もしあの鉄道が国有化されていたら/関東

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2021年6月11日 (金) 17:35時点におけるピポー快速たいら塚 (トーク | 投稿記録)による版 (「戦時統合で茨交に吸収」修正)
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栃木・群馬

下野電気鉄道

新高徳
しんたかとく
大桑   小佐越
Ōkuwa Shin-Takatoku Kosagoe


  1. 現実の野岩鉄道・会津鉄道と合わせて「JR野岩線」。
    • 昭和40年代には全線開通していた。東北本線のバイパス路線という名目もあり急ピッチで建設された。会津線・野岩線の三セク化もなかった。
    • 上野-喜多方間には野岩線経由の特急「おじか」も運転されている。国鉄時代~JR初期はキハ58系による気動車急行として運転されていた。
      • 「やまばと」に会津若松発着の編成はなかった。
        • =「「あいづ」が誕生しない」のでこちらがあいづを名乗っていたかもしれない。
  2. JR今市駅と接続している。
    • というか新今市とJR今市が統合していたというのが正しい。
  3. スペーシアは全て東武日光行きになっている。
    • 東武は下今市駅-鬼怒川温泉にバスを走らせている。
    • 名鉄の「北アルプス」みたいに連絡線を作って東武浅草~鬼怒川温泉に直通急行が設定されるがスペーシア新宿乗り入れと引き換えに廃止。
  4. 電化された場合、会津田島駅で直流/交流が切り替わる。
    • 管轄する支社も会津田島を境に北が仙台支社、南が大宮支社となる。
    • 特急運用の関係上少なくとも奥羽本線の全線電化と前後して電化されてそう。
  5. 鬼怒川温泉の開発は現実ほど進んでいない。その代わり東武は日光線を中禅寺湖・日光湯元方面に路線を伸ばしている。
    • それに対抗して国鉄も日足線の建設を進めている。
    • 東武ワールドスクエアも存在しなかった。
    • 鬼怒川温泉の略称として「鬼怒川」と呼ばれることはなかった。鬼怒川温泉ではなく「滝温泉」という山奥の小さな湯治場に過ぎなかったかもしれない。
  6. 芦ノ牧温泉駅の猫駅長「ばす」は誕生しなかった。
  7. 矢板線は国鉄解体まで生き残る。
    • 仮に矢板線が野岩線矢板支線となっていた場合現在でも存続している。
  8. 日中線は存続どころか喜多方〜熱塩が整備され、野岩線と合わせて野岩羽線となっていた。
  9. 埼京線と連絡する新五方面作戦の東北方面開発線が整備され、この路線と連絡していた。
  10. 戦時買収の場合,宇都宮-会津若松-米沢の線路増設として早期に会津滝ノ原まで開通。隧道の長さは短いが, 急曲線が多い。日中線も同時期に全通。

塩原電車

  1. 改正鉄道敷設法別表第33号第2項にもとづく買収。
  2. 1500v化と専用軌道化は確実に行われている。
  3. 福渡温泉延伸はその直後に実現している。
  4. 野岩線建設に合わせて上三依塩原温泉口への延伸工事が行われてるが国鉄再建で中断、工事線共々野岩鉄道に引き継がれる。

東野鉄道

  1. 改正鉄道敷設法別表第36号にもとづく買収。
  2. 路線名は「東野線」。
    • もしくは大田原線か黒羽線。
  3. 大子への延伸はちゃんと行われている。
    • 烏山・茂木方面への延伸も計画されているが実現しない。
  4. 乗合(バス)部門は戦時統合で栃木の関東バスに統合された。

