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{{Pathnav|もしあの列車・種別が○○だったら|もしあの列車・種別が○○だったら/私鉄|name=関西私鉄}}
{{お願い/日本の駅|[[神奈川]]県内}}
==近畿日本鉄道==
==[[横浜市]]==
===近鉄特急が○○だったら===
*[[関東の駅/横浜市]]
====列車愛称が廃止されなかったら====
#名阪特急(名古屋~大阪)は「すずか」。
#*甲特急はそのまま「アーバンライナー」になる気がする。
#阪伊特急(大阪~伊勢志摩)は「いせ」。
#*23000系の場合は「伊勢志摩ライナーいせ」。
#**寧ろ「いすず」の名前が残ってそうな予感。流石に神風は特攻隊を連想させるから無理だろうけど。
#名伊特急(名古屋~伊勢志摩)は「しま」。
#*23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしま」。
#**「かつらぎ」の名称がこっちに流れてきたりして。
#京伊特急(京都~伊勢志摩)は「しんじゅ」。
#*あるいは「いすず」。
#**阪伊特急が「いすず」を名乗り、代わりに「いせ」がこっちに流れてきたかもしれない。
#*23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしんじゅ」。
#京橿特急(京都~橿原神宮前)は「あすか」。
#京奈特急(京都~奈良)は「やまと」。
#阪奈特急(大阪~奈良)は「かすが」。
#吉野特急(大阪~吉野)は「よしの」。
#*新車登場を機に「さくらライナー」が新設。
#今はなき阪京特急(大阪~西大寺~京都)は「みやこ」。
#*やはり廃止された湯の山特急(大阪・名古屋・四日市~湯の山温泉)は「ございしょ」になっていた。
#*これまたなき奈伊特急は…「しんと」?
#50000系使用列車も上記伊勢志摩ライナーのように「しまかぜ・いせ」「しまかぜ・しんじゅ」などを名乗っていた。
#*さすがに「しまかぜ・しま」は語感が悪いので別の名称になっていた可能性が高い。
#*場合によっては「ミュースカイ」や「スカイライナー」のように「しまかぜ」が特急とは別の種別となっていた。
#**「青の交響曲」は運行区間が限られているので恐らくそのまま。
#天理臨は「てんり」にでもなってたのだろうか。
#阪伊・名伊甲特急に限り「パールズ」がそのまま使われていた可能性も。


==[[川崎市]]==
====阪神・山陽乗り入れが実現していたら====
*[[関東の駅/川崎市]]
*近鉄側はやりたいらしいが阪神・山陽側が乗り入れに消極的らしい。
#山陽姫路発賢島行きというロングラン列車が誕生する。
#阪神・山陽の特急という種別は変更させられる。
#*あるいは運賃だけで乗れる特急はそのままで、近鉄直通の有料特急は「近鉄特急」「指定特急」として区別されるかも。
#観光特急しまかぜは阪神・山陽乗り入れも考慮されていたのでビスタカーはなかったかも。
#関西大手私鉄で有料列車がないのは阪急だけになる。
#近鉄に19m車の特急車両が登場していたかもしれない。
#近鉄名古屋~山陽姫路間という私鉄最長距離列車が誕生。
#実際、神戸三宮駅の2番線以外にホーム柵が設置されることになるので、それの調整も必要。


==三浦地域==
====名阪ノンストップ特急が史実(2012年)以前に廃止していたら====
*[[大船駅]]
近鉄の名阪ノンストップ特急は東海道新幹線開通後利用客が激減し、一時は廃止まで検討されていたほどです。もし名阪ノンストップ特急が本当に廃止されていたら・・・
#「アーバンライナー」は誕生しなかった。
#近鉄特急の看板は今も伊勢志摩特急。
#*近鉄特急のフルモデルチェンジは「伊勢志摩ライナー」で行われていた。
#名阪間における近鉄のシェアは現実より低くなっていた。
#*それでも1970年代半ばの国鉄の運賃50%値上げ後は近鉄の方が運賃+特急料金が安くなるので、安くいきたい人は近鉄を利用するようになる。
#伊勢中川駅の短絡線は存在しない。
#名阪間の高速バスがもっと栄えている。
#*名神高速のバス停は現実より多い。


===長谷駅の噂===
====現在でも日中に京伊特急が運行されていたら====
{{駅名標/江ノ電|name=長谷|ruby=はせ|roma=HASE|back=ごくらくじ|back2=GOKURAKUJI|next=ゆいがはま|next2=YUIGAHAMA}}
#外国人観光客から重宝されていた。
所在地:[[鎌倉市]]長谷
#2016年のダイヤ改正の前までは、阪伊乙特急との併結運転を行っていたが、ダイヤ改正後は、単独運転になっていた。
#大仏の最寄り駅。
#22600系電車はさらに増備されていた。
#*GWにはここの観光客で賑わう。
#*当駅から5分程度。
#つい最近この駅に自動改札機が導入された。
#*ほかに藤沢、江ノ島、鎌倉などの主要駅にも導入された。


*路線 - 江ノ島電鉄
==京阪電気鉄道==
===京阪特急が○○だったら===
====最初からテレビカーが無かったら====
#京阪は今より地味になっていた。
#*京阪特急はロングシート主体で土日のみの運転だった。
#**テレビカーがなくてもクロスシートの特急は史実通り運行され続けるはず。そうでもしないと自分から顧客を手放すという自殺行為になるだろうし。
#***ダブルデッカーの導入はおそらく史実通り。
#テレビカーといえば京成。
#*あるいは富山地方鉄道。
#**地鉄のテレビカーは京阪3000系の譲渡が前提だから、京阪のテレビカーがなかったら地鉄にもテレビカーはないだろ。
#*意外と[[西日本鉄道#筑豊電気鉄道の噂|筑豊電鉄]]だったかも。
#**路面電車タイプの車両にテレビがあるのが現実以上に珍しがられていた。
#*意外と名鉄が導入していたかもしれない(パノラマカーの中間車のうち1両に設置)。


===北鎌倉駅の噂===
====ダブルデッカーが増結されなかったら====
{{駅名標/東日本2|name=北鎌倉|ruby=きたかまくら|back=おおふな|next=かまくら|back2=Ofuna|roma=Kita-Kamakura|next2=Kamakura}}
#8000系はしばらくの間は史実通り7両編成だっただろうが、いずれ全車平屋の8両編成に組み直されていた。
所在地:鎌倉市山ノ内
#*場合によっては追加発注もあったかもしれない。
#北鎌倉駅には構内踏切があり、15両編成が通過している姿に圧倒される。
#最初のダブルデッカーが3000系の余剰車を改造して作られた以上、3000系が完全に置き換えられていた可能性も否定できない。
#*その北鎌倉駅は円覚寺という寺の敷地内にある。
#9000系の特急起用に対する批判はせいぜい固定クロスである事くらいだけだったかもしれない。
#*保土ヶ谷〜東戸塚間にも、参道や境内に踏み切りがある個所が2つもあります!
#富山地鉄にもダブルデッカーがなかった(京阪旧3000系のダブルデッカーが譲渡されたのがきっかけだったので)。
#完全に乗車券のみで乗車できる2階建て車両といえばクハ415-1901くらいだった。
#座席指定車(プレミアムカー)の登場も史実より早かったかもしれない。


*路線 - [[横須賀線]]
====もっと昔から座席指定席が連結されていたら====
*バス - 江ノ電バス
*何やら近い将来導入するという噂がありますが、ここではもっと早くから導入されていた場合について考えます。
#新快速や阪急特急に同様の車両が連結されていればあり得た可能性大。
#*逆に京阪で成功していたら阪急や新快速にも追って同様の車両が導入されていた。
#**関西以外では西鉄の特急にも指定席が導入されていたかも。
#テレビカーが2両あった頃は片方が指定席になっていたかもしれない。
#*8000系はテレビカーが指定席車になっていた。
#旧型の指定席より新型の自由席に客が流れる恐れがあるので、3000系に8000系を増結する事はなかった可能性が高い。
#*ダブルデッカーの導入に対しても同様の理由で慎重に行われていたかもしれない。
#*プレミアムカー導入が鴨東線開通と同時期だったら3000系に増結した8000系がプレミアムカーになっていた。
#*むしろ8000系が指定席になっていた。
#3000系(2代)への連結も一時的に検討されていた。
#*3000系(2代)は急行や準急にも幅広く運用されることから結局は見送られ、3000系など3扉車使用の特急は樟葉以東の停車駅を増やしたうえで準特急に格下げされていた。
#*結局、2020年度内の増結が決まりました。
#3000系の座席番号表示が有効的に使われていた。
#1980~90年代に連結されていた場合、座席が自由席車と同じだったら史実の国鉄における京阪神快速電車のグリーン車や関空特快ウイング号における指定席車と同様、利用が低迷して最終的には廃止されていた可能性もある。
#8000系以降の特急車には便所・洗面所や飲料の自動販売機が設けられていた。
#指定席車(プレミアムカー)に客を誘導させるため、8000系以降の自由席車は3ドア車で製造され、史実の2代目3000系のような2列-1列のセミクロスシート(車端はロングシート)になっていた。


