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== | ==日本社会党== | ||
# | #かつて、自民党の宿敵として君臨。1989年には、土井たか子委員長(当時)が率いて、参院選で自民党に大勝したこともあったが・・・。 | ||
#* | #*1993年の総選挙で、新党ブームの煽りを受け、惨敗。その後、よりによってライバルである筈の自民党と手を組む羽目に。 | ||
#* | #**村山首相を誕生させるも、阪神大震災とオウム問題の煽りを受け、短命に終わる。 | ||
# | #***村山首相を誕生させるにあたり、自民党と連立するために自衛隊を違憲から合憲に方針転換したのも痛い。30年以上自民党と対決してたのは何だったの? | ||
# | #*自民党の宿敵として君臨するために、あえて第2党となることで批判するのがウリだったので、自民党が傾きそうなときはあえて社会党の立候補者数を減らしてまで第2党にしていたのだが、出しゃばって政権を取りたくなったのが崩壊の原因。 | ||
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#* | #*旧社会党ビルからも立ち退き、雑居ビルのワンフロアに移転したそうな。 | ||
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#*石原慎太郎率いる太陽の党と合流したが2年ほどで分裂し、その後も党内の親民主党派(後の「民進党」)と分裂し今に至る。 | |||
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# | #所属議員が嫌がらせ行為を多数回(大量のパンフレットを送り付けるなど)行う、党首が[[wikipedia:ja:スラップ訴訟|スラップ訴訟]]を行うなどしている。 | ||
#党首が設立した株式会社の出資金を貸付金として扱っている(詐欺罪の疑いあり)、政党助成金を借金の返済に充てようとする([https://archive.vn/SvWzX 記事後半参照])など、カネがらみの問題も多い。 | |||
#「ホリエモン新党」という、NHK受信料とは全く関係のない団体になってしまった。なお、NHK解体や受信料制度の改定は一切できていない。 | |||
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=== | ==新進党== | ||
#細川・羽田政権の社会党を除く連立政党が反自民というだけで合体してできた政党だった。 | |||
# | #*それゆえ民主党よりリベラル系が少ないのに民主党以上に烏合の衆とかし離党と入党が頻繁に行われるようになる。 | ||
#* | #結果、党首選をやった数日後に分裂。大半が民主党に一部は自民党に流れる。 | ||
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# | #まるでこの指止まれのごとく入党希望者を受け入れてくれる。 | ||
#* | #*かつて民主党にいた人も関係なく。地元の都道府県連はたまったものではない。 | ||
#*まあ安倍晋三が総裁をやっているときに多い。第一次政権の時はあっさり郵政造反組の復党を認めたし。 | |||
#**2020年現在の国対委員長が造反組の一人である。どう捉えるか。 | |||
== | ==革新自由民主党== | ||
