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{{Pathnav|もしあの列車・種別が○○だったら|もしあの列車・種別が○○だったら/私鉄|name=関西私鉄}}
==吉野地方の噂==
==近畿日本鉄道==
# 桜の吉野山、日本一広い十津川村(吊り橋も有名)、柿の五條市西吉野町などがあります。
===近鉄特急が○○だったら===
#*ちなみに吉野山の桜は山桜でありソメイヨシノではない。
====列車愛称が廃止されなかったら====
# 杉花粉に強い。
#名阪特急(名古屋~大阪)は「すずか」。
#*しかし、排気ガスの多い都市部に引っ越すととたんに発病し、吉野に戻ってももはや治らない。
#*甲特急はそのまま「アーバンライナー」になる気がする。
#ゲーム「[[桃太郎電鉄ファン|桃太郎電鉄]]」で「ヨシノスギ林」が和歌山の新宮駅の物件なのが不満である。
#阪伊特急(大阪~伊勢志摩)は「いせ」。
#*ただ、「12の」西日本版に限り十津川という駅があり、そこでヨシノスギ林という物件があったと思う。
#*23000系の場合は「伊勢志摩ライナーいせ」。
#*ちなみに十津川の周りは赤マスで、到着援助金2倍のハワイ扱い。
#**寧ろ「いすず」の名前が残ってそうな予感。流石に神風は特攻隊を連想させるから無理だろうけど。
#*ちなみに12のバス路線は間違っている。本来十津川へは五條からバスだが、さくま氏の勘違いで下市口から出てる。
#名伊特急(名古屋~伊勢志摩)は「しま」。
# [[関東]]出身者にコンプレックスを感じ現地でしか通用しない単語を交えて話し出す。
#*23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしま」。
#*例:今日は道がいてるかもしらんし、仕事はよおいてみぃ→今日は道路が凍るかもしれないから、仕事を早く終わらせて…
#**「かつらぎ」の名称がこっちに流れてきたりして。
#*道が「いて」は「凍て」で動詞「凍てる」だから「凍てつく」などに見られるように意味は分かるんですけどねby関東人
#京伊特急(京都~伊勢志摩)は「しんじゅ」。
#*「雨しびしびしとるし、もうよさりやからいぬわ」は判る??
#*あるいは「いすず」。
# トリ肉は、つねに「かしわ」。
#**阪伊特急が「いすず」を名乗り、代わりに「いせ」がこっちに流れてきたかもしれない。
#「だらにすけ」が名産品。
#*23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしんじゅ」。
# [[橿原市|橿原]]〜吉野間は電車より車の方が速い。ただし桜の時期を除く。
#京橿特急(京都~橿原神宮前)は「あすか」。
#*場所によっては電車よりバスの方が速い。
#京奈特急(京都~奈良)は「やまと」。
#*橿原神宮前駅~下市口駅は特急(有料)で24分、各駅で32分、バスだと33分。
#阪奈特急(大阪~奈良)は「かすが」。
#**車では20分もあれば着く。4月の土休日だけ1時間以上かかる。
#吉野特急(大阪~吉野)は「よしの」。
#*橿原神宮前~大和上市はバスの方が10分も速い。
#*新車登場を機に「さくらライナー」が新設。
#*下市口で上り電車に乗り遅れた場合、原付でも吉野口までなら追いつける。
#今はなき阪京特急(大阪~西大寺~京都)は「みやこ」。
# スキー場が3つある。
#*やはり廃止された湯の山特急(大阪・名古屋・四日市~湯の山温泉)は「ございしょ」になっていた。
# 吉野の山奥でデイダラボッチに逢うことが出来る。
#*これまたなき奈伊特急は…「しんと」?
#*下北山村ではツチノコもいる。
#50000系使用列車も上記伊勢志摩ライナーのように「しまかぜ・いせ」「しまかぜ・しんじゅ」などを名乗っていた。
# 六田(むだ)・八田(はった)が吉野川沿にあるが、七田という地名はない。
#*さすがに「しまかぜ・しま」は語感が悪いので別の名称になっていた可能性が高い。
#「[http://www.miwakutaiken.com/ 五條・吉野魅惑体験フェスティバル]」が開催中。キャラクターの表情がスゴイ。
#*場合によっては「ミュースカイ」や「スカイライナー」のように「しまかぜ」が特急とは別の種別となっていた。
#夏になると越部や上市で川遊びをしている人を見かけるが、地元民は「ようこんな汚い川で泳げるなぁ」と思っている。
#**「青の交響曲」は運行区間が限られているので恐らくそのまま。
#吉野川を越えて下市に入るとクーラを使う家が無い。黑滝にはクーラーの付いている家が無い。天川にはクーラーという言葉が無い。
#天理臨は「てんり」にでもなってたのだろうか。
#*309号を基準にすると冬季、大淀町~下市町善城が雨だと広橋峠から雪、新川合トンネルを抜けると銀世界。
#阪伊・名伊甲特急に限り「パールズ」がそのまま使われていた可能性も。
#*冬、大淀町の岡崎の交叉点を見ているとたまにすんごい量の雪をまとった車が南から来る。
#*某村長が逮捕された時に天川の雪の多さに呆気にとられた関西人は多かった筈。
#ここの山間部は酷道険道だらけ。
#*その中でも、[[国道425号|R425]]はまさに最強の酷道であるので、素人は絶対通るな。
#*あと、[[国道309号|旧行者還林道]]と十津川村内(R168&R169でさえも)も結構えぐい酷道である。
#某村村長逮捕で微妙に合併が進むかも…??大淀~天川の4町村で大峯orなかよしの市誕生なるか?


==五條市の噂==
====阪神・山陽乗り入れが実現していたら====
→[[五條市]]
*近鉄側はやりたいらしいが阪神・山陽側が乗り入れに消極的らしい。
#山陽姫路発賢島行きというロングラン列車が誕生する。
#阪神・山陽の特急という種別は変更させられる。
#*あるいは運賃だけで乗れる特急はそのままで、近鉄直通の有料特急は「近鉄特急」「指定特急」として区別されるかも。
#観光特急しまかぜは阪神・山陽乗り入れも考慮されていたのでビスタカーはなかったかも。
#関西大手私鉄で有料列車がないのは阪急だけになる。
#近鉄に19m車の特急車両が登場していたかもしれない。
#近鉄名古屋~山陽姫路間という私鉄最長距離列車が誕生。
#実際、神戸三宮駅の2番線以外にホーム柵が設置されることになるので、それの調整も必要。