上信電鉄

ぐんまとみおか
群馬富岡
Gumma-Tomioka
ひがしとみおか
Higashi-Tomioka
にしとみおか
Nishi-Tomioka


  1. 「JR下仁田線」という名称になっていた。
  2. 107系によるワンマン運転。
    • 115系も入線していたかも。高崎地域のほかのJR線を考えるとツーマンのままのような気が。
  3. 運賃が安くなっていた。
  4. 下仁田発前橋行、前橋発下仁田行が存在していた。
  5. 平日の朝夕は快速が運転されていた。
  6. 「上州○○」の駅名は、国有化後一律「群馬○○」に変更されていたと思う。
  7. S30年代くらいに上野~高崎~下仁田間に、準急「荒船」(?)が運転開始。
    • 今も生き残っていれば、特急列車として、185系-200で運転されている。
  8. 1960年代に、全線の魔改造が行われて、特急あさまが内山峠を越えて岩村田あたりで小海線に乗り入れていた。
    • 軽井沢はアプト式でボロいままの横軽を越えないと行けないローカル線の途中駅になり、西武鉄道が乗り入れてた。

千葉・茨城

常総鉄道

みつかいどう
水海道
Mitsukaido
こきぬ
Kokinu
きたみつかいどう
Kita-Mitsukaido


  1. 「JR常総線」という名称になっていた。
  2. 戦後に電化されるも、地磁気観測所の影響で、取手~水海道間は直流電化、水海道~下館間は交流電化され、直流区間ではE231系、交流区間では415系→E531系が用いられていた。
    • むしろ全区間交流では?取手~水海道間が直流でOKなのなら、現実の関東鉄道も電化したかった。
      • いや水海道までは内房線同様変電所数を増やした方式で直流電化され、現実では取手止まりの快速電車が乗り入れていた。
        • 水海道まで直流であった場合は取手-水海道間は東京北局→東京支社の管轄になる。
    • そもそも北水海道駅が開業しなかった可能性がある。
    • 恐らく水海道~下館間の電化は水戸線電化と同時に実現し当初401・403系・103系を使用。
    • E501系もこの路線絡みの運用に入っていた。
    • E531系ワンマン運転は水海道以北で行われていた。
      • 103系の運用は水海道以南(直流区間)のみでは?
  3. 上野からの直通列車が存在していた(例:通勤快速下館発・常総線経由・上野行、通勤快速上野発・常総線経由・下館行、ホリデー快速常総)。
    • 国鉄時代の急行「つくばね」はこっちを経由していたかも(下館から普通列車として水戸線乗り入れ)。
      • 結城方面の需要を考えると「つくばね」は史実通り間々田経由で、常総線(・真岡線)直通は別の列車名になっていた気がする。
    • JR化後、上野~取手~下館間に特急「ホームタウン常総」が運転開始。車両は485系→E653系。
    • TX開業後は水海道発着の上野直通特別快速が運行される。
      • TX対抗のため取手~守谷間は120km/h運転対応に改良。
    • E231系0代も特別快速の運用に入っていた。
    • 特快の線内停車駅は恐らく取手-守谷以北の各駅に。
      • 品川までの直通一般列車はこの路線発着が多い。
  4. 常総線沿線の宅地化が進んでいた。
  5. 真岡線からの直通列車が運行されていた。
    • キハ58系使用の急行が84-2改正まで存続していた。
  6. 取手駅構内の管轄が東京北局→東京支社ではなく水戸局→水戸支社になっていたかもしれない。
    • 常総線の同駅ビルへの衝突事故はなかった。
  7. 昭和初期までに買収されていたら常野線は戦前に全通していた。
    • その場合上記のキハ58系使用の急行が上野~取手~下館~茂木~烏山~常陸大子間に運行された(上記通りの時期まで存続)。
    • ひょっとしたら戦時中など東北線日暮里~安積永盛間が不通になった場合に同区間を常磐・常総・真岡・常野・水郡線経由で迂回する列車があったかも。
  8. つくば万博の観客輸送で活躍した。
    • 常磐線万博中央臨時駅は建設されず万博最寄駅は水海道・牛久・荒川沖・土浦の4駅に分散(駅の混雑を分散させるため)されていた。
      • 会場行きシャトルバスは前述の4駅発着を中心に運行され、土浦駅東口発着便に連節バスが使用された。
    • 史実とは異なり常磐線上野口で使用される通勤・近郊電車で万博輸送を賄えたので「エキスポライナー」に寝台電車・客車・気動車を使用する列車は存在しなかった。
      • EF80の全廃がやや早まっている。
        • 大宮発着の「エキスポライナー」は401・403・415系が使用されていた。
    • 常磐快速線の103系にも万博ヘッドマークが装着されるが塗装変更はなかった(緩行線との誤乗防止のため)。
    • 万博最寄駅が常磐線側で3駅に分散されているなら来場者のおもな帰路(上野方面)の混雑を考慮し上野方面の始発駅に牛久(荒川沖から回送)・荒川沖(土浦から回送)の両駅が加わっていた。
      • 閉幕まで。
    • 万博期間中土浦駅への特急「ひたち」停車が拡大された(多くが臨時停車)。
    • 土浦ニューウェイは無駄な道路呼びされなかった。
    • 万博期間中常磐線中電の車両が不足するため一時的に九州から415系0'・100番代の一部を転属させていたのでは(常磐無線設置)。
      • 401系の廃車ペースが遅くなり万博終了後に纏めて廃車される編成が多かった(史実と同じ時期に全廃)。
        • '80年代以降は運用の多くが水戸ローカルに回り予備車的な扱いを受けた。
    • 常磐線中電の一時的な車両数増加とその後の快速線輸送力増強を考慮し史実の水海道車両基地の位置に松戸区水海道派出が1983年頃にできた。
      • 通勤形・近郊形(中電)・上記の通勤特急運用に入る特急形が留置された。
    • 水海道派出の構内をくぐる陸橋が存在したかも。
    • 水海道駅は'84年頃に橋上駅化された。

