もしあの国が今でも存続していたら/アフリカ

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エジプト王国

古代エジプト王朝
  1. ピラミッドの謎が明らかになっていた。
ファーティマ朝
  1. エジプトはシーア派が主流となっていた
    • その為スンナ派が主流派のアラブ諸国とは一線をかくし、イランと友好関係を結ぶ事が多かった
    • アラブ民族主義一編になることも無い
      • 今でも「アラブ民族」と異なる「エジプト民族」という意識が残っていた。
  2. サラディーンは王朝の創始者では無く一宰相
ムハンマド・アリー朝
  1. エジプトはアラブ民族主義一編になる事は無かった
  2. 結局ジャスミン革命でグダグダになり立憲制へ移行していた
  3. スーダンの大部分がこの国の領土になっていたかも知れない(実際一時的に所有していたので)
    • その場合現実の南スーダンがスーダンの国名を名乗っていた

ザンジバル王国

  1. つまり「1964年のザンジバル革命が失敗していた場合」。
    • 革命を主導した者など一部の黒人は対岸のタンガニーカに亡命。
  2. 親欧米路線。
    • アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国とも比較的仲がよかった。
  3. 自国をあまりアフリカの一員とは思っていない。
    • アラブ連盟にも加盟していそう。
      • もともと同じ国だったオマーンとはそれなりに関係を結んでいた。
  4. 現在では脱モノカルチャーを目指しリゾート開発に力を入れている。
  5. チュニジアのジャスミン革命の影響で2011年頃に民主化を求めるデモなどが頻発していた。
  6. 経済力も高く、人口もさほど多くないことから数年で政情も安定してくると思うので、現在はボツワナモーリシャスと並ぶアフリカの優等生になっていた。
    • 一方タンザニーカはアフリカ最貧国レベルだったかも。
  7. かつてザンジバル領だったタンガニーカ沿岸部の領有権を主張する勢力もあった。
  8. イギリスで国歌が演奏されるたびに偽エチオピア皇帝事件でイギリス軍がエチオピア偽皇帝を迎えるときに,エチオピア国歌ではなく、ここの国歌が間違って演奏されたことが4chなどでネタにされそう。もちろんブンガブンガというネタも出されるだろう。
  9. タンガニーカ側は「ザンジバル王室を存続させた上での自国への統合」を掲げている。

ソマリランド国

  • 1960年6月26日にイギリスから独立しましたが、5日後に独立したイタリア領ソマリランド(後のソマリア)と合併して消滅しました。もしこの時、合併では無く並立を選んでいたら。
  1. ソマリアと比較して、経済・政治共に安定している
  2. ジブチと共に、エチオピアの外港やソマリア沖の海賊対策の拠点として活用される
  3. ソマリアとの合併主張もあるものの、国境を変更したくない大国や周辺諸国の思惑もありそのまま存続する。

中央アフリカ帝国

  • 史実ではジャン=ベデル・ボカサ(ボカサ1世)の皇帝即位から僅か2年で崩壊した中央アフリカ帝国ですがもし現在でも続いていたら
  1. 当然今でも最貧国レベルの国
  2. 国際的にも広く君主制と認められるのは最低でもボカサの死後以降になっていた
  3. 世襲制であれな中央アフリカ帝国が存続するので北朝鮮の影が史実より薄くなっていた・・・
    • もしかするとあっちが世襲したのだからともっと早い時期から金正日の権限拡大が起こってたかも
    • 結果一部の独裁国家で世襲制が横行する事に・・・
  4. 「アフリカの北朝鮮」と呼ばれている。

ビアフラ

  1. 要するにビアフラ戦争でイボ族が勝利し国際社会から独立を認められていた場合。
    • 1968年末までには広く独立を承認されていた。
  2. 石油資源と勤勉な国民性を背景にかなり豊かな国になっている。
  3. フォーサイスが『戦争の犬たち』を書くことはなかった。
    • ビアフラ人のために赤道ギニアを乗っ取る計画(失敗)を元にして書いた小説といわれている。
    • 彼は『ジャッカルの日』の印税をビアフラに寄付or投資していた。
  4. 今でもナイジェリアとの間に若干の領土問題を抱えている。
    • 未だにナイジェリアとは緊張関係にある。
  5. ポートハーコートの国際空港は独立時の最高指導者の名をとって「チュクエメカ・オジュク国際空港」と改名された。
  6. 独立戦争の際に援助を受けたことからフランスの友好国になっている。
    • ほとんどフランス語を使っていないと思われるのにフランコフォニー国際機関にも入っている。

リーフ共和国

  1. 独立を維持できたということはリーフ戦争の際にソ連やコミンテルンはもっと本腰を入れて支援していたはず。
    • その後も列強植民地での蜂起を促す戦法が第2次大戦の勃発まで各地で行われていた。
      • アフリカのみならず東南アジアなどでも行っていた。
  2. アフリカ各国の独立運動の拠点として活動家などに重宝された。
  3. 国名が「リーフ人民共和国」になっていたかもしれない。
  4. 後にベルベル人とアラブ人の対立が持ち上がっていた。
  5. 戦後もソ連の影響下にあった場合、ソ連海軍の基地などが建設されていた。
    • 西側諸国からは厄介な存在と見られていた。
  6. ソ連崩壊後はイスラム原理主義勢力が力を増している。
  7. 現在もタンジールは国際管理都市のまま。
  8. セウタ・メリリャの返還を求めるのはこの国。
    • 一方モロッコではリーフ・西サハラを合併を掲げる「大モロッコ主義」が広まっていた。
      • リーフ共和国が西サハラ独立戦争に介入していたかもしれない。
        • おそらくリーフもサハラ・アラブ民主共和国を国家承認していた。

セネガンビア

  1. 地図に食い込みがなくなる。
  2. とりわけ分裂している現状でも両国の関係は極めて良好なので、そんなに変わらないかも。
  3. 公用語は英語とフランス語の両方。

トランスカイ

ムラービト朝

  1. 村人。
  2. 西サハラ問題、帰属はムラービト朝で解決。