「もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら/あ・か行」の版間の差分
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#引退後はそのまま広島の投手コーチに。 | #引退後はそのまま広島の投手コーチに。 | ||
#*2000年代の広島は投壊していなかっただろう。 | #*2000年代の広島は投壊していなかっただろう。 | ||
#*北別府や大野よりまともであれば。ただ巨人時代の経験などを考えると前二人と同じになっていた可能性もある。 | |||
===川崎憲次郎(ヤクルト)=== | ===川崎憲次郎(ヤクルト)=== |
2021年4月18日 (日) 04:37時点における版
- 外国人選手はもしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら/外国人選手で。
- 移籍した年のシーズン終了まで新規追加は行わないでください。
あ行
相川亮二(横浜・ヤクルト)
- 横浜に残留していたら
- 武山細山田論争なんて起きない。
- 横浜が捕手をかき集めることもないので鶴岡一成は巨人に残留していた。
- 市川友也の代わりに日ハムにトレードされていたかも。
- 史実通りFA宣言した場合はヤクルトか阪神が獲得に動いていた。
- 久保康友のFA補償は金銭となっていた。
- 橋本将も横浜には来なかった。
- 第3回WBC日本代表には相川の代わりに嶋基宏が選出されていた。
- 細山田武史は一軍出場がないまま戦力外通告を受けていた。
- 金城と同じく2014年にDeNAから引退勧告&コーチ就任打診→FAで巨人と言う可能性が高い。
- 鶴岡の代わりに久保の人的補償で阪神入りと言う可能性もなくはない。
- ヤクルトに残留していたら
- 奥村展征は2年目以降も巨人でプレーしていた。
- その結果、史実通りだと尾仲祐哉(DeNA→阪神)が史上初のルーキーでの人的補償による移籍となっていた。
- 小林誠司だけじゃままならず、阿部慎之助が早々と捕手復帰していた。
秋山幸二(西武)
秋山幸二は1993年オフに西武からダイエーにトレードされたが、もしこのトレードが無かったら?
- ソフトバンクホークスの監督に就任することはもちろん無かった。
- ライオンズの監督に就任していた可能性も。
- ダイエーは1994年以降もBクラス常連。
- 1994年は勝率5割以下になっていた。
- 1999年の日本一は無かった。
- 四年契約の王はこの年限りで退陣。
- ダイエー本体の経営悪化から、現実より早く球団が売却されていた。
- 工藤・石毛がダイエーに来ることはなかった。
- しかし工藤は球団への問題で移籍していた。
- 2009年のホークス監督は誰に?
- 実績で言えば森脇辺りが妥当なのだろうが、古田などの外部招聘も十分にありえただろう。
- 10年連続、いや12~3年連続で30本以上を達成していたであろう。
- ジャクソン・松井稼・秋山・清原・テストラーデ・鈴木健・垣内・伊東・高木浩と抜け目の無い打線が完成していたであろう。
- 「穴のない打線」では?
- FAで巨人に移籍していた。
- 村田勝喜は90年代末くらいまでダイエーのエースとして君臨し続けた。
- 佐々木誠もホークス一筋で現役生活を終えていた。
- 渡辺智男も史実より長く現役を続けていた。
新井貴浩(広島・阪神)
- 広島に残留し続けていたら
- 赤松は今も阪神に在籍。
- 金本が4番を退いてからは鳥谷あるいはマートンが4番を打つようになっていた。
- 弟の新井良太も阪神に移籍しなかった。
- むしろ良太も広島に移籍し史実通り兄弟で同じチームでプレーしていたかも。
- 場合によっては桜井広大、林威助辺りが史実以上に活躍してて2010年代末まで現役だったかも?
- むしろ良太も広島に移籍し史実通り兄弟で同じチームでプレーしていたかも。
- なんJの定番ネタが1つ減る。
- 辛いさん呼ばわりされることもない。
- プロ野球選手ファンの項目で初めて単独ページが立つ可能性は低かった。
- 2000年代以後、2015年の間に広島は少なくとも1度はリーグ優勝していた。
- 山本・ブラウン時代のあんまりな成績を見るに、新井1人だけではせいぜいCS出場が早まるのが限界だと思う。とは言え黒田もずっと広島に残っていればノムケン時代にリーグ優勝できた可能性が…?
