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==近畿日本鉄道==
===近鉄特急が○○だったら===
====列車愛称が廃止されなかったら====
#名阪特急(名古屋~大阪)は「すずか」。
#*甲特急はそのまま「アーバンライナー」になる気がする。
#阪伊特急(大阪~伊勢志摩)は「いせ」。
#*23000系の場合は「伊勢志摩ライナーいせ」。
#**寧ろ「いすず」の名前が残ってそうな予感。流石に神風は特攻隊を連想させるから無理だろうけど。
#名伊特急(名古屋~伊勢志摩)は「しま」。
#*23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしま」。
#**「かつらぎ」の名称がこっちに流れてきたりして。
#京伊特急(京都~伊勢志摩)は「しんじゅ」。
#*あるいは「いすず」。
#**阪伊特急が「いすず」を名乗り、代わりに「いせ」がこっちに流れてきたかもしれない。
#*23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしんじゅ」。
#京橿特急(京都~橿原神宮前)は「あすか」。
#京奈特急(京都~奈良)は「やまと」。
#阪奈特急(大阪~奈良)は「かすが」。
#吉野特急(大阪~吉野)は「よしの」。
#*新車登場を機に「さくらライナー」が新設。
#今はなき阪京特急(大阪~西大寺~京都)は「みやこ」。
#*やはり廃止された湯の山特急(大阪・名古屋・四日市~湯の山温泉)は「ございしょ」になっていた。
#*これまたなき奈伊特急は…「しんと」?
#50000系使用列車も上記伊勢志摩ライナーのように「しまかぜ・いせ」「しまかぜ・しんじゅ」などを名乗っていた。
#*さすがに「しまかぜ・しま」は語感が悪いので別の名称になっていた可能性が高い。
#*場合によっては「ミュースカイ」や「スカイライナー」のように「しまかぜ」が特急とは別の種別となっていた。
#**「青の交響曲」は運行区間が限られているので恐らくそのまま。
#天理臨は「てんり」にでもなってたのだろうか。
#阪伊・名伊甲特急に限り「パールズ」がそのまま使われていた可能性も。


==地域==
====阪神・山陽乗り入れが実現していたら====
[[武蔵小杉]] [[溝の口]] [[新百合ヶ丘]]
*近鉄側はやりたいらしいが阪神・山陽側が乗り入れに消極的らしい。
#山陽姫路発賢島行きというロングラン列車が誕生する。
#阪神・山陽の特急という種別は変更させられる。
#*あるいは運賃だけで乗れる特急はそのままで、近鉄直通の有料特急は「近鉄特急」「指定特急」として区別されるかも。
#観光特急しまかぜは阪神・山陽乗り入れも考慮されていたのでビスタカーはなかったかも。
#関西大手私鉄で有料列車がないのは阪急だけになる。
#近鉄に19m車の特急車両が登場していたかもしれない。
#近鉄名古屋~山陽姫路間という私鉄最長距離列車が誕生。
#実際、神戸三宮駅の2番線以外にホーム柵が設置されることになるので、それの調整も必要。


