「FIFAワールドカップ」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
(記事先頭の改行を除去)
(miraheze版からの移入を含む。)
1行目: 1行目:
{{Pathnav|サッカーの大会}}
{{Pathnav|サッカーの大会}}
==ワールドカップの噂==
==ワールドカップの噂==
#<!--日本で-->ワールドカップと言えば、この大会をさすようになった。
#<!--日本で-->ワールドカップと言えば、この大会をさすようになった。
66行目: 67行目:
#この大会の予選がきっかけで、戦争が勃発してしまった。
#この大会の予選がきっかけで、戦争が勃発してしまった。
#*[[エルサルバドル]]と[[ホンジュラス]]の争い。その名もズバリ「サッカー戦争」。
#*[[エルサルバドル]]と[[ホンジュラス]]の争い。その名もズバリ「サッカー戦争」。
#レッドカードとイエローカードが導入されたのはこの大会から。


===西ドイツ(1974年)===
===西ドイツ(1974年)===
71行目: 73行目:
#ヨハン・クライフが一人だけ[[スポーツメーカー#アディダス|三本線]]ではなく二本線のユニフォームを着ていた。
#ヨハン・クライフが一人だけ[[スポーツメーカー#アディダス|三本線]]ではなく二本線のユニフォームを着ていた。
#*個人でプーマと契約していたため、両社のメンツを潰さないためにとった苦肉の策だったらしい。
#*個人でプーマと契約していたため、両社のメンツを潰さないためにとった苦肉の策だったらしい。
#この大会から開幕戦は開催国ではなく、前回大会の優勝国が出場することに(2002年の日韓大会まで続いた)。
#[[東ドイツ]]・[[ハイチ]]・[[コンゴ民主共和国|ザイール]]・[[オーストラリア]]が初出場。


===アルゼンチン(1978年)===
===アルゼンチン(1978年)===
#アルゼンチンがペルーに大勝したのは、軍事政権がペルーを買収したからという疑惑がある。
#アルゼンチンがペルーに大勝したのは、軍事政権がペルーを買収したからという疑惑がある。
#*そのため、南米では「ワールドカップ史上最も汚い大会」と非難されている。
#クライフは軍事政権の弾圧政策に反対する立場だったこともあり出場せず。
#*しかし後にクライフ本人が「子供が誘拐未遂事件に遭っていた」と明らかにした。
#ジーコ(ブラジル)・ルンメニゲ(西ドイツ)・ロッシ(イタリア)・プラティニ(フランス)が期待の若手として本大会デビューを果たした。
#[[チュニジア]]と[[イラン]]が初出場。


===スペイン(1982年)===
===スペイン(1982年)===
80行目: 89行目:
#*2次リーグが3チームによる総当たりだったことで、奇数チームによる総当たりは不公平だという意見が出て、2次リーグはこの年限りで中止された。
#*2次リーグが3チームによる総当たりだったことで、奇数チームによる総当たりは不公平だという意見が出て、2次リーグはこの年限りで中止された。
#*西ドイツとオーストリアの談合試合は有名。
#*西ドイツとオーストリアの談合試合は有名。
#**開催地の地名から「ヒホンの恥」と呼ばれた。
#ここから出場国が24か国になる。
#ここから出場国が24か国になる。
#開催国のスペインはチーム状態が悪く、1次リーグこそ地元贔屓のジャッジに助けられなんとか突破したが2次リーグで敗退。


===メキシコ(1986年)===
===メキシコ(1986年)===

2021年3月11日 (木) 16:50時点における版

ワールドカップの噂

  1. ワールドカップと言えば、この大会をさすようになった。
  2. オリンピックとならぶ国際スポーツ大会。
    • それだけに、あれやこれやの利権が絡(から)む。
      • 故に、汚職も当たり前に存在していた。
        • 参加国から賄賂を要求するのは当たり前。
    • 1968年にオリンピックを開催したメキシコは、「1970年サッカーワールドカップの予行演習が無事にできた」と正直にしゃべってしまい、IOCのお偉方を怒らせてしまったらしい。
  3. 特に若手選手の品評会でもある。ここでの活躍がスカウトやらの目に留まって海外移籍なんて事も多い。
    • 選手もアピールの為なのか、大会の前後だけ突飛な髪型にしたり、派手な色に染めたりする人がいる。
  4. 中継カメラは試合よりも美女を追う。
  5. 日本製のホイッスルは常連と言ってもよい。
    • 最近はボールも実質日本メーカー製になっている。
      • 公式球は導入以来ずっとアディダスだが、最近のものはモルテンが技術を提供しモルテンの工場で生産されているらしい。
  6. 最も対戦回数の多いカードはブラジル対スウェーデン、ドイツ対セルビア(ユーゴスラビア含む)の計7回。
    • 優勝国同士で最も対戦回数が多いカードはドイツ対アルゼンチンの計6回。

