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#その後決勝の北陸対浦和学院が途中で打ち切りになり、両校優勝、3チームが3位と言う扱いになった。
 
#その後決勝の北陸対浦和学院が途中で打ち切りになり、両校優勝、3チームが3位と言う扱いになった。
 
#準々決勝以降の再試合も検討されたが、日程やコンディションの問題のため断念。
 
#準々決勝以降の再試合も検討されたが、日程やコンディションの問題のため断念。
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;ソウル・バルセロナ・アトランタ・シドニーオリンピック
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#1984年ロサンゼルス以前と2004年アテネ以降はメダルを量産する中、20世紀末期のこの4大会は日本のメダル数が少ない。
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#*この4大会日本の成績が低迷してた理由はいろんな説がある。簡単にいえば日本のスポーツの強化が遅れていた。
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#*そのためこの時代の主力世代だった1960年代生まれは日本人のオリンピック金メダリストが少ない。
  
 
==競技場==
 
==競技場==

2019年9月1日 (日) 12:37時点における版

ざんねんなモノ事典 > スポーツ

団体

野球

大阪近鉄バファローズ
  1. 球団創設以来一度も日本一になれれないまま、2004年にオリックス・ブルーウェーブに球団合併された。
    • リーグ優勝した1979~1980年・1989年・2001年は日本シリーズに出場したものの、いずれもセ・リーグ球団(1979・1980年→広島(前者はあの『江夏の21球』)、1989年→巨人、2001年→ヤクルト)に日本一を献上している。
オリックス・バファローズ
  1. 最近でこそファンクラブ会員は増加傾向にあるが、未だにメディアでは阪神タイガースの需要が高い。
  2. 2019年現在までリーグ優勝経験なし。
    • 最後の優勝はブルーウェーブ時代の1996年。
  3. クライマックスシリーズを勝ち抜いた経験がない。
    • 2回進出しているが、いずれもレギュラーシーズン2位で1stステージがホーム開催にもかかわらず敗退。
  4. 最近はセ・パ交流戦で好成績を残すことがあっても、その強さがパ・リーグ公式戦に生かせていない。
阪神タイガース
  1. 関西を代表する球団であるが、日本一になったのは(2リーグ時代に限れば)1985年の1回のみ。
    • 平成時代は広島や(球団消滅した)近鉄共々、一度も日本一を経験できずに終わった。
    • 観客動員は巨人よりも多いくらいだが、成績は悪い…。特に巨人には毎年のように負け越している。
    • それだけに一度優勝するとファンがお祭り騒ぎになる。
  2. 大阪の球団と勘違いされることが少なくない (本来なら兵庫の球団であり、大阪の球団はオリックスである) 。
    • 甲子園は神戸市よりも大阪市の方が近いというのもあろう。
    • 昔は大阪タイガースだったのも影響しているだろう。
日拓ホームフライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ
  1. 東映撤退後に日拓が参入したが、わずか1年(1973年)で日本ハムへ球団を売却。
  2. 7色のユニフォームが特徴的であった。
日本ハムファイターズ(東京時代)
  1. 参入初年で前後期ともに最下位、総合最下位に終わった。
  2. 一度も日本一になれないまま(しかも東京ドーム時代に至ってはリーグ優勝すらできず)、2004年に本拠地を北海道へ移動した。
    • 唯一リーグ優勝した1981年は日本シリーズに出場したものの、同じく当時後楽園を本拠地とした巨人に日本一を献上している(北海道移動後の2009年・2012年にも巨人と対戦したが、いずれの年も巨人に日本一を献上している)。
    • 東京時代(前身含め)で唯一の日本一は東映フライヤーズ時代の1962年。
  3. 後楽園→東京ドームでの試合日程は巨人中心で、日本ハムは8月を中心に他球場で試合を余儀なくされたり、ダブルヘッダーの場合はデーゲームが巨人であるのに対して日本ハムはナイトゲームでの開催を余儀なくされたりしていた。
福岡ダイエーホークス
  1. 1989年、南海ホークスをダイエーが買収したが、その後ダイエー本社の経営不振により球団を手放さざるを得なかった。
    • ただ、弱かった南海ホークスを強くしたのはダイエーの力というのもまた事実。
読売ジャイアンツ
  1. 今も昔も球界の盟主のはずだが、アンチも多い。
    • カネに物を言わせて他球団の4番を強奪してきたりするため。
      • FAで獲得した選手も思ったほど活躍しないケースの方が多い。
    • 最近は阪神の方が球界の盟主になってきているかも。成績はともかく、観客動員では既に阪神に抜かれている。
  2. 優勝しても今ひとつ盛り上がりに欠ける。
    • 勝って当たり前、という認識が強いので。
東京ヤクルトスワローズ
  1. 巨人と並ぶ東京の球団だが、人気は巨人の影に隠れがち。
    • 特に神宮での阪神戦の場合、ヤクルトファンよりも阪神ファンの方が多い。さながら東京甲子園球場と言った印象。
      • 同じようなことは横浜スタジアムにおけるDeNA×阪神戦にも言える。
横浜ベイスターズ
  1. 特に親会社がTBSだった2002年~2011年の間が悲惨だった。11年間で8度も最下位という悲しい結果に終わった。
    • この間にAクラスになったのは1回(2005年)のみ。
中日ドラゴンズ
  1. 2011年に落合博満監督が退任して以降、2013年からここまでBクラスが続いている。
    • 特に2016年は谷繁元信監督がシーズン中に事実上の解任となり最下位、以降も2年連続で5位が続いた。