竜崎鉄道

りゅうがさき
竜ヶ崎
Ryugasaki
いれじ
Ireji


  1. 「JR竜ケ崎線」になっていた。
  2. 常磐線と同じく、交流電化になっており、E531系5連が用いられていた。
  3. 上野からの直通列車が存在していた(例:竜ヶ崎発上野行、上野発竜ヶ崎行)。
  4. 佐貫駅が竜ヶ崎駅、竜ヶ崎駅が本竜ヶ崎駅になっていた。
  5. 江戸崎辺りまで延伸されていたかも。
    • 実際に旧新利根町への延長計画はあった。
  6. 西寒川支線なみの扱いでとっとと廃止。

筑波鉄道

つくば
筑波
Tsukuba
ひたちほうじょう
Hitachi-Hōjō
かみおおしま
Kami-Ōshima


  1. 「JR筑波線」になっていた。
  2. 国鉄時代は上野直通の急行「つくばね」が運行されていた。
    • 土浦までは「ときわ」と併結。
    • 水戸線の急行列車は別の愛称になっていた。
    • JR化後は「ホリデー快速筑波路」に。
  3. 全線交流電化で、電車は水戸線と共通運用。
  4. 今でも小山への直通列車が走っている。
  5. 土浦駅は2面4線構造のままだった。
    • 下り普通列車の付属編成切り離し中に優等待避もでき一石二鳥。
    • 一部の列車ではその切り離された付属編成が筑波に向かう。
  6. 関東鉄道の本社は土浦にはない。
    • 新土浦駅は開業しなかった。
  7. TXは筑波駅が終点になっていた。
    • 現実のつくば駅は「つくばセンター」駅を名乗る。
  8. 岩瀬から真岡を経て宇都宮への延伸構想が出る。

常南電気鉄道

  1. 空軍基地への人員や資材の輸送が行われ、軍事路線化していた。
  2. 谷田部線の工事は国鉄に引き継がれ完成していた。
    • 史実通り戦時中に坂東市を通り古河や久喜への延伸工事が開始され、戦中あるいは戦後直後に開通している。
  3. 戦後阿見から江戸崎への延伸工事が行われている。
    • 佐原への延伸要望が出るが、久喜から先への延伸が優先されなかなか実現しない。