# | #保守合同で自民党ができると多くの1958年総選挙で一部の候補者が公認漏れとなった。 | ||
# | #このため自民党公認漏れとなった候補が中心となって急遽結成したのが革新自由民主党。党名だけ見ると革新なのか保守なのか分からないがおそらく保守政党だったのだろう。 | ||
# | #しかし当の自民党が激怒。入党した者は除名、当選しても入党させない方針を示したことで辞退者が続出。 | ||
# | #結局15名を擁立したものの票が全く伸びずほとんどは法定得票未満で全員落選し、そのまま消滅した。 | ||
#落選者は後に自民党から選挙で立候補した人もいた。 | |||
# | |||
[[ | ==日本女性党== | ||
[[ | #中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(中ピ連)代表だった榎美沙子が、1977年参院選に国政進出を目指して結成した政党。 | ||
#「世界初の女性だけの政党」を謳い、男性は入党できなかった。 | |||
#100人擁立すると豪語するが一部の候補者は他党にとられ辞退が相次ぎ何とか確認団体の10人をやっと集めるのが精一杯。 | |||
#しかも肝心の榎美沙子は立候補せず。 | |||
#当初、各候補者は地域にあわせ「榎・東京」といった名称で立候補させようとしたが選管から拒否される。 | |||
#ピンク色のヘルメットをかぶって選挙運動、「内閣や公務員を全員女性にする」とか露骨に女性受けを狙ったマニフェストも有権者から引かれた挙句ふたを開ければ全員が落選・供託金没収。 | |||
#他の女性解放運動家からは「榎のせいで日本の女性解放運動は大きな誤解を受けた」「男性を排除しようというおかしな運動のせいで私達の主張が有権者に伝わらなかった」と厳しく批判され、開票日から二日後に解散した。 | |||
#その後榎は「夫に尽くします」と普通の主婦となり、さらに夫と離婚した後現在どうなっているか誰も知らない。 | |||
==日本愛酢党== | |||
#元は有限会社つかれ酢本舗の社長である長田正松が1980年の参議院選挙に立候補(結果は71位で落選し供託金没収)した際に推薦した団体である「日本愛酢会」。 | |||
#その日本愛酢会を母体として結成されたのが日本愛酢党であり、つかれ酢本舗の社員や販売店の店員などを中心とした10名を比例代表として送り込むも・・・。 | |||
#*全員落選したのは言うまでもない。当然長田含めて供託金は返ってこなかった。 | |||
#元々政見放送でのアピールも「酢の効用のすばらしさ」「酢で不老長寿」「自分の酢の研究はノーベル賞を狙える」といった感じで、申し訳程度に「憲法を守って平和を実現」「薬害の防止」という公約を出した。 | |||
#*のちに長田は書籍で「広告の方法として参議院選挙を利用した」「当選できなかったが広告になった」と公言している。 | |||
#**なお、最初に立候補した際に『宣伝目的の虚偽立候補』で公職選挙法に違反したことで公民権を停止されている。 | |||
#供託金の増額や無料広告を出した場合でも得票率1%未満の場合は負担という感じで泡沫候補に不利な制度改定の契機となったのはこの党の影響が強い。 | |||
#ちなみに今も日本愛酢会は続いており、つかれ酢本舗も株式会社となって今も継続している。 | |||
[[カテゴリ:ざんねんなモノ事典|せいとう]] | |||
[[カテゴリ:政治|さんねんなせいとう]] |
2021年5月19日 (水) 09:59時点における版
日本社会党
- かつて、自民党の宿敵として君臨。1989年には、土井たか子委員長(当時)が率いて、参院選で自民党に大勝したこともあったが・・・。
- 1993年の総選挙で、新党ブームの煽りを受け、惨敗。その後、よりによってライバルである筈の自民党と手を組む羽目に。
- 村山首相を誕生させるも、阪神大震災とオウム問題の煽りを受け、短命に終わる。
- 村山首相を誕生させるにあたり、自民党と連立するために自衛隊を違憲から合憲に方針転換したのも痛い。30年以上自民党と対決してたのは何だったの?