== 川崎市 ==
====名阪ノンストップ特急が史実(2012年)以前に廃止していたら====
# 川崎市民は「横浜です」もしくは「東京です」と答える。
近鉄の名阪ノンストップ特急は東海道新幹線開通後利用客が激減し、一時は廃止まで検討されていたほどです。もし名阪ノンストップ特急が本当に廃止されていたら・・・
#* 川崎市民は恥かしくて自分の現住所を言えない。
#「アーバンライナー」は誕生しなかった。
#* 地方の人間にとっては東京と横浜の間に川崎は存在していない。
#近鉄特急の看板は今も伊勢志摩特急。
#* そもそも川崎なんて存在しない。まさしく都市伝説。
#*近鉄特急のフルモデルチェンジは「伊勢志摩ライナー」で行われていた。
#** 川崎市の成立した過程を遡っていくと川崎市の存在意義は二ケ領用水協同組合としての川崎市でしかない事が分かる。
#名阪間における近鉄のシェアは現実より低くなっていた。
#* 「川崎です」と言うと「ああ、公害の」と言われる。
#*それでも1970年代半ばの国鉄の運賃50%値上げ後は近鉄の方が運賃+特急料金が安くなるので、安くいきたい人は近鉄を利用するようになる。
#* 川崎北部民は近くの駅名を答える。だが路線ともどもなかなか理解してもらえない。
#伊勢中川駅の短絡線は存在しない。
#川崎駅や尻手駅からJRの遠距離切符を買うと「横浜市内発」となる。
#名阪間の高速バスがもっと栄えている。
#*尻手駅の次の矢向駅も横浜市内発。実際矢向と尻手の駅は横浜市鶴見区にあります。川崎駅は川崎市内にあるけど便宜上分類されている。
#*名神高速のバス停は現実より多い。
# 川崎駅周辺で遊んでいるのは川崎市民ではなく、川を挟んだお隣・横浜市鶴見区の住民が8割。
# 長細い市域を結ぶのは、ギャンブルラインとして有名な南武線。7区のうち5区を通る。
#* 南武線には鈍行しか走っておらず、中央部の武蔵小杉から西側では川崎に出るより都心に出る方が早いこともある。並行私鉄線沿線からは確実。
#* その南武線には大昔に快速があったがダイヤが悪く反対運動が起きて廃止された。今でもネタにされる。
#* だが踏み切りの信号は快速が存在していた当時のままなので、開かずの踏み切りがある。(鹿島田)
#** 開くのだけは早くなっている筈。閉まるほうは貨物列車が多く通っていたので変更できなかったらしい。
# 日本の[[政令指定都市]]で唯一新幹線が素通りする市。(新幹線の線路は通っているが駅は無い。)
#* 2006年4月1日に大阪府堺市が政令指定都市になったので、なんとか唯一ではなくなった。
#**いやいや、堺市は新幹線通らないでしょ。
#* 横須賀線・山手貨物線経由の新線「[http://www.jreast.co.jp/takasaki/syonansinjyuku/syonan_top.html 湘南新宿ライン]」にも素通りされる。路線上に新川崎駅があるのに。
#* ↑新川崎駅は高崎線〜東海道本線直通列車は通過するが、東北本線(宇都宮線)〜横須賀線直通列車は停車する。
#** 湘南新宿ラインは武蔵小杉に川崎市が全額負担で駅を作ることが決定している。
# 高津区に実際にある地名:下野毛(大きな声で読んでみよう)、読みは[simo・noge]
#* 上野毛は多摩川の対岸、世田谷区にある。等々力など、元は同一地区だったが蛇行で分断された地名が幾つかある。
# 高津区の住民は世田谷区、宮前区の住民は横浜市青葉区に住みたくて仕方がなかったが、地価の高さに負けて現在の家に甘んじていると言う説がある。
#* 梶ヶ谷や鷺沼から先がまだ森だった頃からの住民が多い。既に飽和状態だが、工場の跡地をマンションにしたり、最近は崖を削って無理矢理マンションを作っている。
# 川崎球場は未だに現役である。スタンドをぶっ壊したから傍目にはただの草野球場(またはアメフト場)でしかないが。
#* ロッテがここを本拠地にしていたことなど皆忘れている。
#* 横浜ベイスターズ(旧大洋ホエールズ)が本拠地にしていたことなどもっと知られていない。
#** プロ野球シーズン終了後に放送される「珍プレー・好プレー大賞」に映りたい為に、スタンドで麻雀をしたり流しソーメンをする姿が必ずあった。
#**テレビじゃ見れない川崎劇場・・・
# [[政令指定都市]]であるにもかかわらず、昼間の人口が夜の人口より少ない(結局皆さん首都圏などに通勤している)
# 川崎病は川崎の風土病ではない。
# むしろ喘息!
#* 四日市喘息について話を振られると「川崎は細長くて、工業地帯と住宅地はかなり離れている」ことをうんざりした顔で説明する。
#*↑川崎は細長いので、横方向に走る国道1号と15号は多摩川を過ぎるとすぐ横浜に入る。
#*↑川崎は細長くて、横方向の道路はほどほどに立派だが縦方向にまともな道が無い。
# 川崎の人間は自分たちを神奈川県民だと思っていない。東京都民だと思いこんでいる。
#*というのはガセだが、川崎市民は都合のいいときに自分たちを東京の一部とか横浜の一部にして話をする。
# 川崎市は全国で一番早く新しい制度を取り入れ、全国で一番早く失敗するため噛ませ犬として有名。
#* 戦後に市電やトロリーバスを入れて短命で終わらせたりもしている。
# [http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%EC%B5%FE%CF%D1%A5%A2%A5%AF%A5%A2%A5%E9%A5%A4%A5%F3 アクアライン]の通行料が高いことがよく話題になるが、それほど需要があるわけでもない。
# [http://www.nankankeiba.com/dirt4.kawasaki/ 川崎競馬場]は交流GIレースが2つもありながら、まったく注目を浴びない。
#* 今年(2006年)にJBCクラシックが川崎で行われるため交流Gは4つ。
# 明大生田校舎のどこかには旧日本軍の医療研究施設跡があり、今でも毒ガスが放置されていると思われている
#*生田校舎全体が旧陸軍「登戸研究所」の跡地である。風船爆弾とかカメラ付き万年筆など、わりと微笑ましいものが開発されていた。戦時中、同研究所で爆発事故があったという噂があり(裏は取れてない)、その周辺5キロに渡って女児しか生まれなかった年がある(これは人口推移でも調べれば出て来る事実)。
#* その流れか、明大には医学部がないのにサイボーグ山羊がいると噂されている
#** 農学部が飼っているらしい
# 新川崎駅には川崎駅までの徒歩での所要時間がホーム内に書かれている
#* 新川崎駅から川崎駅までですか? 鹿島田じゃなくて?? 乗り換えの為に南武線使わずに歩く奴なんかいるのでしょうか?(笑)
#* 同一駅ないし近い駅だと勘違いするヤツが多いので、徒歩ではこんなに離れているんだぞとわざわざ書いてやっているだけ。
#* 新川崎駅のホーム階段は、長くて急なため、パンチラポイントとして有名である。
# 川崎を本拠地に(または本拠地を離れた)していたチームは優勝後に低迷、または悲劇としか言いようのない出来事が起きる傾向がある。
#* 横浜ベイスターズ(旧大洋ホエールズ/38年間優勝なし)を筆頭に千葉ロッテマリーンズ(川崎ロッテ/31年間優勝なし・18連敗等)、川崎F(J1昇格1年でJ2降格、勝ち点1でJ1昇格を逃す)、東京V(旧川崎V/去年J2降格)
# 実は情報集積産業の一大拠点都市にも拘らず、未だに光化学スモッグのイメージが抜けない
# 普段は相手にしていないが、千葉市やさいたま市には負けていないと思っている。
# DQNなエセ日本人(戦中戦後のドサクサに住み着いた元在日)が多い。が、あまり悪さがひどいときは[[京浜急行]]が処刑してくれる。
# 電車の混雑の原因を担っている。他の市町村民から冷たい目で見られる。
# 東京に接するため埼玉の川口と対比されることがある。


==各区の噂==
====現在でも日中に京伊特急が運行されていたら====
*[[川崎市/川崎区]]
#外国人観光客から重宝されていた。
#2016年のダイヤ改正の前までは、阪伊乙特急との併結運転を行っていたが、ダイヤ改正後は、単独運転になっていた。
#22600系電車はさらに増備されていた。


[[川崎市/幸区]]
==京阪電気鉄道==
===京阪特急が○○だったら===
====最初からテレビカーが無かったら====
#京阪は今より地味になっていた。
#*京阪特急はロングシート主体で土日のみの運転だった。
#**テレビカーがなくてもクロスシートの特急は史実通り運行され続けるはず。そうでもしないと自分から顧客を手放すという自殺行為になるだろうし。
#***ダブルデッカーの導入はおそらく史実通り。
#テレビカーといえば京成。
#*あるいは富山地方鉄道。
#**地鉄のテレビカーは京阪3000系の譲渡が前提だから、京阪のテレビカーがなかったら地鉄にもテレビカーはないだろ。
#*意外と[[西日本鉄道#筑豊電気鉄道の噂|筑豊電鉄]]だったかも。
#**路面電車タイプの車両にテレビがあるのが現実以上に珍しがられていた。
#*意外と名鉄が導入していたかもしれない(パノラマカーの中間車のうち1両に設置)。


[[川崎市/中原区]]
====ダブルデッカーが増結されなかったら====
#8000系はしばらくの間は史実通り7両編成だっただろうが、いずれ全車平屋の8両編成に組み直されていた。
#*場合によっては追加発注もあったかもしれない。
#最初のダブルデッカーが3000系の余剰車を改造して作られた以上、3000系が完全に置き換えられていた可能性も否定できない。
#9000系の特急起用に対する批判はせいぜい固定クロスである事くらいだけだったかもしれない。
#富山地鉄にもダブルデッカーがなかった(京阪旧3000系のダブルデッカーが譲渡されたのがきっかけだったので)。
#完全に乗車券のみで乗車できる2階建て車両といえばクハ415-1901くらいだった。
#座席指定車(プレミアムカー)の登場も史実より早かったかもしれない。