サッカー

横浜フリューゲルス
  1. 全日空のクラブチームが母体となり、佐藤工業も資本参加してJリーグに加盟したが、佐藤工業の撤退で横浜マリノスに合併された。
  2. 準ホームタウンを九州に定めたため、移動が非常に過酷だった。
鹿島アントラーズ
  1. Jリーグ屈指の強豪チームではあるが、東京方面から本拠地のカシマサッカースタジアムまでのアクセスが良くない。
    • 東京駅から高速バスで2時間以上。
    • 鹿島線・鹿島臨海鉄道の運行本数が少ない。
東京ヴェルディ
  1. 読売グループが撤退してからの迷走っぷりが激しい。
  2. Jリーグ初期は三浦知良やラモス瑠偉などを擁し、Jリーグ連覇を達成するなど強豪チームであったが、半ば川崎市に追い出されたようなかたちで2001年に味の素スタジアムに本拠地を移転。さらに2006年にはJ2に降格し、2008年に一度J1に復帰するも1年でJ2に再度降格、現在はJ2に定着してしまっている。
  3. ホームゲームでの入場者数もFC東京が2万を超えているのに対して東京ヴェルディは5~6000人程度。それに加えて上層部の客席を開放していない。
ジェフユナイテッド市原・千葉
  1. 古河電工を祖とする名門でありオリジナル10の1チームだったが、近年はJ2に定着してしまっている。
大宮アルディージャ
  1. 同じさいたま市をホームタウンとする浦和レッズの陰に隠れがち。
  2. 成績でもJ1とJ2を行ったり来たり。
湘南ベルマーレ
  1. フジタ撤退後はJ2を10年彷徨い、J1復帰後もJ2と行ったり来たり。
水戸ホーリーホック
  1. J2初年度に参加できず、J1ライセンスの条件を満たすべくスタジアム構想も停滞しているため、2019年時点ではJ1に昇格できない。
柏レイソル
  1. 好不調の波が非常に激しい。J1優勝を果たしたと思っていたら数年でJ2降格なんてことも。
ヴィッセル神戸
  1. 阪神淡路大震災に遭い出資母体だったダイエーが撤退、有力スポンサーが現れぬまま民事再生法を適用して楽天に身売りされた。

バスケットボール

埼玉ブロンコス
  1. 新潟アルビレックスBBとともにbjリーグ設立の中心となったが、オリジナル6で唯一bjプレイオフ進出がなく、Bリーグ発足時にはB3に振り分けられてしまった。
  2. 埼玉を冠するものの所沢がメインのため東埼玉ではほとんど無名、しかもアルファーズが越谷移転・B2昇格でさらに影が薄くなった。
東京アパッチ
  1. bjリーグオリジナル6のひとつだが、経営面が安定せず東尾修や元NFL選手でテコ入れを図ったり会社も何度も変わり、そして東日本大震災でとどめを刺された。
和歌山トライアンズ
  1. 休部のパナソニックを引き継ぎ、NBL初年度は準優勝となるも、経営不安が発生しNBLから除名。社会人クラブとして出直しトップリーグ復帰を目指すが、Bリーグはおろか、B3準会員すら門前払いされている。
大分ヒートデビルズ
  1. こっちもbjリーグオリジナル6のひとつだが、やはり経営難により何度も会社が代わり、bj末期は愛媛とのダブルフランチャイズに変わり、Bリーグ発足とともに移転してしまった。