===鎌倉駅の噂===
====1980年代のうちに現在の停車駅になっていたら====
{{駅名標/東日本2|name=鎌倉|ruby=かまくら|back=きたかまくら|next=ずし|back2=Kita-Kamakura|roma=Kamakura|next2=Zushi}}
*現実には2000年に中書島・丹波橋が、2003年に枚方市・樟葉停車が追加されましたが、もっと早くからこれらの駅に停車していたら?
{{駅名標/江ノ電|name=鎌倉|ruby=かまくら|roma=KAMAKURA|back=わだづか|back2=WADAZUKA|next=|next2=}}
#8000系は現実と異なり3扉両開きで登場していた。
<!--[[画像:KamakuraST.jpg|frame|駅舎]]-->
#*現実の阪急9300系のような車両となっていた。
所在地:鎌倉市小町・御成町
#ダブルデッカーは導入されず、テレビカーも現実より早く廃止されていた。
#実は発車メロディが独自の物だが、ほとんどの人に気づかれない。
#*8000系登場の時点でテレビカーが廃止されていたかも。
#改札より低い位置に連絡通路がある。おかげでやたら短いエスカレーターが。
#9000系や3000系(2代)は登場しなかった。
#東急沿線でもないのに東急百貨店が駅前にある。
#阪急京都線特急も早いうちに途中停車駅が増えていた。
#*東急ストア(のGMS・とうきゅう)なのに百貨店と間違えられる。
#**西武百貨店と競ってつぶした。
#本線の外側に留置線がある。(夜にE231系が停まっている。)
#混雑時用の臨時階段がある。
#正月や花火大会の日にはかなり混むため、東口の券売機の数が駅の規模からすると異常に多い。特に花火大会の日は駅への入場規制がかかる。
#江ノ島電鉄への乗り換え口のある西口は東口に比べるとかなりこじんまりとしている。
#駅北側に隣接する踏切は国鉄時代は人によって開閉されていた。
<!--#北鎌倉~鎌倉間で騒いでいた外国人(子供)がいたなあ。ガキ2名が車内を走り回って……。親がすみません、すみませんってかんじで謝っていたなあ。(そのとき、[[JR東日本E231系電車|E231系]]に乗っていた)-->


*路線 - 横須賀線 [[江ノ島電鉄]]
====8000系登場当初からダブルデッカーが連結されていたら====
*バス - [[京浜急行バス]] 江ノ電バス
*現実には1997年に行われた8連化の時にダブルデッカーが連結されました。
#旧3000系増結用に作られたT車もダブルデッカーとして製造されていた。
#鴨東線開業の目玉になっていた。
#*当初は旧3000系も混在していたが、現実以上に8000系を待つ客が多かった。
#8000系はブルーリボン賞は無理としてもローレル賞は獲れていたかも。
#特急8連化の際にはダブルデッカーがもう1両追加されていた。
#旧3000系はリニューアルされずに1995年の時点で全廃になっていたかも。
#*京阪特急にダブルデッカーが導入されたのは旧3000系リニューアルがきっかけだったため。
#*その場合、富山地方鉄道にダブルデッカーが導入されることもなかった。
#**逆に富山地鉄・大井川鐵道以外に旧3000系が譲渡されていた可能性もある。
#テレビカーは現実よりも早く廃止されていたかも。
#*その場合、遅くとも地デジ移行の時に廃止されていた。
#同じく料金不要の2階建て車両であるクハ415-1901の影が薄くなっていた。
#3000系(2代)にもダブルデッカーが連結されていたかもしれない。
#*8000系のダブルデッカー車の側扉を両開きにしたような感じの車両で、平屋部分は最初からロングシートになっていた。
#プレミアムカーはダブルデッカーの改造で誕生したかもしれない。


===逗子駅の噂===
==阪急電鉄==
{{駅名標/東日本2|name=逗子|ruby=ずし|back=かまくら|next=ひがしずし|back2=Kamakura|roma=Zushi|next2=Higashi-Zushi}}
===特急が○○だったら===
[[画像:E217-Y142+Y50-00.jpg|frame|分割Show]]
====京都線特急の停車駅が20世紀のうちに現在と同じなっていたら====
所在地:[[逗子市]]逗子
1970年大阪万博期間中は淡路、茨木市に臨時停車していたことがありました。(現実では茨木市駅は2001年、淡路駅は2007年に停車)
#横須賀線の15両対応ホームの最南端駅。そのためここで分割併合を行う。
#6300系はなかった。
#湘南新宿ラインはなぜ全列車ここで止められるのだろうか。
#*6300系は神宝線の6000系がベースの3扉クロスシート車になっていた。場合によっては特急格下げ車を除くと日本初の3扉転換クロスシート車となり[[国鉄117系電車]]を始め他社の車両に大きな影響を与えていた。
#*それ以上行っても需要がないから。
#**117系は現実と異なり3扉車になっていたかもしれない。
#**せいぜい鎌倉日帰り観光需要・・・かな?
#大宮駅の特急通過が早まったかもしれない。
#*15両区間もここまで。
#快速特急新設が早まった。
#*11両で走ることすら稀。
#神戸線特急の停車駅も増えていたかも。
#**マジレスするとE231指定になったため。逗子駅先にある留置線に5両編成を置く余裕が無いため、15両ほぼ固定となっている湘南新宿ラインを分割して留置する事が出来無い。
#*宝塚線特急は日生エクスプレスしか設定されなかった。
#山側は改札を出るとすぐ道路。
#京阪特急の停車駅増加も現実より早かった。
#*その道路を下り方面にトコトコ歩いて行くと[[京浜急行電鉄|京急]]の[[Wikipedia:ja:京急600形電車 (2代)|旧600形]]が静態保存してあり、昼間は中に入る事が出来る。
#*[[京阪8000系電車|京阪8000系]]は3扉転換クロスシート車として登場していた。
#**実際1.2kmほどあるので見に行こうという人は注意すべし。東逗子駅からは850mほど。
#土休日に1往復、横浜線の205系が逗子まで乗り入れる。
#*08/3/15の改正で消滅しました(泣
#*サスガに根岸線経由だとねぇ。
#京急の新逗子駅に接続している様に見えて(?)、実際は徒歩で5分位の離れた所にある。
#*JR佐倉と京成佐倉よりマシ。
#2007年途中まで非バリアフリーな駅だった。エスカレーターもエレベーターも無く、人的パワー以外に脱出方法が無いぐらいに。


*路線 - 横須賀線
====宝塚線の特急が2003年8月に廃止されなかったら====
*バス - 京浜急行バス
史実では、1995年6月のダイヤ改正で、宝塚線に特急が設定され、2003年8月に廃止されました。もし、続けていたら…
#山本駅に待避線が設けられていた。
#2015年3月に設定された通勤特急は「特急」となっていたかもしれない。
#*それとも、通勤特急は雲雀丘花屋敷発着になっていたかもしれない。
#曽根新線(曽根~神崎川)が開業していたら、確実にあり得た。