日立電鉄線

  1. 改正鉄道敷設法別表第40号にもとづく買収。
  2. 戦時中の輸送力増強のため日立への延伸が実現している。
  3. 線形の都合で旧型国電天国になっていた。
  4. 常陸太田から先常陸大宮までの延伸が鉄建公団により行われる。
  5. 史実とは異なり現在に至るまで存続している。
  6. 国有化時点で大甕~鮎川間は廃止。
  7. 残りの事業は戦時統合で茨交に吸収された。

鹿島参宮鉄道

鉾田
  ほこた 坂戸
北浦湖畔 Sakado
Kitaurakohan Hokota 徳宿
Tokushukui


  1. 鉾田~鹿島神宮~佐原間が延長され「鹿島線」が史実よりかなり早く誕生していた。
    • 成田線と上り・下りの関係が食い違って阪和・紀勢線のようにややこしくなる。
    • 水戸〜鉾田間も「大洗線」として国鉄時代に開業。
  2. 戦時中には百里ヶ原海軍飛行場(現百里基地)への引き込み線が存在していた。
    • 茨城空港開港後に復活を目指す動きが起こる。
    • 戦後もそのまま存続した場合、飛行場→基地への資材輸送で利用され、2000年ごろまで残る。ただ上記のため撤去されず。
  3. 昭和40年代まで鹿島神宮行きの急行が乗り入れていた。
  4. 鹿行地域は現実より発展していた。
  5. 水戸機関区が勝田車両センター水戸派出として2020年現在も存続。水郡線、当線および上記の大洗線の運用を受け持つ。
  6. 自動車(バス)事業と竜崎鉄道は1944年に筑波鉄道と同時に常総鉄道に合併された。

総武鉄道

銚子電鉄

  1. 総武本線の一部となっている。
  2. 確実に1500Vへの昇圧が行われている。
  3. 小型車しか入れないため鶴見線大川支線のような旧型国電の楽園となっている。
    • 銚子遊覧鉄道時代に国有化されていたら幻に終わっていた身延線用モハ61形が実現しこちらに導入されていた。
    • 貨物機関車はDD20になっていた。

湊鉄道

  1. 「JR那珂湊線」になっていた。
  2. 阿字ヶ浦から水戸陸軍飛行学校への引き込み線が敷設される。
    • 後に国営ひたち海浜公園の最寄り駅が開業する。
  3. 気動車は水郡線と共通運用になっている。
  4. 現在も水戸駅直通が健在。
  5. 「あじがうら」は「奥久慈」と併結の定期急行だった。
    • 後年臨時快速に格下げされるが1991年以降も存続。
      • たまに「びゅうコースター風っこ」が入線する。

京成電気軌道

  1. 勿論狭軌に改軌され、扱いは軌道から鉄道となる。
  2. 白鬚線や谷津支線は国有化と前後して廃止。
  3. 全線の昇圧は早期に行われていた。
  4. 筑波高速度電気鉄道は国鉄の路線として開通を果たしていた。
  5. 結局京成小岩からは総武本線の複々線扱いとなってしまう。
    • 両国がターミナルになることはなく、総武本線の運行上の起点は上野となっていた。
      • 東京乗り入れが行われていたかどうか怪しい。
  6. 成田エクスプレスは千葉を通らないルートで運行されている。
  7. 新京成電鉄、千葉急行、芝山鉄道は存在しない。
    • 北総鉄道は北千葉線の頓挫と同時に未成線となっていた。
    • 北総線は成田スカイアクセス線共々つくばエクスプレスみたいな路線になる。