=== 高津区 ===
====もっと昔から座席指定席が連結されていたら====
# かつて東急田園都市線の「二子新地」は「二子新地前」で、[http://www3.atwiki.jp/shinchi/pages/10.html アナウンスが「双子死んじまえ」に聞こえる]と言うことで改名した。
*何やら近い将来導入するという噂がありますが、ここではもっと早くから導入されていた場合について考えます。
#*対岸の二子玉川を「フタコ」と呼ぶ流れがあるが、二子住民にとっては許せない行為。
#新快速や阪急特急に同様の車両が連結されていればあり得た可能性大。
# 実は高津区は「東急多摩田園都市」に入らない。
#*逆に京阪で成功していたら阪急や新快速にも追って同様の車両が導入されていた。
# 南部ほどが川崎的ではないが、かといって北部ほど洗練されているわけでもない微妙な所。
#**関西以外では西鉄の特急にも指定席が導入されていたかも。
# 尻手黒川道路と中原街道の交差点にあるスーパーの入り口では「ペット持ち込み不可」の標識になぜか牛の絵が描かれている。
#テレビカーが2両あった頃は片方が指定席になっていたかもしれない。
# 円筒分水。水騒動の結果、作られた。
#*8000系はテレビカーが指定席車になっていた。
# 津田山には市内で死ぬと必ずお世話になる施設がある。南武線をはさんだ反対側にはその後の住処も完備されていて、桜の名所である。そのさらに奥には、東名高速の工事中に発見された、縄文人の住居跡の原始林があり、森林公園になっている。
#旧型の指定席より新型の自由席に客が流れる恐れがあるので、3000系に8000系を増結する事はなかった可能性が高い。
#*需要に供給が追いつかずカマがパンクしそうになったため、工業地帯のど真ん中にもう一箇所施設を作った。
#*ダブルデッカーの導入に対しても同様の理由で慎重に行われていたかもしれない。
# キヤノン玉川事業所がある。が、矢向に移転するため財政難に陥る直前である。
#*プレミアムカー導入が鴨東線開通と同時期だったら3000系に増結した8000系がプレミアムカーになっていた。
# 溝ノ口駅前のビル「NOCTY」は「のくち」をもじって名付けたということはトップシークレットである。
#*むしろ8000系が指定席になっていた。
#3000系(2代)への連結も一時的に検討されていた。
#*3000系(2代)は急行や準急にも幅広く運用されることから結局は見送られ、3000系など3扉車使用の特急は樟葉以東の停車駅を増やしたうえで準特急に格下げされていた。
#*結局、2020年度内の増結が決まりました。
#3000系の座席番号表示が有効的に使われていた。
#1980~90年代に連結されていた場合、座席が自由席車と同じだったら史実の国鉄における京阪神快速電車のグリーン車や関空特快ウイング号における指定席車と同様、利用が低迷して最終的には廃止されていた可能性もある。
#8000系以降の特急車には便所・洗面所や飲料の自動販売機が設けられていた。
#指定席車(プレミアムカー)に客を誘導させるため、8000系以降の自由席車は3ドア車で製造され、史実の2代目3000系のような2列-1列のセミクロスシート(車端はロングシート)になっていた。


=== 宮前区 ===
====1980年代のうちに現在の停車駅になっていたら====
# 鷺沼には東京じゃないのに「東京メトロ」半蔵門線の車庫がある。
*現実には2000年に中書島・丹波橋が、2003年に枚方市・樟葉停車が追加されましたが、もっと早くからこれらの駅に停車していたら?
#* 昔は東急の車庫だったのを売っぱらった。大井町線のねぐらが今もあり、端はそこだけ馬鹿高い高架橋になっている。その下には川でもないのに鉄橋がある。
#8000系は現実と異なり3扉両開きで登場していた。
# 宮前平には、有名企業のトップが多数住んでいる。
#*現実の阪急9300系のような車両となっていた。
# 芸能人もそこそこ住んでいるらしい。
#ダブルデッカーは導入されず、テレビカーも現実より早く廃止されていた。
# 警察署が宮前平駅からガケみたいな坂を越えないと行けない場所にある。好立地である。
#*8000系登場の時点でテレビカーが廃止されていたかも。
#* 暴漢に襲われたら、坂を越えられずに死んでしまう恐れあり。
#9000系や3000系(2代)は登場しなかった。
# 土橋(つちはし)と言う地名を、“どばし”と言われることがよくある。
#阪急京都線特急も早いうちに途中停車駅が増えていた。
# 宮前平には、小さい町のわりには、キャバクラがある。
 
# 故・鷺沼プール六角プールは六角ではなかった。
====8000系登場当初からダブルデッカーが連結されていたら====
#*鷺沼プールの厳しさは尋常じゃなかったらしい。
*現実には1997年に行われた8連化の時にダブルデッカーが連結されました。
#*六角プールに入れることが大人への第1歩だった。
#旧3000系増結用に作られたT車もダブルデッカーとして製造されていた。
# アバコスタジオにはヨン様が来たことがある。
#鴨東線開業の目玉になっていた。
# 小台公園の桜は結構有名!
#*当初は旧3000系も混在していたが、現実以上に8000系を待つ客が多かった。
# マキダイ(EXILE)hitomiは隣の中学だ。
#8000系はブルーリボン賞は無理としてもローレル賞は獲れていたかも。
# GreenHillsの紅茶は実はリプトンのTeaBagを破いてほぐしたものだ。
#特急8連化の際にはダブルデッカーがもう1両追加されていた。
# 東名川崎インターがある。だが川崎と言うには無理がある気がする。しかも駅から遠いのにそこだけ商業施設が密集している。
#旧3000系はリニューアルされずに1995年の時点で全廃になっていたかも。
# 東名の東京料金所もある。
#*京阪特急にダブルデッカーが導入されたのは旧3000系リニューアルがきっかけだったため。
# 市立宮崎中学校は評判が良い
#*その場合、富山地方鉄道にダブルデッカーが導入されることもなかった。
=== 多摩区 ===
#**逆に富山地鉄・大井川鐵道以外に旧3000系が譲渡されていた可能性もある。
# [http://www.taromuseum.jp/ 岡本太郎美術館]があることが全く知られていない。市民すら知らない。
#テレビカーは現実よりも早く廃止されていたかも。
# TBS生田スタジオ
#*その場合、遅くとも地デジ移行の時に廃止されていた。
#* 風雲たけし城跡
#同じく料金不要の2階建て車両であるクハ415-1901の影が薄くなっていた。
#*↑それはTBS緑山スタジオ。生田スタジオはTBSでなく日テレ。
#3000系(2代)にもダブルデッカーが連結されていたかもしれない。
# [http://www.geocities.jp/uramashu/ 向ヶ丘遊園]があった。2002年3月31日に廃園。合掌。
#*8000系のダブルデッカー車の側扉を両開きにしたような感じの車両で、平屋部分は最初からロングシートになっていた。
#* 遊園地がなくなっても最寄の駅は「向ヶ丘遊園」のままである。
#プレミアムカーはダブルデッカーの改造で誕生したかもしれない。
#** 向ヶ丘遊園駅周辺を歩いているのは半分以上大学生である。
 
