「もし東北本線が奥州街道に沿って敷設されていたら」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
(もし東北本線が○○を通っていたらから分割)
 
(文字列「\[\[[Cc]ategory:」を「[[カテゴリ:」に置換)
 
38行目: 38行目:
{{DEFAULTSORT:とうほくほんせんおうしゆう}}
{{DEFAULTSORT:とうほくほんせんおうしゆう}}
[[カテゴリ:もしあの鉄道路線のルートが○○だったら]]
[[カテゴリ:もしあの鉄道路線のルートが○○だったら]]
[[category:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史]]
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史]]
[[カテゴリ:東北本線|もしおうしゆう]]
[[カテゴリ:東北本線|もしおうしゆう]]

2021年10月23日 (土) 16:50時点における最新版

春日部経由[編集 | ソースを編集]

古川・栗原経由[編集 | ソースを編集]

  • 東北本線の仙台から一ノ関までの区間は松島や小牛田を経由していますが、もし同区間が奥州街道沿いに敷設され古川・栗原経由となっていたら?
北仙台
  きたせんだい 北山
仙台 Kitayama
Sendai Kita-Sendai 陸前泉
Rikuzen-Izumi
  1. 史実の仙台鉄道よりは駅が少なかった。
  2. 古川市が周辺町を合併しても大崎市に改称されなかった。
    • 旧古川市時代のうちに単独で人口10万人を突破し旧石巻市と肩を並べ、「宮城県第2の都市」を自認していた
      • 対する小牛田町は史実ほど人口集中せず、「遠田市」の市役所は涌谷にあっさりと決まって丸く収まっていたかもしれない
  3. 陸羽東線と石巻線は古川が起点になっていた。
    • 東北新幹線開業を見込んでの駅移転はない。
    • 古川運輸区は酒田から気仙沼までの非電化区間を所管する一大拠点で、史実の小牛田町に代わって「鉄道の街」と称していた
  4. 北仙台を通るため仙山線の正式な起点は北仙台に。
    • 東照宮駅は存在しない。
    • 「七北田」駅ができて、のち「陸前泉」となった。
      • むしろ七北田村が根白石村を編入して七北田町→市→区になっていたかも
        • いや、泉市(七北田市?)は仙台市に編入されずに現存していた(現実の合併には鉄道のない泉へ地下鉄開通が絡んでいた)。人口も現実(約21万人)より多かった。
  5. 「栗原駅」はこちらにできていた。(史実では尾道鉄道に存在した)
    • 栗原電鉄はここが起点となり、新幹線の駅も併設されていた。
    • 地区名を考えると築館駅が妥当か(旧栗駒町に栗原地区がある)
    • 気仙沼線は築館~若柳~佐沼~米谷~志津川~気仙沼と人口集積地を結ぶ路線になっていた。のちに東北新幹線との交点にくりこま高原駅ができていた
  6. 仙台市営地下鉄南北線は利府-岩切-仙台-富沢の路線となる。
    • 史実の泉市のように地下鉄をバーターにして利府町が仙台市と合併していたかもしれない
  7. 塩釜線が仙台起点で、旅客営業期間も史実より長かった。
    • むしろ仙石線との重複から戦後まもなく廃止されていた可能性も
  8. 仙台駅の設置場所はあっさり現在地に決まっていた。
  9. 富谷町はとっくに市制施行。大和町も「吉岡市」として市制施行していた。
    • 人口増加の割にモータリゼーションは史実ほど顕著ではなく、国道4号線の4車線化はむしろ遅れていた
  10. 台原や富谷、高清水の丘陵地帯は急勾配対策の設計が困難を極め、開業後も福島市周辺のように蒸機の重連運転や補機連結が日常的に行われていた
  11. 鹿島台村の鎌田三之助村長らが中心となって塩釜~松島~鹿島台~不動堂に軽便鉄道の「松島軌道」を開業させるが鹿島台の度重なる水害で昭和20年代に廃線となる。塩釜~松島間は宮城電鉄→仙石線に移管される
  12. 仙台鉄道は存在しないか中新田(現西古川)~加美中新田間のミニ路線だが、陸軍の要請で陸前大衡~王城寺原演習場には省線の貨物支線が建設される(終戦後に廃止)

十和田経由[編集 | ソースを編集]