人物

浅尾美和
  1. 「ビーチの妖精」と呼ばれマスコミの注目度が高かったが、ツアーの戦績が伸び悩み、西堀健実とのペアの解消してからは相手が目まぐるしく変わっていた。
伊東勤
  1. 西武監督時代の2007年に怪我人が相次ぎ、交流戦で10連敗を喫し、26年ぶりのBクラス (5位) に終わったことにより監督を辞任。
ウィリン・ロサリオ
  1. 2018年に年俸3億4000万円+出来高払いと、鳴り物入りで阪神タイガースに入団したのにもかかわらず、75試合で8本塁打・40打点・打率.242と成績が低迷し、シーズン終了後にウエイバー公示された。
上田利治
  1. ヤクルトとの1978日本シリーズ第7戦で6回裏一死からヤクルトの大杉勝男が左翼線に放った本塁打をファウルだと抗議し、そのためにシリーズ史上最長の1時間19分の中断を余儀なくされた。
    • その後試合は再開したものの、マニエルと再度大杉に本塁打を打たれた結果、阪急はヤクルト初の日本一を献上する形になり、上田はこの日本シリーズでの混乱の責任を取るため退任した。
  2. 1988年10月23日、阪急ブレーブスとしての西宮球場最終戦終了後の挨拶で「去る山田久志、そして残る福本」と言うつもりだったものを、間違えて「去る山田、そして福本」と言ってしまい、最終的に福本の引退に繋がってしまった。
  3. 1996年にはオリックスと熾烈な優勝争いを繰り広げたものの、同年9月に家庭の事情により休養しチームを離脱、オリックスに逆転優勝を許す形になってしまった。
    • 仮に優勝していたらこの年の日本シリーズは同じく東京ドームを本拠地とする巨人との対決になっていただろう。
  4. 選手時代は広島に在籍したものの、怪我で活躍できず早々と引退。
小倉隆史
  1. 2016年に名古屋グランパスのGM兼監督を務めるも、クラブ史上最悪となるリーグ戦17戦未勝利の成績不振で休養、クラブも史上初のJ2降格。
釜本邦茂
  1. ガンバ大阪初代監督を務めたが、1年目は年間7位、2年目は10位と奮わなかった。
亀田三兄弟
  1. ボクシング人気復活の起爆剤として期待されたが、相次ぐトラブルで国内ライセンスを失い、長男興毅と次男大毅はアメリカで引退を余儀なくされた。大毅に至っては海外初戦で敗れ網膜剥離のおまけ付き。
  2. 残った三男和毅は国内復帰が認められたものの、テレビからは見放され世界戦ですらネット配信のみという寂しい有様。
  3. 妹の姫月もプロボクサーになったが、セコンドライセンス停止中の父から離れられないため、海外で転戦せざるを得なくなっている。
坂本博之
  1. 「平成のKOキング」と呼ばれ世界ランク1位まで上り詰めるも、4度の世界挑戦は1度も実らなかった。
桜井孝雄
  1. 日本初のオリンピックボクシング金メダリストだが、プロ転向を巡り大学と揉めてOB会名簿からも除外されてしまった。
  2. プロでも自分のスタイルが受け入れられず「所詮アマ出身」とバッシングされた。
  3. 2012年、ロンドン五輪での村田諒太の金メダルを見ることなく逝去。
G.G.佐藤
  1. 北京オリンピック野球日本代表に選ばれたが、本番では痛恨のエラーを連発したため、メダルを逃したA級戦犯として大きな非難を浴びてしまった。
ジョゼ・オスカー・ベルナルディ
  1. 当時JFLだった京都パープルサンガをJリーグに導いたが、Jリーグ初年度は開幕17連敗を喫し途中で解任された。
新庄剛志
  1. 2012年度の野球殿堂入りの候補者に上がったが、わずか5票しか得られずそれ以降は候補者リストから外された。
高野人母美
  1. プロボクサーとモデルの二刀流で女子ボクシングを背負って立つ存在として期待されるも、世界王座には届かず、その後は引退撤回騒動やファイトマネー未払いとトラブルが相次ぎ、日本を離れてアメリカ西海岸を拠点とするも戦績は芳しくないらしい。
  2. アマチュア時代には発熱でロンドン五輪につながる大会を欠場したこともあった。
田辺清
  1. 日本初のオリンピックボクシングメダリストとして鳴り物入りでプロ転向したが、世界挑戦を目前に網膜剥離を発症したため引退を余儀なくされた。
タノムサク・シスボーベー
