でありながら、死んだ時もはっきりしない。
| |
| #*1387年説と1400年説がある。13年も差があるって……
| |
| #母親については遊女説がある。弟の義詮から「Son of ○itch」と罵声を吐かれたことで、足利家と袂を分かつことを決意したらしい。
| |
| #*[[大河ドラマファン]]にとっては真田広之と宮沢りえの隠し子、というイメージしかない。
| |
| #尊氏死後は気持ちが切れてしまったのか、めっきり動きが小さくなる。反抗の始まりが父親に認められなかったことから来ていると考えると、やっぱりファザコンだったのだろうか。
| |
| | |
| ===今川了俊===
| |
| #室町時代初期を飾る智将。
| |
| #懐良親王や足利直冬の分立でわけがわからない状態になっていた九州を、丹念に平定。南朝勢力を駆逐する。
| |
| #*南朝がついに息切れして北朝の軍門に下るのは、了俊が九州を平定してしまったためと言っても良い。その意味では南北朝時代を終息させた殊勲者と言える。
| |
| #足利義満に疑われて野に下る。
| |
| #*応永の乱を起こした大内義弘に加担したと疑われた。
| |
| #*でも本当は、功績が大きすぎて扱いに困ったからではないかと思われる。
| |
| #文人としても一流。
| |
| #*「難太平記」を書いた。「太平記」への反論本。
| |
| #*九州へ行く時の紀行エッセイや和歌集にも見るべきものがある。
| |
| | |
| ===足利持氏===
| |
| #[[ベタなダメ上司・上官キャラの法則|ダメ上司]]の典型のような人物。
| |
| #*気性の激しさは宿敵義教と同じだが、政略・軍略に関しては足元にも及ばないヘタレだった。
| |
| #*鶴岡八幡宮に奉納した血染めの感状の話とか…そこまであからさまにしなくても。
| |
| | |
| ===上杉憲実===
| |
| #中間管理職の悲哀をそのまま表したような人物。
| |
| #*凄腕だがワンマン経営の独裁社長と、そいつと犬猿の仲で、出世欲だけ一流の支店長の狭間で悩まされ続けた。
| |
| #**「お前は俺より社長の言う事を聞くんだな!」「そういうつもりはございません!」
| |
| #*その他、義絶した息子が元上司の息子に殺されたり、後半生はこれでもかというほどに不幸続き。流浪の末最後は[[山口]]で一生を終えたそうな。
| |
| #**長門の大寧寺で、出家しいたらしい。
| |
| | |
| ===山名宗全===
| |
| #山陰地方を中心に多くの所領を持ち、一時は日本全国の6分の1が彼の所領だったとさえ言われ、「六分一様」と呼ばれた武将。
| |
| #応仁の乱の一方の総帥。
| |
| #*もう一方の総帥の細川勝元は宗全の娘婿だった。
| |
| #*最初は日野富子に頼まれて、足利義尚の擁立のため総帥になったが、そのうちgdgdになってわけのわからないことに。
| |
| #「赤入道」というあだ名もあった。
| |
| #*高血圧だったっぽい。応仁の乱の最中に頓死。
| |
| #先例よりも「今この時」が大事だと喝破した逸話で知られる。
| |
| #*安土桃山時代の流行語の「当世」もほぼ同じ意味。宗全は正に未来を予言したと言える。
| |
| #*しかし、彼の子孫はその時勢に飲み込まれて滅んでいったのは皮肉と言えなくもない。
| |
| #本名は山名持豊。宗全は出家後の名前。
| |
| | |
| ===足利成氏===
| |
| #持氏の息子。親父と同じくらいお騒がせな男。
| |
| #*上杉憲実の息子の憲忠とそりが合わず誅殺するも、他の上杉一族から攻められて鎌倉から追い出され、下総古河に逼塞。
| |
| #*ところがその後、上杉家が4つに分裂して派閥抗争を始めたので、息を吹き返す。
| |
| #*分裂した上杉のどれかに肩入れしながら要領よく立ち回って命脈を保った。
| |
| #**上杉のほうも、関東公方がついていると大義名分を得て、他の派閥に対し優位に立てるような気がして、なんとか成氏を味方にしようとゴマをすりまくり。
| |
| | |
| ===太田道灌===
| |
| #江戸城を築いた人。徳川家康と答えた者は不正解。
| |
| #*江戸城だけでなく、川越城、岩槻城など、平地型の城をたくさん築いた。
| |
| #**築いたのは大工さんじゃない?
