ページ「もしあの歌手グループにあのメンバーが残留していたら」と「もしあの路線の直通運転が現在も続いていたら」の間の差分

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グループが活動中に脱退したメンバーがもし残っていたらどうなっていたかを考える。
==新京成電鉄線・北総鉄道線==
*新項目を追加する際は50音順でお願いします。また追加する際はそのメンバーがいたグループ名も書くこと。
*史実では暫定開業に伴い直通→高砂まで開業後も乗り入れは1年程度存続→新鎌ヶ谷駅開業と共に廃止と言う経緯を辿りましたが…。
*メンバーが脱退したと同時にグループが解散や活動停止になったケースや、そのメンバーが死亡していなくなったケースは除きます。
#流石に印旛日本医大以東への乗り入れは無かったと思われる。
*脱退と同時に引退したメンバーもこちらで扱います。
#*開業前に検討自体はされるが、運営会社の複雑化を避けるために没になるという経緯が一番あり得る。
*「あの事件・アクシデントさえなければ脱退することはなかった」「ソロに転向することはなかった」などといった安易すぎる内容の投稿は禁止です。
#**それでも成田線が改良されない以上、常磐線沿線から成田空港への最速アクセス手段になっていた。
#*その代わりに新鎌ヶ谷でアクセス特急に乗り換えやすいダイヤが設定されていた。
#二重戸籍を避けるために北初富駅が廃止されていたかもしれない。
#新鎌ヶ谷駅付近の立体交差化計画が史実とかなり異なるものになっていた。
#*踏切が一か所ある+新鎌ヶ谷駅が2面4線化されたなどの理由から、史実の連絡線の高架部は流用されていないと思われる。
#新京成の車両が全て6両編成に統一されることはなかった。
#京成千葉線への直通はなかった。


==独立項目==
==東京メトロ日比谷線・東急東横線==
*[[もしあのAKB48メンバーがもっと長く在籍していたら]]
#現実の渋谷始発が日比谷線に乗り入れていた。
*[[もし坂道シリーズのメンバーが○○だったら#あのメンバーがもっと長く在籍していたら]]
#*代官山に止まる本数が少なくなるため、代官山に急行が止まる。
*[[もしSMAPが○○だったら#森且行が残留していたら]]
#そのうち東急東横~日比谷~東武伊勢崎の3社直通運転になる。
*[[もしモーニング娘。のあのメンバーがもっと長く在籍していたら]]
#*川越に行こうとして東武の電車に乗ったら春日部に来てしまい、途方にくれる人が続出する
*[[もしあの歌手グループが解散・活動停止していなかったら]](メンバー脱退と同時にグループが解散・活動停止になったケースはこちらへ)
#**その逆もまた然り。
*[[もしあの人が健在だったら/歌手]]
#武蔵小杉駅がカオスになる。
*[[もしあの人が健在だったら/海外ミュージシャン]]
#*副都心線、日比谷線、南北線、三田線が乗り入れるため、駅周辺の地価が急上昇。
#*さらに相鉄が乗り入れてくる。
#*もっとタワーマンションができていた。
#学芸大学にホームドアは設置されなかった。
#*東横線・田園都市線・大井町線全駅のホームドア設置計画も見送られていた可能性もあった。
#**さすがにロープ式ホームゲートは難しいか。
#***日比谷線20m化後、7両・8両・10両に対応したホームドアが設置される。
#**どう考えても、大井町線に優先して設置し、田園都市線と東横線には後から一気に設置となる可能性が高い。
#東急側からは、池上・多摩川線に導入されている新7000系の8両編成バージョンが製造されていたかも。
#20m・7両化に合わせ、6扉車を引き抜いた田園都市線用5000系の一部が日比谷線直通用に転用されていた。
#*8500系が未だに一定数残っているにも関わらず5000系で5000系を置き換える珍事となっていた。
#**もしくは2020系が数年早く開発されていた。
#***史実と異なり操舵台車になっていた。
#*操舵台車じゃない20m車って日比谷線に入れるの?
#*先に独断で7000系(2代目)を8連乗り入れ仕様で導入してしまったら、「先見の明が無い」として批判されそう。
#*横浜から東武日光までの直通特急の運転も検討されていた。
#**東武500系「リバティ」は日比谷線・東横線乗り入れ仕様になっていたかも。
#**THライナーは横浜まで延長されていたかも。
#相鉄20000系が日比谷線乗り入れを前提にした設計になっていたかもしれない。


==あ行==
==東武東上線・秩父鉄道==
===相川茉穂(アンジュルム)===
*1949年から1992年まで行われていた(そのうち1983年から1989年までは小川町~三峰口のみの直通)
#和田彩花が定年で卒業した後もアンジュルムは12人で活動していたかもしれない。
#西武池袋線の秩父鉄道乗り入れは三峰口側だけになる。
#土休日に快速急行(2019年からは川越特急)が池袋~寄居~三峰口を直通運転していた。
#2018年ごろに元町・中華街~三峰口(または秩父・長瀞)を直通するSトレインが新設されていたかもしれない。
#*西武線直通列車も秩父に向かうため、紛らわしくないように「東武東上線経由」「西武池袋線経由」の案内が加わる。
#小川町での分割は行われず、池袋~寄居の全線直通が現在も行われている(こちらは平日も)。
#*2019年3月から行われている副都心線・東急東横線直通の小川町発着列車が寄居発着になっていた。
#東武東上線が大手私鉄で全国一中途半端な終着駅の路線と言われることはなかった。


===青田典子(C.C.ガールズ)===
==東武東上線・東武越生線==
#浜野裕子は加入しなかった。
*1970年代までは直通の観光急行や、川越市始発の各駅停車があったらしい。
#C.C.ガールズ解散が正式に宣言されていただろう。
#そもそも10両を直通させる余裕があるのかどうか。
#ソロ歌手としても青田典子名義だった。
#*6両+4両という形で前6両が小川町行き、後ろ4両が越生行きという形で川越市で分割併合を行っていた。
#結婚でトラブルを起こすこともなかったか?
#*1976年(東上線の10両運転開始)頃に全線10両運転対応になった場合、池袋から優等種別が乗り入れる。
#**その場合、行き違い駅の10両対応化や、一部駅のホーム移設が行われた。
#**また、東上線の完全10両固定化が、現実より早かった。
#梅のシーズン時には地下鉄・東急方面からの直通特急が走っていた。
#*上記通り10両運転対応になった場合は尚更、地下鉄乗り入れ列車が平日朝・夕方を中心に設定される。
#越生線のワンマン化はなかった。
#(越生線が上記通りの時期に10両運転対応になった場合)越生線の宅地化が現実より進行している。


