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清原選手は1996年にFA宣言した際、巨人と阪神からオファーを受けていましたが、結局巨人に移籍しました。もしこのとき巨人ではなく阪神に移籍していたら… | |||
#阪神の暗黒時代は史実より早く終わっていた。 | |||
#*うまくいくと20世紀中に優勝していた? | |||
#*移籍初年度の1997年も最下位脱出どころかAクラス入りしていた可能性がある。 | |||
#*ノムさんや仙さんの監督就任がなかったか? | |||
#甲子園では「地元の星や」と大歓迎。 | |||
#金本知憲は阪神に入らなかったかも。 | |||
#八木裕の背番号が「7」に変更になり、今岡誠は「4」になっていた。 | |||
#天然芝の本拠地により、身体への負担が多少、軽かったかも。 | |||
#*デッドボールに当たりすぎない限り、怪我などのアクシデントももう少しマシだった。 | |||
#**肉体改造もなかったかも。 | |||
#通算成績が史実よりよくなっていた。 | |||
#*500号本塁打の達成はもっと早かった。 | |||
#**当然ながら藤川球児への「チン●コ」発言は無い。 | |||
#***もしかしたら500号を打った試合の勝ち投手が球児だったかも。 | |||
#今の新井などを見ていると、打てなかった場合にはブーイングや野次は巨人に入団した史実以上かもしれない。 | |||
#その後数年の巨人の成績は史実より実は良かった? | |||
#落合は巨人に残留し、「巨人の人」として現役生活を終える。となると後年中日監督に就任しなかった可能性も高い。 | |||
#*むしろ巨人の監督になっていた。 | |||
#**そうなっていれば「史上初の外様監督」が実現していた(2015年開幕時点で、巨人以外の球団に所属した経験のある者が巨人監督を務めたことはない)。 | |||
#『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』でキヨハラがメインキャラになる事もなかった。 | |||
#*『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』はなかった。 | |||
#*もしくは野村克也が阪神監督に就任後、悪役キャラとして準レギュラー化していた。 | |||
#中日から大豊をトレードで獲得することはなかった。 | |||
#*ただそうなると矢野輝弘も阪神に移籍して来ないのでその後の野球人生は大きく変わっていたはず。 | |||
#2012年に真弓明信の後任で阪神監督に就任していた(史実では和田豊が就任)。 | |||
#水樹奈々は清原が巨人に移籍したことで「巨人はズルい」と感じることはなく、お情けで阪神を応援することもなく現在も巨人ファンのままだった。 | |||
#*2016年9月に甲子園球場でライブを開催することもなかった。 | |||
#吉田義男監督(当時)の発言「縦縞を横にしてでも」が迷言ではなく名言として語り継がれる。 | |||
#*言葉通り横縞のユニフォームが作られていただろうか? | |||
#どっちみち「神のお告げ」のグリーンウェルの存在が若干薄れていた。 | |||
#*グリーンウェル以降、四番候補の助っ人外国人を獲得しては失敗することはなかった。 | |||
#**あるいは清原が活躍できなかった場合、史実での巨人のようにポジションの被る助っ人外国人に追いやられ代打要員になるかあるいは二軍落ちを経験していた。 | |||
#1985年のドラフト会議の件を引き合いに出し、「猛虎魂を感じる巨人ファン」とか「ほんまは巨人に入りたかったんやないのか?」などとネタにされていたかも。 | |||
#*実際には父親が阪神ファンだった影響でドラフト会議の際に第二希望としていた球団だったこともネタにされていた。 | |||
#2003年の優勝メンバーの1人となっていた。 | |||
#*この年の阪神は日本一になっていたかもしれない。 | |||
==2003年オフ== | |||
;中日 | |||
2004年に野口茂樹投手とのトレードがあったようですが、タイロン・ウッズ選手の獲得により流れました。 | |||
#≒阪神がウッズを獲得していたらである。 | |||
#*ウッズが史実レベルの活躍をした場合、中日は2004、2006年に優勝できたのだろうか。 | |||
#史実通り2007年に日本一になった際に引退していたかも。 | |||
==2005年オフ== | |||
;西武 | |||
清原は巨人を自由契約になった時にコーチ兼任で西武に復帰するプランもありました。もしこれが実現していたら… | |||
#西武は2007年にBクラスに転落することはなかったかもしれない。 | |||
#*その場合伊東監督は辞任することはなかった。 | |||
#桑田がメジャーに行くことはなかったかもしれない。 | |||
#史実通り2008年に西武が優勝していた場合、巨人との日本シリーズで有終の美を飾って引退していた可能性も。 | |||
#*そうなれば「古巣を見返した」と話題にされていた。 | |||
#中島裕之から背番号3を、あるいは和田一浩から背番号5を譲られていた。 | |||
==関連項目== | |||
*[[もし1985年プロ野球ドラフトで○○だったら]] | |||
[[カテゴリ:もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら|きよはらかすひろ]] |
2021年3月1日 (月) 12:35時点における版
1996年オフ
- 阪神
清原選手は1996年にFA宣言した際、巨人と阪神からオファーを受けていましたが、結局巨人に移籍しました。もしこのとき巨人ではなく阪神に移籍していたら…
- 阪神の暗黒時代は史実より早く終わっていた。
- うまくいくと20世紀中に優勝していた?
