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==岐阜==
{{Pathnav|もしWiki|歴史のif検討委員会}}
#愛知万博で展示された鵜飼いロボットの実用化が決定、今夏に一般公開予定。
*新規追加は実際のリリース年順でお願いします。
#合掌造り屋根の葺き替えを行っていた男性が葺き替え中の屋根に埋まり行方不明。
*○○がハード事業から撤退することはなかったや、○○はこちらで発売されていたは基本的に当たり前のことなのでご遠慮ください。
#岐阜県が画像形式にGIFを推奨。
==コケていたら==
#裏金がブームに。一般家庭でも「へそくり」の代わりに「裏金」が浸透する。
===ファミリーコンピューター===
#瑞穂市長が市内にみずほ銀行の本社を誘致。
#その後のゲーム業界の歴史は大きく変わっていた。
#密かに,金津園や柳ヶ瀬では「ゆかりタンしよう」と誘われる風景が目立つ。
#代わりにセガのSG-1000が史実よりもメジャーに。
#岐阜エフエム放送、経営難に陥り民事再生法の適用を岐阜地裁に申請。楽天やヤフーなどのソフトバンク系列の企業が支援を名乗り出る。
#*エポック社のスーパーカセットビジョンも。
#岐阜県と岐阜市を字がかけない人が多いためぎふ県 ぎふ市に改名する
#ディスクシステムも登場しない。
#[[高山市]]があまりにも広くなりすぎたため、飛騨地方を分離し、かつての「高山県」が48個目の都道府県として復活。。
#ぎふチャン、[[中日新聞|中日グループ]]入り
#岐阜市立岐阜薬科大学が国立の岐阜大学と合併。


==静岡==
===ゲームボーイ===
#浜名湖にうなぎが大量発生
#ワンダースワンは存在しなかった。
#富士山が世界遺産に。
#ネオジオポケットは最初からカラーだっただろう。
#*富士登山者の5割、登山目的は「ゴミ拾い」
#白黒液晶のゲーム機はヒットしないというジンクスが出来ていた。
#*このネタは実現しました。
#ポケモン赤緑の発売を待たずにして販売を終了していた。
#静岡空港、3年の歴史に幕
#*アクセスの悪さがネック。JR駅への接続手段が大井川鉄道のSLだけだったため
#*浜松空港開港に向けて静岡県と防衛省(城内実防衛大臣)が協議を始めた。
#**当面はチャーター機(B767もOK) と羽田・成田・関空行きのプロペラ機のみ。
#富士山、噴火
#サッカー静岡フル代表が日本フル代表に勝利。
#*ユース世代なら実現済み。
#東海地震、起こる
#お茶に関するとてつもなくすごい発見がある
#*抗ガン、ダイエットと来て……次は水虫か?
#**水虫に対するお茶の効果は既にカテキン学会で発表済み。
#*「緑茶でエイズが治った!」だと広告みたいで嫌だな。
#[[緑の蛇口の「お茶水道」県内全家庭に設置完了]]
#*島田市の小学校で本当に「'''お茶の蛇口'''」実現。
#*京都府宇治市の小学校でもすでに実施中。
#*また、イベント用に鰻を混ぜた水が出る水道を浜松市で製作中。
#**完成は○月△日の予定だ。
#浜松がついに独立宣言。
#*豊橋市との統合も模索中とのこと。
#*菊川市、掛川市、袋井市、磐田市、湖西市と浜松県を設立する方向で進展中。
#*伊豆も独立を宣言。
#*熱海市は神奈川県に移籍。
#*道州制施行により、浜松県は東海州 伊豆県は南関東州へ。 静岡県(駿河)がどちらの州に属するか揉める。
#佐鳴湖、今年も水質全国ワーストワン
#中山雅史、磐田市長兼ジュビロ監督に就任。
#バンダイが田宮を買収。
#*アオシマの買収も検討中
#まる子、清水市・・・は無くなっているので清水区民に登録される。
#静岡市葵区があまりに広すぎるので、南北に分割。井川地区から北は「南アルプス区」となる。
#*南アルプス区改名「山尾区」へ 正式名称がほとんど使われず通称が一般化したため現状を追認する形で変更した 
#静岡県サッカー協会、独立代表でワールドカップアジア予選出場を申請。日本サッカー協会川渕キャプテンに一蹴される
#静岡市、焼津市・藤枝市・岡部町・大井川町を吸収。人口は浜松市を抜き再び県内トップ、100万人都市に。
#*浜松市も静岡市に負けじにと磐田市と湖西市と新居町を吸収。こちらも人口100万人都市に。
#**静岡、ついに2市のみで構成される県に。
#***↑の2市は「浜松県」と「静岡県」に独立。 県内に市を置く為、合併によって超巨大化した市を分割。 両県とも政令市が消える…かも
#****「浜松県」と「静岡県」、いずれも1県1市とすることに。県知事と市長は兼任へ。
#伊豆急、JR伊東線を買収
#*その後、伊豆急をJR東日本が子会社化。
#*それどころか伊豆急をJR東日本が自社路線として編入。
#アニメ「ちびまるこちゃん」のCV総入れ替え。静岡市から苦情が殺到。
#東名日本坂トンネルでまた玉突き事故発生。
#*しかし、事故予想システム「ジコダス」が作動して、スプリンクラーで水がまかれたので、火災による死傷者はなし。
#**追突されたバスに乗っていた女子学生の団体に水がかかり、ブラが透けたのを写真週刊誌に撮られたのが最大の人的被害。
#浜岡原発○号機運転停止/再開
#*浜岡原発6号機、高さ30mのコンクリート基礎を築き、その上に建設することが決定。
#静岡県の46回に及ぶJR東海への陳情により、静岡駅、浜松駅に東海道新幹線の全列車が停車することに。これにより、のぞみの東京~新大阪の所要時間は現在の最速2時間25分から2時間30分へ。
<!--#JR東海道線島田以東がJR東日本に移管されることになり、あおりを食って特急あさぎり廃止へ。
#*最終的な協議での合意事項は豊橋以東をJR東日本に移管、静岡県全域をNTT東日本が管轄。尚、飯田線についても全線がJR東日本に。
#**余談ではあるが、豊橋以西はJR西日本に移管することが検討され。JR東海は東海道新幹線のみの会社となる。-->
#静岡県東部の都市が全て合併、日本で19番目の政令市に。
#*富士市、沼津市、富士宮市、芝川町、裾野市、御殿場市、三島市、長泉町、清水町、小山町、伊豆市、伊豆の国市、熱海市、伊東市が合併。
#静岡市が焼津市、藤枝市、岡部町、大井川町、川根本町と合併し、新たに区割りを、これで全国最多の33区に。
#*新しい区名は葵区、駿河区、清水区、焼津区、藤枝区、岡部区、大井川区、港西区、港東区、港北区、港南区、江東区、江西区、北区、南区、東区、西区、港区、中区、中央区、井川区、藁科区、藁科川区、川根区、千頭区、緑区、若葉区、青葉区、栄区、泉区、港東区、幸区、静岡区に。
#*全国最多になるためにはあと2区必要だよ(cf,[[大阪市]]
#東京ガスが静岡ガスを買収。これで静岡ガスは東京ガスに。
#浜松市は、業務効率化のため、浜北区を「白区」、天竜区を「發区」と改名すると発表
#*これで「東南西北白發中」が全部揃うことになる。題して「麻雀の町・浜松」
#**ポスターの写真は浜松出身のプロ雀士、くまきりあさ美。
#*浜北区のみで路線運行されている「浜松バス」は「白バス」という愛称がつけられた。
#浜松バス、遠鉄バスの超低床車に対抗して、全ての路線バスをダブルデッカーで運行すると発表。
#関西ローカル「たかじんのそこまで言って委員会」「ジャイケルマクソン」「ムーブ!」を放送。
#*「たかじんのそこまで言って委員会(現・そこまで言って委員会NP)」は土日の昼に放送中。
#自称最年長オタク現る:週3回上京し、フィギュアをあさり、メイド喫茶にも通う。
#*久能駿吉さん(仮名:102歳)、下半身<!--足腰もあそこも-->は衰えを知らず、往復350km程の移動も苦にならず。
#*通い始めたきっかけは3年前の秋、婆さんを冥土に送り出し、その寂しさを紛らわすためだったのだとか…、
#*上京時は早朝こだま604号に乗車、愛用のモバイルPCの電源を確保し、また尿意が頻繁に訪れるため、座席はいつもデッキ付近を使用。
#*帰りはこだま577号に乗車、車内で愛用のモバイルPCでブログを更新。帰宅後はそのまま床に就くのだそうだ。
#*メイド喫茶では時々、おイタが過ぎることもあるようで…、
#**メイドが「それはセクハラですぅ~」と言おうものなら、ここは老いたる者の武器、すかさず呆けたふりをする久能さんであった。
#**毎回必ず食べるメニューはオムカレー、「メイドからオムカレーが来ました❤️」に対して「わしにもとうとう冥土からお迎えが来たか…」とぼけて見せるのも常。
#テレビ静岡、FNSとTXNのクロスネット化。TXN新局開局阻止が目的
#*(その後・・・)FNN・FNS系列新局「静岡ちゃっきりテレビ」が開局。SUTはテレビ東京系1本化へ。
#第2東海集中豪雨で天竜川・安倍川・富士川が氾濫、堤防が決壊。<!--死者・行方不明者5000人超。-->
#*東海道本線・東海道新幹線・東名高速道路が陥没、通行不能に。国道1号で渋滞50kmを突破。
#浜松市で徳川家康の隠し財宝が発見される。時価十数兆円か?!
#伊豆シャボテン公園のカピバラが柚子湯を拒否
#岳南鉄道が数十年ぶりに延伸を決定。かつての沼津ルートから少し変化する模様。
#東海道新幹線富士山静岡空港駅誕生
#*これで日本最長の駅名誕生。
#**これでは、単純に駅名のみで勝負すると北陸新幹線黒部宇奈月温泉駅と字数同じ。
#*地元住民からの要望を受け「富士山静岡空港島田牧之原駅」と改称し、ますます磨きがかかる。