- 北京五輪の星野ジャパンに呼ばれなかった球団はオリックスのみという事になっていた。
- 当然ながらあのブーイングもなかった。
- 阪神に残留していたら
- 金本の監督就任に伴いコーチ兼任で現役を続けていた。
- 引退時期が史実通りなら丁度金本の監督退任と重なるため、引退セレモニー辺りでとんでもなく弄られていたに違いない。
- 広島ファンからは絶許扱いのままだった。
- 黒田博樹が広島に「男気」復帰する事もなく、大リーグで現役を終えていた。
石井琢朗(横浜)
- 大矢監督時代は守備固めとしての出場が主となった。
- 石川雄洋はセカンドに固定されていた。
- ホセ・カスティーヨ、渡辺直人の獲得は無かった。
- 藤田一也のブレイクももう少し遅れていたかも。
- ショートは石井琢朗、山崎憲晴、藤田一也の併用体制となりショートが穴では無くなるため史実より防御率が若干ではあるが改善したかも。
- 選手兼任コーチを務めていた。
- 引退後は内野守備走塁コーチとして石川雄洋や山崎憲晴は勿論、梶谷隆幸や白崎浩之らも指導。二遊間の面子は悩ましい事に。
- 梶谷隆幸と桑原将志の外野手転向は史実通り。
- どこかの段階で打撃コーチに転向していたかもしれない。
- 梶谷隆幸と桑原将志の外野手転向は史実通り。
- 引退後は内野守備走塁コーチとして石川雄洋や山崎憲晴は勿論、梶谷隆幸や白崎浩之らも指導。二遊間の面子は悩ましい事に。
- 2016年に広島がリーグ優勝することはできなかっただろう(史実では打撃コーチとしての功績が非常に高かったことから)。
- 打撃コーチとして残留し続けていれば、逆に2019年は横浜がリーグ優勝していた。
- 内川聖一と村田修一の去就にも影響したかも。
石井浩郎(近鉄・巨人)
- 近鉄に残留していたら
- 大阪ドーム移転直後の低迷はなかったか。
- トレード相手の吉岡の近鉄でのブレイクはなかった。
- 石毛博史も巨人に残留していたか別の選手がトレード相手になっていた。
- 巨人に残留していたら
- 江藤獲得はなかったか。
- 河本とのトレードはなかったか相手が変わっていた。
石毛宏典(西武)
- 1995年は極度の打撃不振。
- 勿論、リーグ6連覇も果たすことは出来ずこの年で戦力外通告を受ける。
- 翌年ダイエー、ロッテ辺りに拾われ同年に引退。
- 勿論、リーグ6連覇も果たすことは出来ずこの年で戦力外通告を受ける。
- ダリン・ジャクソンが来日することは無かった。
- 選手兼任監督をされるも成績不振で解任される。
イチロー(オリックス・マリナーズ)
- オリックスに残留していたら
- オリックスと近鉄との合併時に分配ドラフトで楽天に移籍する。
- 球団創設1年目からAクラスだった。
- どう考えても真っ先にプロテクトするから楽天は絶対無い。本人が「楽天に行きたい」と言わなければの話だが。
- 楽天の初代監督がイチロー本人の少年時代の憧れの選手だった田尾安志、ということを考えると熱烈な誘いがあればひょっとして…という可能性も。
- オリックス・バファローズが合併1年目からAクラス常連だっただろう。
- …のはずが夏の終わりの時期に離脱してしまいセミロー扱い。(あまりイメージは薄いがイチローはNPBの晩年の2年間の毎年夏の終わりに故障で残りシーズンを棒に振っている。)
- どう考えても真っ先にプロテクトするから楽天は絶対無い。本人が「楽天に行きたい」と言わなければの話だが。
- それ以前にFAで中日ドラゴンズに移籍しているはず。
- 後を追ってムネリンもドラゴンズに移籍していた。
- イチローの発言が影響して合併は白紙、近鉄は身売りの流れとなる。
- イチローは神戸への愛着が強いので神戸に居続けたと思われるが、後に本格的に大阪に一本化する際に移籍を選んだかも知れない。