===田浦駅の噂===
===急行が○○だったら===
{{駅名標/東日本2|name=田浦|ruby=たうら|back=ひがしずし|next=よこすか|back2=Higashi-Zushi|roma=Taura|next2=Yokosuka}}
====京都線の急行が2007年3月に廃止されなかったら====
所在地:[[横須賀市]]田浦町
史実では、2007年3月のダイヤ改正で、急行は廃止されました。
#田浦駅はトンネルの間に挟まれた駅である。
#新大阪線(淡路~新大阪~十三)が開業していたらあり得た。
#*15両編成の場合、東京よりのドアが1つ開かない。
#2013年12月or2019年1月のダイヤ改正で通勤特急が淡路駅に停車していたかもしれない。
#**あれ、11両じゃないの??
#2001年3月のダイヤ改正で快速が南茨木に停車し、現行の急行が急行のままで快速急行が新設されることはなかった可能性が高い。
#**11両ですね。ちなみに下りは久里浜より1両目と2両目の1つのドアが開かない。
#*その場合、2010年3月のダイヤ改正で快速急行が新設された。その場合、現在の快速が急行になっていた。
#**15両編成は逗子で前4両切り離し。たまに前の4両だけ横須賀方面へって場合もあるけど。
#*むしろ、現在の快速が急行として史実よりも早く登場していた可能性もあった。
#***ちなみに東逗子駅のホームに「田浦スイッチオン・オフ」と書かれている(車掌の位置)どうやらこのスイッチで特定のドアを開けない様にしている模様。
#かつてここから分岐して軍施設(?)の方へ繋がっていた線路の跡がある。
#*今でも下り線の向こうに複線分のスペース、更に大口径のトンネルがもう1つ空いていて独特の雰囲気を醸し出している。
#ドアカット駅である事に加えて廃線跡も見られるかなりの萌え駅。


*路線 - 横須賀線
===京とれいんが有料列車だったら===
*バス - 京浜急行バス
座席番号が割り振られている
#料金は他路線を参考に400~500円程度になっていた。
#京阪でも「洛楽」あたりが全席有料になってもおかしくなかったか。
#種車は6300系だけ使われていた。
#さすがに通勤客相手に平日の朝夕に運行されることはなかった。


===横須賀駅の噂===
==南海電気鉄道==
{{駅名標/東日本2|name=横須賀|ruby=よこすか|back=たうら|next=きぬがさ|back2=Taura|roma=Yokosuka|next2=Kinugasa}}
===特急が○○だったら===
所在地:横須賀市東逸見町
====自由席特急が史実よりも早く廃止されていたら====
#「横須賀駅」を名乗っているが相当ショボい。
史実では、2012年4月に廃止されました。
#*2・3番線のみの駅(1番線は全く使用されていない)で、2番線は折り返し専用、3番線は直通専用。よって実質的に1面1線だけの駅。また駅に階段が全く無く、弱者にはやさしい。
#1992年7月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
#**もともと軍事的な理由でできた駅だし。
#無論、10000系電車の10001F~10003Fが中間車として、改造されることはなかった。
#***そもそも1番線にはホームはない。
#*全編成に中間車が製造された。
#*「スカ駅」のほうがカッコいいよ。
#全車座席指定車が運行されていたのは史実通り。
#京急の横須賀中央の方が栄えている。
#*2012年4月までに運行されていた。
#*市役所など主な機関もこっち。
#12000系電車の登場は史実通り。
#昔は貨物用の線路が沢山あった。
#*2010年代に遅れていた可能性も(8300系ベースで)。
#京急との連絡は横須賀中央よりも汐入駅のほうが近い。
#50000系も「サザン」の一部に入っていたかも(臨時増発や代走では)。
#*まぁ歩いて数分のところに逸見駅があるから当然だよね。
#ホームから基地に停留しているカッコ良い船がよく見られる。


*路線 - 横須賀線
===1985年以降も南紀直通列車を運転していたら===
*バス - 京浜急行バス
#1985年の急行「きのくに」の電車化及び特急「くろしお」への格上げに伴い、国鉄から余剰となった485系を購入していた。
#*ただし交流機器は撤去。
#その後485系の381系への置き換えに伴い、381系が南海への乗り入れができない(381系は車長が21.3mある)ことから、独自で振り子車両を開発していた。
#*ズームカーorラピートど同一規格になる。
#*南海も車体長がJRより長いから、なんとかなりそうな気がしないでもない。
#なにわ筋線開業後にはどうなるのやら・・・。
#JR後になってついに名古屋まで延長し夢の特急化、名前は非電化区間を中心に走る「南紀」と区別するために「ワイドビューきのくに」に。
#電車化や特急格上げで残るも、バブル崩壊後の不況や阪和道延伸によるマイカー・バスへの転移、さらにはダイヤ調整をめぐるJR西日本との対立などもあり、21世紀に入る頃には直通列車は廃止される。
#*JRとこじれにこじれた結果、かつての白浜急行バスよろしく和歌山バスと共同で大阪~白浜の高速バスが走る。ただし明光バスは相互無視。
#*下にあるように関空特急を巡る競合関係もあるから、関空開港と287系導入辺りが白紙化のヤマになりそう。
#関西空港開港時に関西空港-白浜間にラピートが運転されるも、どこかで廃止になっている。
#*それ以外にもイベント列車として南海難波~白浜・新宮にラピートの車両を使った臨時特急が設定されていた。
#橋本駅を介して高野線とJR和歌山線の直通も検討されるようになっていた。
#*南海難波~JR五条・粉河、JR京都・新大阪・和歌山~高野山といった列車が運行されていただろう。近鉄と協力して高野山と吉野を結ぶ列車も運行されていたかも。


===衣笠駅の噂===
===特急『サザン』が一般車を併結して関西空港に乗り入れていたら===
{{駅名標/東日本2|name=衣笠|ruby=きぬがさ|back=よこすか|next=くりはま|back2=Yokosuka|roma=Kinugasa|next2=Kurihama}}
#ラピートはαのみの運用になっていた。
所在地:横須賀市[[横須賀市#衣笠の噂|衣笠栄町]]
#*ラピートβは存在しなかった。
#JRでは横須賀市で一番利用者の多い駅。しかし京急に惨敗。
#12000系の増備が忠実より早まっていた。
#*無論横須賀駅なんかより人多い。
#*12000系の指定席車が4両、一般車が6両となり、南海本線での10両運転化も実現していた。
#*どっちにしろ無名。地味。繁華街は栄えてる。
#*12000系の本数は泉北ライナー用も相まって現実よりかなり本数が増えていた。
#*大船まで約30分。日中は逗子で階段乗換え。
#空港急行は現実程、増えなかった。
#単線なので本数むっちゃ少ない。まるで田舎駅。いつも逗子で待たされる。
#*11両編成同士がすれ違うって一体・・・
#衣笠栄町と言うところにある。
#*衣笠町もある。
#*二つの違いはと言うと、衣笠栄町は栄えていて、衣笠町は栄えていないでほぼ正解。
#駅周辺に「衣笠十字路」と「池上十字路」の衣笠二大十字路がある。
#*と言うのは言ってみたかっただけ。俺以外言っている人は0であろう。
#*池上のほうは駅から結構遠い。歩くのしんどい。衣笠十字路に比べるとなんか寂れてる。
#不思議と衣笠周辺だけは住宅地が広がっている。でも横須賀線は逗子行きと逗子止まりが多いので非常に不便。
#衣笠駅から歩いて5分くらいの江南飯店はウマイ。
#広島県の駅と勘違いしてる人がいるとかいないとか。
#*なぜ?
#**[[広島東洋カープ|広島カープ]]。
#***背番号『3』は永久欠番。
#朝は近所の高校生でごった返す。
#*三浦高校だね。
#衣笠駅と横須賀トンネルの間に相模金谷駅という駅が太平洋戦争末期の短期間だけあった。今でも痕跡が残っている。


*路線 - 横須賀線
==阪神電気鉄道==
*バス - 京浜急行バス
===もし、近鉄に直通する有料特急を走らせていたら===
#どんな理由であれ甲子園駅には停車させていた。
#*無料特急と異なり阪急からの乗り換え客狙いで今津停車と西宮通過をしていた。
#停車駅は大阪難波、ドーム前、西九条、尼崎、甲子園、今津、芦屋、神戸三宮に絞っていた。
#名阪特急「ひのとり」に使われる80000系は阪神乗り入れ仕様となり、前面貫通型になっていた。
#*一部列車が神戸三宮発着になっていた。