==愛知==
===ネオジオ===
#[[セブンイレブン]]が[[サークルKサンクス|サークルK]]を追い抜く。
*生産台数こそ少ないもののゲーマーへの支持が低かったらと仮定。
#*サークルKはこれを受け、近いうちにブランドをサンクスへ一本化。
#アーケードゲームの家庭用機への完全移植はハードの進化を待つことになる。
#名古屋市×区○○何丁目の加藤さんが空き巣を捕まえる([[中日新聞]]限定)。
#対戦格闘ゲームはカプコンの一人勝ちになっていた。
#*見出しにはならないが中日新聞なら書く。しかも「お手柄の加藤さん」というキャプション付写真入りで。
#*類似的な事、同区△△何丁目の長尾さんが[[ロケット・宇宙船#UFO|UFO]]を打ち落とす。
#トヨタ自動車が豊田市を買収。豊田市役所がトヨタ本社内に移転。市長はトヨタ社長が兼任。
#寿がきやのスーちゃん、愛知県のマスコットキャラに。
#つボイノリオに県民栄誉賞授与
#*宮地佑紀生と同時受賞へ
#モリゾー・キッコロとセントレアフレンズが喧嘩、ドアラが仲裁に入る。
#車大国の崩壊、そしてJR東海と名鉄の台頭により経済バランスが変わる。
#豊田市独立。トヨタ帝国として建国した。
#なぜか削除されるトヨタネタの不思議が暴露される。
#*→すでに暴露されつつある。リコール問題など。
#小牧のピーチライナーが、車両をガイドウェイバスに置き換えた上で復活。
#犬山市、観光名所であるモンキーパークの知名度を上げるため市名を「猿山市」に変えることを検討。
#18歳の浪人生の少年、[[東京大学]]に進学するといって家を飛び出したまま行方不明。
#*両親「[[トヨタ自動車|クルマ]]買っったるで[[名古屋大学|名大]]にしやぁ、って引き止めたのに・・・」
#名古屋飛ばしののぞみが復活。でもちゃっかり京都には停車している。
#*静岡県知事の要望で「ひかり」全列車が静岡と浜松に停まるようになったので、名古屋を通過することになった。
#*JR東海がリニア線のルート発表。名古屋を完全無視して東京~大阪間の直通ルートとなる。
#ういろう「名古屋名物」から「小田原名物」へ
#味噌煮込みうどん,実は山梨の「ほうとう」のパクリ。
#*1582年の武田氏滅亡時に信長勢に拉致されたときからと。
#ナナちゃん人形。最近見ないと思ったら,人形マニアの家で発見。
#*夜のおかずにしていたそーだ。
#県名、再び愛知県から名古屋県に。
#名古屋大学の愛称が「めーでゃー」に決定。
#*「明治大学」と混同されやすいため。
#名鉄と直通している市営地下鉄鶴舞線のラインカラーを赤に変更。ついでに名港線がマリンブルーに変更。上飯田線は、名鉄小牧線300系に合わせたピンクのまま。東山線がレモンイエローで、名城線が紫・・・・桜通線は余り物の「緑」。新緑のセントラルパークをイメージしたという苦しい言い訳。
#*名鉄豊田線・犬山線に[[Wikipedia:ja:名鉄3300系電車 (3代)|3300系]]が投入され、鶴舞線のラインカラーが赤になったら、素人は見分けがつかないと言う感想あり。
#落合ジャパン!WBCで優勝
#愛知県での車主義化がさらに進行。名鉄が愛知県出資の第三セクター化。名古屋・豊橋以外のバス事業は公営移管。
#金属価格高騰で、「シャチホコ」盗難。犯人はタコに乗った男。
#熱田神宮、外国人参拝者急増。
#*イタリアのシチリアーノ・ワッタシさんが、北京五輪観戦の途中で来名、興味本意で参拝したところ、ひいきの無名選手が金メダルを獲得。
#**このことが全欧に大々的に報道されたのがきっかけらしい。
#*さらに「ひつまぶし」もヨーロッパを中心にブームが起こる。
#中部国際空港の愛称が「セントレア」から「山崎武司空港」に改称へ。
#*美浜町と南知多町の合併協議が再燃。新市名「南やまさきたけ市」も浮上するも…、
#**山崎武司の出身地である知多市、空港がある常滑市、さらに住民が猛反発。
#名港線、全駅の接近メロディがVOCALOID「MEIKO」の歌に。
#CBCが過去の番組テーマ集のCD発売。
#*あの「今様」もついにCD初収録。
#河村名古屋市長をモデルにした「ぱちんこ・きゃゐゃみゅりゃてゃきゃし」登場。
#*総務省「市長の実名ではなければ問題ないだろう」との見解。
#*肖像権などは市の収入となった。
#岡崎市、「八丁味噌の会社は岡崎にあり、名古屋ではない。名物八丁味噌を名古屋名物というな。」と提訴。
#*主張が認められなければ八丁味噌の販売停止を検討するとのこと。
#つボイノリオ、ベスト盤リリース5日で発行禁止に。
#*さらに実は名古屋市昭和区八事生まれだった事が発覚!!
#名鉄瀬戸線、鶴舞経由で神宮前まで延伸。尾張瀬戸発中部国際空港行きの特急が設定される。
#春日井市に生きていれば800歳女性の戸籍。
#*「そもそも何故登録されていたのか」、と役所内から戸惑いの声。
#**郊外の尼寺で800歳の女性の生存を確認。人魚の肉が常食だったと判明。
#文化庁、田縣神社(小牧市)と大縣神社(犬山市)の両豊年祭が近く世界無形文化遺産に登録される見通しであることを発表。外国人観光客らの圧倒的な支持によるもの。
#宮地佑紀生、「スガキヤラーメンの歌」全国発売へ
#*もっと食べてみや~ち♪
#東海テレビ・東海ラジオ、ついに合併へ。
#*「東海放送株式会社(THK)」として再スタート。
#東海ラジオ「宮地佑紀生の聞いてみやーち」全国ネットへ!
#*ライバル・CBC「つボイノリオの聞けば聞くほど」全国ネットへ!


