ざんねんな歌手事典
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個人[編集 | ソースを編集]
岡村孝子[編集 | ソースを編集]
- 石井浩郎との結婚後が残念だった。実家のラブホテルの倒産、借金生活、泥沼離婚、果ては白血病も発症した。
- 元旦那の石井浩郎曰く「人魚かと思ったらホオジロザメだった」
克美しげる[編集 | ソースを編集]
- 絶頂期には「エイトマン」の主題歌を歌ったが、ムード歌謡路線への転向で人気が低迷。不倫と借金生活にも走り、再出発時に不倫相手を殺害。再出発時の目玉である「おもいやり」は廃盤となり、黒木憲が改めて歌う事となった。
- 釈放後はクスリにも走ってしまい、その後は体調不良にも見舞われた。
華原朋美[編集 | ソースを編集]
- 小室ファミリー時代はハローキティを復権させたりつゆだく牛丼をブームにした第一人者であったが、小室ファミリーを離れてからは迷走し、奇行も報じられる始末。
桑田佳祐[編集 | ソースを編集]
- ×××××満載な歌詞ばかり書く。
- ×××××入りの曲も当たり前。
- しかもそういう曲をゴールデンタイムの歌番組で堂々と披露して物議を醸す。
- その為、歌詞を掲載できない曲もある。
- 若い頃は他人をディスる歌を作っていた。
- 特に下記の長渕剛との確執が有名。
- 紫綬褒章を受章するも、その後の年越しライブでのパフォーマンスに批判が寄せられ謝罪に追い込まれた。
- 受章自体を左向きから、上述のライブでの件を右向きから非難されたが、それ以上に妻の原由子から「いい年して何やってんのよ?」とガッツリ怒られたことが一番堪えたらしい。
- 嘗て紅白歌合戦に出場した時に、三波春夫の真似をしながら「とにかく受信料は払いましょう!裏番組はビデオで見ましょう!」と発言。
- 当然このパフォーマンスは視聴者から大バッシングを受け、NHKに詫状を書かされる事態となってしまった。
- 実際は拒否していたらしく、書くくらいならNHKの番組に出ないと宣言。2010年代まで紅白歌合戦には出場しなかった。
- 当然このパフォーマンスは視聴者から大バッシングを受け、NHKに詫状を書かされる事態となってしまった。
- 自身が初めて監督した映画「稲村ジェーン」は、劇中音楽や興行収入面については良かったが、肝心の内容については多くの評論家から酷評されている。
- 映画を批評したビートたけしに対して噛みついてしまった。
- 上記のような言動から過激なイメージがあるが、本人はかなりの小心者である。
香田晋[編集 | ソースを編集]
- 本業の演歌歌手より「クイズ!ヘキサゴン2」での印象が強すぎた。
- 演歌歌手としてはヒット曲に恵まれることなく、「紅白歌合戦」には1度しか出場していない。
- その「クイズ!ヘキサゴン2」が終了するととどめを刺された。
- 将棋二段の免状を得ていたが、それが仕事に活きたかと言うと……?
