「もしあの国鉄路線が廃止されていなかったら」の版間の差分
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#*松島海岸駅への利便性も向上していた。よって、観光路線としても名を馳せていた。 | #*松島海岸駅への利便性も向上していた。よって、観光路線としても名を馳せていた。 | ||
#*[[東日本旅客鉄道|<span style='color:#fefffe;background-color:#080;'>JR東日本]]が継承していたらあり得たかも。 | #*[[東日本旅客鉄道|<span style='color:#fefffe;background-color:#080;'>JR東日本]]が継承していたらあり得たかも。 | ||
#* | #*それでも貨物部分は大幅に縮小される。 | ||
===気仙沼線(柳津-気仙沼間)・大船渡線(気仙沼-盛間)=== | ===気仙沼線(柳津-気仙沼間)・大船渡線(気仙沼-盛間)=== |
2022年1月14日 (金) 23:34時点における版
北海道
東日本
下河原線
東京競馬場前 | ||||
とうきょうけいばじょうまえ | ||||
北府中 | ||||
Kita Fuchu | Tokyo Keibajomae |
- 今でも都心から競馬場への列車を運転している。
- 元中央線の201系で運転されていた。
- 競馬輸送時のみE233系が入線。
- 基本的に青梅線・五日市線と共通運用が組まれる。
- 京王が、JRに対抗して、競馬開催日に新宿から競馬場線に乗り入れる臨時特急を運行する。(実史は「臨時急行」が運行されている。)
- 競馬輸送時のみE233系が入線。
- 東京競馬場前駅は府中本町駅に統合される。
- 府中本町・下河原より先の関戸(せいせき)・多摩ニュータウン・町田方面へ延伸されていた可能性も。
- 国分寺から北府中の間だけが残り、後は武蔵野線に飲み込まれる。
- 西国分寺駅がその代わり設置されない。
- ほとんど連絡線のようになっているかも。
魚沼線
- 来迎寺になぜ急行「きたぐに」が止まるのかを誰も疑問に感じない。
- 特急「しらゆき」も停車していた。
- もし西小千谷から小千谷まで延伸していたのなら、関東から上越線経由で北陸に抜ける列車はこっちを通っていただろう。
- 北越北線(北越急行)建設の機運が高まらなかった。
- しかし魚沼線に北越急行ほどの短絡効果はないので逆に北陸新幹線開業が早まったかもしれない。
- 上越新幹線開業が視野に入った頃、電化・軌道強化される。
- 浦佐が新幹線による北陸連絡の拠点駅になっていた。
- 「はくたか」が一旦廃止されず浦佐~富山・金沢の連絡特急として再出発していた。
- 北越北線(北越急行)建設の機運が高まらなかった。
- 越後交通の路線になっていたかも。
弥彦線(東三条-越後長沢間)
- 廃止が決まることがなかったら弥彦線は全線電化されていた。
- 終着駅が燕三条駅になっていた列車も運行されていた。
- 越後長沢発燕三条行になっていた。
- 燕三条駅が複線化されていた。
- ワンマン運転がもっと早く始まっていた。
- 観光列車の運転もされていた。
赤谷線
- 羽越本線の直通ディーゼルが走っている。
- 水原周りの車両とは共通運用で新津~東赤谷という列車も存在する。
- 学校があるときは増発される。
- 中学校前仮乗降場が駅に南新発田に改称され駅に昇格される。
- 白新線に乗り入れ新潟まで直通運転される。
- 羽越線開通記念SLが赤谷まで乗り入れていた。
- パワーの強いディーゼルカーが導入され、東赤谷が移動してスイッチバックが廃止された。
- キハ52が最後まで運用され、その後キハE120に置き換えられていた。
日中線
- 温泉ブームで結構賑わっている。磐越西線からの直通列車も。
- 増発も行われ、日中も普通に運行。
- もとの目的からすると会津線直通のほうがありそう。
- キハ8500のAIZUマウントエクスプレスも鬼怒川温泉(あるいは下今市)-熱塩の運転となっている(会津線が三セク化された場合)。国鉄会津線のままなら会津高原-熱塩のキハ52系快速列車だろう。