大会別の噂

ウルグアイ(1930年)

  1. 実は日本にも招待状が来ていたが、遠すぎるので辞退した。
    • 船での長旅だったため、有力な欧州各国が多数辞退した。
  2. 3位決定戦が行われなかった。

イタリア(1934年)

  1. ムッソリーニによる圧力に多くのチームが屈することに。
  2. この大会より予選が導入。
  3. この大会と次の大会はトーナメントのみ。

フランス(1938年)

  1. 開催国の予選免除はこの回から導入。
    • 2002年大会まで続いた、前回優勝国枠もこの回からの導入。

ブラジル(1950年)

  1. ブラジルが地元で初優勝目前、引き分けでもおkの最終戦でウルグアイにまさかの逆転負け。リオのマラカナン・スタジアムは悲劇の舞台に。
    • ブラジルがワールドカップで負けると死人が出る、という伝説はここから始まったらしい。
    • 「カナリア軍団」誕生のきっかけになった試合でもある。
  2. 総当たり戦で優勝が決まったW杯は後にも先にもこの時だけ。
  3. 3か国の辞退が出て、グループリーグ突破を2チームだけで争ったグループもあった。

スイス(1954年)

  1. 日本代表が初めて予選参加。
    • ホームでの2試合など、有利なレギュレーションだったが…。
    • ニュース映像などでは「サッカー世界選手権」などと表現されていた。
  2. この大会で韓国代表が初出場したが、ハンガリートルコにボコボコにされてしまった。
    • ちなみにこの時のハンガリーは、「マジック・マジャール」と呼ばれていた黄金時代。
      • ハンガリーはその後決勝まで進んだが、ドイツに2-3で敗れ惜しくも準優勝となった。

スウェーデン(1958年)

  1. 予選でイスラエルが対戦拒否をされ続け、一度は代表となるも、FIFAから問題視されてプレーオフを戦う羽目に。
    • そのプレーオフでは、ウェールズに2試合合計で0-4と惨敗…
  2. イギリス4連盟が勢ぞろいした唯一の大会。
    • 上記のウェールズはこの大会が唯一の出場である。

チリ(1962年)

  1. グループリーグで勝ち点が並んだ場合、それまでのプレーオフから得失点差比較へ移行した。
    • イングランドとアルゼンチンが勝ち点3で並んだグループ4で初適用され、イングランドが決勝トーナメント進出。

イングランド(1966年)

  1. 北朝鮮がベスト8というまさかのサプライズ。
    • そのせいで、イタリアは帰国時に腐ったトマト攻撃を受けた。
    • 当時はAFC/OFC/CAF合計で1つしか出場枠が無かったため、辞退国が多数出て北朝鮮は儲けもの同然だった(最終的に行われたのは北朝鮮VSオーストラリアのみ)

メキシコ(1970年)

  1. この大会の予選がきっかけで、戦争が勃発してしまった。
  2. レッドカードとイエローカードが導入されたのはこの大会から。

西ドイツ(1974年)

  1. ワールドカップのみならず、国際Aマッチ史上唯一の東西ドイツ対決が行われた。
  2. ヨハン・クライフが一人だけ三本線ではなく二本線のユニフォームを着ていた。
    • 個人でプーマと契約していたため、両社のメンツを潰さないためにとった苦肉の策だったらしい。
  3. この大会から開幕戦は開催国ではなく、前回大会の優勝国が出場することに(2002年の日韓大会まで続いた)。
  4. 東ドイツハイチザイールオーストラリアが初出場。

アルゼンチン(1978年)

  1. アルゼンチンがペルーに大勝したのは、軍事政権がペルーを買収したからという疑惑がある。
    • そのため、南米では「ワールドカップ史上最も汚い大会」と非難されている。
  2. クライフは軍事政権の弾圧政策に反対する立場だったこともあり出場せず。
    • しかし後にクライフ本人が「子供が誘拐未遂事件に遭っていた」と明らかにした。
  3. ジーコ(ブラジル)・ルンメニゲ(西ドイツ)・ロッシ(イタリア)・プラティニ(フランス)が期待の若手として本大会デビューを果たした。
  4. チュニジアイランが初出場。