- 2018年11月に禅宗の僧侶になっており、地方紙で「歌う僧侶」として登場している(これは残念な話ではないね)。
- 生まれた子供の名前を一般から募集したが、「パンダ(動物)じゃないんだ」と批判を浴びた。
- その後、落語家の二代目林家三平も同じように子供の名前を公募で決めた。
PSY[編集 | ソースを編集]
- 「江南スタイル」が全米で大ヒットしたが、Maroon5に1位を阻止されてしまった。
- 音楽番組「ミュージックバンク」で「江南スタイル」の高すぎる放送点数が原因で他のアーティストがいくら、デジタル音源やCDが売れても、「江南スタイル」に勝てなくなってしまった。
- イタリア杯でパフォーマンスするもブーイング。
西城秀樹[編集 | ソースを編集]
- いくつものヒット曲や野球場でのコンサートなど実績は残念ではないが……
- 野球場でのコンサートのとき、工事用クレーン車にぶら下げられた空中ブランコに命綱無しでつかまるという危険なパフォーマンスをしたことがある。
- ライブの音源(洋楽のカバー曲が多数)がファンからは好評だが、廃盤が多い。
- 彼のすべてのスタジオアルバムとライブアルバムをCDとして復刻販売する企画が始まったのが2021年だった。
- 曲「YOUNG MAN」のインパクトが強かったからか、世間とファンとでイメージに差が出てしまった。
- 彼最大のヒットではあったが、カバー曲だったためレコード大賞の審査からは外された。結局生涯一度もレコード大賞は取れなかった(他の歌謡関連の賞は取っている)。
- 地上波では追悼特番が放送されなかった。
- 没後に晩年の映像(脳梗塞による後遺症の構音障害や半身麻痺が分かるものが含まれる)が何回か放送されているのがファンの間では賛否両論になっている。
沢田研二[編集 | ソースを編集]
- 「ザ・タイガース」でボーカルとして活躍し、解散後も「勝手にしやがれ」や「時の過ぎゆくままに」をヒットさせるなど実績的には全く残念ではないが、1990年代に入ってから急速に太りだしてしまい全盛期の面影が全くない状態になってしまった。
- 客が来ないからという理由でさいたまスーパーアリーナで開かれるはずだったコンサートを突然中止にしたことがある。
- しかしのちに自身の驕りを認めて謝罪した。
- 高齢になってからは政治的な言動も目立つようになった。
高尾直樹[編集 | ソースを編集]
- 野球ファンもしくはアニメ、特撮ファンなら一度は聴いたことのある曲を歌っているのだが、名前だけ聞くと「誰?」となるのも無理はない経歴をしている。
- 横浜ベイスターズの球団歌「熱き星たちよ」、仮面ライダーJの主題歌「心つなぐ愛」などが代表曲だが、前者は「ザ・ベイスターズ」、後者は実妹の高尾のぞみとのデュオ「Byue」名義で歌っているため曲の知名度に対して「高尾直樹」という名前があまり知られていない。
- 妹の高尾のぞみは1998年に劇症肝炎で亡くなっているが、その夫はSMAPやブラックビスケッツに曲を提供したほか後に東京ヤクルトスワローズの球団歌「We Are The Swallows」を手掛ける林田健司。つまり義兄弟でセ・リーグ2球団の楽曲に携わっているのだが、この事実はさらに知られていない。
段田男[編集 | ソースを編集]
- 鳴り物入りでデビューしたものの早いうちに体調不良に見舞われてしまい、復帰しようとしても認められず、引退に追い込まれた。
つボイノリオ[編集 | ソースを編集]
- 「金太の大冒険」を筆頭に、出す曲のほとんどが下ネタであることは有名。
- 今ではCBCラジオの顔だが、そのライバル・東海ラジオとは、過去に舌禍事件でクビにされたことがある。
- 絶頂期には東京にも進出しオールナイトニッポンを担当したこともあったが、体調の問題で撤退。
長渕剛[編集 | ソースを編集]
- 残念エピソードの宝庫である。
- 特に1990年代前半あたりが最も残念だった。
- 1990年に中継で紅白初出場を果たすが、15分以上も時間を使ってやりたい放題やった結果大顰蹙を買った。