- 日本のみならず中国でも知られるようになり、日中から観光客が訪れるだろう。
大畑線
- 下北交通として残っているが、経営破たんして結局JRが買収。
- 下北駅の「最北端」が撤去されて大畑駅に持っていかれる。
- きらきらみちのくが大畑まで走っている。
- 大間まで延伸されている。
- いや、函館まで伸びている。
- それは無い、道内区間は、「戸井線」で開通する。
- そして大間~戸井に大戸航路ができる。
信越本線(横川-軽井沢間)
横川 | ||||
よこかわ | ||||
西松井田 | 軽井沢 | |||
Nishi Matsuida | Yokokawa | Karuizawa |
- 軽井沢~横川間が廃止にならないのでしなの鉄道は、存在しなかった。
- 碓氷鉄道文化村もあったかどうか怪しい。
- あったとしてもEF63の体験運転はできなくなる。
- むしろこの路線もしなの鉄道管轄になっていた。
- EF63の整備費で財政が悪化するためしなの鉄道での管理は厳しかったのではなかろうか。
- 碓氷鉄道文化村もあったかどうか怪しい。
- 長野方面からの電車は軽井沢で、高崎からの電車は横川で折り返しになっていた。
- この区間を走る電車はすべてこの1駅区間のみでの運転になり、事実上の観光路線となっていた。
- 箱根登山鉄道のような、強力モーターを搭載した短編成の専用車両が投入された。
- 「釜めし電車」として和風の意匠を施すとか。
- 史実の碓氷鉄道文化むらの列車同様、丸山駅と熊ノ平駅が観光用に新設・復活する事になる。
- 流石に1区間ピストンは乗り換えで不便だろうし、2時間間隔で高崎~軽井沢間往復辺りが無難か。
- 嵯峨野観光鉄道のようにJRの子会社が運行する形になっていたかも。
- 箱根登山鉄道のような、強力モーターを搭載した短編成の専用車両が投入された。
- 無論夜行特急「北陸」などの長距離列車や貨物列車は上越線経由に変更。
- この区間を走る電車はすべてこの1駅区間のみでの運転になり、事実上の観光路線となっていた。
- EF63形電気機関車の後継車として、EH200形電気機関車を採用。
川俣線
- 福島交通か阿武隈急行に経営譲渡が打診されていた。
- 震災以降、避難民の増加で交通渋滞が慢性化しており川俣町の避難民の足として意外と需要が伸びる。
- 通学生・高齢利用者のため福島乗り入れ便が設定される。
- 移管などで乗り入れが叶わない場合は松川駅の川俣線→東北本線ホーム間のバリアフリー化が進む。
- マイカーに対抗するには飯野~金谷川の短絡線建設と川俣旧市街への乗り入れが必要と思われる。
白棚線
- 国鉄時代に上野~白河~磐城棚倉という臨時急行が設定される。
- 東北本線内は「ばんだい」などの臨時急行と併結。
- 線内は鈍行。
- 水郡線内併結という形で郡山からの直通列車が設定されていた。
- 水郡線が新車両に移行する中、依然キハ110を使用。
- これにより直通運転も中止。
- 福島県内でいち早く三セク化が検討されていた。
- 同じ読みの某横綱に絡めて宣伝が行われる。
- 福島県内にその横綱の後援会が発足して「福島ゆかりの」元栃東涙目。
- 国産の高速路線バス用車両のテスト走行ができないため、東名高速バスは当初アメリカ製の車両を使っていた。
- 東北新幹線が白河駅に停車していれば、アクセス路線として少なくとも3セク路線として存続していた。
- 磐城西郷駅だと白河にスイッチバックになり所要時間が伸びてしまうため。
- 戦後の復活案では磐城西郷(新白河)で接続する構想だったから、東北新幹線側は変わらなかっただろう。
東北本線(東京-上野間)
東北新幹線東京延伸により廃止され、2015年3月に上野東京ラインの名称で復活しますが、もし廃止されなかったら?
- 上野~御徒町が日本一の最混雑区間になることはなかった。
- 最混雑区間は新宿~代々木か神田~東京あたりになっていたか?
- そこは中央線が並走しているからおそらく可能性は低い。京浜東北線は大井町→品川、「山手線」とするなら強いていうなら高田馬場→新大久保とか?
- 最混雑区間は新宿~代々木か神田~東京あたりになっていたか?