==三重==
===スーパーファミコン===
#伊賀市
#発売延期が不振の原因だと言われていた。
#*昨夜未明、タクシー運転手の山田さんが、道路を横断中の忍者(伊賀衆、男性26歳)をはねる。
#この場合、プレイステーションはスーパーファミコンの周辺機器として発売されていただろう。
#**1分前、仲間の忍者が山田さんを忍び刀で○△×◇する。
#*ニンテンドー64は光ディスクになっていた。
#***尚、山田さんを襲った忍者は警察の事情聴取に対し、「世界は忍者を待っている」等と意味不明なことを口走っており・・・
#松阪市
#*地域政財界の暗部、商工会議所の黒幕は牛。
#*ついに「朝日屋」の無敗神話崩れる。第○回松阪肉牛共進会にて。
#尾鷲市
#*連続降雨日数が60日を超える。依然として、道路や鉄道は寸断されたままの状態が続く。
#**89日目。ついに尾鷲市が水没した。
#熊野市
#*熊野古道舗装化へ -観光客増のため-
#*花火大会時限定で政令指定都市へ
#*花火大会で死傷者続出
#*花火大会で世界遺産が火事に
#**そのあとも相次いで熊野古道が危機遺産に。
#*渋滞が紀伊半島横断
#鈴鹿市
#*来季のF1開催も存続へ、市民がデモ。
#亀山市
#*JR関西本線の電化にシャープが協力。「電車も作る家電メーカー」へ躍進。
#伊勢市
#*夫婦岩の定説が覆る。大きいほうが妻、小さいほうが夫であることが、伊勢神宮に残された古文書から判明。
#*伊勢神宮、次回の遷宮は100年後にすることを発表。理由は「めんどくさくなったから」。
#*登校中の小学生の列に居眠り運転の御木曳き車が突っ込む。奇跡的に死傷者無し。神宮の御利益か。
#三重県が近畿地方から中部地方に変更。
#*伊賀市、名張市で独立派によるクーデター発生。
#*クーデター、わずか6時間で陸自が鎮圧。初動の速さに事前情報か?
#三重県木曽岬町から、愛知県木曽岬町へ。近く弥富市と合併か?
#三重テレビが経営難に伴い倒産。結果、三重県南部などではテレ東系の番組が一切見られなくなる。


[[カテゴリ:ありそうなニュース見出し|とうかい]]
===PlayStation===
[[カテゴリ:東海地方|ありそうなにゆす]]
#PlayStation2以降のハードは登場しない。
#任天堂の天下が続いていたかも。
#*任天堂の暗黒時代も起きなかった。
#ドリームキャストのCMの内容が変わっていた。
#現在でもゲームは低年齢向けの印象が強いままだった。
#*プレステが層の幅を広げたため。
 
===PlayStation2===
#DVDの普及が史実より遅れていたかも。
#*『マトリックス』のDVDも売上が史実より落ちていた。
#代わりにゲームキューブが大ヒットしてた。
#*あるいはXboxが(国内でも)大ヒットしてた。
#*ドリームキャストも現実よりもヒットし<!--、セガがゲームハードから撤退することは無かっ-->た。
 
===ニンテンドーDS===
#任天堂は当初の予定通り、ゲームボーイアドバンスの後継機を出していた。
#当然、脳トレブームもなし。
#*川島隆太教授の知名度は史実より下がっていた。
#ライトユーザーの減少が史実より加速していた……かもしれない。
 
===Wii===
#欠陥ハードとして叩かれていた。
#*リモコンストラップがテレビを破壊する凶器扱いされていた。
#任天堂は低スペックだから売れなかったとみなされていた。
#*テレビの水準向上につれて高性能ハードに移行していた。その分、Wii末期におけるソフト不足に悩まされることもなかった。
#WiiUは発売されなかったかもしれない。
 
===Nitendo Switch===
#任天堂は家庭用ゲーム機市場から撤退していた。
#*任天堂は携帯ゲーム機専業になっていた。
#家庭用ゲーム機と携帯ゲーム機を併せ持つ機種が受け入れられなかったとみなされていた。
#*携帯性も重視しないと売れないというジンクスができていた。
#家庭用のソフトはPS4とXbox1のマルチが主流になっていた。
#*家庭用ソフトのクオリティ関連の批判も無かった。
#ゲームに特化し過ぎて大コケしたとみなされていた。
#*Switchにもブラウザやメディアプレイヤーを搭載するべきという意見が出ていた。
#*あと完全新規設計による3DS・WiiUとの互換性のなさ、機能の乏しさも。
#Nintendo Switch Liteも登場しなかった。
 
==大ヒットしていたら==
===セガ・マスターシステム===
*ヨーロッパやブラジルでは成功を収めましたが、日本やアメリカでも成功を収めていたら?
#『アレックスキッド』が人気シリーズになっていた。
#*ソニックは史実通り出ていたが、アレクの二番手に甘んじてただろう。
#ソフトがアーケードからの移植ばかりと揶揄されることもなかった。
 
===メガドライブ===
*アメリカでは成功を収めましたが、日本でも成功を収めていたら?
#ソニックは日本でも知名度・売上ともに史実以上だった。
#*当然、ソニックがセガサターンでリリースされないと言う事は無かった。
#メガCDやスーパー32Xも史実以上に売れていた。
#*その場合、セガサターンの売れ行きが史実よりも悪かったかもしれない。
#*1997年頃まではメガドライブの生産やソフト供給も続けられていた。
 
===ゲームギア===
#電池の持ちが史実以上に良かったら有り得ていた。
#*ACアダプタがないと遊べない携帯ゲーム機と揶揄されることはなく、本末転倒な携帯ゲーム機扱いされてしまうこともなかった。
#『ドラゴンクリスタル ツラニの迷宮』がローグライクゲームのルーツとして認知されていた。
#ゲームボーイカラーも史実より早く発売されていたか。
#カラー液晶のゲーム機はヒットしないというジンクスが(この時点で)崩れていた。
 
===3DO===
#『メタルギアソリッド』は『メタルギア3』として3DOで発売されていた。
#*これは阪神・淡路大震災でコナミ神戸本社が被災していなかったら有り得たかもしれない。
#3DO M2は無事発売されており、『Dの食卓2』もこちらでの発売だった。
 
===プレイディア===
#お子様ゲーム専用機と揶揄されることはなかった。
#*住み分けが上手くできていたら・・・。
#バンダイは低性能だから売れないとみなされることもなかった。
 
===セガサターン===
#3D対戦格闘ゲームはバーチャファイターが天下を取っていた。
#本作ソニックがセガサターンでリリースされないと言う事は無かった。
#プレステで発売されたソフトは半分くらいはセガサターンでリリースされていた。
#*セガサターンとプレステの地位が逆転しただけ。
#**「SONYは家電品で十分。ゲームには合わない」と言われていた。
#新作ソフトは2001年いっぱいまで作られ続け、ドリームキャストの発売が2001年12月頃になってた。
#*せがた三四郎は2000年夏頃に登場していた。
#ドリームキャスト発売前のCMでネタにされることもなかった。
#萌えに走ることはなかった。
 