成田鉄道多古線

  1. 三里塚付近は成田空港開港によって付け替えられる。
  2. 特急しおさいがこちらを経由する。
  3. さすがに成田線の支線にはならないか。

埼玉

川越鉄道

  1. もし西武鉄道が○○だったら#国有化されていたら_2を参照。

武蔵野鉄道

  1. もし西武鉄道が○○だったら#国有化されていたらを参照。

東武鉄道

たてばやし
館林
Tatebayashi
もりんじまえ
Morinjimae
たたら
Tatara


  1. 鉄道国有法後に東武鉄道が計画した日光線系の各線は敷設されない。
    • よって日光、鬼怒川の観光開発は進まない。
    • 幸手、栗橋、栃木などの開発も現実以上に進まない。
      • 高野台も
        • 栗橋は国鉄同士の乗換駅となり快速が止まり、久喜並になっていた可能性も
    • 現実の鬼怒川線・野岩鉄道は国鉄の手によって「野岩羽線」(今市-米沢)として開通。上野から山形・秋田へのバイパスルートとなっていた。
    • 国鉄日光線・野岩羽線は少なくとも1970年代前半までは非電化のままであった。
    • 史実の東鷲宮駅が「鷲宮駅」として戦前に開業していた。
    • 東武との競争が生じないので、国鉄157系電車は誕生しなかった。国鉄日光線の電化もヨンサントオ改正時にずれ込んでいた。
    • 史実の東武日光線が敷設されている地域に前後して中小私鉄が出来ているかもしれない。
  2. 他線との連絡の観点から、総武鉄道(現:総武本線)時代みたいに旧:浅草駅(現:業平橋駅)が廃止され、亀戸線経由で両国駅がターミナルになっていた。
    • あるいは、東武の計画にもあった浅草雷門駅(現:浅草駅)~上野駅間の路線が開業し、地下鉄銀座線は存在しないか他線より遅れての開業となり、上野駅のターミナル地位が向上した。
    • 北千住から常磐線経由で上野に来た可能性もある。
    • どちらにしろ国鉄末期からJR初期にかけて他路線とのスルー運転が行われるようになる。
      • 前者なら横須賀線、後者なら上野東京ライン開業後に東海道本線との相互直通が行われるようになっていた。
  3. 国鉄の優等列車は当初から伊勢崎線ルートで設定され、東北本線ないし高崎線から両毛線に直通するものは、日光線が来なかった栃木、ないし前橋までしか乗り入れない。
    • 栗橋までは距離が短くて規格も良い東北本線経由で栗橋で伊勢崎線に転線したかも。
      • 東北本線のダイヤ次第で、一部伊勢崎・東北方面優等列車が伊勢崎線へ迂回したかも。
        • 大宮~上野間の容量確保のため一部の「ひばり」「やまばと」「あいづ」が栗橋から伊勢崎線経由になっていた。
  4. 東武鉄道の根津が当初から計画に加わっており、支援も行っていたので、東上鉄道の敷設は実現せず、別体系での敷設になった。
    • 社名は「東上鉄道」のままで、根津の介入が無いため、堤の武蔵野鉄道(現:西武鉄道)に買収されていた可能性も。
  5. 地下鉄日比谷線は18m級ではなく、東西線・千代田線と同様に20m級規格で敷設された。
    • 千代田線より先に、抵抗制御車の発熱や電力消費による「迷惑乗り入れ」の問題が顕在化した。
    • 日比谷線は東急東横線とは直通運転をしなかったかもしれない。
  6. 管轄支社は
    • 竹ノ塚まで:東京
    • 谷塚-久喜:大宮
    • 鷲宮以遠:高崎 といったところか。
  7. 東京スカイツリーは別の場所にできていた。
  8. 久喜分断みたいに栗橋分断も出来た。
    • 栗橋にも快速停車
  9. 電化は大幅に遅れ、杉戸(現・東武動物公園)までの電化は史実と同じ昭和初期に完成しているが、杉戸以北の電化は昭和40年代に入ってからであった。
  10. 宇都宮線・高崎線同様、線内を走る快速・通勤快速列車に独自の愛称が付けられていた。
  11. 現在の運用は少なくとも中電は宇都宮線・高崎線と共通。
    • 伊勢崎快速線は常磐線同様E231系10両固定、伊勢崎緩行線は…独自のE231系orE233系辺り?
  12. 鉄道国有法で国に買収されそうになってたけど南武鉄道・総武鉄道と同様、久喜・栗橋以南は「JR東武線」と名乗っていた。久喜・栗橋以北は「JR東武【本】線」