===京急久里浜駅の噂===
==山陽電気鉄道==
{{駅名標/京急|name=京急久里浜|ruby=けいきゅうくりはま|roma=Keikyu Kurihama|back=北久里浜|next=YRP野比|back2=きたくりはま|next2=わいあーるぴーのび}}
===神戸高速鉄道開業の時点で直通特急を運転開始していたら===
#隣接駅は北久里浜とYRP野比と[[関東の駅/千葉#浜金谷駅の噂|浜金谷]]。
#神戸高速鉄道開業と同時に山陽電鉄線の特急停車駅は6両編成対応にホームを延伸していた。
#*JR久里浜駅が近くにあるため'''乗換駅'''として利用する客多し。
#阪神梅田~山陽姫路の他、阪急梅田~山陽姫路の直通特急も設定されていた。
#3番線から久里浜検車区行きの電車がある。
#*阪急梅田発着系統はラッシュ時においては阪急三宮(現・阪急神戸三宮)駅で2~4両増結・解放していた。
#*もちろん乗務員しか乗れないけど。
#*しかしその後阪急は神戸線を8両編成に統一するため乗り入れを新開地まで短縮、その分阪神側が直通特急を増発する。
#2100形はラッシュ時になるとこの駅止まりになり、車両交換をさせられる。
#車両に関しては直通当初は阪急は2000・3000系・5000系、阪神は3501形以降の赤胴車、山陽は3000系を運用していた。
#*阪急線内の高速運転に対応するため、山陽3000系は現実よりも高性能になっていた。
#神戸高速鉄道開業当初から阪急・阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代していた。
#*1984年に起こった六甲駅での阪急と山陽の衝突事故はなかった。
#阪急神戸・宝塚線の建築・車両限界は神戸高速鉄道開業の時点で拡大されていた。
#*5100・5300系以降は阪急全線共通の車両規格で製造されていた。
#国鉄時代は新快速が不便だったので、大阪~明石・姫路を阪神・阪急・山陽で移動する人も多かった。
#*山陽直通用は扉間転換クロスシート・トイレ付きの車両となっていた。また、停車駅をさらに減らした快速特急(山陽区間内は明石・高砂・飾磨のみ停車)も運転されていた。


*路線 - [[京急本線#久里浜線の噂|京急久里浜線]]
===なんば線直通の快速急行が山陽電車線内に運行されたら?===
*バス - 京浜急行バス
#ホームの関係で直通特急などが止まる駅を一部通過していたかも。
#*一部駅では近鉄車両20m6両に対応出来るホームが作られていた。
#**阪神神戸三宮駅1・3番線の可動式ホーム柵も近鉄20m車と阪神18m車の双方に対応できるものとなっていた。
#*阪神と同じく千鳥停車になっていたかも。
#難波方面や奈良方面に直接、行かれるので現実よりはJRに利用客移転が少なかった。
#*山陽姫路駅や明石駅は乗降人員3万人突破は普通にあり得た。
#山陽5000/6000系が奈良に、近鉄9820系などが姫路にいるという光景が見られたに違いない。
#須磨浦公園までに乗り入れていたら、阪神特急と同様に西代~須磨浦公園間は各駅に停車していた。
#阪神元町駅も神戸三宮駅と同様にリニューアルが行われていた。
#高速神戸・新開地両駅で近鉄車と阪急車の並びを見ることができた。


===三崎口駅の噂===
===1981年に阪神本線直通特急を運転開始していたら===
{{駅名標/京急|name=三崎口|ruby=みさきぐち |roma=Misakiguchi|back=三浦海岸|next=|back2=みうらかいがん|next2=}}
#[[Wikipedia:ja:神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア'81]]開催が運転開始のきっかけだった。
[[画像:MisakiguchiST01.jpg|frame|駅舎]]
#*当初阪神側は3501形以降の赤胴車が運用された。
所在地:[[三浦市]]初声町下宮田
#*山陽3050系(仮、3000系ベース、阪神直通対応、6連固定は転換クロスシート装備)が1977年に登場し3000系の新製は3058Fで打ち切られた。
#平日に1本、京成成田行きの特急がある。
#**'80年代以降導入車はアルミ車体に変更。
#*昔は成田空港まで乗り換えなしで行けたが、今は廃止・・・。
#***むしろ3100系か5000系を名乗っていただろう。
#油壷方面への延長計画が全然具体化しない。
#***マイナーチェンジも兼ねる意味で5000系になっていた。
#*この駅自体が凄く中途半端な所にあるので、マリンパークに行くにも城ヶ島に行くにもここからバスに乗らないといけない。
#***史実の5000系はこれを基本とし6000系になっていた(史実の6000系は7000系を名乗る)。
#**そして帰りは[[関東の国道#国道134号|国道134号]]の渋滞にハマる。
#*阪神8000系の登場も早まった(当初から山陽直通対応)。
#**2008年10月にここのバスでようやくPASMOが使えるようになるみたい。
#**当然のことながら転換クロスシート装備となっている。
#*油壺方面へ少し線路が作ってあるものの、今は鉄道用地の一部が畑にされているような有り様。
#*急行の設定も同時になくなった。
#駅前を開発する気が無いのか、30年たっても周囲にはスイカ畑しかない。
#*本線の特急停車駅ホーム6両分延長は直通特急運転開始までに実施された。
#*10分に1本の電車が発車し、1日に2万人近くの人が利用する駅には見えない。
#*近鉄5200系以前に3扉転換クロスシート車が登場していた。
#この駅発着の列車は全て'''特急'''(特急もしくは快速特急)しかないが、堀之内駅までは各駅に停車する。
#**名鉄5300・5700系・西鉄8000形・京阪8000系・西武4000系・京急2100形は3扉車になっていたかも。
#有名(?)な撮影スポットの一つでファンはもちろん、京急が制作するカレンダーなどにもここの写真がよく使われる。
#この時点で阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代開始していた。
#*単線なので電車被りが無く、カーブ・終点・ポイントありと条件が重なって低速で侵入してくるので高いカメラを持っていない人でもちゃんと撮れる。順光時間は正午ぐらいから(?)。
#*阪急側の乗り入れは同時に新開地まで短縮、'84年の六甲事故はなかった。
#線路脇に石鹸水か何かが置いてあって、発車まで時間のある運転手さんがおもむろに線路上に降りて行ってブラシで電車(前面)の清掃を始める。さらにホームの下にある大きな水槽から汲んできたバケツの水を豪快にぶっかけて流す。
#*同時期に阪急保有の山陽株が阪神に譲渡され、のちに山陽は阪神の子会社になっていたかも。
#*いくら末端駅だからって凄すぎる。次の電車だってすぐ来るのにw
#**阪神は[[神姫バス]]の持株を増やしていた。
#[[国鉄117系電車|国鉄の117系]]導入が阪神・山陽直通特急運行開始への対抗とされた。
#*網干線への対抗も兼ねて117系導入完了後に網干発着の新快速(姫路以西は各駅停車)を運転開始していた。
#**のちに網干発着で大阪方面へ向かう普通・快速の多くは新快速になっていた。
#*新快速全列車の姫路延伸が早まっていた。
#1985年には阪神タイガースの日本一を祝うイベント列車が運行されていた。
#*確実に赤胴車と山陽6連に優勝記念ヘッドマークが装着された。
#*阪神5500・9000系以前に黄色の電車が存在したかも。


*路線 - 京急久里浜線
{{DEFAULTSORT:れつしやしゆへつしてつかんさいしてつ}}
*バス - 京浜急行バス
[[category:もしも借箱/鉄道]]
 
[[category:歴史のif検討委員会 私鉄史]]
==足柄・湘南・西湘地域==
[[カテゴリ:列車種別|もしれつしやしゆへつしてつかんさいしてつ]]
*おもな駅 - [[横浜市/戸塚区#東戸塚駅の噂|東戸塚駅]] [[横浜市/戸塚区#戸塚駅の噂|戸塚駅]] [[平塚駅]] [[小田原駅]]
 
===藤沢駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=藤沢|ruby=ふじさわ|back=品川・渋谷|next=茅ヶ崎|back2=Shinagawa・Shibuya|rome=Fujisawa|next2=Chigasaki|color=#F68B1E}}
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所在地:[[藤沢市]]
#小田急のスイッチバックは有名
#*藤沢駅は,神奈川県の東半分では唯一のスイッチバックの駅である
#乗降客数は大船より多いのは不都合な事実........
#平日朝2本だけある藤沢始発東京行きは、わざわざ東京方から回送してくる。そして発車時刻まで辻堂方にある引き込み線に入るが、この引込み線の途中に踏切があるため、電車が踏切に居座り踏切は開かない。ホームでは30分以上も前から人々が続々と来る東京行きを見送り長い列を作り、ホームが人であふれかえる。こんなことをするぐらいなら、藤沢始発は廃止したほうがよいのでは?
#*何気に湘南電車誕生の頃から続く伝統ある藤沢始発。
#**伝統なんてどうでもいいから、さっさと平塚始発にでもしてくれ。ダイヤ上もネックになってるし。
#**小田急からの乗換組が多いし、あの電車がないと人が乗せ切れないのかもしれないね。
#***しかし人が乗せきれない以前の問題に'''人がホームに入りきらない'''。大船→藤沢→小田急組は上り車線端ギリギリしか歩く場所が無くなるので、上りが1~2分の遅延で歩いてる途中に電車到着となると死を覚悟しつつ行くハメに。
#江ノ電藤沢駅は小田急百貨店の中。
#*藤沢小田急百貨店は他の小田急百貨店とは別会社で、江ノ電も出資している。江ノ電百貨店だった頃の名残。
#*今は同じ会社らしい。
#昔の湘南電車の形をした売店がある。
#*あのキオスクは支払さばきが下手過ぎ。suica利用を勘案し、物品販売の素人でよしとしたんだろうな・・・。
#茅ヶ崎駅と同じく、平日のごく限られた時間帯しか使わないホームがある。
#JR、小田急と江ノ電の駅を結ぶペデストリアンデッキで、フルートを吹いているおっさんを見ることができる。
 