#** 大学生の間では通称「ユウエン」である。
==阪急電鉄==
#* モノレールもあったが故障して長期運休の末に廃止され、橋脚も撤去された。その前は豆汽車が地上を走っていたらしい。
===特急が○○だったら===
#* 実は「向ケ丘」の地名は高津区で、読みも「むかいがおか」だったりする。
====京都線特急の停車駅が20世紀のうちに現在と同じなっていたら====
#**5区時代は向ヶ丘遊園は高津区だった。宮前区・麻生区が分区されたときに便乗で多摩区に移管された。
1970年大阪万博期間中は淡路、茨木市に臨時停車していたことがありました。(現実では茨木市駅は2001年、淡路駅は2007年に停車)
# 小田急線の”読売ランド前駅”があるが、[http://www.yomiuriland.co.jp/ よみうりランド]自体は東京都[[稲城市]]にある。ややこしい。
#6300系はなかった。
#*新百合ヶ丘からも行ける。よみうりランド
#*6300系は神宝線の6000系がベースの3扉クロスシート車になっていた。場合によっては特急格下げ車を除くと日本初の3扉転換クロスシート車となり[[国鉄117系電車]]を始め他社の車両に大きな影響を与えていた。
# 生田緑地と日本民家園
#**117系は現実と異なり3扉車になっていたかもしれない。
#*謎の慰霊碑が建っているが、昭和46年に関東ローム層の崩壊実験に失敗し、15人が亡くなった惨事の時のものである。
#大宮駅の特急通過が早まったかもしれない。
# 藤子・F・不二雄が亡くなるまで住んでいた。
#快速特急新設が早まった。
=== 麻生区 ===
#神戸線特急の停車駅も増えていたかも。
# [[町田]]を挟んだ「飛び地」(岡上)がある。
#*宝塚線特急は日生エクスプレスしか設定されなかった。
#* たまに崖崩れのニュースで新聞に出てくる。
#京阪特急の停車駅増加も現実より早かった。
#「あそーく」と読まれるとキレる。
#*[[京阪8000系電車|京阪8000系]]は3扉転換クロスシート車として登場していた。
#*どうでもいい。
 
# 隣は多摩ニュータウン、もはや川崎ではない。
====宝塚線の特急が2003年8月に廃止されなかったら====
# 王禅寺には原子力の研究施設があった。
史実では、1995年6月のダイヤ改正で、宝塚線に特急が設定され、2003年8月に廃止されました。もし、続けていたら…
# [[新百合ヶ丘]]のほうが有名。
#山本駅に待避線が設けられていた。
#*たまに、JR川崎駅の巨大モニターに各区の名所(たとえば岡本太郎美術館、等々力陸上競技場)を紹介する映像が流れるが、麻生区は新百合ヶ丘駅前しか紹介してくれない。
#2015年3月に設定された通勤特急は「特急」となっていたかもしれない。
[[Category:日本の市|かわさき]]
#*それとも、通勤特急は雲雀丘花屋敷発着になっていたかもしれない。
[[Category:政令指定都市|かわさき]]
#曽根新線(曽根~神崎川)が開業していたら、確実にあり得た。
[[Category:神奈川|かわさき]]
 
===急行が○○だったら===
====京都線の急行が2007年3月に廃止されなかったら====
史実では、2007年3月のダイヤ改正で、急行は廃止されました。
#新大阪線(淡路~新大阪~十三)が開業していたらあり得た。
#2013年12月or2019年1月のダイヤ改正で通勤特急が淡路駅に停車していたかもしれない。
#2001年3月のダイヤ改正で快速が南茨木に停車し、現行の急行が急行のままで快速急行が新設されることはなかった可能性が高い。
#*その場合、2010年3月のダイヤ改正で快速急行が新設された。その場合、現在の快速が急行になっていた。
#*むしろ、現在の快速が急行として史実よりも早く登場していた可能性もあった。
 
===京とれいんが有料列車だったら===
座席番号が割り振られている
#料金は他路線を参考に400~500円程度になっていた。
#京阪でも「洛楽」あたりが全席有料になってもおかしくなかったか。
#種車は6300系だけ使われていた。
#さすがに通勤客相手に平日の朝夕に運行されることはなかった。
 
==南海電気鉄道==
===特急が○○だったら===
====自由席特急が史実よりも早く廃止されていたら====
史実では、2012年4月に廃止されました。
#1992年7月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
#無論、10000系電車の10001F~10003Fが中間車として、改造されることはなかった。
#*全編成に中間車が製造された。
#全車座席指定車が運行されていたのは史実通り。
#*2012年4月までに運行されていた。
#12000系電車の登場は史実通り。
#*2010年代に遅れていた可能性も(8300系ベースで)。
#50000系も「サザン」の一部に入っていたかも(臨時増発や代走では)。
 
===1985年以降も南紀直通列車を運転していたら===
#1985年の急行「きのくに」の電車化及び特急「くろしお」への格上げに伴い、国鉄から余剰となった485系を購入していた。
#*ただし交流機器は撤去。
#その後485系の381系への置き換えに伴い、381系が南海への乗り入れができない(381系は車長が21.3mある)ことから、独自で振り子車両を開発していた。
#*ズームカーorラピートど同一規格になる。
#*南海も車体長がJRより長いから、なんとかなりそうな気がしないでもない。
#なにわ筋線開業後にはどうなるのやら・・・。
#JR後になってついに名古屋まで延長し夢の特急化、名前は非電化区間を中心に走る「南紀」と区別するために「ワイドビューきのくに」に。
#電車化や特急格上げで残るも、バブル崩壊後の不況や阪和道延伸によるマイカー・バスへの転移、さらにはダイヤ調整をめぐるJR西日本との対立などもあり、21世紀に入る頃には直通列車は廃止される。
#*JRとこじれにこじれた結果、かつての白浜急行バスよろしく和歌山バスと共同で大阪~白浜の高速バスが走る。ただし明光バスは相互無視。
#*下にあるように関空特急を巡る競合関係もあるから、関空開港と287系導入辺りが白紙化のヤマになりそう。
#関西空港開港時に関西空港-白浜間にラピートが運転されるも、どこかで廃止になっている。
#*それ以外にもイベント列車として南海難波~白浜・新宮にラピートの車両を使った臨時特急が設定されていた。
#橋本駅を介して高野線とJR和歌山線の直通も検討されるようになっていた。
#*南海難波~JR五条・粉河、JR京都・新大阪・和歌山~高野山といった列車が運行されていただろう。近鉄と協力して高野山と吉野を結ぶ列車も運行されていたかも。
 