上武鉄道

よりい
寄居
Yorii
さくらざわ
Sakurazawa
はぐれ
Hagure


  1. 「JR秩父線」という名称になっていた。
  2. 西武池袋線からの直通列車が存在しなかった。
    • 代わりに高崎線との直通列車が健在。
    • 東武東上線との直通旅客列車も存在しない。
      東武鉄道の本線と東上線との間の車両の融通はJR機関車牽引の甲種輸送によって行なわれる。
  3. 高崎鉄道管理局→JR東日本高崎支社の管轄になっていた。
  4. 石灰石輸送が、とっくの昔に廃止になっていた。
    • 石灰石輸送の全盛期には軌道の強化が行われ、EF64形1000番台が貨車を牽いていた。
  5. 「急行秩父路」を「ホリデー快速秩父路」に格下げ。
  6. 羽生から栗橋か古河まで延伸されていた。
    • この場合羽生で管轄が変わり、以東は東京北局→大宮支社に。
  7. 東京方面直通の優等列車が設定されていたら、以下のようになっていたかも。
    • S30年代に上野~熊谷~三峰口間に準急「ちちぶ」が設定(のち急行に)。
    • が、西武秩父線開通後は秩父市方面の客をごっそり奪われ、長瀞~三峰口間普通列車に格下げ。
    • S57.11改正で特急に格上げ、185系-200が投入された。
    • JR化後、新宿~熊谷~寄居間に、特急「ホームタウン寄居」が運転開始。
  8. 現実の行田市駅が「行田」駅を名乗り、高崎線の行田駅は、「南行田」か「新行田」駅になっていた。
  9. 熊谷~寄居間は、東京の準通勤圏のような扱いになっており、現実よりも人口が増えていた。
    • 寄居町は単独で市制施行条件を満たし、「寄居市」になっていたかも。
  10. 普通列車は115系3両編成が主体となっていた。
    • そしてJR化後は、107系主体になった。
    • 沿線人口は他の高崎支社管内のローカル線よりも多いだろうから、211系5連が主体となっていた可能性もありえそう。
  11. 鉄道建設公団の手で大滝どころか甲府方面に延長されていた。
    • その場合、どこか(埼玉・山梨県境辺り?)に高崎局→高崎支社と東京西局→八王子支社の支社境界ができている。
    • あるいは西武の構想通り八ヶ岳線と改称した上で大滝から武州中津川森林鉄道の路盤を流用して信濃川上へ至る路線となっていた。
  12. SLは史実通り走っていた。
    • 特急になっているんじゃ…。
  13. 秩父~三峰口間は非電化…。大滝村まで延びていた有り得たかも。
  14. 熊谷〜羽生間は東武鉄道の一部になっていた。

東上鉄道

越生鉄道

北武鉄道

  1. 南武鉄道と同様「JR北武線」と名乗っていた。
  2. 羽生~熊谷間だけだとローカル線に過ぎないので、古河駅まで延伸していた可能性も。
  3. 果たして、秩父鉄道直通はあるのか?
  4. 使用車両はキハ30系→115系→211系か。