===PC-FX===
#エロゲー専用機と揶揄されることはなかった。
#*史実通りの路線でヒットしていた場合、家庭用機でもエロゲーがリリースされるようになっていたかもしれない。
#**エロゲー=パソコンゲームという認識に留まることはなかった。
#*そもそも3D描写に対応していたらラインナップがエロゲーばかりになることはなかった。
#『天外魔境III NAMIDA』はPC-FXで発売されていた。
 
===NINTENDO64===
*アメリカでは成功を収めましたが、日本でも成功を収めていたら?
#日本のゲーム業界が史実ほどムービーを重視する路線になっていなかった。
#*それの原因で容量不足が起きると言う事は無かっただろう。
#『ゴールデンアイ 007』は史実以上にヒットしており、日本でもFPSブームが巻き起こっていた。
#*任天堂のレア社の関係が悪化する事は無かったかも…。
#それでも『ファイナルファンタジーVII』はNINTENDO64でリリースされなかった。
#*代わりにセガサターンかゲームボーイカラーでリリースされていた?
#*ナムコのリッジレーサーや鉄拳もNINTENDO64でリリースされなかった可能性が高い。
#湯川専務のあのCMは「64のほうが面白いよな」と言うセリフになっていた。
#少なくともNINTENDO64のソフトが不足する事は無かったと思われる。史実のゲームキューブぐらいのソフトが揃っていた。
#NINTENDO64の寿命は2002年か2003年辺り延びていた。
#*特に2001年~2002年はゲームボーイカラー、NINTENDO64、ゲームキューブ、GBAと4強ハード時代が出来ていたかもしれない。
#*上手くいけばスーパーファミコンみたいに10年以上は持てたかもしれない。
#*↑×3「2003年あたりまで」かと…。
#子供向けのゲームにはポムポムプリンや遊☆戯☆王やおじゃる丸がリリースされていた。
#*ONE PIECEやとっとこハム太郎なども。
#史実ではゲームキューブとGBAで発売されたソフトは一部NINTENDO64で発売されていた。
#*ゲームキューブソフトではカービィのエアライド、バイオハザード0、動物番長、エターナルダークネス辺りが発売されていた。
#*史実ではNINTENDO64時代では未発表のルイージマンションやピクミンや巨人のドシンやマリオパーティー4もリリースされていた可能性も。
#*GBAではMOTHER3、ファイアーエムブレム 封印の剣がNINTENDO64でリリースされていた。
#当然だが、ゲームキューブは史実以上に売れていた。少なくても史実のNINTENDO64の売上ぐらいは売れていた。
#電車でGO!は当初からNINTENDO64でリリースされていた。
#どうぶつの森は最初からミリオンヒットしていた可能性がある。
#64DDも売れていたらオンライン端末の定着が早まっていたかも。
#*但し、サテラビューの事を考えると時代を先送りしすぎたハードで売れなかった可能性が高いかも。
#*一応販売は1997年と早まっていた可能性はあるかも。
#仮にNINTENDO64がトップハードになっていたら任天堂のゲーム機で2000万台越えの置換型ゲーム機として注目されていたか。次世代のゲームキューブは流石にロムカセットにはなっていないと思う。
#とりあえずNINTENDO64のソフト不足は起きなかったか、あっても史実ほど問題にならなかったと思う。
#*史実ではGCで販売されたソフトもNINTENDO64の時点で販売されているソフトもある。
#ゲームキューブの売り上げも史実よりも良かったかもしれない。ただ、トップハードになっていたか怪しい所。
#*少なくとも史実のNINTENDO64並みに売れていたと思われる。
#WiiUのバーチャルコンソールで当初からNINTENDO64のソフトが出ていたと思う。後にDSのバーチャルコンソールと同時にゲームキューブのバーチャルコンソールが出ていた。
#しかし、逆に任天堂ハードの中で一番トラウマなゲームとして注目されていたかもしれない。
#日本国内でいわゆる洋ゲーやFPSの認知度が史実よりも高まっていたかも。
#*洋ゲーやFPSの多いマシンなので。
#バイキンマンの基地のコントローラーがスーファミベースのままではなかったか。
 
===ワンダースワン===
#デジモンが史実以上にヒットしており、名実共に「第二のポケモン」と呼ばれていたか。
#*もしかしたら、ポケモンとデジモンの地位が逆転していた?
#*現在もフジテレビ系列でデジモンが放送されていた。
#ナムコとの合併後はナムコのタイトルもワンダースワンで発売されていた。
#スワンクリスタルが受注生産になることはなかった。
#*スワンクリスタル専用ソフトも発売されていただろう。画質は史実のGBA並みかな。
#バンダイも置き換え型ゲーム機にも展開していた可能性がある。
#レースゲームがたくさん発売されていたそうなハードだったかもしれない。
#*この時点で携帯ゲーム機でリッジレーサーや鉄拳も出来ていたかも。但し移植ソフトだったかもしれない。
#もしかすると「ワンダースワンで発見!!たまごっち」と言うソフトも発売されていたかもしれない。
#ワンダースワンカラーの音楽再生とGPS連動は予定行われていた。
#*初めて携帯ゲーム機で音楽再生が出来るハードとして話題を読んでいた。
#**しかし、DSiの登場で時代を先送りしすぎたハードとして語られる事に…
#移植ソフトばかりのハードと言われる事は無かった。
 
===ドリームキャスト===
#当時はダイヤルアップ接続が主流だったので、ゲーマーの電話料金がすさまじいことになっていた。
#*なので、ダイヤルアップ接続が史実より早く廃れていた。
#湯川専務のあのCMも無かったか、内容が変わっていた。
#*湯川専務が降格させられることもなかった。
#『メタルマックス ワイルドアイズ』も開発中止にならずに済んでいた。
#家庭用ゲーム機でオンライン対戦が史実より早く定着していた……かもしれない。
#*ゲームキューブもオンライン対戦が実現していたかも。GBAは性能的に厳しい過ぎるが…アダプターなら実現出来そう?
#*PS2もアダプターでオンライン対戦が実現していた。
#ゲーマーからは「夢」と呼ばれていたかもしれない。(ドリーム=夢)
#レア社はマイクロソフトではなくセガのセカンドパーティになっていた可能性がある。
#マイクロソフトは史実通りハード展開していただろうか?
#2006年辺りにドリームキャストの後継機「ネプチューン」が発売されていた。
#セガガガは発売されてなかった。
#ドリームキャスト版「D.C. ~ダ・カーポ~」が発売されていてもおかしくない(DCだけに)。
#シャドウ・ザ・ヘッジホッグやソニックライダーズやBLEACHシリーズなどはドリームキャストで発売されてた。
#2003年12月頃にソニックアドベンチャー3が発売されてた可能性があるかも。
#やはりソニックX内のセガのCMはドリームキャストのソフトが中心
#セガは他社へのゲームソフト供給を解禁することもなかった。
#*ソニックとマリオがコラボすることもなかった。
#**ソニックのスマブラ参戦もなかったか史実より遅れていた。
#***ソニックの代わりにパックマンかロックマンあたりが「X」の時点で参戦していたかも。
#セガは令和元年現在に至るまで一貫してオリジナルゲームハードを定期的に世に送り出していた。
#*ゲームハード業界が任天堂とSCEの一騎打ちになることもなかった。
#セガとサミーの合併(という名の実質身売り)はなかった。
#*当然今もCSK傘下のままで、CSK自体も独立を維持している。
 