- 東海道線と東北線・高崎線の直通は国鉄時代から行われていた。
- 湘南新宿ラインは存在しなかったか、本数が少なかった。
- 南側は品鶴~横須賀線直通に限られていたかも知れない。
- 東京発着列車は基本的に両線とも東京折り返し、東海道線と東北線・高崎線を直通する列車は湘南新宿ラインという棲み分けになっていた可能性も。
- 東北・高崎線の池袋乗り入れと同時(1988年)に現在のような運転系統(北行 島田〜熱海〜東京〜黒磯・前橋、南行 黒磯・前橋〜東京〜熱海〜静岡)に設定されていた可能性が高い。
- 少なくとも東北・高崎線にグリーン車が設定される2004年までは品川までの運転だったのでは。113系や田町の211系は直通には使えないし。
- 常磐線の直通は2004年まではよくて特急のみ。快速線の乗り入れはE231系に統一以降、中電の乗り入れはE531系に統一以降に開始される。
- 少なくとも東北・高崎線にグリーン車が設定される2004年までは品川までの運転だったのでは。113系や田町の211系は直通には使えないし。
- 湘南新宿ラインは存在しなかったか、本数が少なかった。
- 2008年ごろまで大阪発東京経由仙台行きの寝台列車が設定されていたかもしれない。
- 関東は深夜に通過するため東京駅を含めて東京都内に停車せず、「東京飛ばし」が有名になっていた。
- それは大阪発の列車だけで仙台発の列車は都内を0時台に通るため、東京駅にも客扱い停車していた。サンライズ出雲・瀬戸が上りのみ大阪に停車するのと同じような感じで、仙台発の列車は東京→大阪を移動するビジネスマンにも多く愛用されていた。
- 場合によっては「銀河」が史実より早く廃止されていた。
- それは大阪発の列車だけで仙台発の列車は都内を0時台に通るため、東京駅にも客扱い停車していた。サンライズ出雲・瀬戸が上りのみ大阪に停車するのと同じような感じで、仙台発の列車は東京→大阪を移動するビジネスマンにも多く愛用されていた。
- ちなみに川島令三が大阪発湘南新宿ライン経由仙台行きを提唱している。
- 北斗星とカシオペアが品川始発になっていたかもしれない。あけぼのなどはおそらく史実通り上野発。
- 尾久ではなく品川で整備を行ってから9・10番線に入線していたと思われる。
- 逆に九州ブルートレインが尾久での整備になっていた。
- 尾久ではなく品川で整備を行ってから9・10番線に入線していたと思われる。
- 関東は深夜に通過するため東京駅を含めて東京都内に停車せず、「東京飛ばし」が有名になっていた。
- ≒東北・上越新幹線の起点は現在でも上野のまま。
- もしくはそのまま地下に潜り続けて東京駅に至っていた。
- あるいは新幹線のほうが高高架
- 中央線のホームが高架化される事もなかったかもしれない。
- あるいは新宿に乗り入れていたかも。そこから品川に延伸されていたかもしれない。
- もしくはそのまま地下に潜り続けて東京駅に至っていた。
- 現実には直通列車の本数は昭和48年の撤去時まで限られていたので、国鉄末に貨物・長距離列車の大削減が行われた頃から本格的に中距離電車の直通が始まったと推測。
- そして夜間には貨物列車もわずかながら未だに通っていた可能性が。
- 「湘南新宿ライン」「上野東京ライン」という名前が付かなかった可能性がある。
- 「中央・総武緩行線」「総武・横須賀快速線」や「京浜東北線」の流れでJR化後に部分的に「高崎・宇都宮・東海道快速線」と案内されていたかも。
- 史実以上に「新宿経由」「東京経由」「上野経由」と言う案内が多用される。
武蔵野競技場線
史実では1951~59年の8年間だけ存在していました。
- 一部の中央線各駅停車が直通運転している。
- 中間に2箇所ほど駅が設けられている。
- 距離的に多くても1個の気がする。
- 武蔵野競技場が無くなった時点で案内上の路線名が中央線に統一されていた。
- 「西武が買収して多摩川線と直通させる」という根も葉もない噂が度々出てくる。
- 武蔵野グリーンパーク野球場跡地を国鉄が買収し,武蔵野電車区を建設しようと動く。実現した場合豊田電車区と武蔵小金井電車区は規模が小さいか,建設されない。中野-三鷹間の複々線化が完了した時点で(ほぼ)中央快速線用の電車区に。この人らが「武蔵野電車区の入出庫線」と呼ぶ。
長野原線(長野原-太子間)
廃止時は吾妻線だが、ここは運行休止時の長野原線、起点も廃止時点の長野原の旧名で
- 草津町からの要望で、太子~草津温泉間が延長される。
- 延長時点で電化される。
- 急行「草津」は上野~草津温泉間の運行になる。
- とは言え史実通り万座・鹿沢口行きの列車もあると思われる。但し「草津」を名乗っているかは不明。
- 長野原駅の駅名変更はなかった。
蒲蒲連絡線(国鉄蒲田-稲荷橋間)
羽田空港への貨物輸送用として、国鉄蒲田駅から現在の京急空港線の上り線を撤去し、代わりに羽田空港まで狭軌線路を敷設されていたらしいが、もしこれが廃止されなかったら?