==吉野郡の噂==
====名阪ノンストップ特急が史実(2012年)以前に廃止していたら====
# 吉野郡の町村は何気に我の強い地域ぞろい。
近鉄の名阪ノンストップ特急は東海道新幹線開通後利用客が激減し、一時は廃止まで検討されていたほどです。もし名阪ノンストップ特急が本当に廃止されていたら・・・
#*「日本一広い村」の自負を見せつけた十津川、世界遺産に登録され、サスペンスの舞台にもなった天川、ヒノキのブランドの自負のある黒滝など
#「アーバンライナー」は誕生しなかった。
#*平成の大合併では地区内の至る所で喧嘩別れが生じ、合併話が破綻に追い込まれた。
#近鉄特急の看板は今も伊勢志摩特急。
#*夏と冬の気温の較差といい、人口密度といい、まさに「'''関西の北海道'''」である。
#*近鉄特急のフルモデルチェンジは「伊勢志摩ライナー」で行われていた。
#奈良、特に吉野で「上北」・「下北」というと[[青森]]の上北地方・下北地方よりも圧倒的に吉野郡の上北山・下北山の両村だ。
#名阪間における近鉄のシェアは現実より低くなっていた。
#吉野郡の郡域は、大阪府や香川県よりも広い。
#*それでも1970年代半ばの国鉄の運賃50%値上げ後は近鉄の方が運賃+特急料金が安くなるので、安くいきたい人は近鉄を利用するようになる。
#警察署は吉野・大淀・十津川にあるが、東吉野と野迫川はそれぞれ宇陀署と五條署の管内だ。
#伊勢中川駅の短絡線は存在しない。
#*十津川署も五條署に統合された。
#名阪間の高速バスがもっと栄えている。
===吉野町の噂===
#*名神高速のバス停は現実より多い。
# 4月の観光客数が、他の11ヶ月の総観光客数より多い。
# 吉野町は天気予報の「奈良県北部」に入るが、誰も信じてくれない。
# そろそろ人口が1万人を割り込みそう。
#*今は9800人ぐらいになってしまってるようです。
# ワールドカップの影響で、清酒「やたがらす」の製造酒店はウハウハらしい。
#*・・・とよく誤解されている、と関係者は嘆いています。
# 「三茶屋」の読み方が「みちゃや」「みっちゃや」「みつぢゃや」の3種で混乱している。
#*郵便局の地名一覧では「みちゃや」。交叉点は「みっちゃや(Mitchaya)」。吉野町の看板では「みつぢゃや」。
#「国栖」で「くず」と読む住所がある。語感悪…。しかも、旧村名(昭和31年に合併で消滅)やバス停名とかでの表記は「国樔」。統一させんかい。
#*国栖・国樔・国巣、すべて昔からある表記なので問題はないかと。しかも現在「国樔」表記なのは奈良交通のバス停くらい。
#*「くず」を語感が悪いって…。「葛が丘」を「都筑ふれあいの丘」にするY浜市民?
#*ちなみに葛餅や葛湯の原料のクズの語源はこの由緒ある地名です。
#*語感悪い?さては「屑」を連想したな?
#吉野駅は観光の拠点にはなるが、町としての中心は大和上市駅周辺だ。


===大淀町の噂===
====現在でも日中に京伊特急が運行されていたら====
# 梨の産地です。
#外国人観光客から重宝されていた。
#*梨の防虫袋かけ技術が発明された記念の碑があるが、肥料置き場のそばにあるので誰も行かない。
#2016年のダイヤ改正の前までは、阪伊乙特急との併結運転を行っていたが、ダイヤ改正後は、単独運転になっていた。
#*なかよしの警察が交通安全で配る「事故梨」は秋の風物詩。
#22600系電車はさらに増備されていた。
#*梨の栽培が始まったきっかけが司馬遼太郎の本に載っているが、理由が恥ずかしいので地元民は触れたがらない。
# 政治家のT元K美は大淀町生まれだが、町民の誰も知らない。
# 大淀町は吉野の中心地だが、戦前は人口が少なかったため官公庁が建てられず、市外局番・郵便番号(5桁時代)は町で3つある(吉野・下市・御所)。
#*ただ、集配業務を行う郵便局はなぜか今でも存在しない(半分の地域は下市局が、もう半分は吉野局が受け持つ)。
# 169号線、土田(つった)交差点の歩道橋は桜をイメージしてかピンク。
#*「土田」は地元では「つった」だが、住所の読み方一覧だと「つちだ」になっていることが多い。バス停と交叉点はきちんと「つった」。
# 「XXX市場前」というバス停が2つあるが、生鮮品ではなく、木材の市場。
# 福神駅には「花吉野ガーデンヒルズ前」というサブ駅名があるが、当の住宅地の住民でさえその名は使わない。
# 合併して吉野市役所になることを前提に町役場を建て替えたため、役場は豪華。しかし合併は白紙に。
# なかよしの警察署とは別になかよしではない。
# 小学校の名前は「大淀桜ヶ丘」「大淀緑ヶ丘」「大淀希望ヶ丘」と何故か大淀が頭につく。
#*以前、小学校が「さくら」」「みどり」「あさひ(旭ヶ丘)」「第一」と銀行名みたいだった。
# 「下渕」という1つの大字が、「岡崎町1~3丁目」「新町1~3丁目」「北町1~3丁目」「西町1~6丁目」「学園前」「つつじヶ丘」「車坂町」「香梨台」「高見台」「美吉野台」と細かく分化されている。
#*住居表示はされていないので、住所は大淀町下渕XXX番地で届く。
#*役場関係に勤めると、番地で●●だかすぐ判るようになる。
# 何故か水道料金が関西の市区町村ベスト10に入るほど安い。合併反対派の論拠もコレ。
#*どうやら吉野川分水で高取~大和高田に水を送っている見返りを貰ってるとか?高取や大和高田は平地にある割に水道代が高い。吉野郡の他の町村は山奥の家に水を汲み上げるポンプ代のせいで高いとか。
#奈良で「大淀」と言うと、[[大阪市/北区|大阪市北区]]の大淀よりもここになる。
# 檜垣本(ひがいもと)で番地が2000番台のところは実は下渕(檜垣本2XXX=下渕2XXX)。関西特有の理由でこうなっている。
#*Yahoo地図と、ゼンリン地図では下渕と檜垣本の境界がかなり違う。町民的にはYahoo地図が正しく思える。
#大淀桜ヶ丘小学校では宿題の量が多いと「おおいわ~ほこたて~いわつぼ~」と言う(のはうちのクラスだけか?)。
#*大岩・鉾立・岩壺(・今木)はバス通学地域。
#比曾(ひそ)地区の村祭にはカレーは出ない…と思う。地区が上下に分かれているので、「加味砒素」「死も砒素」バス停は「砒素口」…!?


===下市町の噂===
==京阪電気鉄道==
# 下市町は割箸生産が日本一。
===京阪特急が○○だったら===
#*かつて石川の輪島に「割箸は森林資源の無駄遣い」と言われた時は町をあげて反論(割箸は木材の不要部の再利用)
====最初からテレビカーが無かったら====
#*最近は中国におされている。
#京阪は今より地味になっていた。
#*ちなみに下市町の不法投棄防止の看板は「下市はハシからハシまで美しく」。
#*京阪特急はロングシート主体で土日のみの運転だった。
# 下市町商工会の2006年のコピー「あるある2006年だ、フォ〜!!」。誰か止めなかったのか?
#**テレビカーがなくてもクロスシートの特急は史実通り運行され続けるはず。そうでもしないと自分から顧客を手放すという自殺行為になるだろうし。
#*2008年はおしりかじり虫がお出迎え。
#***ダブルデッカーの導入はおそらく史実通り。
# ぜんぎ小学校というすごい名前の小学校があった(善城)。ただし年寄は「でんぎ」と発音。
#テレビカーといえば京成。
# 伃邑(よむら)という地名があるが、「伃」という字は普通変換されないので、郵便番号簿や、企業の住所では「よ邑」と書かれている。
#*あるいは富山地方鉄道。
#*雑な地図だと「仔邑」になっている。
#**地鉄のテレビカーは京阪3000系の譲渡が前提だから、京阪のテレビカーがなかったら地鉄にもテレビカーはないだろ。
#*<small>ケータイ閲覧者の方へ</small> 表示されない字は「イ予(にんべん+予)」。
#*意外と[[西日本鉄道#筑豊電気鉄道の噂|筑豊電鉄]]だったかも。
#*伃邑はもともと四村。草谷・間戸・稲貝・高原の4垣内で構成されていたから。
#**路面電車タイプの車両にテレビがあるのが現実以上に珍しがられていた。
#**現在、伃邑の中心的な集落は「岩森」だが、岩森は比較的近年に成立した集落なので、上記の4村には入らない。
#*意外と名鉄が導入していたかもしれない(パノラマカーの中間車のうち1両に設置)。
#*奈良交通のバス停も、下市口駅前の観光看板も「仔邑」と誤記されている…。
#**「よ邑」が見たい方は「秋野郵便局」を検索してみて。
# 明大町は明治大学とはこれっぽちも関係が無い。
# 前町長が合併を巡っての確執からか、同じ吉野郡内のK村とT村を「お荷物」呼ばわりしたせいで下市は危うく吉野地方の鼻つまみ者になるところだった。だが、町民が次の町長選選挙でこの暴言町長を落選させたので下市はK村・T村と仲直りする事が出来た。
#吉野・大淀にある町営バスがない。どうやら某こんにゃく屋が強硬に反対しているみたい。
#下市町民は平原綾香を「へいばら あやか」と一度は読む。
#原谷は「椎'''原'''+杣'''谷'''」の足し算地名だが、何故ありふれた漢字のほうを合体させたのだろう。
#郵便番号と大字が一致しない。郵便局の都合としか思えない。
#*<small>大字</small>下市(町内会は10以上ある)で田中町と栄町が、<small>大字</small>伃邑(5つの集落)で岩森だけが別に郵便番号がある。うち栄町には簡易局が、岩森には秋野局がある。
#大淀町の1/3の人口なのに小学校は大淀と同じ3校。阿知賀小学校の存在意義が不思議。