スペイン(1982年)

  1. 誰も予想していなかったイタリアが、まさかの優勝。
    • ダントツの優勝候補だったブラジルは、イタリアにカウンターから3失点をくらって敗退。
    • 2次リーグが3チームによる総当たりだったことで、奇数チームによる総当たりは不公平だという意見が出て、2次リーグはこの年限りで中止された。
    • 西ドイツとオーストリアの談合試合は有名。
      • 開催地の地名から「ヒホンの恥」と呼ばれた。
  2. ここから出場国が24か国になる。
  3. 開催国のスペインはチーム状態が悪く、1次リーグこそ地元贔屓のジャッジに助けられなんとか突破したが2次リーグで敗退。

メキシコ(1986年)

  1. マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ!』
    • ネタ的には「神の手」のほうが、おいしい。
    • この時からアルゼンチンvsイングランドの因縁の対決が始まった。
  2. 日本代表の最終予選。『東京千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいているような気がします。』
  3. 当初はコロンビアで開催される予定だった。
    • しかし、治安や景気の問題でやむなくメキシコに変更となった。
    • そのメキシコも1985年に地震に見舞われて、開催が不安視されていましたが…

イタリア(1990年)

  1. 晩年、引退までジュビロで活躍したイタリア代表のスキラッチが得点王になったのがこの大会。
  2. 天才マルコ・ファン・バステン、前バルサ監督のフランク・ライカールト、フェイエ時代の小野の監督だった「黒いチューリップ」ことルート・フリットの「オランダトリオ」を擁したオランダが奮わなかったのは結構衝撃だった。
    • 結果的にはそのオランダを下した西ドイツが優勝した。
  3. マラドーナの話はある意味禁句。
  4. いつの大会でもそうかもしれないけど、面白い良い選手がたくさんいた。
    • 個人的には、若き日のバッジオ、変態キーパーのイギータ、カメルーンのロジェ・ミラなどなど。
      • ドリブルで上がっていったGKイギータからミラがボールをかっさらって無人のゴールに蹴り込んだ場面がいちばん笑ってしまった。
      • この人、GKのくせに度々PKがFKを自ら買って出ていた。もちろんゴールはほったらかし。そもそもGKでドリブルでハーフウェー突破ってあんた……。
        • ちなみにそのイギータは「最近は面白いGKがいなくなってしまった」。あんたが面白過ぎるんだよ。
  5. この大会のセレソンの約半数は数年後Jリーグでプレーした。(ジョルジーニョ、ドゥンガetc)
  6. 開催国イタリアは強かっただけにベスト4での敗退が悔やまれる。
    • アルゼンチン代表にPK戦で敗れてしまいました。
    • 決勝に行ってれば強いとはいえ、抜群に相性バッチリの西ドイツ。PK戦にさえ持ち込まれなければ地元優勝してただろうな。
    • そしてほくそ笑んでいた西ドイツ。悪役マラドーナ率いるアルゼンチンのおかげでヤケクソとはいえ、イタリア人から正義の味方として決勝では大きな声援を受けることができた。

アメリカ(1994年)

  1. 「サッカー不毛の地」と呼ばれた国での開催だが、大会的には大成功。
    • アメリカ代表チームは何気に強い。ただ人気がないだけ。
      • 世界的に見れば十分強い部類だが、「アメリカは世界一」というアメリカ人の価値観から考えると弱い。
    • ちなみにこの大会終了から2年後、アメリカでもプロのサッカーリーグ「メジャーリーグサッカー」(MLS)が誕生した。
  2. 何しろ「サッカー場」などないので、フットボール場などで試合を行った。
  3. サッカー日本代表にとっては「ドーハの悲劇」の時の大会。
    • ちなみに次回大会の優勝国であるフランスも同じ様な境遇を辿って本大会出場を逃している。日本では「パリの悲劇」とか何とか。
    • 一方、彼らにしてみれば「ドーハの奇跡」。何しろ自力突破がほぼ絶望的な状況だった訳ですから。
    • その韓国は本大会では勝利を挙げられず、またもやグループリーグで敗退。
  4. バッジオのPK失敗で幕を閉じた。
  5. この大会でオウンゴールを決めてしまったコロンビアのディフェンダーがその後に射殺されると言うショッキングな出来事が起こった。
    • エスコバルの悲劇ね。
      • ちなみにコロンビア代表は怖がって誰も国に帰ろうとしなかったが、エスコバルはキャプテンでもあったため、「説明しなければならない」と帰って被害に遭った。
      • これ以来、日本では「自殺点」と言わないようになった。英語では最初から“Own Goal”。訳者のセンスの問題。
  6. マラドーナ、ドーピングに引っかかって追放。本当に話題の尽きない人だなぁw
  7. ジュビロで活躍した現ブラジル代表監督のドゥンガや、ブルガリアの英雄ストイチコフ、悪童ロマーリオなんかが活躍した。
    • どうでも良いんだけど個人的には坊主になる前のヘンリク・ラーション(ドレッド時代[1])が忘れられない。テニスのアンドレ・アガシと同じで。
  8. この大会のブラジル代表は評価が低かった。理由は守備を重視していたことによるものらしい。
  9. 勝利時の勝ち点が3になったのはこの大会から。
  10. イギリス4協会がすべて予選敗退という珍事も。
  11. ロシアのサレンコが1次リーグ敗退ながら得点王。