- 球団創設1年目からAクラスだった。
- 当然のように毎年首位打者・最多安打のタイトルを獲得する。
- 打率4割を達成している。
- ラビットボールが使用された時期を考えると30本、100打点を達成していた可能性もあった
- 下手をすればここにカネによって移籍。
- 2000本安打を達成するのが実史より遅く、へたすりゃ日本式練習と選手起用の末怪我で引退の可能性すらあった。
- 2006年正月の古畑任三郎の犯人役に出ることはなかった。
- ひょっとしたら松井秀喜がその役をしていたかも。
- 地球が消滅することもなかった。
- 規定打席に到達していたので、生涯打率のトップになっていた。
- 張本やピート・ローズがイチローの記録にケチを付ける事は無かった。
- 日本通算として本当の意味で張さんを越えていた。
- 「日本人記録」かつ「NPB記録」となっていた。
- ブルーウェーブの成績次第では仰木さんの監督退任が数年遅れていた。
- 史実通りオリックスバファローズの初代監督になるとしてもブルーウェーブ最終年まで続けている。
- ブルーウェーブは2001年以降も04年まで1995・96年に優勝したユニフォームを着用していた。
- 村松のオリックス入りは史実通り。
- オリックスが低迷していたのも史実通り。(塩谷の暗黒力をなめてはいけない)
- マリナーズに残留していたら
- 背番号は一貫して51のままだった。
- 活躍に関してはよほどの事が無い限り史実に近いだろうから、マリナーズ史上2人目の永久欠番入りが事実上確約される。
- どのみちムネリンはブルージェイズに行っていた。
糸井嘉男(日本ハム)
- その年の最下位はなかった。
- オリックスは13年も最下位になり、14年の快進撃もなく森脇浩司監督もそこで退任になってた可能性が高い。
- 大谷は遊撃手になっていた可能性も。
- 2013年オフに糸井がメジャー移籍した場合は14年以降は史実通り外野起用の場面が多かっただろう。
- メジャー挑戦が実現した可能性も。
- 日ハムから直接FAで阪神へ→史実通りに、という可能性も。
- その場合史実でオリックスへ人的補償で移籍した金田和之は同じような形で日ハムへ行っていたか、もしくは日ハム側が金銭を選び現在でも阪神でプレーしていたかも。
- トレード相手だった大引啓次のその後にもなんらかの影響を与えていたことは間違いない。
- もしかしたらヤクルトへFA移籍することなく現在もオリックスでプレーしていた可能性も。
稲葉篤紀(ヤクルト)
- 2005年以降のヤクルトは現実よりも成績が良かった。
- 何度かリーグ優勝をしている。
- レフトラミレス・センター青木・ライト稲葉という外野陣が実現していた。
- 逆に日本ハムの優勝回数は少なかった。
- 当然「稲葉ジャンプ」も誕生しなかった。
- 現役引退後はフジテレビかテレビ朝日の野球解説者になっており、北海道文化放送の解説者になる事は無かった。
- ヤクルトの各年の成績を見る限り、「稲葉さえいれば優勝できた」ようなシーズンはほとんど無いようだが。惜しくもV逸した2011年は稲葉自身が不振だった。
- 何度かリーグ優勝をしている。
岩隈久志(オリックス)
史実では分配ドラフト後に楽天へトレード移籍した岩隈だが、もしオリックスにそのまま入団していたら?
- オリックスはプレーオフ→クライマックスシリーズの常連になってたかも。
- ヘタしたら、日本シリーズに進出してたかも。
- 故障で二軍落ち、ということにはならかったかも。
- 2007年シーズン途中に、歌藤達夫・萩原淳両投手とともに北海道日本ハムにトレード移籍。
- 木佐貫洋とのトレード(史実では高木康成)で巨人へ、という可能性も。
- 楽天は4年連続最下位だったかも?