- その後2003年に二度目の出場を果たすまでNHKを出禁になったうえ、中継自体も長らく行われなかった。
- 1993年には相田みつをの詩から歌詞を盗作したことが発覚し、あわや裁判沙汰になるところだった。
- 上記の桑田佳祐が彼(と矢沢永吉)を誹謗する歌を作ってしまった。
- 「すべての歌に懺悔しな!!」。矢沢は「お互いクリエイター。全然気にしていない」と大人の対応を見せたが、長渕は「俺は桑田佳祐を許さない」と激怒。
- 1995年には大麻取締法違反で逮捕される。
- 1990年に中継で紅白初出場を果たすが、15分以上も時間を使ってやりたい放題やった結果大顰蹙を買った。
- 度々暴力沙汰を起こしている。
- 最初の妻であった石野真子とはこれが原因で離婚。
- ドラマの打ち上げでスタッフに暴力を振るったこともあった。
- 現在の妻である志穂美悦子にも暴力を振るったが、日本初のアクション女優であり「千葉真一の秘蔵っ子」と言われた志穂美はこれに応戦、彼女の放った後ろ回し蹴りが長渕の首筋にクリティカルヒットし、一発で失神KOした。
- この後、千葉真一に「夫を頃したかもしれない」と泣きながら電話したとか。
- 長渕もそれ以来志穂美に頭が上がらなくなり、ラジオ番組でリスナーからの「夫婦ゲンカはしないんですか?」の質問にも「できるかよ、だって拳にタコができているんだぜ。ちょっと口論になると『あなた、ビルの5階から飛べる?』と言ってくるんだから」と答えるほど恐れている。
中森明菜[編集 | ソースを編集]
- 80年代アイドルの中でも抜きんでた活躍をしていたが、近藤真彦との交際から自殺未遂で歯車が狂いだした。
- その後、研音から独立して事務所移籍を繰り返し、不安定な芸能活動を送ることになる。
- 1992年に月9ドラマ「素顔のままで」で安田成美とダブル主演を果たし、復活の兆しが見え始めたが、移籍トラブルなどが相次ぎ、レコード会社移籍も繰り返し歌手活動は滞る。
- 1999年にドラマ「ボーダー 犯罪心理捜査ファイル」主演も収録中の事故に遭い大怪我、さらにインフルエンザまで罹ってしまう。
- 2010年に無期限活動休止。2015年に活動再開もメディアから姿を消している。
- 妹の中森明穂も2年程で引退し、52歳で他界。
浜崎あゆみ[編集 | ソースを編集]
- まず、サンミュージック時代が残念だった。
- 当時は女優がメインであるものの、歌手としても活動していたが売り上げが壊滅的だった。
- 女優としてもほとんど端役ばかりだった。
- 殺される役もあった。
- 女優としてもほとんど端役ばかりだった。
- それ以前には地元で浜崎くるみという恥ずかしい芸名でモデルをしていた。
- 当時は女優がメインであるものの、歌手としても活動していたが売り上げが壊滅的だった。
- カウントダウンライブの際に客席に向かって「感じ悪い」と放った。
- これが障碍者に向けた暴言と受け止められ非難轟轟(どうやらデマだったらしい)。
- これが原因でCM降板につながった。
- これが障碍者に向けた暴言と受け止められ非難轟轟(どうやらデマだったらしい)。
- 2004年のエイベックスお家騒動の際に退社を決めていたM氏を支持(退社は撤回)。
- 結果、会社に混乱を与えたとして、賞レースから撤退を余儀なくされた。
- 全盛期はミリオンセラーも叩き出していたが、2014年リリースのシングル『Terminal』がオリコン初登場24位で初動も3,000枚を割ってしまった。
- その影響もあって紅白歌合戦連続出場が途切れる。
- この年限りでCDシングルを出さなくなった。アルバムも2016年が最後。
- 2020年以降、配信シングルをリリースするもダウンロード数は芳しくない。
- 彼女の楽曲をドラマ主題歌に使用するとコケるというジンクスがある。
- 一例を挙げると月9ドラマ『天気予報の恋人』は当時少なくとも初回か最終回で20%超えが当たり前だった月9において全話20%を割ってしまった。
- 話数削減(実質打ち切り)も2作あった。