フランス(1998年)

  1. 出場枠が32に。
  2. そして日本初出場。
    • いきなりアルゼンチン・クロアチアと言った強豪国と当たり、ジャマイカにも破れて3戦全敗。初めはそんなもんです。初めは。
      • グループリーグの組み合わせ抽選結果により、多くの日本人は「ジャマイカには勝てるぞ!」と思ったが、じつはジャマイカ人も「日本にだけは勝てるぞ♪」と思っていたらしい。
    • 記念すべき初ゴールを決めたのはゴンこと中山隊長。ジャマイカ戦。
      • ちなみに試合中に骨折していた事が後から分かったのは有名な話。気付かずにプレーを続けていた。
    • この大会での活躍が認められて中田(英)はペルージャへ旅立った(確か)。
      • あと確かまだ10代だった小野伸二が最後のジャマイカ戦で後半ちょっとだけ出て割と良い動きをしていた記憶がある。
    • 岡ちゃんの「外れるのはカズ、三浦カズ(他2名)」が忘れられない。
    • 日本は2002年のW杯開催が決まっていたが、開催国として初出場、ではかっこ悪いのでそれまでに自力出場する必要があった。そこで予選で韓国にわざと負けてもらったという説がある。
      • その話の真偽はひとまずおいておくにしても、日韓戦の同節に2位を争っていたUAEが組最下位のカザフスタンに負けたことの方が(結果的に)大きかったとは思うけどね。
      • で、当の韓国はまた未勝利でグループリーグ敗退。5回(当時)出てすべてグループリーグ敗退という悲運ぶり…
        • GL初戦のメキシコ戦(リヨン)は先制弾を決めた河錫舟がその直後に一発退場、メキシコの猛反撃を喰らい1-3で逆転負け。
        • 2戦目のオランダ戦(マルセイユ)は0-5の完敗。所謂「夢のスコア」。
        • 3戦目のベルギー戦(パリ)は柳想鐵の同点ゴールで1-1の引き分けに持ち込んだが、結局初勝利を挙げることは出来なかった。
  3. 優勝は自国開催のフランス
    • 決勝でのジダンの2ゴール(何れもヘディング)は鮮烈に残っている。いや深い意味はないけど。
      • この試合、ロナウドが試合前に痙攣を起こしたとかで本調子を出せなかったと言うのも記憶に残っている。結果0-3の完敗。ロスタイムのプティのトドメが更に哀れを誘った。
      • あの時はジダンの髪の毛がたくさんあった、とかいうのは禁句。
    • フランスはジャケ監督の下「カントナ外し」を行ってジダンを中心とした若手主体のチームを作って大成功した。
  4. イングランドvsアルゼンチン戦で当時から注目の選手だったベッカムがシメオネに仕返しして1発退場と言うのも鮮烈な出来事だった。
    • その試合で当時まだ18才だった元祖ワンダーボーイ、マイケル・オーウェンがハーフウェー付近から4~50mの距離をゴール前までスピードで一気に突破、そして決めると言った(vsアルゼンチンだけに)マラドーナも真っ青なスーパーゴールがあった。
    • ベッカムは予選リーグで、元祖ボンバーヘッドのバルデラマ擁するコロンビア戦でもフリーキックを決めたりと活躍してたんだけど、悪い意味で若さが出た。
  5. スコットランドが1次リーグ敗退8度目という不名誉な最多記録を樹立してしまった。

21世紀

FIFAワールドカップ/21世紀

関連項目