  1. 世界王座に3度挑むもすべて失敗、中でも鬼塚勝也との2戦は「疑惑の判定」に泣かされた。
  2. それより前にも松村謙二に「疑惑の判定」で東洋太平洋王座を追われてしまった。
長義和
  1. モントリオール五輪に出場した自転車トラックレーサー。モスクワ五輪を捨てきれず競輪学校合格も辞退してまでアマチュアを続行するが、日本のボイコットで出場が消滅。競輪への道も当時存在した年齢制限のため閉ざされてしまい引退せざるを得なかった。
辻内崇伸
  1. 大阪桐蔭時代に甲子園を大いに沸かせ、ドラフトの目玉として注目を集める中で巨人に1位指名され入団するが、度重なる怪我のため一軍登板はないまま引退。
長嶋茂雄
  1. 初めて監督に就任した年(1975)は後述に書かれているようにセリーグ最下位、その後の1976年と1977年はリーグ優勝を果たすも、日本シリーズではいずれも阪急に敗れている。
    • 1996年も当時リーグ史上最大の11.5ゲーム差をはね返してリーグ優勝(いわゆる「メークドラマ」)を果たすも、今度は阪急から改名したオリックスに敗れている。
      • なお、長嶋監督時代に日本一になったのは第2次監督時代の1994年・2000年の2回である。
  2. 2004年アテネ五輪を目指す日本代表監督にも就任したが、脳梗塞を患い五輪本番では指揮を執れず。
新井田豊
  1. 世界王座7度防衛を果たしたが、微妙な判定も多く、対戦相手陣営に「八百長」と吐かれたこともあった。
西本幸雄
  1. 監督として日本シリーズに8度出場しながらも優勝できなかった 「悲運の名将」 。
    • このうち5回は巨人のV9時代 (1967~1969・1971・1972) に重なっている。
根本陸夫
  1. 広島・西武・ダイエーのフロントを歴任し、黄金期の土台を築いたが、監督としてはAクラスが広島時代に1回 (1968年) のみで、それ以外はすべてBクラスである。
柱谷哲二
  1. 現役時代は「闘将」と呼ばれ活躍したが、監督としては2002年のコンサドーレ札幌では公式戦13戦わずか2勝で途中解任(チームもJ2降格)、2008年の東京ヴェルディでも降格に導いてしまうなど不甲斐ないため、「凍傷」に変わってしまった。
早野宏史
  1. 1999年からガンバの監督を務めるが、成績が上向かず2001年2ndステージ途中で辞任。
  2. 2004年シーズン途中より柏の監督も務めたが、同年は最下位で入替戦行き、翌年にJ2降格。
フェリペ・マッサ
  1. 元F1レーサー。ワールドチャンピオンの懸かった2008年最終戦ブラジルグランプリで優勝し、チャンピオン獲得と思われていたがライバルのルイス・ハミルトンが土壇場でポイント逆転のオーバーテイクをし、タイトルを獲得できず。
堀内恒夫
  1. 巨人のV9時代のエースだったが、監督としては1年目の2004年は3位、翌2005年は5位に終わっている。
  2. 2005年の本拠地最終戦では堀内監督にブーイングが飛び、最終戦セレモニーが中止になった。
マーティ・ブラウン
  1. 広島東洋カープ2人目の外国人監督だった (1992年~1994年に広島に在籍) が、その後楽天での監督時代も含めて5年間で12回も退場処分を受けている。
松木安太郎
  1. セレッソ大阪監督としてはJリーグ1試合最多失点記録を出すなど成績不振により1年で解任。
  2. その後ヴェルディ監督に復帰も、半年で解任された。
森祇晶
  1. 横浜ベイスターズ監督時代は成績不振に喘ぎ、特に2002年は勝率3割台と落ち込み、シーズン終了まで14試合を残したところで解任された。
    • なお、森監督のBクラスは2002年のみである。
山本浩二
  1. 2013年のWBCで3連覇を目指す侍ジャパンの監督を務めるも、ベスト4で終わった。
ラモス瑠偉
  1. FC岐阜監督時代は1年目こそ順位を上げたものの、2年目はあわやJ3降格の成績に終わり、3年目は途中解任された。
呂比須ワグナー
  1. 2012年シーズンのガンバの監督就任オファーを受けるも、当時はS級ライセンスを持っていなかったため、表向きはヘッドコーチだった。
  2. その後、S級ライセンスが認められ、2017年シーズン途中にアルビレックス新潟監督就任も、16戦未勝利でJ2降格。