===赤西仁(KAT-TUN)===
==相鉄本線・小田急小田原線==
#黒木メイサと結婚することはなかった。
*史実でも昔少しだけ直通運転を行っていた時期があるそうです。
#*当然ながら結婚の経緯を巡ってジャニーズ事務所と対立することもなく現在も所属しているか、史実通り退所するにしても少し時期がずれていた。
#相鉄の電車が新松田まで乗り入れる。 
#**残留しているのだから流石に退所はない。
#*小田原だと遠回りのため需要なし。 
#***元々田中聖ほどじゃないにせよ、キナ臭い噂は結構あっただけに別の理由で退所になった可能性はあったと思う。
#*本厚木まではほぼ全車両が直通していた。
#*黒木は女優としてもっと長く第一線活躍していた。場合によっては堀北真希は寿引退していた。
#海老名駅相鉄ホームは通過構造になっていた。
#**同じ事務所の桐谷美玲に仕事を回すこともなく、激務を強いらせることもなかった。
#[[日本国有鉄道|国鉄]]→[[東日本旅客鉄道|JR]]の運賃次第で,その区間の通し利用客が多い。意外と横浜-小田原の急行が多かったり。
#*ジャニーズ事務所とスウィートパワーの関係も悪化せず、両事務所所属タレントの共演は以降も多かった。
#「GTO」(2012年版)は当初の予定通り赤西仁主演で制作されていた。
#*EXILEのAKIRAは俳優としての評価が高まることはなかった。
#**と同時に短髪にイメチェンすることもなかった。
#**冬月先生も瀧本美織ではなく、生徒役も多少顔触れが変わっていたかも知れない。
#*2014年版ももちろん赤西仁主演。
#*主題歌も当然、KAT-TUNが歌っていた。
#スズキソリオのCMキャラクターは別の5人組が起用されていた。
#*TOKIOが史実より早く起用されていた。
#*嵐が起用された場合は日産のCMに出演することはなかった。
#KAT-TUNの全盛期が続いていた。
#山下智久も史実より長くNEWSに在籍していた。


===Aki(MAX)===
==東海道線東京方面・御殿場線==
#MINA復帰はなかった。
*2012年に廃止。
#*以降もメンバーが産休の度にメンバーチェンジが行われていたかもしれない。
#現在でも山北、行楽シーズンには御殿場まで直通していた。
#AHKYに改名してのソロ活動もなかった。
#*「あさぎり」は現在でも沼津まで直通している。
#ムーンライトながら、東京行き313系が残っていれば…
#*新幹線偏重でなく、在来線にも目を向けていたら、ということでもある。
#ほとんどの電車が宇都宮線・高崎線方面に直通する。


===あずさ(カントリー娘。)===
==名鉄名古屋本線・近鉄名古屋線==
#カン娘。はりんねとあずさのデュオとしてデビューしていた。
*団体列車のみだが1950年代に直通運転が行われていた。
#*あさみの加入はともかく、メジャーデビュー後にモーニング娘。から助っ人を呼んだりはしなかっただろう。
#名鉄への直通列車を残す以上、近鉄名古屋線の改軌はほぼ間違いなく行われなかった。
#コスプレイヤーになることはなかった。
#*改軌した場合は3線化していた。
#**流石に大阪線や山田線までは3線化しないだろう。
#のちに定期列車も直通するようになったかも。
#名鉄名古屋駅が2面3線のままなので、(岐阜・犬山方面のみだが)ダイヤに多少は余裕があった。
#近鉄名古屋駅の拡張工事に影響が出ていたか。