- 村山首相を誕生させるも、阪神大震災とオウム問題の煽りを受け、短命に終わる。
- 自民党の宿敵として君臨するために、あえて第2党となることで批判するのがウリだったので、自民党が傾きそうなときはあえて社会党の立候補者数を減らしてまで第2党にしていたのだが、出しゃばって政権を取りたくなったのが崩壊の原因。
- 1993年の総選挙で、新党ブームの煽りを受け、惨敗。その後、よりによってライバルである筈の自民党と手を組む羽目に。
- 結果、日本社会党はほぼ解体状態、日本社会党の流れをくむ社会民主党は2015年以降選挙のたびに党の成立要件を満たすか満たさないかの戦いを強いられることになる。
- 旧社会党ビルからも立ち退き、雑居ビルのワンフロアに移転したそうな。
- 社会党の衰退は支持母体となっていた労働組合の衰退も大きい。
- 国鉄分割民営化がそのきっかけだった。
- よく、分裂すること数知れず。
- 社会民主連合(社民連)や民主社会党(民社党)は、元々社会党から分裂したものである。
- 北朝鮮による日本人拉致問題について、一貫して「あれは捏造である」と主張し続けた。
公明党
- ・・・といえば、なんといっても創価学会。
- テレビ東京の選挙特番で、ネタにされた。
- 選挙の際には、いわゆる「電話攻勢」が恒例行事。
- かつては、日本社会党と日本共産党と共闘したことがある。
- でも、すぐに解散した。
- 一回、解散したことがある。
- 衆議院だけ新進党に合流していた(参議院は「公明」として残していた)。
新自由クラブ
- 1976年に、当時自民党だった河野洋平らが自民党を飛びだして、作った新党。
- しかし、1983年の総選挙で自民党が過半数割れを起こしたら、あっさりと連立した。
- これが、日本初の連立政権となる。
- そして、結成から10年で吸収合併され、自民党の軍門となる。
- 一言でいうと「自民党から離れて、自民党と連立を組んで、自民党に吸収された」政党である。
- しかし、1983年の総選挙で自民党が過半数割れを起こしたら、あっさりと連立した。
民主党
- 自民党に次ぐ第2党になるべく、新党ブームでできた党を中心に結成された。
- 2009年に与党になるも、所詮は寄せ集めで政治はグダグダ、自民党政権に戻ることに。
- その後安倍一強の長期政権を許すことになってしまった。
- 民主党設立の目的が、寄せ集め集団で政権を取ることだったので、与党を取れただけマシと思へ。
- 2014・2019年の消費増税を提案したのも民主党政権。
- その後維新の党と合流し民進党に党名を変えるも、低迷。一部が立憲民主党として分離し、自身は国民民主党と名を変えた。
大阪維新の会・日本維新の会
- 橋下大阪府知事が作った大阪の地域政党。その兄弟分にあたる国政政党。
- やはり大阪ならびに関西の地域政党にしか過ぎない。
- 地方選挙で出馬しても、関西以外では議席を取れない。国政選挙もしかり。
- やはり大阪ならびに関西の地域政党にしか過ぎない。
- ○○維新の会という政党や政治団体が各地にあるが、この両者とは無関係のものもある(例:西宮維新の会)。
- 2度も大規模な分裂を経験している。
- 石原慎太郎率いる太陽の党と合流したが2年ほどで分裂し、その後も党内の親民主党派(後の「民進党」)と分裂し今に至る。
希望の党
- 小池百合子東京都知事が作った国政政党。当時、都政ではイケイケだっただけに国政も行けるかと期待されたが・・・
- 民進党(当時)との合流を巡るすったもんだで、立憲民主党が誕生。
- 小池知事の失言が仇となり、直後の総選挙で大失速。自民党どころか立憲民主党にも敗戦する始末。
- 民進党(当時)との合流を巡るすったもんだで、立憲民主党が誕生。
幸福実現党
- ・・・と言えば、幸福の科学。
- 国政選挙に候補者は出したはいいけど、当選者はいまだに0。
NHKから国民を守る党
- 受信料制度に反発して結党、議席も獲得したが…
- その議席を確保した党首の立花孝志が議席を蹴って他選挙区の補欠選挙に出馬、落選し自らの議席を落とす結果に。
- でも比例繰り上げで1議席は残っているから計画通り。予算委員会での発言権を得たことを考えると、幸運なモノだろう。
- 所属議員が嫌がらせ行為を多数回(大量のパンフレットを送り付けるなど)行う、党首がスラップ訴訟を行うなどしている。
