もしあの鉄道事故が○○だったら/2000年代以降
ナビゲーションに移動
検索に移動
- 新規追加は発生順でお願いします。
分割済み
2000年代
営団日比谷線脱線衝突事故
- 起きていなかったら
- 日比谷線絡みの事件・事故といえば地下鉄サリン事件だった。
- 列車側面の強度の強化が遅れていた。
- 福知山線脱線事故の被害がさらに大きくなっていた。
- 脱線のみだった場合も、脱線防止対策は進んでいた。
- 別の路線や区間で似たような事故が起きていた可能性も。
- 東京メトロは10000系以降の車両でもボルスタレス台車を積極的に使っていた。
- 関西大手私鉄である阪急・阪神もボルスタレス台車の使用をやめることはなかった。
- 阪急9000・9300系以降の車両や阪神5700系はボルスタレス台車で登場していた。
- 名鉄においても3300・3150系増備車や9500系もボルスタレス台車を履いていた。瀬戸線用の4000系と3306Fは史実通りボルスタ付きだろうけど。
- 関西大手私鉄である阪急・阪神もボルスタレス台車の使用をやめることはなかった。
- 営団の陸上部が休部に追い込まれることはなかった。
- 別の時代に起きていたら
- 1980年代
- 事故車両が3000系となり、3000系のイメージがやや下がっていた。
- 他社への転属に影響が出ていたかもしれない。
- 東武20000系のデビューが早まった。
- 9000系を18m車体にしたような外観になっていたかもしれない。
- 1995年
- 地下鉄サリン事件と重なって日比谷線は長期間運休になっていた。
- というより地下鉄サリン事件の標的から日比谷線は外れていたかも。
- その場合は地下鉄サリン事件の被害は史実より小さかった分、オウム真理教の実態解明が遅れてただろう。(実際、あの事件で一番被害規模が大きかったのは日比谷線だった。)
- あるいは別の電車を狙って史実通りの規模の事件になっていたか。
- もしくは東京ではなく大阪で事件が起きていたかもしれない。
- 2003年
- 半蔵門線水天宮前~押上間開業記念イベントは自粛ムードで行われていた。
- 半蔵門線直通運転開始にともなって、東武伊勢崎線は日比谷線直通運転を廃止した。
- そして東横線も直通運転廃止。日比谷線は銀座線・丸ノ内線同様直通がない路線になった。
- 六本木ヒルズにも影響が出ていた。
- 2004年1~3月
- 「営団最後の大事故」と言われた。
- 民営化に影響が出てかもしれない。
- 2004年4月以降
- 民営化早々大事故を起こしたとして、東京メトロへの批判はもっと大きくなっていた。
- 副都心線開業が史実よりも遅れた。
- 2008年
- 副都心線開業記念イベントは自粛ムードで行われていた。
- 副都心線の開業早々の遅延も重なって、東京メトロへの批判は大きくなっていた。
- 組曲『ニコニコ動画』の東京メトロ替え歌シリーズはなかった。あるいは投稿されてもコメントが荒らされていた。
- 「大変な途中下車シリーズ」の「また副都心線か」の弾幕は「また日比谷線か」あるいは「また東京メトロか」になっていた。
- 2011年
- 節電ダイヤで東横線との直通運転が休止されるのは史実通り。
- そして再開されることなくこの年限りで廃止(史実より2年早い)。
- 2013年
- 副都心線と東横線の直通運転開始記念イベントは自粛ムードで行われていた。
- 東横線直通運転廃止が数日早かった。
- そして東武との直通運転も廃止。日比谷線は銀座線・丸ノ内線同様直通がない路線になった。
- 東武の緩行線が実質的に日比谷線に直接乗り入れる構造だからそうはならないと思う。
- 別の時間帯に起きていたら
- 7時~8時台