- 2008年はオリックスが優勝、楽天が最下位。
- もし渡米しなければ2014年もオリックスを優勝に導かせたかも。
- もし08年に岩隈も二桁勝利していれば10勝カルテットが10勝クインテットになっていた。
- 楽天の田中は入団1年目でエースに、2年目には開幕投手を務めていた。
- 入団拒否していた可能性もある。
- 2005年の楽天は100敗に到達、下手すると30勝未満で終わった可能性も。
- 義父がコーチをしている縁でどっちみちゆくゆくは楽天に移籍するかもしれない。
- あるいは義父がオリックスのコーチに就任する。
- 2007年の西武は最下位に終わっていたかもしれない。
- 北京五輪の星野ジャパンに呼ばれなかった球団は広島のみという事になっていた。
内川聖一(横浜)
- 現在も横浜の主砲として活躍。
- メジャーリーグに移籍していた可能性もある。もし移籍したら畜生発言はここで出されていた。
- トニ・ブランコとホセ・ロペスはDeNAに移籍せず。
- そのため、ウラディミール・バレンティンは2013年に三冠王を達成出来ていたか内川に首位打者を獲られて阻止されていた。
- 現実以上に村田修一は叩かれていた。
- 数々の畜生発言は生まれなかった。
- なんJの定番ネタが減っていた。
- 第3回WBCの侍ジャパンにDeNAだけ選手が呼ばれない、という事はなかった。
- なんjで顔文字「(*^○^*)」は生まれなかった。
- 2011年のソフトバンクは日本一になれなかった可能性がある。
江川卓(阪神)
関連項目:もし江川問題が○○だったら
- 背番号3のエースとして、1985年の優勝に貢献した。
- のちに史実で小林繁が付けていた19番に変更したかも。
- この場合中西清起の背番号は何番になっていたのだろうか。
- のちに史実で小林繁が付けていた19番に変更したかも。
- 小林繁は巨人で選手生活を全うした。
- それでも入団当初はアンチ巨人の阪神ファンから「ほんまは巨人に行きたかった奴」と叩かれていたかもしれない。
- 引退後日本テレビの解説者になるのは現実通り。
- そして掛布雅之と共に阪神ファンから「やっぱり巨人ファンやな〜」「読売に魂売ったな〜」と言われている。
江藤智(広島)
- 2000年以降も広島の主砲として活躍。
- しかし(新井貴浩や栗原健太などの)若手の台頭により2006年以降は代打の切り札になっていた。
- 通算350本塁打達成まであと1本という状況が何年も続くという事はなかった。
- 巨人のサードのレギュラーは小久保が移籍するまでずっと元木のまま。
江藤慎一(中日)
※史実では1969年のシーズンオフに水原茂監督との対立で恩師である濃人渉監督務めるロッテオリオンズに放出され、一時は「中日の江藤で終わりたい」と任意引退までし、ファンからもスーパースターである江藤の放出には大きな反発の声が上がりました。
その後、1971年には史上初の両リーグ首位打者という偉業を達成するも、その後は大洋、太平洋、再びロッテと各球団を転々としました。
- ドラゴンズ一筋で史実通り(現役生活18年にして通算打率.287、2057安打、367本塁打、1189打点)かそれ以上の成績を残した場合、彼こそが「2代目ミスタードラゴンズ」を襲名していた。
- 史実で2代目の高木守道は3代目、3代目の立浪和義は4代目とそれぞれ繰り下げ。
- 1999年オフに江藤智(広島)のFA獲得に成功した場合、江藤智はドラファンから「ドラゴンズの江藤二世(省三がいるため、厳密には三世だが)」と大きな期待を寄せられていた。
- 当然、両リーグ首位打者は2011年に内川聖一が達成するまで誰一人として現れなかった。