競馬

競走馬

ハルウララ
  1. 連戦連敗続きにより一躍大スターとなったが、引退後の扱いは・・・
スシトレイン
  1. デビュー1戦目、2戦目はいずれも圧勝。エルコンドルパサーの再来と持ち上げられ海外遠征の話まで上がる。
  2. しかし、その後は惨敗続き。結局3勝目はおろか掲示板にすら入れないまま引退した。
    • だが、2戦目と3戦目は同条件で殆ど変わらないタイムである。つまり、今まではレベルが低すぎただけであった。
ラムタラ
  1. 欧州で活躍した競走馬。引退後は種牡馬として英で1年供用された後、3000万ドルで日本に導入されるが結果は大失敗。再輸出の価格は購買時の100分の1以下であった。
サラブレットクラブ・ラフィアン所有の競走馬(冠名にマイネル・マイネと付いている馬。)
  1. 2歳戦やローカル重賞では活躍馬をそこそこ出しているがGIやクラシックでは好走まではするが勝てない。
  2. マイネル軍団の総帥こと岡田繁幸氏の目標は東京優駿(日本ダービー)制覇と言われているが果たしてその夢はかなうのか・・・。
    • ただ、下部を見れば分かる通り彼の馬選は良いとは言えない。
ウォーエンブレム
  1. アメリカで二冠を達成。引退後は日本で種牡馬となる。
  2. しかし、小柄な栗毛の牝馬(つまり人間で言う金髪幼女)でしか反応しないと言う性癖によりほとんど産駒を残せなかった。
  3. 数少ない産駒から重賞馬やG1馬を多数排出しており、産駒の質だけなら優秀な種牡馬であった。ロリコンでさえなければ・・・
ダンツフレーム
  1. クラシックでは全て入着。その後も重賞やG1を賑わせ続け、グランプリホースにもなった。
  2. しかし引退後は種牡馬入りできず、屈腱炎にも関わらず地方で再び走らされ散々戦績に傷がついた挙句、肺炎で急死。あんまりな末路である。
    • 元々血統が悪くサンデー産駒全盛期の時代に需要が無かったこと、勝った宝塚記念もジャングルポケットやマンハッタンカフェ・ナリタトップロードと言った有力馬のいないレースであり低レベルだった事情もある。
マイネルエクソン
  1. キーンランドのセリで55万ドルで競り落とされ、総帥が「朝日杯を楽勝したら欧州へ」「国内で稼げれば良いと考えるなら出資を見送るように」などと吹きまくったが、デビュー後は中央未勝利のまま地方へ・・・
カーム
  1. マイネルで有名な岡田総帥が3億2000万円と言う高額(サンデーサイレンス産駒中3番目の高額)で落札。やはりデビュー前は絶賛されたが中央未勝利に終わった。
  2. 一応種牡馬にはなれており、産駒が中央で勝てなかった父の無念を晴らしている。
オーシャンエイプス
  1. 新馬戦の勝ちっぷりで大きな話題に。一時はオーシャンエイプスの新馬戦の単勝馬券が高額でオークションに出されたほどだった
    • ・・・が、次戦のきさらぎ賞で平凡な馬だと分かり価値が暴落。入札者が出品者を脅迫して入札を削除させる事件までもが起きてしまう。
ディープインパクト(2006年の凱旋門賞)
  1. 日本の悲願だった凱旋門制覇だ!とばかりに意気揚々とフランスに遠征。テレビで特番が組まれたりツアー旅行が組まれるなど盛り上がった。
    • だが結果は3着に完敗。さらに餌に禁止薬物が入ってたことが判明し失格になるという散々なことになってしまった。
      • 観光客のマナーの悪さも問題になった。
ハマノパレード
  1. グランプリホースとなったが、高松宮杯競走中止後はそのまま屠畜場行きに。後にこの事実が新聞で取り上げられ批判が殺到。これを切欠に予後不良と診断された競走馬の屠殺は行われなくなった。
  2. なお、ハマノパレード事件以前は取り沙汰されていなかっただけで、予後不良となった馬を馬肉に転用することはしばしばあったとか。
ハシルショウグン
  1. 南関競馬で活躍。だが芝G1ではいずれもドベでアルクショウグンと揶揄される。
  2. 最後も旧表記9歳で凡走が続いていたにも関わらず障害を走らされ・・・
ダイワメジャー
  1. 2004年の皐月賞馬。しかし、その後は不調だった時期がありダメジャーと言う不名誉なあだ名をつけられる羽目に。
  2. 最終的にはG1を4勝し、種牡馬入り後も多くの産駒が活躍している。

その他

浦和競馬場
  1. 南関東の地方競馬場のなかで一番狭い。大井が16頭、船橋・川崎が14頭に対し浦和は最大12頭のみ。
  2. 住宅地のど真ん中にある関係上これ以上の拡幅は不可能。さらにナイター開催も南関東では唯一行われていない。
  3. 他3場と違い交流重賞はJpnIIまでしか行われていない。今年度はJBCが開催されるが常設のJpnIはない。
  4. コースも直線が短くカーブも急であり、特に第3コーナーは今までに2名の騎手が落馬が元で命を落としている。
    • それゆえ浦和コースを知り尽くした地方騎手の乗る地方馬が交流重賞で中央の強豪馬に勝利するケースは多い。