===特急『サザン』が一般車を併結して関西空港に乗り入れていたら===
#ラピートはαのみの運用になっていた。
#*ラピートβは存在しなかった。
#12000系の増備が忠実より早まっていた。
#*12000系の指定席車が4両、一般車が6両となり、南海本線での10両運転化も実現していた。
#*12000系の本数は泉北ライナー用も相まって現実よりかなり本数が増えていた。
#空港急行は現実程、増えなかった。
 
==阪神電気鉄道==
===もし、近鉄に直通する有料特急を走らせていたら===
#どんな理由であれ甲子園駅には停車させていた。
#*無料特急と異なり阪急からの乗り換え客狙いで今津停車と西宮通過をしていた。
#停車駅は大阪難波、ドーム前、西九条、尼崎、甲子園、今津、芦屋、神戸三宮に絞っていた。
#名阪特急「ひのとり」に使われる80000系は阪神乗り入れ仕様となり、前面貫通型になっていた。
#*一部列車が神戸三宮発着になっていた。
 
==山陽電気鉄道==
===神戸高速鉄道開業の時点で直通特急を運転開始していたら===
#神戸高速鉄道開業と同時に山陽電鉄線の特急停車駅は6両編成対応にホームを延伸していた。
#阪神梅田~山陽姫路の他、阪急梅田~山陽姫路の直通特急も設定されていた。
#*阪急梅田発着系統はラッシュ時においては阪急三宮(現・阪急神戸三宮)駅で2~4両増結・解放していた。
#*しかしその後阪急は神戸線を8両編成に統一するため乗り入れを新開地まで短縮、その分阪神側が直通特急を増発する。
#車両に関しては直通当初は阪急は2000・3000系・5000系、阪神は3501形以降の赤胴車、山陽は3000系を運用していた。
#*阪急線内の高速運転に対応するため、山陽3000系は現実よりも高性能になっていた。
#神戸高速鉄道開業当初から阪急・阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代していた。
#*1984年に起こった六甲駅での阪急と山陽の衝突事故はなかった。
#阪急神戸・宝塚線の建築・車両限界は神戸高速鉄道開業の時点で拡大されていた。
#*5100・5300系以降は阪急全線共通の車両規格で製造されていた。
#国鉄時代は新快速が不便だったので、大阪~明石・姫路を阪神・阪急・山陽で移動する人も多かった。
#*山陽直通用は扉間転換クロスシート・トイレ付きの車両となっていた。また、停車駅をさらに減らした快速特急(山陽区間内は明石・高砂・飾磨のみ停車)も運転されていた。
 
===なんば線直通の快速急行が山陽電車線内に運行されたら?===
#ホームの関係で直通特急などが止まる駅を一部通過していたかも。
#*一部駅では近鉄車両20m6両に対応出来るホームが作られていた。
#**阪神神戸三宮駅1・3番線の可動式ホーム柵も近鉄20m車と阪神18m車の双方に対応できるものとなっていた。
#*阪神と同じく千鳥停車になっていたかも。
#難波方面や奈良方面に直接、行かれるので現実よりはJRに利用客移転が少なかった。
#*山陽姫路駅や明石駅は乗降人員3万人突破は普通にあり得た。
#山陽5000/6000系が奈良に、近鉄9820系などが姫路にいるという光景が見られたに違いない。
#須磨浦公園までに乗り入れていたら、阪神特急と同様に西代~須磨浦公園間は各駅に停車していた。
#阪神元町駅も神戸三宮駅と同様にリニューアルが行われていた。
#高速神戸・新開地両駅で近鉄車と阪急車の並びを見ることができた。
 
===1981年に阪神本線直通特急を運転開始していたら===
#[[Wikipedia:ja:神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア'81]]開催が運転開始のきっかけだった。
#*当初阪神側は3501形以降の赤胴車が運用された。
#*山陽3050系(仮、3000系ベース、阪神直通対応、6連固定は転換クロスシート装備)が1977年に登場し3000系の新製は3058Fで打ち切られた。
#**'80年代以降導入車はアルミ車体に変更。
#***むしろ3100系か5000系を名乗っていただろう。
#***マイナーチェンジも兼ねる意味で5000系になっていた。
#***史実の5000系はこれを基本とし6000系になっていた(史実の6000系は7000系を名乗る)。
#*阪神8000系の登場も早まった(当初から山陽直通対応)。
#**当然のことながら転換クロスシート装備となっている。
#*急行の設定も同時になくなった。
#*本線の特急停車駅ホーム6両分延長は直通特急運転開始までに実施された。
#*近鉄5200系以前に3扉転換クロスシート車が登場していた。
#**名鉄5300・5700系・西鉄8000形・京阪8000系・西武4000系・京急2100形は3扉車になっていたかも。
#この時点で阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代開始していた。
#*阪急側の乗り入れは同時に新開地まで短縮、'84年の六甲事故はなかった。
#*同時期に阪急保有の山陽株が阪神に譲渡され、のちに山陽は阪神の子会社になっていたかも。
#**阪神は[[神姫バス]]の持株を増やしていた。
#[[国鉄117系電車|国鉄の117系]]導入が阪神・山陽直通特急運行開始への対抗とされた。
#*網干線への対抗も兼ねて117系導入完了後に網干発着の新快速(姫路以西は各駅停車)を運転開始していた。
#**のちに網干発着で大阪方面へ向かう普通・快速の多くは新快速になっていた。
#*新快速全列車の姫路延伸が早まっていた。
#1985年には阪神タイガースの日本一を祝うイベント列車が運行されていた。
#*確実に赤胴車と山陽6連に優勝記念ヘッドマークが装着された。
#*阪神5500・9000系以前に黄色の電車が存在したかも。
 