- 慣れ親しんだ中日球場(1975年よりナゴヤ球場)で長らくプレーできる+理解者である弟の江藤省三とともにプレーできるわけだから史実より選手生命も伸び、また彼の残留によってチームの成績も伸び、1973年には中日が巨人のV9を阻止(V8で止める。ちなみに史実では阪神が2位)。
- 谷沢健一が左翼手のレギュラーに定着するのは史実より遅れていた。当然新人王もなし。
- 1974年には史実より1年早く2000本安打を達成。この年ドラゴンズは日本シリーズでロッテに勝利し、日本一になっていたかも。
- 当然ながら「燃えよドラゴンズ」の歌詞にも登場していた。
- 引退後、ドラゴンズを含めたプロ球団の監督やコーチを務めていた?(史実では現役時代の1975年に太平洋クラブで選手兼任監督を務めた以外、プロでの指導歴はなく、引退後はアマチュア指導者に転身)
- 水原茂は史実より早く中日の監督を辞任していた。
大島康徳(中日)
- 中日に残留していればレギュラーを張り続けることは困難であり、代打の切り札としてせいぜい2-3年プレーした後で引退していた。2000本安打も達成していない。
- 日本ハムの監督にも就任しなかった。中日でコーチ、監督を務めていた可能性もある。
- 山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった。
大村三郎(巨人)
※2011年シーズン途中に工藤隆人との交換トレードで巨人入りするも、その年のシーズンオフにFAで千葉ロッテに復帰。
- 2012年の巨人のシーズン成績が若干変わっていた。
- 千葉ロッテに復帰しなかったということで、登録名を(巨人移籍まで使用していた)『サブロー』に戻すこともなかった。
- 引退が早まっていた(忠実には2016年に引退)。
小笠原道大(日本ハム・巨人)
- 日本ハムに残留していたら
- 2007年の中日との日本シリーズ第5戦における完全試合(山井→岩瀬のリレー)は彼のヒットで阻止されていた。
- よって落合博満の采配云々が賛否両論になる事もなかった。
- 日本ハムが2年連続日本一になっていた。
- カッスレは生まれない。
- そのため野球chの規制強化が行われず大移民がないためなんJは未だに過疎板のままである。
- 髭も剃ることはなかった。
- 巨人に残留していたら
- 逆にずっと髭は剃ったままだった。
- 2020年現在も巨人でコーチをしていた。
- 史実通り井端弘和が巨人に移籍していた場合、中日(というより落合GM)は史実以上にファンから大バッシングを受ける結果に。
岡田彰布(阪神)
史実では1993年に自由契約の後オリへ移籍した岡田だが、もしオリックスに入団せずそのまま引退したら?
- 阪神の監督やコーチには就任してただろうがオリックスの監督には就任してなかっただろう…
- 2010年からのオリックス監督には誰が就任してただろうか…
- 岡田貴弘もT-岡田に改名することはなかった。
- 日高も干されることはなかった。
- 現実通り1995年までで引退し、当時の中村勝広監督の途中退任を見届けていた。
落合博満(ロッテ・中日・巨人)
- もし1986年の大型トレードが無かったら(ロッテ→中日)
- 1988年の10.19自体がなく、ロッテは西武と優勝争いをしていた。
- それはどうだろう?そもそも落合が三冠王とっても下位に低迷していたチームだから
- 「10.19」があったのは1988年のシーズン終盤でロッテが近鉄に対して相当数の勝ち星を献上したかららしい。落合がいたらそんなに近鉄のロッテに対する勝利数は史実ほどは多くなかったと思われるから西武は普通に近鉄に差を付けて優勝していたかも。
- それはどうだろう?そもそも落合が三冠王とっても下位に低迷していたチームだから
- 金田監督が就任した時に他球団へ移籍した?