*路線 - [[東海道本線/JR東日本区間|東海道線]] [[小田急江ノ島線]] [[江ノ島電鉄]]
*バス - [[神奈川中央交通|神奈中バス]](北口発のほとんどの系統)[[江ノ島電鉄|江ノ電バス]] (北口発の一部と南口の路線バス全て)
 
===辻堂駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=辻堂|ruby=つじどう|back=藤沢|next=茅ヶ崎|back2=Fujisawa|rome=Tsujido|next2=Chigasaki|color=#F68B1E}}
所在地:藤沢市
#快速が停まらない駅だが、駅周辺に高校なども多く平日朝は非常に混雑し、ラッシュのピーク時だけ駅員がでてきて放送する。
#*居住人口に駅の規模とかが合ってない気がする・・・
#*試験当日間違えて快速に乗ってしまった大学生が通過時に飛び降りて骨折したことがある。
#*東京~平塚間唯一の、通過駅。
#北口はいつまでたっても工事中・・・いつまであんな不便なままなんだろう。
#*大規模開発が計画されてるらしい。
#**「湘南C-X(シークロス)」。また階段が変わった。
#西口に行く階段がめちゃくちゃ狭い上、改札機が出入兼用の2台だけ。電車が到着した直後は出てくる人でいっぱいになり駅に入れない。
 
*路線 - 東海道線
*バス - 神奈中バス 江ノ電バス
 
===茅ヶ崎駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=茅ヶ崎|ruby=ちがさき|back=藤沢|next=平塚|back2=Fujisawa|rome=Chigasaki|next2=Hiratsuka|color=#F68B1E}}
<!--{{駅名標/東日本|name=茅ヶ崎|ruby=ちがさき|back=辻堂|next=平塚|back2=Tsujido|rome=Chigasaki|next2=Hiratsuka|color=#F68B1E}}-->
{{駅名標/東日本|name=茅ヶ崎|ruby=ちがさき|back=|next=北茅ヶ崎|back2=|rome=Chigasaki|next2=Kita-Chigasaki|color=#339999}}
所在地:[[茅ヶ崎市]]
#相模線の起点駅。
#*湘南地区で205系が見られる数少ない駅。
#**でも[[相模線]]の205系って、他の205系と比べて正面の形が違うよね。
#東海道線6番線の発車メロディーは当駅オリジナル。
#サザンの発車メロディーの話はどこへ・・・
#3、4番線は日中と休日は閉鎖。
#駅の東側にある相模線の車庫には、昼間二階建ての車両が停まっているが、実にもったいない。是非昼間も走って欲しいものだ。
 
*路線 - 東海道線 [[相模線]]
*バス - 神奈中バス
 
===国府津駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=国府津|ruby=こうづ|back=二宮|next=鴨宮|back2=Ninomiya|rome=Kozu|next2=Kamonomiya|color=#F68B1E}}
[[画像:KoduST00.jpg|frame|駅舎]]
所在地:[[小田原市]]国府津
#神奈川県なのにJR東海の313系が見られる(御殿場線がJR東海管轄だから)。
#国府津車両センターがあるが国府津止まりはあまりない。
#*夜は結構ある。
#*鴨宮、小田原に住んでいる人間からするとウザい事この上ない。>国府津行き
#**特に平塚行きと連続させるのはやめて欲しい。東京方面から小田原に帰る時困る。
#籠原と並んで、'''読めない。'''
#*「こうづ」である。名鉄の国府(こう)、国府宮(こうのみや)と同じ読み方。ちなみに携帯で入力したら「高津」が出てきた。これじゃ「たかつ」
#**京成の「国府台」もね。
#***「つ」と「づ」を間違えるとか、「の」入りを間違えるのはまだしも、「国府」という文字自体を「こう」と読めずに難読と言うのは、ゆとり教育受けたあほどもくらい。
#****大磯町周辺に国府(こくふ)地区があり、比較的地域も近いことから、そのための難読でもある。「こう」なのか「こくふ」(またはこくぶ)なのか迷うというだけで、普通は読める。いくらなんでもゆとりもそこまでバカではない。
#*****東北本線(宮城地区)国府多賀城は、'''こくふたがじょう'''と読む。全国で「国府」は'''こくふ'''と読むのは、国府多賀城だけ。
#******国分('''こくぶ''')の方が、多数ある。
#******失礼いたしました。山陰本線に国府(こくふ)駅が、豊岡の隣にありました。お詫び申し上げます。
#****ゆとり教育以前にも読めないバカはいた。
#***「国府」を「こう」と読めないのがバカだとかゆとり世代だなんて…このwikiが地理ヲタばっかりというのがよく分かるわ。一般人に聞いたら普通に読めねーよ。
#**山陰本線に江津があるが、こちらは「ごうつ」。
#*[[wikipedia:ja:I'll|I'll]]ファンなら確実に読める。
#*国府田マ●子
#**これとて「くにふだ」だと思ってる輩が意外と多い
#*「高津」で「こうづ」と読む地名が大阪にある。
#**「郡津」で「こうづ」と読む地名も大阪府交野市にある。
#深夜の側線には相模線の車両が停車している。
#*そうですね、相模線の205は国府津所属だから朝なり夜なりに、国府津~茅ヶ崎で回送をやってまあす。朝は8連で回送・・・
#「国府津」の読み方は「こうづ」であるが、ローマ字だと「Ko(u)zu」なので「こうず」となる。何故「du」ではないのか?
#*「Kodu」だと「こーどぅ」と言う発音になるからです。
#**なるほど、ありがとうございます。
#**「ず・づ」→「zu」、「ん」のあとに「な・ま・ば行」→「m○(mma,mba…Fuchu-Hommachi,Shimbashiなど)」、「ん」のあとに「あ行」→「n-a,m-a」などは国鉄式ローマ字表記の典型的な例だな。
#何故快速や特別快速が停車するのかよく分からない駅。
#*「御殿場線との乗り換え駅だから」というのは理由にならない。時刻表を見れば分かると思うが、接続がまったく考慮されていない。
#*ちなみに、乗車人員は東京-小田原間でぶっちぎりの最下位。
*路線 - 東海道線 [[御殿場線]]
*バス - [[箱根登山鉄道|箱根登山バス]]・[[神奈川中央交通|神奈中バス]]・[[富士急行|富士急湘南バス]]
 
===松田駅の噂===
{{駅名標/東海|ruby=まつだ|name=松田|roma=Matsuda|back=さがみかねこ|back2=Sagami-Kaneko|place=神奈川県足柄上郡松田町|next=ひがしやまきた|next2=Higashi-Yamakita}}
所在地:[[神奈川/足柄#足柄上郡の噂|足柄上郡]][[神奈川/足柄#松田町の噂|松田町]]
#[[小田急電鉄|小田急]]への渡り線がある。
#*[[あさぎり(特急)|あさぎり]]や小田急への新車回送が通る。
#[[神奈川|神奈川県]]だが[[東海旅客鉄道|JR東海]]管轄。
#*神奈川県内の御殿場線の駅は国府津以外全部東海管轄。
#'''「町田」'''と紛らわしい。
#*新松田駅で「まつだに行きたい」と言った爺さんに松田駅を指差したら変な顔をされた。よくよく聞いたら、小田急線で町田に行きたかったらしい。
 