===十津川村の噂===
====ダブルデッカーが増結されなかったら====
# 五條市や宇陀市といった面積が大きい市がいくつか出来たが、面積No.1の五條市より2倍以上広い。
#8000系はしばらくの間は史実通り7両編成だっただろうが、いずれ全車平屋の8両編成に組み直されていた。
#*明治23年(下記の洪水のせい)に現在の村域になって以来、どことも合併はしていない。
#*場合によっては追加発注もあったかもしれない。
# 十津川村は昔は関東アクセントだったが、テレビの普及で関西アクセントに変わった。
#最初のダブルデッカーが3000系の余剰車を改造して作られた以上、3000系が完全に置き換えられていた可能性も否定できない。
# 明治22年の大洪水が語り継がれている。この洪水で村民の1/5くらいが北海道に移住した(新十津川町)。
#9000系の特急起用に対する批判はせいぜい固定クロスである事くらいだけだったかもしれない。
# 人口密度は1桁…北海道の内陸部の農村並み…
#富山地鉄にもダブルデッカーがなかった(京阪旧3000系のダブルデッカーが譲渡されたのがきっかけだったので)。
#*実は人口密度奈良県最下位は上北山村。
#完全に乗車券のみで乗車できる2階建て車両といえばクハ415-1901くらいだった。
#*ちなみに人口密度全国最下位は[[福島|福島県]][[檜枝岐村]]。
#座席指定車(プレミアムカー)の登場も史実より早かったかもしれない。
#あまりに山奥で米が作れないので、律令(奈良時代)~江戸時代まで無税の地だった。
#*隣の大塔村(現 五條市)も山里だが、こちらはしっかり年貢をとられていた。
# 坂本龍馬暗殺者が「十津川郷士である」と偽ったことで、幕末史ファンには名が知れている。
# 秘境であることが誇りであるが、十津川村内でも村の中心部から離れた集落は田舎扱いされる。
# 谷瀬の吊り橋は村や県が金を出したのではなく、川向いの谷瀬の集落の人が負担して架けた。現在に換算すると1軒あたり数百万円出したらしい。
#*現在はその橋を若者が原付で渡ってたりする。
# [[国道425号|425号線]]は酷道マニアには有名な道。死にGO!線。
# 避暑地のつもりで来ると裏切られる。十津川沿いは標高が低い(200m以下の場所もある)ので、奈良盆地より気温が高い日がある。夏は高地の大台ケ原(1500m)、天川(800m)や野迫川(700m)が涼しい。
#明治23年に合併で十津川村になる直前の村々の名前というと、北十津川村・西十津川村・東十津川村・南十津川村・中十津川村・十津川花園村。なんとまぁ…。
#*東南西北發(花園=緑に例えて)中がくっついて白になりました。浦和じゃないんだから・・・
#瀞郵便局は郵便番号上、紀伊勝浦の管轄となっており確認しただけでも毎日、朝昼夜の三便がR169を使い郵便を瀞郵便局(瀞配達センター)に届けている。
#*竹筒が十津川村であることを忘れてはいけない。国道169号、311号が通過していることも。
#ずばり、十津川と言えば温泉。洞川(天川)とは互角か。
#十津川高校が開校されたのは明治よりも早かった。
#*寄宿寮と剣道が有名らしい。たまに二津野ダム貯水池でカヌーの練習(部活か?)を見る・・。
#日本の「村」の中で最も面積が広いとか・・。
#*面積は琵琶湖とほぼ同じだとか。
#野猿(川の対岸に薪などを運ぶもの・ロープウェーの役割と同じ)で有名。現在は昴の里付近に人が乗れる野猿がある。「ザ・鉄腕DASH!」でも紹介された。
#天誅組に参加したり、新撰組と切りあったりするなど、なぜか幕末に勤皇の志士として大暴れした。
#*壬申の乱や南北朝・大阪の陣に加兵するなど、いにしえから十津川は隠れ兵力なのです(明治の四民平等でも十津川は全員士族)。しかも常に勝ち組に附く。天誅組だけは時期尚早だったが。
#「めはりずし」が美味い。さっぱりしてる。


===東吉野村の噂===
====もっと昔から座席指定席が連結されていたら====
# 村名に「吉野」の名が含まれてるわりに宇陀地区の影響が濃い。
*何やら近い将来導入するという噂がありますが、ここではもっと早くから導入されていた場合について考えます。
#*合併の村民投票ではわずかに吉野市(破談)支持派が宇陀市派より優勢。
#新快速や阪急特急に同様の車両が連結されていればあり得た可能性大。
#*最寄駅(というかバスで行くとき)も榛原駅。
#*逆に京阪で成功していたら阪急や新快速にも追って同様の車両が導入されていた。
# 奈良地裁の'''葛城支部の管轄'''である。流石にこれは不思議。
#**関西以外では西鉄の特急にも指定席が導入されていたかも。
#*合議事件については、他の吉野郡のぶんも葛城支部が取り扱う(他の吉野郡は五條支部管内だが、五條支部は合議事件は取り扱わない為)。
#テレビカーが2両あった頃は片方が指定席になっていたかもしれない。
#1905年(明治38年)1月に東吉野村で捕獲された若いオスが、最後に「目撃された」ニホンオオカミである。
#*8000系はテレビカーが指定席車になっていた。
#[[三重|三重県]][[松阪市]]とはお隣。しかし[[国道166号]]で松阪市街へは70km程。
#旧型の指定席より新型の自由席に客が流れる恐れがあるので、3000系に8000系を増結する事はなかった可能性が高い。
#*ダブルデッカーの導入に対しても同様の理由で慎重に行われていたかもしれない。
#*プレミアムカー導入が鴨東線開通と同時期だったら3000系に増結した8000系がプレミアムカーになっていた。
#*むしろ8000系が指定席になっていた。
#3000系(2代)への連結も一時的に検討されていた。
#*3000系(2代)は急行や準急にも幅広く運用されることから結局は見送られ、3000系など3扉車使用の特急は樟葉以東の停車駅を増やしたうえで準特急に格下げされていた。
#*結局、2020年度内の増結が決まりました。
#3000系の座席番号表示が有効的に使われていた。
#1980~90年代に連結されていた場合、座席が自由席車と同じだったら史実の国鉄における京阪神快速電車のグリーン車や関空特快ウイング号における指定席車と同様、利用が低迷して最終的には廃止されていた可能性もある。
#8000系以降の特急車には便所・洗面所や飲料の自動販売機が設けられていた。
#指定席車(プレミアムカー)に客を誘導させるため、8000系以降の自由席車は3ドア車で製造され、史実の2代目3000系のような2列-1列のセミクロスシート(車端はロングシート)になっていた。