- 全盛期の多忙すぎるスケジュールが原因で左耳の聴覚を失ってしまった。
- a-nationでは長らく大トリだったが、帰りの交通事情もあってかパフォーマンス中に多くの観客が帰り始めるのが恒例になっていた。
- SNSがとにかく痛々しいと炎上する。
- 中でも、暴行事件を起こした後輩へのエールにはかなり非難が殺到した。
- 2020-2021カウントダウンはオンラインで開催予定だったが、サポートメンバーがコロナ感染し、自身も濃厚接触者とされたため中止を余儀なくされた。
- ある時から不自然なビブラートを多用するようになり、「不快だ」という声がでるようになった。
- また、歌唱力も全盛期より落ちたといわれる。
- 私生活でも2度離婚しており、その後は事実婚のまま2児を出産した。
- 2017年の横アリライブを撮影およびSNS投稿を許可したが…。
- 当時のあまりの激太りぶりなどから「千手観音かずこ」のコメントが並び、Twitterの急上昇ワードに入ってしまうほどに。
- 2021年の名古屋2daysの2日前に脚を骨折。
- 初日は痛み止めを打ち、車椅子姿で内容を変えて決行したが、アナフィラキシーショック発症で意識不明になったため、2日目は中止を余儀なくされた。
布袋寅泰[編集 | ソースを編集]
- 何度も「ほていとらやす」と間違えられてしまう。
- 後述のやしきたかじんからも、そう呼ばれていた。
- さらにVOWでは「ぬのぶくろとらやす」と変読されてしまった。
- 新聞で山下久美子の夫が大友康平にされてしまったことがあった(VOW1)。
- 色々とスキャンダルを起こしている。
- ギターは巧いけどボーカルは…。
山下達郎[編集 | ソースを編集]
- 赤坂方面のテレビ局では、彼の楽曲を番組のテーマソングに使うと、大コケするというジンクスがある。
- 記憶に新しいのは「総力報道THE NEWS」、これには「ミューズ」という曲が使われていた。
- よっぽどバツが悪いと見たのか、桑田佳祐と違い制作時期にこだわらずシングル曲をアルバムに入れる傾向がある達郎だが、この曲は2022年時点でもアルバム未収録。
村田英雄[編集 | ソースを編集]
- 歌は名曲が多いが、日常生活のエピソードがラジオのネタにされ、伝説化。
- 海外旅行のアンケートで、性別を書く「SEX」の欄に「週二回」と書いた。
- 喫茶店で、コーヒーに砂糖とミルクを大量に入れて、がぶ飲みして一言。
- 「やっぱり、コーヒーはブラックに限る!」
- 「バイオミンX」のCM撮影の休憩時間に「オロナミンC買って来い」と言って、周囲を凍り付かせた。
やしきたかじん[編集 | ソースを編集]
- 「関西の視聴率男」として有名だが、関西地区以外での知名度は・・・
- 血の気の多さならびに喧嘩っ速さは、歌謡界随一。
- テレ朝の生放送番組の料理コーナーで「味の素がない!」と激怒して、生放送中に帰宅したのは、もはや伝説。
- それ故に有吉弘行に付けられたあだ名は「奇跡のチンピラ」。
- 酒好きとしても知られる。
- 「たかじんnoばぁ~」(読売テレビ)では、テレビ番組であるにも関わらず、本物の酒をがぶ飲みするという、今では考えられない番組もあった。
- 歌詞について強いこだわりがあり、彼の要望に沿って歌詞を書ける作詞家がなかなかいなかった。
- 「東京」をヒットさせた及川眠子とすらも喧嘩をしている。
- 作詞家として売れる前の秋元康に歌詞を見せられたが「これは文章や!歌詞やない!」と痛烈に批判した。
- しかしのちに秋元がブレイクしたのを観て後悔したとか。
- 自分で作詞作曲したデビューシングル「娼婦和子」を、インディーズレーベルから発売したが、歌詞の内容が×××××だったので即日発売禁止になってしまった。
- 発売禁止になった悔しさから、レコードを手元に置かず、コンサートで歌うこともなかった。
グループ[編集 | ソースを編集]
I've[編集 | ソースを編集]
- R-18ゲーム主題歌ブームを巻き起こした音楽制作集団でKOTOKOら所属歌手はメジャーデビュー後アニソンを中心に活躍した。