===ゲームキューブ===
#ゲームキューブの寿命はもう少し伸びており2008年までは続いていたかも。
#*場合によってはゲームキューブ、DS、Wiiと言う形で発売されていた可能性がある。
#**一部のソフトはゲームキューブとWiiのマルチソフト販売がされていた。
#*星のカービィGCもWiiに移行せず予定通り発売されてたかもしれない。
#GBAみたいに多くの子供向けのゲームソフトが発売されていた。
#*シナモロール、ボボボーボ・ボーボボ、とっとこハム太郎辺りが発売されていたと思われる。
#**シナモロールはやはりカフェの仕事体験ソフトか。だとすると発売は2003年~2004年?
#パイロットウイングスはゲームキューブでも発売されていた。ただ、64時代のソフトほど売れなかった可能性がありそう。
#*星のカービィGCも予定通り発売されていた。ミリオンヒットは確実か。
#GBAとGCの連動ソフトが普及していた。
#MOTHER3はGBAではなくゲームキューブで発売されていた。
#スーパーマリオサンシャイン、ルイージマンション、マリオカートタブルダッシュ!!はミリオンヒット記録していたかも。
#任天堂は現在も高性能のハードを開発していた。DSやWiiも高性能路線として開発されていた。
#*Wiiは当初からHD対応であり、末期にソフト不足で悩まされることもなかった。
#*デジタルAV出力ポートなどを撤去した後期型も出なかった。
#「任天堂の奇跡の復活」としてゲームハードの歴史に残っていた。
#WiiUのバーチャルコンソールではGCのソフトも配信されていただろう。
#PS2みたいにDVDを再生することができていれば有り得ていたかも。
#*上手くいけばWiiにもDVD再生機能が搭載されていたかもしれない。WiiUとSwitchは微妙な所だが。
#*DVD再生機能ならパナソニックの互換機であるQがありましたが。
#*むしろ64との互換性じゃない?
#**その分、Wiiではゲームキューブとの互換性を追求することもなかった。
#スマブラのためのゲームハード扱いされることもなかった。
#NINTENDO64と同様、任天堂のゲーム機で2000万台越えの置換型ゲーム機として注目されていた。
#NINTENDO64の反省でロムカセットを止めたのが爆発的な売り上げになったと見なされていた。
#*「あのPS2がゲームキューブに負けるなんて……」と思っていたPSユーザーも少なからず居ただろう…。
#ゲーマー達はXBOXの箱に対し、ゲームキューブは立方体か□と呼ばれていたかもしれない。
#WiiUのバーチャルコンソールでちゃんとゲームキューブのソフトも出ていたいたと思う。
#ゲームキューブのソフトのミリオンヒットは「大乱闘スマッシュブラザースDX」のみに終わる事は無かっただろう。
#ゲームキューブは本当に壊れないのか検証する人も沢山居ただろう。当然動画もうpされ、さらにはテレビ番組まで検証していたかもしれない。
#任天堂のハードの中で一番売れなかったのはバーチャルボーイ除いて「NINTENDO64」のまま……と思いきや「WiiU」かもしれない。
#もしかするとゲームキューブが2000万台売れていたとしたら次世代ゲーム機の「Wii」は3000万台売れていたかもしれない。
#*Wiiはむしろ存在が薄れていた。史実通りに発売してもゲームキューブ互換機能はなかったかもしれない。
 
===Xbox===
#Xbox=洋ゲー専用機という認識に留まることはなかった。
#Xbox360、XboxONEでも日本向けのゲームが発売されていた。もちろん日本でしか発売されるソフトも存在していた。
#*↑「日本でのみ発売される」では…?
#ゲームキューブは史実のWiiUぐらいしか売れなかった可能性がある。PS2はDVDプレイヤー需要もあるため史実よりは売上落ちるが、それでも比較的売れていたかも。
#それでもゲーマーから「箱」呼ばれ扱いはしていただろう。
#当初のハードトラブルが起きていなければあり得ていたかもしれない。
#Xbox360、XboxONEも史実より売り上げを伸ばしていた
#日本でもマイクロソフトはハードメーカー3強の一角として扱われていた
#『ファミ通Xbox360』は休刊にならず『ファミ通XboxONE』として現在でも発行している
 
===PlayStation Portable===
*ゲームボーイアドバンス並みの売れ行きはありましたが、もし、それ以上だったら?
#UMD(ユニバーサル・メディア・ディスク)という規格が衰退することはなかった。
#*となると、PlayStation Vitaにもディスクメディアが採用されていた?
#**この場合、もちろんPSPとの互換性は保持されていた。
#メモリースティックが規格争いで有利になっていたか。
#PlayStation Vitaでも子供向けのソフトに力を入れていたと思われる。
#DSはNINTENDO64とゲームキューブと同様任天堂としては異例の値下げに踏み切っていた。
#*そのため発売から一年後には13000円まで値下げされて、最終的には11000円となっていた。
#「任天堂は低スペックだから売れない」と言うシングスがこの時点で作られていた。
#*当初の予定通り新型ゲームボーイが発売されていたかも。
#「モンスターハンター専用機」という認識で終わることはなかった。
#*モンスターハンターシリーズはPlayStation Vitaでも引き続きリリースされており、ニンテンドー3DSに移籍することもなかった……かもしれない。
#**PS4でも携帯機のモンスターハンターの移植ソフトがリリースされていた。
#例の初期不良問題が起きていなければ有り得ていたかも。
 
===ニンテンドー3DS===
発売当初から大ヒットしていたら?
#本機で売りにする3D機能を活かせるソフトが多数発売されていた。
#*2DSは登場しなかった。
#*=3Dブームが終息しなかったら、である。
#任天堂が赤字になることはなかった。
#大幅な値下げもなかった。
#後に登場するSwitchとは上手く住み分けすることができていた。
#*Switchが3DSを喰う存在になることもなかった。
#任天堂は現在でも多機能ゲーム機を発売していた。
#*Switchではゲーム専用に特化することもなかった。
 
===PlayStation Vita===
#マインクラフトの売り上げだけで支えられたゲーム機扱いされることはなかった。
#乙女ゲームの多くがSwitchに流れることもなかった。
 
===WiiU===
#それでも、開発が難しくソフト不足問題が発生していたのは史実通りだったかもしれない。
#*「ゲーム本体は売れるのにソフトがなかなか出ない」と言う現象が起きていた。
#*それでも3DSで発売された子供向けのゲームは開発されていただろう。
#ゲームパット複数個使用は立ち消えになる事は無かった。
#*マリオカート8で初めてゲームパット複数個使用が実現していたかもしれない。
#Miiverseはニンテンドースイッチでも対応していたかもしれない…?
#*Miiverseは本来の機能をフルに使えていただろう。
#**うごくメモ帳のような絵描きサービスがWiiUで出来ていたかもしれない。
#WiiUはテレビモードに変える事も出来るのでもしかするとテレビ離れは解消した…?
#*「WiiUのお陰でテレビ離れが無くなった!」とゲーマーが騒ぎ出す。
#PS4はPS3と似たような売上になっていたかもしれない。
#スプラトゥーンは史実より早く話題になっていたかも。
#上手く行けば値下げも実施していたかもしれない。21500円が限界か?
#ニンテンドースイッチは2018年頃の発売になっていた。
#*その場合スーパーマリオオデッセイはWiiUでの発売となり星のカービィスターアライズはSwitchと同時発売のゲームになる。
#**スーパーマリオオデッセイはSwitchの目玉ソフトなのでむしろ発売が遅れていた。
#*Switchのマリオカートは8の移植版ではなく、完全新作になっていたかもしれない(タイトルは「マリオカート9」あたり?)。
#妖怪ウォッチの本編がWiiUでも発売されていただろう。
#バーチャルコンソールはゲームキューブのソフトも実現していたかもしれない。
#ファミ通DS+Wiiが休刊に追い込まれる事は無かっただろう…。
#*題名もファミ通3DS+WiiUへ雑誌名変更されていただろう。
#*Nintendo Switch発売後も刊行されていた場合、雑誌名は「ファミ通3DS+Switch」になっていたか。
#任天堂は赤字に頭を抱える事は無かった…?
#WiiUでもどうぶつの森が出ていた。
#任天堂は現在でもゲーム人口拡大路線を堅持していた。
 