- さすがに単線のままだと京急からクレームがつくのでいずれにしろ京急側は再複線化されている。
- 国鉄の路線になるものの羽田空港の沖合移転まで線内折り返し列車しか運行されていない。
- 東急の池上線と多摩川線をこの路線に乗り入れさせる計画が上がるも頓挫。
- 蒲蒲線計画は存在しない。
- 東京方面から直接乗り入れられるように線路が付け替えられていた。
- 蒲田要塞の構造が史実以上に複雑になっていた。
- 特に京急とJRの交差地点の設計がかなり難航していた。
- 阪急淡路駅同様、2階にJR、3・4階に京急という構造になっていた。
- 東京モノレールはJR東日本の関連会社にならなかった。
五日市線(岩井支線)
- 貨物輸送廃止後に武蔵岩井駅を改装するが、場所柄秘境駅のような雰囲気になる。
- 武蔵岩井駅が整備されれば、イオンモール日の出へのバスはここから発着してた。
- それでも、武蔵五日市駅は移動できないのでスイッチバックは解消されないだろう。
- 今でも201系が走っている。
- 寧ろ103系→205系1000番台になってそう。
相模線(寒川支線)
- どちらにしろ相模線と同時に電化される。
- 205系4両では輸送力過剰であるため101系か103系が2両に短縮されて投入されていたかもしれない。
- のちに205系1000番台によって置き換え。
- 205系4両では輸送力過剰であるため101系か103系が2両に短縮されて投入されていたかもしれない。
- 茅ヶ崎乗り入れは廃止されていた。
- 勝手に相鉄いずみ野線平塚延伸に、当支線を相鉄が買収して利用する案が提案されていた。
須賀線
- 北王子線から分岐して現在の豊島5丁目近辺まで線路が引かれていた。貨物線だったが1950年代に旅客化の構想もあったらしい。
- 途中駅が1~2個設置されたうえで旅客化されていた。
- 王子寄りにあれば扱い上は北王子駅の旅客化(但し北王子線の駅と位置は異なる)という事になっていた。
- 南北線の王子神谷駅の駅名が史実と異なっていたかもしれない。
- 今は205系が2両で行ったり来たりしている。
- それ以前も101系や103系が短編成化されて投入されていた。
- 横須賀線との混同防止の為に新たに別の愛称が用意されていた。
南武線(貨物支線)
- 延長+旅客化は前提。
- 六郷川橋梁辺りまで伸ばして東海道本線と接続、中央本線の優等列車を品川・東京へ流す役目として活躍。
- 優等列車は特急も急行も基本的に立川から品川までノンストップ。
- 国鉄末期ごろに「アルプス」辺りが府中本町にも停車するようになる。JRになってから武蔵小杉も追加。
- 優等列車は特急も急行も基本的に立川から品川までノンストップ。
- 羽田空港まで延長するのが理想形だが東京・横浜両方から直通できないしなぁ…
- 六郷川橋梁辺りまで伸ばして東海道本線と接続、中央本線の優等列車を品川・東京へ流す役目として活躍。
- それでも川崎河岸駅の旅客化はされなかったと見られる。
塩釜線
- 仙石東北ラインは塩釜線経由案が浮上していた。
気仙沼線(柳津-気仙沼間)・大船渡線(気仙沼-盛間)
東日本大震災で不通となった沿岸区間はBRTに移行され、2020年に鉄道事業廃止が決まった。
- 山田線宮古~釜石間同様三陸鉄道に移管されただろう。
- 三陸鉄道リアス線は柳津~久慈の256.7kmの日本最長の第3セクター路線になる。
- あるいは気仙沼か陸前矢作を境に宮城県内は別会社になったか。
- 2019年に三陸鉄道全線復興を記念し、仙台~八戸間に気仙沼線・三陸鉄道リアス線・八戸線経由の臨時列車が運転された。
- 快速「南三陸」の運行が再開していた。
東海
清水港線
みほ | ||
三保 | ||
Miho | ||
おりど Orido |
(静岡市清水区) |
- 再び増便を行い、地域輸送に役立てようとしていた。
- 場合によっては電化されて静岡駅乗り入れも行われていた。
- 清水駅で方向転換が必要なため同駅での接続改善が限界では。