- 死者数が10人くらいになっていた。
- 学生の犠牲者も多く出ていた。
- 一方で学年末試験の時間割の関係で普段より遅く登校した生徒は事故に遭わずに済んだ。
- 「電車が止まって登校できない」という被害には遭っていた。
- 一方で学年末試験の時間割の関係で普段より遅く登校した生徒は事故に遭わずに済んだ。
- 日中
- おそらく死者は0人。
- そのため翌年以降慰霊祭は行われず、今頃忘れられている。
- 夕方のラッシュ時
- 史実とは逆にB線の死者はゼロ、A線の電車に死者が出ていた。
- A線が大破が激しかった営団車なら、死者が増えていたかもしれない。
- 日比谷線が事故後長期間運休していたら
実際は事故の翌日に運転を再開しましたが、もし福知山線事故のときのように長期間運休していたら。
- 東横線渋谷駅の混雑が半端なかった。
- 北千住駅も、東武伊勢崎線から常磐線・千代田線への乗り換えで混雑が半端なかった。
- まだつくばエクスプレスが開業しておらず、半蔵門線と東武伊勢崎線の直通運転も開始されていないので尚更。
- 北千住駅も、東武伊勢崎線から常磐線・千代田線への乗り換えで混雑が半端なかった。
- 銀座線と半蔵門線の渋谷付近も大混雑。
- まだ目黒線と南北線・三田線の直通運転が開始されていないので尚更。
- 渋谷~六本木の都01系統を筆頭に広尾・六本木・神谷町を通る都営バスも大混雑。六本木通りの渋滞が深刻になっていた。
- 広尾・六本木は一時的に「陸の孤島」状態になっていた。
- ちなみに大江戸線環状部も未開業。
- むしろ緊急的に開業間近の路線の暫定開通があった。
- テレビ朝日の他、六本木に企業がある職員は泊まり込みをする人が続出していた。
- 大江戸線開業による都営バスの路線廃止がなかったかもしれない。
- 事故車が別の車両だったら
- A線が東武車、B線が営団車
事故車はA線が営団03系、B線が東武20050系でしたが、それが逆だったら。
- 混雑していて死者が出たB線が大破が激しかった営団車だったため、被害度は史実より大きかった。
- 死者が増えていたかもしれない。
- 事故後03系の外観デザインが変更されていたかもしれない。
- なお東武車は東急には乗り入れないため、A線の行き先は「菊名行き」ではなく「中目黒行き」になっていた。
- 営団車同士
- 双方の車両とも大破が激しくなっていただろう。
- 東武車同士
- 大破は少なかったか。
- しかし被害度はあまり変わらなかっただろう。
- 営団車と東急車
- 東急1000系の他社への転属に影響が出ていたかもしれない。
- 転属先では塗装変更がされている。
- 一畑電鉄での前面変更は事故からのイメージ回復と言われていた。
- 他社でも一畑電鉄のような前面変更が流行る。
- 日比谷線直通車両や池上線・多摩川線車両の塗装変更も史実より早くしていた。
- この事故がトラウマになり、日比谷線と東横線の相互直通運転が現実よりも早く、副都心線開通を待たずに廃止されていた。
- この場合、東急1000系は現実よりも早く廃車が生じ、地方私鉄への譲渡なんかも現実と異なっていただろう。
- 東急車と東武車
- 上記の「営団車と東急車」の事例に加え、2ちゃんねるで東急厨と東武厨の対立ネタになっていたかもしれない。
京福電鉄越前本線正面衝突事故
- 起きていなかったら
- 今でも京福電鉄のままで、えちぜん鉄道はなかった。
- 老朽車両の置き換えに関しては今でも阪神から中古を譲り受けている。場合によっては京阪の中古も入っていたかも。
- もちろん台車は変えている。
- MC5000の増備もあったかもしれない。元南海の3000は南海カラーに変えられていたかも。