===天川村の噂===
====1980年代のうちに現在の停車駅になっていたら====
#世界遺産に登録されたというだけでなく、「浅見光彦シリーズ」の舞台になったという事もあってか、吉野郡の町村の中でも特に我が強い。
*現実には2000年に中書島・丹波橋が、2003年に枚方市・樟葉停車が追加されましたが、もっと早くからこれらの駅に停車していたら?
#*K村長逮捕でそれもどうなるか…。
#8000系は現実と異なり3扉両開きで登場していた。
# 天川村には温泉が多い。しかし名が売れてるのは洞川温泉だけであり、観光客は洞川以外に温泉があることを知らないで来るという。
#*現実の阪急9300系のような車両となっていた。
#*でも、語感は良くない。「洞川」の文字を見ただけではわからんが、読みが「'''ドロ'''ガワ」だしな…。
#ダブルデッカーは導入されず、テレビカーも現実より早く廃止されていた。
#*瀞峡とかがあるから、たぶん地形由来の地名です。
#*8000系登場の時点でテレビカーが廃止されていたかも。
#「環境省選定 名水百選」に奈良県で唯一選出(洞川湧水群)。中でも「ごろごろ水」が非常に有名で、関西各地からポリタンクを山ほど積んだクルマが大勢やってくる。が、水を汲んだらさっさと帰るので観光資源にはなっていない。
#9000系や3000系(2代)は登場しなかった。
#*そうか?サマーキャンプも合宿も林間学校も洞川やったからお金は落としてるはずやぞ。
#阪急京都線特急も早いうちに途中停車駅が増えていた。
#天川にいる観光バスはほとんどの場合、山伏軍団を乗せている。
#*なので普通の観光客なんざいやしない。
#大峰山では日本一どぎつい荒行が行われる。
#*実際、番組のロケで大峰山に来てこの荒行を受けたイン○ルスの○下敦は「こんなこと普通命綱なしでやらねえぞ!!」と言い出す始末だった。


===野迫川村の噂===
====8000系登場当初からダブルデッカーが連結されていたら====
#奈良の郵便番号は基本的に上2桁が「63」で統一されてるが、野迫川は全域が上2桁「64」。十津川村にも一部上2桁が「64」の地区があるが、十津川のはあくまで一部。
*現実には1997年に行われた8連化の時にダブルデッカーが連結されました。
#*実は月ヶ瀬(現:[[奈良市]])全域と山添の半分は7桁化以前は上3桁が「'''518'''」だった([[三重/伊賀|三重・上野]]と同じ)。7桁化に伴って上3桁が「630」に変わった。
#旧3000系増結用に作られたT車もダブルデッカーとして製造されていた。
#*野迫川にも一部、旧大塔村と同じ郵便番号(637-04)の地区がある。
#鴨東線開業の目玉になっていた。
#**今井・平川・柞原(ほそはら)・中・上ですね、ここは五條支店辻堂集配センターの担当
#*当初は旧3000系も混在していたが、現実以上に8000系を待つ客が多かった。
#*残りの648-03XXのエリアはといえば、橋本支店野迫川集配センターの担当
#8000系はブルーリボン賞は無理としてもローレル賞は獲れていたかも。
#**じゃあ、野川簡易郵便局から役場に郵便を出したら、辻堂・五條・奈良・和歌山・橋本と回って、野迫川村に戻ってくるのか?
#特急8連化の際にはダブルデッカーがもう1両追加されていた。
#どちらかというと奈良県吉野郡各町村より和歌山県高野町との結びつき・イメージが強い。
#旧3000系はリニューアルされずに1995年の時点で全廃になっていたかも。
#*実際、最寄駅は南海高野山。
#*京阪特急にダブルデッカーが導入されたのは旧3000系リニューアルがきっかけだったため。
#*奈良交通の路線バスが廃止されたため、公共交通機関では奈良県側から行けません。
#*その場合、富山地方鉄道にダブルデッカーが導入されることもなかった。
#*村役場も位置的には高野町寄り
#**逆に富山地鉄・大井川鐵道以外に旧3000系が譲渡されていた可能性もある。
#*南海電車の初詣広告に立里荒神が載っている。
#テレビカーは現実よりも早く廃止されていたかも。
#施設の住み込み夫婦をいきなり首にして、そこに乗り込んで家財道具を放り出すような事を平気でやる役場。あんたらヤ○ザか?
#*その場合、遅くとも地デジ移行の時に廃止されていた。
#ちなみにー、「の'''さこ'''がわ」じゃなくて「の'''せ'''がわ」って読むんだよ。豆知識だよっ!!(某スケバン系芸人風)
#同じく料金不要の2階建て車両であるクハ415-1901の影が薄くなっていた。
#*「の'''さこ'''がわ」と読む人のほうが少なそうですが。ただ、川上村に「迫(さこ)」という地名があるので、ややこしく思う人はいるでしょう。
#3000系(2代)にもダブルデッカーが連結されていたかもしれない。
#*野迫川の由来は「野川」「迫」「川並」だから、本来は「さこ」だと思われる。
#*8000系のダブルデッカー車の側扉を両開きにしたような感じの車両で、平屋部分は最初からロングシートになっていた。
#五條市と合併する筈が、村会議員が保身のために直前で離脱。
#プレミアムカーはダブルデッカーの改造で誕生したかもしれない。
#2008年10月の国道168号線土砂災害で、この村経由の迂回路がある。なので、五条市から新宮市方面に行く人は否応無しに経由しなければならない。


===黒滝村の噂===
==阪急電鉄==
#明治の終わりに'''南芳野村'''が二つに分かれてできた(もう一つは昭和時代に下市町に編入)。だが、何で「'''吉'''」の字じゃなく「'''芳'''」だったのだろう。
===特急が○○だったら===
#* ↑よしのは元々「'''芳野'''」だったのが後に「'''吉野'''」になったから。
====京都線特急の停車駅が20世紀のうちに現在と同じなっていたら====
#**というか、昔は「読み」ありきで、漢字は人によって違うことが普通だった。ちょっとズレるが、現在は逆に戸籍とか免許証の氏名は「漢字」ありきで読みは問わないみたい。別に「博文」って名前を親がつけても、戸籍で束縛できるのは漢字だけで、「ひろふみ」と読もうが「はくぶん」と読もうが、本人の自由なんだとか。
1970年大阪万博期間中は淡路、茨木市に臨時停車していたことがありました。(現実では茨木市駅は2001年、淡路駅は2007年に停車)
#奈良県の真ん中だがイマイチ信じられていない。
#6300系はなかった。
#こんにゃくが美味。
#*6300系は神宝線の6000系がベースの3扉クロスシート車になっていた。場合によっては特急格下げ車を除くと日本初の3扉転換クロスシート車となり[[国鉄117系電車]]を始め他社の車両に大きな影響を与えていた。
#*昔は道の駅で100円で食べれた。美味かったです。
#**117系は現実と異なり3扉車になっていたかもしれない。
#過疎の村としてたまにブロードキャスター(現在は終了)で紹介されていた。
#大宮駅の特急通過が早まったかもしれない。
#快速特急新設が早まった。
#神戸線特急の停車駅も増えていたかも。
#*宝塚線特急は日生エクスプレスしか設定されなかった。
#京阪特急の停車駅増加も現実より早かった。
#*[[京阪8000系電車|京阪8000系]]は3扉転換クロスシート車として登場していた。