- 牛島和彦は引退まで中日でプレー。
- 牛島が中日の監督に就任していた可能性もある。
- もう1~2度三冠王を獲れたかも。
- 松永浩美の11打席連続敬遠はなかった。
- 1988年の中日優勝はなかったかも。後年中日監督に就任する可能性も低く、史実のように中日が優勝を重ねていることもないかもしれない。
- ロッテから直接巨人に移籍していた可能性もある。
- 代わりに原辰徳がロッテに移籍し、川崎球場の観客動員が上がっていた。
- いずれにせよ1986年以後の中日の球団史は大幅に変わっていた。
- 星野が二度目の中日監督になることもなかったかも。
- その場合、阪神、北京オリンピック日本代表、楽天の監督にもなっていなかった。
- 高木守道の監督就任が史実より早まっていた。
- 星野が二度目の中日監督になることもなかったかも。
- 平沼定晴もロッテに移籍せず、清原のバット投げ事件は起きなかった。
- フランチャイズの千葉移転までに王貞治のシーズン本塁打記録を塗り替えていた。
- もし1993年にFA移籍しなかったら(中日→巨人)
- 1994年は中日がリーグ優勝していた。でも、日本シリーズで西武が倒せたかどうかは微妙
- 10.8決戦はなかっただろう。
- ↑「西武が」じゃなくて「西武を」では?
- 巨人は4番打者ばかりを集めるような補強はしていなかった。
- 1990年代以降の巨人の成績は史実より悪かったものの、巨人人気は現実ほど低下しなかった。
- 逆に阪神の暗黒時代は早く終結していた。
- 1990年代以降の巨人の成績は史実より悪かったものの、巨人人気は現実ほど低下しなかった。
- 現役引退まで中日でプレーしていた。
- 下記のように中日で監督に就任し、裏切り者扱いされず現実以上に人気があっただろう。
- 駒田がFAで横浜に行くことはなかったので、その後横浜が優勝できていたか疑わしい。
- 駒田は当時長嶋監督に冷遇されていたので、横浜にFA移籍はしていたと思う。
- 2014年の西武は伊原が監督に再就任せず、辻が監督になっていたと思われる。
- 中日に残留して中日の監督に就任していたら
- 名古屋で一部のファンから裏切り者扱いされることはなかった。
- 2004年以降の「燃えよドラゴンズ」でも「オレ竜監督」ではなく「落合監督」と歌われている。
- むしろ中日の監督になるのが史実よりも早かった。
- 星野仙一の後任は山田久志ではなく落合だったかも。
- 勿論2011年の不当解任も無いので、翌年以降の暗黒化も起きていない。
- 川相昌弘、上田佳範は中日に移籍しなかった。
- 巨人に残留していたら
- 移籍してきた清原和博と一塁手のポジション争いを展開していた。
- 清原の成績が史実通りの場合、巨人ファンからは「落合待望論」が吹き上がる。
- 逆に清原和博は史実よりも早く巨人を去っていたかも。
- 引退後も監督・GMとして中日に戻る事は無く、かと言って巨人の監督は生え抜きではないため就任できず、監督としてのキャリアは積めなかった。
か行
片岡篤史(日本ハム)
- 小笠原の三塁コンバートはなかった。
- 小谷野が台頭してくるあたりまで三塁のレギュラーを務めた。
- 2ちゃんねるで「モミー」などと呼ばれることはなかったかも。
- 檜風呂のネタはなかった。
- 2006年に日本ハムで日本一になって新庄とともに引退した。
- 阪神のコーチになることはなく、阪神の右打者が何でもかんでも「右打ち」を意識しすぎてしまうことはなかった。
- 2016~2018の阪神の打撃成績も史実よりは良くなっていたか
- 2003年に阪神がリーグ優勝することはなかったかも。
金田正一(国鉄)
- 産経はもう少し長く球団を持っていた。
- 背番号「34」を永久欠番にしていたのはスワローズ。
- それでも巨人はV9できただろう。
- 金田が名球会を発足させることはなかった。
- 400勝出来ていたか怪しい。
- ロッテの監督に就任することは無かったかも知れない。
金本知憲(広島)
- 阪神の暗黒時代は現在に至るまで続いている。
- 当然2003年と2005年のリーグ優勝はなかった。
- 新井貴浩の阪神移籍もなかった。
- 新井良太は阪神に移籍していただろうか・・・
- 赤松真人は2009年現在も阪神の選手。
- 彼が大活躍し阪神を優勝に導くかも。
- 阪神ではなく三村監督の誘いで楽天に移籍していたかも。
- 2015年に緒方ではなく金本が広島の監督に就任していた。
- そうなると2016年からの阪神の監督は誰になっていたことやら?