| |
| #*ただし、徳川期に大幅改修されているので、江戸初期の時点でほぼ原型はないはず。
| |
| #足軽戦法の創始者。
| |
| #*それまで非正規戦闘者の扱いだった「足軽」に禄を与えて集団訓練を施し、歩兵軍団として活用。
| |
| #*のち北条早雲に受け継がれて関東を席巻する。
| |
| #*上記の足軽訓練を怠けた者から罰金徴収。しかし、自分の懐に入れず訓練に耐えた者に「茶代にせい」と与えた。名目は茶代だが、実際は飲み代。
| |
| #扇谷上杉定正の家老。
| |
| #*城作りも足軽戦法も、定正のためにやっていたのだが、力量がありすぎて警戒される。
| |
| #対立する山内上杉顕定の反間の策が入り、定正によって殺される。
| |
| #*風呂場で殺される時、道灌が叫んだ言葉は「当方滅亡!」のひとことだったとか。
| |
| #**「俺を殺したらもう山内には勝てずに滅亡するしかないのに、バカな殿よ」というほどの意味だったろうか。
| |
| #和歌が好き。でも[[和歌山]]は好きかな?
| |
| #*和歌好きになるきっかけのエピソードが、後世の落語ネタになった。
| |
| #**「おめぇは歌道に暗ぇなぁ!」
| |
| | |
| ===伊達政宗===
| |
| <!--注:初代仙台藩主の伊達政宗ではありません-->
| |
| #独眼竜ではありません。
| |
| #*幼少の頃に天然痘に感染したことなんてありません。
| |
| #芦名家や相馬家を滅ぼしてはいません。
| |
| #親と兄弟は殺していません。恐らく。
| |
| #'''こっちの'''政宗って、何か世に知られたエピソードはあるのか?
| |
| #*「伊達政宗の乱」なるものがあるらしいが……
| |
| #*置賜の長井氏を攻め取って支配下にしたり、↑の伊達政宗の乱は鎌倉公方が「お前の土地よこせ」と言ってきて、拒んだ結果戦いになったもので、それに勝利して領土を守ったもんで、伊達家中興の祖と言われている。
| |
| #一揆の扇動や文化財の破壊なども行っておりません。たぶん。
| |
| #*「やっていません」ネタ、そろそろやめません?
| |
| #没地は江戸桜田ではありません。[[山形/置賜#高畠町の噂|こっち]]です。
| |
| #初代仙台藩主と区別するため大膳太夫政宗と呼ばれるとか…。
| |
| #「奥州伊達家中興の主」で、なかったか?
| |
| #*だからこそ、仙台藩主政宗は、これにあやかって、その名前にしたわけで。今川範国
| |
| | |
| ===今川範国===
| |
| #誰も知らないけど、今川氏の初代。了俊の父親。
| |
| #末っ子で、本当は家を継げるような立場じゃなかった。
| |
| #*4人兄貴がいて、3人が中先代の乱のとき相模川で戦死、1人は出家、ということで棚からぼたもち2か国貰った。
| |
| #**8代将軍吉宗よりすごい運の良さ。
| |
| #**長兄の頼国は戦死したとき、体に矢が20本も刺さった状態で見つかった。
| |
| #むすこで跡継ぎの範氏は、父親より先に亡くなってしまった。
| |
| #*その後を継いだ範氏の子の氏家も、相続してすぐに亡くなった。
| |
| #*死にまとわりつかれてるよ、このひと。
| |
| | |
| ==戦国時代の武将==
| |
| *[[戦国武将]]
| |
| **[[戦国武将/あ行]]
| |
| **[[戦国武将/か行]]
| |
| **[[戦国武将/さ行]]
| |
| **[[戦国武将/た行]]
| |
| **[[戦国武将/な行]]
| |
| **[[戦国武将/は行]]
| |
| **[[戦国武将/ま~わ行]]
| |
| | |
| [[Category:バカ人物志/日本|ふしよう]] | |