- 老朽車両の置き換えに関しては今でも阪神から中古を譲り受けている。場合によっては京阪の中古も入っていたかも。
- 京福電鉄は大手私鉄になっていた。
- 会社規模的にそれは無いと思うんだが。
- 釣り掛け駆動車の動態保存は現在でも行われていた。
- 東武5000系や名鉄3300系(現在のものとは別の車両)・6750系の全廃も遅れていた。
- 電車ではないが、紀州鉄道のキハ603も引退していなかったか引退が遅れていた。
- 小野田線本山支線のクモハ42も不定期ながら今でも使われていた。
- 都電6000形も今でも使われていた。
- 勿論、旧型国電もSL並に動態復元が続々と続いていた。
- 「旧国◯◯」号という愛称も与えられていた。
- 京都の嵐電は今でも「京福電車」を前面に押し出している。
- 駅の入口にも「嵐電」ではなく「京福電車」と書かれている。
- 京阪や叡電よりアニメタイアップに積極的になっていたかも。
- 福井の京福電車にも痛車が走っていた。
- 隣の石川県が木谷高明氏の出身地ということもありブシロードのキャラクターの痛車が走っていた。
- 勝山市にもJK課が登場していた。京福福井鉄道部も客の誘致のためにJKの萌えキャラを作っていた。
- 隣の石川県が木谷高明氏の出身地ということもありブシロードのキャラクターの痛車が走っていた。
- 福井の京福電車にも痛車が走っていた。
- 三セク化はなかった。
- 福井鉄道との直通はなかったのだろうか。
- 2度目の正面衝突事故が別の時代に起きていたら
- 2002年(1度目の2年後)
- 事故直後のえちぜん鉄道への移管はなかった。
- しかし2度の事故が原因で乗客が減少し結局第3セクター化されていた。
- 2005年(1度目の5年後)
- えちぜん鉄道への移管はなかった。
- ただし同じような事故が発生したため厳重注意は受けていた。
- 2007年(1度目の7年後)
- 京福は両備系になっている。
- そして猫駅長が就任。
- 2012年(1度目の12年後)
- 京福はウィラーの系列になっている。
新大久保駅乗客転落事故
- 起きていなかったら
- ホームドア(可動式ホーム柵含む)は現実よりも普及しなかった。
- 映画「あなたを忘れない」は製作されなかった。
- ネトウヨの韓国人叩きが今以上に盛んだった。
- 駅構内に酒類を販売する自販機が増えていた。
- 別の時代に起きていたら
- 1980年代
- ホームドアや非常停止ボタンの設置が早く進んでいた。
- 6ドア車は製造されなかった。
- JR化後にホームに配置される駅員が減らされることはなかった。
- 2001年5月
- 救出を試みた犠牲者に「感動した!」という賞賛が多く寄せられる。
- 2002年
- E231系500番台のデビューに影響が出ていたかもしれない。
- 日韓ワールドカップ開催年だったので両国以外のメディアでも大きく取り上げられた。
名鉄名古屋本線踏切事故
- 起きていなかったら
- 1380系は登場していない。
- 1030系・1230系・1850系の廃車が現実より遅れていた。
上越新幹線脱線事故
- 起きていなかったら
- 日本の新幹線の営業運転中の初めての脱線事故は2013年の秋田新幹線脱線事故になっていたかも。
- ただこれは在来線区間で起こった事故なので、新幹線区間に限れば現在に至るまで1度も起こっていないことになる。
- 2013年までは「新幹線は絶対に脱線しない」と言っている人もいる。
- 地震対策が史実より甘く、2011年3月11日に「東北新幹線脱線事故」が起こった可能性も。
- 史実でも起きているが、試運転列車だったため扱いはやや小さかった。