===有原栞菜(℃-ute)===
==京阪本線・近鉄京都線==
#芸名を栞菜に変えたり事務所を転々とすることはなかった。
かつて京阪電気鉄道と奈良電気鉄道(現[[近鉄京都線]])は丹波橋で相互直通運転を行っていましたが、近鉄合併後の1968年に廃止されました。もし京阪と近鉄の相互直通運転が現在でも継続されていたら…。
#「FOREVER LOVE」が実質ラストシングルになることもなかった。
#当然丹波橋駅は現在も京阪と近鉄の共同使用駅。
#℃-uteは2017年の解散の代わりに矢島舞美か岡井千聖の脱退で済んだかもしれない。
#*平面交差が運行上のネックとなるので、現在は2階建ての高架駅となっている。
#京阪本線・交野線・宇治線は近鉄京都線と同時に1500Vに昇圧されていた。
#京阪本線・鴨東線の丹波橋~出町柳間は近鉄の20m車が走行可能となっている。
#*鴨川沿い区間の地下化もこの改良と同時に行われた。
#2009年現在、京阪は中之島~京都間に快速急行を、近鉄は出町柳~近鉄奈良間に急行を運転。
#*[[阪神なんば線]]と同じく、相互直通車両は京阪が18m車、近鉄が20m車を使用する。
#*京阪の快速急行が近鉄京都駅発着になるので、京阪沿線から新幹線への乗り継ぎが便利になる。
#*近鉄京都線の快速急行が廃止されず、両社とも快速急行が京都発着、急行が出町柳発着に統一される。
#[[京都市営地下鉄烏丸線]]の建設は史実と同じ。
#*ただし近鉄との直通は現実より少なくなり、国際会館~近鉄奈良間の急行は運転されず。
#*また丹波橋~竹田間も京都市営の管轄となり、竹田-上鳥羽口-(近鉄)十条-東寺-京都間は系統が被るため廃止。
#**いや、それはない。近鉄側から見れば、<br>京都-東寺-竹田-丹波橋-中書島-京阪宇治<普通><br>京都-(東寺)-竹田-丹波橋-中書島→淀屋橋<急行><br>京都-(東寺)-竹田-丹波橋-新田辺-大和西大寺-橿原神宮前・近鉄天理<急行・普通><br>国際会館-京都-くいな橋-竹田-丹波橋-大和西大寺<準急><br>出町柳-三条-丹波橋-新田辺-大和西大寺-近鉄奈良<急行><br>京都-(東寺)-(竹田)-丹波橋-大和西大寺→近鉄奈良・橿原神宮前・近鉄名古屋・賢島<特急><br>こんな感じ?
#**始めから相互直通は行われず、全線地下線での開業だったと思う。京都駅以南はもっと乗客が少なかった。
#***烏丸線の南の終点は九条で車庫は北山延伸時に植物園の地下か、市バスの烏丸営業所と一緒に造られたかも。
#*地下鉄の建設は一旦京都駅まで。近鉄竹田~京都駅の連続立体交差化は地下となり、京都駅を境に結局は相互直通運転。地下鉄京都駅~竹田の建設はなし。
#出町柳~賢島間に直通特急が運転されている。
#*スイッチバックになるが、淀屋橋行きもありえなくはない。
#**イベント限定だと思う。遠回りな上、難波と上本町が既にあるのにドコに向かうのか……
#*二階建て車両のノウハウを活かし、2社共同製作の専用特急車両が誕生したかもしれない。
#大和西大寺駅や近鉄奈良駅では阪神も含んだ3社1局の揃い踏みが実現。
#1970年代に京阪が近鉄に買収され、近鉄枚方線となる。<!--{{駅名標/近鉄2|name=枚 方 市|ruby=ひらかたし|roma=HIRAKATA-SHI|back=御殿山|back2=GOTENTAMA|next=枚方公園|next2=HIRAKATA-KOEN}}-->
#*この場合現実の京阪交野線が私市から生駒まで延伸され、枚方市~王寺間の直通運転が行われていた可能性がある。
#*有料特急を運行。無料の特急は快速急行となり、京阪快急と改められる。
#**しかし阪急やJRとの競合があることから快速急行がメインとなり、特急は朝夕を中心とした運行となる。
#**最終的には南海サザンや名鉄特急のような指定席+自由席車両の併結運転となるかもしれない。
#*枚方市駅の近鉄百貨店があることに違和感を感じさせなくなる。
#*守口市駅前の[[京阪百貨店]]は近鉄百貨店の守口店となっていた。
#**[[松坂屋]]撤退後の天満橋ビルに[[近鉄百貨店]]が入っていた。
#*第二京阪線(小倉~玉造)、京阪梅田線、大軌四條畷線も完成してたかも
#*この場合中之島線は西九条以西まで建設され、京阪線から阪神への直通も実現していた。


===有安杏果  (ももいろクローバーZ)  ===
==阪急神戸線・山陽電鉄本線==
#『TDF』(Team Diamond Four)は誕生しなかった。
#阪急側の車両が6両になっていたかも。
#『行くぜっ!怪盗少女』の4人バージョンが出ることはなかった
#*いや、山陽電鉄の駅が8両編成に対応できるようになっていた。
#それでも阪急梅田~山陽姫路直通はないだろう。
#*とは言え須磨浦公園以西への直通も検討されるようになっていた。
#**春秋の行楽シーズンへは姫路はともかく東二見あたりから嵐山への直通臨時特急が運転されるようになっていたかも。
#***「京とれいん雅洛」は山陽電鉄に乗り入れていた。
#***最低限でも山陽電鉄の列車の阪急六甲までの乗り入れが1998年2月以降も続けられていた。
#=[[もしあの鉄道事故が○○だったら/1990年代以前#阪急六甲駅衝突事故|もし六甲事故がなかったら]]、である。
#*この一件で阪急と山陽の関係が悪化したとされるため。
#乗務員は後に高速神戸駅で阪急と山陽が交代するようになっていた。
#新開地~須磨浦公園間の列車本数が減らされることはなかった。
#*むしろ、阪神神戸三宮・阪急神戸三宮~須磨浦公園間の列車本数が減らされることはなかった。
#山陽5030系のドア開閉警告音も阪急タイプのドアチャイムで設計されていたかも。


===杏野なつ・鈴木裕乃・瑞季(私立恵比寿中学)===
==富山地方鉄道不二越・上滝線・立山線==
#小林歌穂・中山莉子の加入はなかった。
史実では立山駅行きは1969年に五百石線(現立山線)経由のみになり、イベント以外での直通電車は無くなりました。
#*もし史実通り加入していた場合イメージカラーは違う色になっていた(元々は小林、中山のカラーである黄色、水色はそれぞれ杏野、鈴木のカラーであった)
#特急「立山」(電鉄富山〜立山)は不二越・上滝線経由、アルペン特急(宇奈月温泉〜立山)は立山線を経由していた。
#特急沿線の観光誘致の為に大川寺遊園は今も存続していた。
#*逆に廃園に合わせて特急が全て立山線経由になっていた可能性もある。


===五十嵐充(Every Little Thing)===
==山陽本線・鹿児島本線==
#ELTの路線変更はなかった。
2005年までJR九州の415系が下関以東に乗り入れていました。また山陰本線から関門トンネルに直通する気動車列車も存在しました。
#*現在のようなバラード主体ではなくむしろアップテンポが主体となっていた。
#2010年代に415系の後継となる交直流車両が開発される。
#作詞・作曲は現在でも五十嵐主導で行われていた。
#*817系の交直流バージョンが登場していた。
#*伊藤一朗・持田香織が作詞作曲した曲が更に減っていた。
#*JR西日本は521系を下関地区にも投入していた。
#持田香織の歌い方が変化することもなかった。
#「みすゞ潮騒」や「○○のはなし」が小倉発着で運転されることもあった。
#*いや、歌い方や声の変化は本人の問題であるから、いてもいなくても変わらなかったのでは?五十嵐がいた頃も声は変わってるし。


===碇矢長一(ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ)===
[[Category:歴史のif検討委員会 鉄道路線史|ちよくつううんてんかつついていたら]]
ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズのメンバーだった碇矢長一は巡業中に交通事故を起こしてしまいメンバー及び当時の所属事務所と関係が悪化、後に脱退してザ・ドリフターズに加入しいかりや長介に改名、その後の活躍はご存知だと思います。もし事故を起こさずマウンテン・プレイボーイズに残留していたら?
 