- 2005年、2009年に日本武道館でライブを開催した。
- 2015年の15周年記念ライブは武道館は叶わず東京ドームシティホールでの開催だった。
- I'veから楽曲提供を受けることが多かった女性歌手のRayはKOTOKOや高瀬一矢の経歴を調べて驚愕したらしい。
- 2005年、2009年に日本武道館でライブを開催した。
- 2011年の島みやえい子の卒業やKOTOKOの独立で以降初期の歌手やクリエイターの卒業が相次ぐようになる。
- 川田まみらは卒業と同時に引退してしまった。これにより初期の歌手は全員卒業。
- 代わって加入した歌手は世代交代がうまくいかず初期の歌手と比べ鳴かず飛ばずなのか2019年も脱退する歌手が複数出た。
- 3人組のガールズグループを手掛けたが成功したとは言えずそのうち2名が脱退しソロプロジェクトとなってしまった。
- そのうちの一人は歌手ではなくサウンドクリエイターとしてI'veに復帰した。
- 初のアルバムで「どさんこポップ」というキャッチフレーズがつけられたが定着しなかった。
EE JUMP[編集 | ソースを編集]
- ユウキのDQNぶりが目立っていた。
- 加入前は相当な悪ガキで、小学生の頃にはボヤ騒ぎを起こしたり、中学生の頃には校長を殴るなどした。
- 加入後も根本は変わらず、マネージャーに暴行までして失踪までした。
- ジャニーズJr.の1人とキャバクラで未成年飲酒をしていたことでとどめを刺された。
- 解散後はメンズヘア雑誌のモデルを務めたりバイク雑誌に掲載されたこともあったが、泥棒に走ってしまい、あえなく御用。
- 残ったソニンはソロ曲のジャケットで裸エプロンを披露するわ、うたばんの過酷な企画で何度も苦しむなど、仕事を選ばず無理し続けた結果、3度もダウンする始末。
- 現在はその経験を糧にし舞台女優として評価され数多くの演劇に出演、演劇賞も受賞している。
- 実は結成当初は3人組だった。しかし結成からすぐに1人が「サッカーに集中するから」という理由で脱退してしまった。
H2O[編集 | ソースを編集]
- オリジナル曲を歌いたかったが、事務所の方針で外部からの作詞・作曲した曲しか歌わせてもらえず、 事務所とこじれて解散に追い込まれた。
- しかも『思い出がいっぱい』以外はヒット曲に恵まれなかった。
GLAY[編集 | ソースを編集]
- ボーカルであるTERUの天然すぎるざんねんエピソード(いわゆる「TERU語録」)が多い。ここにその一例を記す。
- GLAYがゲスト出演するテレビ番組を見て、リーダーのTAKUROに「コレって生?」と聞いたことがある。
- ライブのMCで会場の名前を間違うのは、1回や2回の話ではない。
- 真駒内(札幌)→苫小牧、名古屋→大阪…etc
- 宮城県でのライブのMCで「茨城〜!」と絶叫し、後ろにいたJIROからギターのピックを後頭部に投げつけられた事がある。
- 青森・むつでのライブで「むつって言いにくい!俺の苦手な「む行」だから」。
- FM東京で「ボン・ジョヴィ」のポスターを見たTERU、TAKUROに「どっちがボンで、どっちがジョヴィなの?」と真顔で尋ねる。
- 「このチャーシューうめぇ~!」と言っていたが、TERUが食べていたのは、ローストビーフ。
- あるインタビューにて「ボーカル以外でやってみたいパートは?」という質問に「スーパーのレジ」と返答。
- 「人間ってさ、なんで乾電池入ってないのに動くのかな?」
- ある年の誕生日に「26インチのケーキを貰いました!」
- すかさず、横にいたTAKUROに「26センチでしょ!」とツッコまれた事は言うまでもない。
ZARD[編集 | ソースを編集]
- 坂井泉水の転落死で活動にとどめを刺した。
- しかも1階の階段の手摺から。これに関しては窪塚洋介が転落した事例が引き合いに出された。
- なお、グループとしては解散していない模様。
- 90年代半ば以降、新曲の発売延期が度々行われた。