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2021年3月7日 (日) 21:40時点における版

  • 新規追加は実際のリリース年順でお願いします。
  • ○○がハード事業から撤退することはなかったや、○○はこちらで発売されていたは基本的に当たり前のことなのでご遠慮ください。

コケていたら

ファミリーコンピューター

  1. その後のゲーム業界の歴史は大きく変わっていた。
  2. 代わりにセガのSG-1000が史実よりもメジャーに。
    • エポック社のスーパーカセットビジョンも。
  3. ディスクシステムも登場しない。

ゲームボーイ

  1. ワンダースワンは存在しなかった。
  2. ネオジオポケットは最初からカラーだっただろう。
  3. 白黒液晶のゲーム機はヒットしないというジンクスが出来ていた。
  4. ポケモン赤緑の発売を待たずにして販売を終了していた。

ネオジオ

  • 生産台数こそ少ないもののゲーマーへの支持が低かったらと仮定。
  1. アーケードゲームの家庭用機への完全移植はハードの進化を待つことになる。
  2. 対戦格闘ゲームはカプコンの一人勝ちになっていた。

スーパーファミコン

  1. 発売延期が不振の原因だと言われていた。
  2. この場合、プレイステーションはスーパーファミコンの周辺機器として発売されていただろう。
    • ニンテンドー64は光ディスクになっていた。

PlayStation

  1. PlayStation2以降のハードは登場しない。
  2. 任天堂の天下が続いていたかも。
    • 任天堂の暗黒時代も起きなかった。
  3. ドリームキャストのCMの内容が変わっていた。
  4. 現在でもゲームは低年齢向けの印象が強いままだった。
    • プレステが層の幅を広げたため。

PlayStation2

  1. DVDの普及が史実より遅れていたかも。
    • 『マトリックス』のDVDも売上が史実より落ちていた。
  2. 代わりにゲームキューブが大ヒットしてた。
    • あるいはXboxが(国内でも)大ヒットしてた。
    • ドリームキャストも現実よりもヒットした。

ニンテンドーDS

  1. 任天堂は当初の予定通り、ゲームボーイアドバンスの後継機を出していた。
  2. 当然、脳トレブームもなし。
    • 川島隆太教授の知名度は史実より下がっていた。
  3. ライトユーザーの減少が史実より加速していた……かもしれない。

Wii

  1. 欠陥ハードとして叩かれていた。
    • リモコンストラップがテレビを破壊する凶器扱いされていた。
  2. 任天堂は低スペックだから売れなかったとみなされていた。
    • テレビの水準向上につれて高性能ハードに移行していた。その分、Wii末期におけるソフト不足に悩まされることもなかった。
  3. WiiUは発売されなかったかもしれない。

Nitendo Switch

  1. 任天堂は家庭用ゲーム機市場から撤退していた。
    • 任天堂は携帯ゲーム機専業になっていた。
  2. 家庭用ゲーム機と携帯ゲーム機を併せ持つ機種が受け入れられなかったとみなされていた。
    • 携帯性も重視しないと売れないというジンクスができていた。
  3. 家庭用のソフトはPS4とXbox1のマルチが主流になっていた。
    • 家庭用ソフトのクオリティ関連の批判も無かった。
  4. ゲームに特化し過ぎて大コケしたとみなされていた。
    • Switchにもブラウザやメディアプレイヤーを搭載するべきという意見が出ていた。
    • あと完全新規設計による3DS・WiiUとの互換性のなさ、機能の乏しさも。
  5. Nintendo Switch Liteも登場しなかった。

大ヒットしていたら

セガ・マスターシステム

  • ヨーロッパやブラジルでは成功を収めましたが、日本やアメリカでも成功を収めていたら?
  1. 『アレックスキッド』が人気シリーズになっていた。
    • ソニックは史実通り出ていたが、アレクの二番手に甘んじてただろう。
  2. ソフトがアーケードからの移植ばかりと揶揄されることもなかった。

メガドライブ

  • アメリカでは成功を収めましたが、日本でも成功を収めていたら?
  1. ソニックは日本でも知名度・売上ともに史実以上だった。
    • 当然、ソニックがセガサターンでリリースされないと言う事は無かった。
  2. メガCDやスーパー32Xも史実以上に売れていた。
    • その場合、セガサターンの売れ行きが史実よりも悪かったかもしれない。
    • 1997年頃まではメガドライブの生産やソフト供給も続けられていた。

ゲームギア

  1. 電池の持ちが史実以上に良かったら有り得ていた。
    • ACアダプタがないと遊べない携帯ゲーム機と揶揄されることはなく、本末転倒な携帯ゲーム機扱いされてしまうこともなかった。
  2. 『ドラゴンクリスタル ツラニの迷宮』がローグライクゲームのルーツとして認知されていた。
  3. ゲームボーイカラーも史実より早く発売されていたか。
  4. カラー液晶のゲーム機はヒットしないというジンクスが(この時点で)崩れていた。

3DO

  1. 『メタルギアソリッド』は『メタルギア3』として3DOで発売されていた。
    • これは阪神・淡路大震災でコナミ神戸本社が被災していなかったら有り得たかもしれない。
  2. 3DO M2は無事発売されており、『Dの食卓2』もこちらでの発売だった。

プレイディア

  1. お子様ゲーム専用機と揶揄されることはなかった。
    • 住み分けが上手くできていたら・・・。
  2. バンダイは低性能だから売れないとみなされることもなかった。

セガサターン

  1. 3D対戦格闘ゲームはバーチャファイターが天下を取っていた。
  2. 本作ソニックがセガサターンでリリースされないと言う事は無かった。
  3. プレステで発売されたソフトは半分くらいはセガサターンでリリースされていた。
    • セガサターンとプレステの地位が逆転しただけ。
      • 「SONYは家電品で十分。ゲームには合わない」と言われていた。
  4. 新作ソフトは2001年いっぱいまで作られ続け、ドリームキャストの発売が2001年12月頃になってた。
    • せがた三四郎は2000年夏頃に登場していた。
  5. ドリームキャスト発売前のCMでネタにされることもなかった。
  6. 萌えに走ることはなかった。

PC-FX

  1. エロゲー専用機と揶揄されることはなかった。
    • 史実通りの路線でヒットしていた場合、家庭用機でもエロゲーがリリースされるようになっていたかもしれない。
      • エロゲー=パソコンゲームという認識に留まることはなかった。
    • そもそも3D描写に対応していたらラインナップがエロゲーばかりになることはなかった。
  2. 『天外魔境III NAMIDA』はPC-FXで発売されていた。