- 移籍初年度の1997年も最下位脱出どころかAクラス入りしていた可能性がある。
- ノムさんや仙さんの監督就任がなかったか?
- 甲子園では「地元の星や」と大歓迎。
- 金本知憲は阪神に入らなかったかも。
- 八木裕の背番号が「7」に変更になり、今岡誠は「4」になっていた。
- 天然芝の本拠地により、身体への負担が多少、軽かったかも。
- デッドボールに当たりすぎない限り、怪我などのアクシデントももう少しマシだった。
- 肉体改造もなかったかも。
- デッドボールに当たりすぎない限り、怪我などのアクシデントももう少しマシだった。
- 通算成績が史実よりよくなっていた。
- 500号本塁打の達成はもっと早かった。
- 当然ながら藤川球児への「チン●コ」発言は無い。
- もしかしたら500号を打った試合の勝ち投手が球児だったかも。
- 当然ながら藤川球児への「チン●コ」発言は無い。
- 500号本塁打の達成はもっと早かった。
- 今の新井などを見ていると、打てなかった場合にはブーイングや野次は巨人に入団した史実以上かもしれない。
- その後数年の巨人の成績は史実より実は良かった?
- 落合は巨人に残留し、「巨人の人」として現役生活を終える。となると後年中日監督に就任しなかった可能性も高い。
- むしろ巨人の監督になっていた。
- そうなっていれば「史上初の外様監督」が実現していた(2015年開幕時点で、巨人以外の球団に所属した経験のある者が巨人監督を務めたことはない)。
- むしろ巨人の監督になっていた。
- 『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』でキヨハラがメインキャラになる事もなかった。
- 『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』はなかった。
- もしくは野村克也が阪神監督に就任後、悪役キャラとして準レギュラー化していた。
- 中日から大豊をトレードで獲得することはなかった。
- ただそうなると矢野輝弘も阪神に移籍して来ないのでその後の野球人生は大きく変わっていたはず。
- 2012年に真弓明信の後任で阪神監督に就任していた(史実では和田豊が就任)。
- 水樹奈々は清原が巨人に移籍したことで「巨人はズルい」と感じることはなく、お情けで阪神を応援することもなく現在も巨人ファンのままだった。
- 2016年9月に甲子園球場でライブを開催することもなかった。
- 吉田義男監督(当時)の発言「縦縞を横にしてでも」が迷言ではなく名言として語り継がれる。
- 言葉通り横縞のユニフォームが作られていただろうか?
- どっちみち「神のお告げ」のグリーンウェルの存在が若干薄れていた。
- グリーンウェル以降、四番候補の助っ人外国人を獲得しては失敗することはなかった。
- あるいは清原が活躍できなかった場合、史実での巨人のようにポジションの被る助っ人外国人に追いやられ代打要員になるかあるいは二軍落ちを経験していた。
- グリーンウェル以降、四番候補の助っ人外国人を獲得しては失敗することはなかった。
- 1985年のドラフト会議の件を引き合いに出し、「猛虎魂を感じる巨人ファン」とか「ほんまは巨人に入りたかったんやないのか?」などとネタにされていたかも。
- 実際には父親が阪神ファンだった影響でドラフト会議の際に第二希望としていた球団だったこともネタにされていた。
- 2003年の優勝メンバーの1人となっていた。
- この年の阪神は日本一になっていたかもしれない。
2003年オフ
- 中日
2004年に野口茂樹投手とのトレードがあったようですが、タイロン・ウッズ選手の獲得により流れました。
- ≒阪神がウッズを獲得していたらである。
- ウッズが史実レベルの活躍をした場合、中日は2004、2006年に優勝できたのだろうか。
- 史実通り2007年に日本一になった際に引退していたかも。
2005年オフ
- 西武
清原は巨人を自由契約になった時にコーチ兼任で西武に復帰するプランもありました。もしこれが実現していたら…
- 西武は2007年にBクラスに転落することはなかったかもしれない。
- その場合伊東監督は辞任することはなかった。
- 桑田がメジャーに行くことはなかったかもしれない。
- 史実通り2008年に西武が優勝していた場合、巨人との日本シリーズで有終の美を飾って引退していた可能性も。
- そうなれば「古巣を見返した」と話題にされていた。
- 中島裕之から背番号3を、あるいは和田一浩から背番号5を譲られていた。