*路線 - 御殿場線
*バス - 富士急湘南バス 箱根登山バス
 
===新松田駅の噂===
{{駅名標/小田急|name=新松田|ruby=しんまつだ|back=渋沢|next=開成|back2=Shibusawa|roma=Shin-Matsuda|next2=Kaisei}}
所在地:足柄上郡松田町
#箱根湯本行き普通は基本的にここか小田原で折り返し。
#以前は日中の新宿発新松田行き各駅停車があったが、現在は朝晩のみ。
#10両編成急行の新宿寄り4両の切り離し・連結が頻繁に行なわれていたが、ほとんどなくなった。
#*新松田~小田原の中間駅を通過して10両全車が小田原まで直通するようになった。
#「町」の駅なのにロマンスカーが停車する。
#*東武動物公園も「町」の駅だが同じく特急りょうもうが停車する。
#'''「新松戸」'''と紛らわしい。
#*しかも両方とも[[東京メトロ千代田線]]を介してつながっている。
*路線 - [[小田急小田原線]] 
*バス - [[富士急行]] 箱根登山バス 神奈中バス(土曜日曜に1往復のみ)
 
===箱根湯本駅の噂===
[[画像:HakoneyumotoST02.JPG|frame|駅構内(左1番線)]]
所在地:[[神奈川/足柄#足柄下郡の噂|足柄下郡]][[箱根町]]湯本
#[[箱根登山鉄道]]の駅だが、実質的に[[小田急電鉄|小田急]]と箱根登山鉄道の境界駅。
#*箱根湯本以東は小田急の車両しか走らない。
#**正確には隣の入生田まで回送電車としてだが、箱根登山車両が走る。
#***以前は小田原まで箱根登山車両が乗り入れていた。
#****自社線で乗り入れたとは言わないでしょう。走っていた。
#****でも、車内の路線図には、'''小田急箱根登山線'''と書かれていた。
#2008年3月ダイヤ改正で、6両急行の箱根湯本乗り入れは廃止された。
#*新松田・[[小田原駅|小田原]]~箱根湯本間の4両普通になった。
#**休日だけ[[町田市|町田]]始発の4両各停がやってくる。
#*ホームに「小田原から女性専用車」と貼ってあったが、ダイヤ改正前日に派遣社員みたいな人が剥がしていた。
#[[小田急ロマンスカー|小田急特急]]も乗り入れるが、20m10両は乗り入れることができない。
#*よってロマンスカーはこの駅を考慮したスケールになっている。
#*30000形ロマンスカー(EXE)は[[小田原駅|小田原]]で分割作業を行う。
#**60000形MSEも後ろ4両小田原止まり。小田原で湯本寄り6両が戻ってくるのを待つ。
#早川と崖に挟まれたある意味すごい環境のところにある。
#駅前の横断歩道は週末の帰宅車の渋滞の原因となっている。
#新駅舎は、最近よくある駅の典型的な馬鹿な造り方。ホ-ムから登って改札を抜けるとまた下る。以前は、少し下るだけなので使い易かった。
#旧駅舎が某エ○ァンゲリオンに出てきたことでブーム当時少し有名になった。
#*'''新'''箱根湯本駅だが・・・ほとんど箱根湯本の旧駅舎時代と同じ。
<!--#小田急電車ホームには、かつてこのような駅名標があった。
{{駅名標/小田急|name=箱根湯本|ruby=はこねゆもと|roma=Hakone-Yumoto|back=塔ノ沢|back2=Tonosawa|next=入生田|next2=Iriuda}}-->
#ここから線路は、[[函館市#函館駅の噂|函館]]まで続いている。
 
*路線 - [[箱根登山鉄道]]
*バス - [[伊豆箱根鉄道|伊豆箱根バス]] 箱根登山バス
 
==相模原市==
===橋本駅の噂===
[[橋本(相模原市)#橋本駅の噂]]を参照
 
===JR相模原駅の噂===
[[相模原市/中央区#JR相模原駅周辺の噂|JR相模原]]を参照
 
===相模大野駅の噂===
[[相模大野#相模大野駅の噂]]を参照
 
===小田急相模原駅の噂===
[[小田急相模原駅]]を参照
 
===相模湖駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=相模湖|ruby=さがみこ|back=高尾|next=藤野|back2=Takao|rome=Sagamiko|next2=Fujino|color=#F15A22}}
#[[山梨|山梨県]]ではなく、一応[[神奈川|神奈川県]]の駅。
#*藤野も同様。
#臨時列車の中には当駅折り返しのものが存在するためか、当駅は2面3線構造になっている。
*路線 - [[中央本線#中央東線(東日本旅客鉄道)区間の噂|中央本線]]
*バス - [[神奈川中央交通|津久井神奈交バス]]
 
[[Category:関東の駅|かなかわ]]
[[Category:神奈川|えき]]

2021年2月18日 (木) 10:00時点における版

近畿日本鉄道

近鉄特急が○○だったら

列車愛称が廃止されなかったら

  1. 名阪特急(名古屋~大阪)は「すずか」。
    • 甲特急はそのまま「アーバンライナー」になる気がする。
  2. 阪伊特急(大阪~伊勢志摩)は「いせ」。
    • 23000系の場合は「伊勢志摩ライナーいせ」。
      • 寧ろ「いすず」の名前が残ってそうな予感。流石に神風は特攻隊を連想させるから無理だろうけど。
  3. 名伊特急(名古屋~伊勢志摩)は「しま」。
    • 23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしま」。
      • 「かつらぎ」の名称がこっちに流れてきたりして。
  4. 京伊特急(京都~伊勢志摩)は「しんじゅ」。
    • あるいは「いすず」。
      • 阪伊特急が「いすず」を名乗り、代わりに「いせ」がこっちに流れてきたかもしれない。
    • 23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしんじゅ」。
  5. 京橿特急(京都~橿原神宮前)は「あすか」。
  6. 京奈特急(京都~奈良)は「やまと」。
  7. 阪奈特急(大阪~奈良)は「かすが」。
  8. 吉野特急(大阪~吉野)は「よしの」。
    • 新車登場を機に「さくらライナー」が新設。
  9. 今はなき阪京特急(大阪~西大寺~京都)は「みやこ」。
    • やはり廃止された湯の山特急(大阪・名古屋・四日市~湯の山温泉)は「ございしょ」になっていた。
    • これまたなき奈伊特急は…「しんと」?
  10. 50000系使用列車も上記伊勢志摩ライナーのように「しまかぜ・いせ」「しまかぜ・しんじゅ」などを名乗っていた。
    • さすがに「しまかぜ・しま」は語感が悪いので別の名称になっていた可能性が高い。
    • 場合によっては「ミュースカイ」や「スカイライナー」のように「しまかぜ」が特急とは別の種別となっていた。
      • 「青の交響曲」は運行区間が限られているので恐らくそのまま。
  11. 天理臨は「てんり」にでもなってたのだろうか。
  12. 阪伊・名伊甲特急に限り「パールズ」がそのまま使われていた可能性も。

阪神・山陽乗り入れが実現していたら

  • 近鉄側はやりたいらしいが阪神・山陽側が乗り入れに消極的らしい。
  1. 山陽姫路発賢島行きというロングラン列車が誕生する。
  2. 阪神・山陽の特急という種別は変更させられる。
    • あるいは運賃だけで乗れる特急はそのままで、近鉄直通の有料特急は「近鉄特急」「指定特急」として区別されるかも。
  3. 観光特急しまかぜは阪神・山陽乗り入れも考慮されていたのでビスタカーはなかったかも。
  4. 関西大手私鉄で有料列車がないのは阪急だけになる。
  5. 近鉄に19m車の特急車両が登場していたかもしれない。
  6. 近鉄名古屋~山陽姫路間という私鉄最長距離列車が誕生。
  7. 実際、神戸三宮駅の2番線以外にホーム柵が設置されることになるので、それの調整も必要。

名阪ノンストップ特急が史実(2012年)以前に廃止していたら

近鉄の名阪ノンストップ特急は東海道新幹線開通後利用客が激減し、一時は廃止まで検討されていたほどです。もし名阪ノンストップ特急が本当に廃止されていたら・・・

  1. 「アーバンライナー」は誕生しなかった。
  2. 近鉄特急の看板は今も伊勢志摩特急。
    • 近鉄特急のフルモデルチェンジは「伊勢志摩ライナー」で行われていた。
  3. 名阪間における近鉄のシェアは現実より低くなっていた。
    • それでも1970年代半ばの国鉄の運賃50%値上げ後は近鉄の方が運賃+特急料金が安くなるので、安くいきたい人は近鉄を利用するようになる。
  4. 伊勢中川駅の短絡線は存在しない。
  5. 名阪間の高速バスがもっと栄えている。
    • 名神高速のバス停は現実より多い。