試合・シーズン展開

プロ野球

1975年の読売ジャイアンツ
  1. 長嶋茂雄が監督に就任して1年目の巨人だったが、チーム創設以来初めてリーグ最下位に終わった。
    • なお、巨人が最下位に終わったのはこの年が唯一である。
1989年の日本シリーズ
  1. 第3戦までに近鉄が3連勝するも、加藤哲郎の発言が 「巨人はロッテより弱い」 と報道されてから、巨人が4連勝して逆転優勝を収めた。
セ・パ交流戦
  1. パ・リーグの強さが顕著になり、セ・リーグが勝ち越せたのは2009年のみ。
    • 交流戦優勝球団もパ・リーグ球団が12回 (うちソフトバンクが8回) 。
  2. 2015年から2018年まで、交流戦で勝ち越したリーグがドラフト会議で優先的に指名できるルールだったのが、4回ともパ・リーグが勝ち越したこともあり、1年おきに交互に優先権が与えられるルールに変わった。
2005年の日本シリーズ 阪神ロッテ
  1. トラキチにとっては非常に最悪な結果に(33-4)。
  2. 第4戦以外はすべてロッテが10点とって勝利した。
アジアシリーズ
  1. スポンサーの撤退や日程、さらに参加国の都合により、2013年を最後に行われず。
    • 2014年にはWBSCより公認を得られていた。
2007年10月6日 プロ野球セ・リーグ 広島対横浜
  1. この試合は佐々岡真司の引退試合だったが、佐々岡が登板した9回表に村田修一が36号ホームランを放った。なお、このホームランは村田の本塁打王を決定付けるものだった。
2007日本シリーズ第5戦 中日対日本ハム
  1. 中日は山井大介が先発で登板し、8回ノーヒットで抑えるも落合博満監督などの判断で9回に岩瀬仁紀に交代した。結果は岩瀬もノーヒットに抑え1対0で中日の優勝が決定。この采配に賛否両論の意見が寄せられた。
2008年10月12日 プロ野球セ・リーグ ヤクルト対横浜
  1. ヤクルトの4選手の引退試合だったのにもかかわらず、またしても村田修一が7回表に46号3ランホームランを決め、これが村田の本塁打王を決定付けた。この46号が、横浜ベイスターズの年間のホームラン記録を塗り替えるものとなった。
2010年9月30日 プロ野球セ・リーグ 阪神対横浜
  1. この試合は阪神・矢野燿大の引退試合で、9回表2アウトの時点で阪神が勝ち越していれば矢野が捕手として出場する予定だったのが、9回表に横浜・村田修一が3ランホームランを放ち横浜が3対4で逆転。矢野は出場できなくなってしまった。試合は3対4で横浜が勝利。
  2. なお、試合後に行われた矢野の引退セレモニーで花束を贈呈したのは村田修一だった。
  3. この試合のサンテレビでの実況中継で 「行くな、行くな、越えるな!」 が話題となった。
2012年10月8日 プロ野球パ・リーグ ソフトバンク対オリックス
  1. この試合はソフトバンク・小久保裕紀の引退試合だったが、オリックスの先発である西勇輝がノーヒットノーランを達成。
  2. なお、このノーヒットノーランは平成生まれの選手では初記録となった。
2014日本シリーズ第5戦 阪神対ソフトバンク
  1. トラキチにとっては悪夢以外の何物でもない。阪神の西岡剛が一塁へゴロを放つとファーストがバックホームで2死を取り、再びファーストへ投げたが、ファーストが捕球できず、外野へ転がる間にランナーが帰ったが併殺プレーにおいて西岡がラインの内側を走ったことによる守備妨害でアウトとなり、そのままソフトバンクの優勝が決定。
2017年10月1日 プロ野球セ・リーグ 巨人対阪神
  1. この試合に巨人が4-5で敗れ、さらにDeNAが広島に13-7で勝利したため、巨人は初めてクライマックスシリーズ出場を逃すこととなってしまった。

高校野球

1992年夏2回戦 明徳義塾対星稜
  1. 星稜のプロ注目4番打者松井秀喜に対して明徳義塾が全5打席連続敬遠。スタンドからメガホンが投げ込まれ球場から大ブーイングが発生し、明徳義塾の勝利の校歌斉唱で「帰れコール」が起きて校歌がほとんど聞こえず。
  2. 明徳義塾の学校や宿舎に苦情電話が殺到。あまりの大バッシングに続く3回戦で明徳義塾の選手は本来のプレーができず広島工に0-8で完敗。
2006年春の選抜高校野球大会
  1. 前年夏の甲子園・秋の明治神宮大会優勝の優勝候補筆頭・駒大苫小牧が出場辞退したせいでどこが優勝しても「ナンバー2を決める大会」になってしまった。
  2. 決勝の横浜対清峰は21-0という記録的大差がついてしまい最後まで後味の悪い大会になった。
2011年春の選抜高校野球大会
  1. 東日本大震災で中止も検討された中、なんとか開催にこぎつけるも入場行進中止、鳴り物禁止、延長戦なし、終盤の逆転劇なし、ナイターなし、サヨナラゲーム1試合だけという非常に盛り上がりに欠ける大会に。
  2. 被災地からの出場で被災後数日連絡が取れてなかった東北高校は、全国から大声援を受けるも初戦で大垣日大に0-7で完敗。
    • 東北に勝利した大垣日大の学校や宿舎に(上記の明徳義塾のような)苦情電話が殺到。続く2回戦で大垣日大の選手は本来のプレーができず東海大相模に5-13で完敗。
2013年夏準々決勝 花巻東対鳴門
  1. 花巻東の選手がサイン盗みを行っていたことが発覚しネットで大問題に
    • さらにカット打法も問題になる
  2. 続く準決勝で花巻東の選手は本来のプレーができず延岡学園に完封負け
2017年夏3回戦 仙台育英対大阪桐蔭
  1. 仙台育英の選手が大阪桐蔭の一塁手中川卓也の足を蹴った疑惑でネットが大炎上
  2. 続く準々決勝で仙台育英の当該選手は欠場となり、広陵に完敗。