#ドリフがコミカル路線に転じることなく、桜井輝夫が史実より長くリーダーを務めていた。メンバーも加藤茶以外は加わらなかった。
#*日本のテレビ史も大きく変わっていた。
#*ドンキーカルテットも結成されなかった。
#*荒井安雄(荒井注)は脚本家に、高木友之助(高木ブー)はハワイアンバンドを続け、仲本興喜(仲本工事)は東京商工会議所に就職していた。
#*志村康徳(志村けん)はコント55号かクレイジーキャッツに弟子入りしていた。
#*諏訪園親治(すわ親治)は純粋にバンドマンを目指していた。
#*クレイジーキャッツの時代はもっと長く続いていた。
#碇矢自身は稀代のベーシストとして名を馳せていただろう。
#「踊る大捜査線」の和久平八郎役も変わっていた?
 
===伊倉愛美(ももいろクローバー)===
#クリィミー・パフェは結成されなかった。
#太田プロ移籍もなかった。
 
===石村舞波(Berryz工房)===
#嗣永桃子の影が少しばかり薄くなっていたかもしれない。
#当然ながらオスカープロモーションで芸能界復帰することはなかった。
 
===板谷祐三子(セイントフォー)===
#岩男潤子の人生は相当変わっていただろう。
#*声優業への転換はなかったかもしれない。
#**逆に日高のり子みたいに見切りをつけて史実より早く声優への道を歩んでいた可能性もある。
#「メガドル」として史実以上に注目されていた。
 
===上杉昇・柴崎浩(WANDS)===
上杉昇と柴崎浩は音楽性の違いからWANDSを脱退し、al.ni.coを結成したが、もし、al.ni.coを結成することなく、WANDSに残留したら?
#史実とは逆に木村真也が脱退し、路線変更していた。
#*木村のポジションには杉元一生がついていた。
#和久二郎に上杉昇と同じ歌声で歌わせる強引な当てつけもなかった。
#*和久二郎は違った形でデビューしていた。
#上杉昇はキワモノ路線に走ることもなかった。
#柴崎浩は西川貴教との関係を持たなかった。
#「錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう」「明日もし君が壊れても」等の第3期の楽曲はWANDS以外の歌手が歌っていた。
#史実でal.ni.co名義でリリースされている曲はWANDS名義でリリースしていた。
#今でもWANDSとして活動していた。
#当然、和久二郎、杉本一生に交代することはなかった。
#名探偵コナンの主題歌も歌っていた。
#*劇場版に上杉がゲストで出演していた。
#2001年で10周年記念ベストアルバムの発売されていた。
#*寂しさは秋の色とSime sideのリメイク版が収録された。
#東日本大震災が起きたばかりの時期に支援ライブを開演していた。
 
===内博貴(関ジャニ∞・NEWS)===
#錦戸亮と同時にNEWSを脱退し、関ジャニ∞に専念していた。
#関ジャニ∞では渋谷・錦戸と共にメインボーカルを務めていた。
#現在でもドラマや映画に積極的に出演していた。
#*錦戸や山下智久の仕事を奪っていた。
#**『パパドル』で主演を演じていた(史実では錦戸が主演)。その場合、主人公の名前が内博貴になっていた。
#『エイトレンジャー』でピンク役で出演出来ていた。
 
===江川ほーじん(爆風スランプ)===
#「Runner」はリリースされなかった。
#爆風スランプ自体あそこまでブレイク出来ていたか怪しい。
#*最悪「無理だ!」の一発屋に終わっていたかもしれない。
#**爆風スランプは初期のコミックバンド路線の認識で終わっていた。
#バーベQ和佐田が加入することもなかった。
 
===大沢樹生・佐藤寛之(光GENJI)===
#光GENJI SUPER5に改名することはなかった。
#光GENJIの全盛期が続いていた。
#*場合によっては解散することもなかった。
#**少年隊と同様に21世紀経っても存続していた。
#*この2人が脱退した頃は全盛期が過ぎてから4年くらい経ってたと思うんだが?
 
===大島康祐(WANDS)===
#SO-FIは結成されなかった。
#木村真也が加入することはなかった。
#*メガネキャラとして注目されることもなかった。
#**そもそも引き立て役とするために視力が悪いわけでもないのに眼鏡を着用する強引な当てつけはなかった。
 
===大塚愛菜(Juice=Juice)===
#Juice=Juiceはメジャーデビュー後も6人で活動をしていた。
#私が言う前に抱きしめなきゃねと五月雨美女がさ乱れるのリメイク版が出ることもなかった。
 
===大森隆志(サザンオールスターズ)===
#「イェーイ、ノッてるかーい!」のMCはもちろん健在。
#クスリに走ることはなかった。
#『波乗りジョニー』『白い恋人達』はサザンオールスターズ名義でリリースされていた。
 
===織畠英司(ポルノグラフィティ)===
ポルノグラフィティがインディーズだった時代にドラムスとして参加していたが、もし残留していたら?
#4人組のままメジャーデビューに至っていた。
#ドラムスをサポートメンバーに委ねることもなかっただろう。
 
==か行==
===Gackt(MALICE MIZER)===
#Kamiの葬儀にGacktが参加することが出来た。
#MALICE MIZERがアジアで活動することが出来た。
 
===柏幸奈(ももいろクローバー)===
#有安杏果は加入しなかった。
#乃木坂46のメンバーにならなかった。
 
===加橋かつみ(ザ・タイガース)===
#[[もしあの歌手グループにあのメンバーが加入していなかったら#岸部シロー(ザ・タイガース)|岸部シローが芸能界デビューすることはなかった]]。
#失踪騒動自体起こらなかった場合は、瞳みのるが芸能界を引退することはなかった。
#大麻パーティーに参加して逮捕されることはなかった。
#グループサウンズブームはもう少し長く続いていた。
#「ザ・タイガース ハーイ!ロンドン」にも出演していた。
 
===川島海荷 (9nine)===
#「THE REFLECTION」に出演し、作中の「ナインスワンダー」は史実のウキ、サヤカ、カナエ、ヒロナに加えて、シンボルカラーが青の海の能力者のウミカが登場する。
 
===KEN(EE JUMP)===
#ユウキが失踪してもデュオとして続けていた。
#『EE JUMP COLLECTION 1』も当初の予定通り発売されていた。
 