===川上村の噂===
====宝塚線の特急が2003年8月に廃止されなかったら====
# 大滝ダムのせいで川上村に地滑りの危険が高まり、1集落全戸移転を余儀なくされた。
史実では、1995年6月のダイヤ改正で、宝塚線に特急が設定され、2003年8月に廃止されました。もし、続けていたら…
# 川上村の鍾乳洞は何故か喫茶店で入場券を買わないと入れない。しかも喫茶店の名前が「ホラ!あな」。
#山本駅に待避線が設けられていた。
# 入之波温泉は「しおのは」と読む。
#2015年3月に設定された通勤特急は「特急」となっていたかもしれない。
#*吉野町入野は「しおの」。
#*それとも、通勤特急は雲雀丘花屋敷発着になっていたかもしれない。
#南北朝で皇統は統合されたと思われがちだが、南朝の流れを組む親王がここに後南朝をおいた。
#曽根新線(曽根~神崎川)が開業していたら、確実にあり得た。
#*三種の神器の一つ、神璽(しんじ)を奪い取ったが、お家再興を企む北朝側の赤松家に奪い取られる。
===上北山村の噂===
# 東の川簡易郵便局はなかなかたどり着けないため、その道の人の聖地。
#*電話回線のない局として有名だったが、民営化の波を受け2005年3月をもって閉局した。
#*車、自転車、徒歩、どの交通手段を使うにしても、それなりの覚悟が必要。
#*そして、廃止されて周辺には本当に廃墟となってしまった。
#*近畿地方で唯一の市外局番が5桁のMA(07468)の一部。ただし、新しい局番を割り当てるには桁ずらしが必要。
#人口密度が全国で3番目に低い。(2.6人)


===下北山村の噂===
===急行が○○だったら===
#ツチノコ共和国
====京都線の急行が2007年3月に廃止されなかったら====
#*ツチノコってほんとに見た人いるの?
史実では、2007年3月のダイヤ改正で、急行は廃止されました。
#巨大ダムの下に娯楽施設、温泉なんか作るなよ。決壊したらどうするんだ。
#新大阪線(淡路~新大阪~十三)が開業していたらあり得た。
#*池原ダムのことか。日本屈指の規模のダムらしい。水門はダム本体とは別の場所にあり、本体・周りの地質ともに丈夫だから安心して・・・ということらしい。
#2013年12月or2019年1月のダイヤ改正で通勤特急が淡路駅に停車していたかもしれない。
#奈良県でいちばん海に近い。標高もそこそこ低いので、意外に温暖。
#2001年3月のダイヤ改正で快速が南茨木に停車し、現行の急行が急行のままで快速急行が新設されることはなかった可能性が高い。
#*その場合、2010年3月のダイヤ改正で快速急行が新設された。その場合、現在の快速が急行になっていた。
#*むしろ、現在の快速が急行として史実よりも早く登場していた可能性もあった。


[[Category:奈良|よしの]]
===京とれいんが有料列車だったら===
[[Category:世界遺産|きいさんち]]
座席番号が割り振られている
[[Category:花札|よしの]]
#料金は他路線を参考に400~500円程度になっていた。
#京阪でも「洛楽」あたりが全席有料になってもおかしくなかったか。
#種車は6300系だけ使われていた。
#さすがに通勤客相手に平日の朝夕に運行されることはなかった。
 
==南海電気鉄道==
===特急が○○だったら===
====自由席特急が史実よりも早く廃止されていたら====
史実では、2012年4月に廃止されました。
#1992年7月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
#無論、10000系電車の10001F~10003Fが中間車として、改造されることはなかった。
#*全編成に中間車が製造された。
#全車座席指定車が運行されていたのは史実通り。
#*2012年4月までに運行されていた。
#12000系電車の登場は史実通り。
#*2010年代に遅れていた可能性も(8300系ベースで)。
#50000系も「サザン」の一部に入っていたかも(臨時増発や代走では)。
 
===1985年以降も南紀直通列車を運転していたら===
#1985年の急行「きのくに」の電車化及び特急「くろしお」への格上げに伴い、国鉄から余剰となった485系を購入していた。
#*ただし交流機器は撤去。
#その後485系の381系への置き換えに伴い、381系が南海への乗り入れができない(381系は車長が21.3mある)ことから、独自で振り子車両を開発していた。
#*ズームカーorラピートど同一規格になる。
#*南海も車体長がJRより長いから、なんとかなりそうな気がしないでもない。
#なにわ筋線開業後にはどうなるのやら・・・。
#JR後になってついに名古屋まで延長し夢の特急化、名前は非電化区間を中心に走る「南紀」と区別するために「ワイドビューきのくに」に。
#電車化や特急格上げで残るも、バブル崩壊後の不況や阪和道延伸によるマイカー・バスへの転移、さらにはダイヤ調整をめぐるJR西日本との対立などもあり、21世紀に入る頃には直通列車は廃止される。
#*JRとこじれにこじれた結果、かつての白浜急行バスよろしく和歌山バスと共同で大阪~白浜の高速バスが走る。ただし明光バスは相互無視。
#*下にあるように関空特急を巡る競合関係もあるから、関空開港と287系導入辺りが白紙化のヤマになりそう。
#関西空港開港時に関西空港-白浜間にラピートが運転されるも、どこかで廃止になっている。
#*それ以外にもイベント列車として南海難波~白浜・新宮にラピートの車両を使った臨時特急が設定されていた。
#橋本駅を介して高野線とJR和歌山線の直通も検討されるようになっていた。
#*南海難波~JR五条・粉河、JR京都・新大阪・和歌山~高野山といった列車が運行されていただろう。近鉄と協力して高野山と吉野を結ぶ列車も運行されていたかも。
 
===特急『サザン』が一般車を併結して関西空港に乗り入れていたら===
#ラピートはαのみの運用になっていた。
#*ラピートβは存在しなかった。
#12000系の増備が忠実より早まっていた。
#*12000系の指定席車が4両、一般車が6両となり、南海本線での10両運転化も実現していた。
#*12000系の本数は泉北ライナー用も相まって現実よりかなり本数が増えていた。
#空港急行は現実程、増えなかった。
 
==阪神電気鉄道==
===もし、近鉄に直通する有料特急を走らせていたら===
#どんな理由であれ甲子園駅には停車させていた。
#*無料特急と異なり阪急からの乗り換え客狙いで今津停車と西宮通過をしていた。
#停車駅は大阪難波、ドーム前、西九条、尼崎、甲子園、今津、芦屋、神戸三宮に絞っていた。
#名阪特急「ひのとり」に使われる80000系は阪神乗り入れ仕様となり、前面貫通型になっていた。
#*一部列車が神戸三宮発着になっていた。
 
==山陽電気鉄道==
===神戸高速鉄道開業の時点で直通特急を運転開始していたら===
#神戸高速鉄道開業と同時に山陽電鉄線の特急停車駅は6両編成対応にホームを延伸していた。
#阪神梅田~山陽姫路の他、阪急梅田~山陽姫路の直通特急も設定されていた。
#*阪急梅田発着系統はラッシュ時においては阪急三宮(現・阪急神戸三宮)駅で2~4両増結・解放していた。
#*しかしその後阪急は神戸線を8両編成に統一するため乗り入れを新開地まで短縮、その分阪神側が直通特急を増発する。
#車両に関しては直通当初は阪急は2000・3000系・5000系、阪神は3501形以降の赤胴車、山陽は3000系を運用していた。
#*阪急線内の高速運転に対応するため、山陽3000系は現実よりも高性能になっていた。
#神戸高速鉄道開業当初から阪急・阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代していた。
#*1984年に起こった六甲駅での阪急と山陽の衝突事故はなかった。
#阪急神戸・宝塚線の建築・車両限界は神戸高速鉄道開業の時点で拡大されていた。
#*5100・5300系以降は阪急全線共通の車両規格で製造されていた。
#国鉄時代は新快速が不便だったので、大阪~明石・姫路を阪神・阪急・山陽で移動する人も多かった。
#*山陽直通用は扉間転換クロスシート・トイレ付きの車両となっていた。また、停車駅をさらに減らした快速特急(山陽区間内は明石・高砂・飾磨のみ停車)も運転されていた。
 