東京・神奈川

小田原急行鉄道

もし小田急電鉄が○○だったら#国有化されていたら

神中鉄道

二俣川
ふたまたがわ
鶴ヶ峰   希望ヶ丘
Tsurugamine Futamatagawa Kibogaoka


  1. 相鉄神中線となった後、相模線と同時に国有化された。
  2. 路線名は「JR神中線」。
  3. ラインカラーは横浜で紛らわしくないカナリアイエロー。
  4. 複線化は現実より遅れた。
  5. 昭和50年代まで旧型国電が残っていた。
    • おそらく今頃は埼京線あたりから押し出された205系が運行されている。
      • そしてE233系が投入されるか、中央総武緩行線からE231系が転用されてくる。
  6. いずみ野線は建設されない。
  7. 海老名駅は相模線と隣接する構造になる。
    • むしろ厚木駅に乗り入れている。相模線の海老名駅は「新海老名駅」。
  8. 相模線の電化も国鉄時代には完了していた。
  9. かしわ台車両センターは存在しない。
    • 寧ろ相模線や横浜線の車両もここに配置される。
  10. 東京都心に直結しないので電車の編成は6~8両編成止まり。最近まで通過運転をする列車の設定もなかったかも(または逆に、早い段階で都心に直通する列車が設定されるようになっていたか)。
    • 南武線と違って東京メガループ入りもないだろうし、改良工事も殆ど活発ではなかった。
    • 都心直通なら京浜東北線との直通が何度か検討されてそう。
    • 根岸線の代わりに横浜線と相互直通しているかもしれない。
  11. 横浜高島屋は建設されず、横浜駅西口はあまり発展していない。
  12. 羽沢-西谷間は貨物線としてもっと早くから開業していた。
    • 2000年代以降旅客化の構想が具現化。

目黒蒲田電鉄

下丸子
しもまるこ
鵜ノ木   武蔵新田
Unoki Shimo-Maruko Musashi-Nitta


  1. 「JR目蒲線」「JR池上線」「JR大井町線」となっていた。
  2. ラインカラーは目蒲線が目黒・蒲田両駅で紛らわしくないカナリアイエロー、池上線が五反田・蒲田両駅で紛らわしくないオレンジ、大井町線が旗の台・大岡山・大井町駅で紛らわしくないウグイス。
  3. 湘南新宿ラインは目黒から沼部付近までは大崎を通らず目蒲線経由で運転されていた。
    • 途中停車駅は大岡山のみ。
  4. 車両は全路線205系。
    • まず間違いなく2000年代前半ごろまで103系が残り続けていた。
    • その後E231系orE233系に置き換わるかは微妙なところ。
  5. 目蒲線の分断は無かった。
  6. 蒲蒲線は無かったか、羽田アプローチ線として計画されていた。
  7. 品鶴線の丸子信号場が駅になっていた。
    • 場合によっては田園調布や多摩川よりも沼部のほうが発展していた。
  8. 上手くいけば田園都市線も国鉄が建設していた。
  9. 奥沢の車両基地設備が残るとも考えづらく、この3路線のために蒲田電車区は車両配置を続けていた可能性が高い。
    • 基地容量の都合上、横浜線の車両の配置が別の場所になっていたかもしれない。

東京横浜電鉄

  1. 「JR東横線」となっていた。
  2. ラインカラーは渋谷・横浜で紛らわしくないカナリアイエロー。
    • そうなると南武線はエメラルドグリーン?
  3. 湘南新宿ラインは東横線経由だった。
    • おそらく湘南新宿ライン自体ももっと早く出来ていた。
    • その場合湘南新宿ラインの名前ではなく、東横快速線とかそういう複々線となっていた。品鶴線は横須賀線のみが走るようになっていた。
  4. 横浜線が菊名から横浜まで乗り入れていた。
    • 逆に菊名以西は東横線が横浜線の線路を使っていて、東横線の菊名以西は廃線となっていたかも。東横線の方が線形が悪いし、横浜駅の配線とか考えても簡単だし。
  5. 副都心線との直通は計画すらされなかった。
    • みなとみらい線は京急と乗り入れていた。
  6. 快速「ムーンライト」「フェアーウェイ」は横浜行きとなっていた。
  7. 桜木町から根岸線と直通していた。