- 2016年の大震災による九州新幹線脱線事故が史実以上に大きな扱いになっていた。
- 死者が出ていたら
- もちろん日本の新幹線の営業運転中の初めての脱線事故+新幹線での初めての死亡者が出る。
- 新幹線開業以来死者0の記録が途切れる。
- 地震対策が史実より大規模になっていた可能性がある。
- 阪神淡路大震災のときと同様、上越新幹線の全線復旧後も飛行機の臨時便から客足は戻らず、東京~新潟の航空需要が復活した。
- この項目に書かれてることが現実化し、2005年春から羽田~新潟の臨時便が定期便に昇格。
- 羽田空港がパンクして首都圏第3空港の建設が決定する。
- この項目に書かれてることが現実化し、2005年春から羽田~新潟の臨時便が定期便に昇格。
土佐くろしお鉄道宿毛駅舎列車衝突事故
- 起きていなかったら
- 土佐くろしお鉄道は今でもそんなに言うほどの経営難には陥っていない。
- でも決して良くはない。
- 宿毛線への特急列車乗り入れ本数は今でも1日4本以上。
- 普通列車の本数も減らさずにすんだ。
- 中村線やJR土讃線と一体的に運行されている。
- 宿毛駅の車止めを記念撮影する人はほとんどいない。
- 事故を起こしたのが〇〇だったら
- 普通列車
- 現実より被害は少なかった。
羽越線特急脱線転覆事故
- 起きていなかったら
- 2005年の鉄道事故と言えばJR福知山線脱線事故。
- 風速規制を強化する事は無かったかもしれない。
- そうなると別の列車で脱線転覆事故が起きていたかもしれない。
- 岩泉線脱線事故の被害がより大きくなっていたかもしれない。
- そうなると別の列車で脱線転覆事故が起きていたかもしれない。
- 事故を起こしたのが○○だったら
- トワイライトエクスプレス
- 人気の寝台特急が事故を起こしたのでマスコミの取り上げ方も現実よりも大きかった。
- トワイライトエクスプレスの廃止が早まっていた。
- 事故によるイメージ低下に加え車両不足などもあったため。
- 最悪事故により運休→そのまま廃止、ということになっていた。
- 「ななつ星in九州」をはじめとする一連の豪華観光列車ブームも起きなかった。
- 事故が起こったのが深夜になるため、犠牲者は現実よりも多かったかも。
- 701系普通電車
- 209系以降のJR東日本のプレハブ車両(所謂「走るんです」)の安全性や車体強度が問題になっていた。
- 701系電車に対する延命工事が行われることもなく、秋田地区にもE721系が投入されていた。
- 「走るんです」一族は2006年をもって製造中止となり、その後のJR東日本の車両は205系をベースとした車体構造に戻った。
- あけぼの
- 上海列車事故の時の無錫旅情の時のように石川さゆり氏の「津軽海峡冬景色」が放送自粛を余儀なくされた。
- 上野駅の発車メロディが「あゝ上野駅」に変わることもなかった。
黒磯駅構内感電死亡事故
- 起きていなかったら
- 黒磯駅構内の完全直流化はされず、デッドセクションの移設もなかった。
- このため今でも、交流専用の電車がそのまま乗り入れていた。
- もちろん18きっぱーや北東パス利用者にとっては乗り換え回数が増えることもなかった。
- 2017年6月にE721系に対して誤って直流電気を流して発煙させる事もなかったか?
- このため今でも、交流専用の電車がそのまま乗り入れていた。
名松線土砂崩れ
土砂崩れが事故といえるかどうかは微妙ですが。
- 起きていなかったら
- 家城~伊勢奥津間は運休にはならなかった。
- 家城~伊勢奥津の代行バスはないため、ローカル路線バス乗り継ぎの旅の第11弾(高松~伊勢神宮)の伊勢奥津から家城までのルートが変わっていた。
- 一体どの路線を利用していたのだろうか?