- 表向きは制作上の都合であるが、他のアーティストと同時に発売されることを敬遠していた。
- そのプライドの高さから待望にしているファンを落胆させた。
SPEED[編集 | ソースを編集]
- 1990年代後半から2000年代にかけて一世を風靡したが、その間には残念な出来事も多かった。
- 2000年に突如として解散を発表したが、実際は所属事務所社長が1997年頃には発展的解散させようとしていたらしい。
- 流石にソロ歌手として準備するには期間が難しく、却下されている。
- 解散した日には、ミュージックステーションが生放送されたのだが、同じ日に有珠山が噴火し、そちらに話題を持っていかれてしまった。
- 2008年に再結成し、再ブレイクしたが2014年に新垣仁絵が結婚と同時にひっそりと事務所を退所していた事が明らかになり、再び活動休止に。
- 活動休止後、上原多香子と今井絵理子(後に自民党から国会議員に転身)が相次いで不倫騒動を起こしている。
- しかもその後も今井絵理子は不倫相手(元神戸市議・橋本健)に政務活動費の詐取が発覚し神戸市議を辞職に追い込まれ、上原多香子に至ってはこの不倫が原因で元夫(ET-KING・TENN)が自殺してしまうなど、その後にも禍根を残してしまった。
ZONE[編集 | ソースを編集]
- MIZUHOが芸能活動に意欲をなくしたから。
- 『うたばん』で石橋貴明に×××××の先呼ばわりされたことが大きかった。その後脱退を何度か考えたが、結局は解散した。
- MIYUに至っては素行不良で事務所を解雇されてしまった。
- 『うたばん』で石橋貴明に×××××の先呼ばわりされたことが大きかった。その後脱退を何度か考えたが、結局は解散した。
- 2003年に初代リーダーのTAKAYOが脱退したのが一番痛かった。
- 代わってTOMOKAが加入したが、徐々に売り上げが落ち込んだ。
t.A.T.u[編集 | ソースを編集]
- 2000年代前半頃に活躍したロシアのアイドルユニットで、その当時は世界中のティーンエイジャーに人気があった。
- お騒がせユニットとしても有名で、日本では2003年にMステーションをドタキャンしたことで知られる。
- 一方、t.A.T.uがドタキャンした為、穴埋めで急遽2回目の演奏となったミッシェルガンエレファントは株を上げることになる。
- 以降、日本での人気は大失速。後に行われた東京ドーム公演では半数以上が空席という事態になる。
- ちなみにこれは当時のマネージャー兼プロデューサーによる「反抗的なわがまま娘」を演出するための「やらせ」だったことが分かっている。
- その後も「(被選挙権年齢に達していないのに)ロシア大統領選に出る」と言い出すなど、やりたい放題だった。
- 今のなっては「あ~、そんな人たちもいたねぇ…」くらいの思い出。
- タモリは『ミュージックステーション』でのあの事件を未だに根に持っており、『タモリ倶楽部』での空耳アワーではt.A.T.uの曲は無条件にボツにしたほど。
CHAGE and ASKA[編集 | ソースを編集]
- 1980年代半ばから1990年代にはヒット曲に恵まれたが、収入の格差や不仲説で解散を考えたものの2000年代末に活動停止となる。
- ASKAがクスリに走ってしまい、結果的にはASKA自身が脱退を表明し、解散に追い込まれる。
Dream5[編集 | ソースを編集]
- 「妖怪ウォッチ」の主題歌である「ようかい体操第一」で話題となったが・・・。
- 一時はニャーKBに主題歌を奪われたものの不評で返り咲いたが、玉川桃奈の脱退、「妖怪ウォッチ」のブームの終息とともにフェードアウトされた。
- メインボーカルであった重本ことりのその後も残念なものだった。
- その一方で他の元メンバーは俳優業やグラビアなどで現在も活躍している。
HOUND DOG[編集 | ソースを編集]
- 紅白初出場を曲目で揉めてフイにしてしまった。
- デビュー25周年のメモリアルイヤーにボーカルの大友康平が当時の事務所と揉めて独立。訴訟にまで発展し、大友一人で名乗ることになった。