サッカー

1993年Jリーグチャンピオンシップ第2戦 鹿島アントラーズ対ヴェルディ川崎
  1. Jリーグ初代チャンピオンが決まる一戦だったが、カズのPK蹴る前にジーコがボールに唾を吐き退場。そのPKが決まり試合は1-1で終わり、1戦目を獲ったヴェルディが初代チャンピオンに。
1999年J1最終戦 浦和レッズ対サンフレッチェ広島戦
  1. 他チームの試合が終了し、浦和の降格が既に決定した段階での延長戦前半、福田正博による 「世界で一番悲しいVゴール」 。
2000年の柏レイソル
  1. 年間総勝ち点でリーグ最多となったものの、最終節の鹿島戦でスコアレスドローに終わりチャンピオンシップを逃した。
    • 年間最多勝ち点クラブがチャンピオンシップを逃したのはこれが唯一である。
2009年 J2第8節 東京ヴェルディ対サガン鳥栖
  1. 試合が開始して、わずか9秒でヴェルディの菅原がレッドカードを貰って一発退場。
  2. 開始初っ端から退場者が出て、数的に優位のはずのサガン鳥栖だが、いざ試合が終わってみたら2-0でヴェルディが勝ってしまった。
2013年の大分トリニータ・2014年の徳島ヴォルティス
  1. どちらも1年間、ホームでの勝利が全くなかった。
2014FIFAワールドカップ準決勝 ブラジル対ドイツ
  1. 開催国として出場したブラジルが準決勝でドイツに1対7で大敗を喫した 「ミネイロンの惨劇」 。現地では自殺者が出るほどの大事件につながった。
  2. ブラジルのメディアは選手を痛烈に批判。
2015年の大分トリニータ
  1. J2降格から2年目のシーズンだったがまさかのJ3降格。J1経験クラブ初のJ3となってしまった。
2016年の名古屋グランパス
  1. シーズン後半で敗けが続いた結果、年間成績が16位となり翌年はJ2リーグに降格してしまった。これによりJリーグ発足当初から参加している 「オリジナル10」 でJ2以下への降格経験がないのは鹿島アントラーズと横浜F・マリノスのみになってしまった。
2017年のブラウブリッツ秋田
  1. J3優勝を果たしたものの、Jリーグのクラブライセンス制度を満たしておらずJ2に昇格できなかった。なお、同年2位の栃木SCはJ2どころかJ1ライセンスを保有していたため、こちらはJ2に昇格できた。
2018年 J1第33節 清水エスパルス対ヴィッセル神戸
  1. 審判のジャッジミスで、後半アディショナルタイム(AT)が20分近くも取られたという、世にも珍しい誤審が話題になった試合。
    • 後半ATは当初4分の表示であったが、ATに入ってから接触プレーが続く荒れた展開となり、それでプレーが止まるたびにプレイ時間を上乗せしていった結果、延びに延びて18分50秒という長い時間となった。
    • ATに入って13分経過したところで、セットプレーから清水GKの六反がゴールを決め3-3のドローに持ち込む。
    • いつまで経っても終わらない試合に両チームの選手のイライラが募り、神戸のウェリントンが清水の選手を倒して警告を受けたことで両チーム一触即発の乱闘騒ぎになる。
      • 結果的に2枚のイエローカードを受け、退場になったウェリントンは、ピッチから去る際に、ATでゴールを決めた六反を投げ飛ばすという暴挙に出る。
  2. 神戸にしてみれば、ATに入るまでは勝っていたのに、常識はずれの延長時間のせいでGKに同点ゴールを決められるわ、退場者を出すわで踏んだり蹴ったりである。
  3. 清水にしてみれば、何とか同点にできたものの、ケガ人が続出するわ、引退により最終試合となる兵働のセレモニーにケチが付くような結果になるわで踏んだり蹴ったりである。
2019年8月17日 J1リーグ第23節 清水エスパルス対北海道コンサドーレ札幌
  1. 前半終了時点で0-2だったのが、後半の札幌の猛攻により最終的に札幌の8得点で完封勝ち。
    • しかも清水はゴールキーパーを交代しなかった。
2019年8月23日 J1リーグ第24節 サガン鳥栖対ヴィッセル神戸
  1. フェルナンド・トーレスの引退試合だったが鳥栖が1対6で敗戦。
  2. この試合は神戸も、アンドレス・イニエスタが前半45分に左大腿付近を負傷したため途中交代となってしまった。
2019年のFC東京
  1. ラグビーワールドカップが本拠地の味の素スタジアムで開催され、その上味スタ以上の同じ規模で他チームに影響なく使えるスタジアムが都内にはないことなどにより、第23節 (8月24日) から第31節 (11月9日) までアウェイ8連戦を余儀なくされた。
    • その直前の期間で変則的にホーム3連戦が2度行われることとなった。
  2. 前半戦で主力として活躍していた久保建英が、シーズン中にレアル・マドリードに完全移籍した。