- 場合によっては電化されて静岡駅乗り入れも行われていた。
- 清水区内のトラックによる渋滞は問題とはならなかった。
- 静鉄清水港線になっていた。
- 清水乗り入れを廃止して新清水乗り入れ。それに伴って新清水駅を拡張→新清水~三保になってた。
- 三保松原の観光に役立った。
- 2013年6月の(三保松原のエリアを含んだ)「富士山」世界文化遺産正式登録決定時には、多くの観光客で活況を呈する。もしかしたら、静岡駅から週末を中心に臨時列車が運行される。
- 実際に三保駅跡地から世界遺産に含まれる御穂神社までは歩ける距離。
- 富山港線→富山ライトレールのようにLRT化されていた。
- その際に東海大学海洋科学博物館方面への延伸も検討される。
神岡線
- 今も残存している。
- 濃硫酸の貨物列車が名古屋や稲沢や富山まで直通している。
- 茂住駅に「スーパーカミオカンデ入口」の副名称がつき、外国語の案内板が立てられる。
飯田線西豊川支線
- かつては旅客化されていましたが現在は日本車輌の基地引込線になっています。
- 線路は剥がされていないので、今からでも復活可能。
- 廃止時は戦後復興途上状態だったが、現在は旧西豊川駅から徒歩圏内にイオン豊川店があり、市街化している。
- 西豊川からは日本車両で製造された車両の甲種輸送を見ることができる。
- 西豊川駅までは豊川駅発着列車を延長運転する形で運行された。
- 西豊川以遠(日車専用線)は朝夕時に工員専用列車が豊川駅折り返しで設定される。
西日本
四国
小松島線
こまつしま | |||
小松島 | |||
Komatsushima | |||
◄ | ちゅうでん Chuden |
► | |
(徳島県小松島市) |
- 既に「国鉄・JRで最も短い鉄道路線」の座は宮崎空港線に譲っている。
- 大幅に短縮された新湊線(貨物線)にも並ばれて2位タイになっている。
- 南海フェリーは現在でも小松島港発着。
- 明石海峡大橋開通までは特急うずしおや特急剣山が小松島港駅まで乗り入れていた。
- 阪神淡路大震災の際には、近畿~中国・九州間を移動する人が殺到し、えらい事になっていたかも…。
- 勿論「剣山」は小松島港発高知行。
- 明石海峡大橋開通後には2000形が導入され、さらなるスピードアップが行われていた。
- 明石大橋開通後も特急剣山は小松島港発着で残される。
- 南海難波駅から四国各地への連絡切符が発売されている。
- 小松島港から関西国際空港への航路が運航されていた可能性もある。
- 四国各地から関西空港へのアクセスとして利用されていた。
- 高速バスに対抗して次世代形のフェリーが導入されていた。
- それも高速1000円政策で結局挫折。
- 明石海峡大橋開通までは特急うずしおや特急剣山が小松島港駅まで乗り入れていた。
- 小松島駅の車両基地が健在なので、徳島駅の高架事業がスムーズに進む。
- 現実では車両基地の移転場所を巡ってあーだこーだ議論になっているので。
- 既に2008年位には徳島駅高架が完成していたかもしれない。
- 小松島の車両基地には、50系客車に代わって1000型や1500型が。
- 地蔵橋駅の行き違い設備が撤去される事はなかった。
- 撤去されるどころか、文化の森駅にも行き違い設備が新設される。
- 小松島駅は建替えられ、橋上駅舎に。駅北側(新港・北浜側)からも駅構内へ入れる様に改良されていた。
- 徳島駅高架後は車両基地へ戻る列車も走る様になる為、牟岐線の徳島~中田間の各停は15分間隔位での運転になっていた。
- 1時間に4本運転で、2本は阿南・牟岐行、残りの2本は小松島行に。
- 牟岐線中田以南が「阿佐海岸鉄道」になっていた。
- 徳島~小松島間が南海電車に売却されていた可能性もある。
- 売却された場合、南海の手によって同区間の電化が行われていた。
- 走るのは勿論、本州側から船で運ばれてきた南海の車両。