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2021年2月18日 (木) 10:00時点における版

近畿日本鉄道

近鉄特急が○○だったら

列車愛称が廃止されなかったら

  1. 名阪特急(名古屋~大阪)は「すずか」。
    • 甲特急はそのまま「アーバンライナー」になる気がする。
  2. 阪伊特急(大阪~伊勢志摩)は「いせ」。
    • 23000系の場合は「伊勢志摩ライナーいせ」。
      • 寧ろ「いすず」の名前が残ってそうな予感。流石に神風は特攻隊を連想させるから無理だろうけど。
  3. 名伊特急(名古屋~伊勢志摩)は「しま」。
    • 23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしま」。
      • 「かつらぎ」の名称がこっちに流れてきたりして。
  4. 京伊特急(京都~伊勢志摩)は「しんじゅ」。
    • あるいは「いすず」。
      • 阪伊特急が「いすず」を名乗り、代わりに「いせ」がこっちに流れてきたかもしれない。
    • 23000系の場合は「伊勢志摩ライナーしんじゅ」。
  5. 京橿特急(京都~橿原神宮前)は「あすか」。
  6. 京奈特急(京都~奈良)は「やまと」。
  7. 阪奈特急(大阪~奈良)は「かすが」。
  8. 吉野特急(大阪~吉野)は「よしの」。
    • 新車登場を機に「さくらライナー」が新設。
  9. 今はなき阪京特急(大阪~西大寺~京都)は「みやこ」。
    • やはり廃止された湯の山特急(大阪・名古屋・四日市~湯の山温泉)は「ございしょ」になっていた。
    • これまたなき奈伊特急は…「しんと」?
  10. 50000系使用列車も上記伊勢志摩ライナーのように「しまかぜ・いせ」「しまかぜ・しんじゅ」などを名乗っていた。
    • さすがに「しまかぜ・しま」は語感が悪いので別の名称になっていた可能性が高い。
    • 場合によっては「ミュースカイ」や「スカイライナー」のように「しまかぜ」が特急とは別の種別となっていた。
      • 「青の交響曲」は運行区間が限られているので恐らくそのまま。
  11. 天理臨は「てんり」にでもなってたのだろうか。
  12. 阪伊・名伊甲特急に限り「パールズ」がそのまま使われていた可能性も。

阪神・山陽乗り入れが実現していたら

  • 近鉄側はやりたいらしいが阪神・山陽側が乗り入れに消極的らしい。
  1. 山陽姫路発賢島行きというロングラン列車が誕生する。
  2. 阪神・山陽の特急という種別は変更させられる。
    • あるいは運賃だけで乗れる特急はそのままで、近鉄直通の有料特急は「近鉄特急」「指定特急」として区別されるかも。
  3. 観光特急しまかぜは阪神・山陽乗り入れも考慮されていたのでビスタカーはなかったかも。
  4. 関西大手私鉄で有料列車がないのは阪急だけになる。
  5. 近鉄に19m車の特急車両が登場していたかもしれない。
  6. 近鉄名古屋~山陽姫路間という私鉄最長距離列車が誕生。
  7. 実際、神戸三宮駅の2番線以外にホーム柵が設置されることになるので、それの調整も必要。

名阪ノンストップ特急が史実(2012年)以前に廃止していたら

近鉄の名阪ノンストップ特急は東海道新幹線開通後利用客が激減し、一時は廃止まで検討されていたほどです。もし名阪ノンストップ特急が本当に廃止されていたら・・・

  1. 「アーバンライナー」は誕生しなかった。
  2. 近鉄特急の看板は今も伊勢志摩特急。
    • 近鉄特急のフルモデルチェンジは「伊勢志摩ライナー」で行われていた。
  3. 名阪間における近鉄のシェアは現実より低くなっていた。
    • それでも1970年代半ばの国鉄の運賃50%値上げ後は近鉄の方が運賃+特急料金が安くなるので、安くいきたい人は近鉄を利用するようになる。
  4. 伊勢中川駅の短絡線は存在しない。
  5. 名阪間の高速バスがもっと栄えている。
    • 名神高速のバス停は現実より多い。

現在でも日中に京伊特急が運行されていたら

  1. 外国人観光客から重宝されていた。
  2. 2016年のダイヤ改正の前までは、阪伊乙特急との併結運転を行っていたが、ダイヤ改正後は、単独運転になっていた。
  3. 22600系電車はさらに増備されていた。

京阪電気鉄道

京阪特急が○○だったら

最初からテレビカーが無かったら

  1. 京阪は今より地味になっていた。
    • 京阪特急はロングシート主体で土日のみの運転だった。
      • テレビカーがなくてもクロスシートの特急は史実通り運行され続けるはず。そうでもしないと自分から顧客を手放すという自殺行為になるだろうし。
        • ダブルデッカーの導入はおそらく史実通り。
  2. テレビカーといえば京成。
    • あるいは富山地方鉄道。
      • 地鉄のテレビカーは京阪3000系の譲渡が前提だから、京阪のテレビカーがなかったら地鉄にもテレビカーはないだろ。
    • 意外と筑豊電鉄だったかも。
      • 路面電車タイプの車両にテレビがあるのが現実以上に珍しがられていた。
    • 意外と名鉄が導入していたかもしれない(パノラマカーの中間車のうち1両に設置)。

ダブルデッカーが増結されなかったら

  1. 8000系はしばらくの間は史実通り7両編成だっただろうが、いずれ全車平屋の8両編成に組み直されていた。
    • 場合によっては追加発注もあったかもしれない。
  2. 最初のダブルデッカーが3000系の余剰車を改造して作られた以上、3000系が完全に置き換えられていた可能性も否定できない。
  3. 9000系の特急起用に対する批判はせいぜい固定クロスである事くらいだけだったかもしれない。
  4. 富山地鉄にもダブルデッカーがなかった(京阪旧3000系のダブルデッカーが譲渡されたのがきっかけだったので)。
  5. 完全に乗車券のみで乗車できる2階建て車両といえばクハ415-1901くらいだった。
  6. 座席指定車(プレミアムカー)の登場も史実より早かったかもしれない。

もっと昔から座席指定席が連結されていたら

  • 何やら近い将来導入するという噂がありますが、ここではもっと早くから導入されていた場合について考えます。
  1. 新快速や阪急特急に同様の車両が連結されていればあり得た可能性大。
    • 逆に京阪で成功していたら阪急や新快速にも追って同様の車両が導入されていた。
      • 関西以外では西鉄の特急にも指定席が導入されていたかも。
  2. テレビカーが2両あった頃は片方が指定席になっていたかもしれない。
    • 8000系はテレビカーが指定席車になっていた。
  3. 旧型の指定席より新型の自由席に客が流れる恐れがあるので、3000系に8000系を増結する事はなかった可能性が高い。
    • ダブルデッカーの導入に対しても同様の理由で慎重に行われていたかもしれない。
    • プレミアムカー導入が鴨東線開通と同時期だったら3000系に増結した8000系がプレミアムカーになっていた。
    • むしろ8000系が指定席になっていた。
  4. 3000系(2代)への連結も一時的に検討されていた。
    • 3000系(2代)は急行や準急にも幅広く運用されることから結局は見送られ、3000系など3扉車使用の特急は樟葉以東の停車駅を増やしたうえで準特急に格下げされていた。
    • 結局、2020年度内の増結が決まりました。
  5. 3000系の座席番号表示が有効的に使われていた。
  6. 1980~90年代に連結されていた場合、座席が自由席車と同じだったら史実の国鉄における京阪神快速電車のグリーン車や関空特快ウイング号における指定席車と同様、利用が低迷して最終的には廃止されていた可能性もある。
  7. 8000系以降の特急車には便所・洗面所や飲料の自動販売機が設けられていた。
  8. 指定席車(プレミアムカー)に客を誘導させるため、8000系以降の自由席車は3ドア車で製造され、史実の2代目3000系のような2列-1列のセミクロスシート(車端はロングシート)になっていた。