NINTENDO64

  • アメリカでは成功を収めましたが、日本でも成功を収めていたら?
  1. 日本のゲーム業界が史実ほどムービーを重視する路線になっていなかった。
    • それの原因で容量不足が起きると言う事は無かっただろう。
  2. 『ゴールデンアイ 007』は史実以上にヒットしており、日本でもFPSブームが巻き起こっていた。
    • 任天堂のレア社の関係が悪化する事は無かったかも…。
  3. それでも『ファイナルファンタジーVII』はNINTENDO64でリリースされなかった。
    • 代わりにセガサターンかゲームボーイカラーでリリースされていた?
    • ナムコのリッジレーサーや鉄拳もNINTENDO64でリリースされなかった可能性が高い。
  4. 湯川専務のあのCMは「64のほうが面白いよな」と言うセリフになっていた。
  5. 少なくともNINTENDO64のソフトが不足する事は無かったと思われる。史実のゲームキューブぐらいのソフトが揃っていた。
  6. NINTENDO64の寿命は2002年か2003年辺り延びていた。
    • 特に2001年~2002年はゲームボーイカラー、NINTENDO64、ゲームキューブ、GBAと4強ハード時代が出来ていたかもしれない。
    • 上手くいけばスーパーファミコンみたいに10年以上は持てたかもしれない。
    • ↑×3「2003年あたりまで」かと…。
  7. 子供向けのゲームにはポムポムプリンや遊☆戯☆王やおじゃる丸がリリースされていた。
    • ONE PIECEやとっとこハム太郎なども。
  8. 史実ではゲームキューブとGBAで発売されたソフトは一部NINTENDO64で発売されていた。
    • ゲームキューブソフトではカービィのエアライド、バイオハザード0、動物番長、エターナルダークネス辺りが発売されていた。
    • 史実ではNINTENDO64時代では未発表のルイージマンションやピクミンや巨人のドシンやマリオパーティー4もリリースされていた可能性も。
    • GBAではMOTHER3、ファイアーエムブレム 封印の剣がNINTENDO64でリリースされていた。
  9. 当然だが、ゲームキューブは史実以上に売れていた。少なくても史実のNINTENDO64の売上ぐらいは売れていた。
  10. 電車でGO!は当初からNINTENDO64でリリースされていた。
  11. どうぶつの森は最初からミリオンヒットしていた可能性がある。
  12. 64DDも売れていたらオンライン端末の定着が早まっていたかも。
    • 但し、サテラビューの事を考えると時代を先送りしすぎたハードで売れなかった可能性が高いかも。
    • 一応販売は1997年と早まっていた可能性はあるかも。
  13. 仮にNINTENDO64がトップハードになっていたら任天堂のゲーム機で2000万台越えの置換型ゲーム機として注目されていたか。次世代のゲームキューブは流石にロムカセットにはなっていないと思う。
  14. とりあえずNINTENDO64のソフト不足は起きなかったか、あっても史実ほど問題にならなかったと思う。
    • 史実ではGCで販売されたソフトもNINTENDO64の時点で販売されているソフトもある。
  15. ゲームキューブの売り上げも史実よりも良かったかもしれない。ただ、トップハードになっていたか怪しい所。
    • 少なくとも史実のNINTENDO64並みに売れていたと思われる。
  16. WiiUのバーチャルコンソールで当初からNINTENDO64のソフトが出ていたと思う。後にDSのバーチャルコンソールと同時にゲームキューブのバーチャルコンソールが出ていた。
  17. しかし、逆に任天堂ハードの中で一番トラウマなゲームとして注目されていたかもしれない。
  18. 日本国内でいわゆる洋ゲーやFPSの認知度が史実よりも高まっていたかも。
    • 洋ゲーやFPSの多いマシンなので。
  19. バイキンマンの基地のコントローラーがスーファミベースのままではなかったか。

ワンダースワン

  1. デジモンが史実以上にヒットしており、名実共に「第二のポケモン」と呼ばれていたか。
    • もしかしたら、ポケモンとデジモンの地位が逆転していた?
    • 現在もフジテレビ系列でデジモンが放送されていた。
  2. ナムコとの合併後はナムコのタイトルもワンダースワンで発売されていた。
  3. スワンクリスタルが受注生産になることはなかった。
    • スワンクリスタル専用ソフトも発売されていただろう。画質は史実のGBA並みかな。
  4. バンダイも置き換え型ゲーム機にも展開していた可能性がある。
  5. レースゲームがたくさん発売されていたそうなハードだったかもしれない。
    • この時点で携帯ゲーム機でリッジレーサーや鉄拳も出来ていたかも。但し移植ソフトだったかもしれない。
  6. もしかすると「ワンダースワンで発見!!たまごっち」と言うソフトも発売されていたかもしれない。
  7. ワンダースワンカラーの音楽再生とGPS連動は予定行われていた。
    • 初めて携帯ゲーム機で音楽再生が出来るハードとして話題を読んでいた。
      • しかし、DSiの登場で時代を先送りしすぎたハードとして語られる事に…
  8. 移植ソフトばかりのハードと言われる事は無かった。

ドリームキャスト

  1. 当時はダイヤルアップ接続が主流だったので、ゲーマーの電話料金がすさまじいことになっていた。
    • なので、ダイヤルアップ接続が史実より早く廃れていた。
  2. 湯川専務のあのCMも無かったか、内容が変わっていた。
    • 湯川専務が降格させられることもなかった。
  3. 『メタルマックス ワイルドアイズ』も開発中止にならずに済んでいた。
  4. 家庭用ゲーム機でオンライン対戦が史実より早く定着していた……かもしれない。
    • ゲームキューブもオンライン対戦が実現していたかも。GBAは性能的に厳しい過ぎるが…アダプターなら実現出来そう?
    • PS2もアダプターでオンライン対戦が実現していた。
  5. ゲーマーからは「夢」と呼ばれていたかもしれない。(ドリーム=夢)
  6. レア社はマイクロソフトではなくセガのセカンドパーティになっていた可能性がある。
  7. マイクロソフトは史実通りハード展開していただろうか?
  8. 2006年辺りにドリームキャストの後継機「ネプチューン」が発売されていた。
  9. セガガガは発売されてなかった。
  10. ドリームキャスト版「D.C. ~ダ・カーポ~」が発売されていてもおかしくない(DCだけに)。
  11. シャドウ・ザ・ヘッジホッグやソニックライダーズやBLEACHシリーズなどはドリームキャストで発売されてた。
  12. 2003年12月頃にソニックアドベンチャー3が発売されてた可能性があるかも。
  13. やはりソニックX内のセガのCMはドリームキャストのソフトが中心
  14. セガは他社へのゲームソフト供給を解禁することもなかった。
    • ソニックとマリオがコラボすることもなかった。
      • ソニックのスマブラ参戦もなかったか史実より遅れていた。
        • ソニックの代わりにパックマンかロックマンあたりが「X」の時点で参戦していたかも。
  15. セガは令和元年現在に至るまで一貫してオリジナルゲームハードを定期的に世に送り出していた。
    • ゲームハード業界が任天堂とSCEの一騎打ちになることもなかった。
  16. セガとサミーの合併(という名の実質身売り)はなかった。
    • 当然今もCSK傘下のままで、CSK自体も独立を維持している。