- 各駅にはスルッとKANSAIやPiTaPaの使える自動改札機も導入されていた。
- 当然南海フェリーにもスル関、PiTaPaで乗れる様になっていた。
- 売却された場合、南海の手によって同区間の電化が行われていた。
- その場合DMVは導入されていなかった。
- 徳島~小松島間が南海電車に売却されていた可能性もある。
- 小松島市中心部は現実ほどには衰退しなかった。
- 小松島駅前に某ビジネスホテルが出来ていたかもしれない。
- 南海電鉄も現実ほどには凋落しなかった。
- 今でもなんば発和歌山港行の特急が頻繁に走っている。
- 00年代始め位には、サザンの後継車両も登場していた。
- 明石海峡大橋開通以降は利用客の激減は避けられない。よって後継車両の登場は現実と変わらない。
- 00年代始め位には、サザンの後継車両も登場していた。
- 走ルンですの導入など当然ありえない。
- 今でもなんば発和歌山港行の特急が頻繁に走っている。
- 現実ほど、徳島~京阪神間の移動が高速バス一辺倒にはなっていなかった。
- 明石海峡大橋開通以降は利用客が半分以下に激減、さらには高速1000円政策実施後はそのあおりを受けて廃線の危機に立たされる。
九州
筑肥線(博多 - 姪浜)
ここでは地下鉄乗り入れ後も残った場合を想定。もし筑肥線が福岡市地下鉄と直通運転を行わなかったらの場合はこちら。
- 地下鉄七隈線のルートが変わっていたかも。
- 立体交差化していた。
- 現在でも周船寺駅 - 筑前簑島駅は特定都区市内制度における「福岡市内」エリアに含まれていた。
- この区間も直流電化していた。
- 電化時には地下鉄に乗り入れない列車のために各地からお古の地下鉄乗り入れ非対応の103系がやってきた。
- 姪浜駅にはJR博多発着列車用に0番線が設けられていた。国鉄時代は非電化だったがJR化後に交流電化され、その後は福北ゆたか線と直通運転を行っていた。
- 303系や305系は朝夕のみで日中は103系を見かけることが多い。
- キセル防止の為に姪浜駅に中間改札が設置されていた。
宮田線
- 宮若市にはならなかった。
- 結構にぎわっていたと思う。
- しかしトヨタの社員は車で通うからあまり意味がないかも。
- 筑豊線の快速は勝野にも停車していた。
勝田線
- 電化されていた。
- 短距離路線のためもっぱら415系のロングシート車両で運行される。
- 813系の緑塗装である1050番台が使用(架空)
- JR九州の感覚では本線級でもない限り、電化は微妙なのでむしろ香椎線と車両を共用していた。
- 現在はBEC819系が運用されている。
- ほぼ全列車が博多駅発着になっている。
- 短距離路線のためもっぱら415系のロングシート車両で運行される。
- 通勤路線として発展していた。
- 輸送力増強さえしていれば確実にクロは出ていた。
- もし廃止されずにJRに引き継がれてたら少なくともフリークエントサービスや博多駅への乗り入れは行われていた。
- 宇美駅は香椎線の宇美駅と統合される。
- 吉塚~博多間は勝田線用の線路を含めて複々線化されている。
- 太宰府・二日市まで延長されて博多中心の環状路線となっていた。
- 吉塚~柚須の線路容量不足を解消するため、南里(JR化後新設)以北を福岡空港への新線に付け替え。福岡市地下鉄空港線と相互乗り入れ。
- そのため直流電化される。旧線は、非電化単線のまま残され、筑肥線・地下鉄空港線用乗入用車両の回送ルートとして活用される。
- 福岡空港-南里の新線建設にあたってはJR西日本の東西線と同じく上下分離方式が導入され、新線の建設や線路・施設の所有は「福岡高速鉄道」という第3セクターを設立して行い、列車の運行など実際の運営はJR九州が行っていた。
- イオンや粕屋町の出資で、イオンモール福岡の前にも駅が新設される。
- 駐車場の余力を生かしたパークアンドライドの拠点ともなる。
- 周辺のバス路線について:
- 対博多駅では勝田線と勝負にならないので、博多駅から勝田線沿線を走る32番などは削減される(イオンモール折り返しの30番も設定されない)。
- 対天神に力点を置くため、都市高経由の370番は史実より多い。
- が、減便される。
- 福岡空港や宇美駅・志免駅を拠点としたローカル輸送も、史実より力を入れている。
- 長者原駅が開設されなかった可能性もある
- 御手洗駅が何かとネタにされていた。
- 志免町は市制を施行していた。
矢部線
- 筑後福島駅は八女駅に改称になった。
- 「八女市駅」かも。
- 筑後福島から先は廃止になったかもしれない。
- キハ125形かキハ200系の単行で運行されていた。
- 矢部線の時刻表に掲載されていなかった佐賀行きが正式に佐賀行きとなって時刻表に掲載される。
- 開業○○年記念には、路線名にちなみ「矢部浩之」か「矢部美穂」が来るとか。
- 終点の黒木駅に因んで黒木瞳かもしれない。(ちなみに彼女は黒木町出身)
- もし、矢部浩之が来たら、ついでに日本テレビ系『ぐるナイ』のロケもやってしまうかな…。
- 意外と路線名は「八女線」になっていた可能性も。
- もし「矢部線」のままならば、「矢部まで行かないのに矢部線」という風にテレビで取り上げられるかも。
佐賀線
- 第三セクターに移行していた。
- 西鉄の完全子会社にされていた。
- むしろJR九州と友好関係を樹立。
- 西鉄の完全子会社にされていた。
- キハ125系かキハ200系の単行で運行されていた。
- 矢加部駅に西日本鉄道との乗り換え駅が設置された。
- 勿論駅名は矢加部。
- 新柳川でしょ?
- 勿論駅名は矢加部。
- 筑後柳河駅と筑後大川駅の名前が変わる。
- 佐賀空港の開港が早ければ空港アクセス列車として再生・電化できた。
- 途中のどこかの駅から「佐賀空港線」が分岐していた。
- 九州国際空港として開港していたらこうなれたかも。
- 電化され787系による熊本~長崎間に通勤特急が設定されていた。
- いや,ここは急行「ちくご」の特急格上げでしょう。
- 上記の九州空港が実現していたら確実。
- 反対もむなしく筑後川昇開橋が架け替えられてしまった。
- 三セク化された場合は観光資源としてあえてそのままにされるという可能性はなくはないはず。
宮原線
- 黒川温泉人気で乗客が増えていた。
- 高速バスで直行する客の方が多そうなので乗客増は微々たるものだったと思われる。
- それでもJR九州は観光特急を運行していたかもしれない。
- 高速バスで直行する客の方が多そうなので乗客増は微々たるものだったと思われる。
- もう1つの「町田駅」が現存している。
- 東京都の町田駅発行の切符には「(横)町田」などと印字されていた。
- 小田急は「町田」に改名したのに横浜線はJRになっても「原町田」のまま・・・ってことはさすがにないか。
- 史実でも原町田駅が町田駅に改称したのは宮原線廃止前のはず。宮原線の町田駅と駅名が被るということで改称を渋った国鉄に対し、当時の町田市長は大阪府と福島県のふたつの福島駅を例に挙げ反論した。
- 小田急は「町田」に改名したのに横浜線はJRになっても「原町田」のまま・・・ってことはさすがにないか。
- Wikipediaでの記述は、東京都の駅は「町田駅 (東京都)」と記述されている(実史では、東京の駅は「町田駅」と宮原線の駅は「町田駅 (大分県)」と記述されている)。
- 東京都の町田駅発行の切符には「(横)町田」などと印字されていた。
妻線
- 妻駅が西都駅に改称になった。
- 西都城駅と紛らわしくなるからそれはないかも。
- 今でも切符を買いに来る人がいる。
- 01.のような事態になると来なくなるかも…
- くろうの→妻(苦労の妻)という乗車券が皮肉にも売れているかもしれない。
- 湯前線まで延伸して日肥線完成。
大隅線
- 鹿屋市から鉄道が消えることはなかった。
- 篤姫ブームで訪れる乗客が多かったかもしれない。
- 篤姫の故郷は今和泉(指宿市)だから関係なくないか?