- 矢野が1軍監督、掛布が史実通り2軍監督とか?
- そうなると2016年からの阪神の監督は誰になっていたことやら?
- 史実より早く連続フルイニング出場がストップしていた可能性も。
川口和久(広島)
- 巨人は逆転優勝出来なかったかもしれない。
- もし優勝出来なかったら1997年オフに長嶋監督は解任されていた。
- 後任には投手コーチの堀内恒夫が昇格という形で就任。原辰徳の監督就任も史実(2002年)より数年早くなっていたかも。
- もし優勝出来なかったら1997年オフに長嶋監督は解任されていた。
- 引退後はそのまま広島の投手コーチに。
- 2000年代の広島は投壊していなかっただろう。
- 北別府や大野よりまともであれば。ただ巨人時代の経験などを考えると前二人と同じになっていた可能性もある。
川崎憲次郎(ヤクルト)
- 2ちゃんねるの川崎祭は起きなかった。
- 「川詐欺」と書かれることもなかった。
- 2004年の中日の開幕投手は普通に川上憲伸になっていた。
- 2001年以降は引退試合を除いて登板数は0。引退試合は9月末あたりにひっそりと登板。
- 宣銅烈の後の中日の背番号「20」は欠番状態に。
- そして2005年より中田賢一が背負う。その後は史実通り。
- 落合監督就任に伴い若手の誰かが付けていた。
- 山田監督時代に川上が背負う。
- そして2009年からまた欠番に。
木田優夫(巨人)
- 先発、抑えで活躍。
- 岡島、木村龍治は活躍は無く槙原の抑えは無かった。
- 岡島は先発として槙原は引退が早まっていた。
- 條辺剛の活躍が遅れて現役が長く、うどん屋を開店することは無かった。
- 岡島は先発として槙原は引退が早まっていた。
- 岡島、木村龍治は活躍は無く槙原の抑えは無かった。
- 原、堀内監督の就任より登板数が減少より引退は早まっていた。
- 引退後は、日本テレビの野球解説者に就任。
- だから日本ハムファイターズのゼネラルマネージャー補佐に就任することも無い。
- 当然、プロ野球ドラフト会議にて日本ハム球団のくじ引き役を務め、1巡目指名で7球団が競合した清宮幸太郎を引き当てることはない。
- 『ズームイン!!サタデー』の熱ケツ情報で広報部長で活躍。
- 野村貴仁が巨人に来ることはなかった。当然(ry
- 上原浩治の背番号は別の番号になっていた。
木村昇吾(広島)
- FA行使でどこにもオファーが無い話は未だに考えられなかった。
- 「セルフ戦力外」という言葉は誕生しない。
- 彼の引退試合は行われていたはず。
- 安部友裕・西川龍馬のブレイクが遅れていた。
清原和博(西武)
- 「番長」キャラにはならなかった。
- その場合、『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』は『かっとばせ!キヨハラくん21』になってたかも。
- 寧ろ『ゴー!ゴー!ゴジラッ!!マツイくん』が松井秀喜の大リーグ移籍後も継続していたか、別の選手を主人公とする新作が開始していた。
- その場合、『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』は『かっとばせ!キヨハラくん21』になってたかも。
- 史実ほどは成績の低迷はなかった。
- 落合は1997年は巨人に残留して、現役を巨人で終えていた。
- 巨人の監督になっていた可能性もある。
- 1997年、1998年に西武がリーグ優勝できなかった可能性がある(東尾の著書より)。その場合東尾は一度もリーグ優勝を体験することなく西武監督を終えていた。
- 西武の黄金時代も史実より早く終わっていた。
- 99年の貧打線で清原残ってたらもうちょっとマシだったんじゃないのと思うことはある。
- いずれ世代交代のために西武を自由契約にされ、仰木監督の誘いで西武から直接オリックスに移籍か。
- そうなったら2002年の山崎武司と平井正史とのトレードはなかったと思われる。
- 以下、#山崎武司の項目へ移動