===小島啓(TOKIO)===
#TOKIOは6人組でデビューしていた。
#*長瀬智也はTOKIOのサポートメンバーを務めていたため、CDデビューを目前にその可能性があった。
#*ただ、脱退の原因が小島と他メンバーの不和と言う説もあるので、特にそりが合わなかった他メンバーの誰かが脱退していた可能性も否定できない。
#TOKIOのメンバーの中では地味な存在になっていたかもしれない。
#TOKIOがスズキソリオ(2代目)のCMに出演することはなかった。
#*それはKAT-TUNの充電がきっかけ。
 
===後藤友香里(AAA)===
#声優業に転向することはなかった。
#2010年の紅白歌合戦には一緒に参加していた。
#EMERGENCYは後藤の代わりに別の声優が参加していたか、小野坂昌也と小林ゆうの2人で活動していた。
#*そもそもEMERGENCY自体存在しなかったかも。
 
==さ行==
===SASA(初代J Soul Brothers)===
#ATSUSHIとSHUNの加入もEXILEへの改名もなかった。
#*二代目、三代目もなく、一部メンバーがJ Soul Brothersに追加される形となっていた。
#W-SCOREも結成されなかった。
 
===志賀泰伸・古川栄司(忍者)===
#忍者は全盛期が続いた。
#四銃士名義での活動はなかった。
#解散はなかったか遅れていた。
#*解散したとしても何名かはジャニーズ事務所に残留。
#ジャニーズカウントダウンライブにも出演していた。
#*2005年度は、AAコンビ(赤坂晃、佐藤アツヒロ)、岡本健一との少年御三家対決が見られた。
 
===渋谷すばる(関ジャニ∞)===
#2018年12月29日に放送された「超豪華!!最初で最後の大同窓会!8時だJ」は普通に出演出来ていた。
#*少なくとも放送当時のVTRのみ登場と言うことは無かった。
#2018年のジャニーズ事務所脱退と言えば、山口達也の事を指していた。
#関ジャニ∞クロニクルの「イケメンカメラ目線スポーツ」、「真実堂書店」は現在でも放送されていた。
#エイトレンジャー3は実現していたかどうか?
 
===しゅう(シャ乱Q)===
#シャ乱Qの人気はもう少し長く続いていた。
#つんくはプロデューサーに専念することはなかった。
 
===JOE・DAICHI(Folder)===
#Folder5への改名はなかった。
#*女性アイドルグループとして再出発することもなかった。
#DAICHIの変声期に入ってからはしばらくボーカルを変えていた。
#ソロ活動もDAICHI名義だったかもしれない。
 
===瀬能あづさ(CoCo)===
#他のメンバーが泣きながら抗議することはなかった。
#メンバー補充計画が出ることはなかった。
#CoCoの人気低下に拍車をかけることもなかった。
#石井琢朗とは結婚していなかった。
#セミヌード写真集を出すことはなかった。
#三浦理恵子がソロで酷使されてしまうこともなかった。
 
==た行==
===TAKAYO(ZONE)===
#TOMOKAの加入はなかった。
#MIZUHOが引退しても、新メンバーを加えて活動を継続していただろう。
 
===TAIJI(X)===
#HEATHが加入することはなかった。
#X JAPANに改名することはなかった。
#*レーベルや事務所を移籍することもなかっただろう。
#Xが海外進出することはなかった。
 
===高部知子(わらべ)===
#欽ちゃんファミリーの全盛期が続いていた。
#わらべはもう少し長く活動をし続けていた。
#コンビニを経営する事もなかった。
 
===田口淳之介(KAT-TUN)===
#所さんのニッポンの出番!は史実よりもう少し続いていたはず。
#*中丸雄一が出演することは無かった。
#*でも、根拠良く続いたとしても2017年3月までしか続かなさそうな気がする。
#KAT-TUNの充電期間は無かった。
#上田竜也はTUのままだった。
#FINAL CUTは亀梨ではなく、田口主演になっていたか?
#*ただし、ストロベリーナイト・サーガは史実通り亀梨出演だろう。
 
===田中聖(KAT-TUN)===
#INKTは結成されなかった。
#ラップは封印されなかった。
#その後も『24時間テレビ』の常連になっていた。
#上田竜也は田口淳之介のTだけを受け継いでた。
#KAT-TUNは充電期間に入らなかった。
#クスリに手を出すこともなかったか?
 
===Tama(ポルノグラフィティ)===
#野崎真助・森男兄弟がサポートに付くことはなかった。
 
===チョン・ニコル(KARA)===
#KARAの全盛期が続いていた。
#KARAはソイカラのCMを降板させられることもなかった。
 
===嗣永桃子(カントリー・ガールズ)===
#教員免許持ちなのでインテリアイドルに転身していた。
#*それはたぶん脱退後も芸能活動を続けていたらの仮定では?
#キャラが被る市川美織をライバル視していた。
 
===寺内タケシ(寺内タケシとバニーズ)===
#寺内タケシとブルージーンズの再結成はなかった。
#荻野達也がリーダーを務めることはなく、荻野達也とバニーズへの改名はなかった。
#東芝(現ユニバーサル)へ移籍することはなかった。
#黒沢博はヒロシ&キーボーを結成することはなかった。
 
===寺田恵子(SHOW-YA)===
1991年の時、寺田恵子がSHOW-YAを脱退せず、残留していたら。
#「PARADISE WIND」はSHOW-YA名義でリリースしていた。
#寺田の体調不良がなければその後のボーカルはメンバーチェンジすることもなかった。
#*ボーカルのメンバーチェンジで迷走することもなかった。
 
===友井雄亮(純烈)===
#ガンバライジングでギルスが本人になっていたかも知れない。
#*仮面ライダージオウにもアギト編にゲスト出演していたかも知れない。
#**小田井涼平もRIDER TIME 仮面ライダー龍騎に出演していたかも知れない。
 
==な行==
===仲宗根梨乃(SUPER MONKEY'S)===
#安室1topにならず、仲宗根がグループを引っ張っていたかもしれない。
#[[wikipedia:ja:仲宗根梨乃|リノ・ナカソネ]]が同一人物と勘違いされることもなかった。
#「SUPER MONKEY'S 4」への改名もなかった。
 