箱根登山鉄道

  1. 路線名は「箱根線」あるいは「箱根登山線」になっていただろう。
  2. 旧国鉄における最急勾配はここにおける80‰となっていた。
    • その分碓氷峠の影が薄くなっていたかも。
      • 1997年の長野新幹線開通に伴う横川~軽井沢間廃止は現実ほど騒がれなかった。
  3. 小田急ではなく、国鉄→JRが東京~箱根湯本に特急「はこね」を運行していた。
    • 小田急も「あさぎり」みたいな形で乗り入れていた可能性もある。
      • 小田急ロマンスカーも前面展望室や喫茶カウンターなどは最初から設けられず、EXEのような実用本位の車両ばかりになっていた。
    • 東海道本線の普通も一部乗り入れていた。
      • 箱根湯本までは東京・横浜の通勤圏となっていた。
    • おそらく「踊り子」と併結運転になっていた。
  4. 箱根湯本~強羅間は国鉄時代には唯一の標準軌の在来線となっていた。
    • むしろ国有化の時点で改軌されていたのでは。
  5. 箱根のケーブルカーやロープウェイも国有化されていたのだろうか?
    • 存在しなかったか伊豆箱根鉄道によって建設されたかのどちらかだろう。
  6. ここで運用されている車両をベースに碓氷峠を自走できる電車が開発されていた。
  7. 箱根の観光開発は史実ほどには進まなかった。

湘南電気鉄道

金沢文庫
かなざわぶんこ
上大岡   金沢八景
Kamiōoka Kanazawa-bunko Kanazawa-hakkei


  1. そもそも湘南電気鉄道自体が1067mmで開業していた。
  2. 路線名は「浦賀線」または「湘南線」となっていた。
    • 当初の計画通り桜木町起点となり、桜木町~横浜間を巻き込んで横浜~浦賀間の路線となっていた。
    • 京浜東北線は金沢文庫までの運転。横浜-桜木町-上大岡-金沢文庫が中電停車駅になる。
  3. 久里浜線は開業しなかった。
  4. 史実の京急田浦より先は横須賀線に乗り入れていた。
    • 田浦~横須賀間の籍は横須賀線扱いとなり、代々木~新宿間での中央本線と山手線の関係のようになる。
      • 寧ろ横須賀市街に近い湘南線ルートが本線となっていたかもしれない。
        • その場合旧横須賀線は、戦後に軍港関係の貨物線としてのみ残っているかもしれない。
  5. 逗子線は早々に旅客営業を廃止し、東急車輛への貨物線として残されるようになっていた。
    • 逗子駅の留置線が延長され、横須賀線も付属編成5両+基本編成10両の編成構成になっていた。
    • もしくは葉山への延長が実現していたかもしれない。どちらにしろ逗子駅は無理やり統合されそう。
  6. 相模金谷仮降車場は存在せず、横須賀汐留から軍事用支線が建設されていた。
  7. はいふりスタンプラリーで横須賀中央(横須賀?)・汐入・浦賀がスタンプ設置駅になっていた。
    • この世界では磯子に駅がないので恐らく金沢文庫にもスタンプがあった。

大師電気鉄道

多摩鉄道

玉南電気鉄道

  1. 八王子駅は統合されていた。
  2. 八王子~府中間では中途半端すぎるので調布辺りまで延長される。
    • そのまま日本電気鉄道の計画線をなぞり蒲田まで延長されていたかもしれない。
      • 一部の「あずさ」にこの路線を経由した品川・東京発着が設定されていた。
      • この場合南武鉄道は国有化されず、戦時統合を経て小田急の路線になっている。
  3. 京王は立川辺りまで自力で延長。
  4. 現在は東京メガループの一路線として扱われている。
  5. 聖蹟桜ヶ丘の街並みが史実と大分異なっていた。
    • 前者の駅名はおそらく関戸のまま。
  6. 多摩モノレール開業まで中央大学は陸の孤島同然だった。

京浜電気鉄道