===なんば線直通の快速急行が山陽電車線内に運行されたら?===
#ホームの関係で直通特急などが止まる駅を一部通過していたかも。
#*一部駅では近鉄車両20m6両に対応出来るホームが作られていた。
#**阪神神戸三宮駅1・3番線の可動式ホーム柵も近鉄20m車と阪神18m車の双方に対応できるものとなっていた。
#*阪神と同じく千鳥停車になっていたかも。
#難波方面や奈良方面に直接、行かれるので現実よりはJRに利用客移転が少なかった。
#*山陽姫路駅や明石駅は乗降人員3万人突破は普通にあり得た。
#山陽5000/6000系が奈良に、近鉄9820系などが姫路にいるという光景が見られたに違いない。
#須磨浦公園までに乗り入れていたら、阪神特急と同様に西代~須磨浦公園間は各駅に停車していた。
#阪神元町駅も神戸三宮駅と同様にリニューアルが行われていた。
#高速神戸・新開地両駅で近鉄車と阪急車の並びを見ることができた。
 
===1981年に阪神本線直通特急を運転開始していたら===
#[[Wikipedia:ja:神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア'81]]開催が運転開始のきっかけだった。
#*当初阪神側は3501形以降の赤胴車が運用された。
#*山陽3050系(仮、3000系ベース、阪神直通対応、6連固定は転換クロスシート装備)が1977年に登場し3000系の新製は3058Fで打ち切られた。
#**'80年代以降導入車はアルミ車体に変更。
#***むしろ3100系か5000系を名乗っていただろう。
#***マイナーチェンジも兼ねる意味で5000系になっていた。
#***史実の5000系はこれを基本とし6000系になっていた(史実の6000系は7000系を名乗る)。
#*阪神8000系の登場も早まった(当初から山陽直通対応)。
#**当然のことながら転換クロスシート装備となっている。
#*急行の設定も同時になくなった。
#*本線の特急停車駅ホーム6両分延長は直通特急運転開始までに実施された。
#*近鉄5200系以前に3扉転換クロスシート車が登場していた。
#**名鉄5300・5700系・西鉄8000形・京阪8000系・西武4000系・京急2100形は3扉車になっていたかも。
#この時点で阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代開始していた。
#*阪急側の乗り入れは同時に新開地まで短縮、'84年の六甲事故はなかった。
#*同時期に阪急保有の山陽株が阪神に譲渡され、のちに山陽は阪神の子会社になっていたかも。
#**阪神は[[神姫バス]]の持株を増やしていた。
#[[国鉄117系電車|国鉄の117系]]導入が阪神・山陽直通特急運行開始への対抗とされた。
#*網干線への対抗も兼ねて117系導入完了後に網干発着の新快速(姫路以西は各駅停車)を運転開始していた。
#**のちに網干発着で大阪方面へ向かう普通・快速の多くは新快速になっていた。
#*新快速全列車の姫路延伸が早まっていた。
#1985年には阪神タイガースの日本一を祝うイベント列車が運行されていた。
#*確実に赤胴車と山陽6連に優勝記念ヘッドマークが装着された。
#*阪神5500・9000系以前に黄色の電車が存在したかも。
 
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2021年2月18日 (木) 10:00時点における版

近畿日本鉄道

近鉄特急が○○だったら

列車愛称が廃止されなかったら

  1. 名阪特急(名古屋~大阪)は「すずか」。
    • 甲特急はそのまま「アーバンライナー」になる気がする。
  2. 阪伊特急(大阪~伊勢志摩)は「いせ」。
    • 23000系の場合は「伊勢志摩ライナーいせ」。
      • 寧ろ「いすず」の名前が残ってそうな予感。流石に神風は特攻隊を連想させるから無理だろうけど。
  3. 名伊特急(名古屋~伊勢志摩)は「しま」。
    • 23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしま」。
      • 「かつらぎ」の名称がこっちに流れてきたりして。
  4. 京伊特急(京都~伊勢志摩)は「しんじゅ」。
    • あるいは「いすず」。
      • 阪伊特急が「いすず」を名乗り、代わりに「いせ」がこっちに流れてきたかもしれない。
    • 23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしんじゅ」。
  5. 京橿特急(京都~橿原神宮前)は「あすか」。
  6. 京奈特急(京都~奈良)は「やまと」。
  7. 阪奈特急(大阪~奈良)は「かすが」。
  8. 吉野特急(大阪~吉野)は「よしの」。
    • 新車登場を機に「さくらライナー」が新設。
  9. 今はなき阪京特急(大阪~西大寺~京都)は「みやこ」。
    • やはり廃止された湯の山特急(大阪・名古屋・四日市~湯の山温泉)は「ございしょ」になっていた。
    • これまたなき奈伊特急は…「しんと」?
  10. 50000系使用列車も上記伊勢志摩ライナーのように「しまかぜ・いせ」「しまかぜ・しんじゅ」などを名乗っていた。
    • さすがに「しまかぜ・しま」は語感が悪いので別の名称になっていた可能性が高い。
    • 場合によっては「ミュースカイ」や「スカイライナー」のように「しまかぜ」が特急とは別の種別となっていた。
      • 「青の交響曲」は運行区間が限られているので恐らくそのまま。
  11. 天理臨は「てんり」にでもなってたのだろうか。
  12. 阪伊・名伊甲特急に限り「パールズ」がそのまま使われていた可能性も。

阪神・山陽乗り入れが実現していたら

  • 近鉄側はやりたいらしいが阪神・山陽側が乗り入れに消極的らしい。
  1. 山陽姫路発賢島行きというロングラン列車が誕生する。
  2. 阪神・山陽の特急という種別は変更させられる。
    • あるいは運賃だけで乗れる特急はそのままで、近鉄直通の有料特急は「近鉄特急」「指定特急」として区別されるかも。
  3. 観光特急しまかぜは阪神・山陽乗り入れも考慮されていたのでビスタカーはなかったかも。
  4. 関西大手私鉄で有料列車がないのは阪急だけになる。
  5. 近鉄に19m車の特急車両が登場していたかもしれない。
  6. 近鉄名古屋~山陽姫路間という私鉄最長距離列車が誕生。
  7. 実際、神戸三宮駅の2番線以外にホーム柵が設置されることになるので、それの調整も必要。

名阪ノンストップ特急が史実(2012年)以前に廃止していたら

近鉄の名阪ノンストップ特急は東海道新幹線開通後利用客が激減し、一時は廃止まで検討されていたほどです。もし名阪ノンストップ特急が本当に廃止されていたら・・・

  1. 「アーバンライナー」は誕生しなかった。
  2. 近鉄特急の看板は今も伊勢志摩特急。
    • 近鉄特急のフルモデルチェンジは「伊勢志摩ライナー」で行われていた。
  3. 名阪間における近鉄のシェアは現実より低くなっていた。
    • それでも1970年代半ばの国鉄の運賃50%値上げ後は近鉄の方が運賃+特急料金が安くなるので、安くいきたい人は近鉄を利用するようになる。
  4. 伊勢中川駅の短絡線は存在しない。
  5. 名阪間の高速バスがもっと栄えている。
    • 名神高速のバス停は現実より多い。

現在でも日中に京伊特急が運行されていたら

  1. 外国人観光客から重宝されていた。
  2. 2016年のダイヤ改正の前までは、阪伊乙特急との併結運転を行っていたが、ダイヤ改正後は、単独運転になっていた。
  3. 22600系電車はさらに増備されていた。

京阪電気鉄道

京阪特急が○○だったら

最初からテレビカーが無かったら

  1. 京阪は今より地味になっていた。
    • 京阪特急はロングシート主体で土日のみの運転だった。
      • テレビカーがなくてもクロスシートの特急は史実通り運行され続けるはず。そうでもしないと自分から顧客を手放すという自殺行為になるだろうし。
        • ダブルデッカーの導入はおそらく史実通り。
  2. テレビカーといえば京成。
    • あるいは富山地方鉄道。
      • 地鉄のテレビカーは京阪3000系の譲渡が前提だから、京阪のテレビカーがなかったら地鉄にもテレビカーはないだろ。
    • 意外と筑豊電鉄だったかも。
      • 路面電車タイプの車両にテレビがあるのが現実以上に珍しがられていた。
    • 意外と名鉄が導入していたかもしれない(パノラマカーの中間車のうち1両に設置)。