- 党首が設立した株式会社の出資金を貸付金として扱っている(詐欺罪の疑いあり)、政党助成金を借金の返済に充てようとする(記事後半参照)など、カネがらみの問題も多い。
- 「ホリエモン新党」という、NHK受信料とは全く関係のない団体になってしまった。なお、NHK解体や受信料制度の改定は一切できていない。
新進党
- 細川・羽田政権の社会党を除く連立政党が反自民というだけで合体してできた政党だった。
- それゆえ民主党よりリベラル系が少ないのに民主党以上に烏合の衆とかし離党と入党が頻繁に行われるようになる。
- 結果、党首選をやった数日後に分裂。大半が民主党に一部は自民党に流れる。
自由民主党
- まるでこの指止まれのごとく入党希望者を受け入れてくれる。
- かつて民主党にいた人も関係なく。地元の都道府県連はたまったものではない。
- まあ安倍晋三が総裁をやっているときに多い。第一次政権の時はあっさり郵政造反組の復党を認めたし。
- 2020年現在の国対委員長が造反組の一人である。どう捉えるか。
革新自由民主党
- 保守合同で自民党ができると多くの1958年総選挙で一部の候補者が公認漏れとなった。
- このため自民党公認漏れとなった候補が中心となって急遽結成したのが革新自由民主党。党名だけ見ると革新なのか保守なのか分からないがおそらく保守政党だったのだろう。
- しかし当の自民党が激怒。入党した者は除名、当選しても入党させない方針を示したことで辞退者が続出。
- 結局15名を擁立したものの票が全く伸びずほとんどは法定得票未満で全員落選し、そのまま消滅した。
- 落選者は後に自民党から選挙で立候補した人もいた。
日本女性党
- 中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(中ピ連)代表だった榎美沙子が、1977年参院選に国政進出を目指して結成した政党。
- 「世界初の女性だけの政党」を謳い、男性は入党できなかった。
- 100人擁立すると豪語するが一部の候補者は他党にとられ辞退が相次ぎ何とか確認団体の10人をやっと集めるのが精一杯。
- しかも肝心の榎美沙子は立候補せず。
- 当初、各候補者は地域にあわせ「榎・東京」といった名称で立候補させようとしたが選管から拒否される。
- ピンク色のヘルメットをかぶって選挙運動、「内閣や公務員を全員女性にする」とか露骨に女性受けを狙ったマニフェストも有権者から引かれた挙句ふたを開ければ全員が落選・供託金没収。
- 他の女性解放運動家からは「榎のせいで日本の女性解放運動は大きな誤解を受けた」「男性を排除しようというおかしな運動のせいで私達の主張が有権者に伝わらなかった」と厳しく批判され、開票日から二日後に解散した。
- その後榎は「夫に尽くします」と普通の主婦となり、さらに夫と離婚した後現在どうなっているか誰も知らない。
日本愛酢党
- 元は有限会社つかれ酢本舗の社長である長田正松が1980年の参議院選挙に立候補(結果は71位で落選し供託金没収)した際に推薦した団体である「日本愛酢会」。
- その日本愛酢会を母体として結成されたのが日本愛酢党であり、つかれ酢本舗の社員や販売店の店員などを中心とした10名を比例代表として送り込むも・・・。
- 全員落選したのは言うまでもない。当然長田含めて供託金は返ってこなかった。
- 元々政見放送でのアピールも「酢の効用のすばらしさ」「酢で不老長寿」「自分の酢の研究はノーベル賞を狙える」といった感じで、申し訳程度に「憲法を守って平和を実現」「薬害の防止」という公約を出した。
- のちに長田は書籍で「広告の方法として参議院選挙を利用した」「当選できなかったが広告になった」と公言している。
- なお、最初に立候補した際に『宣伝目的の虚偽立候補』で公職選挙法に違反したことで公民権を停止されている。
- のちに長田は書籍で「広告の方法として参議院選挙を利用した」「当選できなかったが広告になった」と公言している。
- 供託金の増額や無料広告を出した場合でも得票率1%未満の場合は負担という感じで泡沫候補に不利な制度改定の契機となったのはこの党の影響が強い。
- ちなみに今も日本愛酢会は続いており、つかれ酢本舗も株式会社となって今も継続している。