===中山冴恵(さんみゅ~)===
#さんみゅ~はより早く売れていた。
#AKBグループのメンバー達から、「AKBにいなくて良かったと思うアイドルランキング」に入っていた。
 
===西内裕美(DVL)===
西内ひろは西内裕美時代、Rev.from DVLの前身であるDVLに一時期在籍していましたが、もし、残留し続けていたら?
#[[もしあの女性アイドルグループがブレイクしていたら/た~わ行#Rev.from DVL|Rev.from DVLは橋本環奈の一番人気にとどまることはなかった]]。
#*西内まりやの姉ということでこちらにもスポットが当たっていた。
#**史実以上に人気があった。
#*橋本環奈と西内裕美で人気を二分していた。
#*もしかすると橋本環奈の加入自体なかったかもしれない。
#**その場合だと史実より影が薄い存在となり、Rev.from DVLも史実以上に地味な存在だった。
#*西内が居たお陰で場合によっては解散することはなかった。
#BeForUに移籍することはなかった。
#モデルへの転身もなかった。
#ミスユニバースジャパンに出場することはなかった。
#肉体派キャラにはなっていなかった。
#西内ひろへ改名することはなかった。
#AKB48における小嶋陽菜のような存在になっていた。
#*そしてライバル視していた。
#**同郷の篠田麻里子もライバル視していた。
 
===西川隆宏(DREAMS COME TRUE)===
#暴行事件を起こしたりクスリに走ることはなかった。
#札幌にバーをオープンさせることはなかった。
 
==は行==
===早見あかり(ももいろクローバー)===
#「ももいろクローバーZ」に改名することはなかった。
#「行くぜっ!怪盗少女」の5人バージョンはなかった。
#「マッサン」にレギュラー出演することはなかったかもしれない。
#*出るとしたら、他のももクロメンバーと一緒にゲストとして出演していたか。
#*忠実でも朝ドラに出演していたリーダーの百田夏菜子が妥当か?
 
===原知宏(V6)===
V6デビュー目前に岡田准一と入れ替わる形で脱退したが、もし、残留していたら?
#岡田准一は俳優業に専念していた。
#*場合によってはジャニーズ事務所を退社していた。
#*ひらパー兄さんにすらなっていなかった。
#大柄なのでV6の中では目立つ存在になっていた。
 
===藤井梨央(こぶしファクトリー)===
#小川麗奈や田口夏実もやめることなくこぶしファクトリーは現在も8人で活動していた。
 
==ま行==
===マーティ・フリードマン(MEGADETH)===
#日本に移住することはなかった。
#*日本の番組に多く出ることはなかった。
 
===前川清(内山田洋とクールファイブ)===
#前川清が演歌嫌いでなかったらこうなっていたかも。
#その後のメンバーチェンジもなかった。
 
===牧野アンナ(SUPER MONKEY'S)===
#仲宗根梨乃の加入→即脱退も「SUPER MONKEY'S 4」への改名もなかった。
#沖縄アクターズスクールのチーフインストラクターにはならなかったので、SPEEDらがブレイクできたかどうか怪しい。
#*AKBやSKEの振り付けも行っていなかったかもしれない。
#SUPER MONKEY'Sも安室1topにならなかった可能性があった。
 
===松原康行(ジャニーズ少年隊)===
#東山紀之は光GENJIのメンバーになっていたかもしれない。
 
===松室麻衣(dream)===
#もしかしてメンバー増員もなかった?
#ソロ活動をしたとしても史実とは違ったものになっていた。
 
===森内貴寛(NEWS)===
#ONE OK ROCKは多分なかった。
#NEWSも史実よりはもう少し売れていただろう。
#(確執さえなければ)ジャニーズカウントダウンに父親である森進一がゲスト出演して父子共演が実現したかもしれない。
 
===森本龍太郎(Hey! Say! JUMP)===
#Hey! Say! JUMPはもう少し売れていて、紅白歌合戦出場も史実より早かった。
#*Hey! Say! JUMPファンこと、とびっこのファンマナーは史実ほどマナー悪く無かったはず…。
#イメージカラーは茶色辺りだっただろうか。
#ドラマも受験の神様だけではなく、様々なドラマに出演していた。
#*GTOの村井國男役は森本慎太郎に変わって森本龍太郎が勤めていた。
#SixTONESの森本慎太郎は期待が高かった。
#*SixTONES結成も史実より早かったかも。
 
==や~行==
===山下智久(NEWS)===
#山下本人もNEWSももう少し人気が保てた。
#*加藤成亮(シゲアキ)も小説書かなかったかもしれない。
#*いくつかのドラマ主演も史実よりヒットしていた。
#**「ボク、運命の人です。」辺りは史実よりヒットしていた。
#Iマネージャーの下に入ることもなかった。なので「MONSTERS」で香取慎吾と共演することもなかった。
#*もし史実通りドラマが放送された場合、香取の相手役はジャニーズ以外の俳優になっていた。
#器物損壊で書類送検されることもなかったか?
#*史実通り起きていたら最悪活動休止の可能性もあり得た。
#四銃士という曲はリリースされなかったか、違うグループが歌ってたかも。
 
===YU-KI(ZOO)===
#TRFのメインボーカルは違う人になっていた。
#ZOO解散後はソロで活動していた。
#2015年7月3日放送の「THE MUSIC DAY」にZOOのメンバーとして出演したかもしれない。
 
==関連項目==
*[[もしあの歌手グループにあのメンバーが加入していなかったら]]
 
[[Category:歴史のif検討委員会 芸能史|あのかしゆくるうふのあのめんはあかさんりゆうしていたら]]

2021年2月19日 (金) 23:30時点における版

新京成電鉄線・北総鉄道線

  • 史実では暫定開業に伴い直通→高砂まで開業後も乗り入れは1年程度存続→新鎌ヶ谷駅開業と共に廃止と言う経緯を辿りましたが…。
  1. 流石に印旛日本医大以東への乗り入れは無かったと思われる。
    • 開業前に検討自体はされるが、運営会社の複雑化を避けるために没になるという経緯が一番あり得る。
      • それでも成田線が改良されない以上、常磐線沿線から成田空港への最速アクセス手段になっていた。
    • その代わりに新鎌ヶ谷でアクセス特急に乗り換えやすいダイヤが設定されていた。
  2. 二重戸籍を避けるために北初富駅が廃止されていたかもしれない。
  3. 新鎌ヶ谷駅付近の立体交差化計画が史実とかなり異なるものになっていた。
    • 踏切が一か所ある+新鎌ヶ谷駅が2面4線化されたなどの理由から、史実の連絡線の高架部は流用されていないと思われる。
  4. 新京成の車両が全て6両編成に統一されることはなかった。
  5. 京成千葉線への直通はなかった。