現在でも日中に京伊特急が運行されていたら

  1. 外国人観光客から重宝されていた。
  2. 2016年のダイヤ改正の前までは、阪伊乙特急との併結運転を行っていたが、ダイヤ改正後は、単独運転になっていた。
  3. 22600系電車はさらに増備されていた。

京阪電気鉄道

京阪特急が○○だったら

最初からテレビカーが無かったら

  1. 京阪は今より地味になっていた。
    • 京阪特急はロングシート主体で土日のみの運転だった。
      • テレビカーがなくてもクロスシートの特急は史実通り運行され続けるはず。そうでもしないと自分から顧客を手放すという自殺行為になるだろうし。
        • ダブルデッカーの導入はおそらく史実通り。
  2. テレビカーといえば京成。
    • あるいは富山地方鉄道。
      • 地鉄のテレビカーは京阪3000系の譲渡が前提だから、京阪のテレビカーがなかったら地鉄にもテレビカーはないだろ。
    • 意外と筑豊電鉄だったかも。
      • 路面電車タイプの車両にテレビがあるのが現実以上に珍しがられていた。
    • 意外と名鉄が導入していたかもしれない(パノラマカーの中間車のうち1両に設置)。

ダブルデッカーが増結されなかったら

  1. 8000系はしばらくの間は史実通り7両編成だっただろうが、いずれ全車平屋の8両編成に組み直されていた。
    • 場合によっては追加発注もあったかもしれない。
  2. 最初のダブルデッカーが3000系の余剰車を改造して作られた以上、3000系が完全に置き換えられていた可能性も否定できない。
  3. 9000系の特急起用に対する批判はせいぜい固定クロスである事くらいだけだったかもしれない。
  4. 富山地鉄にもダブルデッカーがなかった(京阪旧3000系のダブルデッカーが譲渡されたのがきっかけだったので)。
  5. 完全に乗車券のみで乗車できる2階建て車両といえばクハ415-1901くらいだった。
  6. 座席指定車(プレミアムカー)の登場も史実より早かったかもしれない。

もっと昔から座席指定席が連結されていたら

  • 何やら近い将来導入するという噂がありますが、ここではもっと早くから導入されていた場合について考えます。
  1. 新快速や阪急特急に同様の車両が連結されていればあり得た可能性大。
    • 逆に京阪で成功していたら阪急や新快速にも追って同様の車両が導入されていた。
      • 関西以外では西鉄の特急にも指定席が導入されていたかも。
  2. テレビカーが2両あった頃は片方が指定席になっていたかもしれない。
    • 8000系はテレビカーが指定席車になっていた。
  3. 旧型の指定席より新型の自由席に客が流れる恐れがあるので、3000系に8000系を増結する事はなかった可能性が高い。
    • ダブルデッカーの導入に対しても同様の理由で慎重に行われていたかもしれない。
    • プレミアムカー導入が鴨東線開通と同時期だったら3000系に増結した8000系がプレミアムカーになっていた。
    • むしろ8000系が指定席になっていた。
  4. 3000系(2代)への連結も一時的に検討されていた。
    • 3000系(2代)は急行や準急にも幅広く運用されることから結局は見送られ、3000系など3扉車使用の特急は樟葉以東の停車駅を増やしたうえで準特急に格下げされていた。
    • 結局、2020年度内の増結が決まりました。
  5. 3000系の座席番号表示が有効的に使われていた。
  6. 1980~90年代に連結されていた場合、座席が自由席車と同じだったら史実の国鉄における京阪神快速電車のグリーン車や関空特快ウイング号における指定席車と同様、利用が低迷して最終的には廃止されていた可能性もある。
  7. 8000系以降の特急車には便所・洗面所や飲料の自動販売機が設けられていた。
  8. 指定席車(プレミアムカー)に客を誘導させるため、8000系以降の自由席車は3ドア車で製造され、史実の2代目3000系のような2列-1列のセミクロスシート(車端はロングシート)になっていた。

1980年代のうちに現在の停車駅になっていたら

  • 現実には2000年に中書島・丹波橋が、2003年に枚方市・樟葉停車が追加されましたが、もっと早くからこれらの駅に停車していたら?
  1. 8000系は現実と異なり3扉両開きで登場していた。
    • 現実の阪急9300系のような車両となっていた。
  2. ダブルデッカーは導入されず、テレビカーも現実より早く廃止されていた。
    • 8000系登場の時点でテレビカーが廃止されていたかも。
  3. 9000系や3000系(2代)は登場しなかった。
  4. 阪急京都線特急も早いうちに途中停車駅が増えていた。

8000系登場当初からダブルデッカーが連結されていたら

  • 現実には1997年に行われた8連化の時にダブルデッカーが連結されました。
  1. 旧3000系増結用に作られたT車もダブルデッカーとして製造されていた。
  2. 鴨東線開業の目玉になっていた。
    • 当初は旧3000系も混在していたが、現実以上に8000系を待つ客が多かった。
  3. 8000系はブルーリボン賞は無理としてもローレル賞は獲れていたかも。
  4. 特急8連化の際にはダブルデッカーがもう1両追加されていた。
  5. 旧3000系はリニューアルされずに1995年の時点で全廃になっていたかも。
    • 京阪特急にダブルデッカーが導入されたのは旧3000系リニューアルがきっかけだったため。
    • その場合、富山地方鉄道にダブルデッカーが導入されることもなかった。
      • 逆に富山地鉄・大井川鐵道以外に旧3000系が譲渡されていた可能性もある。
  6. テレビカーは現実よりも早く廃止されていたかも。
    • その場合、遅くとも地デジ移行の時に廃止されていた。
  7. 同じく料金不要の2階建て車両であるクハ415-1901の影が薄くなっていた。
  8. 3000系(2代)にもダブルデッカーが連結されていたかもしれない。
    • 8000系のダブルデッカー車の側扉を両開きにしたような感じの車両で、平屋部分は最初からロングシートになっていた。
  9. プレミアムカーはダブルデッカーの改造で誕生したかもしれない。

阪急電鉄

特急が○○だったら

京都線特急の停車駅が20世紀のうちに現在と同じなっていたら

1970年大阪万博期間中は淡路、茨木市に臨時停車していたことがありました。(現実では茨木市駅は2001年、淡路駅は2007年に停車)

  1. 6300系はなかった。
    • 6300系は神宝線の6000系がベースの3扉クロスシート車になっていた。場合によっては特急格下げ車を除くと日本初の3扉転換クロスシート車となり国鉄117系電車を始め他社の車両に大きな影響を与えていた。
      • 117系は現実と異なり3扉車になっていたかもしれない。
  2. 大宮駅の特急通過が早まったかもしれない。
  3. 快速特急新設が早まった。
  4. 神戸線特急の停車駅も増えていたかも。
    • 宝塚線特急は日生エクスプレスしか設定されなかった。
  5. 京阪特急の停車駅増加も現実より早かった。
    • 京阪8000系は3扉転換クロスシート車として登場していた。

宝塚線の特急が2003年8月に廃止されなかったら

史実では、1995年6月のダイヤ改正で、宝塚線に特急が設定され、2003年8月に廃止されました。もし、続けていたら…

  1. 山本駅に待避線が設けられていた。
  2. 2015年3月に設定された通勤特急は「特急」となっていたかもしれない。
    • それとも、通勤特急は雲雀丘花屋敷発着になっていたかもしれない。
  3. 曽根新線(曽根~神崎川)が開業していたら、確実にあり得た。

急行が○○だったら

京都線の急行が2007年3月に廃止されなかったら

史実では、2007年3月のダイヤ改正で、急行は廃止されました。

  1. 新大阪線(淡路~新大阪~十三)が開業していたらあり得た。
  2. 2013年12月or2019年1月のダイヤ改正で通勤特急が淡路駅に停車していたかもしれない。
  3. 2001年3月のダイヤ改正で快速が南茨木に停車し、現行の急行が急行のままで快速急行が新設されることはなかった可能性が高い。
    • その場合、2010年3月のダイヤ改正で快速急行が新設された。その場合、現在の快速が急行になっていた。
    • むしろ、現在の快速が急行として史実よりも早く登場していた可能性もあった。