ボクシング

坂田健史対内藤大助
  1. 坂田にとって日本タイトル初防衛戦となったが、0-1の引き分けで王座防衛という微妙な結果に終わり、試合後に内藤の同僚がおもちゃのナイフのようなものを持って暴れ出す事件が起こり、遺恨試合になってしまった。
内藤大助対ポンサクレック・ウォンジョンカムの第1戦
  1. 内藤にとって敵地タイでの世界初挑戦だったが、当時の世界タイトルマッチ最短記録となる34秒KO負けを喫し、帰国後に「日本の恥」などとバッシングされた。
山中慎介対ルイス・ネリの2戦
  1. 最初の対戦は具志堅用高に並ぶ13連続防衛が懸った試合。ネリがTKOで沈めたがドーピング検査で陽性反応が出たと発表され大混乱。
  2. その後命じられた再戦でネリは体重超過のため王座剥奪(試合はネリがTKOで返り討ち)。その後ネリは日本のリングから永久追放処分、山中は引退。後味の悪さを残した。

その他

2015年春の高校選抜ハンドボール大会男子
  1. 準々決勝の浦添対法政二で浦添の4点目が反則による無効とされるもスコアラーのミスが発覚。現場は大きな混乱を招いた。
  2. その後決勝の北陸対浦和学院が途中で打ち切りになり、両校優勝、3チームが3位と言う扱いになった。
  3. 準々決勝以降の再試合も検討されたが、日程やコンディションの問題のため断念。
ソウル・バルセロナ・アトランタ・シドニーオリンピック
  1. 1984年ロサンゼルス以前と2004年アテネ以降はメダルを量産する中、20世紀末期のこの4大会は日本のメダル数が少ない。
    • この4大会日本の成績が低迷してた理由はいろんな説がある。簡単にいえば日本のスポーツの強化が遅れていた。
    • そのためこの時代の主力世代だった1960年代生まれは日本人のオリンピック金メダリストが少ない。

競技場

川崎球場
  1. 1988年、ロッテ対近鉄の 「10.19決戦」 が川崎球場で行われたため多くの観客が詰めかけたものの、球場に発券機がなく窓口はてんやわんやに。さらにもともと入場者数が少なかったのが災いし、売店や自動販売機が品切れとなり、トイレも男女兼用で鍵が壊れていたところもあり、特に女性にとっては不便だった。
  2. 1989年から1991年にかけて改修工事が行われ、1988年に比べると利便性は向上したものの、それでもロッテ球団側の不信感を拭えず、1992年にロッテは千葉に移転した。
  3. そして現在は野球場としてはほぼ使われておらず、主にアメリカンフットボールが行われている。
豊田スタジアム
  1. 2002 FIFAワールドカップ会場から落選。
  2. 開閉式屋根が付いているものの、コストの問題から開けっ放しに…。
阪神甲子園球場
  1. 阪神ファン=大阪人と思われていることから大阪府にあるものだと思ったら、住所は兵庫県西宮市。
    • 東京ディズニーランドのようにネタにも挙がらないので、素で大阪にあるもんだと間違われる。
      • 事実神戸市よりも大阪市の方が近い。
国立霞ヶ丘競技場
  1. FIFAが定める座席数に届かなかったため、2002 FIFAワールドカップを開催できなかった。
  2. 一般的には単に「国立競技場」と呼ばれている。
    • 「霞ヶ丘」という地名があまり知られていないような気がする。
札幌ドーム
  1. サッカー・野球の双方に使える多目的が売りだが、使用料が高いという理由で北海道日本ハムファイターズは北広島市に自前の球場を作り、本拠地を離れることになってしまった。
福岡ドーム
  1. 開閉式ドーム球場として設計されたものの、諸々の理由により屋根が開閉されることは滅多にない…。
  2. 当初計画ではツインドームを作る予定だったが、ダイエーの経営難などにより取りやめになった。
西武ドーム(メットライフドーム)
  1. 西武球場をドームにしたもの。ドーム球場になったのではなく球場の上に屋根を取り付けたという構造である。
    • その結果雨は防げるが風雨になると客席上段に雨が入って来る、空調はないので夏場は夜でも蒸し暑く、熱中症対策は必須である。冬場は寒風吹き曝し状態になるので寒さ対策も必要になってくる。
    • ドーム化初期は雨対策が不十分であったため、ドーム球場でありながら雨天中止になることがあった。
  2. また、交通アクセスも良いとは言えない。西武球場前駅は6番線までホームはあるが狭山線が単線なので運行本数が増やせず、試合やイベント終了後は大混雑となってしまう。
宮城スタジアム(ひとめぼれスタジアム)
  1. 2002 FIFAワールドカップの会場の一つだが、最寄駅から遠すぎるなどの理由でその後はほとんど使われず。
広島広域公園陸上競技場(エディオンスタジアム)
  1. 2002 FIFAワールドカップの開催条件となっていた改修が費用対効果に合わないと断念され、落選。
柏の葉公園総合競技場
  1. 陸上競技場だったために柏レイソルのサポーターからの評判が悪く、Jリーグの試合は開催されなくなった。



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