- 名阪国道ルートが使えるかどうかで変わる。それでもかなり遠回りになるが…
- 別の時代に起きていたら
- 1970年前後
- 赤字83線の一環として廃止されていた。
- ちなみに田中角栄就任後の1975年にも台風で一時運休していたが復旧している。
- 1980年
- 国鉄再建法により白糠線を抑えて廃止第1号になっていたかもしれない。
- 実際には関係ない松阪~家城間も廃止された可能性も。
- それはどうだろうか?1982年の台風で線路が破壊されたけど1年後に復旧しているし。
- 1986年
- JR東海には引き継がれず、第3セクター化されていた。
- 家城~伊勢奥津はJRではなくローカルバスの代行輸送。
- 1987年
- 代行バスはJR東海ではなくローカルバス会社になっていたかもしれない。
2010年代
函館本線スーパーカムイ踏切事故
- 起きていなかったら
- スーパーカムイの本数削減はなかった。
- 特急型車両の前面展望は禁止されなかった。
- 事故車両が別の車両だったら
- 現実では789系だったが、もし事故車両が運転台が低い785系などだったら?
- 日高本線踏切事故の二の舞になっていた。
- それでもスーパーカムイの本数が削減されるのは史実通り。
- JR北海道はこの事故を機にワンマンカー以外の低運転台車の廃車を進めていた可能性もある。
岩泉線脱線事故
- 起きていなかったら
- 2011年3月に東日本大震災の影響で運休にはなるが、その後復旧され廃止にはならなかった。
- 小本駅は改称されなかった。
- 三陸鉄道とともに運転再開のニュースは全国で放送された。
- 別の時代に起きていたら
- 1980年
- 国鉄再建法により白糠線を抑えて廃止第1号になっていたかもしれない。
- どっちにしろ民営化前に廃止されていた可能性が高い。
- 1986年
- この時点で廃止か、JR東日本には引き継がれず、第3セクター化されていた。
- 三陸鉄道に引き継がれていたら、小本まで全通した上に現在も廃止されずに残っていたという可能性も…。
- 2005年
- 東日本大震災との連続発生にはならなかったため、廃止にはならなかったかもしれない。
- 震災後も数ヶ月くらいで運転再開。
- 2011年~2012年
- 東日本大震災→脱線事故という実際とは逆の順番で追い打ちをかける事故になっていた。
- 2015年4月1日付けで廃止になっていたか。
舞子駅乗客転落死亡事故
- 起きていなかったら
- JR西日本の車両の先頭車に転落防止幌がつくことはなかった。
- 先頭車同士の連結面における前照灯の点灯も。
- JR西日本以外の車両における連結面の注意放送も普及しなかった。
- JR西日本の駅への可動式ホーム柵の導入はなかったか遅れていた。
石勝線特急列車脱線火災事故
- 起きていなかったら
- 列車火災事故と言えば今でも北陸トンネル火災事故。
- 当時の社長が自殺する事は無かった。
- 特急列車のスピードダウンは無かった。
- ただ、その後の一連の保線不備や車両トラブルが発生していれば史実通り。
- キハ285系・DMVの開発を打ち切らずに済んだかも。
- JR北海道は安全面がおろそかな体質を晒すことはなかった。
- 少なくとも史実よりはマシな経営状況で、苗穂工場が大人しくなることもなかった。
- 苗穂工場が史実より暴走してとんでもない車両を作っていたかもしれない。
- 多数の乗客が逃げ遅れていたら
- 死傷者数が数百人単位で出ていた可能性がある。
- 2014年に韓国で起きたフェリー転覆事故を笑えなくなっていた。
- この時同様従業員が何もしなかったことが原因だったため。
- JR北海道をはじめ、非電化の幹線鉄道の電化が促進されるようになっていた。
- 長大トンネルがある場合はなおさら。
- えちごトキめき鉄道の日本海ひすいラインにディーゼル車ではなく521系を導入していた。