- 鹿屋駅が改築されていた。
- 鹿児島中央からの直通列車が制定され、国分止まりのディーゼル普通列車が垂水(たるみず)まで走ってたかも。
- (直通のため)大隅福山まで電化され、以西は通勤路線となる。
- 「~の~」が付く「特に急がない急行」が運転されていた。
- 日南線の特急「海千山千」がこの路線と日豊本線経由で鹿児島中央まで乗り入れていたかもしれない。
- 桜島への観光需要もあるから、水戸岡氏設計の列車が同線内を通っていたかもしれない。
- 「ばらのまち」に合わせてスカーレット一色の車体に水戸岡デザイン、とかそんな感じだろうか。ネットでは名誉名鉄車両扱いされる。
- モータリゼーションが進行する前に全線開業していたら…。
- 鹿屋市役所の移転先が別場所になる。中心街(谷間)にはまとまった土地がないから、台地上(西原か寿)になったかも。それか、現在だいわがある場所か。
- 移転できなかった場合は、中心街が現実ほど悲惨な状態にはなっていないし、リナシティの建設すらなかったかもしれない。
- 鹿屋市街地のうち西原と寿をスルーしていることには変わりないため、結局はバスに利便性で劣ることになる。
- 鹿屋市や垂水市は人口が減少傾向になることはなかった。
- 金剛寺~国分間に第一工大前駅ができていた。
添田線
- 今も1、2位を争う赤字線。
- ライバルはまだ美幸線。
- おそらく添田行きが全部こっち経由に振り替えとなる。
漆生線
- 今も大赤字線。
- へいちくに経営分離されている。
- 沿線の団地住民をターゲットとした新駅が開業していた。
上山田線
- こっちもへいちくに経営分離されている。
- 飯塚~上山田だけが部分存続した場合は電化されて朝夕は折尾方面からの列車が乗り入れる。
- 非電化だったとしても「DENCHA」が乗り入れとなっているかも。
- (実史で)廃線後に行われているミニトロッコ車両を使ったイベントは行われない。
山野線
- 薩摩大口観光として、「いさぶろう」みたいなやつが走る。
- 沿線の旧菱刈町が金山で有名ということでやけにゴージャスな車両になっていた。
- 水俣で新幹線接続路線となり、一気に幹線になる。
- しかし新水俣駅へはスイッチバック&3セク乗り入れが必要。
- おそらく転換するとしたら宮之城線とセットになるだろう。
宮之城線
- 熊本まで乗り入れている。
- 熊本ではなく鹿児島では?
- 肥薩おれんじ鉄道に経営分離後、花輪線のように八代までの直通列車が運転されている。おれんじ鉄道車の乗り入れもある。
- 肥薩おれんじ鉄道に含まれている可能性も。。。
- 川内から宮之城までは電化されて817系が走っている。
- JR九州の感覚では本線級でもない限り、それは微妙だと思いますが。
- 薩摩永野は真幸駅のようにスイッチバック好きが集まっていたかもしれない。
室木線
- 当然、筑豊線に鞍手駅は設置されなかった。
- 室木駅が山陽新幹線交差部に移転し新幹線接続駅となる。
- 隣接する宮若市に配慮し駅名が「宮若くらて」とかにされるかも?
- トヨタ誘致も叶った場合、社員の便宜を図って室木駅に「ひかり」が停車しちょっとした鉄道不思議になる。
- 宮田線との連絡も叶う。
- 貝島炭鉱跡地を避けるため若干遠回りになる。
- 筑豊線電化と同時に電化される。
- むしろ今やBEC819系が運用されていた。
- 鹿児島線~筑豊線間の乗り入れ直通列車が設定される。
- 特急「かいおう」が室木まで乗り入れる。
- ただし盛り上がるのは室木以南で、以北は国鉄時代よりだいぶマシだが閑散路線となる。
関連項目
- もしあの国鉄路線が全通していたら(未成線のまま廃止・3セクとなった路線はこちら)
- もしあの路面電車が廃止されていなかったら(路面電車についてはこちら)
- もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら(私鉄についてはこちら)