1980年代のうちに現在の停車駅になっていたら

  • 現実には2000年に中書島・丹波橋が、2003年に枚方市・樟葉停車が追加されましたが、もっと早くからこれらの駅に停車していたら?
  1. 8000系は現実と異なり3扉両開きで登場していた。
    • 現実の阪急9300系のような車両となっていた。
  2. ダブルデッカーは導入されず、テレビカーも現実より早く廃止されていた。
    • 8000系登場の時点でテレビカーが廃止されていたかも。
  3. 9000系や3000系(2代)は登場しなかった。
  4. 阪急京都線特急も早いうちに途中停車駅が増えていた。

8000系登場当初からダブルデッカーが連結されていたら

  • 現実には1997年に行われた8連化の時にダブルデッカーが連結されました。
  1. 旧3000系増結用に作られたT車もダブルデッカーとして製造されていた。
  2. 鴨東線開業の目玉になっていた。
    • 当初は旧3000系も混在していたが、現実以上に8000系を待つ客が多かった。
  3. 8000系はブルーリボン賞は無理としてもローレル賞は獲れていたかも。
  4. 特急8連化の際にはダブルデッカーがもう1両追加されていた。
  5. 旧3000系はリニューアルされずに1995年の時点で全廃になっていたかも。
    • 京阪特急にダブルデッカーが導入されたのは旧3000系リニューアルがきっかけだったため。
    • その場合、富山地方鉄道にダブルデッカーが導入されることもなかった。
      • 逆に富山地鉄・大井川鐵道以外に旧3000系が譲渡されていた可能性もある。
  6. テレビカーは現実よりも早く廃止されていたかも。
    • その場合、遅くとも地デジ移行の時に廃止されていた。
  7. 同じく料金不要の2階建て車両であるクハ415-1901の影が薄くなっていた。
  8. 3000系(2代)にもダブルデッカーが連結されていたかもしれない。
    • 8000系のダブルデッカー車の側扉を両開きにしたような感じの車両で、平屋部分は最初からロングシートになっていた。
  9. プレミアムカーはダブルデッカーの改造で誕生したかもしれない。

阪急電鉄

特急が○○だったら

京都線特急の停車駅が20世紀のうちに現在と同じなっていたら

1970年大阪万博期間中は淡路、茨木市に臨時停車していたことがありました。(現実では茨木市駅は2001年、淡路駅は2007年に停車)

  1. 6300系はなかった。
    • 6300系は神宝線の6000系がベースの3扉クロスシート車になっていた。場合によっては特急格下げ車を除くと日本初の3扉転換クロスシート車となり国鉄117系電車を始め他社の車両に大きな影響を与えていた。
      • 117系は現実と異なり3扉車になっていたかもしれない。
  2. 大宮駅の特急通過が早まったかもしれない。
  3. 快速特急新設が早まった。
  4. 神戸線特急の停車駅も増えていたかも。
    • 宝塚線特急は日生エクスプレスしか設定されなかった。
  5. 京阪特急の停車駅増加も現実より早かった。
    • 京阪8000系は3扉転換クロスシート車として登場していた。

宝塚線の特急が2003年8月に廃止されなかったら

史実では、1995年6月のダイヤ改正で、宝塚線に特急が設定され、2003年8月に廃止されました。もし、続けていたら…

  1. 山本駅に待避線が設けられていた。
  2. 2015年3月に設定された通勤特急は「特急」となっていたかもしれない。
    • それとも、通勤特急は雲雀丘花屋敷発着になっていたかもしれない。
  3. 曽根新線(曽根~神崎川)が開業していたら、確実にあり得た。

急行が○○だったら

京都線の急行が2007年3月に廃止されなかったら

史実では、2007年3月のダイヤ改正で、急行は廃止されました。

  1. 新大阪線(淡路~新大阪~十三)が開業していたらあり得た。
  2. 2013年12月or2019年1月のダイヤ改正で通勤特急が淡路駅に停車していたかもしれない。
  3. 2001年3月のダイヤ改正で快速が南茨木に停車し、現行の急行が急行のままで快速急行が新設されることはなかった可能性が高い。
    • その場合、2010年3月のダイヤ改正で快速急行が新設された。その場合、現在の快速が急行になっていた。
    • むしろ、現在の快速が急行として史実よりも早く登場していた可能性もあった。

京とれいんが有料列車だったら

座席番号が割り振られている

  1. 料金は他路線を参考に400~500円程度になっていた。
  2. 京阪でも「洛楽」あたりが全席有料になってもおかしくなかったか。
  3. 種車は6300系だけ使われていた。
  4. さすがに通勤客相手に平日の朝夕に運行されることはなかった。

南海電気鉄道

特急が○○だったら

自由席特急が史実よりも早く廃止されていたら

史実では、2012年4月に廃止されました。

  1. 1992年7月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
  2. 無論、10000系電車の10001F~10003Fが中間車として、改造されることはなかった。
    • 全編成に中間車が製造された。
  3. 全車座席指定車が運行されていたのは史実通り。
    • 2012年4月までに運行されていた。
  4. 12000系電車の登場は史実通り。
    • 2010年代に遅れていた可能性も(8300系ベースで)。
  5. 50000系も「サザン」の一部に入っていたかも(臨時増発や代走では)。