京とれいんが有料列車だったら

座席番号が割り振られている

  1. 料金は他路線を参考に400~500円程度になっていた。
  2. 京阪でも「洛楽」あたりが全席有料になってもおかしくなかったか。
  3. 種車は6300系だけ使われていた。
  4. さすがに通勤客相手に平日の朝夕に運行されることはなかった。

南海電気鉄道

特急が○○だったら

自由席特急が史実よりも早く廃止されていたら

史実では、2012年4月に廃止されました。

  1. 1992年7月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
  2. 無論、10000系電車の10001F~10003Fが中間車として、改造されることはなかった。
    • 全編成に中間車が製造された。
  3. 全車座席指定車が運行されていたのは史実通り。
    • 2012年4月までに運行されていた。
  4. 12000系電車の登場は史実通り。
    • 2010年代に遅れていた可能性も(8300系ベースで)。
  5. 50000系も「サザン」の一部に入っていたかも(臨時増発や代走では)。

1985年以降も南紀直通列車を運転していたら

  1. 1985年の急行「きのくに」の電車化及び特急「くろしお」への格上げに伴い、国鉄から余剰となった485系を購入していた。
    • ただし交流機器は撤去。
  2. その後485系の381系への置き換えに伴い、381系が南海への乗り入れができない(381系は車長が21.3mある)ことから、独自で振り子車両を開発していた。
    • ズームカーorラピートど同一規格になる。
    • 南海も車体長がJRより長いから、なんとかなりそうな気がしないでもない。
  3. なにわ筋線開業後にはどうなるのやら・・・。
  4. JR後になってついに名古屋まで延長し夢の特急化、名前は非電化区間を中心に走る「南紀」と区別するために「ワイドビューきのくに」に。
  5. 電車化や特急格上げで残るも、バブル崩壊後の不況や阪和道延伸によるマイカー・バスへの転移、さらにはダイヤ調整をめぐるJR西日本との対立などもあり、21世紀に入る頃には直通列車は廃止される。
    • JRとこじれにこじれた結果、かつての白浜急行バスよろしく和歌山バスと共同で大阪~白浜の高速バスが走る。ただし明光バスは相互無視。
    • 下にあるように関空特急を巡る競合関係もあるから、関空開港と287系導入辺りが白紙化のヤマになりそう。
  6. 関西空港開港時に関西空港-白浜間にラピートが運転されるも、どこかで廃止になっている。
    • それ以外にもイベント列車として南海難波~白浜・新宮にラピートの車両を使った臨時特急が設定されていた。
  7. 橋本駅を介して高野線とJR和歌山線の直通も検討されるようになっていた。
    • 南海難波~JR五条・粉河、JR京都・新大阪・和歌山~高野山といった列車が運行されていただろう。近鉄と協力して高野山と吉野を結ぶ列車も運行されていたかも。

特急『サザン』が一般車を併結して関西空港に乗り入れていたら

  1. ラピートはαのみの運用になっていた。
    • ラピートβは存在しなかった。
  2. 12000系の増備が忠実より早まっていた。
    • 12000系の指定席車が4両、一般車が6両となり、南海本線での10両運転化も実現していた。
    • 12000系の本数は泉北ライナー用も相まって現実よりかなり本数が増えていた。
  3. 空港急行は現実程、増えなかった。

阪神電気鉄道

もし、近鉄に直通する有料特急を走らせていたら

  1. どんな理由であれ甲子園駅には停車させていた。
    • 無料特急と異なり阪急からの乗り換え客狙いで今津停車と西宮通過をしていた。
  2. 停車駅は大阪難波、ドーム前、西九条、尼崎、甲子園、今津、芦屋、神戸三宮に絞っていた。
  3. 名阪特急「ひのとり」に使われる80000系は阪神乗り入れ仕様となり、前面貫通型になっていた。
    • 一部列車が神戸三宮発着になっていた。

山陽電気鉄道

神戸高速鉄道開業の時点で直通特急を運転開始していたら

  1. 神戸高速鉄道開業と同時に山陽電鉄線の特急停車駅は6両編成対応にホームを延伸していた。
  2. 阪神梅田~山陽姫路の他、阪急梅田~山陽姫路の直通特急も設定されていた。
    • 阪急梅田発着系統はラッシュ時においては阪急三宮(現・阪急神戸三宮)駅で2~4両増結・解放していた。
    • しかしその後阪急は神戸線を8両編成に統一するため乗り入れを新開地まで短縮、その分阪神側が直通特急を増発する。
  3. 車両に関しては直通当初は阪急は2000・3000系・5000系、阪神は3501形以降の赤胴車、山陽は3000系を運用していた。
    • 阪急線内の高速運転に対応するため、山陽3000系は現実よりも高性能になっていた。
  4. 神戸高速鉄道開業当初から阪急・阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代していた。
    • 1984年に起こった六甲駅での阪急と山陽の衝突事故はなかった。
  5. 阪急神戸・宝塚線の建築・車両限界は神戸高速鉄道開業の時点で拡大されていた。
    • 5100・5300系以降は阪急全線共通の車両規格で製造されていた。
  6. 国鉄時代は新快速が不便だったので、大阪~明石・姫路を阪神・阪急・山陽で移動する人も多かった。
    • 山陽直通用は扉間転換クロスシート・トイレ付きの車両となっていた。また、停車駅をさらに減らした快速特急(山陽区間内は明石・高砂・飾磨のみ停車)も運転されていた。

なんば線直通の快速急行が山陽電車線内に運行されたら?

  1. ホームの関係で直通特急などが止まる駅を一部通過していたかも。
    • 一部駅では近鉄車両20m6両に対応出来るホームが作られていた。
      • 阪神神戸三宮駅1・3番線の可動式ホーム柵も近鉄20m車と阪神18m車の双方に対応できるものとなっていた。
    • 阪神と同じく千鳥停車になっていたかも。
  2. 難波方面や奈良方面に直接、行かれるので現実よりはJRに利用客移転が少なかった。
    • 山陽姫路駅や明石駅は乗降人員3万人突破は普通にあり得た。
  3. 山陽5000/6000系が奈良に、近鉄9820系などが姫路にいるという光景が見られたに違いない。
  4. 須磨浦公園までに乗り入れていたら、阪神特急と同様に西代~須磨浦公園間は各駅に停車していた。
  5. 阪神元町駅も神戸三宮駅と同様にリニューアルが行われていた。
  6. 高速神戸・新開地両駅で近鉄車と阪急車の並びを見ることができた。

1981年に阪神本線直通特急を運転開始していたら

  1. ポートピア'81開催が運転開始のきっかけだった。
    • 当初阪神側は3501形以降の赤胴車が運用された。
    • 山陽3050系(仮、3000系ベース、阪神直通対応、6連固定は転換クロスシート装備)が1977年に登場し3000系の新製は3058Fで打ち切られた。
      • '80年代以降導入車はアルミ車体に変更。
        • むしろ3100系か5000系を名乗っていただろう。
        • マイナーチェンジも兼ねる意味で5000系になっていた。
        • 史実の5000系はこれを基本とし6000系になっていた(史実の6000系は7000系を名乗る)。
    • 阪神8000系の登場も早まった(当初から山陽直通対応)。
      • 当然のことながら転換クロスシート装備となっている。
    • 急行の設定も同時になくなった。
    • 本線の特急停車駅ホーム6両分延長は直通特急運転開始までに実施された。
    • 近鉄5200系以前に3扉転換クロスシート車が登場していた。
      • 名鉄5300・5700系・西鉄8000形・京阪8000系・西武4000系・京急2100形は3扉車になっていたかも。
  2. この時点で阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代開始していた。
    • 阪急側の乗り入れは同時に新開地まで短縮、'84年の六甲事故はなかった。
    • 同時期に阪急保有の山陽株が阪神に譲渡され、のちに山陽は阪神の子会社になっていたかも。
  3. 国鉄の117系導入が阪神・山陽直通特急運行開始への対抗とされた。
    • 網干線への対抗も兼ねて117系導入完了後に網干発着の新快速(姫路以西は各駅停車)を運転開始していた。
      • のちに網干発着で大阪方面へ向かう普通・快速の多くは新快速になっていた。
    • 新快速全列車の姫路延伸が早まっていた。
  4. 1985年には阪神タイガースの日本一を祝うイベント列車が運行されていた。
    • 確実に赤胴車と山陽6連に優勝記念ヘッドマークが装着された。
    • 阪神5500・9000系以前に黄色の電車が存在したかも。