ゲームキューブ

  1. ゲームキューブの寿命はもう少し伸びており2008年までは続いていたかも。
    • 場合によってはゲームキューブ、DS、Wiiと言う形で発売されていた可能性がある。
      • 一部のソフトはゲームキューブとWiiのマルチソフト販売がされていた。
    • 星のカービィGCもWiiに移行せず予定通り発売されてたかもしれない。
  2. GBAみたいに多くの子供向けのゲームソフトが発売されていた。
    • シナモロール、ボボボーボ・ボーボボ、とっとこハム太郎辺りが発売されていたと思われる。
      • シナモロールはやはりカフェの仕事体験ソフトか。だとすると発売は2003年~2004年?
  3. パイロットウイングスはゲームキューブでも発売されていた。ただ、64時代のソフトほど売れなかった可能性がありそう。
    • 星のカービィGCも予定通り発売されていた。ミリオンヒットは確実か。
  4. GBAとGCの連動ソフトが普及していた。
  5. MOTHER3はGBAではなくゲームキューブで発売されていた。
  6. スーパーマリオサンシャイン、ルイージマンション、マリオカートタブルダッシュ!!はミリオンヒット記録していたかも。
  7. 任天堂は現在も高性能のハードを開発していた。DSやWiiも高性能路線として開発されていた。
    • Wiiは当初からHD対応であり、末期にソフト不足で悩まされることもなかった。
    • デジタルAV出力ポートなどを撤去した後期型も出なかった。
  8. 「任天堂の奇跡の復活」としてゲームハードの歴史に残っていた。
  9. WiiUのバーチャルコンソールではGCのソフトも配信されていただろう。
  10. PS2みたいにDVDを再生することができていれば有り得ていたかも。
    • 上手くいけばWiiにもDVD再生機能が搭載されていたかもしれない。WiiUとSwitchは微妙な所だが。
    • DVD再生機能ならパナソニックの互換機であるQがありましたが。
    • むしろ64との互換性じゃない?
      • その分、Wiiではゲームキューブとの互換性を追求することもなかった。
  11. スマブラのためのゲームハード扱いされることもなかった。
  12. NINTENDO64と同様、任天堂のゲーム機で2000万台越えの置換型ゲーム機として注目されていた。
  13. NINTENDO64の反省でロムカセットを止めたのが爆発的な売り上げになったと見なされていた。
    • 「あのPS2がゲームキューブに負けるなんて……」と思っていたPSユーザーも少なからず居ただろう…。
  14. ゲーマー達はXBOXの箱に対し、ゲームキューブは立方体か□と呼ばれていたかもしれない。
  15. WiiUのバーチャルコンソールでちゃんとゲームキューブのソフトも出ていたいたと思う。
  16. ゲームキューブのソフトのミリオンヒットは「大乱闘スマッシュブラザースDX」のみに終わる事は無かっただろう。
  17. ゲームキューブは本当に壊れないのか検証する人も沢山居ただろう。当然動画もうpされ、さらにはテレビ番組まで検証していたかもしれない。
  18. 任天堂のハードの中で一番売れなかったのはバーチャルボーイ除いて「NINTENDO64」のまま……と思いきや「WiiU」かもしれない。
  19. もしかするとゲームキューブが2000万台売れていたとしたら次世代ゲーム機の「Wii」は3000万台売れていたかもしれない。
    • Wiiはむしろ存在が薄れていた。史実通りに発売してもゲームキューブ互換機能はなかったかもしれない。

Xbox

  1. Xbox=洋ゲー専用機という認識に留まることはなかった。
  2. Xbox360、XboxONEでも日本向けのゲームが発売されていた。もちろん日本でしか発売されるソフトも存在していた。
    • ↑「日本でのみ発売される」では…?
  3. ゲームキューブは史実のWiiUぐらいしか売れなかった可能性がある。PS2はDVDプレイヤー需要もあるため史実よりは売上落ちるが、それでも比較的売れていたかも。
  4. それでもゲーマーから「箱」呼ばれ扱いはしていただろう。
  5. 当初のハードトラブルが起きていなければあり得ていたかもしれない。
  6. Xbox360、XboxONEも史実より売り上げを伸ばしていた
  7. 日本でもマイクロソフトはハードメーカー3強の一角として扱われていた
  8. 『ファミ通Xbox360』は休刊にならず『ファミ通XboxONE』として現在でも発行している

PlayStation Portable

  • ゲームボーイアドバンス並みの売れ行きはありましたが、もし、それ以上だったら?
  1. UMD(ユニバーサル・メディア・ディスク)という規格が衰退することはなかった。
    • となると、PlayStation Vitaにもディスクメディアが採用されていた?
      • この場合、もちろんPSPとの互換性は保持されていた。
  2. メモリースティックが規格争いで有利になっていたか。
  3. PlayStation Vitaでも子供向けのソフトに力を入れていたと思われる。
  4. DSはNINTENDO64とゲームキューブと同様任天堂としては異例の値下げに踏み切っていた。
    • そのため発売から一年後には13000円まで値下げされて、最終的には11000円となっていた。
  5. 「任天堂は低スペックだから売れない」と言うシングスがこの時点で作られていた。
    • 当初の予定通り新型ゲームボーイが発売されていたかも。
  6. 「モンスターハンター専用機」という認識で終わることはなかった。
    • モンスターハンターシリーズはPlayStation Vitaでも引き続きリリースされており、ニンテンドー3DSに移籍することもなかった……かもしれない。
      • PS4でも携帯機のモンスターハンターの移植ソフトがリリースされていた。
  7. 例の初期不良問題が起きていなければ有り得ていたかも。

ニンテンドー3DS

発売当初から大ヒットしていたら?

  1. 本機で売りにする3D機能を活かせるソフトが多数発売されていた。
    • 2DSは登場しなかった。
    • =3Dブームが終息しなかったら、である。
  2. 任天堂が赤字になることはなかった。
  3. 大幅な値下げもなかった。
  4. 後に登場するSwitchとは上手く住み分けすることができていた。
    • Switchが3DSを喰う存在になることもなかった。
  5. 任天堂は現在でも多機能ゲーム機を発売していた。
    • Switchではゲーム専用に特化することもなかった。

PlayStation Vita

  1. マインクラフトの売り上げだけで支えられたゲーム機扱いされることはなかった。
  2. 乙女ゲームの多くがSwitchに流れることもなかった。

WiiU

  1. それでも、開発が難しくソフト不足問題が発生していたのは史実通りだったかもしれない。
    • 「ゲーム本体は売れるのにソフトがなかなか出ない」と言う現象が起きていた。
    • それでも3DSで発売された子供向けのゲームは開発されていただろう。
  2. ゲームパット複数個使用は立ち消えになる事は無かった。
    • マリオカート8で初めてゲームパット複数個使用が実現していたかもしれない。
  3. Miiverseはニンテンドースイッチでも対応していたかもしれない…?
    • Miiverseは本来の機能をフルに使えていただろう。
      • うごくメモ帳のような絵描きサービスがWiiUで出来ていたかもしれない。
  4. WiiUはテレビモードに変える事も出来るのでもしかするとテレビ離れは解消した…?
    • 「WiiUのお陰でテレビ離れが無くなった!」とゲーマーが騒ぎ出す。
  5. PS4はPS3と似たような売上になっていたかもしれない。
  6. スプラトゥーンは史実より早く話題になっていたかも。
  7. 上手く行けば値下げも実施していたかもしれない。21500円が限界か?
  8. ニンテンドースイッチは2018年頃の発売になっていた。
    • その場合スーパーマリオオデッセイはWiiUでの発売となり星のカービィスターアライズはSwitchと同時発売のゲームになる。
      • スーパーマリオオデッセイはSwitchの目玉ソフトなのでむしろ発売が遅れていた。
    • Switchのマリオカートは8の移植版ではなく、完全新作になっていたかもしれない(タイトルは「マリオカート9」あたり?)。
  9. 妖怪ウォッチの本編がWiiUでも発売されていただろう。
  10. バーチャルコンソールはゲームキューブのソフトも実現していたかもしれない。
  11. ファミ通DS+Wiiが休刊に追い込まれる事は無かっただろう…。
    • 題名もファミ通3DS+WiiUへ雑誌名変更されていただろう。
    • Nintendo Switch発売後も刊行されていた場合、雑誌名は「ファミ通3DS+Switch」になっていたか。
  12. 任天堂は赤字に頭を抱える事は無かった…?
  13. WiiUでもどうぶつの森が出ていた。
  14. 任天堂は現在でもゲーム人口拡大路線を堅持していた。