- 長大トンネルがある場合はなおさら。
- 「事故を思い起こさせる」という理由でJR北海道の特急型気動車の外部塗装が変更されていた。
- キハ261系1000番台の新塗装が2012年くらいに登場していた。さらにキハ281、283、261系基本番台も同様の塗装にされる。
- 江差線や留萌線などの末端区間の廃止が早まったかも。
中国高速鉄道衝突脱線事故
- 起きていなかったら
- 今でも中国高速鉄道がギネス認定の世界一の高速鉄道だった。
- 「はやぶさ」は世界一になれず。
- 世界各国で高速鉄道の350km/h運転が進んでいた。
- タイの高速鉄道の日本と中国の輸出争いは史実より激化。
- しかし最終的には日本が勝っていただろう。
- 車両が埋められなかったら
- 鉄道部に対する国内外からの批判は史実よりも小さかった。
- 但し中国鉄路総公司への解体・移行は史実通りになっていた可能性が高い。
- 事故原因をより詳しく究明できていた。
- 別の時代に起きていたら
- 2014年
- 韓国船の沈没事故と結びつける人が出ていた(主に特亜関係)。
- 航空機事故など世界各地で事故が多発したため、その象徴になっていた。
- タイの高速鉄道の輸出に中国は参加しなかった。
秋田新幹線脱線事故
- 起きていなかったら
- 営業運行中の新幹線車両の脱線事故は今でも「上越新幹線脱線事故」のみ。
横浜線川和踏切死傷事故
- 電車に触車する事無く助かっていたら
- 男性はもちろん重傷になっていなかった。
- 海外メディアで史実以上に取り上げられていた。
- 同じ年に京浜東北線の乗客による転落者救出劇もあったので「2度目の奇跡」と呼ばれていたかもしれない。
東急東横線追突事故
- ラッシュ時に起きていたら
- 負傷者が増え、死者が出ていた可能性もある。
- つまり↓。
- 死者が出ていたら
- ソチオリンピック男子フィギュアスケートフリーは放送中止か、演技の合間に頻繁にニュース速報が挟まれた。
- またはL字で速報が流された。
- そのため羽生選手の金メダルもあまり盛り上がらなかった。
- 少くともスポーツ紙以外は事故が一面になり、オリンピック関連は二面以降かスポーツ面に追いやられた。
- TBSのアニメイズムの深夜アニメも放送中止になり、後日放送された。
- 東横線の運休がもう少し長く続き、週明けの通勤通学に影響が出ていた。
- さすがに倒産には至らないだろうが、東急のイメージと共に経営は間違いなく悪化していた。
- 「ぜんぶ雪のせいだ」が洒落にならない意味を持つようになってしまった。
- 代わりに「妖怪のせいだ」が史実以上に流行っていた。
- 世間における一連の大雪災害の第一印象が、翌週の山梨などの孤立ではなく、これになっていた。
- 鉄道の雪対策は現実以上に徹底されている。
- 起きていなかったら
- 西武鉄道の降雪原因の暴走事故は忘れ去れていたかもしれない。
京浜東北線脱線転覆事故
- 営業列車だったら
- 事故車は回送列車だった。もし営業列車だったら?
- 営業列車の事を考えると事故が起きた時刻は22時~0時かもしれない。
- 確実に死者が出ていたのは間違えない。
- 史実以上に取り上げられていたのは確実。
- なかったら
- 205系余剰車が京浜東北線に再投入が検討されることはなかった。
- 上野東京ライン開業後のE233系の処遇が課題となっていた。
- 209系が1編成が残留し続けている京葉線への置き換えに回されていたかも。
- そもそもE331系が成功していたら209系が残留し続けることもなかったはず。
- 209系が1編成が残留し続けている京葉線への置き換えに回されていたかも。
山手線架線柱倒壊事故
- 支柱が列車に激突していたら
- 支柱が倒れる1~2分前には現場を山手線が通過していたそうですが、もし通過している間に支柱が倒れて列車に激突していたら?