ダブルデッカーが増結されなかったら

  1. 8000系はしばらくの間は史実通り7両編成だっただろうが、いずれ全車平屋の8両編成に組み直されていた。
    • 場合によっては追加発注もあったかもしれない。
  2. 最初のダブルデッカーが3000系の余剰車を改造して作られた以上、3000系が完全に置き換えられていた可能性も否定できない。
  3. 9000系の特急起用に対する批判はせいぜい固定クロスである事くらいだけだったかもしれない。
  4. 富山地鉄にもダブルデッカーがなかった(京阪旧3000系のダブルデッカーが譲渡されたのがきっかけだったので)。
  5. 完全に乗車券のみで乗車できる2階建て車両といえばクハ415-1901くらいだった。
  6. 座席指定車(プレミアムカー)の登場も史実より早かったかもしれない。

もっと昔から座席指定席が連結されていたら

  • 何やら近い将来導入するという噂がありますが、ここではもっと早くから導入されていた場合について考えます。
  1. 新快速や阪急特急に同様の車両が連結されていればあり得た可能性大。
    • 逆に京阪で成功していたら阪急や新快速にも追って同様の車両が導入されていた。
      • 関西以外では西鉄の特急にも指定席が導入されていたかも。
  2. テレビカーが2両あった頃は片方が指定席になっていたかもしれない。
    • 8000系はテレビカーが指定席車になっていた。
  3. 旧型の指定席より新型の自由席に客が流れる恐れがあるので、3000系に8000系を増結する事はなかった可能性が高い。
    • ダブルデッカーの導入に対しても同様の理由で慎重に行われていたかもしれない。
    • プレミアムカー導入が鴨東線開通と同時期だったら3000系に増結した8000系がプレミアムカーになっていた。
    • むしろ8000系が指定席になっていた。
  4. 3000系(2代)への連結も一時的に検討されていた。
    • 3000系(2代)は急行や準急にも幅広く運用されることから結局は見送られ、3000系など3扉車使用の特急は樟葉以東の停車駅を増やしたうえで準特急に格下げされていた。
    • 結局、2020年度内の増結が決まりました。
  5. 3000系の座席番号表示が有効的に使われていた。
  6. 1980~90年代に連結されていた場合、座席が自由席車と同じだったら史実の国鉄における京阪神快速電車のグリーン車や関空特快ウイング号における指定席車と同様、利用が低迷して最終的には廃止されていた可能性もある。
  7. 8000系以降の特急車には便所・洗面所や飲料の自動販売機が設けられていた。
  8. 指定席車(プレミアムカー)に客を誘導させるため、8000系以降の自由席車は3ドア車で製造され、史実の2代目3000系のような2列-1列のセミクロスシート(車端はロングシート)になっていた。

1980年代のうちに現在の停車駅になっていたら

  • 現実には2000年に中書島・丹波橋が、2003年に枚方市・樟葉停車が追加されましたが、もっと早くからこれらの駅に停車していたら?
  1. 8000系は現実と異なり3扉両開きで登場していた。
    • 現実の阪急9300系のような車両となっていた。
  2. ダブルデッカーは導入されず、テレビカーも現実より早く廃止されていた。
    • 8000系登場の時点でテレビカーが廃止されていたかも。
  3. 9000系や3000系(2代)は登場しなかった。
  4. 阪急京都線特急も早いうちに途中停車駅が増えていた。

8000系登場当初からダブルデッカーが連結されていたら

  • 現実には1997年に行われた8連化の時にダブルデッカーが連結されました。
  1. 旧3000系増結用に作られたT車もダブルデッカーとして製造されていた。
  2. 鴨東線開業の目玉になっていた。
    • 当初は旧3000系も混在していたが、現実以上に8000系を待つ客が多かった。
  3. 8000系はブルーリボン賞は無理としてもローレル賞は獲れていたかも。
  4. 特急8連化の際にはダブルデッカーがもう1両追加されていた。
  5. 旧3000系はリニューアルされずに1995年の時点で全廃になっていたかも。
    • 京阪特急にダブルデッカーが導入されたのは旧3000系リニューアルがきっかけだったため。
    • その場合、富山地方鉄道にダブルデッカーが導入されることもなかった。
      • 逆に富山地鉄・大井川鐵道以外に旧3000系が譲渡されていた可能性もある。
  6. テレビカーは現実よりも早く廃止されていたかも。
    • その場合、遅くとも地デジ移行の時に廃止されていた。
  7. 同じく料金不要の2階建て車両であるクハ415-1901の影が薄くなっていた。
  8. 3000系(2代)にもダブルデッカーが連結されていたかもしれない。
    • 8000系のダブルデッカー車の側扉を両開きにしたような感じの車両で、平屋部分は最初からロングシートになっていた。
  9. プレミアムカーはダブルデッカーの改造で誕生したかもしれない。

阪急電鉄

特急が○○だったら

京都線特急の停車駅が20世紀のうちに現在と同じなっていたら

1970年大阪万博期間中は淡路、茨木市に臨時停車していたことがありました。(現実では茨木市駅は2001年、淡路駅は2007年に停車)

  1. 6300系はなかった。
    • 6300系は神宝線の6000系がベースの3扉クロスシート車になっていた。場合によっては特急格下げ車を除くと日本初の3扉転換クロスシート車となり国鉄117系電車を始め他社の車両に大きな影響を与えていた。
      • 117系は現実と異なり3扉車になっていたかもしれない。
  2. 大宮駅の特急通過が早まったかもしれない。
  3. 快速特急新設が早まった。
  4. 神戸線特急の停車駅も増えていたかも。
    • 宝塚線特急は日生エクスプレスしか設定されなかった。
  5. 京阪特急の停車駅増加も現実より早かった。
    • 京阪8000系は3扉転換クロスシート車として登場していた。

宝塚線の特急が2003年8月に廃止されなかったら

史実では、1995年6月のダイヤ改正で、宝塚線に特急が設定され、2003年8月に廃止されました。もし、続けていたら…

  1. 山本駅に待避線が設けられていた。
  2. 2015年3月に設定された通勤特急は「特急」となっていたかもしれない。
    • それとも、通勤特急は雲雀丘花屋敷発着になっていたかもしれない。
  3. 曽根新線(曽根~神崎川)が開業していたら、確実にあり得た。

急行が○○だったら

京都線の急行が2007年3月に廃止されなかったら

史実では、2007年3月のダイヤ改正で、急行は廃止されました。

  1. 新大阪線(淡路~新大阪~十三)が開業していたらあり得た。
  2. 2013年12月or2019年1月のダイヤ改正で通勤特急が淡路駅に停車していたかもしれない。
  3. 2001年3月のダイヤ改正で快速が南茨木に停車し、現行の急行が急行のままで快速急行が新設されることはなかった可能性が高い。
    • その場合、2010年3月のダイヤ改正で快速急行が新設された。その場合、現在の快速が急行になっていた。
    • むしろ、現在の快速が急行として史実よりも早く登場していた可能性もあった。

京とれいんが有料列車だったら

座席番号が割り振られている

  1. 料金は他路線を参考に400~500円程度になっていた。
  2. 京阪でも「洛楽」あたりが全席有料になってもおかしくなかったか。
  3. 種車は6300系だけ使われていた。
  4. さすがに通勤客相手に平日の朝夕に運行されることはなかった。