東京メトロ日比谷線・東急東横線

  1. 現実の渋谷始発が日比谷線に乗り入れていた。
    • 代官山に止まる本数が少なくなるため、代官山に急行が止まる。
  2. そのうち東急東横~日比谷~東武伊勢崎の3社直通運転になる。
    • 川越に行こうとして東武の電車に乗ったら春日部に来てしまい、途方にくれる人が続出する
      • その逆もまた然り。
  3. 武蔵小杉駅がカオスになる。
    • 副都心線、日比谷線、南北線、三田線が乗り入れるため、駅周辺の地価が急上昇。
    • さらに相鉄が乗り入れてくる。
    • もっとタワーマンションができていた。
  4. 学芸大学にホームドアは設置されなかった。
    • 東横線・田園都市線・大井町線全駅のホームドア設置計画も見送られていた可能性もあった。
      • さすがにロープ式ホームゲートは難しいか。
        • 日比谷線20m化後、7両・8両・10両に対応したホームドアが設置される。
      • どう考えても、大井町線に優先して設置し、田園都市線と東横線には後から一気に設置となる可能性が高い。
  5. 東急側からは、池上・多摩川線に導入されている新7000系の8両編成バージョンが製造されていたかも。
  6. 20m・7両化に合わせ、6扉車を引き抜いた田園都市線用5000系の一部が日比谷線直通用に転用されていた。
    • 8500系が未だに一定数残っているにも関わらず5000系で5000系を置き換える珍事となっていた。
      • もしくは2020系が数年早く開発されていた。
        • 史実と異なり操舵台車になっていた。
    • 操舵台車じゃない20m車って日比谷線に入れるの?
    • 先に独断で7000系(2代目)を8連乗り入れ仕様で導入してしまったら、「先見の明が無い」として批判されそう。
    • 横浜から東武日光までの直通特急の運転も検討されていた。
      • 東武500系「リバティ」は日比谷線・東横線乗り入れ仕様になっていたかも。
      • THライナーは横浜まで延長されていたかも。
  7. 相鉄20000系が日比谷線乗り入れを前提にした設計になっていたかもしれない。

東武東上線・秩父鉄道

  • 1949年から1992年まで行われていた(そのうち1983年から1989年までは小川町~三峰口のみの直通)
  1. 西武池袋線の秩父鉄道乗り入れは三峰口側だけになる。
  2. 土休日に快速急行(2019年からは川越特急)が池袋~寄居~三峰口を直通運転していた。
  3. 2018年ごろに元町・中華街~三峰口(または秩父・長瀞)を直通するSトレインが新設されていたかもしれない。
    • 西武線直通列車も秩父に向かうため、紛らわしくないように「東武東上線経由」「西武池袋線経由」の案内が加わる。
  4. 小川町での分割は行われず、池袋~寄居の全線直通が現在も行われている(こちらは平日も)。
    • 2019年3月から行われている副都心線・東急東横線直通の小川町発着列車が寄居発着になっていた。
  5. 東武東上線が大手私鉄で全国一中途半端な終着駅の路線と言われることはなかった。

東武東上線・東武越生線

  • 1970年代までは直通の観光急行や、川越市始発の各駅停車があったらしい。
  1. そもそも10両を直通させる余裕があるのかどうか。
    • 6両+4両という形で前6両が小川町行き、後ろ4両が越生行きという形で川越市で分割併合を行っていた。
    • 1976年(東上線の10両運転開始)頃に全線10両運転対応になった場合、池袋から優等種別が乗り入れる。
      • その場合、行き違い駅の10両対応化や、一部駅のホーム移設が行われた。
      • また、東上線の完全10両固定化が、現実より早かった。
  2. 梅のシーズン時には地下鉄・東急方面からの直通特急が走っていた。
    • 上記通り10両運転対応になった場合は尚更、地下鉄乗り入れ列車が平日朝・夕方を中心に設定される。
  3. 越生線のワンマン化はなかった。
  4. (越生線が上記通りの時期に10両運転対応になった場合)越生線の宅地化が現実より進行している。

相鉄本線・小田急小田原線

  • 史実でも昔少しだけ直通運転を行っていた時期があるそうです。
  1. 相鉄の電車が新松田まで乗り入れる。 
    • 小田原だと遠回りのため需要なし。 
    • 本厚木まではほぼ全車両が直通していた。
  2. 海老名駅相鉄ホームは通過構造になっていた。
  3. 国鉄JRの運賃次第で,その区間の通し利用客が多い。意外と横浜-小田原の急行が多かったり。

東海道線東京方面・御殿場線

  • 2012年に廃止。
  1. 現在でも山北、行楽シーズンには御殿場まで直通していた。
    • 「あさぎり」は現在でも沼津まで直通している。
  2. ムーンライトながら、東京行き313系が残っていれば…
    • 新幹線偏重でなく、在来線にも目を向けていたら、ということでもある。
  3. ほとんどの電車が宇都宮線・高崎線方面に直通する。

名鉄名古屋本線・近鉄名古屋線

  • 団体列車のみだが1950年代に直通運転が行われていた。
  1. 名鉄への直通列車を残す以上、近鉄名古屋線の改軌はほぼ間違いなく行われなかった。
    • 改軌した場合は3線化していた。
      • 流石に大阪線や山田線までは3線化しないだろう。
  2. のちに定期列車も直通するようになったかも。
  3. 名鉄名古屋駅が2面3線のままなので、(岐阜・犬山方面のみだが)ダイヤに多少は余裕があった。
  4. 近鉄名古屋駅の拡張工事に影響が出ていたか。