- 支柱が倒れた衝撃で列車が変形し、脱線して多数の死亡者や負傷者が出ていた。
- それでもJR福知山線脱線事故には及ばない。どっちみち大惨事になると思うが。
- 恐らく激突したのはE231系500番台だと思われる。
- 後に導入される山手線E235系にも影響が出ていたかもしれない。
- 多分、トウ540編成の中央総武線転出はE235系量産までお預けになっていた。
- 量産されるE235系は非常に丈夫になっていた。
- 原因に関わらず10年前に発生したJR福知山線脱線事故と無理やり結び付ける人がいた。(日にち的に近いので。)最悪、JR発足以降として第二の大事故になっていた可能性もある。
- まあ、事故調査報告書はそれほど量は多くならないと思うが。
- 各テレビ局は特別報道番組に追い込まれていただろう。事故発生時が午前6時だから早くとも午前6時30分には特別放送番組になっていたと思う。
- 日テレとフジテレビは予定を変更し放送されていたと思う。TBSはゴルフ番組から差し替え、特別報道番組になっていた。サンデーモーニングは予定通り放送か?
- テレ朝は「手裏剣戦隊ニンニンジャー」、「仮面ライダードライブ」を放送中止し、特別報道番組になっていた。テレ東は相変わらず通常通りか。
- 通常放送になった後もL字で速報が流されていた可能性もある。
- 山手線・京浜東北線の運休がもう少し長く続き、開通したばかりの上野東京ラインが史実以上にごった返す事に。
長崎本線列車同一線路進入事故
- 正面衝突していたら
- 885系と787系が廃車になっていた。
- jr九州の経営が悪化していた。
- 株式上場はあり得なかった。
- 大量減便も史実以上に行われた。
- 日田彦山線や指宿枕崎線が廃止対象に上がっていた。
- やっぱり「単独維持困難路線」を発表するのかな?
- 佐伯~延岡間の途中駅廃止が現実を帯びた。
- ななつ星in九州が廃止されたかも。
- JR九州の社長が史実のJR西日本のように「歴代5社長」と呼ばれていた。
摩耶駅足場倒壊事故
- 倒壊した足場が列車に接触していたら
- 実際には外側線を下り新快速が通っていましたが、間一髪で接触は免れました。
- 足場が倒壊した瞬間に通った列車が内側線の快速・普通だった場合は車両の上に足場が覆いかぶさっていた。
- 恐らく脱線し、多数のけが人が出ていた。場合によっては死者も出ていただろう。
- もし接触したのが史実通り新快速だった場合、下手すれば福知山線脱線事故級の大惨事になっていた。
- JR神戸線の事故現場前後は数日間~1週間くらい不通になっていた。
- 並行私鉄が振り替え輸送でごった返す。
- 摩耶駅が悪い意味で有名になっていた。
- 最悪駅名変更を余儀なくされていたかも。
- あるいは仮称のまや駅で開業していた。
- 最悪駅名変更を余儀なくされていたかも。
山陽本線踏切事故
- 起きていなかったら
- 山陽新幹線40年記念式典は中止になることはなかった。
- トラックの修理を請け負った会社は家宅捜索されることはなかった。
- 衝突したのが○○だったら
- 乗用車
- 原形をとどめなかった。
- 車両に穴は開かなかった。
- トレーラー
- 山陽電鉄のトレーラーの事故みたいになっていた。
- 車両によってはもっとひどいことになっていた。
- 衝突したのが○○だったら
- 117系
- サンライナーの運用に大きな影響が出ていた。
- 車両は修理されることなく廃車になっていたかもしれない。
京急神奈川新町駅踏切事故
- 起きていなかったら
- 京急のブラックな体質が明るみに出ることはなかった。
- 京急は今も鉄道ファンを中心に絶大な人気を保っている。
- 電車の乗客に死者が出ていたら
- 2005年の福知山線脱線事故と比較されていた。
- 京急はスピードダウンを強いられていた。
- 京急に対する風当たりが強くなり、利用客がJRや東急に流出していた。
- 事故後しばらく京急は蒲田(あるいは川崎)-横浜間で運休を強いられていた。
- 運転業務を人手に頼っていたことの問題点が現実以上にクローズアップされていた。
- 京急の社風が現実以上に批判されていた。
- これを機に自動化に舵を切っていた。