1985年以降も南紀直通列車を運転していたら

  1. 1985年の急行「きのくに」の電車化及び特急「くろしお」への格上げに伴い、国鉄から余剰となった485系を購入していた。
    • ただし交流機器は撤去。
  2. その後485系の381系への置き換えに伴い、381系が南海への乗り入れができない(381系は車長が21.3mある)ことから、独自で振り子車両を開発していた。
    • ズームカーorラピートど同一規格になる。
    • 南海も車体長がJRより長いから、なんとかなりそうな気がしないでもない。
  3. なにわ筋線開業後にはどうなるのやら・・・。
  4. JR後になってついに名古屋まで延長し夢の特急化、名前は非電化区間を中心に走る「南紀」と区別するために「ワイドビューきのくに」に。
  5. 電車化や特急格上げで残るも、バブル崩壊後の不況や阪和道延伸によるマイカー・バスへの転移、さらにはダイヤ調整をめぐるJR西日本との対立などもあり、21世紀に入る頃には直通列車は廃止される。
    • JRとこじれにこじれた結果、かつての白浜急行バスよろしく和歌山バスと共同で大阪~白浜の高速バスが走る。ただし明光バスは相互無視。
    • 下にあるように関空特急を巡る競合関係もあるから、関空開港と287系導入辺りが白紙化のヤマになりそう。
  6. 関西空港開港時に関西空港-白浜間にラピートが運転されるも、どこかで廃止になっている。
    • それ以外にもイベント列車として南海難波~白浜・新宮にラピートの車両を使った臨時特急が設定されていた。
  7. 橋本駅を介して高野線とJR和歌山線の直通も検討されるようになっていた。
    • 南海難波~JR五条・粉河、JR京都・新大阪・和歌山~高野山といった列車が運行されていただろう。近鉄と協力して高野山と吉野を結ぶ列車も運行されていたかも。

特急『サザン』が一般車を併結して関西空港に乗り入れていたら

  1. ラピートはαのみの運用になっていた。
    • ラピートβは存在しなかった。
  2. 12000系の増備が忠実より早まっていた。
    • 12000系の指定席車が4両、一般車が6両となり、南海本線での10両運転化も実現していた。
    • 12000系の本数は泉北ライナー用も相まって現実よりかなり本数が増えていた。
  3. 空港急行は現実程、増えなかった。

阪神電気鉄道

もし、近鉄に直通する有料特急を走らせていたら

  1. どんな理由であれ甲子園駅には停車させていた。
    • 無料特急と異なり阪急からの乗り換え客狙いで今津停車と西宮通過をしていた。
  2. 停車駅は大阪難波、ドーム前、西九条、尼崎、甲子園、今津、芦屋、神戸三宮に絞っていた。
  3. 名阪特急「ひのとり」に使われる80000系は阪神乗り入れ仕様となり、前面貫通型になっていた。
    • 一部列車が神戸三宮発着になっていた。

山陽電気鉄道

神戸高速鉄道開業の時点で直通特急を運転開始していたら

  1. 神戸高速鉄道開業と同時に山陽電鉄線の特急停車駅は6両編成対応にホームを延伸していた。
  2. 阪神梅田~山陽姫路の他、阪急梅田~山陽姫路の直通特急も設定されていた。
    • 阪急梅田発着系統はラッシュ時においては阪急三宮(現・阪急神戸三宮)駅で2~4両増結・解放していた。
    • しかしその後阪急は神戸線を8両編成に統一するため乗り入れを新開地まで短縮、その分阪神側が直通特急を増発する。
  3. 車両に関しては直通当初は阪急は2000・3000系・5000系、阪神は3501形以降の赤胴車、山陽は3000系を運用していた。
    • 阪急線内の高速運転に対応するため、山陽3000系は現実よりも高性能になっていた。
  4. 神戸高速鉄道開業当初から阪急・阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代していた。
    • 1984年に起こった六甲駅での阪急と山陽の衝突事故はなかった。
  5. 阪急神戸・宝塚線の建築・車両限界は神戸高速鉄道開業の時点で拡大されていた。
    • 5100・5300系以降は阪急全線共通の車両規格で製造されていた。
  6. 国鉄時代は新快速が不便だったので、大阪~明石・姫路を阪神・阪急・山陽で移動する人も多かった。
    • 山陽直通用は扉間転換クロスシート・トイレ付きの車両となっていた。また、停車駅をさらに減らした快速特急(山陽区間内は明石・高砂・飾磨のみ停車)も運転されていた。

なんば線直通の快速急行が山陽電車線内に運行されたら?

  1. ホームの関係で直通特急などが止まる駅を一部通過していたかも。
    • 一部駅では近鉄車両20m6両に対応出来るホームが作られていた。
      • 阪神神戸三宮駅1・3番線の可動式ホーム柵も近鉄20m車と阪神18m車の双方に対応できるものとなっていた。
    • 阪神と同じく千鳥停車になっていたかも。
  2. 難波方面や奈良方面に直接、行かれるので現実よりはJRに利用客移転が少なかった。
    • 山陽姫路駅や明石駅は乗降人員3万人突破は普通にあり得た。
  3. 山陽5000/6000系が奈良に、近鉄9820系などが姫路にいるという光景が見られたに違いない。
  4. 須磨浦公園までに乗り入れていたら、阪神特急と同様に西代~須磨浦公園間は各駅に停車していた。
  5. 阪神元町駅も神戸三宮駅と同様にリニューアルが行われていた。
  6. 高速神戸・新開地両駅で近鉄車と阪急車の並びを見ることができた。

1981年に阪神本線直通特急を運転開始していたら

  1. ポートピア'81開催が運転開始のきっかけだった。
    • 当初阪神側は3501形以降の赤胴車が運用された。
    • 山陽3050系(仮、3000系ベース、阪神直通対応、6連固定は転換クロスシート装備)が1977年に登場し3000系の新製は3058Fで打ち切られた。
      • '80年代以降導入車はアルミ車体に変更。
        • むしろ3100系か5000系を名乗っていただろう。
        • マイナーチェンジも兼ねる意味で5000系になっていた。
        • 史実の5000系はこれを基本とし6000系になっていた(史実の6000系は7000系を名乗る)。
    • 阪神8000系の登場も早まった(当初から山陽直通対応)。
      • 当然のことながら転換クロスシート装備となっている。
    • 急行の設定も同時になくなった。
    • 本線の特急停車駅ホーム6両分延長は直通特急運転開始までに実施された。
    • 近鉄5200系以前に3扉転換クロスシート車が登場していた。
      • 名鉄5300・5700系・西鉄8000形・京阪8000系・西武4000系・京急2100形は3扉車になっていたかも。
  2. この時点で阪神と山陽の乗務員は高速神戸で交代開始していた。
    • 阪急側の乗り入れは同時に新開地まで短縮、'84年の六甲事故はなかった。
    • 同時期に阪急保有の山陽株が阪神に譲渡され、のちに山陽は阪神の子会社になっていたかも。
  3. 国鉄の117系導入が阪神・山陽直通特急運行開始への対抗とされた。
    • 網干線への対抗も兼ねて117系導入完了後に網干発着の新快速(姫路以西は各駅停車)を運転開始していた。
      • のちに網干発着で大阪方面へ向かう普通・快速の多くは新快速になっていた。
    • 新快速全列車の姫路延伸が早まっていた。
  4. 1985年には阪神タイガースの日本一を祝うイベント列車が運行されていた。
    • 確実に赤胴車と山陽6連に優勝記念ヘッドマークが装着された。
    • 阪神5500・9000系以前に黄色の電車が存在したかも。