南海電気鉄道

特急が○○だったら

自由席特急が史実よりも早く廃止されていたら

史実では、2012年4月に廃止されました。

  1. 1992年7月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
  2. 無論、10000系電車の10001F~10003Fが中間車として、改造されることはなかった。
    • 全編成に中間車が製造された。
  3. 全車座席指定車が運行されていたのは史実通り。
    • 2012年4月までに運行されていた。
  4. 12000系電車の登場は史実通り。
    • 2010年代に遅れていた可能性も(8300系ベースで)。
  5. 50000系も「サザン」の一部に入っていたかも(臨時増発や代走では)。

1985年以降も南紀直通列車を運転していたら

  1. 1985年の急行「きのくに」の電車化及び特急「くろしお」への格上げに伴い、国鉄から余剰となった485系を購入していた。
    • ただし交流機器は撤去。
  2. その後485系の381系への置き換えに伴い、381系が南海への乗り入れができない(381系は車長が21.3mある)ことから、独自で振り子車両を開発していた。
    • ズームカーorラピートど同一規格になる。
    • 南海も車体長がJRより長いから、なんとかなりそうな気がしないでもない。
  3. なにわ筋線開業後にはどうなるのやら・・・。
  4. JR後になってついに名古屋まで延長し夢の特急化、名前は非電化区間を中心に走る「南紀」と区別するために「ワイドビューきのくに」に。
  5. 電車化や特急格上げで残るも、バブル崩壊後の不況や阪和道延伸によるマイカー・バスへの転移、さらにはダイヤ調整をめぐるJR西日本との対立などもあり、21世紀に入る頃には直通列車は廃止される。
    • JRとこじれにこじれた結果、かつての白浜急行バスよろしく和歌山バスと共同で大阪~白浜の高速バスが走る。ただし明光バスは相互無視。
    • 下にあるように関空特急を巡る競合関係もあるから、関空開港と287系導入辺りが白紙化のヤマになりそう。
  6. 関西空港開港時に関西空港-白浜間にラピートが運転されるも、どこかで廃止になっている。
    • それ以外にもイベント列車として南海難波~白浜・新宮にラピートの車両を使った臨時特急が設定されていた。
  7. 橋本駅を介して高野線とJR和歌山線の直通も検討されるようになっていた。
    • 南海難波~JR五条・粉河、JR京都・新大阪・和歌山~高野山といった列車が運行されていただろう。近鉄と協力して高野山と吉野を結ぶ列車も運行されていたかも。

特急『サザン』が一般車を併結して関西空港に乗り入れていたら

  1. ラピートはαのみの運用になっていた。
    • ラピートβは存在しなかった。
  2. 12000系の増備が忠実より早まっていた。
    • 12000系の指定席車が4両、一般車が6両となり、南海本線での10両運転化も実現していた。
    • 12000系の本数は泉北ライナー用も相まって現実よりかなり本数が増えていた。
  3. 空港急行は現実程、増えなかった。

阪神電気鉄道

もし、近鉄に直通する有料特急を走らせていたら

  1. どんな理由であれ甲子園駅には停車させていた。
    • 無料特急と異なり阪急からの乗り換え客狙いで今津停車と西宮通過をしていた。
  2. 停車駅は大阪難波、ドーム前、西九条、尼崎、甲子園、今津、芦屋、神戸三宮に絞っていた。
  3. 名阪特急「ひのとり」に使われる80000系は阪神乗り入れ仕様となり、前面貫通型になっていた。
    • 一部列車が神戸三宮発着になっていた。

山陽電気鉄道

神戸高速鉄道開業の時点で直通特急を運転開始していたら

  1. 神戸高速鉄道開業と同時に山陽電鉄線の特急停車駅は6両編成対応にホームを延伸していた。
  2. 阪神梅田~山陽姫路の他、阪急梅田~山陽姫路の直通特急も設定されていた。
    • 阪急梅田発着系統はラッシュ時においては阪急三宮(現・阪急神戸三宮)駅で2~4両増結・解放していた。
    • しかしその後阪急は神戸線を8両編成に統一するため乗り入れを新開地まで短縮、その分阪神側が直通特急を増発する。
  3. 車両に関しては直通当初は阪急は2000・3000系・5000系、阪神は3501形以降の赤胴車、山陽は3000系を運用していた。
    • 阪急線内の高速運転に対応するため、山陽3000系は現実よりも高性能になっていた。
  4. 神戸高速鉄道開業当初から阪急・阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代していた。
    • 1984年に起こった六甲駅での阪急と山陽の衝突事故はなかった。
  5. 阪急神戸・宝塚線の建築・車両限界は神戸高速鉄道開業の時点で拡大されていた。
    • 5100・5300系以降は阪急全線共通の車両規格で製造されていた。
  6. 国鉄時代は新快速が不便だったので、大阪~明石・姫路を阪神・阪急・山陽で移動する人も多かった。
    • 山陽直通用は扉間転換クロスシート・トイレ付きの車両となっていた。また、停車駅をさらに減らした快速特急(山陽区間内は明石・高砂・飾磨のみ停車)も運転されていた。

なんば線直通の快速急行が山陽電車線内に運行されたら?

  1. ホームの関係で直通特急などが止まる駅を一部通過していたかも。
    • 一部駅では近鉄車両20m6両に対応出来るホームが作られていた。
      • 阪神神戸三宮駅1・3番線の可動式ホーム柵も近鉄20m車と阪神18m車の双方に対応できるものとなっていた。
    • 阪神と同じく千鳥停車になっていたかも。
  2. 難波方面や奈良方面に直接、行かれるので現実よりはJRに利用客移転が少なかった。
    • 山陽姫路駅や明石駅は乗降人員3万人突破は普通にあり得た。
  3. 山陽5000/6000系が奈良に、近鉄9820系などが姫路にいるという光景が見られたに違いない。
  4. 須磨浦公園までに乗り入れていたら、阪神特急と同様に西代~須磨浦公園間は各駅に停車していた。
  5. 阪神元町駅も神戸三宮駅と同様にリニューアルが行われていた。
  6. 高速神戸・新開地両駅で近鉄車と阪急車の並びを見ることができた。

1981年に阪神本線直通特急を運転開始していたら

  1. ポートピア'81開催が運転開始のきっかけだった。
    • 当初阪神側は3501形以降の赤胴車が運用された。
    • 山陽3050系(仮、3000系ベース、阪神直通対応、6連固定は転換クロスシート装備)が1977年に登場し3000系の新製は3058Fで打ち切られた。
      • '80年代以降導入車はアルミ車体に変更。
        • むしろ3100系か5000系を名乗っていただろう。
        • マイナーチェンジも兼ねる意味で5000系になっていた。
        • 史実の5000系はこれを基本とし6000系になっていた(史実の6000系は7000系を名乗る)。
    • 阪神8000系の登場も早まった(当初から山陽直通対応)。
      • 当然のことながら転換クロスシート装備となっている。
    • 急行の設定も同時になくなった。
    • 本線の特急停車駅ホーム6両分延長は直通特急運転開始までに実施された。
    • 近鉄5200系以前に3扉転換クロスシート車が登場していた。
      • 名鉄5300・5700系・西鉄8000形・京阪8000系・西武4000系・京急2100形は3扉車になっていたかも。
  2. この時点で阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代開始していた。
    • 阪急側の乗り入れは同時に新開地まで短縮、'84年の六甲事故はなかった。
    • 同時期に阪急保有の山陽株が阪神に譲渡され、のちに山陽は阪神の子会社になっていたかも。
  3. 国鉄の117系導入が阪神・山陽直通特急運行開始への対抗とされた。
    • 網干線への対抗も兼ねて117系導入完了後に網干発着の新快速(姫路以西は各駅停車)を運転開始していた。
      • のちに網干発着で大阪方面へ向かう普通・快速の多くは新快速になっていた。
    • 新快速全列車の姫路延伸が早まっていた。
  4. 1985年には阪神タイガースの日本一を祝うイベント列車が運行されていた。
    • 確実に赤胴車と山陽6連に優勝記念ヘッドマークが装着された。
    • 阪神5500・9000系以前に黄色の電車が存在したかも。