ヒロシ&キーボー[編集 | ソースを編集]
- 「3年目の浮気」は元々は黒沢年男がキーボーと歌う予定だったが、黒沢年男が「ニヒルな二枚目キャラを傷つける」と断ったため、弟の黒沢博とユニットを組んだ。
- 「3年目の浮気」は大ヒットしたものの、その歌詞の内容が夫婦喧嘩を連想させたため、紅白歌合戦の出場を逃した。
- その後、実質的な続編ともいえる「5年目の破局」をリリースするも大コケ。それ以来、ヒット曲に恵まれず解散。
- 解散後はそれぞれソロに転じるが、キーボーはコンビニで化粧品を万引きして御用。
Whiteberry[編集 | ソースを編集]
- デビュー前は『投稿!特ホウ王国』にも紹介され、期待されたが、大ヒットしたのはカバー曲である『夏祭り』くらいでオリジナル曲は全く売れなかった。
- しかも直後に出身地が同じZONEがブレイクしたため、逆に二番煎じ扱いされてしまい、メンバーの大学進学とともにとどめを刺した。
Le Couple[編集 | ソースを編集]
- 『ひとつ屋根の下2』の挿入歌である『ひだまりの詩』で注目されたもののそれ以降はヒット曲に恵まれなかった。
- 活動末期は泥沼化していた。藤田隆二は自分の出来の悪さに辛辣して藤田恵美へのDVに走ってしまい、離婚に追い込まれて解散した。
- 「ひとつ屋根の下2」の挿入歌で注目されたが、それ以降は人気が低迷。藤田隆二がDVに走ってしまい、離婚&解散に追い込まれる。
- 某漫才コンビのネタ中で、名指しで消えた人呼ばわりされてしまった。
- しかもよりによってM-1グランプリの生放送でそのネタが披露されてしまった。
- 無論DVD版ではピー音で伏せられたのは言うまでもない。
- しかもよりによってM-1グランプリの生放送でそのネタが披露されてしまった。
WANIMA[編集 | ソースを編集]
- シングル曲が同じような曲ばかりで一般的に知られるのはカバー曲である『やってみよう!』くらいである。
- CMタイアップでもロッテ『爽』と『三ツ矢サイダー』において広瀬すず出演で被ってしまう事態になる。
WANDS[編集 | ソースを編集]
- 音楽性の違いからメンバーチェンジを繰り返し、最終的にはオリジナルメンバーと完全に入れ替わってしまった。
- 元々は正統派バンドとして結成され、中山美穂とのコラボ曲である「世界中の誰よりきっと」で注目され、ブレイクしたが、上杉昇が志向するオルタナティブ路線に変更すると一気に人気が低迷した。
- 上杉が自分のやりたい事が認められず、ビーイングとギクシャクし、遂には後述するal.ni.coを結成するほど柴崎浩とともに脱退。
- 3度目のメンバーチェンジでは原点に回帰したが、以前のような勢いを取り戻すことができず、解体に追い込まれた。
- 後継メンバーに対する強引な当てつけもあった。木村真也に対しては視力が悪いわけでもないのにメガネ着用を強制されたり和久二郎に対しては上杉と同じ歌声で歌わせたりするなどした。
- 「Secret Night -It's my treat-」、「Same Side」、「WORST CRIME~About a rock star who was a swindler~」はいい曲だったんだけどな。あと、3期の曲も。
- 脱退したメンバー2名で結成されたai.ni.coも残念だった。
- 上杉はal.ni.co解散後にキワモノ歌手に転じてしまった。
- 2019年に再始動したが、直後に大島こうすけが脱退。急遽木村真也が加入するはめに。
- 理由は大島が自分のやりたい事があったから。
- 上杉昇はビーイングとこじれている以上、復帰が認められず。
- いや、上杉昇は「今からでも自分主導でメディアに出るタイミングがあれば、もう一度メジャーシーンに行って、今度こそWANDSのイメージを徹底的にブッ壊したいって思っていますからね。」と言っているから、復帰はしない。
- WANDSのことを書いているTwitterを見たら、5期のWANDSのアーティスト写真の上原大史を上杉昇にした人がいた。