- 意外と阪神に移籍していたりして。
- そうなったら2002年の山崎武司と平井正史とのトレードはなかったと思われる。
- 肉体改造することもなかった。
- 水樹奈々は清原が巨人に移籍したことで「巨人はズルい」と感じることはなく、お情けで阪神を応援することもなく現在も巨人ファンのままだった。
- 2016年9月に甲子園球場でライブを開催することもなかった。
- 甲子園ではなく東京ドームでライブを開催していたかも。
- 史実でも東京ドームでライブを開催していたが現実以上に盛り上がっていた。
- 甲子園ではなく東京ドームでライブを開催していたかも。
- 2016年9月に甲子園球場でライブを開催することもなかった。
- 35歳以降は指名打者中心となり、門田博光や山崎武司みたいに40歳過ぎても年間30本以上の本塁打を打っていた。
- 通算2500安打・600本塁打を達成していた可能性があり、背番号3番は球団の永久欠番となっていた可能性があった。
- 2016年に警察のお世話になるような事件を起こす事も無かった。
久保康友(阪神)
- 再び先発に戻っていた。
- スタンリッジを放出したことはあまり批判されなかった。
- 鶴岡が人的補償で来る事はなかったため、岩田や藤浪の成績が史実よりも悪かった。
- 黒羽根利規の出場機会が史実よりも減り、2014年に盗塁阻止率1位になる事はなかった。
- モスコーソが2桁勝利を達成していたかも。
- DeNAの背番号27は1年空き番号となり山﨑康晃か石田健大が着けていたかも。
小久保裕紀(ダイエー・巨人)
- もし2003年の無償トレードが無かったら
2003年オフ、ダイエーの中内正オーナーが福岡ドームで会見を開き、中心選手であった小久保裕紀を巨人へ無償トレードすると発表しました。もし、このトレードが発生していなかったら?
- 2004年のホークス打線が凄い事に・・・
- 21世紀初の日本シリーズ2連覇以上をしていたかもしれない
- 2004年は西武ではなくダイエーがリーグ優勝を果たしていた。仮に日本シリーズで中日に勝利していたら、ダイエーのラストイヤーに有終の美を飾ることができていた。
- そもそも2003年のオープン戦での怪我による離脱ももちろんなかった。
- もし2007年以降も巨人に残留していたら
2006年のオフにFA権を行使して古巣であるホークスに移籍しました。もし、この時ホークスに戻らず巨人に残留していたら?
- 移籍した小笠原にポジションを奪われ、代打での出場が多くなる。
- 2000本安打を達成できないまま引退していたかも知れない。
- 小笠原の巨人移籍は無かった可能性も。
- むしろイスンヨプが退団して、ソフトバンクにいってた可能性がある。
- 確実に坂本勇人、長野久義、阿部慎之助などにいい影響を与えていた。
- 主将は阿部ではなく、坂本が早いうちに就任したかもしれない。
- 逆にソフトバンクの選手には、史実ほどいい影響を与えていなかったかも。
- 侍ジャパンの監督に就任したかどうか怪しい。
- 松田宣浩のブレイクが早まったかも。
駒田徳広(巨人)
- 高木豊、屋鋪要、山崎賢一が放出されることはなかった。
- 落合、広沢、清原とポジションがかぶる選手を次々獲得するチーム内では出場機会が極端に減り、結局数年以内にトレードか戦力外になっていた。
- 少なくとも2000本安打は達成できなかった可能性が高そう。
- 今は巨人の2軍投手コーチに就任している。尤も斎藤の代わりに2軍監督になっている可能性も否めないが…。
- え、投手コーチ?
- 何かおかしいと思ったら打撃コーチの間違いだ。斎藤の経歴をそのまま貼り付けたのに気づかなかったのが悪い(大汗
- え、投手コーチ?
- 1998年に横浜が優勝出来たかどうか怪しい。
関連項目
もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら |
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