京阪本線・近鉄京都線

かつて京阪電気鉄道と奈良電気鉄道(現近鉄京都線)は丹波橋で相互直通運転を行っていましたが、近鉄合併後の1968年に廃止されました。もし京阪と近鉄の相互直通運転が現在でも継続されていたら…。

  1. 当然丹波橋駅は現在も京阪と近鉄の共同使用駅。
    • 平面交差が運行上のネックとなるので、現在は2階建ての高架駅となっている。
  2. 京阪本線・交野線・宇治線は近鉄京都線と同時に1500Vに昇圧されていた。
  3. 京阪本線・鴨東線の丹波橋~出町柳間は近鉄の20m車が走行可能となっている。
    • 鴨川沿い区間の地下化もこの改良と同時に行われた。
  4. 2009年現在、京阪は中之島~京都間に快速急行を、近鉄は出町柳~近鉄奈良間に急行を運転。
    • 阪神なんば線と同じく、相互直通車両は京阪が18m車、近鉄が20m車を使用する。
    • 京阪の快速急行が近鉄京都駅発着になるので、京阪沿線から新幹線への乗り継ぎが便利になる。
    • 近鉄京都線の快速急行が廃止されず、両社とも快速急行が京都発着、急行が出町柳発着に統一される。
  5. 京都市営地下鉄烏丸線の建設は史実と同じ。
    • ただし近鉄との直通は現実より少なくなり、国際会館~近鉄奈良間の急行は運転されず。
    • また丹波橋~竹田間も京都市営の管轄となり、竹田-上鳥羽口-(近鉄)十条-東寺-京都間は系統が被るため廃止。
      • いや、それはない。近鉄側から見れば、
        京都-東寺-竹田-丹波橋-中書島-京阪宇治<普通>
        京都-(東寺)-竹田-丹波橋-中書島→淀屋橋<急行>
        京都-(東寺)-竹田-丹波橋-新田辺-大和西大寺-橿原神宮前・近鉄天理<急行・普通>
        国際会館-京都-くいな橋-竹田-丹波橋-大和西大寺<準急>
        出町柳-三条-丹波橋-新田辺-大和西大寺-近鉄奈良<急行>
        京都-(東寺)-(竹田)-丹波橋-大和西大寺→近鉄奈良・橿原神宮前・近鉄名古屋・賢島<特急>
        こんな感じ?
      • 始めから相互直通は行われず、全線地下線での開業だったと思う。京都駅以南はもっと乗客が少なかった。
        • 烏丸線の南の終点は九条で車庫は北山延伸時に植物園の地下か、市バスの烏丸営業所と一緒に造られたかも。
    • 地下鉄の建設は一旦京都駅まで。近鉄竹田~京都駅の連続立体交差化は地下となり、京都駅を境に結局は相互直通運転。地下鉄京都駅~竹田の建設はなし。
  6. 出町柳~賢島間に直通特急が運転されている。
    • スイッチバックになるが、淀屋橋行きもありえなくはない。
      • イベント限定だと思う。遠回りな上、難波と上本町が既にあるのにドコに向かうのか……
    • 二階建て車両のノウハウを活かし、2社共同製作の専用特急車両が誕生したかもしれない。
  7. 大和西大寺駅や近鉄奈良駅では阪神も含んだ3社1局の揃い踏みが実現。
  8. 1970年代に京阪が近鉄に買収され、近鉄枚方線となる。
    • この場合現実の京阪交野線が私市から生駒まで延伸され、枚方市~王寺間の直通運転が行われていた可能性がある。
    • 有料特急を運行。無料の特急は快速急行となり、京阪快急と改められる。
      • しかし阪急やJRとの競合があることから快速急行がメインとなり、特急は朝夕を中心とした運行となる。
      • 最終的には南海サザンや名鉄特急のような指定席+自由席車両の併結運転となるかもしれない。
    • 枚方市駅の近鉄百貨店があることに違和感を感じさせなくなる。
    • 守口市駅前の京阪百貨店は近鉄百貨店の守口店となっていた。
    • 第二京阪線(小倉~玉造)、京阪梅田線、大軌四條畷線も完成してたかも
    • この場合中之島線は西九条以西まで建設され、京阪線から阪神への直通も実現していた。

阪急神戸線・山陽電鉄本線

  1. 阪急側の車両が6両になっていたかも。
    • いや、山陽電鉄の駅が8両編成に対応できるようになっていた。
  2. それでも阪急梅田~山陽姫路直通はないだろう。
    • とは言え須磨浦公園以西への直通も検討されるようになっていた。
      • 春秋の行楽シーズンへは姫路はともかく東二見あたりから嵐山への直通臨時特急が運転されるようになっていたかも。
        • 「京とれいん雅洛」は山陽電鉄に乗り入れていた。
        • 最低限でも山陽電鉄の列車の阪急六甲までの乗り入れが1998年2月以降も続けられていた。
  3. =もし六甲事故がなかったら、である。
    • この一件で阪急と山陽の関係が悪化したとされるため。
  4. 乗務員は後に高速神戸駅で阪急と山陽が交代するようになっていた。
  5. 新開地~須磨浦公園間の列車本数が減らされることはなかった。
    • むしろ、阪神神戸三宮・阪急神戸三宮~須磨浦公園間の列車本数が減らされることはなかった。
  6. 山陽5030系のドア開閉警告音も阪急タイプのドアチャイムで設計されていたかも。

富山地方鉄道不二越・上滝線・立山線

史実では立山駅行きは1969年に五百石線(現立山線)経由のみになり、イベント以外での直通電車は無くなりました。

  1. 特急「立山」(電鉄富山〜立山)は不二越・上滝線経由、アルペン特急(宇奈月温泉〜立山)は立山線を経由していた。
  2. 特急沿線の観光誘致の為に大川寺遊園は今も存続していた。
    • 逆に廃園に合わせて特急が全て立山線経由になっていた可能性もある。

山陽本線・鹿児島本線

2005年までJR九州の415系が下関以東に乗り入れていました。また山陰本線から関門トンネルに直通する気動車列車も存在しました。

  1. 2010年代に415系の後継となる交直流車両が開発される。
    • 817系の交直流バージョンが登場していた。
    • JR西日本は521系を下関地区にも投入していた。
  2. 「みすゞ潮騒」や「○○のはなし」が小倉発着で運転されることもあった。